「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

日本海海戦洋上慰霊式~プロローグ:海上自衛隊に恋した日~

2014年05月29日 | 海上自衛隊


しばらく、間があいてしまいまして、ごめんなさ~い!


24日博多ゆる会⇒二次会⇒三次会

25日陸上自衛隊第四師団開設64周年記念行事際⇒ゆる会

26日疲れて動けず(笑)

27日日本海海戦洋上慰霊式⇒唐津東松浦政経講演会で司会⇒懇親会

28日掃海母艦うらが出航見送り⇒仕事




という、けっこう怒涛の濃い数日を過ごしてしましまして、


なかなかブログをUPする時間がない上に、


ネタだけは溜まっていってしまい、


何から書くかものすごく迷っていたのですが、


ここは、時系列ではなく、


私にとってもとても大きな意味のある、


この日本海海戦洋上慰霊式から書くことにしました。


日本海海戦記念日は、5月27日ですが、


その数日前の24日は、私にとって、


まさに、海上自衛隊に恋した日なのです。






もともと、軍事や戦略・戦術が好きで、しかも艦隊が好き(笑)だったので、


海上自衛隊にもずっと興味はありました。


特に、江田島という存在を知ってからは、その興味は一層増しました。


特攻隊の遺書に触れた時、


この時代の人たちのような男性が存在するとするなら、


それは、江田島で教育を受けた人たちに違いない!!と思ったからです。


誤解のないように言っておきますと、


陸上自衛隊や航空自衛隊がそうではない、と言っているわけではありません。


おそらく、もっとも色濃くそうであろうと思っただけです。


なぜなら、江田島は、この現代の日本において、唯一、


戦前の日本の、


美しい文化と伝統を、継承し続けることが可能だったところなのではないか、


と、感じたからです。


勝手に美化している、と思われても構いません。


私がそう感じただけで、それは私の感性なので、


そこに対する批判は甘受する気はありません。


そして、それが、まるっきり幻想でも思い込みでもない、ということを、


海上自衛隊を知る程に、確信しました。


海上自衛隊の艦艇を見に行ってみたいし、


海上自衛官と会ってみたい、


そう思い始めて、想えば10年以上経っています。


なかなかそういう機会に恵まれなかったし、


自分で探して行くほどのモチベーションは、まだありませんでしたので。






それが一転したのが、


ちょうど1年前の5月24日でした。


東京から戻り、仕事のあてもない中で、たまたま見つけたNPO法人で、


地元情報誌の編集に関わることになり、


編集会議の時に、


「今度、空母が唐津に来る」


という話が出ました。


この時は、私はまだ「護衛艦」という言葉すら知りませんでした(←以外でしょ?(笑))


わずか、1年前の話ですよ(笑)


変な知識だけ持っていた私は、


(は?空母?自衛隊って空母持っちゃダメなはずじゃん?空母が来るってどういうこと?)


と思いつつも、


はっきり言って空母(らしきもの)見たさに、


「その取材は、絶対に私が行きます!!」


ということで、なんなく、その切符を手にしました。








迎えた当日、


レゼプションパーティにも、取材ということで会費○○円のパーティに、


タダで行くことができると言うので、


下調べで、護衛艦見学はヒールとスカートは厳禁という事を知っていた私は、


パンツスーツにフラットシューズで、唐津の妙見岸壁に向かいました。


西唐津駅から、岸壁に向かって歩いていると、


大きなグレーの色の艦が見えました。


入港から見るはずが、予定よりも早かったらしく、


もう岸壁の近くまで来ていました。


まだ、かなりの距離があったのを懸命に走り、なんとか岸壁につくと、


ゆっくりとゆっくりと、艦が接舷しているところでした。


目の前にいる、この大きくも優美な艦が、


護衛艦いせです。



私が、人生で初めて見た海上自衛隊の護衛艦です。


まさしく、一目惚れした瞬間でした。


いせがゆっくりとゆっくりと岸壁に近づいている間、


人生であんなにドキドキしたことはないかもしれません。


また、あちこちで接舷の作業を慎重に進める、


海上自衛官たちの姿がとても印象的でした。


作業が終わり、しばらくすると、


艦長をはじめとする船員さん達が降りてきて、


艦の前に整列されました。



初めてこの場にいた時の気持ちって、わかります?(笑)


まさに、まさに、


この日が、私にとって海上自衛隊とのファーストコンタクトでした。


この時はまだ、


DDHという言葉も知らなくて、


いせがどんな役割なのかも知らなくて、


他にどんな護衛艦があるかもしらなくて、


CIWSやVLSなんて言葉も当然知らなくて(笑)


イージス艦という言葉は知っていても、


何をイージス艦というのかも知らなかったんですよ?!


いや、ほんとに(笑)






実は、ゆるやかな会の話も、ほとんど同じタイミングでした。


当時は、まだ幹事ではなく、


9月以降に引き継ぐことだけ決まっていた


お手伝いからのスタート。


この5月は、博多ゆる会の1周年でもあるのです。


そう考えると、昨年の5月から、


どれほど私の人生は急展開したことでしょう。


この日、いせが来た時から、


私の運命は変わった…というより、


ようやく、ようやく動き出したように感じます。






それまで、まったく関わることのなかった、


海上自衛隊と、一気に縁が結ばれたような感覚です。


そしてこの事を皮切りに、


なかなか身近に触れることのない潜水艦に、なんと乗ることもでき、


その翌月には、初めての体験航海をすることもできました。


護衛艦はるゆきです。


はるゆきもまた、とてもとても深いご縁を頂いた艦で、


この艦のおかげで、後にどれほどご縁が広がったかわかりません。


出会えたことに、感謝でいっぱいの艦です。






帝国海軍の末裔たる海上自衛隊に恋し、


海上自衛隊だけでなく、自衛隊全体を、自分ができることで、なんとか彼らを護りたい。


その想いだけで1年、走ってきた私にとって、


この節目での


日本海海戦洋上慰霊式参加は、英霊方には極めて失礼ながら、


私にとっては、一層感慨深いものでもありました。







この1年で、海上自衛隊をはじめ、


自衛隊とのかかわりが、どれほど大きく広がっていった事かわかりません。


わずか1年の間に、


たくさんの貴重なご縁を賜り、


数知れない楽しい時間を過ごさせて頂き、


多くの貴重な体験をさせて頂いたのは、


ひとえに、自衛官及び自衛隊関係者の皆様と、応援して下さる皆様のおかげです。


今年は、久留米駐屯地の防衛モニターを拝命させて頂いたおかげで、


今後は、陸上自衛隊の記事も増やすことができ、


ますます充実した記事をお届け出来るものと確信しております。








いつも読んでくださって、


いつもご訪問してくださって、


本当にありがとうございます。


日本を愛し、自衛隊を支え、応援していらっしゃる全ての方々に、


あふれる感謝をこめて。