2023年(令和5年)の大阪府立高校の社会の入試問題を見た。政治・経済分野の出題についてその感想を4点つづる。
1.
まず、目がテンになったのは大問2(2)①の問題である。
ⓐの正解はアであるとすぐわかる。
Ⓑの正解も「公共の福祉」であると難なく解ける。
問題は「公共の福祉」を導き出すための「社会全体の利益を意味する」という説明である。見た瞬間、正直言って凍りついた。「なんじゃ、これは! 作問者はいったい何を考えてこういう表現を使ったのか?」。もし公共の福祉を「社会全体の利益」ととらえるならば、これは明治憲法の「法律の留保」と同じことになりかねない。つまり社会全体のために個人が犠牲になるものやむを得ないことになる。だから、憲法学では「公共の福祉」=「社会全体の利益」ととらえてはならないというのが通説である。
通説は「公共の福祉」とは「人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理である」(芦部信喜『憲法』岩波書店)とされる。すなわち免許や資格を取得する際に規制設けるのは、他人の人権を守るためである。例えば車の免許取得を制限するのは他人の命や財産という基本的人権を守るためなのである。
なぜこうした通説とは異なる表現をあえて使ったのか。考えられる理由はいくつかある。第一に中学校の教科書にこうした表現が使われているのかもしれない。だとすれば恐ろしいことである。第二に、4ページに納めなければならないという字数制限のせいかもしれない。だとすれば、4ページという字数制限を撤廃し、もっとゆったりとした紙面構成にすればよい。第三に、まさかとは思うがどこからか政治的圧力があったのかもしれない。
2.
次に気になったのは文章中に「わが国」という表現が23回も出てくる点である。外国籍の受験生もいる中で「わが国」という表現はいかがなものか。「わが国」と書かなくても「日本」と表現すれば十分ではないか。人権に対する配慮があまりにもなさすぎる。
私自身教科書を執筆する際、「わが国」ではなく「日本」と表記すべきだと先輩の先生から強く指導された。また、憲法学を中心とした学問分野においても、「わが国」などという表現を用いる研究者はほとんどいない。あえて「わが国」と表記したのは一定の思想を持っているからではないか。上で述べた「公共の福祉」とあわせて、作問者の保守的な思想が感じられる。
3.
上の1および2で述べた件は、採点に直接的なかかわりがない。しかし、次に述べる問題は、ひょっとしたら採点のやり直しをしなければならないかもしれない問題である。まずは大問2(2)②(b)の問題をご覧いただこう。
正解はウだとすぐわかる。
問題はエの文章である。参議院議員の選挙は「都道府県を単位とした選挙区選挙」とあるが、厳密に言えば一票の格差を是正するため、2016年の選挙から「鳥取県と島根県」「徳島県と高知県」が、それぞれ一つの選挙区となる、いわゆる「合区」がスタートしている。したがって、「都道府県を単位とした」という表現は間違いである。少なくとも、「原則として都道府県を単位とした」などと制限をしておく必要がある。
もし大学入試で「都道府県を単位とした選挙区選挙」と出題したら100パーセント「間違い」とされるだろう。大学入試では間違いとされる出題が、高校入試では間違いとされないのか。そんな馬鹿な話はない。なぜ、こうしたミスに作問者は気づかなかったのだろうか。
4.
最後に文章表現についても指摘しておきたい。大問4(5)の地方圏から三大都市圏への人口移動に関する問題である。まずは、問題文全体を載せておく。
ここで問題にしたいのは上の文の一番最後の【我が国の人口の動向についてのまとめ】の文章である。その部分だけを拡大して掲載する。
正解は、労働力に余剰が生じていた「地方圏から労働力が不足していた三大都市圏へ人が移動した」というものである。正解自体は全く問題がない。
ただし、この設問の文章は長すぎやしないか。98字もある。正解文も入れると全体で125字になる。私は日ごろ、1文の長さは50字以内が原則だと教えている。朝日新聞でも60字以内が原則だと聞いたことがある。さらに言えば、ワンセンテンス・ワンメッセージを基本とすべきである。こんな悪文の見本のような文章を長々と書かれていては、受験生が読まないのも当たり前である。
この文章は例えば次のように二つの文章に分けられるべきであろう。
「表Ⅰ、図Ⅰから高度経済成長期における三大都市圏と地方圏の間でどのような人口移動が生じたかについて考える。すると労働力に余剰が生じていた( )ことがわかる。」
このほうがよほどすっきりしているのではないか。まさか、文章をきちんと読まない生徒をひっかけるためにわざとわかりにくい文章にしたとか。いやいやそんなことはあるまい。
入試問題の作問の難しさはよく理解しているつもりである。しかし、いったん発表された入試問題は「作品」として長く書籍の中に残る。受験生は目標とする高校に合格するために何年間も努力を積み重ねてきている。教育の中立性に疑念を抱かれず、大阪府として恥ずかしくない問題をお願いしたい。