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南英世の 「くろねこ日記」

くだらないことを問うな!

高校生が本当に学ばなければならないこととは何か?40年間高校で教えてきてようやく見えてきたものがある。結論から言えば、物事の「本質」を見る目を養うことといってよい。

一般的に「本質」を言葉で表すと簡単なことが多い。だから、大学入試問題とはなりにくい。その結果、入試で出るのは枝葉末節ばかり、ということになる。

例えば「憲法」。

憲法の本質的部分は国家権力を憲法で制限し、国民の基本的人権を守ることにある。したがって憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される」が最も重要な部分である。第99条「憲法尊重擁護の義務」で、憲法を守る義務があるのは天皇、国会議員、その他すべての公務員であるとわざわざ書いているのは、憲法の本質を明らかにするためといってよい。

ところが、入試問題ではそうした本質にかかわる出題は全くなく、細かなことばかりが出題される。実にくだらない。ある生徒は「中学校で先生が憲法を暗記させるのは、国民に守らせるためであると思っていた」と答えた時には唖然とした。

EUの問題もそうだ。
EUを理解する上での「肝」は、そもそもEUがなぜつくられたかということである。EU設立の発端は、ヨーロッパの2大国であるドイツとフランスが戦争ばかりしているから、この2か国を仲直りさせて「ヨーロッパから戦争をなくすこと」にあったはずである。ところが、入試問題はそのことを問わず、何年にどんな条約が結ばれたか、どこが加盟したかといったどうでもいいことばかり出題する。うんざりだ。

GDPの定義の問題もいつも疑問に思う。GDPの概念さえ分かればいいのであって、GDP、GNP、NNP、NIの違いなんてどうでもいい。そんなことは知らなくても経済学の勉強は十分できる。ところが、テストではそのどうでもいい細かな知識ばかりが問われる。受験問題はその概念が大切かどうかよりも、受験生が難しいと感じて間違ってくれるかどうかのほうが重要なようだ。

 

確かに大学入試は「選抜試験」であり、ふるい落とすための試験であるから仕方がない面もある。しかし、現実問題として高校生は入試を突破するためにその「くだらないこと」を必死で理解し覚えるのだ。何たる時間の無駄。

点数で学校がランク付けされ、さらに学校の中でも成績で序列がつけられる。ひどい場合は、成績の序列が人間性の序列と同一視される。自信を失った生徒は自己肯定感を持つことができず、最悪の場合自ら命を絶つこともある。

今年からセンター試験が共通テストに代わった。以前より「考えさせる」工夫がなされていると言われる。しかし、考えるために細かな知識が要求される点では、センター試験も共通テストも同じである。要は、何も変わっていないのである。

おまけに、実力のない先生ほど細かなことを教えたがる。そして、共通テストでいい点を取らせると管理職の覚えもめでたい。中には「試験に出るから大事だ」と思う先生もいたりするから困ったものだ。しかし、こんな先生に教えられる生徒は「災難」というしかない。卒業後、どれほどのことが頭に残っているのか。忘れてしまえばやらなかったのと同じである。

私が定期考査で論文試験を課すのは、物事の本質部分を問うためである。書かせると実力がストレートに出る。本質部分が間違っていれば、心を鬼にして0点を付ける。

大学入試が高校の授業に与える影響は、学習指導要領の比ではない。入試制度の在り方を根本から設計しなおす必要がある。もっと「書かせる」ということに力を入れなければならない。

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