倉吉市の新小学校名が決着したようだ。二つの小学校を統合するにあたって校名を公募したところ、341件の応募のうち、地元の名前を取り入れた「打吹(うつぶき)小学校」が最多の150件あったにもかかわらず、1件の応募しかなかった「至誠小学校」が選ばれてしまった。
(倉吉市のホームページから転載)
これに反発した市民グループが再検討を求めて市に直接請求をした結果、校名を定めた条例が廃止され、再考されることとなった。そしてつけられた名前が「打吹至誠小学校」である。
よその地域の小学校名についてとやかく言う立場にはないが、このやり取りを見ていて政治的な「生臭さ」を感じたのは私一人ではあるまい。「至誠」の出典は中国の「四書五経」の一つ『中庸」からだという。周知のとおり『中庸』は道徳の原理などを記した書物である。
昨今の保守的な道徳教育強化の中で、どうしても「至誠」という思想にこだわりたかった人がいるのだろう。誠を尽くすということ自体は決して悪い言葉ではない。しかし、尽くす相手が一体だれなのか。そこが問題なのである。そこを問わないで、足して2で割った校名に落ち着いたのは誠に残念である。