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南英世の 「くろねこ日記」

お金で買ってはいけないもの

かつてホリエモンが「お金で買えないものありますか」と言って物議をかもしたことがある。確かに、その気になれば大抵のものはお金で手に入る。しかし、お金で買うことが実際問題として許されるかどうかの線引きは案外難しい。

たとえば、人間を売買することは許されるか。もちろん倫理上問題があるから禁止されている。しかし、かつては奴隷の売買が合法であった時代もあった。では、赤ちゃんを売買することは許されるか。人間の体の一部である「臓器」の売買は許されるか。血液を売買することは許されるか。セックスを売買することは許されるか。代理母をお金で買うことは許されるか。

一方、麻薬を買うことは本人及び社会的に悪影響が大きすぎるがゆえに、法律で禁止されている。酒やたばこの購入を制限するのも同じ理由からであろう。選挙で買収が禁止されているのも、それが民主主義の本質にかかわるからであろう。

では、大学入学資格をお金で買ういわゆる「裏口入学」は許されるか? 多額のお金を寄付することによって大学経営が安定し、また授業料を安くできるから貧困家庭の子どもでも大学で学ぶ機会が保障される。

もちろん、定員すべてをこうした寄付金の多寡によって合格を決めることは貧困家庭の子どもを排除することになるから許されない。しかし、ごく少数であれば、そんなに優秀でなくともお金で入学する権利を与えてもいいという考え方もありうる。大学の経営基盤を支える学生と大学の名声を支える学生。一部の大学ではそうしたことがあるやに聞いたこともある。

健康をお金で買うことや、快適な住環境や高級車をお金で買うことは当然の権利として認められている。オリンピックの開会式でも30万円払えば手に入れることができる。原子力発電施設だって札束で地元の人を説得していることを考えれば、設置場所をお金で買っているといっていいだろう。

カザフスタンでは病院の診察、学校の成績、徴兵制の回避、裁判での有利な判決なども「わいろ」で買えるという。ソ連時代の非公式な問題解決方法であった「コネ」が、ソ連崩壊とともに金で何でも買える社会に変わっていったのだ。カザフスタンに限らない。旧ソ連下にあった東欧や、現在の中国なども状況は似たり寄ったりと言われている。

なんでも金で解決する社会は究極の資本主義とも言える。しかし、なんでも金の多寡で決まる社会は、経済的弱者には生きづらい。1980年代以降、市場万能主義が世界に跋扈しているが、市場での取引が許されるものと許されないものの判断基準は何か。実は、そうした一番基本的なことが今の高校教育からすっぽり抜け落ちている。
 
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