ラウタヴァーラ ヴァイオリン協奏曲(1976-77)、交響曲第8番『旅』(1999)
ヤッコ・クーシスト(ヴァイオリン)
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 2001年[ヴァイオリン協奏曲]、2002年[交響曲第8番]
(BIS-CD-1315)
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前回に続いて、フィンランドの現役作曲家エイノユハニ・ラウタヴァーラの作品。今回ご紹介する交響曲第8番『旅』は、20世紀も終わりに近づいた1999年の作曲で、今のところラウタヴァーラの最も新しい交響曲である。この作品はフィラデルフィア管弦楽団の創立100周年記念の一環として同楽団の委嘱で作曲され、当時の常任指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュの指揮で初演された。
表題の『旅』は、ラウタヴァーラ自身のライナーノーツによれば、「人生は旅そのもの」という彼のイメージから来ているようだ。さらにそのイメージは、山奥の水源から生まれた水の流れが、下流に向かって次第に大きな川となり、やがて海に注ぎ込むという自然界のストーリーと重なる。それはまた同時に、過ぎ去り行く20世紀へのオマージュでもある。楽章ごとに刻々と移り変わる風景は、急速に変動する時代の流れを象徴しているかのようだ。
そのように、二重三重のイメージで楽しむことができるのが、この交響曲の魅力でもある。
第1楽章Adagio assai。暗闇から何かが誕生するような重々しい雰囲気は、人生で言えば、文字通り最も神秘的な生命の「誕生」の様子であり、川で言えば、人里離れた山奥の水源、20世紀の歴史で言えば、まだ19世紀の名残りの残る第1次世界大戦前の時代と言えようか。
第2楽章Feroceは、動きの激しいスケルツォ。ここはまさに躍動する青年期であり、最も急流の多い川の上流域であり、さらには2度の世界大戦で世界が揺れ動いた時期と重なってくる。
第3楽章Tranquilloは、ゆったりとしたアダージョ。人生で言えば、家庭を構え、人間的にも落ち着きの出てきた壮年期。川で言えば、下流に向かう緩やかな流れ。時代で言えば、表面的には静かに推移しているように見える米ソ冷戦の時代、と例えることができそうだ。
そして、ドラマティックで壮大な第4楽章Con grandezza。これは作曲者が理想とする「大往生」であり、最後に大海に流れ込む川の終着点であり、ソ連崩壊後に激動の幕切れを迎えた20世紀末、を象徴しているかのようだ。まさに新たな時代、21世紀への船出。次の世代にうけつぐ命のバトンとでも言えようか。基本的には、いい意味でオプティミスティックな作曲者の性格が、ここに現われているかもしれない。
この作品を最後に、ラウタヴァーラは10年間、交響曲と名の付く作品を書いていない。すでに80歳。これが最後の交響曲となるのか、あるいは究極の「第9番」を発表するのか、注目したいところだ。
ここに紹介しているヴァンスカ指揮/ラハティ交響楽団のCDには、もう1曲、2楽章から成る「ヴァイオリン協奏曲」が収録されている。こちらは比較的初期、1970年代の作品で、ニューヨーク滞在中、摩天楼や五番街を見た印象をそのままオーケストラ曲にしたらしい。近年も『マンハッタン3部作』と題する作品を発表するなど、ラウタヴァーラはニューヨークと縁が深く、音楽的にも強い影響を受けていることがうかがえる。決してフィンランドのローカル作曲家という枠組みに収まらない国際性が、彼の音楽が世界中で聴かれる要因でもあるだろう。
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