375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

歴史的名盤を聴く(9) クルト・ザンデルリング @1984 Munchen Live

2011年12月20日 | クラシックの歴史的名盤


ベートーヴェン:「エグモント序曲」、バッハ:2台のヴァイオリン協奏曲
ブラームス:交響曲第4番ホ短調
クルト・ザンデルリング指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(1984年11月23日 ミュンヘン、ヘラクレスザール:ステレオ・ライヴ録音) WEITBLICK SSS0072-2

今年(2011年)9月18日、現存する最年長指揮者クルト・ザンデルリングが亡くなった。すでに2002年に引退コンサートを開き、それ以降はもはや指揮台に上がることはなかったものの、いざ他界してみるとやはり寂しさを禁じ得ないものがある。これで19世紀以来の伝統を受け継いだ巨匠指揮者(いわゆる「クラシック」の作曲家たちと同時代の空気の中で生きていた人たち)は完全に姿を消してしまった。

今や世の中は完全にデジタル時代に移行しているが、ザンデルリングの音楽は最後までアナログの良さを伝えるものだった。決して記号化されるものではない人生のわびしさ、はかなさというものを、音楽を通して実感させてくれた。派手なセールスポイントや演奏効果があるわけではなかったが、心の奥底に語りかける何かがあった。今ではすっかり珍しくなってしまった手作りの「いぶし銀の味」がここにある。

そんなザンデルリングの美質が最大限に発揮されたディスクとしては、1990年代に録音されたベルリン交響楽団とのブラームス交響曲全集(CAPRICCIO 10600)があげられるだろう。第1番から第4番まで、各楽器が見事に溶けあったブレンド感が素晴らしい。決して先を急ぐことのない遅めのテンポで、見通しが良く、ブラームスのポリフォニックな書法を満喫できる。1990年代に内田光子と組んで録音されたベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(PHILIPS 464 142-2)ともども、ザンデルリングの最晩年を飾る名盤と言っていいだろう。

ここに紹介するミュンヘン・フィルとのライヴ録音は、ベルリン交響楽団とのレコーディングより6年ほど前に演奏されたもので、ザンデルリングが最も得意としたブラームスの交響曲第4番がメインになっている。演奏のテンポは全体的にベルリン盤より速い(ベルリン盤の15:04, 13:04, 6:33, 11:26に対して、ミュンヘン盤は13:34, 12:33, 6:09, 11:07)。それだけに人生の諦観に支配された60歳代のブラームスを感じさせるベルリン盤に比べると、まだまだ若々しい活力に満ちていた50歳代のブラームスという趣きがある。

ブラームスの4つの交響曲は表題を持たない「絶対音楽」であり、特定の何かを描いたわけではないのだが、それぞれの曲にその時その時の作曲家の心象風景が反映されるというのは、芸術作品として自然な現象であると思う。あくまで個人的に感じることなのだが、ブラームスの第4番を聴くと、人生への惜別の思いというのか、いやがおうでも過ぎ去り日々を振り返るような情感にとらわれてしまう。1970年代の曲でいえばアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」といったところだろうか。

ブラームスは1897年に63歳で世を去ったが、交響曲第4番が作曲されたのは1885年で52歳の時期だった。現在の感覚では老いを感じるにはやや早すぎるとも思えるが、当時としてはすでに晩年の入口だったのかもしれない。かく言う自分も似たような立場にいるのだが、そろそろ人生のわびしさ・はかなさというものを感じ始めてくる年代でもある。それでも一方では、まだまだ人生で大輪の花を咲かせるのはこれからという意識もあり、前向きな気持ちも十分に残っている。実際、ブラームス自身も、52歳の段階では作曲の意欲が衰えたわけではなかった。結果的には最後の交響曲となってしまったが、作曲した時点ではこれが決して最後とは思っていなかったに違いない。

そういう意味では、若い前向きな活力を感じさせるミュンヘン・フィルとの演奏は好ましい。過去への思いに沈んだところはあまりなく、やがて来るであろう老いに対して敢然と立ち向かうアンチ・エイジングの姿勢が感じられる。第1楽章のポリフォニックな旋律は適度な推進力で朗々と歌われ、決して深刻になりすぎない明るさを保ちながら人生のロマンを謳歌する。老いの前触れを自覚しつつも、新しい物事に挑戦しようという意欲は消えていない。中高年の一大発起の心情が伝わってくる。

第2楽章は心静かなアンダンテ。仕事の余暇にのんびり散歩を楽しむような情景が目に浮かぶ。そして4分15秒すぎに現われる懐かしくも美しい旋律。若き日を彩る恋の思い出がとめどなくあふれる宝石のようなひととき。「あの頃は若かったなぁ」という思いに一瞬立ち返ったあと、やがて男は片づけるべき仕事を思い出し、日々の現実に戻っていく。

第3楽章は悠久の大平原を馬で疾駆する西部劇のシーンを思い起こさせるような活気あふれるスケルツォ。仕事に追われがちの人生にストレス解消は必要だ。たまには宴会で飲みまくるのもいいだろう、という半ばヤケッパチ気味の音楽に聴こえなくはない。

第4楽章は荘厳な変奏曲。19世紀の大聖堂を思わせる古色蒼然とした色調。主題が刻々と変化していくごとに、過去のさまざまな場面が回想されていく。あの頃出会った人たちはどこへ行ったのだろう。ふと気がつくと、何人かの人たちはもう手の届かない世界に旅立ってしまったことに気がつく。永遠に続くと思っていた人生が、実はほんの一瞬にすぎないという現実に接した時、なんともいえない寂しさが襲いかかる・・・

この曲は、人は誰もがいずれこの世と別れを告げなければならない、通りすがりの存在であることを痛感させてくれる。通りすがりの存在だからこそ、ひとときの楽しみを分かち合える友人は貴重なのだ。

人間存在のはかなさを身をもって実感していた作曲家ブラームス。そしてユダヤ人であるゆえ、ナチス台頭時にソヴィエトに逃れたザンデルリングその人も、人生のはかなさを誰よりも実感していただろう。彼が生涯愛し続けたブラームスの交響曲は、彼自身の寂しい魂が安息を得ることのできる究極の涅槃(ニルヴァーナ)だったのかもしれない。

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