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375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●LIVE体験記(8) 「スコットランドの歌姫」 ニーナ・ネスビット(Nina Nesbitt)の野外ライヴ

2014年04月10日 | LIVE体験記



毎年ニューヨークでは4月上旬の一週間、「タータン・ウイーク」と称してスコットランド関連のイベントがあちこちで行なわれる。
その一環としてNYRR(ニューヨーク・ロード・ランナーズ)の協力を得てセントラルパークで開催されるのが「スコットランド・ラン」という10Kロードレース。今年の開催日は4月5日(土曜日)だった。

この大会はレース後に本場スコットランドから招かれたアーティストによるライヴ・ステージを楽しめるのが呼び物となっているが、今年はメインに登場したロングヘアの美少女シンガー・ソングライターが注目されることになった。

「ニーナ・ネスビット」と紹介された彼女は、スコットランドのエディンバラ出身の19歳。
名前は聞いたことがあるような気がしたものの、事実上、その歌声に触れるのはこの日が始めてだった。

すでに2年くらい前からステージ活動を始め、英国内では注目を集めていたらしい。初のメジャー・デビュー・アルバムとなる『Peroxide』をリリースしたのが今年の2月11日。UKアルバム・チャートで初登場11位を記録したという。

本格的なキャリアはまだまだこれからとはいえ、キュートな笑顔とスタイル抜群な容姿、ハスキーな歌声は非凡なものを感じさせ、遠からず世界的にブレイクするのではないかという期待を抱かせる。スコットランド出身のアーティストとしては1970年代のベイ・シティ・ローラーズやシーナ・イーストン以来の大物かもしれない。

そして、この出会いは1日では終わらなかった。
帰宅後に彼女のfacebookを見ると、なんと翌日にも、セントラルパークで無料ライヴを行なうという情報が出ていたのである。

ということで、予告された午後1時、セントラルパーク72丁目にあるベセスダ・ファウンテン(Bethesda Fountain)に到着。
ほどなく取り巻きの女の子たちを従えて、若き歌姫ニーナ・ネスビットが登場する。
そしてボートを楽しむ人々でにぎわう池のほとりで、40分ほどのミニ・ライヴを行なった。


以下、写真付きで解説。


★多くの人たちでにぎわうセントラルパークの心臓部、ベセスダ・ファウンテン(Bethesda Fountain)。


★昨日とは一味違う大人っぽさを感じさせるヘア・スタイル。日差しが眩しい好天ということもあり、おしゃれなサングラスで登場する。
ボートで遊ぶ人たちも思わず振り向くようなハスキーな美声。


★時おり見せる「100万ドルの笑顔」が素晴らしい。いや、英国人だから「100万ポンド」か?


★ライヴが終わり、ファンと交流のお時間。同世代の女の子のファンが圧倒的に多く、一部男性の音楽マニアが加わるという構図。


★道行く人からサインを求められ、気軽に応じる。身長は自分より1~2cm高い程度(170cmくらい)なのだが、スタイルが抜群にいいので、遠目にはもっと長身に見える(しかもハイヒールではなく、ナイキのシューズ)。


★女の子の取り巻きが多かったので2ショットは半分あきらめかけていたのだが、ラスト・ミニッツのチャンスをモノにした。アメリカには滅多に来ないだろうから、これは貴重である。

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●LIVE体験記(7) 弘田三枝子 MICOスーパーライブ@銀座スウィング

2013年07月11日 | LIVE体験記



6月28日(金曜日)、以前から予約していた銀座スウィングのジャズライヴを聴きに行く。
登場するアーティストは、「砂に消えた涙」を初めて耳にした1964年(小学生1年生の頃)以来、自分の脳裏に鮮烈な印象を刻み続けていたMICO姫・・・こと弘田三枝子。

とにかく、いろいろな意味でドキドキした。

あれから50年の時を越え、伝説の歌姫にいよいよ会えるという期待と・・・
それはある意味「夢の実現」でもあるのだが・・・それは同時に「現実」に直面する瞬間でもあり・・・
もしかしたら・・・あの頃の力強い歌声はもう聴けないのではないか・・・という不安も、なきにしもあらずだった。

ジャズクラブを埋め尽くしていたのは、ほぼ60歳代中盤とお見受けする古くからのファンの方々。
その中にあって、ひと回り年下の自分は、いささか若輩者という気後れを感じないでもなかったが・・・
たまたま相席になった男性ファンの方と話をするうちに、雰囲気に溶け込んできた。

その方は今年3月に初めてMICO姫のライヴを聴き、その魅力に目覚めたという。
自分が「実はMICOさんの『じゃずこれくしょん』を持っていて・・・」という話をすると、大変羨ましがっていた。
なにしろ、この8枚組のCDは、中古市場で8万円以上の値がついているというのである。

そうこうするうちに、MICO姫のバックをつとめるジャズメンたち3人「渡辺かづきTrio」の演奏が始まり、それに引き続いて、いよいよ白+コバルトブルーの衣装も鮮やかなMICO姫が登場。快速スウィング「Bye Bye Blackbird」で、一気に会場全体の空気が盛り上がった。

聴く前まで抱いていたかすかな不安は、最初の一声で吹っ飛んだ。
全盛期と変わらない声の迫力、華麗な身のこなし、その場の雰囲気で予定の曲目を変えていく即興性・・・

これなら、まだまだ大丈夫だ。われらが女王様は健在!
そう実感させられた。

「歌手はアスリート。歌は全身を使うので、歌えば歌うほど若くなる。皆さんもカラオケを歌う時は、全身を動かして歌って下さいね」
・・・とカラオケ好きのアスリートとしては、うれしいアドバイスも。

これから音楽で身を立てようという人たちは、こういう本物のライヴを聴くべきだ。

■演奏曲目■
(曲名に自信のないものがあったので、先輩方のブログ記事を参考にさせていただきました。) 

第1ステージ
Bye Bye Blackbird
Moonlight Serenade
Alexander's Ragtime Band
Meditation
ヴァケーション(Popsからのリクエスト)
人形の家(歌謡曲からのリクエスト)
Alright, Okey, You Win
Feel Like Making Love

第2ステージ
But Not For Me
Misty
So Danco Samba(Dance of Samba)
すてきな16才(Popsからのリクエスト)
私のベイビー(Popsからのリクエスト)
Jambalaya
Swanee
Teach Me Tonight
On the Sunny Side of the Street

アンコール
Feel Like Making Love
Take the A Train

 

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●LIVE体験記(6) ジャニス・イアン LIVE @SOPAC(South Orange Performing Arts Center)

2013年04月28日 | LIVE体験記

2013年4月20日(土曜日)、NJ州サウスオレンジ駅前の劇場SOPAC(South Orange Performing Arts Center)で行なわれたジャニス・イアンのコンサートを聴きに行った。このブログを以前から訪問されている方には聞き覚えのある劇場名かもしれない。そう、昨年3月、カントリー歌手パム・ティリスがコンサートを行なったのと同じ劇場である。

ジャニス・イアンはおそらく40歳以上の日本人には説明するまでもないシンガーソングライターであろう。1975年の秋に「17才の頃(At Seventeen)」が全米1位のヒットとなり、その曲が収められた『愛の回想録(Between The Lines)』もアルバムチャートで1位。一躍メジャーな存在となり、翌1976年のグラミー賞では最優秀女性ポップヴォーカル賞の栄誉に輝いた。それ以上に特筆すべきは日本での人気ぶりで、日本独自でシングルカットされた「冬の部屋(In The Witer)」は同時期に発売されたクイーンの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」と洋楽1位を争うほどの大ヒット。そしてTVドラマ『グッドバイ・ママ』のテーマ曲に抜擢された「ラヴ・イズ・ブラインド(Love Is Blind)」は、なんとオリコン・シングルチャート3位の大ヒットを記録。ドラマチックな曲想、哀愁あふれるメロディラインはまさに日本人の感性に訴えるに十分なもので、日本の洋楽史において最上位にランクされる名曲として忘れられないものとなったのである。

そのジャニス・イアンが生で見られるということで、この日のライヴは先日の八代亜紀に勝るとも劣らない大イベントとなった。

入手したチケットは前から3列目で、願ってもない理想的な席。これがたったの35ドルなのだから信じられない。

やがて拍手とととも伝説の吟遊詩人、ジャニス・イアンが登場。今年62歳で白髪のおばさんにはなっていたが、表情は若々しい。
楽器はギター1本。バックミュージシャンによる伴奏はなく、完全な独演会である。

ギターの弾き語りで、1曲1曲を情感豊かに歌っていく。曲名は特定できないが、どれもアコースティックな魅力満点の佳曲ばかりだ。曲の合間に彼女自身の人生にまつわるおしゃべりがあり、それがアメリカ人には大受けで、場内は笑いの渦に包まれる。英語力が十分でないので細かいところまではわからないが、家庭内暴力やら、金銭トラブルやら、病気やら、さまざまな災難に見舞われてきた人生をすべて笑いのネタに変えてしまうところに天性のユーモアを感じさせる。これも一種の処世術かもしれない。

前半の部で9曲を披露。どこかで聴いたことがあるかな・・・と思える曲が1つだけあったが、それ以外は初めて聴く曲だった。おそらく今までに発売されたアルバムのどこかに収録されているのだろう。いわゆる「ヒット・パレード」というスタイルではなく、あえて現在の心情にマッチする曲だけを選んでプログラムを組んでいる感じである。それだけに、私小説的、室内楽的と形容される彼女らしい音楽性がよく出ているともいえるだろう。

休憩を挟んで後半の部、通算13曲目にしてようやく全米1位に輝いた代表曲「17才の頃」が登場。アコースティック・ジャズの名曲ともいえる懐かしいメロディを、若い頃と変わらない繊細な歌声で堪能することができた。アンコールではマイクなし、ギターなしの全くのアカペラで初期の名曲「我が心のジェシー(Jesse)」をしみじみと歌う。まさに万感の余韻を残して、伝説のライブは幕を下ろした。

さて、前回のパム・ティリスの時もそうだったのだが、コンサートが終わったらそれで終わりではなく、サイン会が行なわれた。ファンのひとりひとりと直接握手、そして言葉を交わす。まさか、あのジャニス・イアンに直接会えるとは・・・思いもかけない展開にドキドキしながら順番を待ち、やがて自分の順番が来ると「Nice to meet you」と挨拶。親日家の彼女が「お名前は?」と日本語で尋ねるので「○○です」と答えながら、もしもの場合のために用意しておいたCDアルバムの表紙にサインしてもらう。ついでに貴重な2ショットも。これで、またまた家宝が加わることになった。

今回のコンサートでは、歌声ももちろん素晴らしかったが、ある意味それ以上に印象的だったのが卓越したギター・テクニック。前半はエレキ風の黒いギター、後半はクラシカルな茶色のギターを使い分けており、アドリブ風なギター独奏の場面では場内の拍手喝采を浴びるほどの鮮やかな腕前を披露していた。血筋的には東欧系ユダヤ人。日本人に近い詩的な感性と器用な才能も、なるほど・・・と思わせるものがある。

個人的に唯一物足りなかったところがあるとすれば、「冬の部屋」と「ラヴ・イズ・ブラインド」が最後まで登場しなかったこと。アメリカでのライヴなので日本独自のヒット曲が採り上げられないのは仕方ないが、やはりこの2曲は生で聴いてみたかった。今後日本でライヴに巡り合う機会があったら(まず、なさそうだけど)、その時は再び会場に足を運びたいと思う。 


★ライヴの終了後はNJ州テレビ局のエンターテイメント番組のホストによるインタビューも行なわれた。


★ロビーで行なわれたサイン会でファンと交流する伝説の吟遊詩人。


★右がジャニス・イアンによる自叙伝『Society's Child』。左が本人のナレーション入りCD。

 
★ジャニス・イアンにサインをしてもらったベストアルバム『Souvenirs』のブックレット。

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●LIVE体験記(5) 八代亜紀 ニューヨーク・ジャズ・ライヴ @BIRDLAND

2013年04月01日 | LIVE体験記



3月27日(水曜日)、ニューヨークのジャズクラブ「BIRDLAND」にて、八代亜紀のジャズライヴを観る。
八代亜紀は30年前にアメリカ西海岸でのツアーは経験しているということだが、ニューヨークではこれが初舞台。
地元出身の伝説的なヴォーカリスト、ヘレン・メリルの登場も予定されている歴史的なイベントである。

実を言うと、昨年10月、自身初のジャズCD『夜のアルバム』(ライヴ盤『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会』も含めると2枚目)が世界75ヶ国で発売された時、もしかしたら近い将来ニューヨーク公演があるかもしれない、という予感があった。なにしろニューヨークはジャズの本場でもあるし、もともとジャズ・シンガーとしてキャリアを出発した八代亜紀にとってはニューヨークのジャズクラブで歌うことが長年の夢であるに違いないと思っていたからである。

そして、その夢は思いがけない早さで実現することになった。今年の1月10日前後のウェブニュースで八代亜紀のニューヨーク公演が決定したというアナウンスがあり、2月下旬には「BIRDLAND」の公式サイトでチケットの発売も開始された。夜7時と9時30分の2ステージのうち、特別ゲスト、ヘレン・メリルが登場するのは7時のみということだったので、確実に観に行けるように有給休暇も取り、6時の開場時間から美味しい南部料理(クレオールのミートローフ)を楽しみながら、世紀のひとときを待った。

会場は8割くらいは現地在住の日本人だったが、外国人の顔も意外に多く見かけた。八代亜紀のファンというよりは、おそらくゲストのヘレン・メリルが目当てだったのであろう。

やがて開演時間となり、盛大な拍手に迎えられて、藍色のロングドレスに身を包んだ八代亜紀が登場。
ピアノ、ベース、ギター、ドラムスの伴奏がゆっくりと流れ、まずはお馴染みのヒット曲「雨の慕情」でライヴは始まった。
その瞬間、会場には懐かしい昭和50年代の空気が流れる。ニューヨークに来て長い年月を経た人たちの中には、日本といえばその時代のイメージで止まっている人も多い。かく言う筆者も似たようなもので、昭和が終わってからの日本は、もはや自分の慣れ親しんだ日本とは別の国のように思えるほどである。

続いて「FLY ME TO THE MOON」 、「再会」の2曲が終わったところでバンドの紹介。八代亜紀のMCは簡単なフレーズは英語で、少し長いセリフは同時通訳に任せているので、外国人にも十分楽しめそうである。

「ジャニー・ギター」 、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」のあと、ゲスト・ヴァイオリニストのレジーナ・カーターが登場。印象的なソロ・ヴァイオリンの絡む「枯葉」、さらにはゲストの男性ヴォーカリスト、カート・エリングが加わって「スウェイ」のデュエットとなる。この曲は途中から日本語の歌詞になるのだが、カートも負けじと流暢な日本語で歌いこなし、場内の喝采を浴びていた。

レジーナとカートが退場すると、いよいよ本日のもうひとりの主役であるヘレン・メリルが登場。
「ニューヨークのため息」とも呼ばれている伝説的なジャズ・シンガーである。

ヘレンの年齢には諸説があり、wikiによれば1930年7月21日生まれの82歳。しかし他のサイトでは1920年5月23日生まれの92歳という信じられない年齢で紹介されている。この年齢で他人の手を借りずに歩くことができるし、声もちゃんと出る。それどころかソロで歌った「Wild is The Winds」でのブレスの伸びを聞いた限りでは、心肺機能にも全く衰えは感じられず、このまま行けば100歳まで歌えるのではないか、とさえ思えてくるほどである。

そのヘレン・メリルと「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」と「五木の子守唄」をデュエット。
さすがに一緒に歌った八代亜紀も「夢のような1日です・・・」と感慨深げだった。

そしてライヴの最後を飾るのは、キャリア最大のヒット曲「舟唄」。
これは「ボートソング」ではなく、愛する人を残して海を旅する男の唄です、という八代亜紀のMC通り、堂々たる男のジャズ演歌となって、あの懐かしい昭和50年代の日本が再びよみがえった。

このあとアンコール2曲(1曲目は別れをテーマにした歌謡演歌。2曲目は「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」)で締めくくり、文字通り一期一会のライヴは幕を閉じた。少なくとも、ジャズと演歌は意外に親近性のある分野であることが実感できた貴重なライヴ体験となった。

浪曲師だった八代亜紀の父親は、こう言ったらしい。
浪曲にジャズの要素を加えたものが演歌であると。
 


★ライヴを前にして日系コミュニティーの地元紙に掲載されたインタビュー記事。


★演奏中の写真撮影は禁じられていたので、共同通信のニュース記事から拝借。


★こちらも共同通信ニュース記事の写真。年齢を感じさせないヘレン・メリル(左側)の歌唱。
もちろん、八代亜紀のほうも還暦を過ぎているとは思えない美貌である。 

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●LIVE体験記(4) パム・ティリス(An Acoustic Evening w/Pam Tillis)@SOPAC

2012年03月15日 | LIVE体験記



2012年3月10日(土曜日)、NJ州サウスオレンジ駅前の劇場SOPAC(South Orange Performing Arts Center)で行なわれた待望久しきPam Tillisのコンサートを聴きに行った。

Pam Tillisはアメリカの音楽ファンなら誰でも知っている女性カントリー歌手。父親Mel Tillisの才能を受け継ぐ親子二代のスーパースターとして、1991年から1997年頃にかけてのカントリー・ヒットチャートを賑わせていた。特に第2アルバム『Homeward Looking Angel』(1992年)と第3アルバム『Sweetheart's Dance』(1994年)は連続してミリオンセラーを記録。1993年にはカントリー音楽の最高栄誉であるCMAアワードの最優秀女性ヴォーカル賞も受賞し、名実ともにカントリーのトップシンガーとして活躍していたのである。

自分がPam Tillisの音楽に出会ったのは、彼女の「商業的な全盛期」ともいえる1995年頃で、今はすでに倒産したタワーレコードの売り場で偶然『Homeward Looking Angel』を手にとり、そのジャケットに惚れ込んだのがきっかけだった。いわば完全なジャケ買いだったわけだが、これが見事な「当たり」で、親しみやすいメロディラインとソウルフルな歌声にすっかり魅了されてしまったのである。それからというもの、当時発売されていた4枚のオリジナルアルバムを通勤バスの中で繰り返し聴く毎日が続いたものだった。

彼女の商業的な人気は1990年代がピークで、2000年代に入ると以前のような大ヒットには恵まれなくなったが、その代わり、大手レコード会社(アリスタ→CBS)の制約を受けることなく、自身が立ちあげたレーベル(STELLAR CAT)でマイペースに活動できるようになった。もともとファンとの親密な交流を好む彼女は、北米大陸の津々浦々をツアーでまわりながら、50歳を越えた今でもまったく衰えることのない歌声を贈り続けている。

彼女の魅力をひとことでいえば、カントリー音楽が本来持っているアコースティックな味を基本にしながらも、ロック、ジャズ、R&B、ラテンミュージックなど幅広いテイストを味わえる懐の深さにある、ということになるだろうか。声量で圧倒するのではなく、表情豊かに変化するデリケートなニュアンスが持ち味なので、どちらかといえば大がかりなコンサート会場よりも小規模のライヴハウスのほうが向いている、といえそうだ。アメリカの女性には珍しく「強さ」よりも「優しさ」を実感させてくれるのもうれしいところで、自分にとっては日々の疲れをそっと包み込んでくれる「癒しの音楽」として無くてはならないものとなっているのである。

さて、この日は初めて観る念願の単独コンサート(以前ニューヨークの「Botom Line」というライヴハウスで複数ライヴは観たことがあった)ということで、ステージに登場する瞬間はドキドキものだった。そしてその期待通り、わが心の歌姫Pamちゃんはやってくれた。代表曲「Mi Vida Loca(My Crazy Life)」、「Shake The Sugar Tree」をはじめとする往年のヒット曲を新しいアレンジで聴かせる。「Meybe It Was Memphis」、「Put Yourself In My Place」、「Let That Pony Run」、「Spilled Perfume」等々、懐かしい名曲がかつてアルバムで聴いたオリジナルとは少しづつ違った形で出てくるのでとても新鮮だ。それにしても、カントリーというひとつの分野だけで、これだけバラエティに富んだ名曲を揃えている歌手もそうそういないような気がする。

しかもコンサートが終わったらそれで終わりではなく、サイン会のお楽しみがある。ファンのひとりひとりと握手し、直接言葉を交わす。彼女自身、それを何よりも楽しみにしているようだ。写真を撮りながらゆっくりと順番を待ち、やがて自分の順番が来ると彼女は親しみをこめて笑いかける。以前から知っている友人のように、何の抵抗もなく、ソファーのとなりに寄り添い、この日購入したニュー・アルバム『Recollection』のブックレットにサインしてもらう。自分が日本人だとわかると「以前、クマモトに行ったことがあるのよ」という話になった。あとで調べてみると、1993年に熊本カントリーゴールドのゲストで参加していることがわかった。その後は2007年に横須賀で行なわれたイベントで来日。公式訪問としては2回来日していることになる。話し方もキュートで優しく、ユーモアにあふれているので、いつまでもそばにいたくなる。ほんとうに素敵なキャラの持ち主だな、と思った。

日本盤のCDは出ていないので、一般の日本の音楽ファンには馴染みがないだろうけど、彼女の音楽、そして親しみやすい人柄は間違いなく日本人の心の琴線に触れるはずだ。特に「カントリー音楽は取っつきにくい」と思って聴かず嫌いになっている人には、ぜひお勧めしたい。「こういう歌手もいるのか」と目から鱗が落ちるかもしれない。誰も日本の音楽ファンに紹介する人がいないのなら、自分がぜひ紹介したいと思う。


★NJ州サウスオレンジ駅前にあるSouth Orange Performing Arts Center。


★この夜のプログラムを伝える電光掲示板。


★コンサート終了後、サイン会に登場した歌姫。


★ファンのひとりひとりと笑顔で交流。まったく距離感を感じさせないところがいい。


★家宝になりそうな、サイン入りのブックレット。


★3週間前にリリースされたばかりのニュー・アルバム『Recollection』の裏ジャケット。
かつてのヒット曲を新たなアレンジで新録音しており、これからPam Tillisを聴こうという人にもお勧め。

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LIVE体験記(3) マルティナ・マクブライド(Martina McBride)@Radio City Music Hall

2007年05月21日 | LIVE体験記



アメリカには様々なジャンルの音楽があり、それぞれ魅力的ではあるが、個人的に最も好んで聴く音楽、それは、クラシック音楽を別格とすれば、一番はカントリー・ミュージックである。カントリー・ミュージックは、その名の通り、おもにカントリー・サイドを舞台にした音楽なので、大都市NYCではあまり人気がない、…と思うかもしれない。

しかし実際は違う。カントリー・ミュージックのファンは、大都市にもたくさんいる。それを実感させたのが、5月18日(金曜日)、NYCのラジオシティ・ミュージックホールで行なわれた、マルティナ・マクブライドのコンサートである。

マルティナ・マクブライド。カントリー・ファンであれば、よくご存知の、現代カントリー音楽界を代表する歌姫。40歳にしてますます輝く美貌。そして、圧倒的な歌唱力。カントリーというジャンルを超えて、現代アメリカ最高の歌手の1人ではないだろうか。

とは言っても、カントリーに馴染みのない人にとっては、無名に近いかもしれない。そこで前回のサラ・エヴァンス同様、簡単にプロフィールを紹介しておこう。

マルティナ・マクブライド(Martina McBride、旧姓名Martina Mariea Schiff)は、1966年7月29日、カンザス州の田舎町シャロンで生まれた。7歳の頃から、父親が率いるローカル・バンドで歌い始め、以後、ハイスクールを卒業するまで、毎週土曜日の夜、バンドの一員としてキーボードを弾きながら歌う生活が続く。卒業後は、カンザス州の様々なバンドを渡り歩き、音楽経験を積んでいった。

1988年5月15日(21歳)、マルティナはサウンド・エンジニアのジョン・マクブライド氏と結婚する。その後1990年にナッシュヴィルに移住し、当時大ブレーク中のガース・ブルックスのコンサート・ツアーに同行するようになった。そして1992年、レコード会社RCAと契約を結び、アルバムThe Time Has ComeでCDデビューを果たす。

以後、セカンド・アルバムThe Way That I Am(1993年)を皮切りに、Wild Angels(1995年)、Evolution(1997年)、Emotion(1999年)、White Christmas(1999年)、Greatest Hits(2001年)、Martina(2003年)、Timeless(2005年)と8枚連続ミリオンセラーを達成し、2007年4月にリリースしたばかりの最新アルバムWaking Up Laughingも好調。10年以上にわたって一時代を築いており、このまま行けば、将来の殿堂入りは間違いないと思われる。

この日のコンサートは、4月12日にカンザスシティで出発した「Waking Up Laughing Tour」の一環。最新シングルAnywayのスケールの大きいヴォーカルから始まり、Wild Angels」「This One's For The Girls」「How Far」「Concrete Angel」などのヒット曲を熱唱した。アルバムTimelessにも収録されたRose Garden」などのカバー曲もチャーミングに歌いこなし、最新アルバムからのTryin' To Find A Reason」に聴く、しっとりとした優しさも魅力的だ。

アンコールの2曲目(コンサート最後の曲)は、映画「オズの魔法使い」の有名な主題歌虹の彼方に。これは、アルバムMartinaにもライヴ・ヴァージョンが収録されているが、カンザス州出身の彼女にとって、地元のヒロイン・ドロシーの活躍する映画のテーマ曲は、幼い頃から大切にしてきた心の歌なのだろう。透き通るようなファルセットを織り交ぜた、ドラマティックで美しい歌声。まるで、本田美奈子のつばさを聴いているような感動があった。

この歌手はCDでの印象を大きく上回る、というのが、ライヴで聴いた実感だ。


LIVE体験記(2) サラ・エヴァンス(Sara Evans)@Nashville Arena

2007年05月07日 | LIVE体験記


COUNTRY WEEKLY誌5月7日号に紹介された、サラ・エヴァンスの特集記事。
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3泊4日ナッシュヴィルの旅。すでに先週の日曜日に帰ってきて、姉妹ブログのほうにはマラソンの記事や、ナッシュヴィルの街の写真などもアップしていたが、音楽玉手箱のほうはすっかりご無沙汰してしまった。気が付けば、実に11日ぶりの更新となる。

今日の話題は、そのマラソン大会の夕方にナッシュヴィル・アリーナで行なわれたポストレース・コンサート。マラソン参加者はゼッケンを見せれば無料、一般の人たちもわずか25ドルで観ることのできる、おいしいイヴェントである。

プログラムは、前半が男性のカントリー歌手2名による前座演奏で、途中マラソン大会の表彰式をはさみ、後半が歌姫サラ・エヴァンスの登場となる。

サラ・エヴァンスは、アメリカではすでにビッグネームなので、音楽ファンで知らない人はいないが、多くのカントリー歌手がそうであるように、日本盤のCDが出ていないところをみると、日本では無名に近いかもしれない。そこで、今回は簡単に彼女のプロフィールを紹介しておこう。

サラ・エヴァンス(本名Sara Lynn Evans)は1971年2月5日、ミズーリ州の農場の家庭で、7人姉妹の長女として生まれた。5歳の頃にはすでにファミリー・バンドの一員として歌っており、16歳の頃には、地方のナイトクラブに出演するようになっていく。

カントリー歌手になるために、ナッシュヴィルに上京(?)したのが、1991年。その後紆余曲折の末、1997年にレコード会社RCAと契約を結び、アルバムThree Chords and the TruthでCDデビューを果たす。

その後、1998年リリースの第2アルバムNo Place That Farが50万枚のセールスを達成。この頃から、期待の若手カントリー歌手として注目されるようになる。そして、2000年リリースの第3アルバムBorn to Flyが、実に200万枚を超える大ブレーク。名実ともにトップ・カントリーシンガーの仲間入りを果たすのである。

歌いっぷりは、豊かな声量と表現力を駆使して、ロック調の激しい曲から、ゆったりとしたバラードまで幅広くこなすことができ、かなりの底力をうかがわせる。

ただ、この日聴いた限りでは、2005年発売の最新アルバムReal Fine Placeに収録されているYou'll Always Be My Babyのように、母性愛を強く打ち出したバラード曲においても、優しさよりも自己主張の強さが際立っていたように感じられた。まあ、アメリカの女性なので強いのはあたりまえかもしれないが、彼女の場合は、昨年10月に、1993年の結婚以来13年間連れ添っていた夫と離婚したばかりでもあり、これからは女手ひとつで3人の子供を養っていくという強い気概が、歌にも表われていたような気がするのである。

今年はCDデビュー10周年で、彼女にとっては節目の年。秋頃には、新曲3曲を含めたGreatest Hitsの発売も予定されている。今後どれだけヒットを生み出すか、引き続き注目していきたいものだ。


★コンサートの行なわれた会場、ナッシュヴィル・アリーナ


LIVE体験記(1) オスモ・ヴァンスカ指揮ミネソタ管弦楽団 @Carnegie Hall

2007年02月17日 | LIVE体験記


オスモ・ヴァンスカ指揮 ミネソタ管弦楽団 
2007年2月13日 夜8時開演 @カーネギー・ホール

曲目 シベリウス 「夜の騎行と日の出」(作品55)
    ベートーヴェン 交響曲第4番 変ロ長調(作品60)
                         -intermission
    シベリウス 交響曲第5番 変ホ長調(作品82)
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2月13日(火曜日)、奇しくも管理人の誕生日の夜、カーネギー・ホールでの、ミネソタ管弦楽団のコンサートを観に行った。

ミネソタ管弦楽団は、1903年の創立以来、100年以上の歴史を誇る名門オーケストラである。音楽監督を務めた指揮者には、ユージン・オーマンディ(1931-36)、ドミトリー・ミトロプーロス(1937-49)、アンタル・ドラティ(1949-60)、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1960-79)などの大物が名を連ねるが、1980年代以降は、やや低調というか、マイナーな存在になりかけていた気がしないでもなかった。しかし、2003年に、オスモ・ヴァンスカが第10代音楽監督に就任してからは、再び昔日の輝きを取り戻してきた感がある。

フィンランド出身の指揮者オスモ・ヴァンスカは、シベリウス演奏の第一人者として知られる。スウェーデンのBISレーベルではシベリウスの全曲録音が進行中で、そのうちの何枚かは、管理人の愛聴盤として欠かせないものとなっている。

ヴァンスカの実演を聴くのは、今回が2度目。前回は2003年10月、ニューヨーク・フィルハーモニックとの初顔合わせの演奏。この時のメインは、ニールセンの交響曲第5番だったが、いつものニューヨーク・フィルとは違う、手作りの温かさと、繊細な美音に驚かされたものだった。今回は、最も得意とするシベリウスがメインであり、期待は否が応でも高まってくる。

まずは、交響詩「夜の騎行と日の出」。夜の闇の中、馬に乗った騎士が、どこへともなく駆けてゆく。その孤独な静けさに満ちた情景が、弦の小刻みなリズムと、エコーを模した掛け合いで表現される。聴こえるか聴こえないかの超絶的ピアニッシモを駆使する、遠近感の見事さ。まさに「ヴァンスカ・マジック」健在、と言えよう。

続くベートーヴェンの交響曲第4番は、個人的には、しばらく遠ざかっていた名曲。「そうそう、こんな音楽だった」と、演奏を聴いて思い出したほどだったが、これが予想外に素晴らしかった。なにしろ、ヴァンスカの指揮が、場内から笑いが出るほどの熱演ぶりなのだ。指揮台から足を踏み外すのではないか、と本気で心配になったのは、バーンスタイン以来である。

どちらかと言えば、ベートーヴェンの「冗談好きな側面」に光を当てた演奏と言えようか。第1楽章の途中、思わぬところで、お得意の超絶的ピアニッシモが登場する。このあたりはサービス精神旺盛というか、お客を楽しませる術も心得ているようだ。

休憩を挟んで、本日のメインであるシベリウスの交響曲第5番。ヴァンスカのことだから、もしかしたら、初稿版を演奏するのではないか、と余計な心配もしたが、冒頭に聴こえてくるホルンのテーマは、これが、一般的に知られる最終稿であることを示していた。

北欧の大自然が目に浮かぶような、雄大な曲想。その一方では、突然、心の内面を見つめるように、繊細な弱音がさまよったりする第1楽章は、一筋縄ではいかない音楽でもある。しかし、さすがは、シベリウス演奏の第一人者。緊張感を緩めることなく、聴かせどころをたっぷりと聴かせていく。

牧歌的な音彩の美しさにふれる第2楽章を経て、大自然の箴言を思わせる、神秘的な第3楽章。音楽は、進行するごとに意味深さを増し、やがて、最後のクライマックスを迎える。そして、ここまで抑え気味だったティンパニが炸裂し、なだれ落ちるような和音で終結すると、場内の観客から万雷の拍手が巻き起こった。

四度、五度とカーテンコールで呼び出されるマエストロ。ついにアンコールが始まる。静寂から聴こえてくる、低弦のピチカート。シベリウスの「悲しきワルツ」(作品44-1)だ。演奏は、まさに夢見るようなひと時を味わえる絶品で、この瞬間が、いつまでも続いてほしい、と本気で願わずにはいられないほどだった。

オスモ・ヴァンスカは、現在、米国在住の指揮者の中で、最も味のあるパフォーマンスを見せてくれるアーティストの1人であることは間違いない。ミネソタ管弦楽団とは、2011年までの契約を更新しているということなので、それまでは、このオーケストラの黄金時代が続くと期待していいだろう。