小川典子の弾く、オリジナル・ピアノ版によるムソルグスキー
歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』より
1.プロローグ第2場 戴冠式の場
2.第3幕第2場 ポロネーズ(サンドミル城の庭園の場より)
歌劇『ホヴァンシチーナ』より
1.前奏曲「モスクワ河の夜明け」
2.第4幕第1場 ペルシャの女奴隷の踊り
3.第4幕第2場への序奏と、ゴーリツィン公の流刑
歌劇『ソロチンスクの定期市』より
1.第1幕 市場の情景
2.第3幕第2場 ゴパック
組曲『展覧会の絵』~自筆譜からの演奏
1.プロムナード 2.第1曲:グノムス(こびと) 3.プロムナード 4.第2曲:古城 5.プロムナード 6.第3曲:テュイルリーの庭(遊んだあとの子供のけんか) 7.第4曲:ビドロ 8.プロムナード 9.第5曲:卵の殻をつけたひなどりのバレエ 10.第6曲:サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 11.ポロネーズ 12.第7曲:リモージュの市場 13.第8曲:カタコンブ 14.Con mortuis in lingua mortua 15.第9曲:バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足の上に建ってる小屋) 16.第10曲:キエフの大門
ピアノ・小川典子
録音:1997年 (BIS CD-905)
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個性派の集まる「ロシア5人組」の中で、最もロシアの史実と現実生活に密接した作品を書き、結果的に最も革新的な作品を残すことになった、モデスト・ペトローヴィッチ・ムソルグスキー(1839.3.21-1881.3.28)。彼は、間違いなく天才だった。
しかし、真の天才であるがゆえに、少なからず、同時代人の理解を超えていた面があった。そして、それ以上に彼の人生を暗いものにしたのが、当時の社会情勢だった。地主階級の裕福な青年時代を謳歌した彼の人生は、1861年の農奴解放による一家の零落を境に、貧困との闘いに明け暮れるようになる。後年の彼の人生を支配する、深刻なアルコール依存症の兆候が目立つようになってきたのも、この頃だった。
やがて母親が亡くなり、親友の画家ハウプトマンをはじめとして、身近な人たちが相次いで世を去っていく。ムソルグスキーの精神状態は、ますます不安定になり、公職を追われ、ついには、無一文の身にまで転落。そして、42歳の誕生日から一週間後、精神・肉体の双方に異常をきたし、悲惨な最期を迎えるのである。
このように、不幸な転落人生を絵に描いたようなムソルグスキーの生涯であるが、実際には、それとは逆に、幸運な面もあった。彼はオーケストレーションが得意ではなく、多くの作品は未完、もしくはピアノ譜のままで残されたが、オーケストレーションの達人リムスキー=コルサコフの助力を得て、歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』をはじめとする代表作を、劇場で上演できる形に仕上げることができたのである。
さらに、没後においては、印象派を先取りするような前衛的な作風が、ドビュッシーやラヴェルの高い評価を受け、ロシア国内に先んじ、西ヨーロッパで、彼の作品が演奏される道が開けた。もともとは渋いピアノ組曲だった『展覧会の絵』が、ここまでポピュラーになれたのも、「オーケストレーションの魔術師」とも呼ばれたラヴェルの編曲のおかげである。そういう意味では、ムソルグスキーは「没後運」のいい作曲家であるとも言えるだろう。
さて、ここに紹介する『展覧会の絵』は、オリジナルのピアノ自筆譜からの演奏である。何といっても、ムソルグスキー自身が胸を張って「自分の作品」と言えるのは、ここまでである。むしろ、このピアノ譜にこそ、彼が本来主張しようとしていたメッセージが、色濃く現われているのではないだろうか、という期待感を持って、聴いてみるのも面白い。
いろいろな名ピアニストが演奏しているので、どれを聴いてもいいと思うが、自分がよく聴くのは、小川典子である。初めて聴いた彼女のCDは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番、第3番」で、今のところ同曲一位の愛聴盤になっているが、このムソルグスキーのピアノ曲集も、それに劣らない素晴らしさだ。男性顔負けの迫力とスケール、女性特有のリリシズムを合わせ持ち、表現の幅が広い。彼女が最も共感する作曲家はドビュッシーということなので、適性としては、なるほどムソルグスキーに向いている、と思う。
『ボリス・ゴドゥノフ』の「戴冠式の場」に聴く、恐れを知らぬ不協和音、『ホヴァンシチーナ』の「モスクワ河の夜明け」に聴く、印象画風の微細な音のきらめき、そして『展覧会の絵』全曲に聴く、原色的でダイナミックな旋律線…。
これらの表現は、すでに単一の民族主義を超えて、20世紀現代音楽の先駆者としてのムソルグスキーの特徴をよくとらえている。
ピアノ版の『展覧会の絵』は、オーケストラ版の演奏を聴きなれた耳には、随所に斬新な響きがある。例えば、第4曲の「ビドロ」。この、牛車の歩みによる葬送行進曲は、オーケストラの合奏よりも、単独のピアノの強打で聴くほうが、ずっと恐ろしい。そして、牛車が通り過ぎた後の、底知れぬ虚無感。ここには、まさに狂気のようなペシミズム(厭世主義)が口を開けている。
ラストを飾る「キエフの大門」。オーケストラ版では、ここで壮大なクライマックスを築く。その曲想は、1982年にキエフで復元された、スラブ風のアーチ状の屋根を持つ「黄金の門」の威容を思わせるが、ムソルグスキーの時代には、長らく破壊されたままになっていた。
ピアノ版の「キエフの大門」は、壮大には違いないが、むしろ、門が再建される以前の、不気味な虚無空間を思わせる。
ムソルグスキーは、おそらく、親友の画家ハウプトマンの魂を弔う為に、このピアノ組曲を書いたのだろう。本来、この組曲の性格は、「鎮魂歌(レクイエム)」であり、ドラマティックな効果を意図しているものではなかったのである。
参考サイト:
① 小川典子・梶本音楽事務所による公式プロフィール
日本語による、ピアニスト小川典子のプロフィールと最近のニュース。
② 小川典子・公式ホームページ
英語による、小川典子の公式ホームページ。経歴、ディスコグラフィー等。