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375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(23) 岩崎宏美&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 『PRAHA -Deluxe Edition-』

2013年12月09日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


岩崎宏美&チェコフィルハーモニー管弦楽団 『PRAHA -Deluxe Edition-
(2007年9月26日発売) TECI-1161

収録曲 01.聖母たちのララバイ 02.シアワセノカケラ 03.思秋期 04.夢やぶれて I DREAMED A DREAM ~ミュージカル「レ・ミゼラブル」より~ 05.手紙 06.ロマンス 07.好きにならずにいられない 08.シンデレラ・ハネムーン 09.万華鏡 10.すみれ色の涙 11.ただ・愛のためにだけ 12.つばさ ~Dedicated to 本田美奈子.~

[DVD] 01.
聖母たちのララバイ』 ビデオクリップ 02.ドキュメンタリー・イン・プラハ -岩崎宏美ナレーション入り- 03.フォト・ギャラリー


歌謡曲とクラシック音楽。この2つのジャンルは、一見何の接点もなさそうに思える。日常的に歌謡曲を聴いたり歌ったりする人たちの中で、クラシック音楽にも造詣が深いといえる人は多くないし、コンサートに出かけても、両者の客層には明らかな違いがある。歌謡曲ファンから見ればクラシック音楽は敷居が高いように感じられるし、逆にクラシック音楽ファンから見れば歌謡曲はあまりに俗っぽいという感覚がある。それは、両方の立場を経験している筆者自身が率直に思い返すことのできる事実である。

でも、よくよく吟味してみると、歌謡曲とクラシック音楽の距離は、そんなに遠いものではないのである。俗っぽいと思われている歌謡曲の中にも格調の高い内容を歌ったものがあるし、格調が高いイメージのあるクラシック音楽も、実は意外に俗っぽい感情をモチーフにしているものが多いのだ。

クラシック音楽に近い歌謡曲・・・といえば、筆者が真っ先に思い浮かべる楽曲に、今は亡き本田美奈子が1994年に発表した「つばさ」がある。この「つばさ」を作詞した岩谷時子さんも、つい先日、天寿を全うして旅立たれてしまったが、この曲の歌詞には通常の歌謡曲に見られるような俗っぽい言葉やフレーズは一切出てこない。ここに歌われているのは、夢、希望、自由、勇気、未来、そして遥かな大空に向けての飛翔という、ベートーヴェンの第九交響曲もかくやと思われるほど格調の高いメッセージなのである。

あまりにも純粋な歌詞であるせいか、一般的な浸透度はそれほど高くないのだが、真に音楽を愛する人たちにとっては「究極の歌謡曲」ともいうべき次元に到達した数少ない一曲として、忘れることのできない地位を勝ち得ているのである。そういう意味では、歌謡曲とクラシック音楽は決してかけ離れたジャンルではないのだ。

その「つばさ」を最後の12曲目に置き、それに先立つ11曲のセルフカバーをオーケストラの伴奏で歌い、1枚のアルバムとして発表したのが、生前の本田美奈子と親しい間柄にあった岩崎宏美の『PRAHA』である。

岩崎宏美は筆者と同年生まれなので、デビュー当時から学友のような感覚がある。そして出てきた時から、同世代の歌謡曲歌手とは別次元の歌唱力を持っていた。声量が全然違うし、高音がとてつもなく伸びる。マイクなしでも十分会場の隅々にまで声が届くのではなかろうか、と思われた。芥川也寸志や山本直純といったクラシック音楽の関係者が高く評価したのもうなずける。

それだけの声量と歌唱力を持った彼女なので、プロのオーケストラと共演してもまったく聴き劣りすることがない。 ちなみに共演するオーケストラはクラシック音楽ファンにはお馴染みのチェコ・フィルハーモニー管弦楽団。ドヴォルザークやスメタナなどの東欧系はもちろんのこと、ドイツ・オーストリア系のレパートリーも得意とする。1908年にマーラーの交響曲第7番を作曲者自身の指揮で初演したのもこの楽団であるし、個人的には1960~70年代にマタチッチの指揮で録音したブルックナーの交響曲(特に第5、第7番)が屈指の名演として忘れられない。

さて、このアルバムの1曲目は、岩崎宏美の代表的ナンバー「聖母たちのララバイ」で幕をあける。いきなり60人規模のフル・オーケストラが咆哮! もともと曲自体がシンフォニックでスケールが大きいので、それこそドイツ・オーストリア系の大交響曲を聴いているような充実感がある。岩崎宏美の声量十分な伸びのある歌声も健在。響きのいいドヴォルザーク・ホールでの録音も功を奏し、稀に見る名演となった。

4曲目に収録されたミュージカル「レ・ミゼラブル」からのナンバー、「夢やぶれて」もフル・オーケストラが全開。ここでは岩崎宏美のミュージカル女優ならではの表現力によって、実にドラマチックで感動的なシーンが繰り広げられる。本田美奈子もそうだったが、岩崎宏美もミュージカルに進出してから格段に実力を上げた1人だ。一般的な印象ではヒット曲を連発していた1970年代後半から1980年代前半くらいまでが全盛期のように思われがちだが、それ以降もシンガーとしては成長を続けているのである。

「シアワセノカケラ」、「手紙」、「ただ・愛のためにだけ」の3曲はいずれも2004年以降に発表された比較的最近のオリジナルなので、昔のファンには馴染みが薄いかもしれないが、いずれもしみじみと語りかけるような趣きが印象に残る。

レコード大賞候補にもなった傑作「万華鏡」と「すみれ色の涙」は、小編成のオーケストラの演奏によって、本来持っていたメロディの素晴らしさが浮き彫りになった。こうして聴いてみると、1980年前後の昭和歌謡曲のレベルは、クラシック音楽に負けないほどの高みにまで達していたのではなかったか、とさえ思えてくる。

そして、アルバムのラストを飾るのはフル・オーケストラで演奏される「つばさ」。大空を越えて宇宙に届けとばかりに、万感の思いを込めた熱唱は、言葉では言い尽くすことのできない素晴らしさだ。もはやここには歌謡曲とクラシック音楽の境界線はなく、すべてのジャンルを超越した素晴らしい「音楽」が存在するのみである。

このアルバムが発売されたのは2007年9月。本田美奈子が天国に旅立ってから2年足らずのタイミングでもあり、当然ながら彼女へのメモリアルという意味合いもあったのだろう。「つばさ」のサブタイトルとして「~Dedicated to 本田美奈子.~」というフレーズが添えられている。

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●歌姫たちの名盤(22) 庄野真代&ジャクロタングス 『CINEMATIQUE~シネマティーク~』

2013年11月25日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


庄野真代&ジャクロタングス 『CINEMATIQUE~シネマティーク~
(2013年10月2日発売) OMCA-5035

収録曲 01.夜間飛行の記録 ~instrumental~ 02.飛んでイスタンブール 03.マスカレード 04.モンテカルロで乾杯 05.cinema 06.ウナ・セラ・ディ東京 07.月夜のワルツ 08.アデュー 09.鉄塔の灯を消して ~instrumental~ 10.ファム・ファタル 11.金色の砂


異国の地を舞台にした往年のヒット曲「飛んでイスタンブール」、「モンテカルロで乾杯」、「マスカレード」で知られる庄野真代が、若手タンゴ・ジャズグループのジャクロタングスと組んで新境地を開拓した話題のアルバム『CINEMATIQUE~シネマティーク~』を聴く。経済的な事情もあってCDの新譜購入には慎重な筆者が珍しく発売前に予約したアルバムだったが、期待通りの上質な名盤に仕上がっており、やはり自分の第六感は間違っていなかった・・・と確信することができた。というわけで、さっそく、このアルバムをレヴューしてみることにしよう。

庄野真代といえば筆者と同世代なら説明は不要だろうが、リアルタイムでご存知ない人たちのために簡単に紹介しておくと、一般的に言えば1978年に筒美京平作曲の「飛んでイスタンブール」でブレイクした往年の歌手ということになる。が、本質的には自ら作詞・作曲する都会派シンガーソング・ライターと言ったほうが当たっており、歌謡曲というよりも新しく台頭してきたニューミュージック寄りのアーティストだった(同じ傾向のアーティストとしては渡辺真知子、太田裕美、サーカスなどがいる)。

それ以上に特筆すべきなのは、その行動力の旺盛さである。経歴を見ると、中学生時代は生徒会活動に没頭していたらしく、本格的に音楽活動を始め、メジャーな存在になってからも、突然思いついたように世界一周の旅に出たり、ボランティア活動を組織化して自ら代表になったり、参議院選挙の比例区に出馬したり(結果的には落選だったが・・・)、分野を越えたチャレンジ精神はとどまるところを知らない。そして、なんと2011年からはひょんなきっかけでマラソンを始め、今年(2013年)もイスタンブール・ユーラシア・マラソンの15kmの部に出場。年齢を考えればなかなか優秀なタイムで完走を果たしている。このように破天荒な挑戦を続けていく典型的なB型女性なので、常に「今度は何をやってくれるのか?」という期待感があり、その動向には目が離せなくなるのである。

片や庄野真代とコラボを実現することになったジャクロタングスであるが、実は筆者もよく知らなかったのでCDのブックレットやオフィシャル・サイトを調べながら勉強してみた。メンバーはいずれも1980年代生まれの男性3人で、ピアノ担当の加畑嶺、コントラバス担当の木田浩卓、バンドネオン担当の平田耕治のトリオから成り、いずれもクラシック音楽の基礎を持ちながら、ジャズやタンゴの分野で活躍できる高い音楽性を備えたミュージシャンたちである、ということだ。

木田浩卓は今回のアルバムでほとんどの収録曲をアレンジし、4つの楽曲においては作曲も担当している。「夜間飛行の記録」はその名の通りサン・テグジュペリの小説『夜間飛行』から発想を得た作品、「鉄塔の灯りを消して」は鉄塔=東京タワーの灯が消える黄昏時をイメージした作品、「ファム・ファタル」はPOPSとタンゴの融合というテーマのもとで書かれた作品、「金色の砂」は何よりも庄野真代が素晴らしい歌詞をつけてくれたことで特別な作品に仕上がったという(この楽曲のみ加畑嶺がアレンジ)。このように世代を越えて実現したコラボなので、どの楽曲も単なるノスタルジーでは終わらない新鮮味を帯びてくる。

筆者のような往年のファンが注目するのは、やはり代表曲の「飛んでイスタンブール」、「モンテカルロで乾杯」、「マスカレード」だろう。
特に「マスカレード」 には思い入れがあるので、どんなアレンジになるのか興味深々だったが、いい意味で予想外だった。原曲はラテン的な華やかさを前面に出し、いかにも色彩感豊かなメキシコの街という舞台設定だが、今回のアルバムでは、まるでジプシーの手回しオルガン弾きが19世紀のヨーロッパの街をさまよい歩くような、退廃的な雰囲気が色濃くなっている。それはそれで、タンゴの源流として納得のいくイメージであるところが面白い。

最大ヒット曲の「飛んでイスタンブール」 は原曲のアレンジが優秀なので、それを崩すのがなかなか難しいが、これも新しい録音では見事なタンゴ・バージョンを作り上げることに成功した。随所で聴かせるダイナミックなピアノの名技が素晴らしい。

もう一つのメガ・ヒット曲「モンテカルロで乾杯」は、もともと映画的イメージが豊富な名作。編曲者・木田浩卓の解説によればバンドネオンを男性役、ヴォーカルを女性役に想定したということだが、まさにこの両者がスクリーンの中で粋なセリフを交わしているような趣に仕上がった。アルバム・タイトル『CINEMATIQUE』そのままの上質なアレンジといえよう。

3大ヒット曲に続いて収録されているのは、このアルバムのイメージ・プロデューサーでもある及川眠子作詞の「cinema」。そのものズバリのタイトル曲で、悲恋に終わる一夜限りの愛と知りつつ男の胸に抱かれていく女性の妖しい心を映し出すように、変幻自在なサウンドが展開される。

そして往年の大ヒット曲、ザ・ピーナッツの「ウナ・セラ・デイ東京」 が何の違和感もなく登場する。いかにもタンゴっぽい退廃的な雰囲気がこのアルバムにぴったりな選曲だ。続く庄野真代作曲の「月夜のワルツ」と「アデュー」も素晴らしい。前者の幻想的なイメージ、後者のどうしようもないほどに孤独な雰囲気こそ彼女の真骨頂ではないだろうか。こういう暗さに徹した楽曲を聴くと、あらためて、すごい人だなと思ってしまう(このアルバムにはもちろん収録されていないが、あの悲惨な「相生橋にて」の作曲者だけのことはある)。

残念ながら、筆者はまだ庄野真代のライヴは見たことがない。海外在住でもあるし、自由の身ではない家庭持ちのサラリーマンなのでスケジュールが合わせにくいのだが、機会があればぜひ一度お目にかかりたい本物のアーティストの1人だと思っている。その日が来るまでは、この最新アルバムを繰り返し聴きながら、渇きを癒すことにしたい。

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●歌姫たちの名盤(20) 青江三奈 『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~』

2013年08月11日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


青江三奈 『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~
(2007年8月24日発売) THCD-054 *オリジナル盤発売日:1993年10月21日

収録曲 01.CRY ME A RIVER 02.IT'S ONLY A PAPER MOON 03.THE MAN I LOVE 04.LOVE LETTERS 05.LOVER, COME BACK TO ME 06.BOURBON STREET BLUES~伊勢佐木町ブルース  07.HARBOUR LIGHTS 08.WHE N THE BAND BEGIN TO PLAY 09.WHAT A DEFFERENCE A DAY MADE 10.GREEN EYES 11.GRAY SHADE OF LOVE 12.SENTIMENTAL JOURNEY 13.HONMOKU BLUES~本牧ブルース


昭和歌謡界を牽引したブルースの女王・青江三奈が世を去ってから今年(2013年)で13年になるが、まだまだ根強い人気は衰えていないようだ。今はネット上で手軽に動画を見ることのできる時代になったこともあり、リアルタイムで聴いてきた中高年のファンのみならず、若い世代の人たちの中にも「こんな凄い歌手がいたのか」と驚く人も増えている。それがここ数年来の「再評価」につながっているというわけである。事実、彼女の歌声はまさに昭和ならではのネオン街の色気があり・・・時代背景の違いもあるので、こういう「盛り場の匂いがする歌手」はもう出てこないだろう。それだけに、残された録音の数々は貴重な財産となってくる。

青江三奈といえば、一般的に知られている代表曲は100万枚以上を売り上げた「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、「池袋の夜」など60年代後半に集中しているように見えるものの、実際は80年代前半まで紅白歌合戦の常連だった。それだけ唯一無二の個性が際立っていたということでもあり、そもそも「ブルースの女王」と呼ばれるような人をはずすわけにはいかなかったのである。80年代中盤になると従来の歌謡界の枠組みが崩れてきたこともあり、絶対的な存在というわけにはいかなくなったが、それでも90年代にちゃんと巻き返すところはさすが女王の底力というしかない。

まず1990年に、歌手生活25周年を記念して発売されたアルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』が日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞し、7年ぶりに紅白歌合戦に復帰。そして1993年にはなんとニューヨークに渡り、一流のジャズメンたちの協力を得て初の全曲英語のジャズ・アルバムを録音することになった。それがここに紹介する『THE SHADOW OF LOVE ~気がつけば別れ~』である。

青江三奈とジャズ。その組み合わせは「伊勢佐木町ブルース」を歌う彼女のイメージしかない人には意外なもののように思えるかもしれないが、彼女は他の多くの歌謡曲歌手がそうであったように、デビュー前は銀座の高級クラブなどで歌うジャズ・シンガーであり、ジャズのアルバムを出すというのは彼女にとって夢だった・・・ということを、ごく最近になって認識することになった。これと、1995年にリリースした2枚目のニューヨーク録音アルバム『PASSION MINA IN N.Y.』は、発売時はたいして話題にならず、ほどなく廃盤になっていたのが2007年になって復活。高まる再評価の波に乗って、ようやくジャズ・シンガーとしての青江三奈の本領を広く知らしめることのできる時代になったのである。

まず冒頭を飾るのが「CRY ME A RIVER」。最近リリースされた八代亜紀のアルバムにも入っているが、青江三奈の歌いっぷりはさらに濃厚かつ退廃的な味付けがあり、うらぶれた場末の雰囲気が漂ってくる。続く「IT'S ONLY A PAPER MOON」はこの曲を歌ったナット・キング・コールの弟、フレディ・コールとのデュエット。ジャズならではのゴキゲンなスウィング感を満喫できる名曲。個人的にはライアン&テータム・オニール親子が共演した映画『ペーパームーン』の一場面を思い起こさせる。

味の濃いハスキー・ヴォイスにどっぷり浸れるガーシュインの名曲「THE MAN I LOVE」、フレディとのしっとりとした掛け合いを味わえるムード満点な「LOVE LETTERS」、青江三奈独特の渋いスウィング感とエディ・ヘンダーソンのトランペット・ソロが楽しめる「LOVER, COME BACK TO ME」を経て、いよいよこのディスク最大の目玉でもある「BOURBON STREET BLUES」の登場となる。

原曲はあの大ヒット曲「伊勢佐木町ブルース」 。舞台はなんとニューオリンズのバーボン通りに移り、そこでもあのハスキーなため息を連発。この街には何度か訪れたことがあるが、いわゆる「歩き飲み」が許されており、昼間から酔っ払いが徘徊している。そのうらぶれた街の雰囲気に不思議にマッチするアレンジだ。

それに続くフレディとのデュエット「HARBOUR LIGHTS」も、異国の港町を思い起こさせる名演。続いてスリル満点なサウンドを楽しめる「WHEN THE BAND TO PLAY」、新しい恋人との出会いの喜びが伝わってくる「WHAT A DIFFERENCE A DAY MADE」、スペイン語と英語で歌うフレディとのデュエット4曲目「GREEN EYES」、いかにもアメリカ南部のディープな夜を思わせる「GRAY SHADE OF LOVE」、誰でも一度は耳にしたことがあるスタンダード曲「SENTIMENTAL JOURNEY」・・・と、バラエティに富んだ曲目が次々に登場する。

そしてアルバムのトリを飾るのは英訳版の「HONMOKU BLUES(本牧ブルース)」 。もともとはザ・ゴールデン・カップスが1969年に出したヒット曲をマル・ウォルドンのアレンジでジャズに仕上げた逸品・・・とライナー・ノーツには書いてあるのだが、原曲を聴いてみると違う曲のようで、どうやら作詞者のなかにし礼が青江三奈のために新しく書き下ろした新曲がオリジナルになっているようだ(アルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』に収録)。やはり彼女は生まれながらにジャズ向きの声を持った歌手であり、その特質に和風の節回しを加えたものが、いわゆる「青江ブルースの世界」ということになるかもしれない。

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●歌姫たちの名盤(13) 八代亜紀 『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST』

2013年04月08日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


八代亜紀 『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST
(2013年3月20日発売) COCP-37919 *オリジナル盤発売日:1998年1月21日

収録曲 01.オープニング(Instrumental) 02.雨の慕情 03.SING SING SING(Instrumental) 04.WHAT A LITTLE MOONLIGHT CAN DO(月光のいたずら) 05.EAST OF THE SUN(太陽の東の島で) 06.YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO 07.CRY ME A RIVER 08.なみだ恋 09.Mr. SOMETHING BLUE 10.荒城の月 11.舟唄 12.BEI MIR BIST DU SCHON(素敵なあなた) 13.愛の終着駅 14.花水仙 15.ほんね


3月27日に行なわれたニューヨーク・ジャズ・ライヴ以来、ちょっとした八代ブームが起きているようで、前回のライヴ体験記事は予想を上回るアクセス数を集めた。以前から不思議に思っていたのは、なぜ八代亜紀ほどの大歌手が10年以上も紅白歌合戦から遠ざかっているのか・・・ということなのだが(ヒット曲を出していないわけではない)、ここまで話題になれば、さすがに復帰させないわけにはいかなくなってくるのではなかろうか。

さて、先日のライヴはおもに『夜のアルバム』 からの選曲で、それに加えて現地在住の日本人のために「雨の慕情」と「舟唄」のジャズ・ヴァージョンも歌ってくれたのだが、実をいえば十分予想されたことだった。というのも、この2曲のジャズ・ヴァージョンは『夜のアルバム』に先立つ15年も前に、すでに別のアルバムで採り上げられていたからである。

それは日本コロムビアから発売された『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST』というアルバムで、1997年9月26日に原宿のクエストホールで行なわれた一夜限りのライブを収録したものである。当時はまだまだ八代亜紀=演歌というイメージが根強かったこともあり、珍しさはあってもロングセールスを記録するほどではなく、注文ベースで生産するオン・ディマンド盤という形でかろうじてカタログに残るという状態だった。

ところが『夜のアルバム』 のヒットによる八代人気再燃によって(こちらは日本コロムビアの了承を得てユニヴァーサルから発売されたアルバムなのだが)、本来の所属レコード会社である日本コロムビアもあわてて(なのかどうか)、「これこそが八代亜紀の原点となった正真正銘のジャズアルバムである!」という触れ込みで2013年3月になって正式に復刻再発売が実現するという運びとなった。結果的に、ファンにとっては喜ばしい成り行きだったといえるだろう。

このアルバムはMC付きの実況ライヴということもあって、実に楽しい。『夜のアルバム』もジャジーな雰囲気はなかなかいいのだが、ジャズ本来の即興性を期待するならば、むしろこちらのほうに軍配を上げたい気がする。参加メンバーも北村英治 (Clarinet) 、世良譲(Piano) 、ジョージ川口(Drums) 、水橋孝(Bass) という当代一流のジャズメンがそろっているのは強みだ。

オープニングは世良譲のピアノ・ソロでゆっくりと始まる。彼方から聴こえてくる旋律はショパンの「雨だれ」 。雨のしずくは次第に形が大きくなり、やがて八代亜紀のヴォーカルによる「雨の慕情」となる。待ってましたとばかりに場内の拍手。この導入部分からしてライヴならではの魅力満点である。

続いて八代亜紀によるMC、そして4人のジャズメンの紹介がある。ドラムス、ベース、ピアノ、クラリネットと指名されるごとにそれぞれのパートが「SING SING SING」の演奏を始め、アンサンブルが最高潮に達したタイミングで八代亜紀のヴォーカルによる「WHAT A LITTLE MOONLIGHT CAN DO(月光のいたずら)」につながっていく。いかにもタイトル通りの小粋でファンタスティックな名曲で、間奏部分で展開されるジャズメンの名技も聴きものだ。

ロマンティックなバラード「EAST OF THE SUN(太陽の東の島で)」のあとは、ニューヨーク・ライヴでヘレン・メリルとのデュエットが実現した不朽の名曲「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」。この曲が、ヘレン・メリルを意識しているはずの『夜のアルバム』に収録されていないのは不思議なのだが、それだけになおさら、こちらのアルバムの価値を引き上げることになる。この曲を歌い終わったあとの八代亜紀の興奮ぶりもすごい。

「ニューヨークのため息」の次は「東京のため息」ということで、お得意の「CRY ME A RIVER」。こちらの曲は『夜のアルバム』にも違うアレンジのスタジオ録音ヴァージョンが収録されているので、両者を聴き比べてみるのも一興であろう。

続いて八代亜紀のキャリア最初のヒット曲となった「なみだ恋」のジャズピアノによる伴奏付きヴァージョン。典型的な演歌の名曲が、ここでは3拍子の優雅なワルツに姿を変える。同じ曲でもこれだけ雰囲気が違うのだから、やはり編曲の役割りは大きい。ベースの伴奏のみで歌われる「Mr. SOMETHING BLUE」も実に小粋な味がある。

そして「荒城の月」。日本語のワン・コーラスが終わると、突然テンポを速め英語のフレーズに移行する。『夜のアルバム』に収録された「五木の子守唄~いそしぎ」に共通する和洋合一の世界だ。ここで「舟唄」のワン・コーラスをはさみ、プログラムの最後となる「BEI MIR BIST DU SCHON(素敵なあなた)」となる。八代亜紀とともに貴重な一夜を過ごしたすべての男性ファンに捧げるラヴ・ソングで、文字通り「素敵な紳士の音楽会」は幕を閉じるのである(その後、3曲ものアンコールがオマケについているが)。

これこそは八代亜紀+ジャズメンたちの絶妙の名技で、夜通しスウィングを楽しむことができる名盤といえるだろう。 

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●歌姫たちの名盤(4) 日野美歌 『横浜フォール・イン・ラブ ~Premium version~』

2013年01月27日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


日野美歌 『横浜フォール・イン・ラブ ~Premium version~
(2012年10月10日発売) COCP-37537

収録曲 01.港が見える丘 02.横浜フォール・イン・ラブ 03.蘇州夜曲 04.別れのブルース 05.海を見ていた午後 06.横浜ホンキートンク・ブルース 07.秋の気配 08.氷雨(Jazz version) 09.Smile Again 10.横浜フォール・イン・ラブ(Instrumemtal)


横浜といえば、筆者が生まれてから6歳までの幼少期を過ごした街として、今もなお東京五輪前の昭和30年代後半の原風景が記憶の彼方に残っている。

住んでいたのは東横線にかつてあった高島町駅の近く。今でこそ殺風景なビルディングしか見当たらないビジネス・エリアだが、当時はそれなりに活気のある庶民の住宅地だった。駅のガードレール下には馴染みのパン屋や床屋などの商店が並び、自分と同年代の子供たちが遊ぶ姿も多く見られた。大通りには色とりどりの市電が縦横無尽に走っており、それを交番前の石段にすわって見物するのが幼き日の「趣味」でもあった。

そこから程遠くない場所に、異国的なロマンに誘われる場所として有名な横浜港があった。もともとは大人の憩いの場だった横浜港が若者たちの集まるディスティネーションとして発展したのは、むしろ平成以降かもしれない。特に2004年、地下鉄みなとみらい線が開通してからは都心からのアクセスが便利になリ、その恩恵で有名ブランド・ショップや遊園地・映画館などのエンターテイメント施設が進出するなど、急速に観光地化が進んでいったのである。

そして2009年、横浜港の開港150周年を記念してリリースされたのが、演歌の名曲「氷雨」で知られる日野美歌の新作アルバム『横浜フォール・イン・ラブ』だった。これは横浜をテーマにした数々の名曲を雰囲気あふれるジャズ・テイストでアレンジしたミニ・アルバムで、当初はオリジナルの新曲「横浜フォール・イン・ラブ」とカバー6曲を含む合計7曲が収録されていた。その後、2012年になって、新たに彼女自身が作詞したオリジナル曲「Smile Again」と名曲「氷雨」のジャズ・バージョンが追加収録され、『横浜フォール・イン・ラブ ~Premium version~』として大手コロムビアより再発売されたのである。

まず「横浜みなとみらい」の夜景を採用したジャケットがいい。1993年に完成した日本一の高さを誇る高層ビル・横浜ランドマーク・タワーが左端に建ち、コスモワールドの名物観覧車「コスモクロック21」が右側に見える構図はまさしく現代の横浜だが、それを墨絵のようにボカすことで過去の世界を憧憬することができるような効果を上げている。

アルバムの冒頭は1947年に平野愛子が歌った「港が見える丘」。この歌こそ、横浜山手にある「港の見える丘公園」の名前の由来となった曲である。1962年の開園時にはこの曲が流れる中で横浜市長によるテープカットが行なわれたという。続く2曲目がこのアルバムのタイトル・ナンバー「横浜フォール・イン・ラブ」。作詞者の歌凛は日野美歌の別名である。もともとは作曲家・馬飼野康二のすすめで作詞を始めたそうだが、さすがにセンス抜群で自身が歌うオリジナル曲のみならず、他のアーティストに提供している楽曲も多い(よく知られているところでは、華原朋美&コロッケの「ありがとね!」などがある)。この曲の歌詞中にある「タワーの灯りが切なく滲む」のフレーズが、まさにジャケット写真の横浜ランドマーク・タワーと二重写しになっている。

続く「蘇州夜曲」 は生粋の濱っ子だった渡辺はま子が霧島昇とともに1940年に録音したことから、このアルバムに採用されたようだ。もともとは李香蘭(山口淑子)主演の「支那の夜」の劇中歌で、今日に至るまで多くのアーティストにカバーされてきた名曲である。その次の「別れのブルース」も1937年に淡谷のり子が歌った往年のヒット曲。歌詞中のフレーズ「メリケン波止場の灯が見える」の「メリケン」は「アメリカン」に由来しており、異国の旅人が多く出入りする横浜や神戸にある波止場がそう呼ばれていた。そして、異国の旅人と日本女性との行きずりの恋と別れもまた多かったのである。

ユーミンが1974年に歌った「海を見ていた午後」も横浜が舞台。この曲が流行った当時は「山手のドルフィン」でわざわざソーダ水を頼む女性も多かったとか?

そして、このアルバムの極めつけというべきは、1981年に松田優作が歌った「横浜ホンキートンク・ブルース」 。日野美歌がワンポイント・ライナーノーツで紹介しているように、まさしく「ディープな濱の名曲」。「ひとり飲む酒悲しくて 映るグラスはブルースの色」等々、歌詞のいたるところに男のロマンと挫折が滲み出ており、何度聴いても飽きることがない。

オフコース1977年の名曲「秋の気配」も発売された当時はよく聴いたものだ。「あれがあなたの 好きな場所 港が見下ろせる 小高い公園」のフレーズを聴くだけで、思いは一気に横浜山手に飛んでしまうのである。

もともと発売されたミニ・アルバムではここで「横浜フォール・イン・ラブ」のインストが流れて幕を閉じるが、2012年に再発売されたPremium versionでは、なんと「氷雨」のジャズ・バージョンが登場する。横浜に直接関係ある歌ではないが、まぁファン・サービスといったところだろうか。それにしてもジャズ・アレンジで聴いても、ほんとうに味のある名曲だ。というよりも、優れた演歌はすべて優れたジャズになりうるのではなかろうか。

ボーナス・トラックのもう一曲は、作詞・歌凛(=日野美歌)と作曲・馬飼野康二のコンビによる最新作「Smile Again」。汽笛が鳴り、船が出港したその夜、過ぎ去りし思い出を振り返りながらバーでひとりグラスを傾けるひとりの女。昔のハリウッド映画によく出てくるような別れの切ない情景が浮かんでくる。
「悲しげな顔は見せないで 笑って smile again」

きっと、このような大人の味を持った音楽こそ、人生後半の荒波を乗り越える力を与えてくれるに違いない。

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●歌姫たちの名盤(3) 青江三奈 『PASSION MINA IN N.Y.』

2013年01月20日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


青江三奈 『PASSION MINA IN N.Y.
(2007年8月24日発売) THCD-053 *オリジナル盤発売日:1995年12月1日

収録曲 01.オープニング"MOANIN'"~伊勢佐木町ブルース 02.長崎ブルース 03.池袋の夜 04.国際線待合室 05.NEW YORK STATE OF MIND 06.上を向いて歩こう 07.LOVE IS FOREVER~いつかまた~ 08.白樺の小径 09.淋しい時だけそばにいて 10.恍惚のブルース 11.女とお酒のぶるーす~エンディング"MOANIN'"


日本の歌謡曲の全盛時代といえば、やはり昭和40年代から50年代までの高度成長期、西暦でいえば1960年代後半から1980年代中盤までだったと思う(それ以降はレコード購買層の音楽嗜好が分散し、歌謡曲はもはや主流の音楽ではなくなってきた)。

特に筆者が小学生だった1960年代は、後年のような若年向けアイドルも存在せず、歌謡曲は「大人が聴く音楽」という認識だった。
事実、両親(特に母親)は子供の自分にあまり歌番組を見せたがらなかった。見せたくなかった理由は今となってみればわかる。あまりに色気のある女性歌手が多かったからである。

当時の紅白歌合戦の紅組出場メンバーを見ただけでも、その豪華さにめまいがするほどだが、中でも異彩を放っていたのが昭和41年(1966年)に「恍惚のブルース」でデビューし、「伊勢佐木町ブルース」(1968年)、「池袋の夜」(1969年)の大ヒットで押しも押されぬ人気を獲得していた青江三奈だった。当時としては珍しい金髪(白黒テレビでも金髪というのはわかった)、アイドル的な可愛いらしさに同居する大人の色気と独特のハスキー・ヴォイスは、テレビ画面に登場するたびにドキドキしたものだった。当時は歌がどうこうというよりも、歌う姿に魅力を感じていたのである。

彼女が最も輝いていたと思われたのは1970年前半くらいまでで、それ以降は新しい世代の台頭に押されてやや勢いがなくなってきたかな・・・という印象がある。1980年代中盤になると常連だった紅白歌合戦にも選ばれなくなった。この時期に発売されたレコードのジャケット写真を見ると、髪型を当時の流行に合わせてイメチェンを図ろうとしているものの、今ひとつピンと来ない感じがする。歌謡界も完全にアイドル時代になり、大人の色気を持った歌手が生き延びるのは容易ではなくなってしまったように思われた。

ところが1990年代になって、大歌手・青江三奈は見事に復活する。歌手生活25周年を記念して発売されたアルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』が1990年の日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞し、7年ぶりに紅白歌合戦に復帰。そして1993年にはなんとニューヨークに渡り、初の全曲英語のジャズ・アルバム『The Shadow of Love ~気がつけば別れ~』を録音するのである。

青江三奈は他の多くの歌謡曲歌手がそうであったように、デビュー前は銀座の高級クラブなどで歌うジャズ・シンガーだった。つまりジャズのアルバムを出すというのは彼女にとって原点回帰であり、長年暖めていた夢でもあったのだろう。1枚目のジャズ・アルバムの成功を受けて、1995年にはここに紹介する2枚目のニューヨーク録音アルバム『PASSION MINA IN N.Y.』を発表。いよいよ本格的に新境地へ踏み出すことになったのである。

このアルバムは基本的にはスタジオ録音なのだが、部分的にレインボー・ルームでのライヴ音源も取り入れており、本場ニューヨークでのライヴの雰囲気を味わえるところが面白い。共演ミュージシャンもニューヨークを舞台に活躍する一流のジャズメンたちで、はるばる日本からやってきた伝説の歌姫を歓迎し、楽しそうにプレイしている様子がうかがえる。

マンハッタンの夜を思わせる喧騒からジャズメンたちの演奏する"MOANIN'"のオープニングを経て、司会者によるイベントの紹介が始まる。この年、デビュー30周年を迎えた Ms. MINA AOE がニューヨークのGreatest Musicians と共演するMost Special Ocasion。期待がいやがおうにも高まる(ちなみにこの時期、筆者もニューヨーク在住だったのだが、2年前に生まれた子供の育児に忙しく、仕事も新しい職場に配属されたばかりで音楽どころではなかった。情報網も現在ほど発達していなかったので、青江三奈がニューヨークに来ていたことは、だいぶ後になってから知ったのである)。

司会者の紹介が終わると、ジャズのオープニングから一転して耳慣れたナンバー「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、「池袋の夜」、「国際線待合室」と続く。昭和40年代の日本にタイムスリップした気分になっていると、おもむろにビリー・ジョエルの「NEW YORK STATE OF MIND」が始まり、聴衆をニューヨークの現実に連れ戻す。このあたりの場面転換はなかなか鮮やかだ。そして次はアメリカ人にもよく知られているスキヤキ・ソング、坂本九の「上を向いて歩こう」が登場。会場(おそらく大半がご年配の日本人か?)は感涙の場面となる。

続く「LOVE IS FOREVER~いつかまた~」、「白樺の小径」、「淋しい時だけそばにいて」は、いずれも情感豊かな「大人のラヴソング」の佳曲。繰り返し聴くたびに心にしみるものがある。歌唱力もさることながら、やはりそれなりの人生経験を重ねていかないと、このような曲を歌いこなすことはできないだろう。

そして最後の2曲は「この曲で青江三奈になりました」と彼女自身が紹介する「恍惚のブルース」と、デビュー30周年記念曲の「女とお酒のぶるーす」で締めくくる。そう、彼女はデビュー曲から一貫してブルース一筋だった。アメリカのジャズ・テイストを隠し味にした独自の青江ブルース。単なる想像なのだが、それを日本の地で目指したのが青江三奈の出発点であり、それをニューヨークの地で完結させるのが究極の最終目標だったのではなかろうか。

このアルバムを聴きながら、ふと、昭和40年代のデビュー当時、金髪で歌っていた若き日の青江三奈を思い出した。きっと、あの頃から心の中ではニューヨーカーだったのかもしれない。

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●歌姫たちの名盤(2) 由紀さおり & ピンク・マルティーニ 『1969』

2013年01月13日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


由紀さおり & ピンク・マルティーニ 『1969
(2011年10月12日発売) TOCT-27098

収録曲 01.ブルー・ライト・ヨコハマ 02.真夜中のボサ・ノバ 03.さらば夏の日 04.パフ 05.いいじゃないの幸せならば 06.夕月 07.夜明けのスキャット 08.マシュ・ケ・ナダ 09.イズ・ザット・オール・ゼア・イズ? 10.私もあなたと泣いていい? 11.わすれたいのに 12.季節の足音


1969年といえば・・・早いもので、もう44年も昔になる。巷では高度成長時代と騒がれていたが、現実にはカラーテレビがようやく登場したばかりの時代。決して裕福ではなかった自宅のテレビは当然、まだ白黒だった。

ある日のこと、当時小学校6年生だった自分は、今は亡き父に連れられて後楽園球場(東京ドームの前身)に巨人vs大洋戦を見に行った。試合は劣勢の巨人が9回裏に猛反撃し、1点差まで追い上げるという白熱した内容だった。現役時代の王、長嶋のプレーに接することのできた貴重な思い出・・・と言いたいところだが、スーパースターだったはずの彼らの姿はなぜかおぼろげな印象しか残っていない。それよりも未だに忘れられないのは、むしろ試合が始まる前、選手たちがグラウンドに登場するまでの待ち時間に、球場に流れていた歌声だった。

「るーるるるるー」で始まるその透き通った歌声は、夜空を照らすスタジアムの灯りの中で、次第に神秘な輝きを増していった。

今まで聴いたことのないような不思議な曲だった。何を言っているのかわからないような歌詞だったが、メロディは異常なほど美しく聴こえた。もちろんまだ子供だったので、そんなに多くの歌謡曲を聴き込んでいるわけではなかったが、それでもその曲の新鮮さは十分に感じ取ることができたのである。

由紀さおりの「夜明けのスキャット」。1969年の年間売り上げランキングで第1位を記録。
しかしこの年のレコード大賞はこの曲ではなく、年末近くになって現われた別の曲だった。

1969年の暮れ、岩手県盛岡市に住む母方の祖母が危篤になったという報を受けて、家族そろって夜行列車で盛岡へ向かった。当時は東北新幹線などという便利な超特急列車はなかったので、田舎へ里帰りするには寝台列車で10時間以上揺られなければならなかった。今の感覚でいえばニューヨークから日本に帰国するようなものである。

盛岡に到着すると祖母はすでに亡くなっていたため、さっそく葬式が執り行われた。葬式というものを体験したのはこれが初めてだったこともあって、子供心には珍しいイベントを楽しむことができたし、それ以上に普段なかなか会うことのできない従兄弟たちと交流することができたのは何よりも楽しい思い出となった。その従兄弟の一人が、テレビのプロレス中継(ジャイアント馬場vs鉄の爪エリック戦)を見ている時だったか、何かのゲームをやっている時だったか、よく覚えていないのだが、何気なく「現代風な感覚の新曲」を口ずさんでいるのを聞き逃さなかった。それがまさしく、数日後の大晦日でレコード大賞を受賞することになる佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」だったのである。

「夜明けのスキャット」 にしろ「いいじゃないの幸せならば」にしろ、さらには、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」にしろ、リアルタイムで出合った名曲は、その時その時の人生の一場面と密接にリンクしている。そういう意味では、それらの流行歌は思い出を呼び起こす貴重なタイム・カプセルの役割りを果たしているともいえるだろう。

2011年に発売され、世界中で記録的な大ヒットとなった『1969』は、その名の通り1969年、あるいはその前後の期間にヒットした内外の流行歌を集めたカバー・アルバムで、由紀さおり&ピンク・マルティーニという異色のコラボレーションが大きな話題となった。上にあげた3つのヒット曲はもちろんのこと、同じようにリアルタイムでよく耳にした黛ジュンの「夕月」 や、ヒデとロザンナの「真夜中のボサ・ノバ」といった往年の名曲が、新鮮なアレンジで現代に蘇ったのは画期的な出来事であるといえる。

それら日本の歌謡曲にも増して素晴らしいのが、当時流行の洋楽ナンバーとして加えられた名曲の数々。個人的な思い入れとしては、やはりピーター、ポール&メアリーのヒット曲『Puff, the Magic Dragon』の楽しくも哀しいファンタジーの世界が忘れられないのだが、何といっても極めつけは往年の大歌手ペギー・リーが歌っていた『Is that all there is?』。これはあらゆる人生の修羅場を「そんなもんよ」と言い捨てながら諦観の境地に達していくヒロインの心境をつづった歌芝居で、並みの表現力ではとうてい太刀打ちできない難曲なのだが、由紀さおりはそれを情感たっぷりに、大女優の風格を感じさせるようなゆとりのある境地で歌い上げている。これを聴くと、つくづくすごい歌手に成長したものだな・・・と思ってしまう。

優れた選曲とアレンジ、優れた歌唱力、 そして優れた録音の3拍子がそろった名盤。
評判通り、いつまでも手元に置いておきたいと思わせるアルバムである。

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●歌姫たちの名盤(1) 八代亜紀 『夜のアルバム』

2013年01月06日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


八代亜紀 『夜のアルバム
(2012年10月10日発売) UCCJ-2105

収録曲 01.フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 02.クライ・ミー・ア・リバー 03.ジャニー・ギター 04.五木の子守唄~いそしぎ 05.サマータイム 06.枯葉 07.スウェイ 08.私は泣いています 09.ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 10.再会 11.ただそれだけのこと 12.虹の彼方に


日本を代表する歌姫たち、いわゆるJ-DIVAの名盤を紹介する新シリーズの第1回は、「舟唄」、「雨の慕情」といった大ヒット曲で知られている演歌歌手・八代亜紀が初めて録音したジャズ・アルバム。これは購入する前から興味津々だった。

演歌は演歌でも、いわゆるこぶしの利いた「ド演歌」というのは元来あまり得意ではないのだが、八代亜紀の演歌は情感豊かな湿っぽいニュアンスと官能的なハスキー・ヴォイスに魅力があり、昔からけっこう好きだったりする。この種の歌声は日々の仕事に明け暮れる労働者にとっては癒しにもなり、クラブやバーで一杯やりながら聴くのにはうってつけと思わせるものがあるのだが、実際、演歌歌手でデビューする前の彼女は米軍キャンプや銀座のナイトクラブで歌うジャズシンガーだったそうである。

演歌歌手でデビューしたのは、他の多くの歌手と同様、レコード会社の方針だったのだろう。そして彼女のように成功してしまうと、しばらくはその路線で行かなければならなくなる。「作られたイメージ」というのはなかなか崩すことができないし、崩そうとしてもタイミングが難しい。ほんとうにやりたいことを実現させるには「時」を待たなければならない。それは実社会に生きるわれわれも同じだと思う。

八代亜紀にとって、その「時」は21世紀にめぐってきた。その前後にリリースされているCDの内容を見ると、これまでの演歌路線とは異なった方向を模索し始めているのがわかる。1998年には今回のジャズ・アルバムの先駆けとなるライヴ盤『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会』を出しているし、2001年にはPOPS系アーティストたちの楽曲を集めた『MOOD』というアルバムで、ラップ調の「舟唄」なども収録している。そのような準備をしながら少しづつ転換を始め、ようやく2012年になって、本格的なジャズ・アルバムを発表することで原点回帰に足を踏み出した、ということができそうだ。

こうしてできあがったアルバムを聴いてみると、全体的にとてもゆったりした雰囲気に満ちあふれている。ジャズクラブで一杯やりながら聴き入る労働者たちに微笑みかける彼女が目に浮かぶような、リラックスした空気がある。

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」に始まる最初の3曲はジャズのスタンダード・ナンバーとしてお馴染みの名曲。英語の歌詞に日本語のフレーズも交えて叙情味たっぷりに聴かせる。八代演歌で聞き覚えのある独特の節回しが顔を出すのも微笑ましい。

続く「五木の子守唄~いそしぎ」の和洋2曲を合体したアレンジも面白く、同じ曲の表・裏であるかのように錯覚するほどだ。りりィの名曲「私は泣いています」もジャズ・アレンジで聴くと、さびれた情感が胸に迫ってくるし、シャンソン系の歌手が好んで採り上げる「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」や「再会」で歌われる人生模様も、それぞれの喜びと悲しみの場面が目に浮かぶようである。

そしてラストを締めくくるのは映画『オズの魔法使い』の主題歌「虹の彼方に」。
熟成されたソフトな歌声が、聴く人を文字通り虹の彼方に連れて行ってくれる。

歌を聴きながら夢見るような想像の翼を広げることができるのも、ジャズ・テイストの編曲ならではの味といえるだろう。


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