375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

歴史的名盤を聴く(6) セルジュ・チェリビダッケ @1986 Tokyo Live

2010年03月14日 | クラシックの歴史的名盤

シューマン:交響曲第4番、ムソルグスキー(ラヴェル編曲版):組曲『展覧会の絵』
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(1986年10月14日 昭和女子大学 人見記念講堂:ライヴ録音)  ALT140

1839年にウイーンを訪れた際、10年前に亡くなったシューベルトの遺稿の中から、埋もれていた幻の傑作交響曲『ザ・グレート』を発見したのがシューマンだった。その『ザ・グレート』の発見がきっかけとなり、2年後の1841年、いわゆるシューマンの「交響曲の年」を迎える。この年は『春』と呼ばれる第1交響曲と、標題のないニ短調交響曲を作曲。しかしニ短調交響曲のほうは初演に失敗し、いったんお蔵入りしてしまうことになる。再びこの作品が日の目を見るのは10年後の1851年。オーケストレーションを全面的に改訂し、改めて「第4交響曲」として発表されることになった。

魅力的な交響曲である。ニ短調の暗さが何とも言えない。特に第1楽章は「暗黒のカタルシス」とでも呼びたいほど、ぞくぞくせずにはいられない音楽だ。哀愁を帯びた第2楽章ロマンツェ。もがき苦しみながらも必死で前に進もうとする第3楽章スケルツォ。そして新時代への夜明けを思わせるような壮大なブリッジを経て、抑圧されていた情熱が爆発するフィナーレに至るまで、ドイツ・ロマン派のエッセンスが詰め込まれている。

「抑圧との闘い」をテーマに持ち、屈折した性格を持ったこの作品と最も相性が合う指揮者を1人選ぶとしたら、自分なら「幻の巨匠」と言われたセルジュ・チェリビダッケにとどめを指すだろう。チェリビダッケといえば、生前はレコード録音などの商業主義に背を向け、歯に衣着せぬ毒舌家として知られていたが、実像は人一倍繊細でナイーヴな人間だったかもしれない。並はずれた厳しい練習でオーケストラを徹底的に鍛え上げ、どんなに大音量が鳴っても透明で濁らないハーモニーを維持することができた。チェリビダッケが常任指揮者だった頃の1980年代から1990年代中盤にかけてのミュンヘン・フィルは、間違いなく世界最高のオーケストラだったのではないだろうか。スタジオ録音などに無駄な時間を費やさず、実演一本で勝負したのも、結果的には正解。チェリビダッケの死後になって、質の高い実況録音が続々とリリースされることになった。

個性が強いので好き嫌いは生じやすいかもしれないが、日本でのチェリビダッケ人気は欧米に比べてかなり高いように思える。ショウビジネスの大国アメリカでは、名前すら聞かない。「音楽は無から現われ、無へと消えてゆくもの」であり、「音楽は無であって、言葉で語ることができない。ただ体験のみ」とする考え方は、西洋人には理解が難しくとも、日本人には比較的受け入れやすいのではないだろうか。なにしろチェリビダッケは禅宗の仏教徒であるし、「サイババ」にも傾倒するほどだから、思想的な面では完全に東洋人である。

ここに紹介するCDは1986年、チェリビダッケが手兵ミュンヘン・フィルを率いて最初に来日した際のライヴ録音。1979年にミュンヘン・フィルの常任指揮者に就任して8年目。満を持して来日しただけあって、完璧なまでに鍛え上げられたオーケストラ芸術を存分に楽しめる。得意の曲目であるシューマンの交響曲第4番は、音楽の一字一句を噛みしめるように、遅めのテンポで描き尽くした名演。すべての楽器が溶け合った透明なサウンド、まるで生き物のように生成と流転を繰り返す絶妙の音空間は、いつまでもそこに浸っていたいと思わせるほどの素晴らしい聴きものだ。

第3楽章から第4楽章にかけての息の長いブリッジでは、チェリビダッケ自身の唸り声も聴こえる。抑圧されていた情熱が全世界に解放される瞬間。ここがシューマンの交響曲第4番の事実上のクライマックスに当たる。おそらく彼は、この無上の解放感を共有したいがために、この曲を指揮しているのではないだろうか。聴いている自分も、何よりこの瞬間を待ちわびているのである。

このCDには、同じコンサートで演奏されたムソルグスキーの代表作『展覧会の絵』も収録されている。こちらもチェリビダッケが繰り返し取り上げている曲目。遅めのテンポでじっくりと運びながら、楽曲の持つ狂気の響きを白日のもとに暴き出した名演だ。ラヴェル編曲版の色彩感よりも、ムソルグスキーのオリジナル版が本来持っているきれいごとでない前衛性が浮き彫りにされる。第4曲「牛車」は最終戦争に進軍する戦車と呼んだほうがいいような巨大さだし、終曲の「キエフの大門」で聴かれる途方もない音響的高揚は、もはやこの世に存在する建造物を超越し、ここを通ったら生きては戻れない壮大な地獄門を思わせる。

シューマンとムソルグスキー。狂気に苛まれた晩年を過ごし、失意のうちに生涯を閉じたという点で、この2人は共通している。生まれる時代を間違えてしまった天才肌の悲劇とでも言おうか。それを十二分に理解しているのが、孤高の天才指揮者チェリビダッケその人かもしれない。

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