375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(12) 弘田三枝子 「レオのうた」他5曲 (『ジャングル大帝 ヒット・パレード』より)

2013年03月25日 | 弘田三枝子


★『ジャングル大帝 ヒット・パレード
(2005年4月27日発売) COCX-33161 *オリジナル盤発売日:1966年7月20日

収録曲 01.ジャングル大帝 02.砂漠の風 03.フンワカー マーチ 04.ジャングル工事(弘田三枝子) 05.星になったママ 06.ふくろうの子守歌 07.ブラック フォア(4ひきの黒ひょう) 08.アイウエオ マンボ(弘田三枝子) 09. ライヤのうた 10.サル忍者 11.3びきの死神 12.たまごの赤ちゃん(弘田三枝子) 13.ディックとボゥ 14.ぼくに力をおとうさん(弘田三枝子) 15.レオのうた(弘田三枝子)


日本初のカラーテレビ・アニメシリーズ『ジャングル大帝』が初めてTV放映されたのは1965年10月。筆者が小学校2年の時だった。当時、自宅のテレビはまだ白黒で、カラーテレビなどという高価な代物はふつうの家庭では普及しきれていなかったはず・・・と記憶しているが、海の向こうアメリカはすでにカラーテレビが主流であったらしく、そういう意味からも日本に比べて恐ろしいほどの先進国というイメージがあった。親の世代では「戦争に負けた」という歴史的記憶がまだ生々しく残っており、どうしてもアメリカに対するコンプレックスを払拭しきれていない時代だったのである。

しかし、わが国のアニメ業界はすでに世界戦略を目指していた。『ジャングル大帝』 がカラーで製作されたのも当初からアメリカへの輸出を目論んでいたためであり、特に人種問題に抵触しやすい黒人の描写には気を使ったといわれている。結果的に米国3大ネットワークのひとつNBCが買い取ることになり、『Kimba the White Lion』というタイトルでアメリカ人の間でも人気を博すことになった。このKimbaが、後にディズニーが製作したアニメ映画『ライオンキング』の主人公Shimbaの由来になったともいわれている。

『ジャングル大帝』 で評判となったのは、物語の内容もさることながら、その音楽の素晴らしさだった。音楽に投じた予算は同じ手塚アニメ『鉄腕アトム』の5倍だったともいわれているように、特別に力を注がれていたのである。担当はクラシック音楽界の大御所・冨田勲。その格調高い音楽は子供心にも異様な興奮を呼び起こした。『ジャングル大帝』の雄大なオープニング・テーマ曲が始まると、ふつうのアニメとは明らかにレベルの違う空気がお茶の間に流れたのである。

中でも素晴らしかったのは、当時日本最高の歌唱力を誇っていた弘田三枝子の歌うエンディング・テーマ曲「レオのうた」だった。ライオンの咆哮を模する「わーおわーお」という前奏部分からただならぬ迫力だし、「かがやくーたてーがみーとどーろくーいなずまー」と歌詞の部分が始まると、ものすごい声量に圧倒される。わずか1分半で終わる短い曲なのだが、聴き終わった後の余韻は格別だった。どんな波乱万丈のドラマが本編に展開されようとも、このエンディング・テーマが出てくれば、めでたくゲームセットとなるのである。マリアーノ・リベラもびっくりの完全無欠なクローザーといえよう。

ミュージカルさながらの音楽劇を目指したこのアニメでは、テーマ曲のみならず1話ごとに印象的な挿入歌が生み出され、レコードも発売された。その中で、弘田三枝子が所属するコロムビアがテレビのサウンドトラック用の録音を担当した歌手を中心に起用して、ステレオで再録音を行なったテイクをリリースしたのが、ここに紹介する『ジャングル大帝 ヒット・パレード』である。1966年に発売されたオリジナルのLPは長らく廃盤で、なかなか手に入らないレア物となっていたが、2005年になって待望の復刻盤CDが発売された。しかしこれも完全限定生産ということなので、早目に入手しておくほうが賢明であろう。

目玉は言うまでもなく、15曲のうち5曲を占める弘田三枝子歌唱の曲である。 「ジャングル工事」は動物たちが力を合わせて新しい村を建設する歌。児童合唱も加わっていろいろな動物の鳴き声が登場するが、エネルギッシュにぐんぐん前進していく勢いはすごい。高度成長時代の日本を象徴するかのごとく、誰もが不眠不休、文字通り寝食を忘れて労働に精を出す。そういえば、筆者の父親もほとんど休まなかった。日曜日に家にいるのが珍しいくらいだったが、当時のニッポンではそれが当たり前だったのだろう。

「アイウエオ マンボ」 は動物学校でアイウエオを学ぶ動物たちの歌。ここでも当時の日本人の勤勉ぶりが投影されている。「あしたは日曜だ いち、に、さん」という歌詞にもあるように、日曜日の前日、つまり土曜日にも学校の授業があったのだ。少なくとも筆者の小・中学校時代には、日本に「週休2日」という欧米的な概念はなかったはずである。

「たまごの赤ちゃん」 は愛らしい子守唄。伸びやかな歌声に負けず劣らず雄弁なオーケストラと女声合唱が、ファンタジックなナンバーに彩りを添える。「ぼくに力をおとうさん」 は戦いを前に弱気になったレオが、今は亡き父親と対話するオペラチックな曲目。もともとレオは臆病な面もあったのだが、自己犠牲で人間を救った父親の勇気を受け継ぎながら経験を重ね、動物たちの信頼を勝ち得るようになっていく。

そして最後は「レオのうた」 。幾多の苦難を乗り越え、サバンナを力強く進んでいくレオの姿は、やはり昭和40年代に理想とされた不撓不屈のサムライ・ニッポンの象徴であったのだ、と思わずにはいられない。

弘田三枝子が歌うナンバー以外にも、歌舞伎+JAZZ風のアレンジがユニークな「ブラック フォア」 や不気味な低音ヴォーカルで聴かせる「3びきの死神」など、印象に残るナンバーが揃っている。ちなみに死神の名前はそれぞれサミー、デイブ、ジュニア。3匹合わせてサミー・デイヴィス・ジュニアとなる。

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●歌姫たちの名盤(11) 弘田三枝子 『MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州』

2013年03月17日 | 弘田三枝子


弘田三枝子 『MICO・ジャズ・ライヴ・イン・北九州
(2008年4月25日発売) POPMAY 39

収録曲 01.TEACH ME TONIGHT 02.ON A CLEAR DAY 03.SOMEONE TO WATCH OVER ME 04.BYE BYE BLACKBIRD 05.A WOMAN AM I 06.I'M IN THE MOOD FOR LOVE 07.CHATTANOOGA CHOO CHOO 08.STARDUST 09. THIS IS SWING: 世界は日の出を待っている~HOW HIGH THE MOON~CONFIRMATION~FOUR BROTHERS~FLING HOME


1947年生まれの弘田三枝子は、筆者から見れば一世代上の「団塊の世代」に属するお姉さん歌手である。この世代の歌謡曲・POPS系の歌手は、ほとんどが幼少の頃から米軍基地や高級クラブなどでライヴ経験を積んでおり、正式にレコード・デビューする時点ではすでに完成されたプロフェッショナルなレベルに達している人が多い。そういう点では、それより後の年代に属する歌手に比べると一日の長がある、というのが率直な実感であり、昭和のベスト歌手を選ぼうとすると、どうしてもこの年代の人たちに偏ってしまうのである。

それらのお姉さん歌手たちは現時点ですでに還暦を越えているわけだが、その多くが今もなお現役のステージで活躍を続けているのは尊敬に値するというしかない。先日ジャズ・アルバムをリリースした八代亜紀もそうだが、由紀さおり、伊東ゆかりあたりも新アルバムの発売が予定されている。そして、われらがMICO姫はアルバムの発売予定こそないものの、定期的に都内のライヴハウスに出演する機会がある。彼女たちの多くは歌の実力はもちろんのこと、ルックス面でも昔に比べてそれほど衰えているわけではない。デビューから何十年もの間、一定のレベルを保ち続けることができるのも不断の努力と節制の賜物であろう。 

さて、今回紹介するのは、弘田三枝子が50歳当時、1997年11月8日から9日にかけて北九州市小倉のライブハウス「BOG BAND」に出演した際、地元の熱烈なファンである高野啓一氏が録音・編集した自主制作アルバムの再発盤である。1998年に発売されたオリジナル盤は、300枚限定のプレスがあっという間に売り切れ、ネット・オークションで1万円近い値がつく幻の名盤となっていた。その後POPMAYから10年ぶりに再発売されるにあたり、マスターテープの入念なクリーニング、リミックス、リマスタリングが施され、ライヴならではのリアルな音空間が生き生きと再現されることになったのは嬉しい。

冒頭の「TEACH ME TONIGHT」から、早くもその成果を体感できる。ベースの低弦をバックグラウンドにゆったりとしたMICO姫のヴォーカルが絡む1954年作曲のスタンダード。小気味良いスキャットでささやきかけるフレーズがなんとも魅力的だ。

晴れやかな大空に朝日が昇っていくような軽快なナンバー「ON A CLEAR DAY」で心地よくスウィングしたあとは、3曲目のジョージ・ガーシュイン作曲「SOMEONE TO WATCH OVER ME」で再びスローテンポのバラードとなる。安らぎを求める女心をしみじみと歌うMICO姫。哀愁あるアルトサックスの音色がムードを高める。

4曲目は快速テンポで疾走する「BYE BYE BLACKBIRD」。ここまで緩・急・緩・急と来て、5曲目の「A WOMAN AM I」が前半のハイライトともいうべき12分の大曲となる。これはなんと彼女自身によるオリジナル曲。歌詞は一応英語だが、ラララで歌われる部分が多く、意味は判然としない。しかも全曲を支配するのは、中近東かどこかの異郷世界に迷い込んでしまったかと錯覚するような宗教的な響き。神秘のエクスタシーに包まれながらMICOならぬ巫女登場といった雰囲気である。最後はジャズらしい音楽に回帰するので、やはりこれは新しいジャズの試みと解釈すべきだろうか。ファンであればこういう音楽も洒落たお遊びとして楽しみたい気持ちになってくる。

後半の1曲目(通算6曲目)はよく耳にするお馴染みのバラード「I'M IN THE MOOD FOR LOVE」 。1935年のミュージカル映画『夜毎8時に』のテーマ曲に使われていたらしい。次の「CHATTANOOGA CHOO CHOO」は、かつて運行していたシンシナティ発チャタヌーガ行きの旅客列車を舞台にしたアップテンポの楽しい曲。浮かれ騒ぐ乗客たちの中で、ハイトーンの歓声がひときわ高くシャウトする。

続く「STARDUST」 も多くのアーティストがカバーしているスタンダード曲の王様だが、大御所の歌唱はさすがに風格が違う。

アルバムの最後を飾るのは「THIS IS SWING」 と題された快速テンポのメドレー。「世界は日の出を待っている」から「FLING HOME」までのクライマックスを一気に聴かせ、最後はお得意の高速スキャットも飛び出し、ノリノリのスウィングで締めくくる。ローカルなライブハウスなので観客の人数は多くないと思われるが、それだけにかえってアットホームで手作りな雰囲気があり、ショウが終わってからのファンとの親密な語らいさえも想像できるような、貴重なアルバムに仕上がっている。

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●歌姫たちの名盤(10) 弘田三枝子 『MICO JAZZING』

2013年03月10日 | 弘田三枝子


弘田三枝子 『MICO JAZZING
(2008年1月25日発売) POPMAY 37

収録曲 01.WHAT A DIFFERENCE A DAY MAKES 02.MOONLIGHT IN VERMONT 03.CARAVAN 04.MEDITATION 05.IT'S ALL RIGHT WITH ME 06.DREAM 07.MOONLIGHT SERENADE 08.SUMMERTIME 09. IT'S DON'T MEAN A THING 10.THE VERY THOUGHT OF YOU 11.ANGEL EYES 12.SOLITUDE 13.AGUA DE BEBER 14.MY CHERIE AMOUR 15.SMILE 16.I STILL LOVE YOU BABY


世の中に音楽好きな人は星の数ほどいるが、その嗜好は文字通り千差万別で、千人いれば千通りの聴き方がある。しかしざっくり分ければ、2通りに分かれるだろう。ひとつはメジャー嗜好。有名曲や売れているレコードを中心に幅広く聴いていくGeneral嗜好のタイプ。もうひとつはいわばマイナー嗜好。一般には知られていないレアな曲や隠れた名盤に興味を示すSpecific嗜好のタイプ。筆者の場合はどうかというと後者で、気に入ったアーティストをとことん掘り下げていく傾向が強い。

とはいえ、のめり込む音楽ジャンルに関しては、年齢に相応する変化があるようだ。歌謡曲やPOPS系の音楽は比較的幼少の頃から親しんできたが、クラシック音楽は30歳を過ぎてから、ジャズに至っては50歳を過ぎてからようやくその魅力に目覚めてきた。そして一度好きになると、とことん病みつきになっていく。やはり、クラシックやジャズなどの渋い音楽を受け入れるにはそれなりの土壌が必要で、人生経験や年輪がその土壌の形成には不可欠なのだろう。

そういうわけで、 筆者はジャズを好きになってから、それほどの歳月は経ていない。しかし、それが必ずしもジャズ鑑賞に対して不利になるということにはならないと思う。それはちょうど異性を恋するのと同じで、好きになりたての相手にはそれだけ純粋な気持ちで向き合うことができるし、余計な予備知識や先入観がない分、あーだこーだと細かい注文をつけることもなく、無心になって音楽そのものに耳を傾けることができるからである。

自分にとっての歌謡曲史が弘田三枝子の「砂に消えた涙」で始まったように、はからずもジャズ鑑賞の歴史も弘田三枝子のアルバムで始まることになった。きっかけは2006年、レコードデビュー45周年を迎えた弘田三枝子がリリースした8枚組のBOX SET『じゃずこれくしょん』を購入したところから始まる。その時点では、筆者は特別ジャズに興味があるわけではなかった。が、直感的にすごく貴重なコレクションであるような気がして、なにがなんでも入手しなければならないという衝動が湧き上がり、2万円近い高値だったにもかかわらず買ってしまったのである。

そして、案の定ほとんど聴く機会もなく数年が過ぎたある日、何気なくそのBOX SETに含まれていた新作アルバム『MICO JAZZING』を聴いてみた。すると3曲目の「CARAVAN」を聴いた時、とんでもない衝撃が走ったのである。そこに展開されていたのは、人間業を超越したような高速スキャットの世界だった!

いうまでもなく自分は弘田三枝子の歌唱力は知っていた。しかし年齢的な問題もあるし、現在の彼女の歌声にそれほど期待していたわけではなかった。もちろん、かつての剛速球ではない。しかしその投球技術はいささかも衰えていないばかりか、ある部分においては今もなお進化を続けているのではないか、と遅まきながら気がついたのである。その時から、弘田三枝子のCD録音をもう一度過去にさかのぼって追いかけてみようという気になった。

『MICO JAZZING』 は2008年にBOX SETから分売になり、ボーナス・トラックが2曲加わったこともあって、あらためてそちらも購入した。ジャズを聴きこんでいる人から見ればいろいろ注文はあるかもしれないが、初心者同様の自分には十分感動的である。

冒頭の「WHAT A DIFFERENCE A DAY MAKES」からしてオープニングにふさわしいゴキゲンな名曲。あなたと出会ってたった24時間で幸せになれたという驚きを表現した歌だが、それはまさに彼女の新しい歌声との出会いをそのまま言い表しているかのようだ。2曲目の「MOONLIGHT IN VERMONT」は月あかりの美しいヴァーモント州のシャンプラン湖畔の情景が目に浮かぶようなバラード。そして3曲目が例の高速スキャットが炸裂するデューク・エリントンの傑作「CARAVAN」となる。ここまで聴いたら、たいていの人はノックアウトであろう。まさにプロフェッショナルの妙技! 他の歌手と比べても一日の長があるのは火を見るより明らかだ。

ボサノヴァの名曲「MEDITATION」でくつろいだ後は、大歌手エラ・フィッツジェラルドに捧げる「IT'S ALL RIGHT WITH ME」。生前のエラから自分の養女にしたいといわれたエピソードはあまりにも有名な話。ライトなクラシック「DREAM」を経て7曲目がジェイムズ・スチュアート主演の伝記映画『グレンミラー物語』のメイン・テーマとも言うべき「MOONLIGHT SERENADE」。ライブハウス感覚で即興風に歌う自在なパフォーマンスが楽しめる。

8曲目「SUMMERTIME」はクラシック・ファンにもお馴染み、ジョージ・ガーシュインのオペラ『ポギーとベス』のなかの1曲。ヴォイス・パーカッションとギターを絡めたソウルフルな歌唱が絶品だ。続く「IT'S DON'T MEAN A THING」はデューク・エリントン作のハイテンポなスイング曲。ドゥワ・ドゥワ・ドゥワと繰り返される低音のスキャットがいつまでも耳に残る。気品の高いバラード「THE VERY THOUGHT OF YOU」でリラックスした後は、フランク・シナトラの名唱で知られるスタンダード曲「ANGEL EYES」。天使の瞳を持つ女性にふられて自暴自棄になった男の心情を、女の視点から嘲笑するような粋な余裕が光る。

12曲目「SOLITUDE」 は、これもデューク・エリントン作の名高いバラード。ビアノとヴァイオリンを絡めたクラシカルなアレンジが涙を誘う。続く「おいしい水」を意味するタイトルの「AGUA DE BEBER」も弘田三枝子お得意の高速スキャットが炸裂する名演で「CARAVAN」同様現代最高のテクニックを堪能できる。「MY CHERIE AMOUR」はいわずと知れたスティーヴィー・ワンダーの名曲。R&Bとジャズを高度な形で融合した艶のある歌唱が素晴らしい。

ボーナス・トラックとして収められた「SMILE」と「I STILL LOVE YOU BABY」はもともと1998年発売のアルバム『華麗度』に収められていたもので、ファンには良きプレゼントとなった。

アルバム・プロデューサーのライナーノーツによれば、弘田三枝子が45年間の歌手生活で製作したアルバムは67枚、そのうちジャズ・アルバムは18枚にも上るという。そのなかでも「最高のアルバム」と自負する言葉通り、「その道を極めた名人ならではの逸品」であることは間違いない。

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●歌姫たちの名盤(9) 弘田三枝子 『サルサ人形の家』

2013年03月03日 | 弘田三枝子


弘田三枝子 『サルサ人形の家
(2006年8月25日発売) POPMAY 36

収録曲 01.渚のデイト 02.想い出の冬休み 03.メドレー: リトル・ミス・ロンリー~夢のスウィートホーム 04.悲しきハート 05.メドレー: 涙のドライブ~渚のうわさ~枯葉のうわさ 06.悲しき片想い 07.雪色のサンバ 08.ワンボーイ 09. メドレー: カモナダンス~ルイジアナ・ママ~ハロー・メリー・ルー~ナポリは恋人~月影のレナート~カッコイイツイスト 10.サルサ人形の家 11.私のベイビー 12.ノッポのサリー 13.砂に消えた涙


日本の歌謡曲史上で最高の歌手は誰だろうか? 
ある程度の期間、歌謡曲のレコードやCDを聴いていると、自分なりに「歌手のランク付け」をしてみたくなってくる。

「最高」 というからには、相撲でいえば横綱ランクである。その地位に求められるのは、いうまでもなく圧倒的な存在感。まず必要不可欠な要素として、誰もが納得する優れた歌唱力を持っていなければならない。それもただ技術的にうまいだけではなく、雰囲気というかオーラというか、大衆芸能である以上、先天的なスター性がないと「女王」の位置には立てない。

実は筆者がリアルタイムで聴いた歌手の中で、そのレベルに達していると思われる人のほとんどは、すでに他界していたり、活動を休止したりしているので、弘田三枝子は今も現役で活躍している数少ない「女王の称号がふさわしい歌手」ということになる。

弘田三枝子がヘレン・シャピロのカバー曲「子供ぢゃないの」で東芝からレコードデビューしたのは1961年、まだ14歳の頃だった。翌年はコニー・フランシスのカバー曲「ヴァケーション」が大ヒット。パンチの効いた圧倒的歌唱力で早くも国民的人気歌手の一人となる。そして1964年、17歳の年にコロムビアへ移籍。新しいレコード会社での第1作は「はじめての恋人/砂に消えた涙」だったが、特にB面の「砂に消えた涙」が大ヒットとなり、若きポップスの女王・弘田三枝子の歌声は全国津々浦々に響き渡ったのである。

当時小学校1年だった筆者にも、弘田三枝子の歌う「砂に消えた涙」は圧倒的な印象を残した。当時はまだ歌番組をほとんど見たことがなく(以前も書いたように母親は自分に歌番組を見せたがらなかった)、TV番組といえばウルトラマンとかアニメ程度だったはずなのだが、なぜか「砂に消えた涙」のメロディはよく憶えていて、これを聴くと懐かしい子供時代の情景が蘇ってくる。歌詞をよく見ると失恋の歌なのだが、決して悲しみを呼び起こすものではなく、「辛いことを忘れて、明日もまた元気に生きていこう」と前向きな気持ちになれる。決していいことばかりではなかった小学生時代も、この歌のおかげで乗り越えることができた、といっても大げさではないほどだ。

そして「砂に消えた涙」にも増して決定打となったのは、翌1965年10月にTV放映が開始された手塚アニメの傑作『ジャングル大帝』。そのエンディング・テーマ曲となった「レオのうた」の圧倒的な素晴らしさゆえに、自分の弘田三枝子に対する評価は「日本最高」のレベルに跳ね上がるのである。

さて、 ここに紹介するのは2006年に発売された『サルサ人形の家』というアルバムである。これはもともと1998年に発売されていた『Mico is Pops Queen』と『華麗度』に収録されていたナンバーを再編集したもので、サイケデリックで色彩豊かなジャケットも話題になった。メインとなるのは1968年、22歳の年に放ったレコード大賞歌唱賞受賞の名曲「人形の家」をなんと全編スペイン語に翻訳したサルサ・バージョン「Casa de la Muñeca」である(ブックレットのタイトルはCasa de la Mañecaになっているが、Muñecaが正しい綴り)。

これがまたカッコいい。日本語で聴けばあくまで日本的な歌謡バラードなのだが、スペイン語で聴くと一転して情熱的なサルサになってしまう。もともと彼女は洋楽指向であり、センセーショナルな大変身による話題性で大ヒットに輪をかけた「人形の家」を皮切りにしばらく続いた歌謡曲路線は、本来彼女が指向したものではなかったのだろう。1970年代中盤以降は本来の洋楽の世界に戻ってジャズ・アルバムを多く録音するようになり、TVの歌番組からは次第に遠ざかるようになっていく。

「人形の家」以外の収録曲は、「渚のデイト」をはじめとするデビュー当時から歌ってきた一連の洋楽カバー曲と「涙のドライブ~渚のうわさ~枯葉のうわさ」を連結した筒美京平メドレーが中心となる。いずれも彼女が50歳を過ぎた時期の録音なので、若い頃のような圧倒的な歌唱力を想像すると肩透かしを食うかもしれない。それは往年の大投手に全盛期と同じような剛速球を期待するようなもので、しょせん無理があろうというものだ。むしろ彼女の場合は年輪を重ねるうちに習得した七色の変化球こそ聴きどころといえよう。声質も昔よりハスキーになっているし、ジャジーな魅力に関しては今のほうが上回っているという聴き方もできるのである。

ジャジーな魅力が味わえるという点では、1990年に限定版の新曲としてリリースされた「雪色のサンバ」が入っているのがうれしい。弘田三枝子自身が作曲したムード満点な名曲で、本人も愛着があるようだ。そして最後の2曲は、リトル・リチャードが1956年に録音し、ビートルズやエルヴィス・プレスリーもカバーしていた全編英語のロックンロール「ノッポのサリー(Long Tall Sally)」と、幼き日の想い出を呼び起こす永遠の名曲「砂に消えた涙(Un Buco Nella Sabbia)」の円熟を極めた歌唱で締めくくるのである。

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