375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

名曲夜話(13) チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

2007年02月22日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」(作品74)
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 NHK交響楽団
録音: 1983年1月12日 @NHKホール (KING RECORDS KICC 3031)
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チャイコフスキーの完成した6曲の交響曲のうち、後期の第4番、第5番、第6番はいずれも傑作の名に値するが、その中で極めつけの一曲を選ぶとすれば、やはり、死の直前に完成した第6番「悲愴」になるだろう。この作品があるかないかで、チャイコフスキーに対する評価は、だいぶ変わってくるのではないか…と思う。

形式的には、伝統的な4楽章の交響曲の形を取りながらも、内容は限りなく私小説に近く、とめどもない悲しみが延々と綴られる異色作。この曲のCDは、長い間、ムラヴィンスキー指揮レニングラード管弦楽団の演奏を、スタンダードとして聴いてきた。余計な感傷には目もくれず、非情なほどに音のリアリズムを追求したこの演奏は、まさに「悲愴」の原点と呼べるほど、確固たる説得力を持つものである。

しかしながら、現在の自分にとっては、このムラヴィンスキー以上の魔力を持つ天才が存在する。その名は…イーゴリ・マルケヴィッチ。ムソルグスキーの「展覧会の絵」の項でも紹介した、ウクライナ出身の名指揮者である。

マルケヴィッチは1960年以来、たびたび来日し、日本フィルなどを指揮して数々の名演を聴かせたが、1983年1月12日、ついにN響との初共演が実現。このチャイコフスキーの「悲愴」を指揮したのである。この時の演奏は、それを目にすることのできた人たちの間では、伝説として語り継がれてきた。

そして2001年、N響の創立75周年を記念してリリースされた「伝説のN響ライヴ」の一つとして、ついに陽の目を見ることになったのである。このあたりの経緯は、スヴェトラーノフ最後の日本公演となった「ラフマニノフ交響曲第2番」と似ている。

マルケヴィッチの場合も、この「悲愴」の演奏が、はからずも、最後の日本公演となった。N響との初共演からわずか3ヶ月後に、急逝したためである。

第1楽章。嘆き悲しむようなアダージョから、突如テンポを上げて、アレグロ・ノン・トロッポへ。生死をさまよう苦しみに翻弄される中、一縷の希望の光が差し込むような、美しい旋律が現われる。しかし、その陶酔を断ち切るような、恐ろしい一撃とともに、音楽は荒れ狂う絶望の嵐へと突き進んでゆく。11分過ぎに訪れるクライマックスでは、もはや個人の悲しみの次元を越え、戦場さながらの、すさまじい地獄の業火に、焼き尽くされるかのようだ。

第2楽章。4分の5拍子の、優雅な舞曲。まるで、苦しい闘病生活からいったん開放され、「風を感じる喜び」を実感しながら、ダンスを踊っているようでもある。それでも、中間部のトリオには不安な影が付きまとい、心から楽しい気分にはなれない。

第3楽章。アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。全曲中、最も生き生きとした楽章で、スケルツォと行進曲が交互に繰り返される。クライマックスでの、落雷のようなティンパニ! あたかも、わずかに残された人生を精一杯生きたい、という作曲者チャイコフスキーの切実な願いが、指揮者マルケヴィッチに乗り移ったかのように、全身全霊の大熱演が展開されていく。

第4楽章。再び、悲しみのアダージョ。まるで、ガン再発の告知を受けたかのように、音楽は絶望のどん底へ沈んでゆく。時おり、果たされなかった現世の夢を振り返るように、美しい旋律が戻ってくるが、もはや救いにはならない。 やがて、不気味なコントラバスの和音とともに、音楽史上に残る「絶望のカタルシス」は、息絶えるように、幕を閉じるのである。



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3 コメント

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歴史に残る名曲 (sergei)
2007-02-28 17:35:37
奇しくもチャイコフスキーは美奈子さんと同じ命日なんですよね。チャイコフスキーの死も突然のことでみな驚き、当時自殺説まで流布したそうですね。"白鳥の歌"となった「悲愴」は死の予感を漂わせていますが、あまりの美しさに陶然としてしまいます。音楽史に燦然と輝く名曲ですね。
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人生最後の10ヶ月。 (ミナコヴィッチ)
2007-03-01 13:10:03
「悲愴」の作曲は1893年の2月頃から始められたということなので、美奈子さんの闘病期間と近いものがありますね。この曲の「夕陽の残照のような美しさ」は、おそらく、美奈子さんも闘病生活中に感じていた、かけがえのない日々の美しさなのかもしれません。
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Unknown (gkrsnama)
2019-04-29 18:57:55
雑誌にN響のこのシリーズが出てまして、でも評論家氏はこの盤は無視、ところが横にいたベテラン奏者が「指揮者の力がオーケストラを完全に上回る」と絶賛してました。

こないだ聞いたのですが、確かにものすごい演奏。集中力がすごいし、クライマックスの追い込みも。マルケヴィッチは魔術師とか言われてまして、他の指揮者がさらっと流してくるところで、びっくりするような音を出してくるなんてのもある。

悲愴は嫌いであまり聞きませんが、(だって終楽章があれですし、イメージがブルックナーの9番とかぶってまして、それならやっぱりブルックナーですかね。チャイコフスキーは前半とかマンフレッドは大好きなんですが。)こないだの飯森さんと札響はものすごかったけど、これもそうですね。
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