375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●LIVE体験記(6) ジャニス・イアン LIVE @SOPAC(South Orange Performing Arts Center)

2013年04月28日 | LIVE体験記

2013年4月20日(土曜日)、NJ州サウスオレンジ駅前の劇場SOPAC(South Orange Performing Arts Center)で行なわれたジャニス・イアンのコンサートを聴きに行った。このブログを以前から訪問されている方には聞き覚えのある劇場名かもしれない。そう、昨年3月、カントリー歌手パム・ティリスがコンサートを行なったのと同じ劇場である。

ジャニス・イアンはおそらく40歳以上の日本人には説明するまでもないシンガーソングライターであろう。1975年の秋に「17才の頃(At Seventeen)」が全米1位のヒットとなり、その曲が収められた『愛の回想録(Between The Lines)』もアルバムチャートで1位。一躍メジャーな存在となり、翌1976年のグラミー賞では最優秀女性ポップヴォーカル賞の栄誉に輝いた。それ以上に特筆すべきは日本での人気ぶりで、日本独自でシングルカットされた「冬の部屋(In The Witer)」は同時期に発売されたクイーンの代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」と洋楽1位を争うほどの大ヒット。そしてTVドラマ『グッドバイ・ママ』のテーマ曲に抜擢された「ラヴ・イズ・ブラインド(Love Is Blind)」は、なんとオリコン・シングルチャート3位の大ヒットを記録。ドラマチックな曲想、哀愁あふれるメロディラインはまさに日本人の感性に訴えるに十分なもので、日本の洋楽史において最上位にランクされる名曲として忘れられないものとなったのである。

そのジャニス・イアンが生で見られるということで、この日のライヴは先日の八代亜紀に勝るとも劣らない大イベントとなった。

入手したチケットは前から3列目で、願ってもない理想的な席。これがたったの35ドルなのだから信じられない。

やがて拍手とととも伝説の吟遊詩人、ジャニス・イアンが登場。今年62歳で白髪のおばさんにはなっていたが、表情は若々しい。
楽器はギター1本。バックミュージシャンによる伴奏はなく、完全な独演会である。

ギターの弾き語りで、1曲1曲を情感豊かに歌っていく。曲名は特定できないが、どれもアコースティックな魅力満点の佳曲ばかりだ。曲の合間に彼女自身の人生にまつわるおしゃべりがあり、それがアメリカ人には大受けで、場内は笑いの渦に包まれる。英語力が十分でないので細かいところまではわからないが、家庭内暴力やら、金銭トラブルやら、病気やら、さまざまな災難に見舞われてきた人生をすべて笑いのネタに変えてしまうところに天性のユーモアを感じさせる。これも一種の処世術かもしれない。

前半の部で9曲を披露。どこかで聴いたことがあるかな・・・と思える曲が1つだけあったが、それ以外は初めて聴く曲だった。おそらく今までに発売されたアルバムのどこかに収録されているのだろう。いわゆる「ヒット・パレード」というスタイルではなく、あえて現在の心情にマッチする曲だけを選んでプログラムを組んでいる感じである。それだけに、私小説的、室内楽的と形容される彼女らしい音楽性がよく出ているともいえるだろう。

休憩を挟んで後半の部、通算13曲目にしてようやく全米1位に輝いた代表曲「17才の頃」が登場。アコースティック・ジャズの名曲ともいえる懐かしいメロディを、若い頃と変わらない繊細な歌声で堪能することができた。アンコールではマイクなし、ギターなしの全くのアカペラで初期の名曲「我が心のジェシー(Jesse)」をしみじみと歌う。まさに万感の余韻を残して、伝説のライブは幕を下ろした。

さて、前回のパム・ティリスの時もそうだったのだが、コンサートが終わったらそれで終わりではなく、サイン会が行なわれた。ファンのひとりひとりと直接握手、そして言葉を交わす。まさか、あのジャニス・イアンに直接会えるとは・・・思いもかけない展開にドキドキしながら順番を待ち、やがて自分の順番が来ると「Nice to meet you」と挨拶。親日家の彼女が「お名前は?」と日本語で尋ねるので「○○です」と答えながら、もしもの場合のために用意しておいたCDアルバムの表紙にサインしてもらう。ついでに貴重な2ショットも。これで、またまた家宝が加わることになった。

今回のコンサートでは、歌声ももちろん素晴らしかったが、ある意味それ以上に印象的だったのが卓越したギター・テクニック。前半はエレキ風の黒いギター、後半はクラシカルな茶色のギターを使い分けており、アドリブ風なギター独奏の場面では場内の拍手喝采を浴びるほどの鮮やかな腕前を披露していた。血筋的には東欧系ユダヤ人。日本人に近い詩的な感性と器用な才能も、なるほど・・・と思わせるものがある。

個人的に唯一物足りなかったところがあるとすれば、「冬の部屋」と「ラヴ・イズ・ブラインド」が最後まで登場しなかったこと。アメリカでのライヴなので日本独自のヒット曲が採り上げられないのは仕方ないが、やはりこの2曲は生で聴いてみたかった。今後日本でライヴに巡り合う機会があったら(まず、なさそうだけど)、その時は再び会場に足を運びたいと思う。 


★ライヴの終了後はNJ州テレビ局のエンターテイメント番組のホストによるインタビューも行なわれた。


★ロビーで行なわれたサイン会でファンと交流する伝説の吟遊詩人。


★右がジャニス・イアンによる自叙伝『Society's Child』。左が本人のナレーション入りCD。

 
★ジャニス・イアンにサインをしてもらったベストアルバム『Souvenirs』のブックレット。

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●歌姫たちの名盤(13) 八代亜紀 『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST』

2013年04月08日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


八代亜紀 『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST
(2013年3月20日発売) COCP-37919 *オリジナル盤発売日:1998年1月21日

収録曲 01.オープニング(Instrumental) 02.雨の慕情 03.SING SING SING(Instrumental) 04.WHAT A LITTLE MOONLIGHT CAN DO(月光のいたずら) 05.EAST OF THE SUN(太陽の東の島で) 06.YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO 07.CRY ME A RIVER 08.なみだ恋 09.Mr. SOMETHING BLUE 10.荒城の月 11.舟唄 12.BEI MIR BIST DU SCHON(素敵なあなた) 13.愛の終着駅 14.花水仙 15.ほんね


3月27日に行なわれたニューヨーク・ジャズ・ライヴ以来、ちょっとした八代ブームが起きているようで、前回のライヴ体験記事は予想を上回るアクセス数を集めた。以前から不思議に思っていたのは、なぜ八代亜紀ほどの大歌手が10年以上も紅白歌合戦から遠ざかっているのか・・・ということなのだが(ヒット曲を出していないわけではない)、ここまで話題になれば、さすがに復帰させないわけにはいかなくなってくるのではなかろうか。

さて、先日のライヴはおもに『夜のアルバム』 からの選曲で、それに加えて現地在住の日本人のために「雨の慕情」と「舟唄」のジャズ・ヴァージョンも歌ってくれたのだが、実をいえば十分予想されたことだった。というのも、この2曲のジャズ・ヴァージョンは『夜のアルバム』に先立つ15年も前に、すでに別のアルバムで採り上げられていたからである。

それは日本コロムビアから発売された『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST』というアルバムで、1997年9月26日に原宿のクエストホールで行なわれた一夜限りのライブを収録したものである。当時はまだまだ八代亜紀=演歌というイメージが根強かったこともあり、珍しさはあってもロングセールスを記録するほどではなく、注文ベースで生産するオン・ディマンド盤という形でかろうじてカタログに残るという状態だった。

ところが『夜のアルバム』 のヒットによる八代人気再燃によって(こちらは日本コロムビアの了承を得てユニヴァーサルから発売されたアルバムなのだが)、本来の所属レコード会社である日本コロムビアもあわてて(なのかどうか)、「これこそが八代亜紀の原点となった正真正銘のジャズアルバムである!」という触れ込みで2013年3月になって正式に復刻再発売が実現するという運びとなった。結果的に、ファンにとっては喜ばしい成り行きだったといえるだろう。

このアルバムはMC付きの実況ライヴということもあって、実に楽しい。『夜のアルバム』もジャジーな雰囲気はなかなかいいのだが、ジャズ本来の即興性を期待するならば、むしろこちらのほうに軍配を上げたい気がする。参加メンバーも北村英治 (Clarinet) 、世良譲(Piano) 、ジョージ川口(Drums) 、水橋孝(Bass) という当代一流のジャズメンがそろっているのは強みだ。

オープニングは世良譲のピアノ・ソロでゆっくりと始まる。彼方から聴こえてくる旋律はショパンの「雨だれ」 。雨のしずくは次第に形が大きくなり、やがて八代亜紀のヴォーカルによる「雨の慕情」となる。待ってましたとばかりに場内の拍手。この導入部分からしてライヴならではの魅力満点である。

続いて八代亜紀によるMC、そして4人のジャズメンの紹介がある。ドラムス、ベース、ピアノ、クラリネットと指名されるごとにそれぞれのパートが「SING SING SING」の演奏を始め、アンサンブルが最高潮に達したタイミングで八代亜紀のヴォーカルによる「WHAT A LITTLE MOONLIGHT CAN DO(月光のいたずら)」につながっていく。いかにもタイトル通りの小粋でファンタスティックな名曲で、間奏部分で展開されるジャズメンの名技も聴きものだ。

ロマンティックなバラード「EAST OF THE SUN(太陽の東の島で)」のあとは、ニューヨーク・ライヴでヘレン・メリルとのデュエットが実現した不朽の名曲「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」。この曲が、ヘレン・メリルを意識しているはずの『夜のアルバム』に収録されていないのは不思議なのだが、それだけになおさら、こちらのアルバムの価値を引き上げることになる。この曲を歌い終わったあとの八代亜紀の興奮ぶりもすごい。

「ニューヨークのため息」の次は「東京のため息」ということで、お得意の「CRY ME A RIVER」。こちらの曲は『夜のアルバム』にも違うアレンジのスタジオ録音ヴァージョンが収録されているので、両者を聴き比べてみるのも一興であろう。

続いて八代亜紀のキャリア最初のヒット曲となった「なみだ恋」のジャズピアノによる伴奏付きヴァージョン。典型的な演歌の名曲が、ここでは3拍子の優雅なワルツに姿を変える。同じ曲でもこれだけ雰囲気が違うのだから、やはり編曲の役割りは大きい。ベースの伴奏のみで歌われる「Mr. SOMETHING BLUE」も実に小粋な味がある。

そして「荒城の月」。日本語のワン・コーラスが終わると、突然テンポを速め英語のフレーズに移行する。『夜のアルバム』に収録された「五木の子守唄~いそしぎ」に共通する和洋合一の世界だ。ここで「舟唄」のワン・コーラスをはさみ、プログラムの最後となる「BEI MIR BIST DU SCHON(素敵なあなた)」となる。八代亜紀とともに貴重な一夜を過ごしたすべての男性ファンに捧げるラヴ・ソングで、文字通り「素敵な紳士の音楽会」は幕を閉じるのである(その後、3曲ものアンコールがオマケについているが)。

これこそは八代亜紀+ジャズメンたちの絶妙の名技で、夜通しスウィングを楽しむことができる名盤といえるだろう。 

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●LIVE体験記(5) 八代亜紀 ニューヨーク・ジャズ・ライヴ @BIRDLAND

2013年04月01日 | LIVE体験記



3月27日(水曜日)、ニューヨークのジャズクラブ「BIRDLAND」にて、八代亜紀のジャズライヴを観る。
八代亜紀は30年前にアメリカ西海岸でのツアーは経験しているということだが、ニューヨークではこれが初舞台。
地元出身の伝説的なヴォーカリスト、ヘレン・メリルの登場も予定されている歴史的なイベントである。

実を言うと、昨年10月、自身初のジャズCD『夜のアルバム』(ライヴ盤『八代亜紀と素敵な紳士の音楽会』も含めると2枚目)が世界75ヶ国で発売された時、もしかしたら近い将来ニューヨーク公演があるかもしれない、という予感があった。なにしろニューヨークはジャズの本場でもあるし、もともとジャズ・シンガーとしてキャリアを出発した八代亜紀にとってはニューヨークのジャズクラブで歌うことが長年の夢であるに違いないと思っていたからである。

そして、その夢は思いがけない早さで実現することになった。今年の1月10日前後のウェブニュースで八代亜紀のニューヨーク公演が決定したというアナウンスがあり、2月下旬には「BIRDLAND」の公式サイトでチケットの発売も開始された。夜7時と9時30分の2ステージのうち、特別ゲスト、ヘレン・メリルが登場するのは7時のみということだったので、確実に観に行けるように有給休暇も取り、6時の開場時間から美味しい南部料理(クレオールのミートローフ)を楽しみながら、世紀のひとときを待った。

会場は8割くらいは現地在住の日本人だったが、外国人の顔も意外に多く見かけた。八代亜紀のファンというよりは、おそらくゲストのヘレン・メリルが目当てだったのであろう。

やがて開演時間となり、盛大な拍手に迎えられて、藍色のロングドレスに身を包んだ八代亜紀が登場。
ピアノ、ベース、ギター、ドラムスの伴奏がゆっくりと流れ、まずはお馴染みのヒット曲「雨の慕情」でライヴは始まった。
その瞬間、会場には懐かしい昭和50年代の空気が流れる。ニューヨークに来て長い年月を経た人たちの中には、日本といえばその時代のイメージで止まっている人も多い。かく言う筆者も似たようなもので、昭和が終わってからの日本は、もはや自分の慣れ親しんだ日本とは別の国のように思えるほどである。

続いて「FLY ME TO THE MOON」 、「再会」の2曲が終わったところでバンドの紹介。八代亜紀のMCは簡単なフレーズは英語で、少し長いセリフは同時通訳に任せているので、外国人にも十分楽しめそうである。

「ジャニー・ギター」 、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」のあと、ゲスト・ヴァイオリニストのレジーナ・カーターが登場。印象的なソロ・ヴァイオリンの絡む「枯葉」、さらにはゲストの男性ヴォーカリスト、カート・エリングが加わって「スウェイ」のデュエットとなる。この曲は途中から日本語の歌詞になるのだが、カートも負けじと流暢な日本語で歌いこなし、場内の喝采を浴びていた。

レジーナとカートが退場すると、いよいよ本日のもうひとりの主役であるヘレン・メリルが登場。
「ニューヨークのため息」とも呼ばれている伝説的なジャズ・シンガーである。

ヘレンの年齢には諸説があり、wikiによれば1930年7月21日生まれの82歳。しかし他のサイトでは1920年5月23日生まれの92歳という信じられない年齢で紹介されている。この年齢で他人の手を借りずに歩くことができるし、声もちゃんと出る。それどころかソロで歌った「Wild is The Winds」でのブレスの伸びを聞いた限りでは、心肺機能にも全く衰えは感じられず、このまま行けば100歳まで歌えるのではないか、とさえ思えてくるほどである。

そのヘレン・メリルと「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」と「五木の子守唄」をデュエット。
さすがに一緒に歌った八代亜紀も「夢のような1日です・・・」と感慨深げだった。

そしてライヴの最後を飾るのは、キャリア最大のヒット曲「舟唄」。
これは「ボートソング」ではなく、愛する人を残して海を旅する男の唄です、という八代亜紀のMC通り、堂々たる男のジャズ演歌となって、あの懐かしい昭和50年代の日本が再びよみがえった。

このあとアンコール2曲(1曲目は別れをテーマにした歌謡演歌。2曲目は「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」)で締めくくり、文字通り一期一会のライヴは幕を閉じた。少なくとも、ジャズと演歌は意外に親近性のある分野であることが実感できた貴重なライヴ体験となった。

浪曲師だった八代亜紀の父親は、こう言ったらしい。
浪曲にジャズの要素を加えたものが演歌であると。
 


★ライヴを前にして日系コミュニティーの地元紙に掲載されたインタビュー記事。


★演奏中の写真撮影は禁じられていたので、共同通信のニュース記事から拝借。


★こちらも共同通信ニュース記事の写真。年齢を感じさせないヘレン・メリル(左側)の歌唱。
もちろん、八代亜紀のほうも還暦を過ぎているとは思えない美貌である。 

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