375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

生誕42周年! 本田美奈子.『ETERNAL HARMONY』を聴く。

2009年07月31日 | 本田美奈子


本田美奈子.ETERNAL HARMONY (2008年11月6日発売)
COZQ325~6
収録曲 01.プロローグ 02.アメイジング・グレイス 03.白鳥 04.美しい夕暮れ 05.ニューシネマパラダイス 愛のテーマ 06.風のくちづけ 07.この素晴らしき世界 08.新世界 09.タイスの瞑想曲 10.エピローグ 11.アメイジング・グレイス (SPECIAL TRIBUTE TRACK Produced by Brian May)
DVD 01.美しい夕暮れ (ビデオクリップ) 02.ニューシネマパラダイス 愛のテーマ (録音風景)

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7月31日は歌姫・本田美奈子.の誕生日。1967年生まれなので、在命であれば今年で42歳になる。
振り返れば、2005年11月の逝去から3年8ヶ月。その突然の旅立ちが与えた衝撃は、個人的にも大きなものだったが、一般の人々に対しても、社会現象と言えるほどのインパクトがあった。

TV映像で連日のように流れるアメイジング・グレイスを聴いた時、多くの人たちは失った宝物の大きさを今更ながら気づき、惜別の思いを抱いたものである。もちろんTVの歌番組やCMなどによく登場していたアイドル時代は、同世代の誰もが覚えていたし、その後もミュージカル女優として活躍していたことも、比較的広く知られていた。しかし、クラシックのソプラノ歌手としてこれほどのレベルに到達していたとは…。よほど熱心に追いかけていたファン以外の人にとっては、驚き以外の何物でもなかったことだろう。

かく言う自分も、常に彼女ばかりを追いかけていたわけではなかった。なにしろ海外在住なので、コンサートにもなかなか行けない。情報も限られている。それ以前の問題として、音楽どころではない期間も長かったのである。

でも今は確信がある。逝去後ちょうど3年後に発売されたアルバムETERNAL HARMONYをあらためて聴いて、やはり生涯で出会った最高の歌手は、本田美奈子.をおいてほかにない、という思いを新たにした。

このアルバムは、2003年と2004年に発売された2つのクラシック・アルバムに収録されたトラックから8曲のヴォーカル部分のみを抽出し、ルネッサンス、バロック期の古楽を専門とする5人の男声コーラス(アンサンブル・エテルナ)と、ギターデュオ(松原正樹&今剛)による伴奏バックで新たに録音したリ・アレンジ版である。

プロデューサー・井上鑑作曲による男声合唱のプロローグに続いて、切れ目なく始まるアメイジング・グレイス」。その冒頭から、可憐で透き通るような歌声に引き込まれる。純粋に声の美しさのみを際立たせた絶妙のアレンジ。目をつぶって聴いていると、どこか欧州の大聖堂のただ中に連れて行かれたような感覚になる。続いてギターデュオの伴奏による白鳥」。息遣いと声の伸びが絶品で、すぐ目の前で歌っているようだ。

その後、男声コーラスを背景にした曲(美しい夕暮れ」、「風のくちづけ」、「新世界)、ギターデュオの伴奏による曲(ニューシネマパラダイス 愛のテーマ」、「この素晴らしき世界」、「タイスの瞑想曲)が交互に続き、最後はプロローグと同じく、プロデューサー・井上鑑作曲の男声コーラスによるエピローグでいったん幕を閉じる。

そして、最後のボーナストラックに収録された、もうひとつのアメイジング・グレイスこちらは生前の本田美奈子.と親交のあったクイーンのブライアン・メイによる特別アレンジである。お得意のロックギターによるギンギンの伴奏かと思いきや、そうではなく、あくまで主役の美しいヴォーカルを前面に浮き立たせる、東洋的でシンプルなアレンジだ。最後のワン・フレーズでは、ブライアン自らのヴォーカルがサポートする。ここにおいて、本田美奈子.とブライアン・メイという2大アーティストによる豪華デュエットが成立したのである。

彼女自身が言っているように、ソプラノ歌手としての本田美奈子.は「まだ一年生」。まさに出発したばかりだった。声学の専門家ではないのではっきりとは言えないが、あるいは技術的にまだ未熟なところがあるかもしれない。しかし、それだからこそ、成熟したソプラノ歌手にはない初々しさがあり、それが彼女の魅力の一つになっていることも確かだ。ちょうど、デビュー間もなく世を去った映画スター、ジェームズ・ディーンのように。

生きた本田美奈子.のライブは、もう聴くことはできない。しかし、残された録音と映像の中で、いつまでも生き続ける。そして、これからも新しいファンを生んでいくだろう。

銀幕のヒーロー、ヒロインに、「引退」の文字はないのである。

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名曲夜話(38) シベリウス 『クレルヴォ交響曲』

2009年07月22日 | 名曲夜話② 北欧編


シベリウス 『クレルヴォ交響曲』(作品7)
第1楽章 導入部 Allegro moderato
第2楽章 クレルヴォの青春
Grave
第3楽章 クレルヴォと妹 Allegro vivace
第4楽章 クレルヴォ戦場に行く Allegro molto-Vivace-Presto
第5楽章 クレルヴォの死 Andante
リリ・パーシキヴィ(メゾソプラノ)
ライモ・ラウッカ(バリトン)
ヘルシンキ大学男声合唱団
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 2000年 (BIS-CD-1215)
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LP時代からCD時代に移行する1980年代中盤は、それまでのクラシック音楽の人気曲が微妙に移り変わっていく時期だった。収録時間の関係で、LP時代にはどうしても2枚組になってしまったマーラーやブルックナーの交響曲が、CDでは1枚で収まるようになった。そうなると、今まであまり聴くことのなかった作品に接する機会が増え、人気も上昇し、コンサートでの演奏回数も増える、という好循環が生まれた。この録音メディアの変化が、1980年代の「マーラー・ルネッサンス」の背景にあった。

同じ例が、シベリウスの作品にも当てはまる。番号付きの7曲の交響曲以前に書かれたクレルヴォ交響曲がそれだ。この作品は、祖国フィンランドに伝わる民俗叙事詩『カレワラ』に登場する英雄クレルヴォの物語を題材にした5楽章の合唱付き交響作品で、全曲を演奏すると優に80分近くになってしまう。パーヴォ・ベルクルンドが初の全曲レコーディングを行なったのは1970年だったが、その当時は、まだほとんど知られていない作品だった。録音が増えてきたのは、CD時代に移行した1980年代中盤になってからの話である。

ここに紹介するヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団の演奏が発売されたのは21世紀になってから。実はこのCDが出るまで、自分はこの曲をまともに聴いていなかった。シベリウス特有の透徹した音楽がまだ確立していないという先入観があったし、今聴いても、多分に手直しの余地がありそうな気がする。実際、シベリウス自身が、1892年の初演からほどなく、この曲を未熟なものとして封印しているのである。あるいは、いずれ改訂しようと思いつつ忘れてしまったのかもしれない。

個人的には、初期の習作的な作品として、割り切って聴いている。とは言っても、決してつまらない音楽ではない。これはこれで、若書き特有の魅力があるように思えるし、後期の傑作群と比較しさえしなければ、それなりに聴きどころのある佳作と言えるのではないだろうか。

第1楽章導入部は、ソナタ形式で書かれた長大なプロローグ。シベリウスがウィーン留学中に聴いたブルックナーの交響曲を思わせる響きが、随所に垣間見えるところが興味深い。

第2楽章クレルヴォの青春は、一族の争いによって、家族と生き別れになったクレルヴォの数奇な生い立ちを背景にしている。まるで暗い森に迷い込んだような音楽。クレルヴォは両親と再会するが、彼の妹は依然として行方不明になっていることを知らされる。

第3楽章クレルヴォと妹は、全曲の中心的な部分。クレルヴォは美しい乙女と出会い、関係を持ってしまうが、お互いの身の上を語り合ったところで、2人が生き別れの兄妹だったことが判明。妹は入水自殺し、クレルヴォも自殺を考えるが母親に制止され、家族に不幸をもたらした仇敵への復讐を思い立つ。男女の独唱と男声合唱が、クレルヴォの恋愛の喜びと、急転直下で訪れた悲劇を歌う。

第4楽章クレルヴォ戦場に行くは、管弦楽のみによる闘いの音楽。

第5楽章クレルヴォの死では、復讐を果たしたクレルヴォが良心の呵責に耐えきれず、結局は死を選んでいく様子が、男声合唱によって厳かに歌われる。

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名曲夜話(37) シベリウス ヴァイオリン協奏曲 -初稿版&最終版-

2009年07月13日 | 名曲夜話② 北欧編


シベリウス ヴァイオリン協奏曲 -Original version & Final version-
ヴァイオリン協奏曲ニ短調(作品47)~初稿版(1903/04)《世界初録音》
1.Allegro moderato 2. Adagio di molto 3. Allegro (ma non tanto) 
ヴァイオリン協奏曲ニ短調(作品47)~最終版(1905)
1.Allegro moderato 2.Adagio di molto  3.Allegro, ma non tanto
レオニダス・カヴァコス(ヴァイオリン)
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 1990年[Final version]、1991年[Original version] (BIS-CD-500)
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ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、チャイコフスキーなどとともに、ロマン派ヴァイオリン協奏曲の傑作として名高いシベリウスのヴァイオリン協奏曲

初めて聴いたのはチョン・キョンファの独奏、プレヴィン指揮/ロンドン交響楽団のCDだったが、それ以来、自分はこの曲の虜になった。文字通り、毎日のように聴いていた時期もある。特に第1楽章を聴くたびに、他の作曲家のヴァイオリン協奏曲に比べて、霊的な深みが一段階違うような気がした。もちろん、チョン・キョンファの演奏がそれだけ素晴らしかったというのもあるだろう。でも、ほかのヴァイオリニストで聴いても、この曲が一歩飛び抜けた傑作であるという結論が変わることはない。少なくとも、ベートーヴェンのそれよりは、遥かに密度が濃い傑作のように思える。

むしろ密度の濃さでシベリウスのヴァイオリン協奏曲に太刀打ちできるとすれば、ブラームスだろう。事実、シベリウスは自身の作品の初稿版を1904年に初演した翌年、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を初めて聴くことになるのだが、そのあまりの完成度に衝撃を受けたのである。

シベリウスは早速、よりシンフォニックな響きを求め、一度演奏したヴァイオリン協奏曲の大改訂に着手した。その結果、現在われわれが耳にする、まさに一部の隙もないような傑作に生まれ変わったのである。

最終版の完成後、シベリウスは初稿版の演奏を禁止し、そのまま封印された形になった。しかし、初演から87年後の1991年、遺族の許可のもと、レオニダス・カヴァコスの独奏、オスモ・ヴァンスカ指揮/ラハティ交響楽団の演奏で、世界初の初稿版による演奏が行われたのである。

ここに紹介したCDは、初稿版と最終版を組み合わせた録音という点で、とりわけ資料的価値の高いものだ。この2つの版を聴き比べると、シベリウスの徹底した推敲ぶりを垣間見ることができて興味深い。もちろん一度封印した「未熟品」が公になるのは作曲者の本意ではないので、あくまで参考資料として聴いたほうがいいと思うが、やはりブラームスに負けない作品を目指しただけあって、オーケストレーションの充実度がまるで違う。

特に第1楽章Allegro moderatoはとりわけ大きな改訂が施されており、演奏時間も3分近く(19分28秒→16分47秒)短縮されている。初稿版はソロの名技に重点を置く構成だったため、やや冗長なところがあったが、最終版では、ソロとオーケストラが見事に渾然一体となり、比類のない凝縮した深みを与えることに成功した。
第2楽章Adagio di moltoに関しては演奏時間も大差なく(9分58秒→10分02秒)、根本的な改訂箇所は少ない。
第3楽章Allegro ma non tantoは2分ほど短縮され(9分34秒→7分40秒)、初稿版に比べるとモチーフの展開がストレートになり、一段と凝縮度が高まった。

シベリウスの残した協奏曲は、生涯にこの一曲のみ。その唯一の協奏曲が、音楽史上まれにみる傑作に仕上がった。若い頃、彼はヴァイオリニストを目指しており、ウィーンフィルのオーディションまで受けたものの、極度のあがり症のため断念したのは有名な話。だがこの曲を聴いてみると、そんなシャイな人間だからこそ、魂の内向性をここまで徹底的に表現することができたのでは、と思えてくる。

芸術家は、時には自閉症の一歩手前に陥ることも、必要なのかもしれない。

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名曲夜話(36) シベリウス 交響詩『エン・サガ』、『ポヒョラの娘』、『夜の騎行と日の出』

2009年07月07日 | 名曲夜話② 北欧編

シベリウス 交響詩集
1.エン・サガ(作品9) 2.森の精(作品45 No.1) 3.ダンス・インテルメッツォ(作品45 No.2) 4.ポヒョラの娘(作品49) 5.夜の騎行と日の出(作品55) 6.吟遊詩人(作品64) 7.波の乙女(作品73) 
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 2000年[1-4, 6-7], 2001年[5] (BIS-CD-1225)
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シベリウスの交響詩と言えば、一般的に最も有名なのはフィンランディア(作品26)であろう。某放送局の名曲アルバムでも取り上げられているので、クラシック音楽に関心のない人にもポピュラリティが高く、あたかもシベリウスの代表作であるかのように思われている曲だ。

シベリウスが作曲活動を始めた19世紀末のフィンランドは、事実上ロシアの支配下にあり、独立を望む国民運動が高まりを見せていた。血気盛んな青年だったシベリウスは、自作の愛国劇の付随音楽から一部を独立させ、壮大な管弦楽曲を発表。それが交響詩『フィンランディア』だった。

重苦しい導入部から、苦難に立ち向かうような力強いテーマが登場し、第2の国歌にもなった有名な旋律を経て、勝利のマーチで幕を閉じる。まるでベートーヴェン第五のような、わかりやすい構成。愛国心を鼓舞させるツボにハマった名曲には違いないのだが、何度も聴いていると、耳にタコができる。実際の話、シベリウスの交響詩ならば、ほかに味わい深い名作がいくつもあるので、今回はそちらのほうを紹介してみたい。

ヴァンスカ/ラハティ交響楽団が2001年に発表したシベリウスの交響詩集には、7曲が収録されている。この中で比較的作品の規模が大きく、充実した音楽を楽しめるベスト3はエン・サガ』、『ポヒョラの娘』、『夜の騎行と日の出になるだろう。

エン・サガが作曲されたのは1892年。シベリウスのデビュー曲『クレルヴォ交響曲』を聴いて感銘したフィンランドの指揮者ロベルト・カヤヌスの委嘱を受けて書かれたものだ。当時作曲者は27歳。後期のような円熟ぶりには及ばないものの、いかにも意欲のほとばしった若書きの力作である。

曲はいかにも昔話を語りかけているような旋律で始まり、時おり襲いかかってくる嵐のような響きが、壮大な叙事詩の存在を思い起こさせる。しかし最後まで物語の本編に突入することはない。あくまでプロローグの音楽に過ぎないのだ。

そして、名曲の誉れ高いポヒョラの娘。シベリウスが40代を迎えたばかりの作品。背景にある物語は、フィンランド版「竹取物語」とも言える内容である。

主人公の吟遊詩人は、北の国ポヒョラを訪れた時、まばゆい虹に腰かけた美しい乙女と出会う。あまりの美しさに心奪われ、乙女に求愛した吟遊詩人に対して、乙女は3つの難題を示し、それが果たせたなら望みを叶えましょうと約束する。しかし結局、3つ目の難題「小さな糸巻き棒から船を造る」ことに失敗。傷心の吟遊詩人は、ひとり寂しく去っていくことになる。

音楽は北の国ポヒョラの描写、美しい娘の姿と吟遊詩人との語らい、最後の失意の様子などを、情感豊かに描いてゆく。その奥行きの深い音のつづれ織りは、何度聴いてもあきることがないほどだ。

夜の騎行と日の出も、不思議な魅力にあふれた音楽。特定の物語を描いているわけではないのだが、曲の前半に延々と続く寂しげなリズムは、いかにも夜の道を駆けて行く騎士の胸の内を表わすように聴こえるし、後半に現われる日の出の描写は、あの交響曲第5番の素晴らしい日の出の情景を予見するかのようだ。

これら3曲以外では、『吟遊詩人波の乙女も、それぞれに聴きどころのある佳作。特に後者に聴く海の描写には、生まれて初めての大西洋横断を目前にしたシベリウスの期待と不安が入り混じっており、クライマックスで襲いかかる暗いうねりは、巨大な豪華客船タイタニックを沈没させるほどの迫力がある。

名曲夜話(35) シベリウス 交響曲第6番、第7番、交響詩『タピオラ』

2009年07月03日 | 名曲夜話② 北欧編


シベリウス 交響曲第6番ニ短調(作品104)、第7番ハ長調(作品105)、交響詩タピオラ(作品112)
オスモ・ヴァンスカ指揮 ラハティ交響楽団
録音: 1997年(BIS-CD-864)
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素晴らしい音楽を言葉で説明するのは至難の業、とシベリウスの後期の交響曲を聴くたびに思う。特に最高傑作の第6番第7番ともなると、とても日常的な言葉では追いつかない。前作の第5番をさらに深化させた大自然の神秘。いや神秘以上の何者かが、ここには宿っている。

前回に引き続き、ヴァンスカ指揮/ラハティ交響楽団のディスクを紹介してみよう。第6番、第7番のほかに、交響詩タピオラを加えた最晩年の傑作3曲が1枚で聴けるという組み合わせも有難い。シベリウスはこれらの傑作を生み出してから、亡くなるまでの約30年間、ほとんど目ぼしい作品を残さず、「謎の沈黙」と言われているのは有名な話だ。

しかし、この3曲を聴いてみれば、「謎」への回答は自ずと明らかだと思う。シベリウス自身にさえ、これ以上の作品は書けなかったのだ。行き着くところまで、行ってしまっている。似たような作品ならいくらでも書けたかもしれないが、自己に厳しいシベリウスは、巷の流行作曲家によく見られるようなヴァリエーションの繰り返しに陥ることを許さなかったのだろう。

書き残す作品はすべて、唯一無二のオリジナリティがなければならない。その信念を守り通すことによって、シベリウスの交響曲は打率10割の高い芸術アヴェレージを維持することができたのである。

1923年に完成された、交響曲第6番。あえて言葉でイメージするとしたら、北極圏を踏み越えていく音楽。第1楽章、2分余りの導入部に続くアレグロ・モルト・モデラートの主部は、あたかもロヴァニエミ郊外の雪の深い道を、サンタクロースの橇に乗せられて疾走していくような爽快さがある。そして、終結近くのティンパニの一撃。忽然と吹雪の中に消えていくような終わり方も、印象的だ。

寂寥感あふれる第2楽章アレグレット・モデラート、斬新で荒々しい第3楽章ポコ・ヴィヴァーチェを経て、クライマックスの第4楽章アレグロ・モルト。音楽の流れがほとんど断ち切られることなく、一気に結末に向かっていく構成の見事さは、筆舌に尽くしがたいほど。ドイツ系の伝統的な交響曲を遥かに凌駕する、前人未到の完成度といえよう。

そして1924年に完成された、交響曲第7番。ここでは、もはや楽章の概念すらも超越し、1個の小宇宙とも呼べる領域にたどり着いた。あえて言えば交響曲以上の音楽。シベリウス自身、もともと従来の交響曲として構想していたわけではなかった、といわれる。

曲想も、この世の情景描写はすでに超越している。楽園と呼ぶべきか、天国と呼ぶべきかわからないが、少なくとも現世では部分的にしか垣間見ることのできない別世界を、ついに目の当たりにしてしまったような驚き。カトリック教会用語で言うところの「ベアテフィック・ヴィジョン(至福直観)」に出会ったような音楽。ともかく、普通に生活していたのでは、到底得ることができないような霊感にあふれている。

あまりにも超越しているがゆえに、第5番、第6番に比べると、個人的にはまだまだ親しみきれていないところもあるのだが、この曲がシベリウスの音楽的総決算であり、究極の作品であることは間違いないだろう。もしかすると、この世の人生が終わる頃になって、ようやく第7番の真の素晴らしさがわかるのかもしれない。

最後に収められた交響詩タピオラは、1925年の作品。文字通り、最後の傑作であり、シベリウスが若い頃から取り組んできた一連の交響詩シリーズの大トリに相当するものだ。

「タピオラ」とは叙事詩カレワラに登場する森の神タピオの領土という意味だが、内容的にはシベリウス版神々の黄昏みたいな趣きがあり、神秘的な森のテーマが繰り返される前半部から、破滅的なクライマックスに至るまで、異様な迫力にあふれている。決して長い曲ではないのに、まるで大交響曲を聴いているような充実感。これほど密度の高い音楽も、そうざらにあるものではないだろう。