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375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

名曲夜話(20) グリエール バレエ組曲『赤いけしの花』

2007年03月28日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編

グリエール 交響曲第2番+バレエ組曲『赤いけしの花』
交響曲第2番ハ短調(作品25)
バレエ組曲『赤いけしの花』(作品70)
1.苦力(クーリー)の英雄的な踊り
2.情景と金の指の踊り
3.中国人の踊り
4.不死鳥
5.ワルツ
6.ソヴィエト水夫の踊り
ズデニェク・マーツァル指揮 ニュージャージー交響楽団
録音: 1995年 (DELOS DE 3178)
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20世紀初頭に勃発したロシア革命の嵐は、同時期の多くの音楽家を亡命に追いやったが、グリエールは例外的に、革命後の「ソ連」に残る道を選び、政府お気に入りの作曲家としてサヴァイヴァルを遂げた。社会主義リアリズムの模範的作曲家としての評価を得ながらも、19世紀の伝統に基づく自己のアイデンティティを失わなかった彼の作風は、真に稀有のものであり、現在のマイナーな位置よりも、もっと高い評価をされてしかるべき大作曲家である。

そのグリエールのソ連時代の作品で、最も広く知られているものは、1927年に初演された、バレエ音楽『赤いけしの花』であろう。華麗なオーケストレーションで奏される異国情緒満点の音楽は、理屈抜きの愉しさがあり、一度聴いただけで虜になってしまう。時おり、フィギュアスケートの伴奏音楽として用いられることもあり、近い将来、スタンダード曲としての名声を得る可能性は十分にあるだろう。

バレエのストーリーは、中国の港を舞台に、ソ連船の船長と酒場で働く少女との恋物語を中心として、ソ連の船員と中国の労働者の連帯が描かれるという、体制賛美の内容である。革命後のグリエールは、以前のような国民学派的要素は希薄になったが、その代わりにウズベク、アゼルバイジャンなどの中央アジアの民俗音楽を活用し、オリエンタリズムの味付けが強くなった。この『赤いけしの花』では、中国風の旋律が多く用いられている。

バレエは、全曲演奏すると3幕8場の長大なものになるが、通常のコンサートピースとしては、全曲から抜粋した6曲の組曲で演奏される。

第1曲 苦力(クーリー)の英雄的な踊り
ハチャトゥリアンを先取りするような、野性味あふれるリズムが炸裂する舞曲。2分50秒すぎにちょこっと登場する中国風のモチーフが可愛らしい。
第2曲 情景と金の指の踊り
グラズノフ「四季」風の幻想的なオープニングから、大河のようなアダージョへの展開は感動的。個人的には、この部分が全曲中の白眉。
第3曲 中国人の踊り
中国風オリエンタリズムの魅力がいっぱいの、華麗な舞曲。
第4曲 不死鳥
ヴァイオリンのソロを中心とした、郷愁に満ちたロマンの歌。
第5曲 ワルツ
チャイコフスキー、グラズノフの伝統を受け継ぐ、優美なロシアン・ワルツ。
第6曲 ソヴィエト水夫の踊り(ロシア水兵の踊り)
力強いブラスのサウンドを背景に、革命歌「ヤーブロチコ(小さなリンゴ)」が何度も変奏される。全曲中最も有名な部分で、ここだけが独立して演奏されることも多い。

CDは、現在のところ唯一所有しているチェコの名指揮者ズデニェク・マーツァルの演奏が素晴らしく、色彩豊かな民族的旋律美を十二分に堪能できる。

このCDの前半には、革命以前の1907年に完成した交響曲第2番も収録されているが、こちらも民族色にあふれた佳作。第1楽章冒頭の勇壮な主題から、すでに広大なロシアの大地が眼前に開けてくる。第3楽章の深々としたロシアン・アダージョも、なかなか味が濃い。
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名曲夜話(19) グリエール 交響曲第3番『イリヤ・ムロメッツ』

2007年03月25日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


グリエール 交響曲第3番『イリヤ・ムロメッツ』+チェロ協奏曲
交響曲第3番『イリヤ・ムロメッツ』(作品42)
1.さまよえる巡礼者たち~イリヤ・ムロメッツとスヴャトゴール
2.山賊ソロヴェイ
3.ヴラディミール公の宮殿での祝宴
4.武勇伝とイリヤ・ムロメッツの石化
チェロ協奏曲(作品87)
ハロルド・ファーバーマン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音: 1978年[イリヤ・ムロメッツ]、1986年[チェロ協奏曲] (Regis RRC 2068)
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レインゴリト・モリツォーヴィッチ・グリエール(1875.1.11-1956.6.23)。「グリエール」というのは、ロシア人らしからぬ姓だが、父親はドイツ出身の楽器職人で、もともとは、ドイツ語の「Glier(グリーア)」に由来するとのこと。グリエール本人はウクライナのキエフ生まれで、ラフマニノフ(1873年生まれ)、スクリャービン(1872年生まれ)と同世代になる。

グリエールらの世代は、本来ならば、ロシア国民学派第3世代に相当するが、すでに彼らが成人する1890年代には、ドイツ後期ロマン派やドビュッシーの印象派音楽の影響が、ロシアにも波及し始めており、民族主義的な方向性は、もはや主流ではなくなっていた。グリエールの作品にも、ロマン派や印象派の影響は見られるが、同世代の作曲家の中では、最も民族色の濃い作風を維持しており、帝政ロシアの伝統を伝える最後の大作曲家として、革命後のソ連においても、引き続き独自の個性を発展させていくのである。

そのグリエールの、帝政ロシア時代での最後を飾る大作が、12世紀から伝わるロシアの伝説的英雄譚を題材にした、交響曲第3番『イリヤ・ムロメッツ』である。標題のついた4つの楽章から成る一大叙事詩で、演奏時間は、1978年にデジタル録音初のノーカット全曲演奏を行なったハロルド・ファーバーマン指揮の演奏で聴くと、なんと1時間33分。マーラーの交響曲にも匹敵する、ギネスブック級の大シンフォニーだ。

第1楽章 さまよえる巡礼者たち~イリヤ・ムロメッツとスヴャトゴール
農家で生まれたイリヤ・ムロメッツは、生まれつき手足が動かず、30歳まで家から出ることがなかった。音楽は、不動のイリヤを表わすかのような、荘重なオープニングで始まる。

ある日、2人の巡礼者がイリヤの家を訪れる。巡礼者たちは、イリヤを立ち上がらせ、これからの人生をロシア正教のため、国を乱す者と戦うため、弱者を助けるために生きることを約束させた。旅立ちの決意に満ちた、勇壮なイリヤのテーマがホルンで奏される。

イリヤは馬に乗り、キエフの都を目指して旅立つ。このあたりの描写は、典型的なロシア国民学派の手法。その途中、巨人スヴャトゴールと出会うエピソードがあり、2人は兄弟の契りを交わして、旅を続ける。しかし、スヴャトゴールは、巨大な棺に捕らえられて、最期を遂げる。この時、スヴャトゴールの身体から命の泡があふれ出し、この泡を身にまとったイリヤは、スヴャトゴールの力と勇気をも受け継いでいく

第2楽章 山賊ソロヴェイ
人々に恐れられていた山賊ソロヴェイの潜む森。不気味な雰囲気が、印象派風の手法によって描かれる。3人の魔女を使って、人間たちを誘惑し、彼らを殺して金品を奪うのが、ソロヴェイの手口であるが、イリヤ・ムロメッツが近づいてくるのを知ったソロヴェイは、さっそく魔女たちをイリヤに差し向ける。金銀の財宝を餌に、イリヤを誘惑する魔女たち。ワーグナー風の官能的な音楽に、思わず陶酔しそうになる。

しかし、誘惑に打ち克ったイリヤは、ソロヴェイの目を射抜き、彼を捕らえたままキエフの都へ連行する

第3楽章 ヴラディミール公の宮殿での祝宴
キエフに着くと、イリヤは「太陽公」ヴラディミールに迎えられる。交響曲のスケルツォ楽章に相当するが、ここだけは、わずか8分の演奏時間でまとめられている。祝宴の華やかさにあふれた、陽気な音楽。途中、一度不気味な雰囲気になるが、ここは、連行してきた山賊ソロヴェイが最後の抵抗を試みる部分。しかし、イリヤはソロヴェイの首を斬り、ヴラディミール公と一緒のテーブルにつく栄誉を与えられる。

第4楽章 武勇伝とイリヤ・ムロメッツの石化
ある日、タタール人の大軍がキエフを襲う。イリヤと勇士たちは、激戦の末、見事タタール人を打ち破るが、味方のひとりが、「たとえ天軍が押し寄せようとも我らには敵うまい」と、慢心の言葉を吐いた。すると敵軍の死者たちが起き上がり、5倍の数になって襲いかかってきた。敵は、斬られれば斬られるほど、さらに数を増していく。イリヤはこれこそ天軍だと悟り、悔い改めの祈りを捧げると、天軍は地に倒れ伏し、イリヤと勇者たちは、石像と化していった

タタール人との戦いを描く、激烈な音楽は、全曲中でも屈指の聴きどころの一つ。しかしフィナーレの後半は、次第に悲劇的な色合いを深めていく。最後は、石化してゆく英雄たちへの鎮魂歌のように、ロシア聖歌風のテーマが厳かに奏され、終焉を迎えるのである。


名曲夜話(18) リャードフ作品集 『8つのロシア民謡』ほか

2007年03月19日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編

リャードフ 管弦楽作品集
1.ファンファーレ第1番 2.ファンファーレ第2番 3.ファンファーレ第3番 
4.ポロネーズ
(作品49) 5.交響詩『魔法にかけられた湖』(作品62) 6.交響詩『ババ・ヤガー』(作品56) 7.交響詩『キキモラ』(作品63) 8.バラード『古き時代より』(作品21b) 9.音楽玉手箱(作品32)
10.管弦楽曲集『8つのロシア民謡』(作品58) 
宗教的な歌 ②クリスマス・キャロル ③のびのびと歌う歌 ④おどけた歌 ⑤鳥たちの伝説 ⑥子守唄 ⑦踊りの歌 村人の踊り
11.ポロネーズ
(作品50)
エンリケ・バティス指揮 メキシコ州立交響楽団
録音: 1998年 (ASV CD DCA 657)
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今回登場の作曲家は、アントーリ・コンスタンティノヴィッチ・リャードフ(1855.5.11-1914.8.28)。ロシア国民学派第2世代の作曲家の1人であるが、他の作曲家のように、交響曲や歌劇などの大規模な作品は残さず、ロシアの民話やおとぎ話を題材にした、オーケストラ小品や、ピアノ曲のみによって知られている。

作品の数は、極めて少ない。全曲録音してもCD1枚に収まってしまうほどである。作品が少ない原因として、一説には、生来の怠け癖があったと言われる。ペテルスブルク音楽院では、リムスキー=コルサコフの作曲科に籍を置いていたが、欠席が多く、一度除籍されたらしい。ただ、父親や叔父もプロの音楽家ということもあり、その血筋から、人並みはずれた才能を持っていたことは間違いがなく、ムソルグスキーに高い評価を受けたのをきっかけとして、「ロシア5人組」と関係を持つようになった。

のちには、自らペテルスブルク音楽院で教えるようになり、その門下にはプロコフィエフ、ミャスコフスキーらがいる。また、リャードフは画才にも優れており、漫画や幻想的な絵を描いては、友人たちを驚嘆させたらしい。実際、彼の管弦楽作品を聴くと、恩師リムスキー=コルサコフを彷彿とさせる色彩的なオーケストレーションと共に、その絵画的なイメージの豊かさに驚かされるのである。

リャードフのCDは、以前スヴェトラーノフの演奏が出ていたはずだが、見かけなくなってしまった(それとも、あれはLPだったか。ちょっと記憶があやしい)。その代わり、別の指揮者で、手頃なCDが出ている。メキシコの熱血指揮者エンリケ・バティス率いる、メキシコ州立交響楽団による演奏である。

このリャードフの作品集は、演奏時間が1分にも満たない3つのファンファーレで幕を明ける。3つとも、何かの祝典の際に作曲されたらしい。その後に、リムスキー=コルサコフの作品によく似たポロネーズ(作品49)が続く。これは、1899年に行なわれた、詩人プーシキンの追悼演奏会で披露されたものだという。

ここからが、リャードフの代表作として名高い、3大交響詩の登場となる。『魔法にかけられた湖』は、印象派風に刻々と変化する、神秘的な情景描写が魅力。『ババ・ヤガー』は、ムソルグスキーの『展覧会の絵』にも出てくる、魔法使いの妖婆。森の中を気ぜわしく活動する様子が、色彩豊かなオーケストレーションで、ダイナミックに描かれる。『キキモラ』も、ロシアの民話に出てくる魔女で、一日中、口笛を吹きながら邪悪な考えにふけっているという。曲は不気味な雰囲気のアダージョに始まり、徐々に劇的で変化に富んだ展開を見せる。この『キキモラ』が、リャードフの最大規模の作品になるが、それでも、演奏時間は8分30秒程度である。

これらの交響詩に続く、『古き時代より』というタイトルのついたバラードと、『音楽玉手箱』(!)は、どちらも、ピアノ曲のオリジナルを、管弦楽曲に編曲したヴァージョン。特に、当ブログのタイトル名にもなった『音楽玉手箱』は、わずか1分30秒のオルゴール風小品であるが、フルートで奏される軽快なメロディを聴いているだけで幸せな気分になってくる。可愛い女の子へのプレゼントにしたくなるような、チャーミングな名作だ。

CDの後半は、管弦楽曲集『8つのロシア民謡』。リャードフは、ロシア各地の民謡を200曲以上収集していたが、その編曲の成果として生み出された集大成である。短いもので1分。長くても3分に満たない小品集で、親しみやすいメロディに聴きほれているうちに、あっという間に終わってしまう。クラシック音楽を敬遠している人で、演奏時間の「長さ」を問題にしている人がいるとしたら、そういう人には、このリャードフの作品集を聴かせてみたらいいかもしれない。きっと、考えが変わるだろう。

CDの最後は、1902年に、ピアニストだったアントン・ルビンシュタインの彫像の除幕式に演奏された、もうひとつのポロネーズ(作品50)で、幕を閉じる。

メキシコ州立交響楽団の演奏は、開放的で明るい響きが、リャードフの色彩感豊かなオーケストレーションと相性がよく、愉しさ満点だ。ドイツ・オーストリア系の「王道クラシック」とは対極の世界であるが、このような音のファンタジーに徹した世界も、クラシック音楽を聴く醍醐味の一つなのである。

名曲夜話(17) アレンスキー ピアノ三重奏曲第1番、第2番 

2007年03月17日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編

アレンスキー ピアノ三重奏曲第1番ニ短調(作品32)、第2番ヘ短調(作品73)
ボロディン・トリオ
録音: 1986年[第1番]、1990年[第2番] (CHANDOS CHAN 10184X)
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今回紹介する作品は、アレンスキーのピアノ三重奏曲第1番と第2番。特に第1番は、ロシアの室内楽曲の中でも屈指の名作として知られている。

アントン・ステパノヴィッチ・アレンスキー(1861.7.12-1906.2.25)。世代的には、リャードフ(1855年生まれ)、タネーエフ(1856年生まれ)、イッポリトフ=イヴァノフ(1859年生まれ)、グラズノフ(1865年生まれ)、カリンニコフ(1866年生まれ)などに近く、いわば、「国民学派第2世代」を形成している作曲家の1人である。

アレンスキーは、最初ペテルスブルグ音楽院で、リムスキー=コルサコフに作曲を学んだが、卒業後は、モスクワ音楽院の教授となり、音楽理論と作曲を教えるようになった。その門下からは、ラフマニノフ(1873年生まれ)、グリエール(1875年生まれ)などの、「国民学派第3世代」の作曲家を輩出している。

アレンスキーの作風を一言でいえば、チャイコフスキーロシア5人組の持つ叙情性を、極限まで推し進めたもの、ということになろう。まるで、自分自身の音楽に酔いしれるかのように、メランコリックな旋律が、いつ果てるともなく続いていく。同世代のタネーエフが、構築性を重んじる「硬派」の代表とすれば、アレンスキーは、あくまで陶酔的なメロディに重きを置く「軟派」(と言っては失礼かもしれないが)の代表と言えようか。

アレンスキーの全作品中、最も有名な、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのピアノ三重奏曲第1番ニ短調(作品32)は、1894年、作曲者33歳の年に出版された。

第1楽章アレグロ・モデラート。冒頭、ヴァイオリンで奏される憂いを帯びた旋律が、ピアノに受け渡される部分から、まるで魔法にかかったような気分になる。室内楽でありながら、交響曲に匹敵する充実感を味わえる、味の濃い楽章だ。

第2楽章は、テンポの速い、飛び跳ねるようなワルツ風スケルツォ。第3楽章は、一転して、物思いに沈むようなエレジー(悲歌)となり、どこかで聴いたことのある、心のこもった名旋律が登場する。第4楽章フィナーレでは、冒頭の憂いを帯びた旋律が再現され、起伏に富んだドラマを聴かせつつ、感動的に幕を閉じる。

もうひとつの、ピアノ三重奏曲第2番ヘ短調(作品73)は、1905年、作曲者の死の前年に完成された。アレンスキーは、ムソルグスキーやグラズノフと同様、晩年は酒に溺れた生活に傾斜したこともあって、わずか44歳で世を去っているが、この第2番は、迫り来る死をどこかで予期しているような、厭世的な気分に彩られている。特に、第1楽章アレグロ・モデラートの中で、時おり聴こえるチェロのつぶやきは、あたかも死神の呼び声のようでもある。その一方では、旋律は相変わらず美しく、まるで「酔いながら書いている」かのようだ。

第2楽章ロマンツェは、ショパンの夜想曲を思わせる、ピアノのソロが印象的。この世への別れを惜しむような、しみじみと心に訴える名品だ。第3楽章スケルツォは、子供と戯れるような陽気な音楽だが、トリオの部分はテンポが遅くなり、後ろ髪を引かれるような、寂しい感情が影を落とす。第4楽章は、ピアノのソロで始まる変奏曲。アレンスキー自身の人生を振り返るような、なつかしさにあふれた名旋律が連続する。

CDは、第1番第2番をカップリングにしたボロディン・トリオの演奏が、現在唯一所有しているもので、今のところは、これで満足している。そのうち、機会があれば、他の演奏とも聴き比べてみたいと思う。

名曲夜話(16) タネーエフ 『オレステイア』序曲、交響曲第4番

2007年03月13日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編

タネーエフ 歌劇『オレステイア』より「序曲」、交響曲第4番ハ短調(作品12)
ネーメ・ヤルヴィ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
録音: 1990年 (Chandos CHAN 8953)
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ラフマニノフが、自作の交響曲第2番を、モスクワ音楽院時代の恩師タネーエフに献呈したことは、よく知られている。しかし、タネーエフがどのような音楽を書いていたかは、一般的には、あまり知られていないかもしれない。今回は、その「ラフマニノフの恩師」にスポットを当ててみたいと思う。

セルゲイ・イヴァノヴィッチ・タネーエフ(1856.11.25-1915.6.19)。モスクワ音楽院で、ピアノをニコライ・ルビンシュタイン、作曲をチャイコフスキーに学ぶ。当初はピアニストとして活躍し、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演時には、ソロを担当した。1878年にモスクワ音楽院の和声・楽器法教授に就任、1881年からはピアノ科も受け持ち、ラフマニノフグラズノフなどを教える。1885年から4年間は院長を務め、作曲家としても数々の名曲を残した…、というのが、大雑把な経歴である。

このタネーエフの傑作を2つあげるとすれば、12年という長い歳月をかけて完成した、歌劇『オレステイア』と、1896年に完成した交響曲第4番になるだろう。

オレステイア』は、アイスキュロス作の古代ギリシャ悲劇『オレステイア三部作』に基づく歌劇であるが、現在は、歌劇そのものが上演されることはほとんどなく、「序曲」だけが、単独で演奏される。

序曲」の音楽は、悲劇的な歌劇のドラマを凝縮するように、重々しい展開を見せる。このオペラは、肉親同士の憎しみを背景とした復讐劇であり、血なまぐさい場面も多い。映画で言えば、間違いなく「R指定」である。そんな生き地獄さながらのストーリーの中で、救いとなるのが、最終場面に現われる無上に美しい音楽。まるで、戦乱のギリシャ世界に平和と調和が戻っていくかのように、別世界のハーモニーが繰り広げられる。これぞ、古今東西のオペラ序曲の中でも、最も感動的なエンディングの一つ…と、言いたくなってくる。

もう一つの代表作、交響曲第4番は、タネーエフの円熟期に書かれた最高傑作。ロシアの作曲家には珍しく、叙情性よりも、対位法的な構築性を重んじているので、最初のうちは、辛口に聴こえるが、何度も聴いているうちに、奥の深い美しさが、胸に迫ってくるようになる。

第1楽章アレグロ・モルトの歌謡性豊かな主題旋律。第2楽章アダージョの息を呑むような美しさ。第3楽章スケルツォの生き生きとしたリズム。いずれも、挽きたてのエスプレッソのような味の濃さが光る。そして、第1楽章からの主題旋律が回帰する、壮大なフィナーレ。圧倒的な盛り上がりとともに大円団を迎えるクライマックス・シーンの感動は、数あるロシア音楽の中でも屈指の素晴らしさと言えるだろう。

CDは、この2大傑作をカップリングにした、ネーメ・ヤルヴィ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏があれば、まずは十分だろう。1980年代の後半から1990年頃にかけて、ヤルヴィは、カリンニコフをはじめとする知られざる名曲を積極的に録音していたが、中でも、このタネーエフは、快心の成果と言える一枚ではないだろうか。毅然とした気迫と、叙情的な美しさを兼ね備え、何度でも繰り返して聴きたい名盤である。


名曲夜話~ネーメ・ヤルヴィのDISC紹介

カリンニコフ 交響曲第1番
グラズノフ バレエ音楽『四季』
リムスキー=コルサコフ <7大歌劇>序曲・組曲集

名曲夜話(15) チャイコフスキー <3大バレエ>組曲集

2007年03月05日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編

チャイコフスキー <3大バレエ>組曲集
組曲「白鳥の湖」(作品20)
1.情景 2.ワルツ 3.白鳥たちの踊り 4.情景(第2幕のアダージョ) 5.ハンガリーの踊り 6.情景(終曲)
組曲「眠りの森の美女」(作品66)
1.序奏とリラの精 2.アダージョ:パ・ダクション 3.パ・ド・カラクテール:長靴をはいた猫と白い猫 4.パノラマ 5.ワルツ
組曲「くるみ割り人形」(作品71)
1.第1楽章「小序曲」 
2.第2楽章「特色ある舞曲」より ①行進曲 ②こんぺい糖の踊り ③ロシアの踊り:トレパック ④アラビアの踊り ⑤中国の踊り ⑥あし笛の踊り 
3.第3楽章「花のワルツ」
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音: 1978年 (GRAMMOPHON 449 726-2)
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チャイコフスキーの3大バレエ組曲。たとえクラシック音楽に興味がなくても、子供から年輩の方まで、あらゆる年齢層の人々が、どこかでその音楽を耳にしているだろう。一般的な浸透度から見れば、最も有名なロシア音楽であることは、間違いない。

白鳥の湖(1875-76年作曲)。
悪魔によって白鳥にされたオデット姫と、ジークフリート王子との数奇な物語。バレエ音楽史上、画期的な傑作とされる。当時のバレエにおける音楽の役割は、単に踊るための音楽に過ぎなかったが、チャイコフスキーのこの作品は、バレエ音楽を芸術の高みにまで引き上げるものだった。1877年の初演の失敗は、あまりにも密度の濃い音楽への、とまどいが引き起こしたものと言えるだろう。

「白鳥の湖」の作曲は、交響曲第4番(1877-78年)の作曲を始める前年。初期のチャイコフスキーは、ロシア民謡を題材に用いる「国民学派」寄りの作風だったが、この時期から、西欧の「絶対音楽」を指向する立場に傾き、国民学派の「5人組」からは遠ざかるようになった。

眠りの森の美女(1888-89年作曲)。
シャルル・ベローの童話をベースにした、絢爛豪華な大作。呪いをかけられたオーロラ姫が、デジーレ王子の愛の接吻によって目覚め、王子と結婚式を挙げるまでの物語が、プロローグ付きの全3幕で演じられる。最後の「ワルツ」が最も有名。こちらは、1890年のマリンスキー劇場での初演時から、大成功を収めた。

「眠りの森の美女」は交響曲第5番(1888年)と同時期の作品。そのせいか、部分的に似たところがある。特に第2曲アダージョの旋律は、交響曲第5番の第2楽章アンダンテを思い起こさせずにはおかない。

くるみ割り人形(1891-92年作曲)。
E.T.A.ホフマンの童話に基づく、2幕3場のクリスマス・バレエ。ドロッセルマイヤーおじさんからプレゼントされたくるみ割り人形が、少女クララを夢の中の冒険へと誘う。1892年にマリンスキー劇場で初演されたが、それに先立ち、演奏会用組曲にまとめられたものが発表され、今日この形で親しまれるようになった。最初の「小序曲」から最後の「花のワルツ」まで、どこかで聴いたことのある曲が目白押しだ。

翌年、最後の作品となった交響曲第6番「悲愴」(1893年)を完成。「くるみ割り人形」は、死の前年の作曲ということになるが、そう思って聴くと、やはりそこには、死を間近に控えた作曲者特有の、澄み切った彼岸の境地が感じられる。

上に見るように、3大バレエの作曲時期は、彼の後期3大交響曲とそれぞれ対応している。作品の経歴から見ても、重要な位置にあったことは、確かだろう。

現在の愛聴盤は、チェロの巨匠ロストロポーヴィッチが、ベルリン・フィルを指揮した1978年の録音。LP時代は2枚に分かれていたが、CD化に伴い、3大組曲が一枚にまとまった。ベルリン・フィルは、さすがによく鳴るオーケストラで、交響的充実感が素晴らしい。ロストロおじさんの指揮の元、ロシア風の重厚な音色がよく出ており、アナログ時代の名録音の一つと言っていいだろう。

名曲夜話(14) チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番

2007年02月26日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調(作品23)
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調(作品26)
ピアノ 小川典子
ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮 ソヴィエト国立文化省交響楽団
録音: 1989年6月8~10日 @モスクワ、チャイコフスキー音楽院大ホール
(Victor VICC-60136)
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チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。この曲は、いきなり全曲中最大の聴きどころから幕を明ける。まるで、千両役者の登場を告げるような、朗々たるホルンの下降モチーフ。そして、豪壮華麗に弾き鳴らされるピアノ和音。クラシック音楽に興味を持つ前から、この冒頭の3分間だけは、すでに記憶の中にインプットされていた。まさに、ピアノ協奏曲史上、最強の序奏部と言えよう。

この曲は、ピアニストの技巧を存分に誇示できるスペクタクルな作品でもあるので、やはり、コンサートホールでの実演でこそ、最大限の魅力を発揮する。以前、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルの演奏で、この曲を聴いたことがあるが、観客の熱狂ぶりは大変なものだった。その時のピアニスト(男性)の名前は、ちょっと忘れてしまったのだが、実際、卓越したテクニックさえあれば、演奏するピアニストは誰でもかまわない気がする。

CDでは、小川典子がデビューして間もない1989年、モスクワのチャイコフスキー音楽院大ホールで録音した演奏を愛聴している。これが最高の演奏であるとは言い切れないかもしれないが、少なくとも、後年のラフマニノフなどで聴かれる、いかにもロシア!という情感の豊かさは、この頃から、すでに芽生えていると思う。指揮は巨匠ロジェストヴェンスキー。新人ピアニストと大指揮者という、普通では考えられないような顔合わせだ。

このCDのライナー・ノーツには、小川典子自身によって、録音当時のエピソードが語られている。1989年当時は、まだソ連崩壊前でもあり、録音作業も決してスムーズにいったわけではなかったようだ。

ある日、豪雨に見舞われて、録音場所の音楽院大ホールが蒸し暑くなり、ピアノの調子が悪くなってしまった。ところが、調律師が見つからず、現地スタッフは、皆で「何とかこのまま録音してくれないか」と、小川さんを説得しはじめた。「それはだめ。ピアノを何とかして」と、言い張る彼女を見て、指揮者のロジェストヴェンスキーが、立ち上がった。そして自ら受話器を取り、方々の調律師に連絡を取り始めたのである。その姿を見て、彼女は感謝と感動で胸がいっぱいになったという。

その結果、「マエストロ、オーケストラ、そして私が一体となって、取り憑かれたように演奏し、録音は無事、終了した」のである。

このCDには、もう一曲、才気とモダニズムに溢れた傑作として知られる、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番も収録されている。こちらは、テンポに関して、指揮者のロジェストヴェンスキーとことごとく意見が食い違ってしまったそうだが、彼女はあくまで自分の意見を主張、現地スタッフをあわてさせたそうだ。

新人ピアニストながら、大指揮者に対して一歩も引かないところは、まさに大物であり、確固たる信念を持ったアーティストと言えよう。来年はデビュー20周年を迎えようとしているが、今後さらなる飛躍を期待される名ピアニスト・小川典子の原点として、ぜひ大切に聴き続けていきたいアルバムである。


名曲夜話~小川典子のDISC紹介

ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」ほか(オリジナル・ピアノ版による演奏)

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、第3番


名曲夜話(13) チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

2007年02月22日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」(作品74)
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 NHK交響楽団
録音: 1983年1月12日 @NHKホール (KING RECORDS KICC 3031)
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チャイコフスキーの完成した6曲の交響曲のうち、後期の第4番、第5番、第6番はいずれも傑作の名に値するが、その中で極めつけの一曲を選ぶとすれば、やはり、死の直前に完成した第6番「悲愴」になるだろう。この作品があるかないかで、チャイコフスキーに対する評価は、だいぶ変わってくるのではないか…と思う。

形式的には、伝統的な4楽章の交響曲の形を取りながらも、内容は限りなく私小説に近く、とめどもない悲しみが延々と綴られる異色作。この曲のCDは、長い間、ムラヴィンスキー指揮レニングラード管弦楽団の演奏を、スタンダードとして聴いてきた。余計な感傷には目もくれず、非情なほどに音のリアリズムを追求したこの演奏は、まさに「悲愴」の原点と呼べるほど、確固たる説得力を持つものである。

しかしながら、現在の自分にとっては、このムラヴィンスキー以上の魔力を持つ天才が存在する。その名は…イーゴリ・マルケヴィッチ。ムソルグスキーの「展覧会の絵」の項でも紹介した、ウクライナ出身の名指揮者である。

マルケヴィッチは1960年以来、たびたび来日し、日本フィルなどを指揮して数々の名演を聴かせたが、1983年1月12日、ついにN響との初共演が実現。このチャイコフスキーの「悲愴」を指揮したのである。この時の演奏は、それを目にすることのできた人たちの間では、伝説として語り継がれてきた。

そして2001年、N響の創立75周年を記念してリリースされた「伝説のN響ライヴ」の一つとして、ついに陽の目を見ることになったのである。このあたりの経緯は、スヴェトラーノフ最後の日本公演となった「ラフマニノフ交響曲第2番」と似ている。

マルケヴィッチの場合も、この「悲愴」の演奏が、はからずも、最後の日本公演となった。N響との初共演からわずか3ヶ月後に、急逝したためである。

第1楽章。嘆き悲しむようなアダージョから、突如テンポを上げて、アレグロ・ノン・トロッポへ。生死をさまよう苦しみに翻弄される中、一縷の希望の光が差し込むような、美しい旋律が現われる。しかし、その陶酔を断ち切るような、恐ろしい一撃とともに、音楽は荒れ狂う絶望の嵐へと突き進んでゆく。11分過ぎに訪れるクライマックスでは、もはや個人の悲しみの次元を越え、戦場さながらの、すさまじい地獄の業火に、焼き尽くされるかのようだ。

第2楽章。4分の5拍子の、優雅な舞曲。まるで、苦しい闘病生活からいったん開放され、「風を感じる喜び」を実感しながら、ダンスを踊っているようでもある。それでも、中間部のトリオには不安な影が付きまとい、心から楽しい気分にはなれない。

第3楽章。アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ。全曲中、最も生き生きとした楽章で、スケルツォと行進曲が交互に繰り返される。クライマックスでの、落雷のようなティンパニ! あたかも、わずかに残された人生を精一杯生きたい、という作曲者チャイコフスキーの切実な願いが、指揮者マルケヴィッチに乗り移ったかのように、全身全霊の大熱演が展開されていく。

第4楽章。再び、悲しみのアダージョ。まるで、ガン再発の告知を受けたかのように、音楽は絶望のどん底へ沈んでゆく。時おり、果たされなかった現世の夢を振り返るように、美しい旋律が戻ってくるが、もはや救いにはならない。 やがて、不気味なコントラバスの和音とともに、音楽史上に残る「絶望のカタルシス」は、息絶えるように、幕を閉じるのである。


名曲夜話(12) ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」

2007年02月15日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」(作品34-14)
セルゲイ・ラフマニノフ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 
他13種類の編曲による演奏。
録音: 1929~1997年 (RCA 09026-63669-2)
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ラフマニノフの名曲「ヴォカリーズ」。もともとは、ソプラノまたはテノールのための《14の歌曲集 作品34》の中の第14曲で、唯一、母音(AH、OOH等)のみで歌われる、「歌詞のない歌曲」として作曲された。

その憂いを帯びた旋律は、ラフマニノフ自身にとっても、とりわけ思い入れの深いものであったに違いない。彼は、オリジナルの歌曲ヴァージョンの他に、ヴァイオリン独奏版チェロ独奏版管弦楽合奏版、と何通りかのアレンジを行ない、ここにも紹介するように、自らの指揮で、レコード録音も残している。

さらに時代を経ると、作曲者以外の人たちによる新しい編曲も、続々と登場するようになった。現在では、全部で何通りの編曲があるのかわからないほどに、多くのアレンジが存在する。文字通り、表現者の数と同じくらい、無数の表現方法が存在するのかもしれない。

ここに紹介するCDは、「ヴォカリーズ」のさまざまな編曲による演奏を集めた企画アルバムである。さすがに、作曲者ゆかりのレーベル・RCAならではの、歴史的録音が目白押しだ。

管弦楽系アレンジとしては、やはりラフマニノフ自身の指揮による演奏が感慨深い。1929年という歴史的録音。かすれた音の響きの中から、激動の人生を駆け抜けた作曲者自身の痛切な魂の叫びが聴こえてくる。まさに、伝説の至芸そのものと言えよう。

富田勲編曲・指揮のシンセサイザーのオーケストラによる演奏も聴きものだ。最新の現代楽器を使いながら、キリストの聖画像に囲まれた、中世ロシア正教会の荘厳な雰囲気を再現している。

器楽系アレンジでは、エフゲニー・キーシンによるピアノ独奏(リチャードソン編曲)、ジェイムズ・ゴールウェイによるフルート独奏(ゲルハルト編曲)は、それぞれの楽器の持ち味を堪能できる名演。フシュケ編曲のチェロとピアノの二重奏ヴァージョンは、雷雨の効果音もあって、映画の一場面のような雰囲気を醸し出す。

声楽系アレンジでは、アンナ・モッフォ(ドゥベンスキー編曲)とルース・アン・スヴェンセン(オリジナル版)の新旧ソプラノ独唱による競演が聴きもの。さらには、カウンター・テナー歌手ブライアン・アサワによる独唱(テュニック編)が、リリカルで味のある歌唱を聴かせ、ストコフスキー指揮による、ノーマン・リュボフ合唱団の演奏は、深い雪に閉ざされたシベリアの原風景を思い起こさせる。

最後に、このCDには含まれていないのだが、声楽系アレンジでの忘れられない名演を紹介しておきたい。それは・・・、日本が誇るソプラノ歌手、本田美奈子(井上鑑編曲)による独唱である。

彼女が歌う「ヴォカリーズ」は、2003年発売のネオ・クラシック・アルバム「アヴェ・マリア」(Jroom Classics COCQ-83633)の第6曲として収録されている。他の作品のように日本語の歌詞をつけず、ほぼオリジナルの原曲に近いアレンジで歌っているところに、この曲に対する自信と、見識の確かさがうかがえる。歌詞をつけると、「ヴォカリーズ」ではなくなってしまうのだ。

この曲は、すでにアルバム収録の数年前から、機会あるごとに歌っていたらしく、いわゆる「美奈子クラシック」の中でも、歴史ある作品かもしれない。ここでの本田美奈子.は、クロスオーバー系というよりも、本格的な「クラシック歌手」として、正攻法で、真正面から、ラフマニノフの芸術と向き合っている。

澄み切ったソプラノ・ヴォイスで表現する、心からほとばしるような、夢と憧れの世界!

作曲者自身のオリジナル演奏に、最も肉薄した「ヴォカリーズ」の一つとして、今後も、末永く聴かれ続けることだろう。


名曲夜話(11) ラフマニノフ 交響曲第2番

2007年02月10日 | 名曲夜話① ロシア・旧ソ連編


ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調(作品27)
グリンカ 歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲

エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 NHK交響楽団
録音: 2000年9月20日@サントリーホール [ラフマニノフ]、1999年2月26日@NHKホール [グリンカ] (KING RECORDS KICC 3019)
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ピアノ協奏曲第2番」の成功で、失意のどん底から、起死回生の復活を遂げたラフマニノフ。自信を取り戻した彼は、再度、交響曲への挑戦を試みる。

初演の失敗によって、酷評を被ってしまった交響曲第1番よりも、さらに劇的な起伏と、ロマンティックな曲想を織り込み、50分を超える長大な演奏時間を必要とする、交響曲第2番。その出来栄えは素晴らしく、1908年に行なわれたラフマニノフ自身の指揮による初演は、見事、大成功を勝ち得る。こうして、10年前の忌まわしい悪夢は、完全に過去のものとして葬られることになった。

自分が初めてこの曲に出会ったのは、「ピアノ協奏曲第2番」と同じく、やはり1980年代の半ば頃だった。当初、よく聴いたのが、マゼールとベルリン・フィルの演奏。もちろん、これはこれで悪くない、と思っていたのだが、ある日、たまたま知人の家でスヴェトラーノフ盤(1964年、ボリショイ歌劇場管弦楽団との演奏)を聴いて、背中に電気が走るような衝撃を受けた。演奏そのものは、ベルリン・フィルに比べると、荒削りで、ドライな感じを受けたのだが、その代わり、根源的な迫力というか、心を鷲掴みにするようなオーラがあったのである。それ以来、スヴェトラーノフの新しい録音を待ち焦がれるようになった。

そして1996年、待望のロシア国立管弦楽団との交響曲・管弦楽曲全集(CANYON CLASSICS)が出る。その演奏は、まさにロシア音楽史上の金字塔と言えるほどに素晴らしく、この4枚組のCDは、決定的な愛聴盤となったのである。

さらに、その5年後、N響創立75周年を記念した「伝説のN響ライヴ」シリーズの一枚として、最新ライヴ録音が登場することになった。2000年9月20日、スヴェトラーノフ最後の来日公演中に、サントリー・ホールで行なわれた、歴史的名演奏であり、その実演に接することのできたファンの間では、今でも語り草になっているものである。

第1楽章。悠久の彼方から浮かび上がる、憧憬に満ちた、息の長い旋律。スヴェトラーノフの指揮で聴くと、これを演奏しているのが日本のオーケストラであることを忘れさせる。そこに吹いているのは、まぎれもなく、ロシアの風なのだ。

第2楽章。騎馬民族が馬に乗って出陣するような、勇壮なスケルツォ。こくのある金管をはじめとして、各楽器の瑞々しい音色が、耳をそばだてる。

第3楽章。ラフマニノフ本領発揮の、夢見るようなアダージョの旋律。いつ果てるとも知れない、なつかしい心の歌が続く。すでによく知られたメロディーでありながら、決して飽きることがないのは、おそらくその根底に、普遍的な「永遠への憧れ」が、秘められているからだろう。

第4楽章。長い冬が終わり、新しい春を迎えるような、快活なフィナーレ。曲は進むにつれて、躍動感を増し、ついには大曲を締めくくるにふさわしい、豪快なエンディングを迎える。感動の叫びとともに湧き上がる、万雷の拍手。これが最後の日本公演となってしまうことを、どれだけの人が悟っていただろうか。

同時収録されたグリンカの『ルスランとリュドミラ』序曲は、快速テンポと、思い切りのいいティンパニの強打が印象的な名演。スヴェトラーノフにとっては、アンコールピースの定番であり、指一本でも指揮ができるほどだったという。