ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、第3番
ピアノ協奏曲第2番ハ短調(作品18)
1.Moderato(11:25) 2.Adagio sostenuto(11:42) 3.Allegro scherzando(12:24)
ピアノ協奏曲第3番ニ短調(作品30)
1.Allegro ma non tanto(18:04) 2.Intermezzo(11:08) 3.Finale(14:38)
ピアノ 小川典子
オウェイン・アーウェル・ヒューズ指揮 マルメ交響楽団
録音:1997年 (BIS CD-900)
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セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ (1873.4.1-1943.3.28)の「ピアノ協奏曲第2番」は、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」と並んで、ロシアのクラシック音楽史上、最も有名なピアノ協奏曲として知られている。
この曲と初めて出会ったのは、自分がクラシック音楽を聴き始めて間もない、20歳代半ば頃のこと。当時はまだ独身で、現在よりも、より多感(?)な時期だったのだが、失恋やら、精神的な挫折やら、いろいろな出来事が重なっていた時期でもあった。そんな時期に、最も自分を癒してくれたのが、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」だったのである。
よく知られているように、この作品は、ラフマニノフ自身の人生最大の危機の時期に生み出された。手塩にかけた交響曲第1番の初演の失敗と、厳しい酷評。さらには、初恋の人といわれるヴェーラ・スカローンが他の男に嫁いでしまうという精神的な打撃が追い討ちをかけ、ラフマニノフは強度の精神疾患におちいってしまう。
しかし人間というものは、どん底の時期に、とんでもない才能を発揮することがある。ニコライ・ダール博士の催眠療法にも助けられ、この「ピアノ協奏曲第2番」は、まさに起死回生の傑作に仕上がった。そして、今や毎日のように、世界のどこかで演奏されているような、超人気曲にまで昇りつめたのである。
さて、この曲の愛聴盤であるが、最初のうちは、世評の高いアシュケナージの演奏をよく聴いていた。中でも、当時の最新録音だったアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と組んだ協奏曲全集のCDは、何度となく聴いたものである。やはり語り口がうまいし、今でも、全集でお勧めするとしたら、アシュケナージ盤になると思う。
しかし、その後、1997年に録音された小川典子のCDを聴いてからは、彼女が、自分にとっての新しい「癒しのピアニスト」となった。特に「第2番」は、3つの楽章とも11分以上かけて、じっくりと弾き込んでおり、駆け足で通り過ぎる瞬間が一箇所もない。「知られざる巨匠」オウェイン・アーウェル・ヒューズの指揮する、厚みのあるオーケストラの伴奏と相まって、まさに、ロシアの大地を感じさせる名演と言えよう。
深い雪の中に佇む、ロシア正教会の鐘の音を模したような、重々しい和音で始まる第1楽章。暗い情熱に満ち、うねるように流れる第1主題と、ピアノで示される甘美な第2主題とが、絶妙に絡み合って、芳醇な音の絵巻を聴かせる。時に、嵐のような豪放さを見せる重厚なオーケストラともども、「これぞロシア!」とも言うべき、情感たっぷりな世界が広がっていく。
映画『逢びき』に使われてから、世界的に有名になった第2楽章。木管楽器の奏する、遠い昔を思い出すような旋律に、ピアノのアルペジオが絡まる部分は、否が応でも、青春時代の思い出に連れ戻される。この部分の叙情的な感情は、ラフマニノフ自身が、初恋の人と過ごした記憶が、もとになっているのかもしれない。まるで映画の回想シーンを見ているように、次々と恋の想い出が現われ、あてどもない白昼夢の世界を彷徨っているような気分になる。
そして、スケルツォ風の主題に導かれる、力強い第3楽章。開始2分を過ぎた頃から現われる優美な第2主題は、ラフマニノフの書いた最高にロマンティックな旋律の一つ。後半に進むにつれて盛り上がる、ピアノと全オーケストラとの掛け合いは、まさにコンチェルトを聴く醍醐味と言えよう。
同じCDに収録された「ピアノ協奏曲第3番」の演奏も素晴らしい。「第2番」に比べると、さらに長大で、高度な技巧が前面に出ている作品なので、これを完璧に演奏することは至難の業だ。なにしろ、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画『シャイン』では、世界で最も難しいピアノ協奏曲という設定で使われているのである。
その難曲を、さほど難しく感じさせることなく、あくまで古典的なロシアの名曲として、スケール豊かに弾きこなしていく。その男性顔負けの迫力と、女性らしいリリシズムを生かした情感豊かなピアニズムには、時間が経つのも忘れてしまうほどだ。
参考サイト:
① ラフマニノフはお好き?
ラフマニノフをメインテーマとする、えみさんのホームページ。
② ラフマニノフ資料館
ラフマニノフの作品目録、楽譜、録音、文献、歴史的資料等、様々な情報を提供する、CBPさんのサイト。
ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)
1.プロムナード 2.第1曲:グノムス(こびと) 3.プロムナード 4.第2曲:古城 5.プロムナード 6.第3曲:テュイルリーの庭(遊んだあとの子供のけんか) 7.第4曲:ビドロ(牛車) 8.プロムナード 9.第5曲:卵の殻をつけたひなどりのバレエ 10.第6曲:サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 11.第7曲:リモージュの市場 12.第8曲:カタコンブ 13.第9曲:バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足の上に建ってる小屋) 14.第10曲:キエフの大門
交響詩「禿山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編)
イーゴリ・マルケヴィッチ指揮 ライプツィヒ・ゲヴェントハウス管弦楽団
録音:1973年 (KING RECORDS KICC 9432)
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ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、前回紹介したオリジナルのピアノ版のほうが、彼本来の前衛的な特性をよく表わしているとは思うが、一般的によく演奏される、ラヴェル編曲の管弦楽版のほうも、もちろん演奏効果に富んでおり、理屈を抜きにして楽しめる。
管弦楽版のほうの愛聴盤は・・・、世評の高い録音はいろいろあるけれども、これ一枚ということになれば、往年の名指揮者イーゴリ・マルケヴィッチがライプツィヒ・ゲヴェントハウス管弦楽団を指揮した演奏をお勧めしたい。この両者は、自分が知る範囲では、この録音が唯一の顔合わせであり、まさに一期一会の名演だ。
1912年、ウクライナで生まれたマルケヴィッチは、幼少の頃に、ロシア革命の混乱を避けて、両親とともにスイスに移住。その後、バレエ音楽などの作曲家として活躍した。一時は、ストラヴィンスキーの後継者との期待から「イーゴリ2世」とも呼ばれたが、第2次世界大戦後は、指揮者に専念。1983年に亡くなるまで、数々の名演奏を残した。「展覧会の絵」は彼が最も得意にしていたレパートリーの一つで、ベルリン・フィルとのモノラル録音(1953年)もある。
ここに紹介するライプツィヒ・ゲヴェントハウスとの録音は1973年。アナログ録音ではあるが、音色が驚くほど瑞々しい。原盤となった東ドイツのレコード会社「ドイツ・シャルプラッテン」の優れた録音技術のおかげで、最新のデジタル録音と比べても、ずっと聴き応えのある名盤が残された。これこそ、本物の録音芸術というものだろう。
マルケヴィッチの指揮ぶりは、早めのテンポで切れが良く、強烈なアタックが効き、千変万化のニュアンスで彩られる。過去の名指揮者で、これと近いタイプは、シューリヒト、ムラヴィンスキーあたりだろうか。このCDに聴くマルケヴィッチの演奏は、まさに名人芸の域に達しており、何度聴いても、飽きることがない。
最初の「プロムナード」の導入部、トランペットの毅然としたリズムから、すでに、別世界に引き込まれる。第1曲「グノムス(こびと)」での、地底をうごめく妖怪の不気味さ。第2曲「古城」での、幾重にも重なる神秘的なハーモニー。第3曲「テュイルリーの庭」での、木管とフルートの絡み。ひとつひとつの部分に、聴きどころがある。
第4曲「ビドロ(牛車)」では、ピアノ版で聴かれるような、ムソルグスキー本来の恐ろしい葬送行進曲が再現され、第5曲「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」では、かつてバレエ作曲家として鳴らした指揮者の自在な遊び心が楽しめる。
貧しいユダヤ人が、金持ちのユダヤ人に対して果敢に挑みかける、第6曲「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」。そして、快速テンポで一気に突き進む、第7曲「リモージュの市場」を経て、百鬼夜行うずまく、第8曲「カタコンブ」の恐ろしい地下墓地の世界に突入する。
第9曲「バーバ・ヤガーの小屋」。まさに、魔女たちが乱痴気騒ぎを繰り広げるような音楽だ。ここから、第10曲「キエフの大門」への盛り上がりはすごい。音楽は果てしなく高揚し、かつて栄華を誇った黄金の門が眼前に現出する。最後は、亡き画家ハウプトマンを弔うように、ロシア正教会の鐘が鳴り響き、全オーケストラによる壮大なクライマックスを経て、感動のうちに全曲を締めくくる。
小川典子の弾く、オリジナル・ピアノ版によるムソルグスキー
歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』より
1.プロローグ第2場 戴冠式の場
2.第3幕第2場 ポロネーズ(サンドミル城の庭園の場より)
歌劇『ホヴァンシチーナ』より
1.前奏曲「モスクワ河の夜明け」
2.第4幕第1場 ペルシャの女奴隷の踊り
3.第4幕第2場への序奏と、ゴーリツィン公の流刑
歌劇『ソロチンスクの定期市』より
1.第1幕 市場の情景
2.第3幕第2場 ゴパック
組曲『展覧会の絵』~自筆譜からの演奏
1.プロムナード 2.第1曲:グノムス(こびと) 3.プロムナード 4.第2曲:古城 5.プロムナード 6.第3曲:テュイルリーの庭(遊んだあとの子供のけんか) 7.第4曲:ビドロ 8.プロムナード 9.第5曲:卵の殻をつけたひなどりのバレエ 10.第6曲:サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 11.ポロネーズ 12.第7曲:リモージュの市場 13.第8曲:カタコンブ 14.Con mortuis in lingua mortua 15.第9曲:バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足の上に建ってる小屋) 16.第10曲:キエフの大門
ピアノ・小川典子
録音:1997年 (BIS CD-905)
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個性派の集まる「ロシア5人組」の中で、最もロシアの史実と現実生活に密接した作品を書き、結果的に最も革新的な作品を残すことになった、モデスト・ペトローヴィッチ・ムソルグスキー(1839.3.21-1881.3.28)。彼は、間違いなく天才だった。
しかし、真の天才であるがゆえに、少なからず、同時代人の理解を超えていた面があった。そして、それ以上に彼の人生を暗いものにしたのが、当時の社会情勢だった。地主階級の裕福な青年時代を謳歌した彼の人生は、1861年の農奴解放による一家の零落を境に、貧困との闘いに明け暮れるようになる。後年の彼の人生を支配する、深刻なアルコール依存症の兆候が目立つようになってきたのも、この頃だった。
やがて母親が亡くなり、親友の画家ハウプトマンをはじめとして、身近な人たちが相次いで世を去っていく。ムソルグスキーの精神状態は、ますます不安定になり、公職を追われ、ついには、無一文の身にまで転落。そして、42歳の誕生日から一週間後、精神・肉体の双方に異常をきたし、悲惨な最期を迎えるのである。
このように、不幸な転落人生を絵に描いたようなムソルグスキーの生涯であるが、実際には、それとは逆に、幸運な面もあった。彼はオーケストレーションが得意ではなく、多くの作品は未完、もしくはピアノ譜のままで残されたが、オーケストレーションの達人リムスキー=コルサコフの助力を得て、歌劇『ボリス・ゴドゥノフ』をはじめとする代表作を、劇場で上演できる形に仕上げることができたのである。
さらに、没後においては、印象派を先取りするような前衛的な作風が、ドビュッシーやラヴェルの高い評価を受け、ロシア国内に先んじ、西ヨーロッパで、彼の作品が演奏される道が開けた。もともとは渋いピアノ組曲だった『展覧会の絵』が、ここまでポピュラーになれたのも、「オーケストレーションの魔術師」とも呼ばれたラヴェルの編曲のおかげである。そういう意味では、ムソルグスキーは「没後運」のいい作曲家であるとも言えるだろう。
さて、ここに紹介する『展覧会の絵』は、オリジナルのピアノ自筆譜からの演奏である。何といっても、ムソルグスキー自身が胸を張って「自分の作品」と言えるのは、ここまでである。むしろ、このピアノ譜にこそ、彼が本来主張しようとしていたメッセージが、色濃く現われているのではないだろうか、という期待感を持って、聴いてみるのも面白い。
いろいろな名ピアニストが演奏しているので、どれを聴いてもいいと思うが、自分がよく聴くのは、小川典子である。初めて聴いた彼女のCDは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番、第3番」で、今のところ同曲一位の愛聴盤になっているが、このムソルグスキーのピアノ曲集も、それに劣らない素晴らしさだ。男性顔負けの迫力とスケール、女性特有のリリシズムを合わせ持ち、表現の幅が広い。彼女が最も共感する作曲家はドビュッシーということなので、適性としては、なるほどムソルグスキーに向いている、と思う。
『ボリス・ゴドゥノフ』の「戴冠式の場」に聴く、恐れを知らぬ不協和音、『ホヴァンシチーナ』の「モスクワ河の夜明け」に聴く、印象画風の微細な音のきらめき、そして『展覧会の絵』全曲に聴く、原色的でダイナミックな旋律線…。
これらの表現は、すでに単一の民族主義を超えて、20世紀現代音楽の先駆者としてのムソルグスキーの特徴をよくとらえている。
ピアノ版の『展覧会の絵』は、オーケストラ版の演奏を聴きなれた耳には、随所に斬新な響きがある。例えば、第4曲の「ビドロ」。この、牛車の歩みによる葬送行進曲は、オーケストラの合奏よりも、単独のピアノの強打で聴くほうが、ずっと恐ろしい。そして、牛車が通り過ぎた後の、底知れぬ虚無感。ここには、まさに狂気のようなペシミズム(厭世主義)が口を開けている。
ラストを飾る「キエフの大門」。オーケストラ版では、ここで壮大なクライマックスを築く。その曲想は、1982年にキエフで復元された、スラブ風のアーチ状の屋根を持つ「黄金の門」の威容を思わせるが、ムソルグスキーの時代には、長らく破壊されたままになっていた。
ピアノ版の「キエフの大門」は、壮大には違いないが、むしろ、門が再建される以前の、不気味な虚無空間を思わせる。
ムソルグスキーは、おそらく、親友の画家ハウプトマンの魂を弔う為に、このピアノ組曲を書いたのだろう。本来、この組曲の性格は、「鎮魂歌(レクイエム)」であり、ドラマティックな効果を意図しているものではなかったのである。
参考サイト:
① 小川典子・梶本音楽事務所による公式プロフィール
日本語による、ピアニスト小川典子のプロフィールと最近のニュース。
② 小川典子・公式ホームページ
英語による、小川典子の公式ホームページ。経歴、ディスコグラフィー等。
バラキレフ 交響曲(第1番、第2番)・管弦楽曲集
CD1
1. 交響曲第1番 ハ長調
2. 3つのロシアの主題による序曲
3. 交響詩「古代ロシア(ルーシ)」
4. スペインの行進曲の主題による序曲
CD2
1. 交響曲第2番 ニ短調
2. 交響詩「タマーラ」
3. 交響詩「ボヘミアにて」
4. 管弦楽的幻想曲「イスラメイ」
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ソヴィエト国立交響楽団
録音:1974年[第1番]、1977年[第2番] (Melodiya-BMG Classics 74321 49608 2)
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バラキレフ 交響曲(第1番、第2番)・管弦楽曲集
CD1
1. 交響曲第1番 ハ長調
2. 交響詩「古代ロシア(ルーシ)」
CD2
1. 3つのロシアの主題による序曲
2. 交響詩「タマーラ」
3. 交響曲第2番 ニ短調
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 フィルハーモニア・オーケストラ
録音:1991年 (Hyperion CDD22030)
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今回は、ロシア国民学派の中心グループ「力強い仲間(いわゆるロシア5人組)」のリーダー、バラキレフの登場である。
ミリイ・アレクセイエヴィッチ・バラキレフ(1837.1.2-1910.5.29)。同じ「5人組」のリムスキー=コルサコフの項でも紹介したように、バラキレフは、才能を認めた教え子に、まず何よりも交響曲の作曲を勧めるという、破天荒な教授法で知られていた。
ところが…
バラキレフは、他人にはそのように勧めながら、彼自身は、第1交響曲の執筆を始めてから完成するまでに、なんと33年の歳月(1864-1897)を要しているのである!
第1交響曲の完成に時間がかかった、という点では、かのブラームスが有名だ。ブラームスにとって、交響曲とは、ベートーヴェンに追いつき、追い越すものでなければならず、それゆえに多大な推敲の時間を費やしたのであるが、それとて、21年である。バラキレフの33年という年月は、第1交響曲の完成に要した最長記録として、ギネスブックに載せる価値があろう。
交響曲第1番は、さすがに、熟成に時間をかけただけあって、中身の濃い一品だ。
“雪の白樺並木”を思い起こさせるような雰囲気の中、トロイカを駆り出すように始まる第1楽章の幕明けから、濃厚なロシア情緒が立ち込める。凍てつく大地を乱舞するコサックの踊りのような、第2楽章のスケルツォを経て、第3楽章のアダージョでは、遥かなロマンにあふれた名旋律を心ゆくまで歌う。そして、熱い民族の血潮が爆発する第4楽章のフィナーレは、これぞ、ロシア国民学派の最高傑作!と言いたくなるほどの盛り上がりだ。
バラキレフは、交響曲第1番を完成した3年後、第2番に着手した。重厚な第1番に比べると、ダンサブルで流麗な旋律が際立つ。特に、第1楽章の冒頭から疾走する民族舞踊のテーマと、第2楽章でのコサック風スケルツォは、全曲中の白眉と言えよう。この第2番も、完成までに8年(1900-1908)かかっている。
2曲の交響曲で、合計41年!
これだけ手塩にかけていけば、傑作ができないはずはない。
CDは、新旧2種類のスヴェトラーノフ盤を愛聴している。1970年代に録音されたソヴィエト国立交響楽団による演奏と、1991年録音のフィルハーモニア・オーケストラによる演奏。どちらも名演で、個人的には、甲乙つけがたい。
前者は、壮年期の演奏だけに、鋼のような金管の威力と、毅然とした力強さに特徴がある。いかにも、旧ソ連スタイルという感じだ。後者はソ連崩壊後の自由化された演奏で、晩年の円熟した味わいが光る。テンポは遅めだが、ロマンティックな情感の豊かさでは、こちらのほうが上回るのではないだろうか。
しかも、決しておとなしい演奏ではなく、第1番フィナーレ終結部での、めくるめくようなティンパニの乱打などは、さすがスヴェトラ!と喝采したくなる迫力だ。
バラキレフの知名度は、現在では、同じ5人組仲間のボロディン、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキーに及ばないかもしれない。しかし、この2つの交響曲を聴くと、彼は立派に、リーダーにふさわしい仕事を残した、と思えてくる。3年後(2010年)に、没後100周年を迎えるが、ぜひとも真のロシア国民学派の立役者として、大いに注目されることを願ってやまないものである。
リムスキー=コルサコフ <7大歌劇>序曲・組曲集
CD1
歌劇『五月の夜』序曲
歌劇『雪娘』組曲
1.美しき春 2.鳥たちの踊り 3.ベレンデイ皇帝の行進 4.曲芸師たちの踊り
歌劇(オペラバレエ)『ムラダ』組曲
1.導入部 2.ボヘミア人の踊り 3.リトアニア人の踊り 4.インド人の踊り 5.貴族たちの行進
歌劇『クリスマス・イヴ』組曲
1.クリスマスの夜 2.星たちのバレエ 3.魔女の宴―悪魔の背に乗って 4.ポロネーズ 5.ヴァクラと女帝の靴
CD2
歌劇『サルタン皇帝の物語』より「音画」
1.王の告別と出発 2.海上に漂う樽の中の王妃 3.3つの奇跡
「熊蜂の飛行」~『サルタン皇帝の物語』より
歌劇『見えざる街キテージ』組曲
1.プレリュード 2.結婚行進曲 3.タタール人の侵略とケルツェネッツの戦い 4.フェヴォローニャの昇天と見えざる街の礼賛
歌劇『金鶏』組曲
1.序章とダドン王の眠り 2.戦場のダドン王 3.シャマカ女王の踊り―ダドン王の踊り 4.結婚の祝宴―ダドン王の死―終曲
ネーメ・ヤルヴィ指揮 スコティッシュ・ナショナル・オーケストラ
録音:1984年 (Chandos CHAN 10369(2) X)
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リムスキー=コルサコフが最も力を入れていた音楽分野、それは明らかに「歌劇」だった。第3番までで終わった交響曲に対し、歌劇のほうは、なんと15作も完成しているのである。
彼の歌劇は、ヴェルディやワーグナーのように、一般的に知られているわけではないので、ロシア本国以外では、ほとんど観ることができない。だから、というわけではないのだが、なんとなく、珍しい秘曲に出会えるかもしれないという期待感が湧いてくる。
もちろん、いきなり全曲盤のCDを購入するのは、お金もかかるし、勇気が必要だ。現実的には、まず序曲・組曲のみを集めたCDを購入するほうが無難だろう。その中で、興味を引かれた物語や音楽が出てきたら、次の段階として、DVDとか、全曲盤のCDに挑戦する…という順序がいいかもしれない。
さて、自分がよく聴いている序曲・組曲集のCDは、1984年に録音された、ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル・オーケストラの2枚組である。ここでは、リムスキー=コルサコフの書いた15の歌劇のうち、7つの歌劇を、序曲もしくは組曲の形で聴くことができる。いずれの作品も、幻想的で美しいメロディーが登場し、色彩豊かなオーケストレーションを愉しめる逸品だ。こういう作品集こそ、「音楽玉手箱」と呼ぶのにふさわしいのでは…と思う。
参考までに、このCDに収録された7つの歌劇を、簡単に紹介しておこう。
『5月の夜』(1879年完成、1880年ペテルスブルクにて初演)
リムスキー=コルサコフ第2作目の歌劇。ゴーゴリの「ディカーニカ近郷夜話」が原作となっている。若きコサックとその恋人を中心に、ウクライナの農村で繰り広げる喜劇で、劇中ではウクライナ地方の民謡も用いられる。
『雪娘』(1881年完成、1882年ペテルスブルクにて初演)
第3作目の歌劇。霜の精と春の精の間に生まれた雪娘(スネグーロチカ)は、恋というものを知りたくなり、人間と一緒に暮らし始める。美しい彼女の登場は、人間世界にひと騒動巻き起こすが、最後に本当の恋を知った彼女は、溶けてなくなってしまうという民話風のストーリー。
『ムラダ』(1890年完成、1892年ペテルスブルクにて初演)
第4作目の歌劇。バレエが織り込まれた独自なスタイルで、「オペラ・バレエ」とも呼ばれる。アルコナ国の王子ヤロミールの恋人ムラダは、政敵の陰謀によって殺されるが、亡霊となって、ヤロミールを守る。途中様々なエピソードが盛り込まれるが、最後は闇の神の力による大洪水で国は滅び、ヤロミールとムラダは霊界で結ばれる。第5曲「貴族たちの行進」が有名。
『クリスマス・イヴ』(1895年完成、同年ペテルスブルクにて初演)
第5作目の歌劇。『五月の夜』と同じく、ゴーゴリの「ディカーニカ近郷夜話」が原作。美少女オクサーナに惚れてしまった鍛冶屋のヴァクラが、悪魔の力を借りてペテルスブルクまで飛んで行き、女帝の靴を彼女へのプレゼントとして持ち帰って、めでたくオクサーナの心を射止める。同じ題材でチャイコフスキーも歌劇を作曲しているが、チャイコフスキーの死後、リムスキー=コルサコフがリメイクした。
『サルタン皇帝の物語』(1900年完成、同年モスクワにて初演)
第10作目の歌劇。豪商の末娘を妃にしたサルタン皇帝は、妃の姉たちの嫉妬にそそのかされ、生まれたばかりの王子と妃を樽に入れて海へ投げ捨ててしまう。樽は魔法の島に到着。そこで王子はすくすくと育つ。ある時、熊蜂が襲来し、王子はそれを撃退して白鳥の命を救ったため、お礼に3つの奇跡が与えられる。それは金とエメラルドの木の実を運ぶリス、33人の護衛兵、それに白鳥から化身した美しい王妃であった。劇中の音楽では「熊蜂の飛行」が有名で、単独で演奏されることが多い。
『見えざる街キテージ』(1905年完成、1907年ペテルスブルクにて初演)
第14作目の歌劇。「ロシアのパルジファル」とも呼ばれる、宗教的な雰囲気に満ちた異色作。動物と話をする不思議な聖女フェヴォローニャを見初めた王子ヴセヴォロドは、ふたりで結婚式を挙げる。ほどなく、タタール人の襲撃を受けたキテージの街は、この世から消滅。王子ヴセヴォロドも戦死する。森に帰ったフェヴォローニャも息絶え、やがて、霊界に移行した見えざる街キテージへと昇天していく。
『金鶏』(1907年完成、1909年モスクワにて初演)
第15作目の歌劇。ダドン王という王様が、占い師から敵の来襲を予知してくれる金の鶏をもらう。喜んだ王は、褒美に望んだものはなんでもやるという約束をする。やがて戦場に出た王は、敵の女王シャマカを好きになり、一緒に祖国に帰って結婚。そこに占い師が現われ、例の褒美としてシャカマを欲しいと申し出るが、王はそれを断り、占い師を殺してしまう。すると、金鶏が尖塔から舞い降り、王は頭を突付かれて死ぬ、という風刺劇。

リムスキー=コルサコフ 交響曲全集
CD1
1. 交響曲第1番 ホ短調(作品1)
2. 交響曲第2番(交響組曲) 嬰ヘ長調「アンタール」(作品9)
CD2
1. 交響曲第3番 ハ長調(作品32)
2. 音画「サトコ」(作品5)
3. 貴族たちの行進~歌劇「ムラダ」
4. 序曲~歌劇「プスコフの娘」
5. 序曲~歌劇「皇帝の花嫁」
6. 3つの奇跡~歌劇「サルタン皇帝の物語」
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ロシア国立交響楽団
録音:1993年 (BVCC-38203/04)
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リムスキー=コルサコフには、「シェエラザード」の他に、交響組曲と題された作品がもうひとつある。6世紀に実在したアラブの詩人アンタールの物語を題材にし、もともとは交響曲第2番として構想された「アンタール」が、それである。
この曲は「シェエラザード」ほどの知名度はないし、内容の絢爛豪華さでは及ばないが、アルジェリアの民謡集から借用されたメロディーの数々は、濃厚なアラブの雰囲気にあふれており、聴き重ねていくうちに、渋い味わいに魅了される佳作と言えよう。
最初に書かれたのは、1866年から1868年、作曲者22歳から24歳の青年期である。その後、1976年(32歳)に、オーケストレーションに手を加えた改訂版を出版。1897年(43歳)には、さらに改訂を施し、最終的には交響組曲「アンタール」として、完成するのである。
初期の頃に、交響曲という形式にこだわりを見せたのは、ペテルスブルグの海軍兵学校在学中に出会った、ロシア5人組のリーダー、バラキレフの助言によるところが大きかった。なにしろ彼は、才能を認めた人間に、いきなり交響曲の作曲を勧めるという、破天荒な指導法を実施していたのだ。
当時まだ17歳だったリムスキー=コルサコフは、バラキレフの助言に従い、さっそく交響曲第1番の作曲に着手。オーケストレーションを基礎から勉強しながら、4年の月日をかけて完成し、1965年(21歳)に、バラキレフの指揮で初演された。この初演の成功によって、翌年には、すぐさま第2交響曲に取りかかることになる。この「アンタール」の題材も、もとはと言えば、バラキレフと、もうひとりの5人組の仲間であるムソルグスキーが勧めたものだった。
交響組曲「アンタール」を聴くには、やはりスヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団による、交響曲全集の演奏が素晴らしい。遅いテンポで、アラブ的な曲想の魅力を十分に描き出している。
第1楽章 ラルゴ→アレグロ シャムの砂漠、パルミラの壮麗な廃墟の中、世を捨てた主人公アンタールが、廃墟で巨鳥に追われていたカモシカ(実はパルミラの女王である、妖精ギュル・ナザール)を助け、その褒美に、ギュル・ナザールから人生の3つの喜びを約束される。全曲を通して何度も変奏されるアンタールの主題は、背筋がぞくぞくするほど、魅力的だ。
第2楽章 アレグロ 最初の喜びは「復讐の喜び」。曲が進むにつれて、音を割った金管と、叩きつけるようなティンパニの強奏・強打が、すさまじい狂気を生み出していく。
第3楽章 アレグロ・リソルート 第2の喜びは「権力の喜び」。巨人の足取りを思わせるような、スケールの大きい行進曲調の楽章。アルジェリア民謡を用いたと言われるトリオの異国情緒が魅力的だ。
第4楽章 フィナーレ:アレグレット→アダージョ 最後の喜びは「愛の喜び」。妖精ギュル・ナザールに抱擁され、愛の法悦の中で息絶えていく主人公アンタール。曲の最後は、後ろ髪を引かれるような、愛の主題の弱奏で消えていく。
「アンタール」以外にも、文字通り最初の作品である交響曲第1番や、歌劇「プスコフの娘」序曲、「皇帝の花嫁」序曲など、貴重な楽曲が含まれているので、ロシア音楽ファンには、お買い得の一枚である。
参考サイト: リムスキー ダイスキー
リムスキー=コルサコフの人生・作品紹介等、情報満載のホームページ。
リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」(作品35)
1. 海とシンドバッドの船
2. カランダール王子の物語
3. 若い王子と王女
4. バグダッドの祭―海―青銅の騎士が立つ岩での難破―終曲
序曲「ロシアの復活祭」(作品36)
ユーリ・テミルカーノフ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
録音:1991年 (RCA 09026-61173-2)
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お待ちかね、名曲夜話・第4話は、絢爛豪華なアラビアンナイトの世界へご案内しよう。ロシア近代管弦楽曲の中でも、指折りの傑作・・・、ニコライ・リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」の登場である。
シェエラザードとは、アラビアンナイトの物語の中で、冷酷非情なサルタン王に千一夜にわたって物語を聞かせ、ついには王を強度の女性不信から開放し、自ら王妃の座を射止めた、美しい女性の名前である。クラシック音楽に登場する女性の中で、個人的に最もあこがれる存在の一人。ヒロイン・シェエラザードをどれだけ美しくイメージさせることができるか、その一点が、素晴らしい演奏になるかどうかの生命線であると思う。
交響組曲「シェエラザード」には、理解の助けとなるように、4楽章すべてに表題がついている。もちろん、必ずしも表題にこだわらなくていい。純粋な4楽章の交響曲として、管弦楽法の大家と言われたリムスキー=コルサコフの「音の魔術」に心ゆくまで酔いしれるという聴き方もある。作曲者としては、むしろ、そうしてほしいと望んでいるかもしれない。
さて、おすすめCDであるが、さすがに演奏効果抜群の人気曲だけに、ほとんどの一流指揮者、一流オーケストラは、この曲を取り上げていて、リリースされた録音は、それこそ星の数ほどになる。それらの中で、世評の高いものだけを選ぶとしても、古くはステレオ初期のストコフスキー盤から、最近話題になったゲルギエフ盤に至るまで、まさに目白押しだ。
が、ここでは、あくまで個人的な思い入れから、ベスト・ワンをあげてみたい。それは・・・ユーリ・テミルカーノフ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック。発売当初の1993年に購入して以来、10年以上にわたって、これが、最もお気に入りの「シェエラザード」のCDになっている。
異色の顔合わせだと思う。自分の知る範囲では、テミルカーノフがニューヨーク・フィルに客演することは、そう滅多にあることではない。この顔合わせでのCDは、おそらく最初で最後ではなかろうか。いわば、一期一会のレコーディングなのだが、これが奇跡的に素晴らしい仕上がりなのである。
この演奏は、全体的に遅いテンポを取っている。第1曲の序奏、シェエラザードのテーマを奏でる、独奏ヴァイオリンの可憐な美しさ。アレグロ・ノン・トロッポの主部に入っても、決して先を急ぐことなく、美しいメロディーを、心ゆくまで歌う。
しかし、遅いからといって、決して重くはならない。足取りは実に軽やかなのだ。薄化粧で、スレンダーな体型のシェエラザードの姿が、思い浮かんでくる。この演奏に比べると、他の演奏は、厚化粧で、肉付きのいいシェエラザードが多い。最近評判のゲルギエフ盤あたりは、迫力はすごいし、シンフォニックな充実感では、まったく文句がない。しかし・・・
あくまで自分の好みになってしまうのだが、どちらかといえば、外見は華奢で、心はナイーブな女性・・・、それでいて、意志の強いところもあり、ひたむきに夢を追っていく人(・・・と、誰かのことを言っているようであるが)。そういう意味で、テミルカーノフ盤の「シェエラザード」は、まさに理想的なのである。
カップリング曲、「ロシアの復活祭」も素晴らしい。この曲は、「シェエラザード」と同じく、1888年、作曲者44歳の円熟期に書かれた。ロシア正教の聖歌集からのモチーフを使いながらも、むしろ異教的な響きを取り入れながら、復活祭の浮かれ騒ぎの情景を描いていく。
その色彩豊かなオーケストレーションの妙味を、テミルカーノフの才気あふれる棒の下、名手の揃ったニューヨーク・フィルの面々が、変幻自在の職人芸を繰り広げるのである。
ボロディン 歌劇『イーゴリ公』(ハイライト版)
アンジェリナ・シュヴァチカ(コンチャーコヴナ)、ドミトロ・ポポフ(ヴラディミール・イーゴリエヴィッチ)、ミコラ・コヴァル(イーゴリ公)、タラス・シュトンダ(ガリツキイ)
テオドール・クチャル指揮 ウクライナ国立放送交響楽団&キエフ室内合唱団
録音:2003年 (Naxos 8.557456)
1. 序曲
2. 第1幕 ガリツキイのアリア
3. 第2幕 だったん人の娘たちの踊り
4. 第2幕 コンチャーコヴナのアリア
5. 第2幕 ヴラディミールのアリア
6. 第2幕 イーゴリ公のアリア
7. 第2幕 だったん人の踊りと合唱
8. 第3幕 だったん人の行進
9. 中央アジアの草原にて
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12世紀のロシアで、実際に起きた史実をもとに書かれた散文作品「イーゴリ遠征物語」。ルーシ(現在のウクライナ)の一都市、ノブドロゴ・セーヴェルスキイの領主イーゴリ公は、ルーシへの侵入と略奪を繰り返していたトルコ系遊牧民族ポロヴェッツ人に対し、祖国ルーシを守る為に遠征を企てる・・・。この愛国譚をオペラ化したものが、歌劇『イーゴリ公』である。
作曲者は、アレクサンドル・ポルフィーリエヴィッチ・ボロディン。1833年11月12日、ペテルスブルグで生まれる。自称「日曜日の作曲家」。いつの時代でも、作曲だけで食べていくのは大変なことだが、彼の場合は、本業が医者であった為、多忙を極めていた。実際に、週1度程度しか、作曲の筆を取れなかったのであろう。
ボロディンは、ペテルスブルグ医科大学に入学した頃から、作曲にも手を染めていたが、23歳でムソルグスキー、29歳でバラキレフ、キュイ、リムスキー=コルサコフと出会うことによって、ロシア国民学派の中心勢力「力強い仲間(いわゆるロシア5人組)」を結成することになった。これ以降は、シューマンなどのドイツ音楽の影響を受け、交響曲なども作曲するようになるが、やはり彼のライフワークと言えば、36歳頃から着手した、歌劇『イーゴリ公』であろう。
『イーゴリ公』の劇中音楽で、最も有名なのが、第2幕で繰り広げられる「だったん人の踊り」。敵将コンチャック汗が、捕らわれの身となっているイーゴリ公の気晴らしにと、宴会を設けてくれる。(実に親切な敵将だ。) そこで、ポロヴェッツ人の若者と娘たち、奴隷として略奪されてきた娘たちが、望郷の思いを込めて歌と踊りを繰り広げる。ダイナミックで、異国情緒にあふれ、体が熱くなるようなダンス・シーンだ。
「だったん人の踊り」ほど有名ではないが、「序曲」も忘れられない名曲。重厚な導入部から、躍動感あふれるテーマが展開し、それが一段落すると、「疲れ果てた心には眠りも安らぎもなく(イーゴリ公のアリア)」の息の長い旋律が登場する。このあたりは、まさに万感の思いがこみ上げてくるところだ。異国の地にあって、望郷の思いに浸るイーゴリ公の心情が、ほぼ同じ境遇をたどりつつある自分自身の人生に投影されるせいであろうか。
『イーゴリ公』のCDで、最近よく聴いているのは、クチャル指揮ウクライナ国立放送交響楽団のハイライト盤。ここでは「序曲」「だったん人の踊り」の他、「イーゴリ公のアリア」も聴くことができるし、オマケ(?)として、「中央アジアの草原にて」も収録されている。演奏も、荒削りなローカルの味があり、クライマックスでの怒涛のような白熱ぶりがすごい。
尚、ボロディンは、この歌劇を最後まで完成することなく、1887年2月27日、53歳で世を去った。現在上演されているヴァージョンは、後年リムスキー=コルサコフとグラズノフによって補筆完成されたものである。
今年(2007年)はボロディン没後120周年に当たる。記念行事があるかどうかはわからないが、この国民的歌劇の傑作が、少しでも多く上演されるよう、期待したいと思う。
韃靼人の踊り~歌劇『イーゴリ公』の世界
ボロディンのライフワーク、歌劇『イーゴリ公』の魅力を伝えるホームページ。「だったん人の踊り」などのロシア語原詩と日本語との対訳もあります。

グラズノフ バレエ音楽「四季」(作品67)、ヴァイオリン協奏曲(作品82)
ネーメ・ヤルヴィ指揮 スコティッシュ・ナショナル・オーケストラ
録音:1987年 (Chandos CHAN 8596)
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グラズノフ バレエ音楽「四季」(作品67)、演奏会用ワルツ第1番(作品47)、第2番(作品51)
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 フィルハーモニア・オーケストラ
録音:1977年 (EMI Classics TOCE 59173)
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クラシック音楽の新しい地平を開く(?)「名曲夜話シリーズ」の第2回は、19世紀ロシアの作曲家グラズノフのバレエ音楽「四季」を紹介しよう。
ロシアのバレエ音楽と言えば、一般的にはチャイコフスキーの3大バレエが有名で、その後は、一気にストラヴィンスキーに飛んでしまうことが多いのだが、このグラズノフの「四季」は、チャイコフスキーとストラヴィンスキーの中間世代を代表するバレエ音楽の名作である。初演は、1900年という世紀の節目。だが・・・、これが意外に知られていない。そもそも、グラズノフという名前すら、学校の音楽史の授業に出てこないのではないだろうか。クラシック音楽に興味のない人は、おそらく、彼の名前など、一生知らずに終わるであろう。
アレクサンドル・コンスタンティノヴィッチ・グラズノフ。1865年8月10日、ペテルスブルグで生まれる。11歳から作曲を始め、14歳でロシア国民学派の大作曲家リムスキー=コルサコフに弟子入りし、16歳で早くも自作の交響曲第1番を学生服で指揮するという早熟ぶりだった。後には、ペテルスブルグ音楽院の教授に任命され、ショスタコヴィッチらを育てるなど、母国の音楽の発展に大きく貢献する。そして、1936年3月21日、ロシア革命後の移住先パリ郊外にて、70歳の生涯を終えるのである。
こうして見ると立派な経歴なのだが、実は、40歳台の半ば頃から作曲にいきずまり、アルコール中毒になってしまったともいわれる。さらに、最大の汚点は、1897年、ラフマニノフの交響曲第1番の初演に失敗し、作曲者を失意のどん底に落とす張本人になってしまったことかもしれない。このあたりが、今ひとつメジャーの作曲家として認められるのに、障害となっているのでは・・・と、思ったりもする。
しかしながら、このバレエ音楽「四季」だけは、汚名挽回の名作であり、聴かないでおくのはもったいない。わずか30~40分のあいだに、幻想味あふれる美しいメロディーが、次々と、おいしい御馳走のように運ばれてくるのである。
グラズノフの「四季」は、1幕4場(冬・春・夏・秋)で構成されている。ヴィヴァルディの同名のヴァイオリン協奏曲「四季」のような、春・夏・秋・冬の順番ではない。
ロシアの四季は、まず、果てつくような冬で始まる。ここでは、霜・氷・霰(あられ)・雪という4つの変奏曲が順に登場し、凍りついた雪原の情景をメルヘンチックに描写していく。そして、花と小鳥がダンスを踊る、つかの間の春を経て、ようやく、生命が躍動する夏が来る。矢車菊とケシのワルツ、舟歌が聴こえ、葦笛が響き、麦の穂・森の精らが、ダンスの輪に加わる。そして、「四季」のクライマックス、収穫の秋へと盛り上がっていくのだ。この秋の「バッカナール」の部分は、誰でも、一度はどこかで耳にしたことがあるのではなかろうか。
この曲を初めて聴いたのは、ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル・オーケストラのCDだった。レコード店で「四季」のCDを探していると、たまたま、このきれいなジャケットが目を惹いたというのが、購入した動機だったが、これが、大当たりだった。色彩豊かなバレエの情景が浮かんでくるような、生き生きとした名演で、何度聴いても魅了されてしまうのである。
このヤルヴィ盤があれば、とりあえず十分であるとは思うが、もう一枚、違う傾向のCDを選ぶとすれば、やはり大御所スヴェトラーノフの出番である。
スヴェトラーノフの演奏する「四季」は、とてもテンポが遅い。ヤルヴィの35分30秒に対して、42分もかけて、じっくりと歌い込んでいる。同じロシアでも、シベリアの豪雪地帯を思わせるような、途方もない雪の深さである。春から夏になっても、雪は溶け切らず、やがて、壮大な秋の収穫祭を迎えるのである。
このスヴェトラーノフ盤は、イギリスのオケを振っているためか、派手な爆演をあえて封印し、味わいの深さで勝負しているかのようだ。
グラズノフにも、特別のファンがいる。「実力があるのに、十分認められていない」という思いからの判官びいき(?)は、なんとなく理解できる気もする。最後に、グラズノフの専門サイトを一つ紹介しておこう。
グラズノフのホームページ
管理人「ひげっち」さんが運営する、グラズノフの人と作品を紹介するホームページ。掲示板で情報交換ができます。

カリンニコフ 交響曲第1番ト短調、グラズノフ 「海」(作品28)、「春」(作品34)
ネーメ・ヤルヴィ指揮 スコティッシュ・ナショナル・オーケストラ
録音:1987年 (Chandos CHAN 8611)
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カリンニコフ 交響曲第1番ト短調、第2番イ長調
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ソヴィエト国立交響楽団
録音:1975年[第1番]、1968年[第2番] (Venezia CDVE4242)
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さて、今回からは、クラシック音楽の名曲・名盤を紹介していくことにしよう。
もちろん、一口に「名曲・名盤」と言っても、その数はあまりにも多い。時間的・経済的に制約のある一般の音楽ファンとしては、その中の、ごく一部の音楽しか聴くことができないのが現状である。なので、正確には、「たまたま出会った、名曲・名盤」というべきかも知れない。
ただ、たとえ偶然の出会いではあっても、自分にとっては、やはり、かけがえのない財産であることに変わりはない。あくまで途中経過ではあるが、これまで、自分の人生を彩ってきた名曲・名盤の数々を、思いつくままに、ふりかえってみたいと思う。
まず第1回は、カリンニコフの交響曲第1番。「いきなりマニアックな曲!」と、あきれる人もいるかもしれない。ヴァシリー・セルゲーイヴィッチ・カリンニコフ。1866年1月13日生まれのロシアの作曲家。ラフマニノフの7歳年上にあたる。経歴だけを見ると、まさに薄幸を絵で描いたような人生。18歳の時に入学したモスクワ音楽院は、貧しくて学費が払えず中退。26歳で、チャイコフスキーの推薦で指揮者の仕事を得るが、結核を患い挫折。以後、療養の甲斐なく、1901年1月11日、35歳の誕生日を目前にして、世を去るのである。
この交響曲第1番は、黒海沿岸の町ヤルタで病気療養中の1894~95年に書かれた。年齢で言えば、28歳から29歳にあたるので、本来なら青春期の出世作という位置付けになるだろうか。しかしながら、前述の通り、35歳にも満たないまま早世したこともあって、残された作品は少なく、カリンニコフの名は、そのまま音楽史から忘れ去られることになった。ようやく復活の兆しが見えるようになったのは、ここ20年ほどの間であるが、1988年、ネーメ・ヤルヴィ指揮、スコティッシュ・ナショナル・オーケストラによる録音が発売された時は、かなり評判になった。
自分が、カリンニコフの知られざる名曲を聴いたのは、このヤルヴィ指揮のCDが最初である。今聴いても、曲の美しさを素直に引き出した、魅力満点な名演だと思う。風がささやくように始まる最初のテーマと、夢と憧れに満ちたメロディーが絶妙に絡まってゆく第1楽章。粉雪のちらつく中を、ひとり散歩する風情のある第2楽章。イスラム風の民族舞踊をモチーフにした第3楽章。そして、夢と憧れに満ちたテーマが回帰する第4楽章。当時、自分はすっかり、その魅力にハマってしまい、毎日のように、このCDを聴いていたものである。
このヤルヴィ盤は、当初、交響曲第1番と第2番が別々のCDに分かれて発売されていたが、現在は、1枚のCDにまとめられている(Chandos CHAN 9546)。初めてこの曲を聴くならば、まず、このCDを買い求めるのがいいだろう。
ヤルヴィ盤以外で注目されるのは、やはり、ロシアの大御所スヴェトラーノフ盤。1993年にN響を指揮したものも出ているが、極めつけは、ソヴィエト国立交響楽団と録音した1975年盤だ。この演奏は、長らく、廃盤で入手困難な時期が続いていた為、ファンの間では「伝説の名盤」として復活が待たれていた。幸い、現在ではロシアのVeneziaというレーベルから、第1番と第2番がカップリングされたものがリリースされている。
これは、ものすごい演奏だ。鋼のように強靭なアンサンブルのもと、速いテンポで、一気呵成に突き進む。旧ソ連スタイルの演奏としては、一つの極致かもしれない。耳をつんざくような金管の強奏が、時にうるさいほどだが、このような、やりたい放題の爆演は、おそらく二度と聴けないだろう。ヤルヴィ盤とともに、手元に揃えておきたいCDである。
カリンニコフの交響曲は、世界の一流オーケストラで耳にすることは、滅多にないが、アマチュア・オーケストラには人気があって、日本国内でも年に4~5回は演奏されるようである。この曲には特別のファンがいて、この曲のみの情報を専門に集めたサイトもあるので、参考までに紹介しておこう。
カリンニコフの交響曲第1番なHP
管理人「ふろんめ」さんによる、カリンニコフの交響曲第1番の情報を集めたサイト。オーケストラの演奏予定などが、掲示板に書き込まれています。