一円相(いちえんそう)

丸、○の事です。
心が何時もまあるくありますように。。。。

見方を変えれば。

2017年02月18日 05時12分34秒 | 日々徒然

朝大雨。
ゴミ出しもかねて早めに掛かりつけへ医院へ。

何時ものようにセブンでコーヒを買い(*^。^*)
順番を書いたら車喫茶店。

以前読んで軽く読めて字の大きな本を持って行く
8時10分前に到着
4番目。

先生はだいたい8時に来られるんだけど
段々早くなってる?

8時半診療開始の個人医院なんて少ない。
スタッフの受付や看護師は8時30分到着。

あれ~~遅くない?

患者側に重きを置く先生とスタッフ側に重きを置く先生とでは
どうしても違ってくるものがある。

スタッフも家族があり子供も小さかったりすると
遅くに出勤して早くに帰宅したい。

先生は出来るだけ患者を診てあげたい。
そのギャップが手に取るように分かる。

たまたま昨日は医院の前を夕方6時前に通った
まだ駐車場は満杯。
(こりゃ~~7時に終われるかな~~)

他の医院はほとんどもう終業状態でブラインドが下りていたりする

今まで掛かった先生の中で一番誠意がある
(私は難しい人間だから人間観察は厳しい)
だからご自身も大事にして欲しい。

病院経営・・・・難しいとこ多いんだろうな~~
山口大学医学部のおひざ元
周りは個人医院がコンビニのようにある
患者が多い少ないはすぐわかる。

先生を選ぶのも寿命のうち。
お後がよろしいようで(*^。^*)

雨の週末です。

2017年02月17日 05時45分38秒 | 日々徒然
昨日は5人がコメダに集いました。
主なる目的は私の吹き矢の段昇格のお祝いでした。

「今回は前とは違って緊張してたね」
と言われました。

私は試験とかを楽しむ所があります
おちょくっています。
だけど今回は本当に違っていました。

試験が終わってもう数日たったのに
身体が変なのです。
いたくなった事の無い左の背中が痛かったり・・・・
昨日朝は
寒気と吐き気で間に合わなかったらいけないとビニール袋を持って
午前中寝ていました。

午後からはケロッと治ったのですが・・・・・
これって
やはり身体に応えていたんでしょうか?
思いたくはないけれどやはり年齢?(*^。^*)

5人の会話は
周りの人の死・・・について
そして葬儀の変化
「昔はね~~~その家に集まって・・・」から
自治会館葬儀に変わり
今は斎場になり・・・・

そして家族葬。

会館が無用の長物になりつつあるね~~~で終わり(*^。^*)

葬儀はしたくないと言う
家族で静かに見送って欲しい・・・と

私もそう思う。
仲良しさんには後でお別れに来てほしい。

選べる時代で良かった~~と
皆一致した思いでした。


今年は
クリスマスローズのお花が少ないです。


大好きなバイモ百合が出てきました。
友達の所からうちに来て
なくなったらいけないと2か所に植えています。
花後地上部無くなるのは掘り起こさないように大切にしないと
消えてしまいます。
現にこの貝母百合は2回目に頂いたものです。

一年前の今日

2017年02月16日 05時31分14秒 | 日々徒然
恕のこころ。
雨上がりの朝と言っても5時(笑)気温は15度なまあたたかい強風は春一番かな?「さよならの世界」は主人のベストアルバムの一曲子供の頃か......


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昔のブログは良い事書いてるな~~
今はダメだ(ー_ー)!!

森山良子の「さよならの世界」
だれかユーチューブにのせてくれないかな(*^。^*)
ヒットしません・・・

「恕」の意味を今一度思い起こし
もっと大切に生きなくては・・・・
恕の意味

恕=思いやり(自分に対する思いやり)
自分を大切にすると言う事????

思いやりがあればイラッとはしないのか?
やはり
モラルを欠いたり人をイラッとさせることは避けるべきですね



イラッと来るとき

2017年02月15日 05時41分30秒 | 日々徒然
たとえば
スーパーでお肉を買った時ビニール袋に
入れてくれる人もいるが・・・・・

まとめて沢山のビニール袋をセルフ籠に入れる店員さんもいる
その口がなかなか開かない

開かないどころか上下も分からない・・・・・
「イラッ」と来る

雨降りの時
荷物が多い時に限って
ワンタッチで開く傘ではない手動の傘を持参した時
「イラッ」と来る

コインパーキングやコインランドリーで100円玉が無い時
「イラッ」と来る

最近・・・・・
なにかにつけてイラついている。
タイミングが合わない時も・・・・・

右折帯で待っている時
ノロノロとリズムに乗れない車。

沢山、沢山・・・・イライラしている。

先日絵手紙の仲間で私の合格祝いと称して(笑)
集合しようと言う事になった。

何時でもいいよ~~と言うのは1人と私。
後はてんでバラバラな日時を言って来る。

「何時でもいいよ。自分の都合と合わない時は、その時は自分は
パスするけど次回は必ず行くね」
位のスマートさが必要と思うけど・・・・・・

散々イライラしたけれど、収支が付かないので日にちを限定した。
違った日にちになったにもかかわらずOKだと言って来る
なんなのよ~~
それなら・・・「いつでもOK」ってことじゃ~~ないん?
あっちやらこっちやらメールしまくり
ほとほと疲れたよ~~~

心が乾いてる

昨日の動物病院で写す
我が家はもう終わったスノードロップが咲いている
清らかで美しい。
私の心とは大違い(*^。^*)

私は19歳で母を失った。

2017年02月14日 14時41分32秒 | 日々徒然
母が体調を崩したのは17歳の後半だったと思う。
病名は「肺結核」
そう知らされていた。

私は・・・・
中学の時から「母の存在」が何かしら透けて見えて
長く一緒に居られない・・・・
そんな思いが心の中に核のようにあった
(そのように見えていたのかもしれない)

最初の頃は度々外泊をしていた。
父親は昔から毎日日記を書いていたが
母は時々その日記を盗み見しているのを私は知っていて
父に告げ口した事がある

「そんなこと分かってるよ」と父は言った。

父親はモテる人だったし母親はやきもちやきだった。
今思うと男っ気のある父に母はぞっこんだったのだろう。

外泊して来る母はキット父の日記を読むだろう・・・・
もし肺結核じゃなかったらどうしよう・・・・
私の心は張り裂けんばかりだった・・・・・

そして
親友に
「今私は悪い事をする。お願いだから側に居て」と事情を話し
父の日記を盗み読みしたのだ・・・・・

みるみる私の目から涙があふれ出た・・・・・
母の病気は肺癌でもう何の手立てもなしとそこに記されていた。

ここからの記憶は飛んでいる。

おそらく父親をなじったのだろう・・・・
日記を読むのを分かっていて何故書いた!
この日記をどうする?
隠すと余計に疑う・・・と

全くの記憶が無い。

多感な年齢で幼稚な成長しきっていない私は
その時から人生が変わった。

母に「ありがとう」も言えなかった。
葬儀の時
泣きじゃくって私は母の骨が拾えなかった
母の身体が骨になった事を受け付けなかった

親戚のおばたちが
「貴女が骨を拾わないとお母さん成仏出来ないよ」と前に押し出す
私は泣いて反抗した

そんな時父が「大丈夫、外で休んどき」と助け舟を出してくれた。

それ以来
私は人の葬儀には出ていない。
出られないのだ。

葬儀の後仏様に手を合わせに行く。

19歳だったけど
精神年齢は14,5歳だったのだと思う。







六花さんのブログを読んで湧きあがった思い出