母が体調を崩したのは17歳の後半だったと思う。
病名は「肺結核」
そう知らされていた。
私は・・・・
中学の時から「母の存在」が何かしら透けて見えて
長く一緒に居られない・・・・
そんな思いが心の中に核のようにあった
(そのように見えていたのかもしれない)
最初の頃は度々外泊をしていた。
父親は昔から毎日日記を書いていたが
母は時々その日記を盗み見しているのを私は知っていて
父に告げ口した事がある
「そんなこと分かってるよ」と父は言った。
父親はモテる人だったし母親はやきもちやきだった。
今思うと男っ気のある父に母はぞっこんだったのだろう。
外泊して来る母はキット父の日記を読むだろう・・・・
もし肺結核じゃなかったらどうしよう・・・・
私の心は張り裂けんばかりだった・・・・・
そして
親友に
「今私は悪い事をする。お願いだから側に居て」と事情を話し
父の日記を盗み読みしたのだ・・・・・
みるみる私の目から涙があふれ出た・・・・・
母の病気は肺癌でもう何の手立てもなしとそこに記されていた。
ここからの記憶は飛んでいる。
おそらく父親をなじったのだろう・・・・
日記を読むのを分かっていて何故書いた!
この日記をどうする?
隠すと余計に疑う・・・と
全くの記憶が無い。
多感な年齢で幼稚な成長しきっていない私は
その時から人生が変わった。
母に「ありがとう」も言えなかった。
葬儀の時
泣きじゃくって私は母の骨が拾えなかった
母の身体が骨になった事を受け付けなかった
親戚のおばたちが
「貴女が骨を拾わないとお母さん成仏出来ないよ」と前に押し出す
私は泣いて反抗した
そんな時父が「大丈夫、外で休んどき」と助け舟を出してくれた。
それ以来
私は人の葬儀には出ていない。
出られないのだ。
葬儀の後仏様に手を合わせに行く。
19歳だったけど
精神年齢は14,5歳だったのだと思う。
六花さんのブログを読んで湧きあがった思い出
病名は「肺結核」
そう知らされていた。
私は・・・・
中学の時から「母の存在」が何かしら透けて見えて
長く一緒に居られない・・・・
そんな思いが心の中に核のようにあった
(そのように見えていたのかもしれない)
最初の頃は度々外泊をしていた。
父親は昔から毎日日記を書いていたが
母は時々その日記を盗み見しているのを私は知っていて
父に告げ口した事がある
「そんなこと分かってるよ」と父は言った。
父親はモテる人だったし母親はやきもちやきだった。
今思うと男っ気のある父に母はぞっこんだったのだろう。
外泊して来る母はキット父の日記を読むだろう・・・・
もし肺結核じゃなかったらどうしよう・・・・
私の心は張り裂けんばかりだった・・・・・
そして
親友に
「今私は悪い事をする。お願いだから側に居て」と事情を話し
父の日記を盗み読みしたのだ・・・・・
みるみる私の目から涙があふれ出た・・・・・
母の病気は肺癌でもう何の手立てもなしとそこに記されていた。
ここからの記憶は飛んでいる。
おそらく父親をなじったのだろう・・・・
日記を読むのを分かっていて何故書いた!
この日記をどうする?
隠すと余計に疑う・・・と
全くの記憶が無い。
多感な年齢で幼稚な成長しきっていない私は
その時から人生が変わった。
母に「ありがとう」も言えなかった。
葬儀の時
泣きじゃくって私は母の骨が拾えなかった
母の身体が骨になった事を受け付けなかった
親戚のおばたちが
「貴女が骨を拾わないとお母さん成仏出来ないよ」と前に押し出す
私は泣いて反抗した
そんな時父が「大丈夫、外で休んどき」と助け舟を出してくれた。
それ以来
私は人の葬儀には出ていない。
出られないのだ。
葬儀の後仏様に手を合わせに行く。
19歳だったけど
精神年齢は14,5歳だったのだと思う。
六花さんのブログを読んで湧きあがった思い出