午前0時まで友人と話し込み、
友人が帰って一度は床に就いたのだが、
気になることがあり眠る事ができず、
“慶長の大地震=微振動大津波地震”
について調べ直してみた。
昨夜友人が来る前に文字にした、
【浜岡原子力発電所の停止と東海地震】:私の認識。
のための資料を確認していて、
東海~南海地震と考えられている不思議な地震を発見。
1605年に起きた、
慶長(けいちょう)大地震はM7.9×M7.9の規模でありながら、
房総半島犬吠埼(茨城県)~九州地方にまで津波が襲来。
その時“何が起きていたのか”を素人なりに考えてみた。
慶長の大地震とは、
1605年(慶長9)2月3日に起きた微振動地震と大津波。
理科年表(国立天文台:丸善出版)によると、
A:33.5゜N 138.5゜E M7.9
B:33.0゜N 134.9゜E M7.9
の2つの地震がほぼ同時に起きたと考えられる東海~南海地震で、
東海・東南海・南海・西海諸道に被害を及ぼしたとされる。
地震(振動)の被害は淡路島で報告されるのみで、
津波は犬吠埼~九州までの広範囲に及び、
*八丈島で水死者57人。
*浜名湖近く橋本宿で100戸中80戸が流出。
*紀伊半島西岸広村(和歌山)で1700戸中700戸が流出。
*阿波宍喰(徳島県)で波高2丈(約6m):死者1500人余。
*土佐甲ノ浦(高知県)で死者350人余。
*室戸岬付近(高知県)で死者400人余り。
と記録され、
寒川 旭著『地震の日本史』では、
*浜名湖では舟は山際に乗り上げ、
*宍喰浦(徳島県)では地面が割れて水が湧き出し、
*安房、上総、下総(千葉県)にも津波が襲来(疑問視)。
と古文書に記されていると紹介され、
地震研究者の結論としては統一されておらず、
東海~南海地震とする説(同時に2個の震源)と、
東海沖の一つ地震(1つの震源)とする説が有力。
日本の地震学者が断定した震源地域に誤りはないだろうが、
素人の私が考えた仮説としての伊豆・小笠原海溝の巨大地震。
東日本大震災(海溝型:プレート境界地震)を経験したことで、
私が考えた次の巨大地震の可能性としての、
太平洋プレートの延長線上に存在するプレートの移動(=地震)。
多くの書物では、
駿河トラフ~南海トラフ(ユーラシア~フィリピン海プレートの境界)での、
巨大地震にばかり注目が集まるが、
伊豆・小笠原海溝(フィリピン海プレート~太平洋プレートの境界)での、
巨大地震の脅威に触れている書物を過去にも読んだことがない。
*伊豆半島~伊豆諸島近海で起きる群発地震の記述は見られるが…。
東日本大震災は東北~関東地方の太平洋沖(日本海溝)、
“太平洋プレートと北米プレート境界で起きた地震”
であり、
地形的には連続すると思われる、
伊豆・小笠原海溝(フィリピン海プレート~太平洋プレートの境界)はノーマーク。
伊豆・小笠原海溝が過去の地震史では大きく動いたとの資料は見つからないが、
もしかしたら“慶長の大津波地震”は、
伊豆・小笠原海溝で起きたM8・6以上の巨大地震ではないか?
注目すべき点としての“八丈島の死者数”は島の(推定)人口から異常値を示し、
島の地層の(津波による)堆積が北西側にあれば東海沖の可能性は高いが、
仮に八丈島の東側沿岸部にあれば伊豆・小笠原海溝の巨大地震ではないか?
徳島県で6mの高さの津波を記録しながらも京都では微かに地震の振動を感じ、
宍喰浦では液状化現象に似た事例(長周期地震動?)が古書で紹介されることから、
南海トラフを震源とするM7.9×M7.9(同時に連動)の数字に疑いを持たざる得ない。
私がイメージする、
“フィリピン海プレート×太平洋プレート境界の巨大地震”
は、
まさに慶長の大地震(微振動大津波地震)に符合する。
仮に、
伊豆・小笠原海溝で起きる巨大地震
が実際に存在するならば、
日本の太平洋側の津波対策は大きく見直されなければならず、
*その津波の規模と高さ(=被害想定)は如何なるものになるのか?
*八丈島周辺で起きるM8~M9の巨大地震と国内各地の津波の到達時間は?
~当然、震源地に近い伊豆・小笠原諸島の揺れと津波被害の調査・想定。
遠くで起きる振動のない巨大地震と大津波。
伊豆・小笠原海溝が引き起こす巨大地震と津波の関係。
一般人である私の思い過ごしであればと願うが、
あらゆる可能性を想定する事に無駄はないと感じる。
~その津波被害の大きさはチリ沖地震(1960年)の比ではないだろう。
<関連記事>
*巨大プレート境界型地震の“大津波を予知”できるかも知れない。
→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110322
只今午前3時3分33秒。
ぐっすり眠れそうです。
おやすみなさい。
<追記:5月8日夜>
伊藤和明著:『地震と噴火の日本史』によると、
津波は四国~東海までの太平洋岸を襲い、
室戸岬では波高が10mに達した。
この地震による震害の記録はほとんどなく、
南海~東南海の海底下の断層がゆっくりと動いた、
“津波地震”と考えられる。
気になる記述として、
地震・津波と火山の事典(丸善)
には、
1605年10月27日に八丈島で火山爆発。
田畑に被害が出たとされる。
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