mimi-fuku通信

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『ジャイアント馬場:蘇る16文キック!』 没後10年/ BS日テレ。

2010-01-29 00:30:00 | 芸能・スポーツ

 
 *永久保存版!俺たちは忘れない。
 『ジャイアント馬場:蘇る16文キック。』
   ~最新デジタル技術で鮮やかに蘇る!~

 放送局  :BS日テレ
 放送日  :2010年1月30日(土曜日)
 放送時間:午後1時00分~午後3時54分
(放送終了)
 
~約1年余の時間を経て待望の再放送です。

 放送局  :BS日テレ
 放送日  :2009年1月1日(木曜日)
 放送時間:午後9時00分~午後10時54分
(放送終了)
 
番組Hp :http://www.bs4.jp/sports/guide/baba/index.html

 <mimifukuの独り言。>

 もし、
 「著名人の中で一番影響を受けた人は誰?」と聞かれたら、
 私はジャイアント馬場さんと矢沢永吉さんの2人を答える。
 この2人の組み合わせは意外と思われるだろう。
 矢沢永吉さんならアントニオ猪木さんじゃない?
 
 ではもう1つ。
 「著名人の中で一番敬愛した人は誰?」と聞かれれば、
 迷うことなくジャイアント馬場さんと答える。
 なぜなら馬場さんほどしっかりとした回答を持ちあわせた人は少ないし、
 頭の良いと言われる<一本調子>の狭い考えを持つ多くの著名人の中にあって、
 ジャイアント馬場さんの<臨機応変で明解な答え>にはいつも感心していた。

 *有名であることの憂鬱。

 
「有名になるとサングラスをかけたり帽子をかぶって自分を隠そうとする。
 でも俺は隠せないんだよな。どこに居たって俺とわかってしまう。」


 若い多くの誰もが有名になりたいと感じる。
 自分を見て欲しいと感じる。
 しかし、
 有名になることは同時に多くの行動や自由が制限される。
 お手洗いに入っても好奇の目で見られる。
 だから馬場さんはホテルとゴルフ場とハワイを愛した。
 無責任なファンの行動にいつも笑顔で答えなければならない立場。
 有名であることの憂鬱。
 私は馬場さんから学んだ。

 *立場と行動。

 
「昔はよく飲みにも行ったんですよ。
 でも地元の腕っ節に自信のある奴等が楽しく飲んでいる所へ、
 必ずからんでくる。
 こちらが手を上げれないことを知っていて挑発してくる。
 だからホテルの中で食事を済ますことが多くなりましたね。」

 この言葉を公務員の友人に話したら意外な答えが返ってきた。
 「公務員だって同じだよ。
 俺たちが市民に色々な要求や懇願に行っても、
 俺たちが強い調子で反対できないことを知っていて、
 罵詈雑言の数々を浴びせられることも度々あるし。」
 ふ~ん。
 知らないところで苦労しているんだね。
 今の社会は、教師にしても、医師にしても、販売業も、営業員も、
 自分の立場でモノを言うことが難しくなってきている。
 著しい<市場原理=競争原理>や、
 偏った<ゆとり思考=競争の排除>は、
 敬愛の情や、尊敬の念を蔑ろにしてしまった。
 馬場さんの原理は、臨機応変(本人の一番お気に入りの言葉)。

 *娯楽の多様化。

 
「なぜ(全盛期と比較し)
 プロレスの人気が落ちてきたかって?
 それは観る娯楽が多様化したからですよ。」

 ここ数年の野球の視聴率の急落を見ればわかるように、
 スポーツ観戦はイベント化されている。
 ワールド・カップの時だけサッカーを見る私を含む多くの人達。
 オリンピックの時だけ陸上や競泳、柔道を見る多くの人達。
 1つの競技に集中していられないほどの、
 観たい多くの競技が乱立している。

 世界中のあらゆるスポーツを国内に取り入れることは、
 その国の豊かさのバロメーターになる。
 スポーツだけでなくお笑いやコンサートなど娯楽の多様化は、
 プロレス一点に集中させない状況を作り出した。
 いつまでも力道山の時代であれば国家の発展はない。
 変化と進化を求めてこそ国家の潤いが生まれる。
 この言葉からそんな事を読み取ることができる。

 おそらく馬場さんのこと考えながら文字を起こせば、
 1冊の本が書けるほどの多くの思いが私にはある。

 全盛期を過ぎたあたりのエリックやサンマルチノ。
 ドリーの初来日や、ミル・マスカラス、ロビンソン(国際プロレス)の活躍。
 ゴッチVSロシモフ(A・ジャイアント)の時代からプロレスを見てきた。

 馬場さんの好敵手のキニスキーやレイス、ブッチャーとの名勝負。
 さらにハンセン全日参戦後の白熱した好勝負と馬場人気の復活。
 ブリスコから奪った世界最強の証明(NWA世界王者)
 レスラー人生晩年の世界最強タッグ・リーグ戦での
 天竜・ハンセン組戦で示した<王者としての誇り>
 限りない思い出がある。

 そうした長いプロレス視聴(&観戦)の中で、
 特にSWSと言う新規のプロレス団体が創立されて、
 多くの全日本プロレスの所属選手たちを引き抜かれた後、
 残留選手たちの向上心に満ち溢れた頑張りと、
 馬場さんの着実で手堅い経営手腕によって、
 最高の10年を築いた1990年代。

 その時代の全日本プロレスの活性化を目の当たりにした事実は、
 日本のショービジネス(プロ・スポーツ全般)史上最良の瞬間だった。

 1990年代のプロレス文化
 市場原理主義への全日本プロレスの解答は、
 
最上の品質と超技巧への挑戦
 さらに、
 ファンの目線に照準を合わせた内部改革。
 職人気質の全日本に残った若手の選手たち。
 彼等(後に四天王と呼ばれる)の一心不乱な姿勢は、
 日本の今後の行き先の指標となる理想系だった。
 求道者。
 私は、この言葉が好きだ。

 「一流のプロレスラーとは、パンツ一枚あれば、
 世界中何処へ行っても飯が食えるんですよ。」 

 馬場さんが亡くなられてから早10年の年月が過ぎた。
 この番組を見ながら残された多くの言葉に感謝したい。
                             (合掌。)


 <番組を見て感じたこと。>

 真面目で遊びのない番組作りにホッとしています。
 思った以上に良い番組でした。
 ちょっと自慢話になりますが放送最後の3試合を実際に生で観ています。。
 ・鶴田VS三沢戦は武道館2階最前列で見ています。
 ・馬場さんの還暦記念興行は後楽園ホールの2階バルコニー席で見ています。
 ・引退(追悼)興行はゴールデン・ウィークの真っ只中でした。
 
~この興行でのメイン:三沢VSベイダーの試合をはっきりと覚えています。

 馬場さんの、
 名著:「たまにはオレもエンターテイナー」の中に、
 『二束のワラジをはかない』との言葉があり、
 ちょっと懐かしく思い今し方、目を通しました。
 経営者として興行を打つ中で、
 プロレス意外に余所見(よそみ)はしないと言う意味なのですが、
 そのことが<求道者>の証明になります。

 既に絶版の著作の中を少しだけ紹介すると、
 「プロレス意外に手を出すことは、一種のバイタリティのように感じるかもしれませんがオレは意欲の欠如と考えます。プロ・スポーツをやりながらまったく関係にない事業に手を出すことは、必ずどちらかにマイナス面が出てきます。特にプロレスの場合は、一年の半分は地方巡業に出ていますから、別の事業に手を出して、何かある度にそちらの方に気をとられていたり、他の選手と別行動をとってとんぼ返りしていたら、コンディションに響かないわけがありません。オレがプロである以上、プロレスに専念しなければならないと言うのがオレの信念です。そうしなければファンに失礼ですし、一種の裏切り行為だと思います。」

 さらに、
 「オレも全日本プロレスの代表になってから経営者の苦労というものをつくづく味わっています。資金繰りに窮した時などは、眠れない夜が続きます。」
 
しかし馬場さんは、
 選手・社員や外人レスラーの給料を一度も滞ったことはない(ただし、“渋ちん”だとの話もありましたが)と伝えられています。
 シーズンオフの時には、その高い知名度で多くのテレビ出演もしましたがそうしたお金も選手への支払いや資金繰りに随分と補填されたとも伝えられています。
 本当の話は本人の著書の中にあるように闇の中(レスラーのギャラは公表しない)ですが選手達や社員のために身銭も随分と切られたようです。
 
 先日のブログ内記事、
 宮崎駿監督の『100年インタビュー』の中でもふれましたが、
 経営者(あるいは代表)としての責任感の強さ
を感じます。
 そもそも一流の人間とは、自分だけのことを考えるのではなく、
 組織や団体に対する責任義務の遂行ができる人です。

 昨今の派遣業者の起業者達の、
 責任義務の放棄を見るにあたって、
 宮崎監督や馬場さんが語る、
 <経営サイドの責任と義務>
 
を考えさせられました。

 この番組の多くのインタビューを見て、
 「馬場さんの持つ人柄が恋しい。」
 そんな番組制作にもなっていたと感じます。

 番組中:キャデラックについて、
 「浮気は、しない。」と表現されていましたが、
 最初のキャデラックは親友・サンマルチノからのプレゼントでした。
 ~キャデラックは、サンマルチノとの友情の証(あかし)。
 そのあたりも馬場さんらしいエピソードです。

 お正月の元旦から少し優しい気分になれました。
 格闘技の番組なのに和みの番組でした。
 
石川県は雪で電波の状態が少し不良で、
 再放送は何時かな?
 などと思いつつ・・・。


  <追記:1月2日夜。>

 ・・・は、天竜選手のインタビュー記事を真似て(笑)。
 番組の終盤、還暦記念興行での、
 「子供の時にね、60歳といったらね、ずいぶんお年寄りだな~と思ってましたが、
 自分がなってみたらね、なんだまだやれるじゃねえか。」
 との言葉は、強いインパクトで迫ってきます。
 生涯現役を宣言したこの興行が1998年1月23日で、
 亡くなったのが翌1999年の1月31日ですから、
 人の運命はわからないものです。

 阪神・淡路大震災での逸話はプロレス・ファンには有名な話ですが、
 自分をアピールすることなくファンの家を尋ね歩いた姿勢に、
 馬場さんの本質を見る思いがします。
 「今、何が欲しい?」
 と被災者に直接電話して問うた思いやりの心に、
 一人の人間として何ができるのかを考えた末の行動だと感じました。
 馬場さんほど有名ならば表立って活動することもできるはずですが、
 目立った行動は『売名行為』として報道される可能性もあり、
 著名人としてではなく、
 一個人として行動されたのだと感じました。

 私達は、何ができるのでしょうか?
 2009年1月2日
 世界は経済災害に見舞われています。
 東京の日比谷公園には路上生活者のための、
 『年越し村』に多くの方々が奔走されています。
 「今、何が欲しい?」
 馬場さんの言葉が身に染み入ります。

 この番組を見て、
 そんなことも感じました。

 <関連記事>
 
*追悼:三沢光晴の生き方 ~理想主義者/馬場イズムの継承。
 → http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/9a64fc2ef40e2614f7acf53787877ec6 
 
 *横綱:朝青龍の飲酒暴行事件 & ジャイアント馬場の金言。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/00a070f714fe06bca5bbc98c4202c458



 ~下記、BS日テレホームページより転載。

 昭和のプロレス史に偉大な足跡を残すジャイアント馬場さん。
 馬場さんが亡くなって今年で10年。
 この10年間の間、
 馬場さんの特別番組は一切放送されることがありませんでした。
 番組では2009年1月31日の10回目の命日を前に、
 ジャイアント馬場さんの生涯と名勝負の数々を2時間にわたり一挙放送。
 61歳で生涯を閉じた「人間・馬場正平」の素顔を浮き彫りにしながら、
 38年のプロレス人生にちりばめられた数々の名勝負を、
 馬場さんが闘った5759試合の中からチョイス。
 さらに今回、
 試合映像を全て最新のデジタル処理を施し当時の臨場感が鮮やかに蘇ります。

 
番組ナビゲーターは、
 馬場さんからただ一人モノマネすることを許された関根勤さん。
 馬場さんが生前その店のハンバーガーを求めて足繁く通ったという、
 贔屓のレストランなど馬場さんゆかりの地を訪ね、
 他番組では滅多に引き受けないナレーションも担当。
 また、
 馬場さんの愛弟子のみならず、
 王貞治コミッショナー特別顧問(福岡ソフトバンクホークス前監督)など、
 各界の著名人も多数出演。
 『人間・馬場正平』の知られざる素顔を明かします。
 
2009年元日。
 ジャイアント馬場さんの勇姿とあの感動がいま鮮やかに蘇ります。

 【ナビゲーター】:関根勤


 


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