三沢光晴さんが亡くなったのが昨日の今頃。
今日は3人の友人から連絡・問合せがあった。
著名人が亡くなって(報道された)その日のうちに、
3人も「どうなってるの?」と問合せされたのは過去に記憶がない。
私と同世代の三沢さんが如何に注目されている存在だったのか、
改めて再確認した思いだ。
私の手元に三沢さんが現した著書がある。
「理想主義者」(出版:ネコ・パブリック社)
~プロレスは常に進化しなければならない。
その著書から少しだけ抜粋。
【社長としての三沢光晴さんの言葉】
「私が考える本当の強さとは、
試合に勝つことでも強力な技を持っていることでもない。
身体の強さや筋肉の質は、
持って生まれたものに大きく影響されるので限界があるが、
精神面は本人次第でいくらでも強くすることができる。
人間は変われるものだ。」
「私は(社長として選手達に)、
<がんばります。>や、
<がんばったんですけど…。>
が聞きたいのではない。
<がんばりました。>
が聞きたいのだ。」
「プロレスラーには次の試合ができる保証はない。
(練習中のケガを含め)ケガをすると大抵の選手は、
<あのとき、こうしておけば…。>
と思うものだ。
しかし勝負に<たら、れば>が通用しないのは自明の理。
だからその時に考え得るすべてを出すことが大事になる。
悔いを残すことほど悲しいことはない。」
「企業の経営者は、社員に統一した意識を持たせるために、
会社の方向性を示す必要性があるだろう。
(中略)
しかしプロレスは企業と違ってモノを売るのではなく、
人(レスラー)が商品である。
人には意志があり個性がある。
それを均一化することはできない。
(中略)
人は自分で考え向上心を持たない限りよくならない。
だから私は具体的なプランを持たない。
こちらがすべてを決めてしまい、それに合わせ従わせるよりも、
全員が使命感とプロ意識を持って仕事に励むことが大切で、
そうやって(各々が)努力していけば特に舵取りをせずとも、
自ずと良い方向に向かうのではないか?
私が考える理想の会社とは、
一人ひとりが個性をぶつけ合い、
その上で歩み寄って最善の結果を求める大人の集団であり、
社員同士がきちんと自分の役割をまっとうし自らの力をつけ、
積極的に動き、成功を分かち合い、失敗を恐れない。
そんな人間の集団にしたい。」
この「理想主義者」(出版:ネコ・パブリック社)は、
2004年4月13日に初版が販売されている。
著書の内容は玄人向きの花伝書で
プロレスについての「風姿花伝」とも言える内容。
と言うよりも全編を通して『馬場イズム』の匂いがすると感じる。
『猪木イズム』と言われる自己完結型の主義思想とは違い、
多くの目配りが細かに記載されており三沢さんの誠実が読んで取れる。
プロレスを色眼鏡で見る方にとって、
プロレスには多面的な各々の局面の違いがあることをご存知だろうか?
主役・脇役を設定し自分が光ることで試合を完結する『猪木イズム』。
相手を光らせることで試合を成立させる『馬場イズム』。
2つの両極端の相容れないスタイルはなぜか、
猪木イズム=ストロング・スタイル。
馬場イズム=ショーマン・スタイル。
と分類された。
再び三沢さんの言葉を借りよう(王道プロレスの真髄)。
「時には相手の技を受けて身体の強さをアピールするプロレスだが、
それは受身の確かなる自信があってこそ体現できる、
最高峰の技術と言ってよい。
ここにプロレスの醍醐味があるのは事実だ。
ダイナミックな動きは会場を盛り上げ、
ファンはプロレスラーの強さを実感する。」
三沢さんの決して忘れることのできない試合として、
小橋健太選手との壮絶な死闘がある。
「一流のプロレスラーはただ勝つだけでは満足しない。
お互いの闘志と技術をぶつけ合い、
相手の特徴・長所を充分に引き出し、
勝利を目指す気質を持っている。
相手の得意技を敢えて受けその上で勝利を掴む。
それだけのタフな肉体と精神がなければ、
メインは張れない。」
さらに、
「小橋健太と戦う時、必ず死闘になる。
以前小橋は俺と戦う前に母親に話したことがあるらしい。
(もし三沢さんとの戦いで)
<俺が死んでも三沢さんを恨まないでくれよ。>
私は私で小橋との試合の夜のホテルでシャワーを浴びていると、
突然ポタポタと鼻血が落ちてきた。
<明日の朝。目が覚めるかな?>
と怯えたものだ。」
凄絶な話である。
三沢VS小橋の試合は常に名勝負として記憶され、
1997年と1998年の年間最高試合(ベストパウド)に輝いており、
その消耗戦(持久戦)はプロレス界の伝説として語り草となった。
(その後も2003年に同カードで年間最高試合を受賞している。)
相手を引き上げて勝利を得る『馬場イズム』
自分の輝きをアピールする『猪木イズム』
この2つの相違点が理解されず、
『馬場イズム』が非難・攻撃された時代もあった。
『馬場イズム』とは、
・メイン・イベンターは、決して休んではならない。
・ファンが会場で待っている以上、如何なる場合も試合を決行する。
と言ったファン重視の姿勢。
2009年1月1日:BS日テレで放送された、
『永久保存版!俺たちは忘れない、ジャイアント馬場:蘇る16文キック。』
の番組中でも紹介された阪神淡路大震災の翌々日の1月19日の大阪大会。
「ひとりでも楽しみにしているファンがいれば行かなければならない。」
と試合を決行。
小橋健太VS川田利明の決戦は60分間の死闘の末ドロー。
多くの被災者の心に勇気を与えた。
穿った見方をすれば、
「金の亡者の馬場がキャンセル料払うの惜しさに決行したのさ。」
寂しい考え方だがひとつの行動には絶えず複数の解釈が存在する。
私は迷わず馬場イズムを信じる。
2009年6月14日。
福岡県博多スターレーンでは今日も、
『プロレス団体:ノア』の興行が行われた。
場内のテン・カウント。
恐らく絶叫に近い<大三沢コール>が発せられたのだろうと推測できるし、
そうでなけらば三沢光晴は浮かばれない。
試合日程は予定通り行われる。
これが『馬場イズム』の継承であり、
『三沢イズム』の帰結点だと信じたい。
・ファンを裏切らない姿勢。
・全員が使命感とプロ意識を持って仕事に励む。
避ける事のできなかった事故とは理解していても悔しい。
三沢選手の覚悟は誰をも恨んではいまい。
日本テレビの打ち切りと社長としての責務。
おそらくは、
心労の迷いから生じた一瞬の受身(判断)ミス。
プロレスの凄みと危険度を知った。
プロレスとはプロが命を賭けた戦い。
本当だったんだね。
でも、
やっぱ悔しいよ。
まだまだ文字にしたいことが尽きない。
でも今日はこれで…。
キリがない程の思い出をありがとう。
<関連記事:Ⅰ>
*訃報:プロレス団体ノア代表:三沢光春さん死去/ 09年6月13日
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/374d6f0d7195c6ef96eb7e8486cee1d1
*追悼:三沢光晴 ~日テレ特番の放送と東スポ&週プロ特集号。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/bd66598bec6422592d88f9dcf1902af0
*男の美学:チャボ×渋谷陽一&三沢光晴×市瀬英俊。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/916d527844c659e98f6f39735365aca5
*ジャイアント馬場:蘇る16文キック!~没後10年/ BS日テレ。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/4ef39e93bccf8c211c7bf825611a907b
<関連記事:Ⅱ>
*PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE
http://www.noah.co.jp/
【訃報】
弊社代表取締役 三澤光晴儀
6月13日永眠いたしました。
多くの皆様より頂戴しておりますご厚誼に深く御礼申し上げます。
いかなる時も全力で試合に臨む故人の意思を継ぎ、
今後とも選手・社員一同邁進してまいります。
ご声援のほど重ねてお願い申し上げます。
2009年6月14日:株式会社プロレスリング・ノア
<今後の大会日程に関するお知らせ>
現在発表されている大会は予定通り開催いたします。
選手、スタッフ一同皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
ご声援のほど何とぞよろしくお願いいたします。
・6月14日:博多スターレーン
・6月15日:鹿児島アリーナ
・6月16日:熊本興南会館
・6月18日:Zeep Nagoya
・6月22日:後楽園ホール
<記事:関連書籍>
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~以下、三沢さんの人柄を知るWeb記事転載。
13日に死亡したプロレスラーの三沢光晴さんは、
約10年間にわたり臓器移植の推進に尽力してきた。
NPO法人「日本移植支援協会」は、
来月上旬に予定されているお別れの会で、
三沢さんに感謝状を贈ることにしている。
同協会の高橋和子事務局長によると三沢さんは、
先輩プロレスラーのジャンボ鶴田さんが2000年、
肝臓移植中に死亡したことをきっかけに、
臓器移植に関心を持ち始めた。
同協会のトークショーに出演したり、
会報の表紙に登場したりする一方、
三沢さんが社長を務めていた、
「プロレスリング・ノア」主催のプロレス興行会場では、
移植患者への募金や臓器移植の普及啓発活動を支援した。
同協会は、
米国などに渡航して移植を受ける患者の募金活動を支援している。
高橋事務局長は、
「三沢さんは、いつも温かく支援してくれた。
亡くなられて本当にショックだ。」
と話している。
(2009年6月17日:読売新聞/記事転載。)
何にせよ、往生に素懐を遂げられた三沢選手のご遺徳を偲び、哀悼の意を表したいと思います。
全日の馬場 鶴田 三沢と流れるプロレスファンのひとりとしては痛恨の出来事でした。
私は生まれた時からお祖父ちゃん子でした。幼い頃からの記憶の風景は、プロレスのリングや草競馬や競輪場、今はおしゃれにWINSと呼ばれる場外馬券売り場等の独特の匂いと空気が漂う大人の鉄火場風景がほとんどです。
この記憶がも多少は影響したのか、大人になって格闘技の興行に関わった事もありますし、寺山修司の本や映画が大好きでした
力道山の記憶も強烈ですが、国内でのエースの階段を上り始めた時代のG馬場さんを人生の師と仰ぎ、強い強い天龍をぶっこ抜くその愛弟子・J鶴田を最強のアニキと尊敬いたしておりました。お二人が天空に旅立ち全日イズムの王道を継承し、進化覚醒させる使命を背負って闘い抜いてくれたのが三沢さんです。
シャイなところは三人共通ですが、いちばんクールでスマートながら誠実で温かみ溢れる人柄は好漢の言葉がピッタリの方であったと思います。
三沢さんと王道スピリッツファンとしては、レスラー全員が奮起し、予想もできなかった更なる真の継承者が現れて王道を絶やすことなく、全身全霊で3人の魂を受け継いで下さい。
三沢光晴さん 唐突であまりに早いお別れはつらいです。
誰か出て来るまで、会場通いのファンに今日から復帰いたします。がんばれノア!
コメントありがとうございます。
各自がプロレスに対して強い思いいれがあります。
プロレスの最たる素晴らしさはイマジネーション。
頭の中で色々な事を想像しながら思いを廻らせ、
自分なりの模範解答を模索する。
こんな素敵なスポーツは他にありません。
「プロレス・ファンだと言うだけで肩身の狭い思いをする。」
と言った声を聞くこともありますが、
プロレス・ファンであることに胸を張れる。
三沢光晴の生き方はファンに希望を与えました。
Web上の意見を見ても、
<勇気、感動、希望>の言葉を見つけ嬉しく思います。
私自身プロレスから疎遠になりつつありますが、
今日も新聞休刊日にもかかわらずJRの駅の売店で、
スポーツ紙を4部買ってきました(コンビにでも未販売)。
気になる見出しを見つけるとたまには週刊プロレスも買います。
(ゴング・ファイトは休刊=事実上の廃刊)
でも“なべやんさん”のご指摘通り会場に足を運ばなければ、
プロレス団体は存続できません。
そうなんですよね。
近くにノアが来る時に友人を誘ってみます。
プロレス観戦は生に限ります。