mimi-fuku通信

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亀田興毅選手への記者会見について。

2007-10-26 23:11:24 | 芸能・スポーツ

 今日(10月26日)の亀田興毅選手の記者会見の姿は大人としての対応も身に付けた立派なものだったと感じる。
 それよりもマスコミの興毅選手に対する対応は、魔女狩りか踏み絵の世界を彷彿させた。
 なぜなら、1時間半近くにも渡り、頭を下げている者に対し、答えられぬ質問を執拗に繰り返し、自分達の理論の正当性に強制的に従わせようとする姿勢に疑問を感じたからだ。

 10月18日の当ブログでも書いたが、今日の質問責めの形態をあの日の大毅選手にあびせる可能性に対し、父の史朗氏が退席を促した親心も理解できるはずである。
 また、史朗氏が今日出てこなかったのも、史朗氏が身に着けているVシネマ調の言い回し、どうしても記者会見では反発を招き、前回の記者会見での批判を教訓に、何を語っても前回の二の舞になることを避けてのことだと考えられる。
 
 今回の記者会見で問題になっている、セコンドからの反則指示も、例えばこれが裁判の場で争われた場合に有効性があるのかないのかの議論も起こるだろう。
 と言うのも本来は聞こえてはならないはずのセコンドの作戦を偶然にマイクが拾ったことで今回の問題は表面化した。
 セコンドの指示は選手に対するもので、社会や世間に発して出た言葉ではない。
 
 例えば家庭内であるいは居酒屋で、誰もが友人とオフレコで話すこともあると思う。
 興毅選手が支持したとされる「ヒジでいいから目に入れろ。」との一説も反則と言うよりは、コアなボクシング・ファンならご存知と思うが、レフリーの見えないところでヒジを顔面に当てることは、中南米には上手な選手も多く、時には高等技術として評価されることもある。(チョコン・チョコンとあてて相手の動きを止める技術。)

 「玉を・・・。」に付いても、ロー・ブローへのギリギリの攻撃は興機選手も得意の戦法で、本当に急所に入れれば反則負けになり、本気でそのような指示を出したとは考え難い。
 また、玉とは隠語で、命や心臓の意味もあり、セコンドがやっちゃえ(殺っちゃえ)と言っても本来は試合中の興奮状態の中で、様々な非日常的言語が飛び出しても仕方のないことだと思う。

 仮に上記で記したような私の考えを念頭において、今日の会見を整理してみて欲しい。
 今日の記者会見の状況に於いて、興毅選手が自己の想定の中で反則指示に対する見解の違いを語ったところで認められる訳もなく、一方的な質問者の「非を認めろ。」の論調の言いなりになるしか術はなく、それを魔女狩りや踏み絵に当てはめてみても私の中では違和感がない。
 
 何より、「亀田家が嫌いだ。」と言う観点から論議が始まってはいないだろうか。
 冷静に判断すれば、あの試合のリングで起きた事件のみに焦点を置いて議論すれば今回の処遇は厳しいものだ。
 亀田家の過去に遡るのならば、過去の時点で批判すべき点も多々あると思えた時に、マスコミは挙って亀田家の今と変わらぬ暴力的言動に対しても、提灯記事を書いていた罪を問われるべきだろう。

 「生理的に嫌いだ。」から、物事の議論を始めるときに18日のブログでも述べたが、来る裁判員制度に対する国民の準備が整っていないように感じる。
 
ブログ内の記事へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/913e0ec7cca6920d5b5a39b2579e15ed


<追記>

 今日の記者会見で感じたことだが、それが正式な社会に対する会見である時には質問者の機関名と氏名の述べるべきだろう。
 私の考えでは、質問者の質問の形態にも倫理的問題点や誘導尋問が多々あったように思う。
 また、質問者の中で教育的に悪影響と語っていた部分についても、集団で頭を下げ謝罪している者に対して、あのように執拗な問題追求をすることがはたして教育的な倫理観として適切なものなのかの議論も必要だと思う。  

 


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