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暫定税率の行方。 道路か?消費か?環境か?

2008-01-25 23:00:17 | 政治・社会・時事


 珍しく,、今の政治の話でも・・・。

 ガソリンにかかる揮発油税(ガソリン税)の暫定税率の維持を目指す自民党は、地球温暖化対策を強調している。
 暫定税率廃止を主張する民主党に対して、北海道で行われる洞爺湖サミットに絡めて税率維持を強調する論法を全面に打ち出しすためだ。

 「地球温暖化問題」による政策方針を示すことで、世論対策(大衆の支持の取り込み)を進めようとする自民党に対して、民主党からは、「自民党の示す暫定税率維持の方針を環境問題にシフトするなら、自民党の主張する道路特定財源を廃止し、環境税の提案に政策転換し直さなければ矛盾する。」と反論した。

 当初の民主党の方針であったはずの世論対策、「ガソリン値下げ隊」の政策が思わぬ方向に向かい始めている。
 今国会の焦点である、暫定税率維持を主張する自民党も、暫定税率廃止を目指す民主党もお互いが声を揃えて環境問題を口にし出したのだ。
 
 この問題をおさらいすると、民主党の税率廃止の主張は、値下げによる消費の拡大思想であり、それは資源の浪費を意味する。
 また、自民党の方針である、税率維持による公共投資とは、資金の円滑運用の名を借りた古典的な消費拡張政策(失業対策の意味も持つ)と見る向きもあり、「開発整備とは、現存する自然破壊の助長。」との意見もある。
 
 いずれにしても、環境問題の解決との関連性は少ない。
 しかし、都市部での道路整備による渋滞の緩和政策が環境にとって有効とする意見には支持する向きもあろう。
 だが、地方の交通量の少ない道路整備に大量の資金を導入することは、従来の公共投資依存型の地方体質の現れであり、この国の抱える財源不足と、返すメドのない借金を上塗りするかのような、必要のないと思える事業に対して、国民が改めて借り入れをするといった悪循環の繰り返しとなることも考慮に入れて、道路特定財源のあり方については、今後の課題とすべきことは明白である。

 環境税や炭素税については、その問題を今の国会にかけることに意味を持たない。
 と言うのも、国際社会全体が環境に対する問題解決の糸口すら見えない現状でその税制を作っても、行政まかせによる性急な問題解決案では、いずれ多くの面での綻びが出てくるだろう。
 環境に対して何が有効なのかを、官僚を中心としたピラミッド型の行政サイドで立案の方針を示し(できる事ならピラミッドの底辺である、若き行政マン&ウーマン達の意見も多く取り入れ)、大衆伝達媒体による解りやすく、噛み砕いた情報を知った上で、国民が考え、「できる事と、できない事。」をハッキリと主張し、さらに国会で議論を重ね、成熟した日本国民の案を国際社会に提示し、それを実行する。
 そのようなプロセスなくして、立案しても従来通りの行政指導型の偏った税制しか作ることはできない。

 民主党が提示すべき方針は、暫定税率の延長の短縮(3年間位が適当と考える。)と、その後の課題としての環境税に対する立案の方針を自民党に迫ると言った手法が好ましいと思われる。
 一度、10年と決まってしまえば、それを覆すことは難しく、揮発油税の暫定税率の必要性の有無よりも、今後の課題として環境に配慮した税制にシフトできるような提案を示し、さらに現在、盛んに報道されている税率の無駄遣い分を数%でも未来の環境税のためにプールする方策を検討、提案した方が、現実的で実りの多い意見になると思うがどうだろうか?

 今後の道路のあり方については、別の機会に・・・。

 

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テロリズムとはなにか? ~単独テロリズムの台頭。

2007-12-16 22:42:03 | 政治・社会・時事

 テロリズムとは何か?

 広辞苑によると、テロリズムの語源は、テロル(Terror ドイツ語)=恐怖 ~あらゆる暴力的手段に訴えて敵対者を威嚇することの意。
 
 テロリズムの概念は、当初は恐怖政治と同義語で、国家が行うファシズムにも通じる恐怖や暴力により、大衆を従わせる体制に対する言葉であったらしい。

 それが、体制に対する反対運動と暴力により、(定義が難しいのだが、日本における、5・15や2・26事件。社会主義や共産主義への変化の道筋における体制側に対する暴力を是とした抵抗運動。)テロリズムの言葉の意味は、体制から反体制へと逆転していく。 ~この理由としては、テロリズムの言葉の持つ響きが、民衆の嫌悪に通じる事から、体制派が、政治的な暴力行為の意味を摩り替える事で、反体制勢力の不当性を大衆に訴える効果を期待しての手段だったと考えられる。

 また、日本における強硬左派においての一連の行動や、アイルランドの民族運動における特定の集団による誘拐や暴力及び破壊行為は、テロリズムとして大きく報道された。(その際に盛んに犯行声明を発し、自らの正当性を訴えたが、大衆の支持を得られず衰退の道を歩む。)
 
 現代では、体制や政治背景よりも宗教や思想観の相違から、一般市民を巻き込む形で行われる殺戮目的の行為全般に使われることが多いと考えられる。
 
 特に、9・11以後は、攻撃目標に対しての破壊行為や、公共機関への理不尽な攻撃を含め、犯行声明のない理由の特定できない声無き恐怖の実行(地下鉄サリン事件も当初は犯行声明のない声無きテロと解釈できる。)による圧力や、コンピューターへの不当な進入もテロリズムとして認知されている。
 
 さらに最近では、愉快犯を超えてサイバー・テロを利用した、ゲーム感覚としてのテロリズムや、イスラム周辺で頻繁に起きる自爆テロ等々、テロリズムの定義が、日々拡大している。

 
 テロリズムとは、現代的解釈では、パブリック・スペースにおける無差別な破壊行為や殺戮行為全般に使われる言葉

 として、日本では認知されつつある今、自虐的犯行や巻添型の犯行の拡大は、単独テロリズムの台頭として考えられる。

 単独テロリズムとは個人的理由から生ずるように感じている人も多いだろう。
 しかし、現代社会における通信の発達や、思想や行動の多様性は、触発型犯罪を誘引するリスクを多分に秘めている。

  
 今回、私がこのような硬い内容の記事をブログ内に記入する理由は、長崎県佐世保市で、2007年12月14日に起きた凄惨な銃乱射事件が要因である。
 
 2人が死亡、子供を含む6人が重軽傷を負った、長崎県佐世保市のスポーツ・クラブ乱射事件は、巻添型自殺事件としての可能性が高くなった。
 今回の事件は、特定の人間を狙った事件のようにも見えるが、事件の根底は昨今アメリカなどでよく報道される、自らの死に対して、自分以外の他人の死を巻き込む形で起きる、巻添型自殺の形態をとっているようにも見える。

 ただし、犯人の馬込政義容疑者(37歳)が、マスク等で顔を隠して犯行に及んだことに、本当に最初から、自殺の意志があったのかとの疑問が残る。
 しかし、自らのシナリオの中に教会での死(彼がカルト~個人的な心情の中での~な信者の場合、復活思想も今回の巻添え自殺の理由付けのヒントになるかも知れない。)が用意されていたのであれば、マスクの理由も説明できる。
 
                          ~12月16日に記入。           

 残念ながら日本で、こうしたパブリック・スペースでの銃による乱射事件が起きてしまったことは、上記の理由 (テロリズムとは、パブリック・スペースにおける無差別な破壊行為や殺戮行為全般に使われる言葉)から、個人が起こしたテロ行為と判断すべきであると私は考えている。

 今回の事件を別にしても、巻添え自殺型の事件に対して市民は通常の生活の中で防ぐ方法はない。
 アメリカで多発する銃乱射事件において象徴的な、コロンバイン高校銃乱射事件は、1999年4月。同校内で銃を乱射した学生2人が、12名の生徒と1名の教師を射殺後、自殺している。
 この事件以来、アメリカ国内では、連鎖したかのごとく毎年のように学校内での銃乱射事件が起きている。

 犯行に及ぼうとしている者が、何らかの理由で自らの人生を否定し、自暴自棄になる時。
 あるいは、自らの苦しみや不安・迷いに対して、漠然とした想いの中で社会に対する怒りに転嫁された時。
 世界は、いつこのような事件が起きても不思議ではない状況にあると考えるべきだ。
 
それはある日突然に、なんの前触れもなく、起きる可能性もありうる。

 おそらく1990年以後~特に2002年以後の社会変化の中で、それまでの社会と激変したことは、犯行目的を達成する手段が自在に手に入る社会が実現したことにも要因(例えば学生による大麻の栽培)があるし、これまでの集団思想の中での行動に対し、それぞれの単独と思われていた個人思想や行動が、同調者の確認を容易にしたことにも原因がある。(例えば見知らぬ仲間による集団自殺。)

 例に挙げたのが、自殺や麻薬(法的禁止薬物)ではあるが、最近の事件の中で見知らぬ者同士の強盗目的の拉致殺害事件等を考慮に入れるとき、アルカイダのような指示誘導型のテロリズムや、単独破壊思想の同調から起こされる、サリン事件のような同時多発テロも空物語ではないのかも知れない。
 
 このことから、今後のテロリズムは、国家や宗教や利権のみが原因で起きるのではなく、個人レベルの心の葛藤や独然思想から生まれる、単独テロリズムの台頭を視野に入れなければならない。

 

ブログ内での関連記事

佐世保市での乱射事件
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/0bb0e0e9d5e8cda7c5d96bd79c35933b

9・11テロ
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/5b4d73b3d8cdde7107ea031b2fcaf607

 

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佐世保市/散弾銃乱射事件について。 (2007年12月14日)

2007-12-14 23:31:13 | 政治・社会・時事

【12月18日 夜】 ~12月18日午後11時10分頃記入。

 12月14日に起きた佐世保市/散弾銃乱射事件で、この日の報道は、いっせいに馬込容疑者が、被害者の倉本舞衣さんに対する恋慕の気持ちを抱いていたと報じた。
 このことは、当初から推測されていたことだが、倉本さんの交際相手の男性が、馬込政義容疑者から、しつこく質問されたり、話しかけられていたことが、佐世保署捜査本部の調べで分かっている。
 また、プールサイドのガラス越しに、倉本さんを見つめる馬込容疑者の姿が、クラブ・スタッフに目撃されていることや、倉本さんの出勤日に合わせて馬込容疑者が、スポーツ・クラブに通っていることも証言から分かった。
 さらに最近になって、自家用車やボートを購入していることは、倉本さんに対する強い意識が感じられ、倉本さんに対する恋慕の想いと何らかの関連付けがあるとみる見方は、間違ってはいないように感じる。

 馬込容疑者の犯行当時の服装は、金属製のヘルメットに目出し帽。
 軍用ベストの下に、迷彩服。
 さらに、その下には防弾チョッキを着込み、黒のブーツに黒の手袋を着用。
 まさに、映画に出てくるような軍事テロリストの着用服を模倣していることは、容易に想像できる。

 逃走に使ったワゴン車の中や自宅、ベストのポケットには、散弾銃の実弾:約2700発を所持(合法的には800発)していたことが分かった。
 

【12月16日 夜】 ~12月16日午後10時35分頃記入。

 
 2人が死亡、子供を含む6人が重軽傷を負った、長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件で、馬込容疑者は、殺害された藤本さん含む4人の同級生に、事件の3日前から次々に電話をして、電話やメールで当日スポーツ・クラブに来るよう誘っていた。
 さらに待ち合わせ場所の指定まであったという。
 スポーツ・クラブには、藤本さんのほかにもう一人友人が来ていた。
 その友人の興味深い証言が掲載されていたので転載する。

 
 以下、Web:asahi.com に、2007年12月16日09時21分掲載されたの記事の転記、編集。

 殺害された藤本さんとは別に、スポーツ・クラブに呼び出されて来ていた友人は、フロント前のベンチに座っていた午後6時40分頃、馬込容疑者から携帯に電話があり「もう着いたや」と聞かれた。
 「フロントがプール・サイドに通してくれない」と答えると、馬込容疑者はフロントに代わるよう促した。フロントの男性は馬込容疑者と電話応対した後、友人男性に対し「原則として正会員と一緒でないと中には入れない」と改めて告げた。
 同じ頃、藤本さんには別のスタッフが対応しており、プールサイドに向かっていった。
 
 しばらくすると中から銃声が聞こえ、友人男性は急いで外の駐車場へ逃げ出した。
 携帯電話で男性は馬込容疑者との連絡を取ろうとしたが電話に出ず、友人男性は、馬込容疑者の自宅に電話。
 電話に出た母親に「待ち合わせをしてる」と伝えると、母親は「午後4時半から就職の面接に行っているので、ルネサンスには行っていないはず」と答えた。
 「もう1人も待ち合わせしてるようだ」と伝えると、母親は、テレビで放送されている事件に触れて、「実は息子は家に銃を持っている。まさか犯人では・・・」と心配そうに話したという。

 「警察から『あなたがもし、プール・サイドに通されていたら撃たれていたでしょう』と言われ、ぞっとした」と友人男性は語る。
 さらに、「仲の良かった3人を呼び出し、道連れにして自殺しようとしたのかもしれない。寂しかったのか?」と語っている。

 この日の報道は全般的に、自殺覚悟の道連れ殺人(巻添型自殺)の可能性を強調し始めている。
 ただし、上記
asahi comの記事の内容が真実だとすると就職の面接に行く人間が、本気で自殺を考えるだろうか?
 また、仮に面接が嘘だとしても、なぜ母親にそのような言葉を残し家を出たのか?
 このことは、本人の精神状態の中で就職と言う事実がかなり大きなポイントを占めていると考えられる。  
 長期間定職に付かず(付けず)毎日の生活を送ってきた37歳の独身男性の是非は別にしても、自らの心の中で自分を責め続けたことは、「就職の面接」という言葉の中に窺い知る事ができる。
 今回の事件でも容疑者の精神の不安定が取りざたされてはいるが、精神の不安定の最大の要因は、自立できない自分に対する苛立ちなのだろうか?
 また、仮に就職試験が本当の事実であるとすれば、その時の面接で何が語られていたのか?
 asahi com の記事は、こうした内容を読者に感じさせる重要な証言になっている。
 

【12月15日 夜】  ~午後9時10分頃記入。

 
 2人が死亡、子供を含む6人が重軽傷を負った、長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件は、子供達を狙った無差別乱射事件ではなく、特定の個人を狙った犯行との見方が強まった。
 犯人の馬込政義容疑者(37歳)と、この事件で銃撃被害にあい死亡した、藤本勇司さん(36歳)とは、小中高時代の同級生で、犯行の前日にも藤本さんの自宅を訪れていた。
 藤本さんの家族の話では、「親友と呼べる中であった。」との証言も出てきている。
 また、馬込政義容疑者が事件前、藤本さんだけではなく数人の知人に対し、スポーツクラブに来るよう呼び出していたとの報道もある。
 
 この事件のもう一人の死亡被害者の倉本舞衣さん(26歳)は水着姿のまま事務室で亡くなっていた。
 当初、外国人に執拗につきまとわれていたとの報道もあり、外国人説が有力になっていた。
 特に朝方の報道では、倉本さんに対する犯人の執着的殺意が示唆されていた。
 この説の背景には、犯人がカトリック教会との深い関係が取りざたされたことと、現場の南方向には、米海軍佐世保基地があるためと考えられる。

 この事件は、怨恨と言える人間関係が原因なのか犯人の短絡的な巻添型自殺が原因なのかは、これからの捜査に委ねられる。

 
 散弾銃の銃弾はプラスチック製のケースの中に、多数の小さな弾丸(散弾)が封入されている。
 そのため、銃弾は、一直線にマトに向かうわけではなく、銃口より扇形の角度で、放射状に発射され、距離が伸びれば伸びるほどに的中範囲は広まる。
  この銃は、本来は狩猟目的に開発されたらしく、飛んでいる鳥など、移動する的(マト)に対し的中率が高まる特性を持っている。
 
 そのために、今回の事件のように人の集まるところで乱射(と言っても連続的に発射されるわけではない)すると、粒状に散らばる小さな弾丸は目的以外のところにも飛び散り、今回の事件でも数人の人達が巻添えをくったと考えられる。
 (ただし、10発以上の弾丸が発射された事実は、無差別の可能性も残されていると感じる。)
 このことを考慮すると26万丁以上の数の散弾銃(合法的jな銃所有数が約33万丁)が、国内の個人に所有されている事実は今後の不安材料として残る。
 
 例えば、脳が作り出す特定思想の高揚や、精神が生み出す狂気が、対外的に作用する場合、人口の密集している地域内(都心や繁華街。お祭り等)での不特定多数の人間を狙った無差別な攻撃に散弾銃が使用される可能性は、銃の技術にかかわらず、多くの被害者を出すことも予想され、今後の銃の管理に対する議論を呼びそうだ。
 
 

【12月15日 朝】 ~午前7時40分頃に記入。

 
 スポーツクラブ「ルネサンス佐世保」で、14日夜7時10分ごろに起きた銃乱射事件で、15日早朝には、同市内の37歳の男性を容疑者と特定した。
 佐世保市船越町の教会前の路上で男性の車を発見。
 中から散弾銃2丁と空気銃1丁、迷彩服などを発見した。
 男性は、さらに散弾銃を1丁所有しており、同日早朝の5時40分ごろに、この教会付近で発砲音を聞いたとの報道もある。
 
 7時半現在の報道を推測すると犯行は、カトリック教会の関係者の外国人で、亡くなった倉本舞衣さん(26)の知り合いによる犯行の可能性を示唆している。
 また、報道と過去の事件を検証した場合に、憶測にはなるがストーカー型の犯人の妄想による怨恨事件であり、犯人は、教会内もしくは教会近くで自殺を図った模様と解釈するのは早計ではないと感じる。


【12月14日 夜】 ~午後11時50分頃に記入。

 
 2日間の出張で、東京から帰ってきて、テレビを付けて見ると大きな事件報道があった。
 
 長崎県佐世保市の「ルネサンス佐世保」で起きた無差別と思われる、銃の乱射事件で死者2名と、子供を含む7人のけが人を出した事件についてだ。
 銃を撃った犯人は、11時30分現在、逃走中。

 犯人は、「身体の大きな人物で、迷彩服になんらかの防寒着を羽織った、外国人のような男。」との情報が有力。
 ただし、最近の日本人にも、金髪や茶髪にピアス等のファッションに身を包んだ大柄な者も多く、何らかの被り物で顔を隠していたとの報道に犯人を外国人と特定することは難しいだろう。

 
 今回の事件で二つの事件が頭をよぎった。

 ひとつは、2001年6月8日に大阪府池田市の小学校内で起きた、無差別殺傷事件。
 犯人は授業中の校舎に侵入し、刃物により、児童8名を殺害。児童13名・教諭2名に傷害を与えた。
 
 もうひとつが 今年の4月16日に起きたバージニア工科大学銃乱射事件で、33名が死亡している。

 私のブログの過去の記事でも述べてはいるが、バージニア工科大学の時のような惨劇が、いつ日本で起きても不思議ではない現在の状況(銃の入手経路の簡易性と、答えの出せない倫理観の狭間の中で)の中で、残念ながら日本でもこうした無差別と思われる銃による乱射事件が起きてしまった。

 この事件は、もしも何らかの怨恨でなければ個人が起こしたテロ行為と判断すべきである。

 テロが、、国家や宗教や利権のみで起きるのではなく、個人レベルの心の葛藤からも生まれるだろう社会が、刻々と人々の生活の中へ侵入しようとしている。

 警察の方々も一生懸命なご苦労と、一般人と同じ恐怖の中での戦っておられる。
 しかし、今回の異常事態の中、市民に対する情報が疎かになってはいないか?

 興奮状態の犯人が、次の事件(別の場所での無差別発砲事件)を起こす可能性のある中、市民に対する外出禁止の促進(発動は法的に無理なので)や集団に対する散逸の指導(駅やコンビニや居酒屋等の人々の集まる場所に対する連絡や巡回)等の措置があったとの報道は皆無だし、このことは、今後の課題となるだろう。
 
 せめて、犯人がどのような手段で逃走しているのかの情報くらいは、脅える市民に対して開示すべきだろうと感じた。

 亡くなられた人の無念と、ご家族や親しい方々の鎮痛に対し、お悔やみを申し上げます。


この記事で取り上げた過去の記事へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/5b4d73b3d8cdde7107ea031b2fcaf607

  

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小沢代表と福田総理のこと。~たまには政治の話でも。

2007-11-08 19:56:01 | 政治・社会・時事

 やっと、落ち着いたのかな。
 今回の騒動の小沢代表の心中を察すると、大きな政治転換をするためには、連立とは言わないまでも、共同協議と同調点の合意提案くらいはできるかもと思ったんだろうね。
  小沢代表が党に持ち帰って、何の根拠で連立提案が出たのかを党内で話し合おうとする前に、提案そのものが全党員から拒否された形で気の毒に思ったし、多くの民主党員って思想の前に自分達の立場を優先する人たちが多いのには驚いた。

 小沢代表の思想の中には国連中心主義があって、国連の平和維持活動に対する協力に限定して、わが国の防衛システムの海外提供を認めるとしている。
 今回の福田総理との会談では、自分の考えを丸呑みしてくれるとの協力許可の姿勢が示されたもので、小沢代表もひとつの決断として可能性を模索したかったのだと思う。
  
 そもそも、小沢代表にしても福田総理にしても、今回やろうとしたことは、日本国憲法第9章に基づく、憲法改正の手続きを想定してのものだと考えられる。
 各議院の総議員の3分の2の賛成と、国民の過半数以上の同意が必要なこの国の未来を見据えた大きな仕事である。
 
 小沢代表にとっては、福田総理からの要請はまさに、自分の長年の夢の実現に向けた千載一遇のチャンスだと感じたはずだ。
 でなければ、あのような思い切った決断を下すはずがない。
 辞任会見にしても、小沢代表の政治生命をかけた決断を党が、深い考えなしに軽く拒否されたことへの失望感からだろう。

 仮に小沢代表率いる民社党が、次回の衆議院選挙に勝ったとしても、単独過半数を取らない限りは、共産党他の現在の野党との連立政権では、なにも決めることができないだろう。
 実は、小沢さんのやろうとしていることは、自民党の協力なくしては実現不可能なのだ。
 さらに、敵は身内の中にありで、前途多難。
 小沢さんの言うとおり、民主党の中には人材がいないことが今度の騒動で見えたような気がした。
 なぜなら、党員の口から聞こえるのは、党首の責任問題や、国民への背信行為等の批判だけで、誰一人政治思想について語る者がいない。

 大きな仕事をする前に、小さなことにこだわり、一歩も前に進まない今の国会の膠着状態に対しての苛立ちは、思想のない政治家達と、本来あるべき政治思想のあり方を言及する前に、人事だ選挙だと興味を示す国民およびマス・メディアに対して向けられるべきだろうと感じる。

 

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民主主義について。~mimifuku言葉遊び。

2007-11-06 00:12:48 | 政治・社会・時事

 昨日のブログで、民主主義のあり方にちょっとだけ触れたのだけど、今日はその話でも。

 本来の意味の民主主義は、主権が、国や地域等のカテゴリーの中で生活する、すべての国民(人民)にあり、人権の確保や自由の保障、さらに平等な社会の実現を理想に掲げている。
 
 ただし、平等な社会と言っても、競争社会の中の平等は必ず格差を作ってしまう。
 
 それが、自由競争の原理なのだけど、例えば若者と老人。大人と子供。普段の生活に差し支えのない健常者と、非健常者(肉体的のみならず、精神的、あるいは機能的。)の場合では、競争能力に最初から差が生じている。
 この競争力の違いを補うものが、現状の民主主義には欠けているのかも知れない。
 
 平等な競争社会の中の勝者と敗者の優劣を競う人達の他に、競争社会にも参加できない多くの人たちがいることを考えの中心に置くとき、能力の格差が社会格差につながるような社会が、民主主義の基本になるのかは疑問に思う。
 
 能力のある者が能力のない者の生活を補う社会。
 
 しかし、そんな話は夢物語で、そうした社会の実現の理念が、多くの心無い人たちに利用され、捻じ曲げられた形で湯水のごとく公共投資に投じられ、今の借金体質の国家を作ったとの意見もあろう。
 
 民主主義の理念の中には、生活の保障権はない。
 生活の保障を掲げたのは、社会主義や共産主義なのだが、それらは経済競争の中で敗北したし、共産主義の理念には、全体主義と、統制を基礎にした不平等なピラミッド構造(確立した縦社会)を作り出し民主化を排除するに至った。。
 
 新しい民主主義の理念の中に、競争社会(資本主義社会の原理)とは違った生活コントロールを構築しなければ、今後の少子高齢化社会と、エネルギーの膨大な使用量の拡大。
 さらには、今後もさらに進行すると伝えられる地球環境の悪化に対して対応できない。

 新しい民主主義について、なんとなくはイメージできるのだけど言葉にするだけの能力は、今の私にはない。

 と、なんとなく思った今の時間でした。
 まっ、頭の体操と言う事で・・・。
 まさか、今日こんなことを書くとは思いもしなかった。
 自由発想ってやつですかね。
 

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ミャンマー動乱で思うこと。

2007-09-28 21:32:48 | 政治・社会・時事

  ミャンマーの反政府デモで、日本人の契約ジャーナリストの長井健司さんが治安部隊の兵士に射殺されたことは残念でならない。
 あまり、政治的なことを、このブログ内で書こうとは思っていないのだが、少しだけ感じたことを書く。
 この事件のもとになっているのは、燃料費の大幅な値上げに伴う抗議と報道されているが、わが国でも、石油製品の値上げが著しく、経済力の乏しい国は、ミャンマーに限らず、市民生活に相当な影響が出ているのだろうと予測される。
 市民に後押しされた、僧侶を中心とした大規模なデモが、18日以後連日続いているようだ。
 
 このデモを鎮圧するために治安維持軍を投入する国の姿勢は、軍事国家ならではのもので、先進国にとっては受け入れがたい現実である。
 ただし、70年ほど前の世界では我国を含め多くの国がこうした体制をとっていた現実も忘れてはならない。
 
 しかし、国民が自分達の主張を発する権利を武力によって封じ込める政策が許される訳も無く、国際世論はミャンマーの事態を糾弾すべきだ。
 ただ、国家に対する制裁が、そのままミャンマーの国民の生活に跳ね返る現実も直視しなければならず、当面は国際世論の情勢を見極めながら、必要ならば共同で制裁を動議しようとするのが従来の日本政府のやり方だろう。

 長井健司さんが亡くなったことで、何らかの他国とは違ったアクションを起こせる国ならばこの国も変わることができるのだけど・・・。

 治安部隊が、市民に混じる他国籍民である長井さんを、躊躇なく銃撃する映像は、市民側の抵抗の有無にかかわらず無差別に発砲してるようにも感じる。(ただ、あまりにも至近距離からの発砲は、興奮状態の兵士が、長井さんが逃げずにカメラを向けたことに対して、何かの武器と見誤ったことが原因かもしれないが。)

 国際社会にできることは、ミャンマー政府に対し制裁圧力をかけながら、市民の行動と主張の自由を認めさせることである。
 そのためにも国際世論は、市民レベルでこの軍事的鎮圧に対し、強く反対の意志を示し立ち向かうことである。
 いくらなんでも、ミャンマー政府は、国際ジャーナリストの撤退や大使館の封鎖等の措置は考えてはいないだろうし、そうした措置が取れない現実に対して、先進国として取れる行動は、国際社会のNOの意志を伝えることだけしか方法はない。
 ただし、今後の情勢の中で軍事圧力を強め、国際ジャーナリストの撤退や大使館の封鎖を起こすようなことがあれば、力には力をの姿勢を示さなければならないのだが、そうした国際協調の流れはまだまだ流動的で決め手がないのが現実。

 長井さんのように、国際的な紛争を取材されている多くのジャーナリストの方々のおかげで私達は生の情報を手に入れることができることに感謝したい。

 長井さんのご冥福をお祈りします。

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安倍首相の辞任について。

2007-09-12 23:59:43 | 政治・社会・時事
 政局のことについては、余り興味はない。
 ただ、安倍首相の辞任のニュースは驚いた。
 そのことについて、取り留めの無い話をちょっとだけ。

 所信表明演説のあと、いよいよ今日からと言う時に無責任とも思う。
 しかし、与謝野官房長官の会見の通り健康問題が理由なのだとすれば今回の辞任を私は攻めるつもりはない。
 そもそも安倍首相の真面目な面持ちは嫌いではなかった。
 たぶん、安倍晋三さんを嫌いと思っている人は少ないと思う。
 物腰の穏やかさや、表情から見ることのできるやさしさ。
 歴代の首相の中でも細川護煕さんと並んで家柄のよさが雰囲気として伝わり紳士的にうつった。
 でも、やさしすぎたんだろうね。と言うより決断の弱さと言うか、切捨てのできない性格が選挙の敗因のひとつを作った。
 
 安倍首相のよく分からなかったのは、美しい国というキャッチ・コピー。
 多分、普通の感覚において美しい国って言うと、人と人とのつながりか穏やかなやさしさに満ちた国造り。
 でも、やってたことは何の話し合いも持たず、数の力に頼った強行採決。
 また、美しい国というと環境の保全と自然との調和。
 でも、やってたことは、従来どおりのアメリカ追従型資本主義の拡大と堅持。
 
 従来型資本主義の継続に比例する自然破壊の速度については、いずれ書かなければならないと思うが、今回は主題が違うので書かない。

 そもそも安倍首相のめざした国造りは、前首相の小泉純一郎さんと違って漠然としていた。
 ただ、憲法の改変には思いが強かったように思うけど、なにをそんなに急いでいるの?って聞きたくなるほどに、次から次へと議論もせず、おおよそ官僚と呼ばれている行政のプロが作った思案を通していっただけで、前首相のような官僚がおやめくださいと懇願しても、ガンと受け付けないような勇ましさが皆無だった。
 安倍さんの持つ品の良さがすべて裏目にでてしまい、国民の期待に沿うことが出来なかったことは残念だ。
 森喜郎元首相が、安倍さんに時期尚早ではないかとの進言も今となっては理解できるような・・・。ただ、機会を失うことへの危惧を安倍さん自身が感じたのも事実だろう。

 参議院選挙で大敗した原因は、安倍さんのやさしさにあったと思う。
 安倍カラーが仲間との信頼と結束だったことが、選挙前にもかかわらず、様々な大臣の不祥事や不正に対して甘い判断をくだしたことは、小泉さんの選挙前にもかかわらず、自らの仲間を党の方針に反すると切り捨て大勝に導いた手法の逆で、強い政治姿勢を好む今の国民に背をむけられてしまった。
 

 選挙の敗北と今後の国政の運営。
 逃げたくても逃げられない状況。
 不安と緊張は、しだいに身体に対し負担をかけていく。
 寝不足。血圧の上昇。動機や息切れ。
 自律神経の異常。立ちくらみや悪寒。
 そして、心身症や鬱がサイクルとなってさらに身体に負担をかける。
 そうなる前に辞めるべきだと思う。
 やめて、心身の負担が軽くなるならそうすべきだし、誰も小渕恵三さんのように
盟友との確執が要因と思われるストレスからの血流障害を望んではいないはずだ。

 予定の30分が経ったのでこの辺で。
 理由は、この問題を記録するのにカレンダーが、明日では都合が悪い。
 ・・・投稿時間を見てみて。


追記

 9月14日。自民党総裁選が告示される。
 福田康夫元官房長官と麻生太郎幹事長が立候補を正式に表明。
 福田氏に対しての党内の支持が圧倒。
 ・・・ですって。

 まっ、そうだろうね。麻生さんの軽口は、党内ばかりかテレビでしか知らない私達、一般大衆でも周知の事実。
 森喜郎元総理の時のように、本人には悪気が無くても徹底的に叩かれる変な国内世論の体質な中で麻生さんは、格好の的になりそう。
 それに対し福田さんは、必要なこと意外多くを語らない人。
 また、福田さんは勝てないけんかはしない人。
 個人的な意見だけど、麻生さんと福田さんとでは、格の違いを感じる。
 麻生さんが、小泉さんや小渕さんのように多弁で大衆の支持を得たいと思うならなら、毒舌と人物批評を封印すべきかな?
 
 福田さんは、小泉さんが勇退したあとの森さんの意中の人。
(その後に安倍さんと考えていたはず)
 かと言って、小泉さんも安倍さんも福田さんも、誰も森さんの言うことを聞かない所がおかしいんだけど、それを許しちゃう森さんの気質もいままでの政治家と違うところ。
 
 田中さんは許せなかったから、竹下さんが出ちゃったんだよね。
 指導力に問題があるのか、すべてを許す大らかさがあるのか。
 これで、森さんの大恩人である、福田さんと安倍さんのご子息に最高の役付けを提示できそうだね。
 でも、選挙は水物。蓋が開くのは23日。

追記Ⅱ

 9月23日。選挙の結果、福田康夫自民党総裁が誕生。

追記Ⅲ

 9月25日。福田康夫内閣総理大臣が誕生。当日組閣完了。
  
                        
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9.11テロのこと。

2007-09-11 22:54:05 | 政治・社会・時事

 2001年9月11日。 いつもは、テレビをつけない時間に台風情報を見ようと偶然テレビをつけていたらその事件は起きた。
 最初は、世界貿易センター・ビルの火災報道であった。 記憶では、火災の映像は当初、小窓枠で通常のニュースを放送しようとしていたように思う。
 その直後に二機目の飛行機が突入。その瞬間がLive映像で流れた時に誰もがとんでもない事件が起きたと直感したはずだ。
 
 私はこの時にひとつの事件を思い出していた。それが、全日空61便ハイジャック事件である。
 1999
年7月23日に発生したこの事件は、犯人が自分の操縦する飛行機でレインボー・ブリッジの橋脚をくぐり抜けたいという信じられないような願望を持ち犯行に及んだ。
 
離陸直後に、28歳の犯人が、客室乗務員に凶器を突きつけ、コクピットに入れるよう機長に報告しろと指示し、たぶん機長は犯人を、政治か身代金か等々の従来の要求目的のハイジャックと判断し、乗客の安全のため犯人と話合おうとコックピットに入れたものと考えられる。

 このコックピット入室の不許可は、いまでは改善されていると思う。
 しかし、問題は猛スピードで宙に浮く鉄の塊は、数万人の命を脅かす凶器に変わることを、2001年9月の時点では、誰も認識していなかったことである。
 まさか、コックピットに侵入し、自らが操縦し、自らの命を絶つ覚悟で、対象物に自爆していく。
 その、思想は飛行機業界にはなかったのだろう。
 1999年のハイジャック事件の教訓(コックピットへの進入)が生かされていれば、9.11の同時テロは存在しなかった。
 また、1999年のハイジャック事件は、犯人達にとって、9.11の事件の何らかのヒントになったと考えることは誤りだろうか?

 この9.11事件における、イスラムの宗教の命題としての命の捉え方は、過去のわが国の神風とも似ているようにも思う。。
(守るもののために自分の命をなげだすという意味で。)
 
 自爆テロは、通常の生活の中では、防ぎようが無く、殺傷能力の効果も高い
 地下鉄サリン事件の犯人達ですら、身の安全を守ろうとした。
 そのため、殺傷能力は緩和されていたのだと思う。
 ただし、犯行に及ぼうとしている者が自暴自棄になるとき、今年の4月16日に起きたバージニア工科大学銃乱射事件のときのような惨劇がいつ起きても不思議ではない。

 私は、考える。
 今後テロは、国家や宗教や利権のみで起きるのではなく、個人レベルの心の葛藤からも生まれるだろう
 それが、上記するような巻添え自殺型の犯行の場合は想像も付かない手段を生み出すかも知れない。
 そうならないためにも、凶器や、凶悪思想を封じ込める方策を検討すべきだろう。
 と同時に、それぞれの人々が、物質のみには求めることのできない、漠然とした不安からの開放について考える世情を考慮すべきなのだろう。    

 【追記】
 
 2機の航空機が、世界貿易センタ-に突入した時の日本のテレビ報道について、克明に記録した文章を下記に掲載する。

出典:アメリカ同時多発テロ事件
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』原文のまま


 2001年9月11日は台風15号と台風16号が関東地方と沖縄を襲い、多くの被害をもたらしたため、テロ発生までのニュース番組はこの話題一色となっていた。しかし22時ごろ、「ニューヨーク・世界貿易センタービルに航空機が激突(1機目のアメリカン航空11便)」という情報が、各局のニュース番組またはニュース速報で伝えられ始めた。NHKニュース10(NHK総合)でも、冒頭のヘッドラインは台風の話題だった。しかし、カメラの前に登場したキャスターが発した最初のニュースは台風ではなく、このテロの第一報だった。

第一報を伝えるニュースの画面に映し出されたのは「炎上するビル」の映像であり、「事故」なのか「事件」なのか判然としないものだった。1機目激突の瞬間を捉えた報道機関のカメラはなく、一市民であるフランス人カメラマンが撮影した映像はかなり時間が経つまで放送されなかった。ただ、NHKニュース10に出演していたコメンテーターは、晴天時での不可思議な激突状況からか2機目突入前からテロの可能性を指摘していた。

しかし、直後の22時3分、2機目のユナイテッド航空175便がツインタワーのもう一つ(南棟)に突入。生放送を行っていたNHKニュース10では、この瞬間が生中継された。NHKの映像では、画面右側から飛行機が現れ、燃え上がる北棟の真後ろに隠れるように見えた。北棟の真後ろには南棟があった。数秒の後、南棟を襲った巨大な爆発によって炎と黒煙が上がる様子が映し出された。南棟が北棟に隠れていたため画面を通して見れば1機目の激突で炎上する北棟が2度目の大爆発を起こしたように見え、NHKの支局の報道者は単に「今、また爆発がありました」と伝えた。アナウンサーは「あっ!今、2機目の飛行機が突入したように見えましたが!?」と聞き返した。この映像は数日の間、何度となく繰り返された。ニュースステーションではCNNの映像をそのまま放送しており、1機目激突後の時点ではまだ事故と考えられていたため、ニュースステーションでは1機目の激突により炎上する北棟の映像を暫く流した後、台風関連のニュースを伝えていた。この間に2機目の突入が起こったため、突入の瞬間は生で放映されなかった。しかしすぐに再びWTC関連のニュースに切り替えられた。

22時20分頃、NHKは「旅客機がビルに激突したと見られる」と伝えた。22時30分、フロリダ州の小学校を訪れていたブッシュ大統領が記者会見で「明らかなテロ」と発言した。22時45分頃、「ペンタゴン(国防総省)が炎上」というニュースが各局で伝えられ、ニューヨークとワシントンの一連の事件は「同時多発テロ」であるとの見方が固まった。間もなく炎上するペンタゴンの映像も放送され、爆発・火災の原因が3機目の旅客機の可能性があると伝えられた。旅客機がハイジャックされていたという現地メディアの報道も国内に伝えられ始めた。

各ニュース番組では、2つの台風や、前日の千葉県における狂牛病疑惑の牛発見など、放送予定だった他のニュースを差し置いて、ニューヨーク・ワシントンとの中継映像が放送され続けた。時間(事件の拡大)とともに民放各社も次々に通常番組を打ち切り、臨時ニュースを開始した。TBSは22時37分、放送中のジャングルTVの途中から筑紫哲也のニュース23を前倒しで開始。フジテレビではドラマウソコイ最終回を放送中だったが、番組の途中でニュースを何度か流した後、ドラマ終了直前から報道特番を開始した。

 
世界貿易センタービルが崩壊した直後23時過ぎ、世界貿易センタービルの一つが崩壊したとの情報が入り(南棟)、23時半過ぎにはビルの両方が崩壊したとの情報が入った(北棟)。NHKではどちらもワシントンと中継を結んでいる間に崩壊が起こり、崩壊の映像は中継されなかった。しかし間もなく、巨大な超高層ビルが次々に崩壊し、膨大な瓦礫と化してマンハッタン南部が炎と煙で覆われるという衝撃的な映像が全国に報道された。さらに23時40分頃、4機目(ユナイテッド航空93便)がペンシルベニア州西部に墜落したというニュースが入った。NHKのアナウンサーは次々と起こる惨劇を報道する中で「これは現実の映像です。」という日常では考えられない言葉を発するほどであった。

 

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プリンセス・ダイアナのこと。 

2007-08-30 21:57:09 | 政治・社会・時事

 8月31日。ダイアナさんが亡くなって10年なのだそうだ。
 ダイアナさんに、特別の思い出があるわけではないが、亡くなった日のことは覚えている。
 8月の最後の日曜日。奥能登にドライブに出かけた際に、車中で偶然つけたラジオから
このニュースは流れた。
 この事件は、パパラッチなる言葉を日本に定着させた。

 ダイアナさんが、亡くなった時に強く感じたことは、平等教育が生み出す人々の心理の中に、
王族や皇族も下世話なネタのひとつに過ぎなくなったと言うこと。

 庶民にとって井戸端会議としてのネタが、公共のネタとして扱われはじめた王族。

 これまでの王族としての威厳や尊厳が喪失して久しい世の中で、王室に起きた様々な愛人ネタ等
のスキャンダル報道と、皇太子妃としての象徴的な立場の間で、皇太子妃ダイアナとして、
振舞わなければならない心中に焦燥感を感じていたことだろう。

 その後、離婚。
 一般人としてどのような活動をするのか興味があったが、
この事故ですべてを失ってしまった。

 かつては権威と権限を同時に所有した王室が、象徴という曖昧な存在の中で
          *尊敬と軽蔑。
          *憧れと哀れみ。
 の両面を自身に感じながら生きていかなければならない現実に、
シンデレラ・ストーリの真実があったように思う。
                                    ・・・たぶんあの頃にこんなことを考えていた。

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原爆の日ー原発について思うこと

2007-08-06 22:55:09 | 政治・社会・時事
 今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日。
 原爆のことは、多くの資料を目を通したつもりだけど、そのことを言葉に置き換えるほどの文章表現力は持ち得ていない。
 光と高熱と爆風と放射能が持つ恐怖。
 しかし、その膨大なエネルギーの発明が、化石燃料資源を持たない私達の国にとって重要な生活の源であることも確かだ。
 今日からちょうど三週間前の月曜日に起きた、新潟中部沖地震について書いてみよう。
 
 柏崎原発における火災映像は、衝撃的だった。
 爆発するはずのない原発の外でおきた火災にせよ、もし爆発すれば広島型の原子力爆弾をはるかに超えるエネルギー放出が予測できる。
原子力発電所が内部崩壊(エネルギー制御ができない状態)以外の要因でおきる爆発にどのようなものがあるのか?
 地震のような振動破壊に耐えられる限度の数値や、外部からの攻撃に対する安全強度について公式に発表された文書を目にしたことはない。
 9・11のような内部からの航空テロに対しての安全性だけでも本当のことが知りたい。
 もし、安全性が保たれないのならば保たれる方法や技術の開発(現在は地上にむきだしになっている原子力高炉の危険部分のみでも地下深くに移動させるなど)を提示せず、かつ安全性の情報開示もなくこのままの状態を継続することは先進国としてのあり方とは反するように思う。

 今週もブログのお稽古は一週間お休みして(まだ、開設してから一度もしてないよネ。)新潟中部沖地震で感じたことを時間の許す限り書こうと思う。
 
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