おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

ネットニュースの信憑性は?

2019年04月03日 | 日記
新聞にあるコラムを読む事はあるだろうか

編集者が毎日書いているコラム欄

世相に対することや、日常のこと、
はたまた昨日起きたホットニュースに対して、
見識を駆使して、限られたスペースに
言葉を残す

新聞記者に限らず、
発売日が決まっている週刊誌の記者にしても
締め切りまでにネタを探してくることは
かなり厳しい仕事だと思う

僕の仕事にも勿論納期はあるが、
中には1〜2日ほどは待ってもらう事が可能な仕事もあるし、
それもお客さんからの注文で作業をこなすわけだから、
自分の足でネタを探して廻る記者さんたちの苦労は、
想像を絶する

一時期、僕もこのブログを
ほぼ毎日更新していた頃があった

自分の考えだけを書き殴りながらも
毎日の更新を励みに、次の日も次の日も
キーボードを叩いたものだ

しかし

一旦行き詰まると、

「今日はなし!」

で済む話

新聞はそういう訳にはいかない

紙面を埋める記事をなんとしても
見つけてこなければいけない

それは、ネットニュースにおいても同じ事

目まぐるしく更新される情報の渦の中で、
ネットニュースだけが停滞していることは許されない

いや、許されないと言うよりは
時代のスピードについてこれないものは
みんなに忘れ去られる

ブログを書いていて思うが、
毎日毎日、何かについて書く事は、
そんなに難しいことではない

ただそれは

「独り言」

だからそう感じるだけだ

僕のこのブログも、密かにお楽しみのファンが
一定数居られると想像しているが、
それにしても、その方々に対しての

「読み易さ」

と言うことよりも、自分の思いをまさに日記のように
羅列しているだけの文章である事は否めない

それは手料理にも似ていて、
自分が食べるだけの料理と、家族に食べさせる料理とでは、
毎日の悩みは雲泥の差がある

腹を満たせばいいだけの自分用とは違い、
健康の事を考えるのをはじめ、
毎日のバランスと、そして味にも
気を配る

新聞記者にしても、週刊誌の記者にしても
そして、ネットニュースの担当者にしても、
その苦労の中で情報を発信している事を肝に銘じて
その発信されたものを、信じるか信じないか、
情報として活用するか捨てるかの判断を
間違えないようにしたい
 
 
 

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