おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

時の流れに

2010年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2歳違いの知り合いと飲んでいても
その年齢差を感じることは少ないが、
いざ、2年の長さを肌で感じると、
それはそれで、大きな時の流れだと感じる
 
今、村の役員を仰せつかっている
2年の任期だが、あと半年ほどで終わる
まだ終わってもないのに
振り返るのはどうかと思うが、
行く道は長い道のりに思えても、振り返って
歩いてきた道を改めてみてみると
案外短かったような気がする
 
年月の流れとはそういうものだ
 
幼い時、江戸時代はもちろんの事、
鎌倉時代や奈良時代なんてのは、
もはや白亜紀と同じような
夢物語に近くて、そんな時代が本当にあったのか?と
実感なんてまるで出来ないことだった
戦争も教科書で習った歴史の一部に
過ぎなかった
 
が、自分自身も歳を重ね、
働き出したときに生まれた人が
成人を迎えたりするのを見ていると
確かに時は流れて、
僕もその大きな流れの中で生きていると
実感できるようになった
そして東大阪市には149歳の人が・・・
 
もちろんコレは戸籍上のことで
存在は確認されたわけでないが、
なんでも江戸時代の生まれだとか

“と、いうことは・・・”
 
そうだ
僕が生まれる100年ほど前までは
江戸時代だったということになる
 
今までも、計算すればわかることではあったが、
実際、そういう数を見せられると、
確実に100年前は江戸時代だったと
肌感覚でわかろうと言うものだ
 
しかし、ひとつだけ思う
 
まぁ、生きてはおられないだろうとは思うが、
それでも安否確認もせず、
“生きていれば”と言うのはどうだろう?
 
それだけが、ちょっとだけひっかかる
 
 
 


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