折りしも雛祭りの日、母から電話があり、話題は16日祭のこと(今年は今日5日)。
こちらではお雛様飾りのことや、その日の思い出や、雛あられだ散らし寿司だと賑やかだ。
が母の話の中にはそんなこと一言も出てこない。16日祭のご馳走のことが話題の中心だ。文化の違いを感じさせられた。
故郷の新聞にはこんな記事がある。(07・3・4 琉球新報、沖縄タイムス)
「宮古島市は、グソー(あの世)の正月に当たる旧暦1月16日の「十六日祭(ジュウルクニチー)」で慣習だった役所の半ドンをやめ、今年から通常勤務に切り替える。」
幼い頃、毎年お墓の前でご馳走を広げてお参り(お祝い)した楽しい記憶がある。この慣習は先島諸島のほうで盛んに行なわれており、沖縄本島とまた違うようだ。
母が生きている間は大切にされる今日の行事もこれからどうなるのかわからない。私の中では風化している感がする。
今日は神妙に先祖のことに思いを馳せよう、と思ってみたりする。
(お雛祭りの日が来ると毎年思い出すのは娘との約束を守らなかったことだ。大きな家を作ったらお雛様買ってあげると約束したのに、家は作ったがお雛様は買わなかった。数年前も娘にそれを言われたが、あまり悪いと思っていない自分がいる。
それはお雛様を飾り、それを祝うという慣習が私の中で大切にされていなかったからではないかと思う。)
こちらではお雛様飾りのことや、その日の思い出や、雛あられだ散らし寿司だと賑やかだ。
が母の話の中にはそんなこと一言も出てこない。16日祭のご馳走のことが話題の中心だ。文化の違いを感じさせられた。
故郷の新聞にはこんな記事がある。(07・3・4 琉球新報、沖縄タイムス)
「宮古島市は、グソー(あの世)の正月に当たる旧暦1月16日の「十六日祭(ジュウルクニチー)」で慣習だった役所の半ドンをやめ、今年から通常勤務に切り替える。」
幼い頃、毎年お墓の前でご馳走を広げてお参り(お祝い)した楽しい記憶がある。この慣習は先島諸島のほうで盛んに行なわれており、沖縄本島とまた違うようだ。
母が生きている間は大切にされる今日の行事もこれからどうなるのかわからない。私の中では風化している感がする。
今日は神妙に先祖のことに思いを馳せよう、と思ってみたりする。
(お雛祭りの日が来ると毎年思い出すのは娘との約束を守らなかったことだ。大きな家を作ったらお雛様買ってあげると約束したのに、家は作ったがお雛様は買わなかった。数年前も娘にそれを言われたが、あまり悪いと思っていない自分がいる。
それはお雛様を飾り、それを祝うという慣習が私の中で大切にされていなかったからではないかと思う。)
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