暑さ負けのため、しばらく食欲がスッカリ減退した日々が続いていました。微かな危機感が忍び寄るほどに、‘何かどこかが、いつもと違う感じ’がおんぶお化けのように身体に貼り付いたまま、‘青菜に塩’の様相を呈していました。素麺さえ食べる気になれない…なんて、ただ事ではありませんよネ!そこで、思いついたのが、素麺のつゆの作り方を一捻り工夫して、食欲増進を図ることでした。まず、玉葱をみじん切りにして(ザクザク切りでも、形がなくなるほどの細かいきざみ方でも、それはお好み次第ですが、食べる時の食感や味わいは切り方一つでも結構、違った仕上がりになると、私は想像しています。)サラダ油で玉葱をきつね色になるまで十分に炒めたら、そこにひき肉を加えてさらに炒めます。最後に、出来合いのつゆの素を加えてさっと煮込めばいいだけです。今回は、さらに、すりおろしたたっぷりの白ゴマ(黒ゴマが切れていたので、白ゴマにしました。)と胡椒も入れて味付けしました。私は、ここに、必ずみりんも加えます。甘みとこくのあるつゆになり、味がぐっとひきしまって美味しさのグレードが一段とアップすること請け合いです。ゴマを入れるか入れないかによっても、まったく別物のつゆになります。素麺は氷入りの水の中に浸してもいいのですが、そうするとつゆがすぐに水っぽくなって味が薄まってしまうので、今回は小分けにしてざるにあげて食しました。久し振りに食べることの悦びが蘇ってくることを、食べながら実感することが出来て嬉しかったです。よろしければ、暑さ負け対策の一品に是非、この献立を加えてみてください。
新聞広告のとてもセンセーショナルなその題名に、思わず、目が釘付けになってしまいました。どんなことが書かれてあるのか、内容を確かめてみたくなり、早速、図書館にリクエストを出したら、思いがけずも、早々に手元に新刊本が届いたのです。事実に基づく膨大な資料収集と取材(恐らくは、机上だけでのものでしょうが…)を重ね、幾つかの文献から、関連のあるテーマを引用しながら、論を組み立てていく。こうした手法は研究者ならばお手のものだと思います。あとは推理力が勝負でしょう。幾つかの大胆な推理と想像で思い切った仮説が論じられてはいましたが、その内容のほとんどに、私はまったく興味を持つことが出来ませんでした。精神科医である香山リカさんの著書なのに、失礼なのですが、参考文献として引用されていた心理学者の小倉千加子氏の『結婚の条件』という著作の内容の方にちょっと触れてみたいと思います。(小倉氏の代表作は芸能人の生き様を題材にお料理してくれているのでとても分かりやすいのが特徴です。そうした事情から、小倉氏の著作の、通俗書の類のものは過去のものにも大体は目を通しています。)小倉氏は、この著作において、現代女性の結婚の意識を「生存・依存・保存」に分類して分析しています。生存としての結婚は「生活財であり、結婚して初めて食べられる、そうした意味合いを配偶者に求めるための結婚。」依存としての結婚は、「専業主婦になり、安心して子育てが出来るような給料を配偶者に運んでもらうための結婚。」保存の為の結婚は、「経済力は求めない。けれど女性も一生働くことを尊重して、家事に協力的であることを配偶者に求める結婚。」というふうに結婚の形態を3類型に分けて考察しています。保存のための結婚を実現して見せてくれた人物の代表格には我らが林真理子女史が例として挙げられています。けれど、この論とても、私には何の面白味も、目から鱗の驚きさえも感じられるものではありませんでした。現代女性の結婚がこの3類型に綺麗に分類されるわけもないとさえ感じられます。結局、これは学者さんの一つのお仕事として、一応、社会に一石は投じた。そういう意味では、顕著な力技に値する内容ではあったのかもしれない、というほどのことでしょうか?学者でも何でもない、私のような野次馬的な一読者には、「ふ~ん。こんな考え方もあるのか!」という、感想だけで終わってしまう、極めて現実感のない考察内容でした。さて、大分寄り道をしましたので、本題に戻って、香山さんの著作に対する感想を、私なりに締めくくってみようと思います。結局のところ、この本に関して、私が唯一、素直に共感できた箇所はと言えば、エピローグのすぐ手前に書かれてあった「他人はあなたの人生の責任は負わない」の最終章の内容だけに落ち着いてしまいました。『“他人の目”にどんなに敏感になり、誰にも不快に思われることがないように最大限に配慮して振舞ったところで…そんなことには一縷の値打ちもない。“他人の目”のために、自分の本来の感情や行動を捻じ曲げたり押さえつけたりして生きているといるような事情なんて、誰も理解してはくれない。そう考えると、“他人の目”を意識してそれに自分の言動を合わせるのは、まったく勘定に合わないことなのだ。基本的には自分でやりたいことをやり、思ったことを口にする、というのが大原則なのではないか。』という結論めいた結びの部分だけです。しかしながら、この見解とて、感じ方は人さまざまでしょうし、当然、賛否両論もあることでしょう。議論しだせば喧々諤々、結論さえ出ない大問題なのでしょうが、私はといえば、生きるということをなるべくシンプルな営みと考えて、自分をも他人をも裁かずに、物事を良いか悪いかだけで判断しすぎずに…淡々と、その時々を、宇宙の流れに逆らわずに…出来れば流れる水のごとく…留まらずに、濁らずに生きていけたらいいなぁ…そういう生き方が一番自然なのかなぁ…と、とっても難しいことではありますが、大括りには、そんな感想を持つことで、この本を閉じることになってしまいました。そう思えたことが、この本に出会ったことのせめてもの余禄だったような気もしています。何はともあれ眉間に皺を寄せる生き方だけは、もううんざりという感じがしているのです。