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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

フラクタル構造-2

2005年08月03日 | 日々の泡
ディーパック・チョプラという人が「自己相似性の法則」ということに言及しているのですが、これがイコール「フラクタルの法則」のことです。「自己相似性の法則」とは大宇宙と、小宇宙である自分とが「部分が全体で、全体が部分である」という相互関係をもち、同じ相互関係が万物についても当てはまる法則を「自己相似性の法則」と呼んでいるのです。「自己相似性の法則」は宇宙の万物に当てはまるとのことです。つまり身体も心も、人間の外も内も、すべては自己相似になっている。時間や空間についても、宇宙の万物は自己相似形とのことです。(う~ん。難しいです!)精神療法の観点に話を戻して考えてみます。人間関係において、ある領域での関係性は、他の領域での関係性と相似形になるということになりますから、精神療法の場を借りて(精神療法的関係は、日常的な人間関係ではありません。その枠の中だけの作られた関係ですから、あくまでも擬似的関係ということにはなりますが、それでもいかに擬似的関係とはいえ)そこでの局面における関係性や自分の気持ちの捉え方に大きな変化が起こりうるとすれば、他の領域においても、あるいはすべての局面においても変化は起こりうるという理屈になります。精神療法を受けていない人の場合はどうなるのかというと、この法則からすると、今日一日の、この場における「いま」の意識や態度がすべての場に反映されていくということになるわけですから…結局は、「いま」がすべての基本になるということを説いているようなのです。生きるということは究極のところ、「いま」の中にしかないということになるのでしょう…。

フラクタル構造-1

2005年08月03日 | 日々の泡
この言葉を始めて知ったのは、花クリニック主催の神田橋研究会で、ある時期に、神田橋先生が頻繁にこの言葉を使用されるていたことがきっかけでした。最初はこの言葉の意味がさっぱり理解できませんでした。今では、私なりに、この概念を「部分は全体であり、全体は部分である。」というふうに捉えています。精神療法の観点において、「部分が全体であり全体が部分である」という意味を読み解くとすれば、次のような意味合いになるのかと自分なりには考えています。人の人生全体から見れば、部分的に切り取られたに過ぎない、ある期間の、ある時間の、ある枠の中だけでの精神療法という擬似的な人間関係が、これまでのその人のあり方にいい意味での、幾ばくかのあるいは絶大なる影響力を及ぼしうることが可能であるとするならば、部分における変化は、その人の人生全体…すなわち、過去・現在・ひいては未来の意味をも変化させうる、すなわち、その人の人生のこれまでの物語が書き換わるような変化をも引き起こしうる。そんなふうに考えられないでしょうか?そのように考察すれば、膨大な時間と労力をかけて行われる精神療法の意義や効果の狙いも納得できるような気がします。