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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

『アーユルヴェーダ』

2005年08月14日 | 日々の泡
5千年の歴史を持つインド伝統医学のことを『アーユルヴェーダ』といいます。数年前に、この『アーユルヴェーダ』に興味を持ち、しばらく、関連書籍を読んだり、インド音楽のCDを聴いたりしている時期がありました。超越瞑想というものがあることも『アーユルヴェーダ』のことを勉強している過程の中で知りました。上に載せたのは『アーユルヴェーダの神・ダンヴァンタリ』の写真です。結局、『アーユルヴェーダ』のことはいまだによくは分からないのですが、【フラクタル構造】のところでも少し触れたように、ディーパック・チョプラ(アーユルヴェーダ関連の書籍の中には必ず登場する人物ですが、どんな人なのか詳しくは調べていません。)という人物が提唱している、人生の幾つかの法則の中には極めて興味深い真理が隠されているように感じています。彼は、花、虹、樹木、草の葉、人間の身体は、その本質的な要素にまで分解・還元すれば、エネルギーと情報から成り立っていると言います。全宇宙は、その本性において、エネルギーと情報の運動だから、私たち人間と樹木の間の唯一つの違いは、それぞれの身体のエネルギーと情報の内容の違いだけだと言っているのです。私たちは究極的には、宇宙的な意識の中の局所化されたエネルギーと情報の束なのだそうです。すごく難しい概念なので、もっと分かりやすく噛み砕いて説明して欲しいものです。が、ただ何となく、宇宙も、花も虹も樹木も草の葉も、そして私たち人間も成り立ちは一緒なんだという意味に、私には思えてしまっているのですが…どうなんでしょうか???

第18回東京湾大華火祭

2005年08月14日 | 日々の泡
気功教室が夏休みでだったため、またまた花火見物に繰り出しました。花火に対する長年のあくなき憧れが、気持ちに火をつけたまま、くすぶる思いに更なる拍車がかかったままだったからです。けれど、最適な見物スポットがどこなのか?最寄の駅がどこなのか?という情報さえ十分には掴めていないままでの大決行でした。(もちろん、公式ホームページで予めチェックはしましたが、いまひとつ詳しい様子は曖昧なまま…でした。)何でも頭であれこれ考えているよりは、例え結果はどうであれ行動してしまったほうが後悔はないと考えるたちなので、ある程度の大枠の知識と、‘それ’をやる気、あるいは‘そこ’へ行く気さえ整ってしまえば、大概のことは実行してしまう私です。大江戸線の月島で降りて、あとは人の流れについていくだけでした。開始時間の約2時間前には月島に到着していましたので、とうとう入場制限に合うこともなく、整理券なしの人のための第2会場の中にスイスイと入ることが出来てしまったのです。ところが開始時間の1時間前あたりから、空模様がおかしくなり、雷がごろごろ鳴り出し、雨が降り出し始めまたのです。すぐにやむだろうと思っていた雨も、予想外にもしつこく断続的に降り続けました。「中止になるかもしれないなぁ…」という一抹の不安もありましたが、何とか花火は打ちあがり始めました。今回はデジカメのシャッターを押すタイミングのコツも少しは習得できたようで、美しくはありませんが、何枚かの写真撮影にも成功(?)しました。ところが、花火大会終了後の晴海界隈の異常な賑わいには腰を抜かし、すっかり東京湾の華火祭の感じの悪さに辟易することとなります。最初は気づかなかったのですが、見物層の大半が、20代前半の浴衣姿のバカップルで占められていることに突然気づいてしまったのです。彼らが、この華火祭の風紀を極めてレベルダウンさせているのです。でもさらに気づいたことは、花火大会というものは、そもそも、私が考えていたような内容のものではなく、そうしたカップルのための夏の風物詩の一つだったんだということでした。月島に戻ったときにすぐに帰途につけば良かったものを、折角、月島まで来たのだからと、友人と一緒に、本場のもんじゃ焼きを食して行こうと思い付いてしまったことが、そもそもの‘運のつき’の始まり、‘歯車の狂い出し’のきっかけでした。もんじゃ焼きのお店はどこも‘満員御礼’なのに、たかを括って、行列に並んでしまったのです。いくら待っても待っても、いつになっても順番なんて回ってきません。けれど、みんな立ち去るでもなく、待ち続けているのです。しばらくは‘忍の一字’でそのうちに席が空くだろうと希望を持っていたのですが、途中で、その考えの甘さを思い知らされ、列を外れて地下鉄の出入り口に急ぎました。歯車の狂いは、次の更なる異常事態を知らせてくれていました。そこここの地下鉄の出入口はほとんどが出口専用となっていて、入場制限がかけられていたのです。地下鉄に乗るための人々が信じられないほどの行列をなしているのです。(そのほとんどの人たちは例のバカップルたちなのです。→ごめんなさい!)「有事ではあるまいし、この光景は何なんだ!」という驚きで気持ちが気圧されてしまいました。大江戸線は有楽町線と違い、特定の入口からしか入れないことになっていたので、特に難儀なことでした。そうこうするうちに、今度は本格的な土砂降りの雨が容赦なく降り始めたのです。やっとの思いで、家路につけた時には、今日一日の、不可解な成り行きに災害などの‘非常事態’から命からがらに逃げだせた時には、こういう気持ちに襲われるのではないかという感想を持ってしまったほどです。行く先々で道が閉ざされ、次の手を考えなければならないのですから…。遊園地の中で迷路のアトラクションで遊んでいる時よりももっとたちの悪い不気味な感覚を持ったほどです。見方を変えれば、私の見通しの甘さがすべての結果の起点であったということになります。もんじゃ焼きを食べたければ、もっと早い時間から出かけて、花火を見る前に、その楽しみを堪能すればよかったわけですし、ウンザリするような見物層についても、前もっての情報を持っていれば、突然の嫌~な気分にむかむかすることも避けられたでしょうし、花火終了後は、さっさと地下鉄の駅に急げばいいということも分かっていたはずだからです(もしかしたら、これは常識かも…。)こんなにいい加減で無計画な思いつきの行動だったにも拘らず、とにかく花火は打ち上げられたわけなのですから…私の今回の、一番の目的はくしくも達成されたということになります。やっぱり、とても幸運な一日だったというわけです。「私はきっと何かに守られていたんだ。」という結論で、今日という一日を、結果的には、平穏な気持ちで締め括ることが出来ました。めでたしめでたし…