ディーパック・チョプラという人が「自己相似性の法則」ということに言及しているのですが、これがイコール「フラクタルの法則」のことです。「自己相似性の法則」とは大宇宙と、小宇宙である自分とが「部分が全体で、全体が部分である」という相互関係をもち、同じ相互関係が万物についても当てはまる法則を「自己相似性の法則」と呼んでいるのです。「自己相似性の法則」は宇宙の万物に当てはまるとのことです。つまり身体も心も、人間の外も内も、すべては自己相似になっている。時間や空間についても、宇宙の万物は自己相似形とのことです。(う~ん。難しいです!)精神療法の観点に話を戻して考えてみます。人間関係において、ある領域での関係性は、他の領域での関係性と相似形になるということになりますから、精神療法の場を借りて(精神療法的関係は、日常的な人間関係ではありません。その枠の中だけの作られた関係ですから、あくまでも擬似的関係ということにはなりますが、それでもいかに擬似的関係とはいえ)そこでの局面における関係性や自分の気持ちの捉え方に大きな変化が起こりうるとすれば、他の領域においても、あるいはすべての局面においても変化は起こりうるという理屈になります。精神療法を受けていない人の場合はどうなるのかというと、この法則からすると、今日一日の、この場における「いま」の意識や態度がすべての場に反映されていくということになるわけですから…結局は、「いま」がすべての基本になるということを説いているようなのです。生きるということは究極のところ、「いま」の中にしかないということになるのでしょう…。
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フィルムのひとつひとつの画像が『今』です。
その『今』をつなぎ合わせたもの『フィルム』が人生。
これから、どれだけ撮れるのか(どれだけ生きるのか)、それは分かりません。
嫌なシーンは、人によっては『編集』してしまうかも知れません。本当は大切なシーンだったいかも知れないのに・・・
後から、他のフィルムを挿入してしまう場合もあるでしょう。
だから、人の記憶は曖昧です。
大切なのは『今』をしっかり撮ることです。
過去のフィルムを編集することではありません。
全部のフィルムは、人生最後の時に見返せばいいんですから。