「子どもというものは天からの授かりものではなく天からの預かりもの。」と言った人がいました。「そうだなぁ。」と私でも思います。小さい時は養育者なしには成長できない(生物学的には)弱い存在ですが、時期が来れば、当然のことながら、一人でも生きていけるようになります。またそうでなければまわりも本人も大変に困ったことになるでしょう。助け合い共存しあうことと、パラサイトとなって人に依存しながら生きていくこととは別問題ですから。子どもが親の持ち物でないことは誰でもが知っていることです。でも驚いたことに、気功の先生は、「何一つ自分のものではない。」と言われるのです。与えられたものなのだそうです。私自身のものは一つもない。私の身体でさえ私のものではないのだそうです。ならば、私以外の人が私のものであるはずはありません。でも巷では、「俺の彼女が…」とか「私の彼が…」と言い合って、恋人同士がお互いをお互いの、まるで所有物みたいにして仲良く睦みあっているではないですか?本当に羨ましい光景ですよね。そのことを気功の先生はどう説明されるのでしょうか?でも、有難いことに、唯一つ自分のものといってもいいものがあるそうです。それは「感謝する気持ち」だそうです。物事や誰かに感謝する気持ちだけは紛れもない自分のものなのなのだそうですヨ。自分のものが一つでもあって心底ほっとしました。
この頃、気功教室での講話の内容が徐々に難解になってきています。宇宙の話題が出ると特に頭を抱えてしまうことが多いのですが、「私たちは無償の愛で宇宙に生かされている。」という真実を聞かされた時は、「あぁ本当にそうだ!」と心の底から「無償の愛」という言葉の意味を理解することが出来ました。天には日(太陽)・月・星という3つの宝が存在しています。宇宙は持てるものを出し惜しみすることもなければ、私たちに物欲しげな交換条件を提示してくることもありません。私たちはこの宇宙の中で好きなだけ、宇宙から与えられる無償の愛を享受することが出来るのです。誰かには与えられていて自分には与えられることがない…なんていう不平等は宇宙に関してはありえないことです。こんな当たり前のことを、今まで考えたこともありませんでした。