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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

おばあちゃんになっても…

2005年07月02日 | 至福の花
お花の種類に好き嫌いはありません。お花の種類は何でも構わないのです。ただ白い色のお花にだけはとりわけ強く惹かれてしまいます。真っ青な空に白い雲がぽっかり浮かび白いお花が揺れている画像が気に入って冒頭に載せてみました。話はまったく変わりますが、ある一定の年齢を越えると、人は不思議とどんどん歳を取っていきます。本心を言うと、私は年齢が幾つであろうと、関係のあり方は本質的にはなんら変わりはないと思っていますし、何十代であろうと、関係してくるのは年齢ではなく、その人がどういう人かということだけだと思っているのですが、世間はそんな考え方には容易には同意してくれそうもありません。だから、あなたにだけはお願いしておきたいのです。私がおばあちゃんになっても、今と変わりなく、同じ気持ちで私を慈しんでください。説教がましいことなんて絶対に言わないと約束します。ただただひたすら可愛いおばあちゃんになることだけを確約します。そしてあなたのこともずっと慈しみ続けるつもりでいます。だから、おばあちゃんになっても…私のことを忘れないでいてください。

たった一つの最後の願い

2005年07月02日 | my favorite・・・
私は長い間、メンタルな面での困難を抱えた方やその家族の方のお話をお聴きする仕事を生業としてきました。人の話を聴けるようになるためには、まず己の何たるかを熟知していなければなりません。精神療法に関する講座や研修を片っ端から梯子して、「人の心の不思議」を解明できるようになりたいと、この道一筋に精進してきました。その過程の中で、ご多分に漏れず、自分にも人生の数々の困難が押し寄せるようになってきたのです。「とても私一人の力ではこれらの難題を解決できない。」と思うことが多くなり、自分が勉強する精神療法の分野の先生に、「私のカウンセリングをお願いしたいのです。」と直訴して、何人かの先生方のお世話になってきました。超えられないと思える課題に直面する度に、精神療法の門を叩いたのです。カウンセリングの効用を私は十分に活用してきました。幾つかの難題をカウンセリングでクリアすることが出来たのです。でもどうしても、カウンセリングではどうすることも出来ない問題が一つ残ってしまいました。最後の最後に残された、私の課題…それは、私が私のこれまでの人生ではついに一度も味わうことの出来なかったある出来事なんだということを、当時のそして今となっては私の最後のカウンセラーとなった先生と「このことなんだよね!」と了解しあったのです。ヒントは次の言葉にあります。「私はもの心ついた時からずっと恋愛至上主義者だったんです。」人は一番望んでいるものは、最後まで手に入れることが出来ないものなのかもしれません。人生とはそういうものなのでしょうか?

極上の時間(とき)

2005年07月02日 | 日々の泡
半期に一度の大バーゲンSALEが始まりました。休暇を取って、朝9時40分頃家を出てSALE会場に繰り出し、帰宅したのは5時半頃でした。新宿から銀座に出て、その後代々木から原宿まで回りました。あちこちを巡った甲斐あって、安いものもありますが上等なものも含めて、戦利品は質・量共に上々の成果でした。一時は紫が好きで、紫色にばかり目がいっていたものですが、今は茶系や生成り色が好きです。しかもレース編みのカーディガンと白いブラウスの組み合わせに惹かれています。街にはキャミソール風のトップが目立ちますが、素敵なデザインが多いですネ。着方によっては素敵に着こなせそうです。お昼は銀座のお寿司屋さんでランチを食しました。そこのお店はネタがいいことで有名なお店なので、一度是非‘彼’を連れて行きたかったのですが、ランチはちっとも美味しくありませんでした。お寿司の前に出してくださったグリーンサラダにはドレッシングがかかりすぎていてしょっぱかったので、如何に自分が薄味になれてしまっているのかがよくわかりました。最後にサービスで黄粉パウダーのかかったバニラアイスを出してくださったことでせめてもの心づくしを感じました。自分のお金と時間を自由に使えるなんて…こんな贅沢は他にはないかもしれませんネ。帰宅後は起きていられないほどの心地よい疲労感に襲われて、自然に眠りの床に就いてしまいました。極上の時間の後には睡眠という極楽が私を迎え入れてくれました。

同業者

2005年07月02日 | 日々の泡
私はとある行政で仕事をしています。職種は医療関係の専門職です。入職当初、一通りの研修は受けたものの、組織の一員としての強い自覚の下に、職務に従事していかなければならないという側面をまったく理解できておらず、専門職としての狭い枠の中で、自分のやるべきことを落ち度のないようにやり通していくということだけに精一杯でした。人の気持ちや周囲の状況のことを自分としては十分に考慮しているつもりでいる割には、生まれつき気が利かないという弱点を持ち合わせているため、指導者からはよく、「あなたは何も考えていない人なのね!」とお叱りを受けたり、「人に指示される前に、次に何をしたらいいのかは自分で考えて行動するものでしょ!」という言葉の直撃にあったことも一度や二度のことではありませんでした。ここでは、私が何を考えて行動しているのかについては、誰も想像もつかないらしい…。素のままの私ではどうもこの場所では機能しないばかりか誰にも歓迎されることがないらしい…。いくら鈍感な私でも現実がどのようなものであるのかはすぐに察知することができました。入職直後であるにも拘わらず「職能集団とはかくも恐ろしい集団なのだ!」という固定観念がすぐに脳のどこかにインプットされてしまうこととなり、私はすぐにも職場を異動することが身のためであることを悟りました。他職種がひしめき合う中で、いろいろな職種でそれぞれの専門性を生かしあい補い合って仕事を進められる職場への異動が、私を生かす道と理解するようになりました。そして今では、あの時の願いがほぼ叶ったといえる環境に身を置いています。やっぱり意識の持ち方は行く道や環境をも変えていくものなのだと考えざるをえません。入職当時からかなりの時間が経過した今、思えば、私もあの時とは随分と様子の違った場所に立っています。そして今のポジション(同業者と仕事をすることが日常業務となっているポジション・でも有難いことに、一応の一線がしっかりと引かれている立場でもあるので、かつての私から見ると申し分のない立場にあります。)から、再び同業者との関わりを振り返った時、私と同じ職種の人たちの様変わりには目を見張るものを感じています。かつては、どの人を見ても皆が一様に、同じお面を被っているように見えたものでした。どの人も皆おしなべて上昇志向の強い、行け行けドンドンの怖い人ばかりでした。人間には出来ることと出来ないことがあるのは当たり前のことなのに、「私にはそのことは出来ない。」と言うことが決して許されない雰囲気が厳然と立ちはだかっていて、幾重にも幾重にも自分を防衛して、厚い鎧を身にまとっていなければ、満身創痍になってしまう時代があったのです。今は違っています。私の同業者たちは一様に正直で、出来ないことは出来ないと言える人たちに見えます。そうでない人も居るかもしれませんが、そういう場合でも、今の私はもう怖がらずにその人たちの前に立つことができるようになりました。そして、自分の気持ちを正直に表明することを当たり前のことと思えるようになっているのです。それが、相手にとっても自分にとっても必要なことだと思えるようになっているのです。どんな仕事をしていようとやわらかい気持ちを忘れずに、ことに即して自分の考えや思いを臨機応変に自然の流れに乗せていける柔軟さを持っている人たちと関わっていられる時、私は本当にいい時間の中に漂っている自分を感じとれて有難いことだと思えるのです。人は少しずつでも総体的には進化の道を辿っているのでしょうか?