ある精神科の先生は「恐怖は見つめると小さくなる。」と言われました。無意識という大海原に、ただ混沌と漂っているだけで知覚されることもなく放置されたままの感情は確かに、徐々に巨大化して、時として、宿主を侵食するまでの力を持ちえてしまうものなのかもしれません。そういう文脈で、この問題を解釈する(ある感情の所在を知ることは、その感情を鎮める効果がある)とすれば、見つめられ確かめられた感情は縮小するということになりそうな気もします。ところが、ある書物によると、意図を持ってある物事(もしくは感情)に向けられた意識というものは、光を当てられた物事(もしくは感情)に力を与え、その状況をどんどん拡大させていくと説明されているのです。個人的な見解としては、この書物に書かれてある解釈や捉え方の方に、私は賛同していますが、同じ現象の効果についての考察が捉える人によって、これほどまでに真逆に提示されていることに、大いに戸惑ってしまい、この問題をしばし棚上げすることにして放り出していました。ところが最近、ある勉強会で「拡大鏡作用」という言葉に出会ったため、またその問題を思い出してしまったのです。拡大鏡を使って、物事を引っ張り出してきてず~っと見つめていれば、そのものはやっぱり大きく且つ大げさに見えてくることになるような気がしたのです。拡大鏡を使用して意識をそのものだけに集中させ、そのものだけを細かく観察することはむしろ、思わぬ視野狭窄を作り出すことにもなってしまいそうです。(ここにも、人生で生じる多くの場面や問題が抱えるパラドックスが潜んでいます。)こんなことは、どうでもいいことなのですが、意識は集中させることの方がいいものなのか、あるいは分散させるに限るものなのか・・こんな瑣末なことが長らく、私の大問題になってしまっていたのです。まあ、何事もすべからく、ケースバイケースということになるのでしょうね。自分の精神衛生にとって好ましいことには意識を集中させ、うんざりすることには意識を分散させるという方法がいいのでしょうかね。(ん!?)