雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

この騒動も無駄じゃない。

2014-03-15 16:50:31 | …and so on
今日の東京は午前中に用があって出かけた時点では風が強くで、薄手のダウンジャケットで外に出たのを後悔しました。
いったん家に戻り、お昼過ぎにカイロプラクティックに出かける時は暖かくなりましたが、厚手のダウンで正解でした。
陽が落ちてくるに従って風が強まっていたので、天気がいいわりには体験温度は低いままだったと思います。
3月中旬だというのにダウン類はクリーニングに出すこともできず、いつになったらしまえるのか全く分かりません。

この国のマスコミの常で今に始まったことではないけれど、脚光を浴びた人に何かあると手のひらを返したように叩き始める。
先日来話題になっていたゴーストライター事件もそうだし、ここ数日はノーベル賞級の発見をしたはずの30歳女子が標的のようです。
ワタクシはその女子が所属する研究所の記者会見を、例によってネットでチラ見しただけなので詳細は分かっていません。
何分にも二次方程式が解けない人間なので、理系の方々の論文の内容などタガログ語とかヘブライ語に等しい。
昨日の記者会見で驚いたのは、その研究所のノーベル賞受賞者の理事長が冒頭に頭を下げておられた事実です。
ふと、これがノーベル賞を受賞された方の、一研究者としての良心なんだろうと思った次第。
これは一昨年にノーベル賞を受賞された山中教授にも共通する姿勢だろうなと、記者会見の中身より、その事実に感動しました。

人間というのは、誰しも仕事で成果を上げたいと思うし、結果が出ればプロセスなどどうでもいいと思いたくなるものです。
いくら結果はともあれプロセスが大事だと言ってみても、最終的には結果のほうが重視されるのもまた事実です。
それはこういう研究の場面だけではなく、ワタクシのような一市民でも同じことだろうと思います。
ただ、昨日の謝罪会見のノーベル賞も文化勲章も受賞された75歳の大科学者の姿勢を見ていると、それだけが全てじゃないなと。
ノーベル賞級の発見・発明の裏には、おそらくは人の何倍・何十倍と積み重なった努力があるんだと思いました。
頭を下げる理事長の姿を見て、おのれの襟を正した人々も多いはずで、そういう意味ではこの騒動も無駄ではないのかもしれません。