どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ザルでした

2020年07月18日 | 日記

明日こそ というわけで 今日も朝から雨模様でもあることだしと いよいよ弥生時代に突入

縄文時代の終わりの頃から始まった水稲耕作が 弥生文化の基礎となる

私の時代には学ばなかったこと(記憶が正しければ)

縄文文化 → 弥生文化 → 古墳文化 

日本の文化の流れとして習ったのはこれひとつだった

ところが今は それは本州と四国・九州に限ったこととされているのだ

北海道(東北北部)は 縄文文化 → 続縄文文化 → 擦文文化・オホーツク文化

沖縄(南西諸島)は 縄文文化 → 貝塚文化 という発展経路をたどり 弥生文化は伝播しなかったとある

何しろ教科書に沖縄返還さえまだ記載されていなかったし アイヌの文化でさえほとんど知らされてはいなかったのだ

実際にあったことは変わらないが それをどう見るか 検討方法や分析が正しいかどうか また何を選択し何を廃棄するか それをどう表現するかによってもまるで違ったものになる怖さが 歴史にはある

 

これも 何とかの一つ覚えのように記憶したに過ぎなかった「銅剣・銅矛(鉾)・銅戈(どうか)」

ちなみにこの「戈」の文字も「ほこ」とも読む

さて 銅剣はわかるが あとは何?

大して違いも考えずに 機械的に出土の地域だけを覚えていたことを思い出す

今日も それらを絵に描いてみた

そして胴戈は鎌のようにして使うために 棒などとの接地面が斜めになっていることがわかった

銅矛や銅剣には各部位に名前があり 刃の背に沿って小高くなっている部分は「鎬」とある

「しのぎ」と振り仮名

しのぎ・・・?

もしかしてと調べてみたら あの「しのぎを削る」という言葉の語源だった

最近は刀剣ブームだとかで 刀剣女子なる言葉も生まれていると聞くから さて 彼女たちなら知っていたか

あの時の勉強は入試のためとはいえ あまりにもザルのような勉強だったと この年になって思う毎日

いや ザルであったと同時に サルのようでもあったかもしれない

ただいま進化中 か?

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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変わりましたね~ (みらい)
2020-07-19 17:02:43
昔はもう少し簡単でしたよね~
このウン十年の間に、
どんな発見や研究や決定があったのでしょう。
言葉も、こんなに昔の単語がかかわっているのですね。

受験勉強は、おおよその流れを覚える感じでしたから~^^。
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みらいちゃんへ (yokochann)
2020-07-20 04:39:12
おはよう~みらいちゃん。
当然だったのよね。50年も前と同じなはずがないものね。
「しのぎを削る」なんて、言葉は知っていても自分から使ったことは無かったと思うの。(それだけの人生だったということか・・・笑)

今朝は東の空が明るい。晴れるのかな?
気をつけて行ってらっしゃい~。
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