goo blog サービス終了のお知らせ 

ケ時々ハレ・2

楽しむために、「晴れ」のために「褻」を生きてます。左脚も人工股関節にしました。右人工股関節はライト、左はエルといいます。

1月6日(火) お通夜に思う

2009-01-19 22:51:25 | 日々雑記
息子も動揺して、ゆうべは眠れなかったらしい。

私もあまり眠れなかった。

3時にあがり、息子や、友人のI君と一緒に、
U君のお通夜に行った。

中3の頃、よくU君からは家に電話がかかってきて、
息子は一緒に遊んでいたものだ。

童顔でおっとりイメージのある子だった。
(I君によると本人は、そうおっとりでもないそうだが)

初めて行く駅。

だが、いろんな事情で、よく名前は聞く駅。

ソートン・ワイルダーがらみだったり、
光枝さんがらみだったり、
仕事がらみだったりして、
実に耳になじんでいる町。

弔問の列が、斎場の外までできていた。
たぶん全員、彼の友人だ。

逆に、親族の少なさが目立った。

ご両親と、お兄さんと、おばあちゃまだけ。

遺影は、幼さが残るあどけない20歳の笑顔だった。

20歳の男の子なんて、
人類の中で、最も死に遠い生き物だ。

だから、強烈な違和感がある。

その違和感で胸がつぶれそう。

ご両親は憔悴しきった様子だった。

たぶん彼より小さいおばあちゃまは泣いていた。

いけないよ、親に葬式を出させちゃ。

息子も、I君も、
おそらく自分に直接関わりのある葬儀に出るのは、
初めてなんじゃないだろうか。

(息子は6歳の時に、曽祖父の葬儀に出ているけど、
 きっと覚えてやしないし、
 83歳の曽祖父の葬儀と、
 20歳の友人の葬儀とでは、全然意味あいが違う)

2人とも、きちっとした大人に見えたし。
立派な態度で焼香していた。

その後ろ姿を見ていて、とても悲しくなった。

6年生の時に、同級生のお父さんが亡くなった時には、
お清めのお寿司をパクついていた息子だったが、
今日は、ろくに食欲がなかったらしく、
ちょっと箸をつけただけだった。

おそらく、こんな経験をくりかえして大人になっていく。

私も、50年近く生きてきたからこそわかることが、
きっと増えているに違いない。

     ↑
電話をくれたること話をしていて気づいた。

無駄に50年たっていないみたいだ。

眠い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1月5日(月) なんてことだ! | トップ | 1月7日(水) 記憶が飛んだ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々雑記」カテゴリの最新記事