ケ時々ハレ・2

楽しむために、「晴れ」のために「褻」を生きてます。左脚も人工股関節にしました。右人工股関節はライト、左はエルといいます。

3月22日(水) 岐路にいてくれた友人

2006-03-22 23:18:54 | ひとりごと

女優・声優・旧友の石川寛美ちゃんとお昼に待ち合わせて、
(韻踏んでます)
久しぶりに、お茶を飲んでおしゃべりした。
道ですれ違って立ち話することはあるのだが、
ゆっくり話をしたのは、なんと22年ぶり!
ゆっくりと言っても、1時間弱なのだが、なんのブランクもなく、
昨日まで毎日会っていたように話ができて、とても嬉しかった。

彼女は、私の一番醜いみっともない姿を見ていたし、
一生かけても拭えない罪と恥を知っている。
人生のどん底にいた私に、
「高くジャンプする直前が、最も低い位置にいるんだよ」
と言ってくれた人。
(同じ時期、毎日聴いていた『CATS』LPの、
『悲しみ越えた向こうには 夜明けが続いていることを』
というデュトロノミーの歌も、止血剤の代わりになりました)
寛美ちゃんは一番つらかった時の恩人だ。
(本人、その台詞を忘れていたけれど)

子育ての話をしたり、芝居の話をしたり、
親の話をしたり、(お互い一人娘)
どうにか笑って話せるようになった恥まみれの傷の話をしたり、
ああ、最近になって彼女に再会できて本当によかった。

「それでも通したんだから本物だったんだよね」
と彼女は言ってくれた。
私は、選んだ悪路を引き返さないことだけが、
これ以上の罪や恥を重ねない唯一の方法だと思っている。

死ぬまで貫けば本物になれるかもしれないしね。
そうやって、夫を泥沼から引きずり出したことだけは確かだし、
今、夫は「あの時、無理やり引っ張り出してくれてありがとう」
と言ってくれている。

息子に関しては(父に性格がソックリなので)ちょいとナンだが、
私にはもったいないような娘にも恵まれた。

今、こうやって月に1度程度は観劇できているんだもの。
幸福だ。
寛美ちゃんと話すと、ちょっと胸が痛いけれど、
この痛みは、感じ続けなければいけない痛みだ。
けろっと忘れたら、私は地獄に落ちるだろう。

今度、キャラメルボックスも観に行こう。


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