goo blog サービス終了のお知らせ 

週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

242.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:序章

2013年04月07日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

-"Sight of OMEGA" Ultimate Analyse #01-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 春うらら、隣はなにを、するヒトぞ。
 ホント、お隣さんはナニやってるんでしょうねぇ~? 来月予定されている日中韓の3ヵ国会談を、中国が拒否してるそうな。 しかも、その理由が“現在の日中関係の悪化”。
 ナニ言ってんだい! 悪化させたのはアンタの方だろ!
 とりあえず、話し合いの場には出ようよ。 言いたい事あるなら、その場でぶちまけようよ。
 つか、キタもまたミサイル撃とうとしてるし。
 困ったもんだ。



<今週の特集>

 さて、皆さま大変お待たせしました。
 以前からずーーーーっと!お待たせしていた“新連載”、今週からいよいよスタートです!(`・ω・´)/
 今回取り上げる作品は、以前当ブログでも紹介した同人ヴィジュアルノベル、サークルねこバナナの『Omegaの視界』です!
 あの時は、“いずれ詳しく”で済ませてしまいましたが、完結から既に2年が経過し、そろそろ頃合い……ってゆーか、もう既に続編シリーズが始まってしまってもう手遅れ感すらありますが(笑)、ともかく僕自身がスゴくハマった作品なので、『アルティメット・アナライズ』シリーズの第4弾として、この作品を取り上げる事にしました。
 これから長い付き合いになると思いますが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。


序章

 “アノマリー”という言葉がある。
 サンスクリット語で、“始まりと終わり”を意味する言葉だ。
 一つの終わりは新たな始まりと表裏一体であり、物事はまるで数珠のように連綿と続いていく、という考え方に基づくこの言葉は、なるほど確かに言い得て妙だ。
 例えば学問、例えば仕事。
 例えば家族、人生、そして、命。
 その全てが、終わりと共に新たな始まりとなり、決して絶える事のない連綿と連なる珠である。
 そしてそれは、その対象が同人作品であっても、同じである。
 2006年―。
 同人市場を席巻し、瞬く間にその人気を急上昇させ、爆発的な大ヒットを記録した同人ヴィジュアル・ノベル、『ひぐらしのなく頃に』。 この作品がこの年、第8章に当たる『祭囃し編』をリリースし、完結した。

 昭和53年6月―。
 東京から山間部の寂れた寒村、雛見沢村に越してきた少年、前原圭一は、都会の暮らしとは全く異なる村での生活に戸惑いながらも、同年代の少女たちや村人たちの温かな心遣いと、あくせくしないスローライフな日々に次第に馴染んでいく。
 しかし、この村には隠された“秘密”があった。
 連続怪死事件―。
 毎年6月、村で行われる秘祭、綿流し祭の夜にだけ起こるナゾの人死にと失踪。 祭りが行われる神社に祀られている神になぞられて、通称“オヤシロさまの祟り”と呼ばれるこの連続事件は、既に4年連続で起こっており、この年が5年目に当たるという。
 その事実を知った圭一は、その恐怖から次第に村人たちを、そして仲間たちを疑い始めるのだが……?

 ……と、いうのが、『ひぐらしのなく頃に』の主な内容である。
 原作、脚本は竜騎士07。
 制作は、竜騎士07が主催する同人サークル、07thExpansion。
 開発環境は、高橋直樹の開発によるノベルゲーム専用エンジン、NScripter。
 動作環境は、WindouwsOS。
 ノベルゲームから選択肢分岐の要素を廃止しした“モノシナリオ・モノエンディング”という、同人市場だからこそ許された大胆な体裁を確立したヴィジュアルノベル作品である。
 この作品について詳しく解説しようとすると、それだけで本が丸々一冊書けてしまうほどの長い説明になる(注:ってゆーか書いた。 書いて、既にアップした。 昨年2012年の『ひぐらしのなく頃に』誕生10周年記念として、非公式究極解説『再考:ひぐらしのなく頃に』を“アルティメット・アナライズ:特別編”として筆者二次創作小説作品『Refrain』のアルティメット版にバンドルした。 ただ今MFD‐WEBにて好評公開中!)ので大幅に割愛するが、シリーズが誕生した2002年当初、この作品はしかしあまり注目されない作品でしかなかった。
 原作者の竜騎士07が主催する同人サークル、07thExpansionは、元々同人カードゲームにイラストを提供する程度の活動しかしていなかった。 が、2000年になってこの状況が一変する。 TYPE‐MOONのモンスターヒット作、『月姫』のリリースである。
 この作品に影響を受ける形で、竜騎士07と07thExpansionのクルーはノベルゲームの開発を決意。 『月姫』と同じNScripterを導入し、竜騎士07はシナリオとキャラクター原画を手がけ、悲劇と喜劇の惨劇、『ひぐらしのなく頃に』を制作する。
 しかし、満を持して配布を開始したこの作品は当初、眼の肥えた同人ユーザーにはあまり見向きされなかった。
 選択肢無し。
 ノベルゲームの体裁を採りながら、ゲームとしての機能を完全に排除した“モノシナリオ・モノエンディング”というゲームデザイン。
 これが理解されず、加えて当初のCD‐ROMは手焼き盤の商品単価100円というパッケージングだったため、リリース後にサークルウェブサイトに寄せられた感想の中には、「完成版のリリースは?」というモノまで含まれていた。
 ゲームとして、どころか、完成品としてすら認識してもらえなかったのだ。
 しかし、そんな批評にめげる事なく、竜騎士07と07thExpansionのクルーは制作を続け、シリーズ展開を継続した。
 その結果、作品の中で提示されたナゾと恐怖に注目が集まり始め、ネットを中心に口コミで人気を集めるようになり、2004年にリリースされたシリーズ4作目、『暇潰し編』がコミックマーケットなどのイベントオンリー配布だけでなく、同人アイテムを取り扱う店舗配布も平行して行うようになった事がキッカケとなって一気にブレイク。 爆発的な人気を得るようになり、商業でのコミックス化、ドラマCD化、TVアニメ、コンシューマゲーム、小説版、さらには実写映画にまでなり、気付いてみれば『ひぐらしのなく頃に』は、その先駆的な役割を果たしたTYPE‐MOONの『月姫』をも上回り、“00年代最大のヒット作”というこれ以上にない極めて高い人気と評価を得るまでになった。
 もちろん、その過程においてこの作品が社会に与えた“悪影響”も決して無視してはいけないが、ともかくこの作品によってもたらされた“革命”により、同人市場はそれまでの二次創作中心から同人一次創作中心の市場へとシフトし、ヴィジュアルノベルはもちろんの事、マンガや小説、ゲームや音楽など、あらゆるジャンルで一次創作がその中心となり、同人市場が本来あるべき“同人”という“自由な表現と創作の場”に回帰する事になった。
 この作品がもたらした“革命”は、今もなお、同人市場に多大な影響を与えている。
 実際、筆者もその影響を受けた一人である。 それまでのエロ中心、二次創作中心の同人市場に対し、ある種の偏見を持っていた筆者には、その意味も意義も見出せなかったが、この作品に出会えた幸運により、筆者は偏見を捨て去り、同人市場がクリエーターやアーティストにとっての“自由な表現と創作の場”としての“最後の砦”になっている事を識り、逆にこの市場に大きな希望と期待を抱くようになった。 そして、ついには自分で二次創作小説を書いてウェブで公開するまでになってしまった。
 この作品に受けた影響は、筆者自身でも驚くほど多大なモノである。
 そして、それと同じくこの作品に影響を受け、同人一次創作をリリースする例も極端に増えた。
 特に、ノベルゲームは製作費がかからない代わりに、その体裁を整えるために膨大な作業量を要する非常に手間のかかるゲームジャンルのため、作りたくても作れない潜在クリエーターにとっては、まさにこの作品は“救世主”であった。
 選択肢無しの“モノシナリオ・モノエンディング”。
 ノベルゲームの体裁を採りながら、ゲームとしての機能をゲームの外に置くという、この作品がもたらした“革命”は、“ヴィジュアルノベル”というノベルゲームの派生ジャンルを確立するまでに至った。

「あぁ……、やってもいいんだ……。」

 この“革命”が、手間隙がかかり過ぎるためにもう一歩を踏み出せなかった多くの潜在クリエーターの背中を押し、同人だからこそ許されるヴィジュアルノベルという作品形態の頻作を促した。
 実際、『ひぐらしのなく頃に』がブレイクした2005年以降、同人市場におけるヴィジュアルノベル作品の作品数は急激に増え、今や同人市場における定番ジャンルにまでなっているほどだ。
 それこそが、『ひぐらしのなく頃に』が同人市場に与えた真の“影響”である。
 この作品に、多くの潜在クリエーターが踏み出せなかったもう一歩を踏み出した証拠である。
 そして、そんな“もう一歩”を踏み出した潜在クリエーターの一人が閂夜明であり、彼が主催する同人サークル、ねこバナナからリリースされた本書の主題たるこの作品!
 『Omegaの視界』!!


 時は現代―。
 東京に住む青年、飯窪真言(いいくぼまこと)は、学業と平行して“ねこざんまい”という古本屋で働くごくフツーの大学生である。
 客もなく、日がな一日古本を読んでいるだけで仕事らしい仕事もない古本屋でのバイト。
 古本屋の店主にして真言の上司、宮岡門王水(みやおかかどみ)は、真言の生家である飯窪家に任される形で店主を務めており、真言に支払われているバイト代は、言わば本家からの仕送り代わりだった。
 そんなある日、門王水の部下を名乗る女性、雨山かれおがもたらした情報により、ごくフツーだった真言の生活は、文字通り一変する事になった。
 月狂跳(げっきょうちょう)―。
 それは、飯窪家が代々蒐集しているある特定の事象に関する資料なのだと言う。
 かれおがもたらしたのは、その月狂跳の一部と見られる書であった。
 そして、真言の生まれ故郷である東北地方の小さな町、玄ノ森(くろのもり)で毎年4月の末に行われる秘祭に使われる書の形をした御神体もまた、この月狂跳の一部である可能性があるという。
 これを確かめるべく、真言は門王水の命ずるままに玄ノ森へと十数年ぶりの帰郷を果たすのだった。

しかしてシキはハジマリ、
未開封のハコニハは開け放たれる。
シキ欠けたアキのアイは、
残にして酷なる●ndとなるか?
視界の司会は誰がため?
さすればミヨ、
オワレル シマイのトワの挿話。
さあ、書と猫と、少女たちの遊戯を始めよう。
Omagaの瞳の祝福のあらんことを……。

 ……というのが、本作の主な内容である。
 脚本は、雨村血花。(注:閂の変名。 同一人物。)
 キャラクター原画は閂夜明。
 開発環境は、吉里吉里/KAG。
 動作環境はWindowsOS。
 選択肢無し、モノシナリオ・モノエンディングのヴィジュアルノベル作品だ。
 前記の『ひぐらしのなく頃に』が完結を迎えようとしていた2006年、オープニングから冬夏(注:登場人物の一人で、“とうか”と読む。 詳細は後述)が登場する16節(注:ただし、後の完成版とは構成が異なり節数が違う。 詳細は後述)までを鑑賞出来る体験版、『1.シキのハジマリ』がリリースされたこの作品は、リリース当初から同人ユーザーに注目されていた。
 クリエーターの閂は、元々イラストなどで同人活動をしており、その独特のタッチのヴィジュアルに定評のある作家だった。 そのため、その閂がキャラクター原画を手がけているこの作品にも注目が集まるのは、至極当然の事だった。
 たま、タイミング的な要因もあったのだろう。
 既に記したように、2006年は『ひぐらしのなく頃に』の完結編リリースが目前に控えており、同人ユーザーはもうすぐ終わる『ひぐらしのなく頃に』に代わる“次の作品”を探していた。 誰もが、『ひぐらしのなく頃に』に続く“次の作品”を欲していたのだ。
 結果として、その欲求は『ひぐらしのなく頃に』を手がけた竜騎士07自身の(当時の)新作、『うみねこのなく頃に』や、これと前後して人気を集めるようになったメジャーのアニメ作品によって満たされる事になるのだが、ともかく本作は、多大な期待を持たれていた作品であった事は確かだ。
 事実、筆者もこの作品には大いに期待した。
 某とらのあなで本作の体験版のパッケージを見かけた瞬間、「あ、これは来るな。」と思って即買い。 早速家に帰って鑑賞してみたが、その独特の世界観と個性的な文章、そして何より、閂による完成度の高いヴィジュアルに一気に引き込まれた。
 この作品こそが、『ひぐらしのなく頃に』に続く作品になると確信した。
 実際、この評価は全くの間違いではない。 本作の体験版リリース直後から、ネット上ではすぐに話題になり、最初の完成版である『未開封のハコニハ』がリリースされた2007年頃には、“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”とまで評価されるほどだった。
 ……が、その評価は歳月を重ねる毎に、低下し続けた。
 本作の内容を巡って、ネット上には個人ブログを中心に様々な考察サイトが乱立し、Wikiウェアを利用したオンリーWikiサイト(注:フリーウェブ百科事典Wikipediaと同じく、誰でも編纂に参加出来るWiki形式のいわゆる情報まとめサイト。 本作だけでなく、『ひぐらしのなく頃に』や『うみねこのなく頃に』、『月姫』など、人気のあるタイトルは“(作品タイトル) Wiki”で検索すれば大概ヒットする。)も立ち上げられたが、その大半が最後まで続けられる事なく、中途半端なまま更新終了になっている。 オンリーWikiサイトにしても、現在も運営はされているが、ページの編纂は全く進んでいない。
 第1章の『未開封のハコニハ』リリース後に、閂公認の副読本としてリリースされた同人誌も、第2章以降の情報を含む版は一切リリースされていない。
 かつて言われていた“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”という好評も、逆に「“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”にはなり得ない。」という逆評価になっていった。
 もちろん、本作以上に『うみねこのなく頃に』や、複数のメジャーのアニメ作品の爆発的な大ヒットが背景にあった事は確かだが、一時は“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”とまで言われた作品が、ココまで人気が低迷してしまったのはナゼなのだろうか?
 その最大の理由は、結局のトコロこの作品が“難解過ぎた”からだ。
 常用外の漢字を多用し、しかしルビは最小限。
 日常会話では使われないような単語を多用し、しかし意味ドコロか読みも分からない。
 日本語だけでなく、英語やドイツ語を混在させ、韻を踏みまくり、当て字や伏字を多用する独特の文体は、『ひぐらしのなく頃に』はもちろんの事、その先駆的な役割を果たした『月姫』をも凌駕するほどで、普段から活字に慣れている人でも、この作品の読み難さは他の追随を許さない。
 加えて、本作に用いられている独自の世界観がとにかく分かり難い。
 前出の『ひぐらしのなく頃に』や『月姫』でも、それぞれの作品で独自の世界観が用いられているが、両者が本作と決定的に異なるのは、その独自の世界観を作品の中でシッカリと、系統立てて順次説明されている点である。
 例えば、『ひぐらしのなく頃に』における世界観のベーシックを形成している奇病、“雛見沢症候群”や、これを利用しようと陰謀を巡らせる秘密結社、“東京”の存在などは、説明されなければ分からない要素であるが、これらについては作品の中で理論体系化してシッカリと説明されており、分かり難さを感じたファンは皆無のハズである。 むしろ、雛見沢の村民たちが使う独自の方言(注:原作者の竜騎士07による創作方言)の方が、読み難く分かり難いと感じたハズだ。
 TYPE‐MOONの『月姫』にしても、吸血鬼モノでありながら吸血鬼に対する独自の解釈が用いられており、真祖などの設定は説明されなければ理解不可能である。 が、作品の中ではこれを詳細に説明しているシーンがあり、分かり難さを解消する事に成功している。
 しかし、本作にはこれがない。
 独自の設定を用いて展開されている作品であるにも関わらず、用語や設定に対する説明は特にないまま、物語りはユーザー置いてけぼり状態のまま進行していく。
 もちろん、全く説明がないワケではない。 分かり難いながらも、多少なりとも説明がされているシーンもあるにはある。
 が、それでも分かり難い。
 何故なら、これらの説明が『ひぐらしのなく頃に』や『月姫』とは決定的に異なり、理論体系化して順序良く説明されているワケではないからだ。
 説明しているのは確かだが、その前後の脈絡なく、唐突に説明が挿入されるので、その説明が他のどの説明と接続するのかが分からない。
 全ての説明が断片的なモノでしかなく、これを理論体系化して順序良く並べるのは、作者ではなくユーザーの手に丸投げされているのだ。
 これで理解しろと言う方がムチャである。
 本作の文体がこうなってしまっている最大の原因は、“質問者不在”だからだ。
 作品を創作する時には、登場人物の中に作品の設定や状況を他のキャラクターに問いかける“質問者”を配置しておく必要がある。 説明が必要な設定が出てきたら、そのキャラクターに「○○って?」と質問させれば良いのだ。 これだけで、自然な流れでセリフとして、作品独自の世界観や設定を説明出来る。 ほとんどの場合は主人公がこの役割を割り振られている事が多く、『ひぐらしのなく頃に』で言えば圭一が。 『月姫』であれば志貴が、それぞれ“質問者”としての役割を担っている。
 本作の主人公、真言は、どこにでもいるごくフツーの大学生で、本作独自の世界観を知らないキャラクターである。 そのため、フツーに考えれば真言を“質問者”にすれば問題は解決しそうだが、そう出来ない更なるベーシック設定が本作には存在する。
 結局のトコロ、真言を事態に巻き込んだ門王水本人が、真言の不知を前提にしており、門王水にとっては真言が真相を知っていようがいまいが、自らの目的達成に支障がない限りどーでもいいと考えているからだ。
 真言は“質問者”の立場にありながら、質問する事そのモノが出来ない状態にされているのである。
 真言以外のキャラクターは、全てコトの真相を熟知しているので、本作の独自の世界観に関して知らない事など何もない。 そのため、誰かに質問するような事はしないし、質問するとむしろ逆に不自然なキャラクター設定になっているのだ。
 そのため、本作の登場人物たちの会話は“質問者不在”のまま、特に説明もないまま進められ、ユーザーを置いてけぼりにしたまま、物語りは進行していく。
 本作の読み難さ、理解し難さは、かつてのモンスターヒット作である『月姫』や『ひぐらしのなく頃に』を遥かに凌駕し、本作のユーザーに対する知的要求スペックの高さは、他の追随を全く許さないほど高い。
 そのため、この読み難さ、理解し難さという越えられない壁に阻まれ、理解ドコロか読破さえも断念したユーザーが大半を占め、結果、本作の人気と評価の低迷へとつながったのだと思われる。
 2013年現在、本作はその続編である『或るファの音眼』のシリーズ展開がスタートしているが、売り上げ低迷のためかオープニングムービーのない、明らかにクォリティダウンした作品になっている。


 さて、極めて批判的な事を書き連ねたが、それでも筆者はこのような解説を書くほど、この作品には注目している。
 この作品が、“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”だからではない。
 ってゆーか、筆者は本作に対し、そのような評価を与えた事は一度もない。 多くのユーザーと同じく、筆者も本作は“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”にはなり得ないと考えている。 その評価そのモノが、根本的に間違っている。
 何故なら、本作は『ひぐらしのなく頃に』とは根本的に異なる作品だからだ。
 確かに、作品の売り方として一つの作品を分割して順次リリースしていく、という手法に共通項を見出す向きもあるかと思う(注:事実、“ポスト『ひぐらしのなく頃に』”という評価はこれがその主な理由になっている)が、実際には全く異なる。 何故なら『ひぐらしのなく頃に』のそれは、全体で“一つの世界観”であって、“同一の物語”というワケではないからだ。
 件の『ひぐらしのなく頃に』では、全体で一つの大きな世界観を構築してはいるが、物語りとしては常に“一話完結”のスタイルになっており、作品としての起承転結は一つの編でしっかりと付けられている。 続編は、飽くまでも時間軸をリセットした“リスタート”でしかなく、時間軸的な連続性は皆無である。
 対して本作は、時間軸そのモノが連続しており、一つの編で起承転結が付けられているような事はなく、全体で一つの物語りを構築しており、“全体で一話”だからだ。
 分割してリリースされているのは、何も『ひぐらしのなく頃に』と同じ商品展開手法を用いたかったからではなく、ただ単に作業量の多さのため締め切りに間に合わないという判断から、ある程度の区切りまで作ったトコロで順次リリースしていったためで、時間と人手の不足を補うための、言わば苦肉の策である。
 これは、閂自身が認めている事である。
 続編シリーズである『或るファの音眼』にしても、やはり時間軸がリセットされるような事もなく、『うみねこのなく頃に』のように全く異なる登場人物とモティーフが用いられるような事もなく、共通した世界観の中で延長線上の時間軸が展開する。
 この手法は、『ひぐらしのなく頃に』よりもむしろ『月姫』の手法に近い。
 それぞれの作品が独立した物語りでありながら、完全に共通した世界観の中で展開する『月姫』を始めとした一連の那須きのこ作品群の手法に共通項を見出すべきである。
 もちろん、『月姫』を始めとした那須きのこの作品群は、突出し過ぎていてどんな作品を以ってしても“ポスト”にはなり得ないのだが……。
 いずれにしても、本作を『ひぐらしのなく頃に』と同列に考える事自体がそもそもの間違い。 あの作品は、“00年代最大のヒット作”とまで言われたほどの突出した、それこそ“10年に一度の作品”であったし、本作とは系統の全く異なる作品なので、比較対象としてはかなり適当ではない。
 加えて、先に記した本作の“分かり難さ”も、“ある方法”を用いる事でカンタンに解消する。 その方法を用いる事で、筆者も解説が執筆可能である事を確信した。
 その“ある方法”とは、“何度も読み返す”事である。
 先に述べたように、『ひぐらしのなく頃に』や『月姫』は、独自の世界観が用いられている作品とは言っても、その設定は作品の中で“質問者”の手を借りて順次説明されているため、一通り読めば十分理解出来る設定ばかりである。 だから、これらの作品には「分かり難い」という評価がない。(注:ただし、方言や当て字の関係である程度「読み難い」という評価はある)
 対して本作は、『ひぐらしのなく頃に』や『月姫』と同じく独自の世界観を用いている作品だが、それらに対する説明があっても理論体系化された順序立てられた説明にはなっていないので、最後まで読んでも正確に理解する事が出来ない。
 それが、イコール本作の“分かり難さ”という評価になっているのは確かだが、これは至極カンタンな方法を用いるだけですぐに解消する。
 結局のトコロ、分かるまで読み返せば良いのだ。
 作品中の説明は、前後の脈絡が分かり難い断片的なモノでしかないが、この分かり難さは複数回読む事でいずれ解消する。 断片化された情報を、脳内で系統立てて再構築する事が可能になるからだ。
 実際、筆者は本作を相当な回数読み返している。
 正確に数えたワケではないが、通しでは最低でも6回。 作品の一部を拾い読みする事もあったので、部分的には10回以上読み返している事になるトコロもある。
 この“読み返し”によって、筆者の本作に対する“読み難い、分かり難い”という印象は完全に解消した。 だから、このような解説も執筆可能である事を確信出来た。
 読み返せばいいのだ。 分からなければ何度でも。 分かるまで!
 しかし、本作の“読み難さ”が、ユーザーの“読み返し”を拒む。
 読めない漢字を多用し、当て字を多用し、韻を踏みまくり、英語やドイツ語まで混在させる独特の文体が、ユーザーの“リプレイ意欲”を拒絶する。
 だからこそ、筆者は解説の執筆を決意した。
 本作を、理解出来ないまま諦めてしまったユーザーのために、その“リプレイ意欲”を沸き立たせる手助けをしたかった。
 何故なら本作は、理解すればするほどその面白さが出てくる“『ひぐらしのなく頃に』に次ぐ”作品だからだ。
 本書を通して、アナタが本作の“本当の面白さ”を理解出来る事を願う。


・この解説について

 さて、次回よりいよいよ解説本編がスタートするが、もうしばし、筆者の注意喚起にお付き合い頂きたい。
 本解説は、読み易さと分かり易さを考慮し、これまでの『アルティメット・アナライズ』シリーズとは大きく異なるフォーマットで執筆されている。 これまでのメイキング・ドキュメンタリーやスタッフのバイオグラフィなどを期待されていた方には申し訳ないが、これらは一切書かない方向で執筆した。
 ……ってゆーか、執筆出来るほどのこれらの情報が公開されていない現状なので、書きたくても書けない。
 本解説では、ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』本編を読み解く上での参考になるように、制作の裏側ではなく、作中の説明では不明瞭になっている世界観設定を理論体系化した解説を中心に、読み難い漢字や単語、用語の解説で構成した。
 次回から始まる『Lunatic=Replay』(注:もちろん、Lu=Leを文字ったが、直訳すると“狂気のリプレイ”。(笑) ……まさにその通りである。(笑))は、本作本編をオープニングからエンディングまで、余すトコロなく解説する文字通りの“狂気のリプレイ”(笑)である。
 本編に記されている順番で、読み難い漢字や当て字、伏字、単語、用語を徹底的に解説している。
 また、プロローグに当たる『シキのハジマリ』は、体験版と完成版で異なる構成になっている箇所がいくつかあるが、この相違点に関しても一通り解説してある。
 本作本編をリプレイする上で、適宜参照出来る用語辞典として利用して頂けたら幸いである。
 また、本解説は飽くまでも『Omegaの視界』だけに焦点を当てた構成になっており、現在展開中の続編シリーズ、『或るファの音眼』に関係するシーン、あるいは『或るファの音眼』で明らかになる情報に関しては、あえて記述を割愛してある。
 これは、『或るファの音眼』が本書執筆中の2013年現在、シリーズ展開を開始して間もない“未完結の作品”だからであり、同作品未読の読者に対する重大なネタバレを未然に防止するためである。
 予めご了承頂きたい。
 もちろん、『Omegaの視界』本編に関しては、既に完結から2年以上が経過しており、本解説の読者には『Omegaの視界』未読の方はいないだろうと判断し、最初から最後まで“ネタバレオンリー”である。
 ……つか、解説という性格上、必然的にネタバレしなくてはならない。
 ので、いないだろうとは思うが、一応言っておきます。
 ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』を未読の方は、今すぐ当ブログを閉じて頂き、同人アイテム取扱店かインターネットショッピングで『Omegaの視界』を入手し、エンディングまで一通りお読み頂く事を強く、強くオススメする。
 もちろん、その際も本書を参照する事は禁止です。 まずはご自身でお考え下さい。


 さて、準備はいいだろうか?
 それでは、最初のセクションにお進み下され。
 その視界に映るのは真実か? それとも……?



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



LunaちゃんのMODコレ!


セットがオススメ。


HM2

 韓国在住のクリエーターによるシリーズ第2弾。 前作がノンクエストMODだったのに対し、今回はクエストMODになっているので攻略ダンジョンを探す手間がないのでラク。
 さまようヨロイが持っていた盾。 結構大きめだが、デザインが秀逸。 性能もソコソコ。 剣とセットで使うのがオススメ。



Thanks for youre reading,
See you next week!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする