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週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

276.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:WCL3章②a

2013年12月01日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

-"Sight of OMEGA" Ultimate Analyse #30-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 今週は特に書く事も無い……というか、あまり書きたくない話題ばっかだったのでオープニングトーク無し。 とっとと特集コーナーにいきます。



<今週の特集>


 今週の特集コーナーは、『アルティメット・アナライズ』シリーズ第4弾、同人ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』の徹底解説連載第30回です。
 今週はちょっと長めですが、最後までヨロシクです。


2.ウタはマホウ

 前回の“詩”にも関係するが、本作の本編において、1章~3章(注:特に3章)にて集中的に記述されている“ウタはマホウ”。 この項では、これについて考えてみようと思う。


・本編の記述

 例えば、本作本編、1章34節(節題:fel_僕はあなたがキライです…)において、ミルハが真言に向かってこう言っている。

「歌は対人用実践魔術の究極、というのが宮達の持論です。
 時間は尺度に過ぎませんから、実際には相の遷移ですね。
 その媒質の相遷移、つまり振動、エネルギーの転換構造、それがいわばマナに見立てられるとでも言いましょうか。
 振動は音となり媒質を伝播するのです。
 歌詞は呪文、ヒトに対しては感情にすら定向性を持たせ得るマホウのコトノハ。
(中略)
 異言語間に於いて通じないものであるのも当然でして、それを凌駕し得るものが歌、という事なんです。」


 もう一つ、3章8節(節題:しんぎん)では、カラオケ屋に入った冬夏が、同席した真言に向かってこう言う。

「歌は魔法なの、音換えたらシキが変わっちゃうの!
 オトの紡ぎ手のイトが!!」


 さらにさらに、2章7節(節題:異志と病床としての是界)では、姫様の誘いで真言が潜入した学校行事、“ハチミツぶんぶん”のシーンが描かれ、冬夏が歌うウタを触媒とした選律の遣うタマズサの一斉捜査という、まんま“魔法としてのウタ”が描かれている。
 真言と冬夏がミルハも交えて宴会を開くシーン(3章12節)や、克枝が実は歌が上手いという記述(注:3章8節など。 ただし、克枝自身がこれに言及する事はなく、克枝が歌うシーンも皆無)、真言は過去に一時仮設の合唱部に在籍していた経験がある、文章や設定の節々に見られる音楽的表現の数々、道具の鼻歌(笑)など、本作では“ウタはマホウ”というテーマがコトある毎に描かれている。
 ってゆーか、そもそも本作では最初から音楽が極めて重要な要素として取り入れられており、各章のオープニングやエンディングでは、毎回のように異なる楽曲が使用され、本編完結後にリリースされたサントラCDには、実に8曲ものヴォーカル曲が収録されている。
 これは、同人ヴィジュアルノベルとしてはその先駆的な役割を果たした『ひぐらしのなく頃に』や同じく竜騎士07と07th Expantionの『うみねこのなく頃に』などを遥かに上回る楽曲数で、同じくウタがストーリーを構成する重要な要素になっている同人サークル、れいんどっぐの同人ヴィジュアルノベル作品、『僕はキミだけをみつめてる』でも出来なかった事をやってのけていると言える。(注:『僕はキミだけをみつめてる』では、ヒロインがアイドル歌手という設定上、歌を歌うシーンがあるにはあるが、ヴォーカル曲が流れる事もなく、インストのBGMのみで、OPやEDでもヴォーカル曲が使用されていない。 歌が極めて重要な要素として設定されているにも関わらず、同作品にはヴォーカル曲が1曲たりとも使用されていない。 とても惜しい!)
 さらに述べるなら、そのヴォーカル曲に参加したアーティストがかなりスゴい。
 Onoken!
 三澤秋!
 みとせのりこ!
 そして茶太!!
 もう片霧烈火や霜月はるかが参加していないのが逆に不思議なぐらい、同人界を代表するトップアーティストが、こぞって楽曲を提供しているのである。
 つかね、体験版やった時から、あっしは本作の音楽にはベタ惚れなんスよ。 三澤のOP楽曲でもう一発ノックアウトでしたね。
 みとせも「これぞみとせのりこ楽曲!」と言わしめる歌声だったし、茶太りんのしっとりとした歌声も感涙モノ。 歌詞も本作の内容が良く理解された出来栄え。 本作の音楽は、もっと高く評価されて然るべきである。
 ……しかし、本編においてこれだけ“ウタはマホウ”という記述がそこかしこにあり、さらにこうした楽曲を用いながらも、本作における“ウタはマホウ”というテーマはメインテーマにならないまま、本編が完結してしまう。
 本作における“ウタはマホウ”というテーマは、本来であるならメインテーマとしてシッカリと描かれなければならない極めて重要な要素であるにも関わらず、本作はこのテーマを描き切る事なく、本編が終わってしまうのだ。
 事実、3章までにコトある毎に記述されていた“ウタはマホウ”は、4章に入った途端に何事もなかったかのように記述されなくなってしまう。
 作者が忘れてしまったのか、それともこれで十分と判断したのか?
 後者だったらまだしも、前者だったら最悪である。
 作者である閂自身、「自分は書きながら構想が固まっていくタイプ」と言っており、書いてる途中で気が変わった可能性が無きにしも非ずのため、前者である公算は結構高い?
 もちろん、後者であっても残念である事に代わりはない。 本編の通りでは、このテーマを描き切れておらず、全く以って不十分だ。 このテーマは、本作の最重要テーマとしてもっと重点的に描かれるべきである。
 何故ならウタは、マホウであると同時に“こころ”でもあるからだ。


 ココで、筆者はこのテーマを解説するために、アニメ『マクロス・プラス』を例に挙げたい。 既に20年近く前の作品だが、この作品以上に適切な実例は無いと断言出来るほど、本作と根本を同じくする作品だからである。(注:本解説では、主に1995年公開の劇場公開用再編集版、『マクロス・プラス:Movie Edition』をベースに解説する。 OVA版とは異なる箇所があるので予めご了承下さい)


・内容と評価

 映画『マクロス・プラス』は、1995年に公開されたアニメ映画である。

 2040年―。
 人類が宇宙生活を実現し、30年余りが経過した世界。
 再建を始めて間もない地球に代わり、人類史上初の移民星となった惑星エデン。
 この移民星にあるニューエドワーズ基地では、統合宇宙軍が採用する次期主力可変戦闘機(VF)の競争試作機コンペティションが行われていた。
 二つの競合メーカーが送り込んだ次期VF2機のテストパイロットを務めるのは、イサムとガルド。 高校生の頃からの幼馴染の2人だ。
 しかし二人は、過去にあったある出来事をキッカケに袂を分かっており、コンペでもライバル心をむき出しにしていがみ合う。
 時を同じくして、惑星エデンに今をときめくスーパーアイドルが初来訪した。
 そのアイドルの名は、シャロン・アップル。 ヒトではない、コンピュータにインストールされたヴァーチャル・アイドル。
 そして、シャロンのプロデューサーとしてこの来訪に同行して来たのは、イサムとガルドの共通の幼馴染、ミュン。
 再会した3人は、しかしかつてのような関係に戻る事もなく、ミュンを巡ってイサムとガルドのいさかいを激しくしただけだった。
 そして、この3人の間にシャロンが意外な形で割って入り、さらには無人機の完成によって試作機コンペが中止される可能性が出てくる。
 混迷する物語りは、しかし“ウタ”によって一つの結末へと収束していくのであった。

 ……というのが、主な内容である。
 元々この作品は、82年から83年にかけて全36話(注:元々は全24話の予定だったが、放送開始直後から高視聴率を獲得したため12話分が追加、放送期間延長が決定した)がOAされたTVアニメ、『超時空要塞マクロス』の続編(注:TVシリーズOA後の84年には、TVシリーズをベースに設定変更&再構成、完全な新作として作り直した劇場版『超時空要塞マクロス‐愛、おぼえていますか』が製作、公開されている。 また、『マクロス・プラス』のリリース直前である92年には、TVシリーズ、及び劇場版から数十年後、すなわち『マクロス・プラス』や後述するTVシリーズ『マクロス7』、『マクロスF』よりも後の世界を描いた『超時空要塞マクロスⅡ‐Lovers Again』という作品がOVAでリリースされているが、オリジナルTVシリーズのスタッフがほとんど製作に関わっておらず、正当な“続編”ではなく“外伝的な作品”として認知されており、これは監督した八谷賢一自身が認めている。 また、この『マクロスⅡ』に触発されて、河森らオリジナルのスタッフが『~プラス』や『~7』の製作を決意したと言われている)として、94年から95年にかけてOVAでリリースされた作品である。
 オリジナルのTVシリーズで原案、監修、メカニックデザイン、及び一部の脚本も手がけた河森正治(注:84年の映画版では、監督も務めている)は、オリジナルTVシリーズの成功によって名声を得て、日本アニメ界に確固たる地位を築き、後にコンシューマゲームの大ヒット作、『アーマードコア』シリーズなども手がける事になる。
 しかし、この作品の原案について河森は、「元々は『マクロス』とは関係ない作品の構想だった」と語る。
 この作品の原案は、その通り『マクロス』とは何の関係もない、“無人戦闘機が実用化された世界で第三次世界大戦が勃発し、2人のパイロットが最後の有人戦闘機で戦う”という作品構想を『マクロス』の世界に置き換えて発展させた脚本を元に製作された。
 OVA版は、全4話というOVAとしても極めて小規模な作品だったが、これは最初から劇場版の製作を前提としたリリースだったためで、OVA版の売り上げを再編集や再構成、新規作画の資金にするためであった。
 その通り、OVA版はこれと同時進行でTVでOAされた新作TVシリーズ、『マクロス7』の人気と共に好調なセールスを記録し、OVA版完結後の95年に、再編集&再構成、及び新規作画を加えた劇場版、『マクロス・プラス:Movie Edition』が公開された。
 この劇場版は、同年に公開された押井守監督作品『Ghost in the Shell』と、大友克洋製作総指揮のオムニバスアニメ、『メモリーズ』と共に日本アニメ新時代を象徴する作品として高く評価され、海外でも人気を得、『Ghost in the Shell』、『メモリーズ』と共に第二次ジャパニメーションムーヴメントを牽引した。
 劇場版公開から18年目を迎えた今年2013年には、既に2007年にリリースされていたデジタルリマスター版DVDをHDフォーマットでエンコードし直した初のBD版リマスターボックス(注:OVA版、劇場版、及び特典集をセットにしたボックス)が新たにリリースされている。


・実力派スタッフの実力

 さて、極めて高い評価と人気を得て、既に公開から20年近くを経た今日においても、『マクロス』シリーズの中でも屈指の人気作となっている『マクロス・プラス』は、当時既に『ターミネーター2』(91年)、『ジュラシック・パーク』(93年)などでハリウッドを席巻していたデジタル革命によるCGI映像を導入し、同年に公開された『Ghost in the Shell』、『メモリーズ』と共にデジタル技術を導入した日本アニメ新時代の到来を宣言した記念碑的な作品である。
 そして、このヴィジュアルクォリティを支えているのが、原案、総監督の河森を筆頭にした実力派スタッフたちである。
 例えば、脚本の信本敬子。
 元々は看護師として働いていたが、退職してアニメスタジオの事務員として再就職。 これが転機となり、脚本家を志してシナリオスクールを受講。 89年に『ハートにブルーのワクチン』という作品でフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、以降主にTVドラマの脚本家として活躍する。 この頃の代表作には、『世にも奇妙な物語』(90年)や『キモチいい恋がしたい!』(90年)などがある。
 同時に、映画の脚本も手がけており、大友克洋が手がけた実写映画、『ワールド・アパートメント・ホラー』もこの人の仕事である。
 96年には、現在でも名作の呼び声高いTVドラマ、『白線流し』を手がけ、その地位を確固たるモノにする。
 アニメでは、意外にも『マクロス・プラス』が初脚本になったが、これがキッカケとなって『カウボーイビバップ』(98~99年)を手がけ、2001年に公開された同作の劇場版も手がけている。

 キャラクターデザイン(注:及び、変名でOVA版1話の作画監督)の摩砂雪。
 80年代から主にTVアニメの動画、作画を多数手がけ、映画では『プロジェクトA子』や『王位宇宙軍‐オネアミスの翼』などの製作に参加。 アニメーションスタジオ、ガイナックスのスタッフとして、90年代には『新世紀エヴァンゲリオン』のTVシリーズで作画監督を多数努め、この関係でTVシリーズを再編集&新規シーンを追加した劇場版(注:旧劇場版)1作目の監督や2作目の絵コンテなどを手がける。
 また、この旧劇場版で庵野秀明の信頼を得た事で、現在もシリーズが展開中の新劇場版シリーズでも監督を務めている。
 ちなみに、実写では庵野の監督作品である『ラブ&ポップ』や『キューティーハニー』などの製作にも携わり、99年には『ガメラ3‐邪神降臨』の公開前プロモーション用のメイキング・ドキュメンタリー『GAMERA1999』(注:公開前のメイキングとしては、異例中の異例とも言える上映時間2時間という長尺ドキュメンタリー。 しかし、公開前用とは思えないようなスタッフ間の対立がスキャンダラスに描かれ、製作スタジオの要請でカットされたアウトテイクが大量にあるのだとか)で監督を務めている。

 絵コンテ、樋口真嗣。
 80年代、高校を卒業して間もなく、シリーズ誕生30周年を記念して製作された84年版『ゴジラ』で怪獣の造形に携わり、映画界に入る。
 これと前後して、元々親交のあった庵野の誘いでガイナックスに参加し、『王位宇宙軍‐オネアミスの翼』の製作に参加。 同じくガイナックスが手がけたTVシリーズ、『ふしぎの海のナディア』でも、監督や絵コンテを手がけている。
 しかし、『マクロス・プラス』で絵コンテを手がけて以降は、アニメスタジオGONZO(注:『NHKへようこそ』や『ぼくらの』の制作スタジオ、と言えば、分かる人も多いかな?)の創立メンバーとして『ヴァントレット』シリーズで監督を務めたりもしているが、実写映画が主な活躍の場となり、『ガメラ』シリーズの平成版三部作で特撮監督を務めた他、『ローレライ』(2005年)や『日本沈没』(2006年)など、近年の日本のSF映画を複数監督している。
 また、2012年には犬童一心と共同で大ヒット作『のぼうの城』を監督している。

 OVA版3話の作画監督、森山雄治。
 一般には、平仮名表記のもりやまゆうじの名で浸透しているが、70年代からTVアニメを中心に活躍するベテランアニメーター。
 80年代に入り、押井に見込まれてTVシリーズ『うる星やつら』で作画監督を務めた他、同作の劇場版でも3作目まで原画、及び作画監督を務めている。 これらの功績が高く評価され、87年には日本アニメ大賞の作画監督賞を受賞している。
 90年代以降も、TVシリーズ、OVA、劇場用映画を問わず、数え切れないほどの多数の作品制作に携わり、近年は人気コミック『BLEACH』の劇場版シリーズで作画監督を務めるなどしている。

 森本晃司。
 惑星エデンにやってきたヴァーチャル・アイドル、シャロン・アップルのコンサートシーンを手がけた森本は、言わずと知れた日本を代表するアニメーション“アーティスト”である。
 80年代、当時まだ大手の下請けスタジオだったマッドハウスでTVシリーズの動画や原画を手がけた後、大友克洋が原作、脚本、監督を務めた日本映画史上に残る歴史的名作、『AKIRA』(88年)の制作に参加。 大友の信頼を得る。 同じ88年には、OVAでリリースされたオムニバス作品、『ロボットカーニバル』の1エピソードで監督デビューを果たす。(注:この作品では、大友もオープニングアニメーションの監督として制作に参加している)
 その直後、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(89年)の制作にアニメーターとして参加。 この時、当時スタジオジブリでラインプロデューサーを務めていた田中栄子と意気投合し、共同でアニメーションスタジオ、STUDIO4℃を設立。 これを知った大友の誘いで、大友が製作総指揮を務めた劇場用のオムニバスアニメ『メモリーズ』のメイン制作スタジオになり、森本も1エピソードを監督した。
 これと前後して、森本は『マクロス・プラス』の制作に参加。 作品中でも一際“音楽”が強調されているコンサートシーンの演出を手がける。
 これがキッカケになったのか、96年には日本人でありながら当時テクノミュージックのメッカだったUK(注:現在のテクノは、ドイツのベルリンがメッカ)で活躍していたテクノアーティスト、ケン・イシイの当時の新曲、『EXTRA』のPVを監督。 アニメにおけるデジタル手法とアナログ手法を完璧に融合させた鮮烈な映像が極めて高く評価され、イギリスの音楽専門TV局、MTVが主宰する音楽賞、ダンス・ビデオ・オブ・ザ・イヤーを受賞。 またこれをキッカケに、GLAYや宇多田ヒカルといった日本のメジャーアーティストのPVを多数手がける。
 97年には、『マクロス・プラス』を通して親交を深めた菅野よう子とコラボレートし、音楽を重視した劇場用短編アニメ作品、『音響生命体ノイズマン』を監督。 99年には、“幻の名作”とも言われる『鉄コン筋クリート‐パイロット版』(注:松本大洋原作のカルト的な人気を誇るコミックをフル・デジタルでアニメ化する、という企画のためのテスト映像。 わずか数分程度の作品ながら、大作映画規模の大型予算が投入された。 しかし、結果的に長編作品にはならず、2006年にマイケル・アリスの監督によって劇場用アニメになったが、森本はこの制作には参加していない)を手がけ、文化庁メディア芸術祭デジタルアート部門を受賞。 これは、前年に監督した『ハッスル!!とき玉くん』と並んで2年連続での同賞受賞であった。
 2003年には、ハリウッド映画『マトリックス』シリーズ三部作の外伝エピソードを集めたオムニバスアニメ、『アニマトリックス』の1エピソードを手がけるなどし、日本だけでなく世界からも、アニメという枠を超えたその鮮烈な映像表現を高く評価されているアニメーション“アーティスト”である。

 その森本と、『音響生命体ノイズマン』でコンビを組む事になったコンポーザーの菅野よう子は、実はアニメでは『マクロス・プラス』が初の制作参加作品である。
 幼少の頃からピアノに才能を発揮し、幼くして作曲を学ぶなどした後、大学在学中だった80年代に“てつ100%”というロックバンドのキーボーディストとしてプロデビュー。 86年から89年までに、4枚のアルバムをリリースしている。(注:その後、バンドは解散しているが、『マクロス・プラス』のサウンド・トラックの1曲、『more than 3cm』は、このバンド時代のアルバムタイトル『あと3cm』が由来)
 この頃、バンド活動と平行して、なんとあのコーエー(注:現コーエー・テクモ・ゲームス)のPCゲーム、『信長の野望』や『大航海時代』に楽曲を提供。 これがキッカケとなり、ゲーム業界やアニメ業界にその名を知られるようになり、『マクロス・プラス』でアニメ作品に初参加。 『マクロス』の世界観を踏襲しつつも、当時のポップスシーンを取り入れた楽曲に加え、ホーンセクションを強調したオーケストラ楽曲(注:しかも、演奏はなんとイスラエル・フィル。 ホーンセクションに定評がある世界的な交響楽団である)によって、作品世界を見事に音で表現する事に成功した。
 これをキッカケに、『メモリーズ』(95年)、『天空のエスカフローネ』(96年)、森本とコンビを組んだ『音響生命体ノイズマン』(97年)の音楽を手がけ、98年には『マクロス・プラス』でチームを組んだ河森、渡辺、信本と共に『カウボーイビバップ』の音楽を手がける。
 この他、『ブレンパワード』(98年)、『∀ガンダム』(99年)、『攻殻機動隊‐Stand Alone Complex』シリーズ(2003年~2006年)、『創星のアクエリオン』(2007年)などを手がけ、2008年には再び河森の召集を受けて『マクロスF』の音楽を手がけている。
 また、実写映画の『下妻物語』(2004年)や『ハチミツとクローバー』(2006年)などにも楽曲を提供している他、TV‐CMにも大量の楽曲を提供しており、現在までに楽曲提供したCMの数は500本以上(!)とも1000本以上(!?)とも言われている。

 そして、その菅野とは自身の代表作となった『カウボーイビバップ』で再びコラボする事になる渡辺信一郎もまた、菅野と同じくこれが初監督作品である。
 80年代に宮崎駿や押井守に影響を受けてアニメ制作に携わるようになり、OVAを中心に演出を手がける。 90年代に入ってTVアニメの絵コンテや演出を手がけた後、河森の抜擢を受けて『マクロス・プラス』で監督デビューを果たす。
 これがキッカケとなり、脚本の信本、音楽の菅野、そして河森(注:舞台設定としてクレジット)と再びチームを組み、TVシリーズ『カウボーイビバップ』を同年最大のヒット作に導く。
 これが海外でも高く評価され、2003年には前出の森本も参加した『アニマトリックス』の1エピソードを監督。 翌2004年には、これまた話題作となった『サムライチャンプルー』を手がけ、2007年には河森も制作に参加した劇場用オムニバスアニメ、『ジーニアス・パーティ』でも1エピソードを監督している。(注:2008年に公開された2作目、『ジーニアス・パーティ・ビヨンド』では、前出の森本が1エピソードを監督している)


 とまあいうように、当時から現在に至るまで、アニメ業界の第一線で活躍する実力派スタッフが多数参加し、デジタル技術を多用(注:ただし、主に用いられたのは3DのCGIではなく2DのCG。 CGIも用いられてはいるが、当時はまだコストが高く、一部に使用されるに止まっている)した鮮烈な映像と音楽で、『マクロス・プラス』はアニメーションにおける映像表現の可能性を広げた。 そして、日本アニメ新時代の到来を宣言した記念碑的な作品として海外でも高く評価され、『マクロス』シリーズのファンからも、現在においても1、2を争うシリーズ屈指の人気作として評価、認知されている。
 それは、取りも直さず才能のある実力派スタッフが結集し、その才能と実力を遺憾なく発揮した成果と言えるだろう。


・ココロがないAIのウタはこころ

 さて、そんな実力派スタッフが手がけた『マクロス・プラス』において、“ウタ”とは結局何であったのだろうか?
 そもそも、『マクロス』シリーズにとって“ウタ”は、言わずもがな作品の世界観を構成する極めて重要な要素の一つである。
 20世紀末、宇宙から飛来した巨大隕石が地球に墜落。 しかし調査してみると、その隕石はなんと巨大な宇宙戦艦だった。
 地球外生命体の存在と異星人間で戦争が起こっている事実を知った人類は、墜落した宇宙戦艦を改修し、これを“マクロス”と命名した。
 月日は流れて2009年、マクロスの元型を建造した巨人異性人の艦隊が地球付近に現れた。 人類はこれに対抗するも、その強大な軍事力の前に後退を余儀なくされ、マクロスは5万8千人もの難民と共に地球を脱出。 いつ果てるとも知れない宇宙漂流が始まった。
 しかし、巨人異星人ゼントラーディとその敵対勢力であるメルトランディの戦争は全銀河にまで及んでおり、マクロスは漂流を続けながらもこの戦争に巻き込まれていく。
 こうして、ゼントラーディ対メルトランディ対人類という、三つ巴の宇宙戦争、“第一次星間戦争”が始まった。 そして、この戦争の中で、VFパイロットの一条輝、アイドル歌手のリン・ミンメイ、士官の早瀬未沙の三角関係が物語りの中心として展開する。
 しかし、物語が進むに従って、この様相が少しずつ変化していく。
 ゼントラーディとメルトランディは、実は異星人ではなかった。 両種族は、“異星人が創った戦闘用人造生命”だったのだ。
 遥かなる太古の昔、異星人同士で始まった戦争は、収束するドコロか次第にその戦火を広げ、激しさを増すばかりだった。
 やがて、異性人たちは自分たちの代わりに戦う戦闘種族を創造した。 この戦闘種族は、男性体がゼントラーディ、女性体がメルトランディと呼ばれた。 彼らは、戦うためだけに創造された、戦う事しか知らない人造生命だった。
 トコロが、これを創造した異星人は、戦争の激化に伴い全て絶滅。 戦闘種族であるゼントラーディとメルトランディだけが残された。
 戦う事しか知らないゼントラーディとメルトランディは、既に創造主たる異星人が全滅し、戦争の意味が失われた事すら知らず、ただ戦うためだけに“製造”され、そして死んでいった。
 しかし、この戦争に人類が割って入った事により、戦局が大きく変化する。
 戦う事しか知らないゼントラーディは、人類と接触した事により人類が有していた文化、とりわけ“ウタ”に大きな衝撃を受け、人類とゼントラーディの間で和平が成立。 その立役者となったのが、“ウタ”を生業とするアイドル歌手、ミンメイであった。
 人類&ゼントラーディ対メルトランディ。
 しかし、本当はもう、戦う理由は無い。 それを知ったゼントラーディは人類と和平し、メルトランディにもそれを知ってもらおうと望む。
 だから、ミンメイは歌う。 この無意味な戦争を、終わらせるために……!(注:以上は、『超時空要塞マクロス』の劇場版の設定。 オリジナルのTVシリーズでは、いくつかの点で設定が異なる。 作中では、TVシリーズも劇場版も“歴史を再現した時代劇”という、いわゆる“劇中劇”という設定になっており、後のTVシリーズ『マクロス7』では、その通り劇場版が“2031年の星間戦争終結20周年を記念して制作された映画”という設定で登場する。 詳しくは、Wikipedia日本語版などの解説を参照の事)
 何故なら“ウタ”は、世界で唯一の“共通言語”であり、その歌声はヒトのココロを揺さ振る“マホウ”だからだ。
 本作における“ウタはマホウ”というテーマは、明らかに『マクロス』シリーズの影響である。


 そしてこのテーマは、『マクロス・プラス』においても形を変えて明確に表現されている。
 『マクロス』シリーズのストーリー上のフォーマットになっている三角関係、すなわちイサム、ミュン、ガルドの三人が織り成すラブストーリー(注:公開当時、「チャゲアスやドリカムが主題歌を歌うトレンディドラマのよう」と評された。 言われてみればその通り、いわゆる月9ドラマのようなストーリーである)を中心に、ヴァーチャル・アイドル、シャロンの歌声によって、この“ウタはマホウ”のテーマが描かれている。
 先ほど解説した『超時空要塞マクロス』とは異なり、『マクロス・プラス』では最初、ウタは文化の象徴として戦争を終わらせる事が出来る万能の力を持ったマホウ、ではなく、まんま文字通りの“ウタはマホウ”として描かれている。
 作品の設定年代において、シャロンはテクノロジーが生み出したヴァーチャル・アイドルであり、その開発者やプロダクションは、これを隠す事なくむしろ“ウリ”にしてシャロンをデビューさせる。
 普通に考えれば、コンピュータプログラムでしかないAIのウタなど売れるハズがない(注:これは、劇中でもエデンにやって来たシャロンのプロデューサー、ミュンの記者会見のシーンで発せられる記者のセリフ「コンピュータが創り出す歌声はまやかしに過ぎない」でハッキリと示されている。 また、これをリアルで、まんま“コンピュータが創り出す歌声”を実現したのが、今や社会現象にまで発展した初音ミクに代表される“VOCALOID”である)が、シャロンのウタは瞬く間に大衆の心をつかみ、爆発的な人気を得るようになっていく。
 ……が、これには実は、重大なヒミツが隠されていた。
 知ってる人も多いかと思うが、ヒトの聴覚が“音”として認識出来る音域帯は結構狭い。 ある程度の個人差があるが、通常は20Hz~20000Hzまでとされている。 これを、“可聴域”と呼ぶ。
 しかし、音はこの周波数帯だけではない。 20Hz未満の音(低周波)も、20000Hzを越える音(高周波)も紛れもない“音”であり、ヒトの聴覚に“音”として認識されないだけで、人体に何かしらの影響を与える事は、実に良く知られている。
 低周波治療器で肩コリが治ったとか、可聴域から外れた低周波を発する重低音スピーカー(ウーハー)で体調が悪くなった、とかである。
 そして、音楽でもこれは同じである。
 現在市販されている音楽CDは、44100Hzという高周波のサンプリング周波数を採用しているが、実際に音楽CDに記録されている音域帯は、その半分の22050Hzまでである。
 しかし、ヒトの可聴域は20000Hz程度が限界とされており、これは22050Hzのサンプリング周波数で十分にカバー出来る範囲である。
 そのため、44100Hzというサンプリング周波数が採用されたが、90年代以降、CDをも上回るデジタル音声フォーマットが登場した。 AC3(ドルビーデジタル)とSACD(スーパーオーディオCD)である。
 AC3は、主に映画館の音響やDVDビデオソフトの音声フォーマットに用いられており、そのサンプリング周波数はCDより高い48000Hzである。 これにより、ビットレート(注:演奏時間1秒当たりに割り当てられるデジタルデータの容量の事。 “bps”という単位で表記される)を下げても高音質が可能になり、少ないデータ容量で多くの音声を光学メディア(注:この場合はDVD)に収める事を可能にした。(注:音質よりもデータ容量の圧縮を優先したのが、いわゆるMP3コーデックである。 故に、MP3はある程度以上ビットレート上げないと、CDよりも劣る音質にしかならない。 一般に、“MP3は128bpsがCD音質”とされているが、実際にはそんな事はなく、CDと同等程度にノイズが抑えられるだけで、プロユースのオーディオ機器を通せばその差はハッキリと表れる。 個人的には、最低でも196bps。 欲を言えば、225以上は欲しい。 300を超えるとかなりの高音質になる。 ……代わりに、MP3とは思えないようなファイル容量になるが)
 そして、AC3コーデックをも上回り、現在において最高音質とされているのが、SACDである。
 1999年に登場したこのデジタル音声フォーマットは、従来のCDの約50倍、実に2822400Hz(!)という超高周波のサンプリング周波数が採用され、かつてない超高音質が実現した。
 しかし、当然の事ながらこのサンプリング周波数のためにデータ容量はCDのそれを遥かに上回り、専用の光学メディア(注:容量は4.7GB。 片面1層式のDVDと同じ)と、この超高音質に耐えられる極めて高価なオーディオ機器(注:規格の発表当時は、ステレオスピーカー1セットだけで100万円もした。 対応のプレーヤーも同価格。 従って、SACDを再生するには、最低でも200万円もの初期投資が必要だった)が必要で、機材が高価過ぎて普及しなかった。
 しかし、こうした高音質デジタル音声フォーマットの登場により、音楽にヒトの可聴域を外れた高周波を導入出来るようになり、ヒトの聴覚に“音”としては認識出来ないが、皮膚等を通して文字通り音を“感じさせる”事が可能になった。
 これに目を付けたのが、シャロンの開発者達である。
 劇中にも、ミュンを筆頭にしたスタッフが作曲している風景がシーンとして描かれているが、シャロンの歌声には、ヒトの聴覚には音としては認識されず、しかし無意識下に影響を与える非可聴域帯音声が付加されていた。
 そう、いわゆる“サブリミナル音声”である。
 サブリミナルとは、映像や音声にヒトがそれと認識出来ない別要素を紛れ込ませる事で、ヒトの無意識下に影響を与え、一種の暗示をかける事が可能なテクノロジーの事である。
 実際、1980年代には海外でデパートやショッピングセンターの店内放送にサブリミナルを用いた音楽を使用して万引き防止に役立ったとか、映画館で上映されている映画に、映画とは関係ない広告を紛れ込ませた事でポップコーンの売り上げが倍増したなど、サブリミナルによる効果とされる報告がいくつもなされている。
 現在は、各国政府によってサブリミナルは違法広告として一応お禁止の措置が取られているが、CDだけでなく、AC3やSACDのような超高周波のエンコーディングが可能になったデジタル音声技術の登場により、中には誰に知られる事もなく、サブリミナルが紛れ込んでいる音楽が流通しているという都市伝説的なウワサが実しやかに囁かれている。(注:実際、90年代にはリラクセージョン目的でサブリミナルを混入させた音楽CDが、サブリミナル効果を謳い文句にして一般に販売され、好調なセールスを記録した。 ……が、実際の効果の程は個人差がかなり大きかったようで、一時的に話題になっただけであっという間に廃れた)
 シャロンの歌声には、このサブリミナルを用いた音が混入しており、シャロンの歌声を聴いた者は皆、一様にシャロンを愛する。 だから、ヒトではないヴァーチャルアイドルであるにも関わらず、シャロンは爆発的な人気を得るようになった。
 すなわち、シャロンは聴く者を“洗脳”していたのである。
 物語りの後半では、この“洗脳”が文字通りにシーンとして描かれている。
 統合宇宙軍は、VFに代わる次期主力戦闘機としてAIを搭載した無人戦闘機を密かに開発。 テストの結果、これが極めて高い能力を示したため、無人機の実戦配備を決定。 地球で行われる事になった星間戦争終結30周年の記念式典で発表される事になった。
 有人機の開発を頓挫されられたイサムは、無断でこの式典に殴り込み、無人機に一泡吹かせてやろうとする。 ガルドは、イサムを止める、という口実で、同じくこの式典に殴り込む。
 が、この式典を狙っていたのは、イサムとガルドだけではなかった。 統合宇宙軍の要請でコンサートを開く事になったシャロンもまた、この式典をターゲットにしていた。
 シャロンの開発者である科学者、マージの独断によって、シャロンには新たに非合法化されたコンピュータチップがインストールされ、シャロンは独自に判断、行動するようになっていた。
 すなわち“暴走”したのである。
 暴走したシャロンは、自身の歌声で人々を洗脳。 戦争も争い事もない、平和な世界を作ろうとする。
 シャロンは、まさに天から遣わされた天使となり、その歌声は人々を、街を、世界を覆っていく。
 まさに、ウタはマホウとなって人々の無意識を塗り替えていくのである。(注:この記念式典でのコンサートシーンは、劇中でも最も多くのCGIが多用されたシーンで、シャロンが街を洗脳していく過程を圧倒的なヴィジュアルで表現した屈指の名シーンである。 ちなみに、この時のシャロンの衣装には背中に小さな翼があるが、これは菅野が天使をイメージして先行作曲した劇中歌、『WANNA BE AN ANGEL』に触発された作画スタッフが設定を変更して書き加えたモノなのだそうだ。 菅野は、まさに“天使”の姿をしたシャロンに大喜びしたそうだ)
 さらに言うなら、このシーンで使用されている劇中歌、『WANNA BE AN ANGEL』は、日本語でも英語でもない、フランス語の歌詞が使用され、本作でミルハが言っていた通りの「異言語間に於いて通じないものであるのも当然でして、それを凌駕し得るものが歌」をまんま表現していると言える。(注:そもそも、シャロンのヴォーカル曲は日本語歌詞が一切使用されていない。 全て、英語やフランス語などの外国語である。 河森や菅野が言うには、「翻訳すると結構スゴいコトを言っている」のだそうな)
 サブリミナルによるウタのマホウは、言語を超越する万国共通語を以って大衆の無意識を操作するのである。


 ……しかし、このテクノロジーがもたらしたシャロンのマホウは、同じウタによって打ち破られた。
 街一つを巻き込んだマジバトルによって、ガルドは昔の記憶を取り戻し、イサムと和解する。 そして、ガルドはシャロンによってイサムとガルドを撃墜するために出撃した無人戦闘機を一人で引き受け、イサムにはミュンの救出に向かうように言う。
 その通り、イサムはミュンの救出に向かうが、シャロンはネットワークを介してイサムのVFのコンピュータをハッキング。 その歌声で、イサムも洗脳しようとする。
 しかし、その時イサムの耳に聴こえてきたのは、囚われの身になりながらも無線を介して歌う、ミュンの歌声だった。
 ミュンの歌声に我に返ったイサムは、ついにシャロンがインストールされているコンピュータを破壊し、ミュンと人々をシャロンの洗脳の魔手から救うのであった。(注:これは、後に“シャロン・アップル事件”と呼ばれ、これがキッカケとなって暴走したAIの危険性が指摘され、無人機の実戦配備は白紙撤回。 従来通りの有人機に戻す事が決定され、イサムがテストしていた機体が正式採用される事になる。 そして、この機体を独自にチューンしたのが、同時期にOAされたTVシリーズ『マクロス7』に登場する機体である。 ……という設定)
 ココロのないAIのウタはマホウが、その歌声に想いを託すヒトのウタによって打ち破られるのである。
 何故なら、“ウタはこころ”だからだ。
 シャロンには最初、こころがなかった。 インターフェースや歌声は完璧でも、シャロンには感情がプログラムされておらず、その歌声にはこころがなかった。
 その、ココロがないAIのウタに感情を乗せていたのが、実はミュンだった。 ミュンは、表向きはプロデューサーという肩書きだが、その実はシャロンの歌声に脳波を同調させて感情を乗せるための、いわば“ゴーストシンガー”だったのだ。
 人々が、シャロンのウタだと信じていた歌声は、実はミュンの歌声を機械を通して改変していただけだったのだ。
 これに真っ先に気付いたのも、やはりイサムであった。 イサムは、街で偶然耳にしたシャロンの歌声に、懐かしさを感じた。 それは、シャロンの歌声の裏に隠されたミュンの存在、すなわちミュンのこころを感じたからだ。
 ココロのないAIのウタはマホウ。
 しかし、想いを託すヒトのウタはこころ。
 だから、シャロンのウタのマホウは、ミュンのウタのこころによって打ち破られるのである。


 これに影響を受け、これを発展させた手法を用いて、映画『ブレードランナー』で示されたテーマ、すなわち“人間とは何か?”に対する答えを明示する試みで執筆したのが、筆者が著した初音ミク二次創作小説、『with you...』である。
 物語に乗せて初音ミクというキャラクターを描く上で、“ウタ”はミクというキャラクターのアイデンティティともいえる極めて重要な要素である。 VOCALOIDという、“コンピュータにウタを歌わせる”という、まんまシャロンの元型とも言えるコンピュータソフトであるミクの存在は、ウタ無くしてはあり得ない。 筆者は初音ミクの物語りを書く上で、これだけは絶対に外せない最重要ファクターだと考えた。
 そこで、ミクをAIと仮定し、映画『ブレードランナー』で示された“人間とは何か?”というテーマに対する答え、すなわち共感に代表される“人間的感情=こころ”をウタというファクターを通して語るために筆者が参照したのが、『マクロス・プラス』である。
 マッドサイエンティストの思惑によって暴走したシャロンが、暴走する事なく本当の意味での人間的感情、すなわち“こころ”を目覚めさせたのならどうなるか? その歌声が、ミュンの裏操作を必要とする事なく感情が乗った歌声になったらどうなるか? 映画『ブレードランナー』に登場するレプリカント達のように、泣いたり笑ったり怒ったり、時には希望を絶たれて絶望したりするために必要な“こころ”を手に入れるには、どうしたら良いのか?
 こうした事を、“ウタ”を通して描く事によって、ミクというキャラクターがヴァーチャルな存在ではなく、アナタの隣に立って美しい歌声を聴かせてくれる存在だと感じてほしかった。
 だから、小説『with you...』はあのような設定と物語になった。
 詳しくは、小説本編と拙著『異説「ブレードランナー」論:完全版』の解説(注:どちらもMFD‐WEBにてただ今絶賛公開中!)を参照して頂きたいが、ウタはマホウとウタはこころは、結局どちらも同じ事を形を変えて描いているのであり、その本質は何ら変わらないのである。
 何故なら、TVアニメ『GA‐芸術家アートデザインクラス』で語られていた通り、

「悟りであれ煩悩であれヒトのココロを揺さ振るマホウ、それが芸術!」

 だからである。


to be continued...

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275.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:WCL3章①

2013年11月24日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

-"Sight of OMEGA" Ultimate Analyse #29-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 今週の話題は、何と言っても小笠原諸島の“新島誕生”でしょう!
 小笠原諸島の沖合いで海底火山が噴火。 海上保安庁の巡視船が確認したところ、この火口を取り囲むように、海面に浮かぶ直径200mほどの小さな“島”が出来ていたそうです。
 ちょっと前に、パキスタンでも同じように海上にポッカリと小さな島が隆起した事がありましたが、あれは地震性によるモノ。 今回の小笠原諸島のそれは、火山の噴火によって噴出したマグマが海水で冷え固まった事で出来たモノで、海底火山は今もなお活動中で、残念ながらパキスタンの時のように上陸する事は出来ない。
 しかし、マグマの噴出は未だに続いており、コトと次第によっては今後この島が“成長”し、上陸可能な島になる可能性も。
 ただ、専門家の話しでは逆に沈下して島として残らない可能性もあるとか。
 こんなコトがあると、日本はやっぱり火山大国なんだなぁ~と思う。
 なんにせよ、決して珍しい現象というワケではないですが、決して良くある事でもないので、このまま島として残れば、新しい観光名所(^ ^)になるかもしれないですね。



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは、『アルティメット・アナライズ』シリーズ第4弾、同人ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』の徹底解説連載第29回です。
 もうしばらく続きます。 今回から新章突入です。


第3章:キーワードアナライズ

 さて、ココからはアルティメット・アナライズ恒例の解説テクスト集、キーワードアナライズである。
 本作に関連するキーワードをいくつかピックアップし、それらについて個別に説明、解説していく。
 例によって、これらの解説は筆者独自の考察に基づくモノであり、作者の見解を代弁しているワケではないのでそのつもりで。


1.『Omegaの瞳』と萩原朔太郎


 本作の本編、各章の最後の最後に毎回画面に表示される決まり文句の一文。
 その中に、こんな行が含まれている。

“また「Omegaの瞳」は萩原朔太郎の散文詩の題名です。”

 この一文から、『Omegaの瞳』という散文詩。 そしてその作者である萩原朔太郎という人物に興味を抱いた読者も多い事だろう。
 筆者はそれほど興味が湧かなかった(←オイ!)が、ある程度気にはなったので、この機会にリサーチしてみた。
 以下そのリサーチ結果。(↓)


・詩人:萩原朔太郎

 詩人、萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)は、日本における近代詩を語る上で欠く事の出来ない、日本を代表する作家である。
 1886年(明治26年)、当時の群馬県東群馬郡曲輪町(注:現在の同県前橋市千代田町)で開業医を営む父、密蔵とその妻、ケイの間に生まれた長男に、両親は朔日(ついたち)生まれの長男にちなんで“朔太郎”と名付けた。(注:誕生日は11月1日)
 当時から、医者は比較的裕福な家庭であったが、萩原も開業医の父の下で何不自由なく育った。
 しかし、小学校に入学した萩原は、神経質で内向的な性格の少年に育ち、病弱だった事もあって学校ではいつも除け者にされるようになり、いつも一人でハーモニカやアコーディオンを弾いて遊ぶ孤独な少年だった。
 詩や小説などの文学に傾倒していったのも、この孤独な少年時代からではないかと思われる。
 ちなみに、この頃音楽に接していた経験から、後に楽器演奏の講師としても活躍するようになる。
 小学校高等科(注:現在の中学校に相当)を卒業後、県立中学校(注:現在の高校に相当)に進学。 ココで、萩原は学校の校内誌に短歌を発表。 さらにこれがキッカケとなり、クラスメイトらと共に回覧誌を刊行し、短歌を発表する。 この頃の作品は、与謝野晶子の影響が見られる作品だったとか。
 そして、これらの短歌が与謝野鉄幹(注:よさの てっかん。 与謝野晶子のダンナさん)の目に留まり1903年、鉄幹が主宰する『明星』という雑誌(注:1900年~1908年に刊行された月刊の文芸誌。 アイドル情報誌とは無関係)に3首の短歌が掲載され、注目されるようになる。
 また、この掲載がキッカケとなり、当時かの石川啄木も在籍していた“新詩社”という同人に加盟する事になった。(注:当時から、“同人”という単語は存在し、現在の同人サークルの元型もあった。 ただし、現在の同人とは大きく異なり、当時の同人は若い作家が新しい文学を模索して活動する、現在の同人界における同人一次創作がメインで、二次創作はそれ自体が存在しなかった)
 しかし、それとは対照的に学業は低迷した。
 学校の授業をサボりまくり、たまに学校に来ても授業中は窓の外に見える空を眺めてばかりいて、文字通りの上の空だったそうだ。(笑)
 さらに中学校卒業後、高等学校に進学するも試験をサボって落第を繰り返し、最終的に1910年、慶大予科に進学するもチフスを患って退学。 翌年再入学するも、精神的な情緒不安定のために中退し、萩原は学校に通うのを諦めた。


 さて、学業を諦めた萩原は、しかし1913年、かの北原白秋が主宰する雑誌に5編の詩を発表。 詩人として本格的にデビューを果たした。
 これがキッカケとなり、詩人の室生犀星(むろう さいせい)、詩人で児童文学者の山村暮鳥(やまむら ぼちょう)と知り合い、故郷である前橋に戻った後、3人で詩や宗教、音楽を研究する“人魚詩社”という同人サークルを設立。 1915年には、同サークルから『卓上噴水』という雑誌を刊行し、自身の詩を発表する。 また、ギターやマンドリン演奏の教授も始め、演奏会を主宰するようになったのも、この頃からである。
 1917年、既に32歳になっていた萩原だったが、この頃になってようやく詩集の発表を決意する。 そして同年、自費出版ながら『月に吠える』というタイトルで自身初の詩集を出版。 従来の詩作の常識を打ち破り、型に囚われない口語象徴詩、叙情詩の新境地を開拓する事に成功しただけでなく、かの森鴎外が絶賛した事もあって、詩集はベストセラーになり、日本の詩壇に確固たる地位を築く。
 一躍時の人となった萩原は、複数の雑誌で詩を発表。 また、詩や短歌の評論、楽器演奏会の主宰など、多岐にわたって活動するようになっていく。
 しかし1924年、『新興』という雑誌の創刊号に掲載された12編からなる『情緒と理念』という作品が当局の検閲に引っ掛かり、同誌が発売禁止になった。
 また、既に結婚して2人の娘の父となっていた萩原だったが、1929年に離婚。 これがキッカケとなり、精神的な情緒不安定に拍車がかかり、私生活は荒廃していった。 この頃萩原は、心の拠り所を教会に求め、足しげく通うようになったそうだ。
 しかし、私生活とは対照的に、仕事の方はかなり順調にキャリアを重ねた。
 1934年~36年にかけて、詩集や評論を多数出版。 これらの功績が高く評価され、36年には“文学界賞”という賞を受賞している。 また、37年には自身が発起人となり、“透谷文学賞”という文学賞を設立。 かの島崎藤村らと共に選考委員を努める。
 また、執筆活動と同時に講演会を多数開催し、その講演内容などから“国粋主義者”と呼ばれるようになっていったのも、この頃からである。
 1940年には、『帰郷者』という詩集で自身が創立メンバーになっている透谷文学賞を受賞。 さらに精力的に活動する。
 ……が、この頃から既に体調に異変を感じていた萩原は、最終的に1942年(昭和17年)5月、急性肺炎を患い急死。 享年55歳。(注:後述するウェブサイト、“萩原朔太郎研究所”に掲載されている略歴では、“享年57歳”となっているが、明確に誤り。 正しくは、“55歳と6ヵ月”である。 これを始め、同サイトの年代表記は誤りが“多々”あるのでご注意を) 亡骸は、生まれ故郷の前橋の寺に建てられた墓に葬られた。


 萩原の死後、その作品は存命中以上に高く評価され、その作品は現在までに実に5度(!)も全集が出版されるほどの人気を得ている。
 1993年には、萩原の故郷である前橋市が市制施行100周年を記念して、同市出身の萩原にちなんだ“萩原朔太郎賞”を設立。 現代詩を対象とするこの文学賞は、設立から丁度20年目を迎える今年2013年現在も、受賞が継続して行われている。
 日本文学が最も活発だった20世紀初頭。 同時代を代表する多くの作家たちと幅広く交流し、彼らと共に新しい文学を模索しながら活躍した詩人、萩原朔太郎は現在、“日本近代詩の父”とまで称されているほど、日本を代表する偉大な詩人として極めて高い評価と人気を得ている。


 ちなみに、萩原の長女、葉子は、父の影響からか作家として活躍。 その娘、すなわち萩原の孫娘にあたる朔美もまた、演出家として現在活躍している。


・散文詩『Omegaの瞳』

 以上のように、萩原のバイオグラフィを紹介したワケだが、ではこの萩原という詩人が詠んだ散文詩、『Omegaの瞳』とは、いったどんな作品なのだろうか?
 萩原の作品は、現在その全てがパブリック・ドメイン(注:“公有”という日本語訳があるが、一般的にはパブリック・ドメインの方で認知されている。 “著作権、あるいは特許の保護期間が終了した著作物、及び特許取得技術”の事で、国によって規定が異なるが、日本の場合は小説や詩、音楽などの著作物は、“著作権者の死後50年”で保護期間が終了する規定になっている。 パブリック・ドメインに関しての詳しくは、拙著『「メトロポリス」伝説:クリティカル・エディション』の169~171頁を参照の事)になっており、『青空文庫』などの有志参加による非営利のパブリック・ドメイン作品配信サイトや、萩原の研究サイトなどで代表的な作品を中心に多数が無償公開されている。
 で、そうしたウェブサイトの中でも最大級の情報量を誇る研究サイト、“萩原朔太郎研究所”に、件の『Omegaの瞳』の全文が掲載されていたので、以下にコピペする事にした。
 仮名使いは、原文通り旧仮名使いを用いているが、読み易いように改行を増やしてあるので予めご了承を。


Omegaの瞳

死んでみたまへ、屍蝋の光る指先から、お前の霊がよろよろとして昇発する。
その時お前は、ほんたうにおめがの青白い瞳(め)を見ることができる。
それがお前の、ほんたうの人格であつた。

ひとが猫のやうに見える。



 ……はい、以上が“全文”です。
 短ッ!!Σ(゜Д゜;)
 まあ、“散文詩”ってのは元からこーゆーモンです。
 散文詩『Omegaの瞳』は、萩原の詩集、『蝶を夢む』(注:初版は1923年7月に新潮社から刊行。 正題:『現代詩人叢書14 蝶を夢む』)に収録された4篇の散文詩の内の1篇である。
 実際に詠まれたのが詩集の出版時期なのかどうかは分からないが、少なくとも詩集が出版された1923年(大正12年)当時、萩原はこの前作に当る詩集、『青猫』(注:同年1月に出版)を発表したばかりで、直後の1924年には、雑誌に掲載された『情緒と理念』という作品が問題になり、掲載誌が創刊号であるにも関わらず発売禁止になってしまうという事件が起こった頃の事である。
 この頃萩原は、地元前橋の詩人や歌人らと共に文芸座談会(注:親交を目的としたいわゆる勉強会と考えてもらったおk)を設け、交流を深めていたが、雑誌に寄稿した短歌の論文がキッカケとなって当時の歌人らの攻撃に晒され、論争の的になっていた。 萩原は、万葉集などに見られる短歌のロマン的な精神の復活を唱えていたが、新しい作風を求めていた当時の歌人らには受け入れられなかったようだ。
 さらにこの詩集の出版直後の1924年、親交の深かった同志であった山村暮鳥が亡くなり、萩原は悲嘆に暮れた。
 さらにさらに翌年の1925年には、前橋を離れて東京に移り住んでいる。 ご近所さんには、親友の室生犀星や、かの芥川龍之介もおり、お互い頻繁に行き来していたそうだ。(注:しかしこの直後、芥川は友人に宛てた手紙の中で「ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺する。 1927年の事)
 こうした交流に影響されたのか、萩原は次第にニヒリズム(注:nihilism。 日本語では“虚無主義”と訳されているが、人間の存在に真理や本質的価値を見出せない悲観主義の事。 18世紀にドイツで定義された哲学用語。 ニヒルは元々、ラテン語で“無”の意)に傾倒していくようになり、妻との関係にも溝が出来始める。 萩原が離婚を決意するのは、1929年の事だ。
 このように、まるで詩集の出版をキッカケに、萩原はプライベート面で様々な問題を抱えるようになっていくのである。
 すなわち、散文詩『Omegaの瞳』は、萩原が精神的に(比較的)安定していた頃の最後の作品と言えるのではないだろうか?
 とは言え、作品そのモノには元々情緒不安定だった萩原の言い知れぬ苦悩が垣間見えるのも確かだ。
 死への恐怖、対人関係、自己の存在と認識。
 正確に言葉で表現するのが極めて困難だが、何かこう、自分が自分でないような視覚の疎隔(注:自分の視界が他人の視界のように感じられる事。 主に心理学用語)というか、あるべき姿にない感覚というか、そういった不安定な心理がうかがえるように思う。
 死によって視る事が出来るオメガの青白い瞳は、今の自分を客観視する自分自身の本当の人格。 すなわちその瞳は、その瞳を見つめている自分自身の鏡映であり、あるいはそれは、今自分が見つめている猫の瞳か? それとも、自分は死して猫に転生したのか?
 ヒトが猫のようにみえるのは、もしかしたら……?


 この他にも、ウェブサイト“萩原朔太郎研究所”には、萩原の代表作である『月に吼える』(注:萩原の初の詩集。 初版は1917年出版)、『青猫』、『蝶を夢む』の3つの詩集の全編が掲載されているので、興味のある方は読まれてみてはいかがだろうか?(注:編纂がバラバラだが、“青空文庫”でも、全編が公開されている)


・本作への影響

 さて、解釈はともかくとして、散文詩『Omegaの瞳』はこのような作品なワケだが、ではこの散文詩が本作に対してどのように影響を与えているのだろうか?
 言うまでもなく、本作は『Omegaの瞳』にインスパイアされた作品である事は、先に記した詩の全文を読んで頂ければ明白であると思う。 詩の節々に、本作との関連を見出せる語が散見されるからだ。
 例えば、前半の“お前の霊がよろよろとして昇発する。”という一文からは、起動したCATが魔眼質によって幽霊のような存在として視覚される過程とイメージが被るし、“おめがの青白い瞳(め)”という一文からは、金髪碧眼の冬夏やミリアム、ドレミリアのイメージが想起される。
 また、後半の“ほんたうの人格”という一文からは、自己暗示によって真言という人格を演じていた黒のイツワという正体、あるいは正体を隠しているミルハや大神などのキャラクターのイメージが強いし、そもそも最後の“ひとが猫のやうに見える。”という行は、多少改変してほぼそのままの意味で本編の姫様のセリフ(注:「あなたが猫のように見えます」)として引用されている。
 そればかりでなく、萩原の作品を丹念に見ていくと、“猫”という単語がそこかしこに散見され、本作本編の節題にも引用された『猫町』というタイトルの小説(注:1935年版画社刊)もあったりする。
 散文詩『Omegaの瞳』、そして萩原の作品群をいくつか読めば、本作がいかに萩原作品の影響下にあるかが自ずから見えてくるハズである。
 しかし面白いのは、その影響の受け方である。
 序章にて記したように、本作は極めて特殊な独特の文体で書かれており、その読み難さ、理解し難さは、他の小説やヴィジュアル・ノベル、ノベル系ゲームの追随を許さないほどで、本作の読者に対する知的要求スペックの高さは、極めて突出していると言える。
 この知的要求スペックの高さが、読者にとっての極めて高い“越えられない壁”となり、本作の理解を諦めてしまった読者も多い事と思うが、その原因の一端となっているのが、散文詩『Omegaの瞳』を始めとした一連の萩原作品の影響である。
 これを説明するためには、まずそもそも「“詩”とは何か?」から説明しなければならない。
 Wikipedia日本語版によると、詩とは、「言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的、喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式」の事である。 すなわち、今皆さんが読んでいるこの文章のように、言語本来の意味を文法的、言語学的に正しく用いて、順序立てた、論理的に意味の通るように並べる事によって、書き手の意図、意思、思考を明確に書き記す文章、ではなく、その言葉が本質的に内包する美的、芸術的意味合いをハッキリとは書き記さず、あえて読者に考えさせる事によって言わば意図的に“行間を読ませる”文章の事である。
 詩の起源は驚くほど古く、現存する世界最古の詩は、メソポタミアのシュメール(注:現在のイラク、及びクウェート周辺)の一部と考えられているアッシリア遺跡から19世紀中期に発見された“ギルガメッシュ叙事詩”という粘土板で、これはなんと紀元前2000年頃のモノ(!)である。(注:ただし、発見されたのはいわゆる写本で、オリジナルは紀元前3000年頃に成立したと考えられている)
 これとは起源を異にする可能性が高いが、ヨーロッパや中国などで、同様の形式の短い文章を用いた詩の元型と考えられる文章が多数発見されている。 そして、我が国ニッポンでも、『万葉集』と『古今和歌集』という短歌を編纂した書物が見つかっており、これは紀元6世紀後半から7世紀頃のモノと考えられており、現存する日本最古の和歌集である。(注:ただし、どちらも全巻が成立した年代がよく分かっておらず、編纂の開始から全巻の編纂完了までに数十年の時を経ている可能性が高いため、成立年代は諸説ある。 一応、現在は『万葉集』が先で、『古今和歌集』が後という説で落ち着いている)
 先ほど記した定義に従えば、短歌や俳句も行間を読ませる事に主眼を置いた短文形式であるのは間違いないので、これらが日本における詩の元型、起源と考えて良いと思う。
 ただし、短い文章であれば全て詩と呼べるかというと、決してそうではない。 詩には、実はいくつか守らなければならないルールがある。
 例えば、言葉のアクセントや語感、発音した時のメロディにも似た文章そのモノが持つリズムを“韻律(いんりつ)”、または“韻文(いんぶん)”と呼び、ヨーロッパや中国の古典詩では特に重要視された。
 韻律と同時に、特にヨーロッパの古典詩で重要視(注:中国ではあまり重要視されていなかったそうだ)されたのが、“押韻(おういん)”である。 いわゆる“韻を踏む”事だ。
 また、比喩や隠喩などの修辞技法を用いる事で、より豊かな文章表現を試みた作品が大多数を占め、それぞれの作家の創意工夫がココに見られるのも特徴である。
 こうした韻律や押韻、そして修辞技法は、近代になって文学全般に見られるようになり、1970年代になって韻律と押韻を全面的に押し出した音楽が登場し、ポップカルチャーの一部として大衆に受け入れられた。
 そう、いわゆる“ラップ”である。(注:一般に“ヒップホップ”と混同されているが、ヒップホップは飽くまでも音楽を含めたファッションや絵画、ダンスなどのポップカルチャーの総称であり、音楽のジャンルではない。 ラップを含む音楽は、正しくは“スクール”というジャンル名である)
 さて、では我が国ニッポンではどうだったかというと、先にも述べたように日本には古来より伝わる短歌や俳句、川柳、都々逸(どどいつ)といった和歌、あるいはそれに類する落語などの話芸が盛んで、江戸時代に入って鎖国政策が実践された事もあり、西洋詩の影響を受ける事なく、和歌が長い間日本文学の中心になっていた。
 もちろん、和歌にも一定のルールがある。
 俳句であれば季語を入れなければならないとか、短歌であれば序詞や縁語などの修辞技法が重要視されたとか。
 そして何より、“五、七、五”や“五、七、五、七、七”のような文字数の制限による韻律が最重要視され、西洋詩とはやや異なるモノの、日本語独自の言葉の持つリズムにより、西洋詩との類似性を指摘するのに十分な要素があったと言える。
 ちなみに、俳句や短歌などの和歌は現在、海外でも一般に浸透しており、和歌を教えるカルチャースクールやサークル活動が盛んなのだそうだ。
 ただ、海外では日本語のように“五、七、五”のような文字数の制限による韻律が使えないため、“季語や修辞技法を用いたごく短い詩”として詠まれている。
 それはともかく、しかしこうした和歌中心の短文文化が背景としてあった事から、日本では元々“詩”と言えば漢文の事を指し、西洋詩はもちろん、日本語の詩も存在しなかった。
 この状況が変化するには、鎖国政策が廃止される江戸時代の終焉、明治の始まりと文明開化を待つしかなかった。


 さて、文明開化華やかなりし頃の明治初頭、様々な分野で西洋文化が大量に、そして急速に日本に流入し、日本はにわかに西洋ブームが巻き起こった。
 19世紀末を迎えたこの頃、世界はヨーロッパ列強による植民地支配が最盛期を迎え、しかし20世紀に入って間もなく、第1次世界大戦という形でヨーロッパ列強支配の時代は終焉するのだが、世界の中心は当時の大英帝国(現:イギリス)であった。
 文学の世界でも、19世紀のイギリス文学は後の小説や映画に多大な影響を与え、モーリス・ルブランやコナン・ドイル、アガサ・クリスティ、ルイス・キャロルなどの人気作家を多数輩出し、世界の文学の中心的な存在であった。
 そのため、文明開化直後の日本から、イギリスに留学する作家も多かった。 夏目漱石などは、その最たる例と言えるだろう。
 また、文学と同時に哲学や心理学など、それまでの日本にはなかった学問が大量に、しかも極めて急速に流入したのもこの頃で、巷にはニーチェやショーペンハウアー、あるいはフロイトやユングの著書を読み漁る書生が溢れかえった。
 そして、これら流入した西洋文化の一部として、西洋詩も大量に流入し、それまでの日本文学、特に和歌とせいぜい漢文しかなかった文学界に、詩は一大旋風を巻き起こした。
 この当時、孤独な少年だった萩原は一人遊びの手慰みにこれらの西洋詩に触れ、和歌との類似性に気付き、傾倒していったのではないだろうか?
 和歌と同じく韻律と修辞技法を重要視し、しかし和歌にはない押韻による鮮烈な文章形態は、萩原少年の心にすさまじいインパクトを与えたハズである。
 しかし、萩原にとって最も衝撃的だったのは、19世紀以前の伝統的な西洋詩ではなく、20世紀に入って早々に登場した新たな詩のジャンル、散文詩であった。
 19世紀中頃のフランスで勃興したこの新ジャンルは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてヨーロッパで流行的に普及し、かのオスカー・ワイルドに多大な影響を与えた後、20世紀初頭のフランスで始まった芸術の新ジャンル、シュールレアリズムの画家たちによって支持されたとされている。
 先にも述べたように、本来“詩”とは、韻律や押韻、修辞技法を用いて美的、芸術的な文章を構成し、読者に行間を読ませる事を主体とした文学の事である。 そのため、言葉の表面的な意味だけではその詩の本質を見抜くのは難しく、表層に隠された裏の部分、すなわち行間を読む事で初めてその詩の意味、作者の意図が理解出来る。
 よって、詩は必然的に意味の分かり難い文章になる事が多い。
 が、それでも文章としては比較的分かり易い方である。 和歌のように文字数制限があるワケではないので、理解するためには本文の数倍もの文字数になる訳、解釈を必要とする和歌ほど分かり難いモノではない。
 しかし、西洋詩における伝統的な詩の前提ルールを嫌い、ルールを無視した意味の通らない、行間を読んでも補完しきれない文字通りの“散文”を用いた散文詩は、最早作者以外に正確に理解するのは不可能と言っても過言ではないほど、難解な作品がほとんどである。(注:そのため、勃興当初の散文詩は「最早“詩”ではない」と批判された事もあった)
 萩原が詩人として本格的に活動を始めた1913年頃、日本にもこの散文詩が入ってきており、萩原はしかし多大な影響を受けたハズである。
 それまでの伝統的な様式を無視し、難解かつ意味不明な単語が羅列された散文詩は、しかし萩原や与謝野晶子が敬愛したロマン的な古代の和歌に見られる主観的芸術性が垣間見え、萩原が求めて止まなかった新しい文章表現、模索し続けた“答え”がそこにはあった。
 そして萩原は、この“答え”を自身でも執筆するようになり、先に全文を紹介した『Omegaの瞳』に代表される多数の散文詩を発表。 日本における最も重要な散文詩人として、20世紀初頭の日本文学界に名を馳せる事になったのである。
 そして、その萩原にさらに多大な影響を受けたのが、本作の作者である閂である。
 本作の本編には、明らかに萩原の、そして萩原作品に類する散文詩の影響がハッキリと見られる。
 意味の通らない、行間を読んでも補完しきれない表現や描写、用語、多様な韻律、押韻の多用、意図的な伏字や当て字、単語の誤用など、本作の読み難さ、理解し難さを構成している要素は、しかし文章単位で細かく読んでいけば、その言葉の美しさ、文字通りの詩的な表現が多数あり、その全てが散文詩の影響であり、ヴィジュアルノベルたる本作に散文詩的文体を導入したが故のモノである。 本作を鑑賞済みの読者ならば、そして特に、読了を諦めてしまった読者であるなら、これは大いに納得出来る説明だと思う。
 本来“詩”とは、物語りがあったとしても、小説のように長文で表現せず、とにかく短く、簡潔な文章で表現するのが基本である。 そうする事で、読者に“行間を読ませる”という演出を意図的に導入するのが、“詩”という文学作品の基本であり、そして極意でもある。
 対して小説とは、意図的に行間を読ませる事はあっても、それは飽くまでも作品の一要素に過ぎず、物語りを物語るためには説明不足があってはならない。 だから、詳細に説明するためには必然的に文章が長くなり、詩のように短文で済ませる事が出来ない。
 詩と小説は、同じ文学というカテゴリーにありながら、その目的が全く正反対と言っていいほど異なるジャンルなのだ。
 しかし閂は、この相反する二律背反の完全なる融合を試み、その結果として散文詩的文体を導入する事でこれを成し遂げた。
 本作の読み難さ、理解し難さを構成してる要素である散文詩的文体は、しかし言葉としての美しさ、文章としての面白さという詩の持つ芸術性を小説に導入する事に成功し、なおかつこれが作品の世界観や設定にも生かされているという、これまでの小説、そしてヴィジュアルノベルを含めたノベル系ゲームでは到達出来なかった領域に、初めて到達する事に成功したパイオニア的作品なのである。
 虚淵玄、那須きのこ、竜騎士07、科(注:同人ヴィジュアルノベル『単彩綺劫』の作者)等々、独特の文章と世界観で人気作、ヒット作を世に送り出している作家は多い。 しかし、その誰もが、“小説”という制約に囚われ、その領域からはみ出る事のない、まさに“小説”を書いている。
 それはそれで悪い事ではないし、むしろそうであるからこそ、それぞれの作家の作品が売れたのは間違いない。(注:読み易く分かり易いので)
 しかし、そうした人気作家らを以ってしても成し得なかった領域に足を踏み入れたのが、本作の作者である閂夜明という作家である。
 本作は、小説という枠組みに囚われる事のない、詩と小説の完全な融合を試みた記念碑的作品なのである。


 それと同時に、本作には構成面でも散文詩の影響が垣間見える。
 意図的な時系列の混乱、いわゆる“時系列シャッフル”は、作品の構成に散文詩的文体を導入していると言える。
 また本編中には、これが“意図的なモノ”であるコトを説明しているセリフも、実はある。
 1章23節、千野チノが初登場するシーンで、チノの長台詞に対する真言の感想。

“単語を、遣いたい意味のまま並べただけな気がする”

 それはチノのセリフだけでなく、散文詩的文体を導入した本作の文章、全体に言える事なのである。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



Thanks for youre reading,
See you next week!

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274.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:WCL2章⑥

2013年11月17日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

-"Sight of OMEGA" Ultimate Analyse #28-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 フィリピンの台風、大変なコトになっちゃいましたね。
 今回の台風は30号だったワケですが、30コ以上の台風が発生したのは、1994年以来の事。
 加えて、この時期に発生した台風の規模としても、今回はまさに最大級。 瞬間最大風速は、実に90m/s(!!)にも達したというから驚きです。
 90m/sというコトは、時速に直すと実に324km/h(!?)にもなる。 うっへ! 時速200m/h達成かよ!Σ(゜Д゜;) ナルギスとかカトリーナドコロの騒ぎじゃないしッ!
 フィリピン政府の発表によると、死者は2000~3000人規模になるとの事ですが、行方不明者の正確な数が未だに分らず、被災地の警察などでは行方不明も合わせて1万人規模になるのではないか?という見方もあるとか。 また、インフラが寸断された事により、被災地では救援物資が届かず治安が悪化。 略奪なども起こっているようで、早急な対策が望まれます。
 一応、日本を始めとした各国が自衛隊などの災害派遣を準備していますが、あるいはUNの出動も必要なのかも。
 最後の最後にこんなデカいのが来るとは……!
 ……しかし、こういうコト言うのは不謹慎だと分っていますが、つくづく日本直撃じゃなくて良かったと思う。 ただでさえ、今年は全国各地で台風や豪雨や突風(竜巻)、果ては火山の噴火まであって大変だったのに、こんなのに来られた日には3.11ドコロの騒ぎじゃないです。
 ホント、日本に来なくて助かった。
 とは言え、被災地の惨状は3.11の記憶も生々しい我々日本人にとっても他人事ではありません。 犠牲になった方々のご冥福と、被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは、『アルティメット・アナライズ』シリーズ第4弾、同人ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』の徹底解説連載第28回です。
 キャラクタープロファイルは、今回がようやくラストです。


八重洲うら(やえす うら)

真名:WC_NK:Beehive/オズマ・イース
年齢:―(AA済)
性別:女

 WCLに所属する魔眼質者で、CATライヒェンカチュの遣い手。 カヴン所属で、NKのB。
 元々はLu=Leの魔眼質者で、しかもWEを下賜されたESの第三位という高位のメンバーであったが、ダーカやヨルド・モネらと共に改宗されてWCLに与する事になったらしい。
 今回の『No.13』のおいて、ねこざんまいでの待機を命じられたNKナンバーの一人だが、四重奏団らの会話の中で名前が出てくるだけで、うら本人は本編には未登場。 立ち絵もない。
 設定も未公開のため、詳細は一切不明。
 一応、現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するようだ。
 ちなみに、真名の“Beehive(ビー・ハイヴ)”は“ハチの巣”の意。


・WE:3=ハスマリム(ライヒェンカチュ)

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は八重洲うら。
 旧Lu=Le時代、ガロー神蝕事件直後にイツワから萌芽したWEの内の1体で、ES第三位という高位を与えられたオズマ・イースに下賜された。
 しかし、大封時に初代の魔眼の刺し手であったエンリケによって捕獲、封紙、回収され、遣い手であったオズマも捕らえられた。
 理由は(設定未公開のため)定かではないが、オズマは改宗を受け、WCLに与する事になり、そのCATであったハスマリムもまた、改宗されてWCLの保有となり、呼称を“ライヒェンカチュ”と改められた上で、カヴンに所属する事になったオズマ、和名、八重洲うらに再度下賜された。
 現在は、遊戯の事後処理を行うNKナンバーに加えられている。
 エジプトで発見されたミイラ、あるいはロケットにも似た姿をしており、長く伸びた巨大な両手が特徴的である。
 ライヒェンカチュはフェイズ7特化型のCATだが、直接的な攻撃能力は有しておらず、それ以外のフェイズも特にコレといった調整がされた形跡はない。
 しかし、このCATには極め特殊な能力がある。
 それは、有機物を驚異的な速度で腐敗させる事が出来る(注:技名“ici!ワ!”)という能力である。
 このCATは、通常地中に隠れた状態で稼動しており、対象を補足した後、地中からその巨大な両手を出して対象を地中へと引きずり込み、驚異的な速度で腐敗させて土に還すのである。
 遊戯において、不正操作を以ってしても隠匿が不可能な無関係の犠牲者が出てしまった場合、これを隠匿するのがその主な目的である。
 そのため、これまでの遊戯でも滅多に稼動した事が無く、遣い手とCATは常に待機するのが主な任務となっている。
 実際、今回の『No.13』でも、遣い手のうらはねこざんまいで寝ているだけで、遊戯には一切関わる事なく物語りは終わっている。 当然、立ち絵もセリフもない。
 もっとも、ライヒェンカチュの稼動が必要になる事態が起こる事自体が、そもそもカルロサが定めた遊戯のルールに反する事なので、カルロサとしてもこのCATが稼動しない事を良しとしているのかもしれない。
 一応、現在公開されている設定では、『interlude』にも遣い手と共に再登場するようだが、ライヒェンカチュの稼動が必要になるような事態にならない事を祈るばかりである。


灰野ささこ(かいの ささこ)

真名:WC_ESS:BoobyAce/ヨルド・モネ
年齢:―(AA済)
性別:女

 WCLに所属する魔眼質者で、CATヨォクリサリスの遣い手。
 元々はLu=Leの魔眼質者で、実はWEを下賜されたESの一人だった。
 設定未公開のため出自や来歴は不明だが、ともかくESの第七位という下位ではあったが、WEを下賜された資質を発揮してLu=Leの発展に貢献した。
 が、大封時に逃亡に失敗。 捕らえられ、そのCATはエンリケによって封紙、回収された。
 これまた設定未公開のため理由は定かではないが、モネは改宗に同意し、和名、灰野ささこを賜ってWCLに与する事になった。(注:改宗を受けていないという説もある。 本作で言う“改宗”とは、CATによる不正操作によって、記憶や思考傾向を書き換えられる強制改宗、すなわち“洗脳”であり、これを伴わない場合は単純に“改宗”とは言い難い。 モネの場合、“自らの意思で”WCLに与した可能性があるのだそうな)
 WCLではカヴンに所属し、同じく改宗された元WEの第7位、アルク=ベー(注:改宗後はヨォクリサリス)を下賜され、現在に至る。
 うらと同じく、本作では四重奏団やNKナンバーたちの会話の中で名前が出てくるだけで、ささこ本人は未登場。 もちろん立ち絵もない。
 設定も未公開のため、これ以上の事は一切不明。
 現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するようだ。
 ちなみに、真名は“ブービー・エース”と読む。 ただし、この場合のブービーは“ブービートラップ”の意ではなく、準最下位を意味する“ブービー賞”の方。 ささこはES、すなわち八人姉妹の第七位なので。
 ただ、ナゼ“エース”なのかは分からない。
 もしかしたら、CATと関係があるのかも。(注:下記参照)


・WE:7=アルク=ベー(ヨォクリサリス)

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は灰野ささこ。
 元々はLu=Leが保有していたCATで、ガロー神蝕事件直後にパラミアキスから萌芽した8体のCAT、WEの内の1体で、第7位だった。
 ES発足後、ヨルド・モネに下賜されたアルク=ベーは、しかし大封時にモネが捕らえられたのと同時にWCLに捕獲され、モネと共にWCLに与する事になり、“ヨォクリサリス”という新たな呼称を与えられた。
 昆虫の幼虫かサナギ、あるいはマユのような容姿をしているが、これは実は真の姿ではない。 これは、ぬいぐるみのような無機物で、魔眼質がなくても可視可能な物理実体である。
 ヨォクリサリスの本体は、封紙された状態でこのぬいぐるみの中に入っているか、あるいはこのぬいぐるみそのモノに受肉していると考えられている。
 そのため、遣い手のささこは常にこのぬいぐるみを大事そうに抱いて行動しているのだそうだ。
 どちらかと言うと、Igやシロに近い形式である。
 ただ、“考えられている”だけで、実際のトコロは実はWCL内でも定かではない。
 このCATは謎が多く、改宗の際も名前が変わっただけで再調整は行われておらず、また元々のフェイズ特化も定かではない。
 少なくとも、元々はESに下賜されたWEの内の1体で、現在はWCLのカヴンに所属しているのだから、何らかのフェイズ特化、あるいはスロタラスモルトやライヒェンカチュのような特殊能力があっても良さそうなモノだが、そういった事も一切不明で、あったとしても確認はされていない。
 実際、ヨォクリサリスは稼動した実績も皆無で、カヴンに所属しながらも常に待機組で、戦闘等の遊戯には一切参加した事がない。
 全く以ってナゾな存在だが、設定未公開のためこれ以上の事は一切不明。
 一応、現在公開されている設定では、遣い手のささこと共に『interlude』にも登場するようだが、その役割が何なのかを知っているのは、おそらくカルロサだけだ。


真然名無(ましかり なな)

真名:WC_001:GM/ノート・デュー
年齢:―(AA済)
性別:女

 WCLに所属する魔眼質者で、遊戯におけるGM、すなわちカルロサと同じルーラーの立場にある人物。 そのため、ミルハよりも大きな権限を持ち、事実上WCLのナンバー2である。
 しかし、このような重職にある人物であるにも関わらず、ノートの人物像は不明な点が多い。
 ノートがいつからWCLに与する事になったのか? あるいは彼女の出生など、出自や来歴に関する情報は一切が設定未公開で、定かではない。
 さらに、本編に登場する姿も、実はノート自身ではない。 今回の『No.13』の最中、アイや克枝、冬夏と接触したノートと思われる人物は、実はノートが遣うCAT、ジャバンダスウォナッチァの偽装した姿で、言わばノートの影武者である。
 ノート本人は、本作の第4章、最後の最後にワンシーンだけ、カルロサと話している姿が描かれているのみである。 その姿を見る限り、まだ年端もいかない少女。 彼女を知らない者が見たのならば、小学生と間違えられそうな幼い姿をしている。
 ノートはカルロサに心酔しており、その思考傾向、及び行動は、全てカルロサの意思の下に選択、決定されている。 従って、ノートのやる事成す事は全て、カルロサ本人の意思と言っても過言ではない。
 事実、今回の『No.13』では、ノートはWCLの魔眼質者であるアイはもちろんの事、本来は敵である八相七家の道具や克枝、冬夏らとも接触し、暗躍の限りを尽くしているが、これらは全て、今回の遊戯の本来の目的であるミルハのレベルドレイン、すなわち真言とシロを介してミルハに紙魚を打ち込む、という目的のためだけに行われたモノである。
 これは、ある意味常に公平であるべきGMという立場を逸脱した行為に見える。
 もちろん、それが遊戯を始めた張本人であるカルロサの意図であり、カルロサに心酔しているノート自身の意思である。
 ノートの行動は、全てカルロサの意思と同義なのである。
 いずれにしても、設定未公開のためこれ以上の事は詳細不明。
 一応、現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するとの事。 またもや暗躍の限りを尽くすのか?


・GM

 GMとは、“ゲーム・マスター(Game Master)”の略である。
 1970年代、アメリカで産声を挙げたアナログゲーム、テーブルトークRPG(以下TRPG)は、その先駆者となった『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(注:初版は1974年。 日本では85年に公式邦訳版が発売。 現在も改訂版がリリースされており、2012年現在の最新版は第6版。 ただし、邦訳版は第5版まで。 2001年と2006年にそれぞれ映画化もされている)の大ヒットをキッカケに一大ムーブメントを巻き起こした。
 元々、欧米では中世や南北戦争などをモティーフとしたジオラマ模型が定番的なホビーとして定着しており、このジオラマを使って遊ぶウォーシュミレーションゲームが一般的なホビーとして定着していた。
 しかし、ジオラマを作るのが大変で、しかもそれを置けるだけの広いスペース(注:ビリヤード台ぐらい)が必要で、さらに基本的に2人対戦で遊ぶゲームのため、ゲームとしてはかなりの初期投資を必要した。
 こうした背景から、初期投資を必要とせず、しかもリビングテーブル程度のスペースがあれば多人数でも遊べるTRPGが人気を集めていった。
 日本では、80年代に入ってようやく一般にも認知され、90年代には大きなムーヴメントを巻き起こした。
 しかし、折からのTVゲームムーヴメントや、90年代後半に爆発的なムーヴメントを巻き起こしたトレーディングカードゲーム(TCG)の人気に圧される形でブームが沈静化し、MMORPGに代表されるネットワークゲームやスマートフォンアプリゲームが一般化した現在は、すっかり意気消沈している。
 さて、TRPGは、複数人のプレーヤーによって遊べるゲームだが、ゲームであるコトに変わりはなく、ルールがあって勝敗もある。 従って、これを審判する役割が必要である。
 それが、件のGMという役割である。
 TRPGでは、プレーヤーがそれぞれ一人につき1体のキャラクターを作成し、これを操る。 GMからは、プレーヤーキャラクターが置かれている状況や背景、物語りが説明され、プレーヤーは自分のキャラクターの行動を決める。
 この時、もしもその行動が失敗する可能性を含んだ行動の場合、GMはルールに従ってプレーヤーにサイコロを振らせ、行動の成功/失敗を決める。
 これを繰り返し、プレーヤーは示された目標達成に向かってゲームを進めるのである。
 すなわちGMとは、ゲームの管理者であり、進行役であり、物語りの司会者でもある。 GMの役割とは、“プレーヤーを楽しませる事”なのだ。
 本作の世界観のベーシックには、間違いなくこのTRPGがある。
 魔眼質者はプレーヤーで、ステータスの振り分けによって作成されたキャラクターは、=CATである。
 そしてノートは、ゲームの管理者であり、進行役であり、物語りの司会者なのだ。
 そしてGMの役割とは、“プレーヤーを楽しませる事”なのだ。
 ……ただし、この場合の“プレーヤー”はミルハや真言たちの事ではなく、遊戯を始めた張本人、カルロサの事を指す点が、本来のTRPGとは大きく異なるので注意が必要だ。


・ジャバンダスウォナッチァ

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手はノート・デュー。
 重架空、ストレインミラージとも呼ばれるが、本編ではどちらも未登場。
 本来は他のCATと同じく、実体のない不可視の存在だが、ジャバは封紙されておらず、しかも実体化(注:技名“Evangel:26”)が可能な特殊能力があり、“メガネをかけた金髪碧眼の成人女性”という姿で常時実体を見せている。(注:公開されている設定によると、“受肉した姿”となっているが、それだと後述する“服”の設定が説明出来ないので、本書では飽くまでも“変身”として扱う) 公開されている設定によると、服も実体化したジャバの身体の一部なんだとか。 つまり、服を着ているように見えて実は常時マッパなのである。(笑)
 ただし、メガネだけはノートが趣味でかけさているのだとか。(←どんな趣味だよ。 メガネっ娘萌えかよ!?)
 本来の姿は、二足歩行するネコ、あるいはネコ耳を着けた女性にも似た姿で、どちらかと言うとミルハやイツワの本来の姿に近い。
 出自や経緯などは、設定未公開のため全くの不明だが、遣い手のノートは基本的に自分で動く事はなく、もっぱらジャバにその代行をさせる。
 実際、今回の『No.13』ではその最中にダーカや道具、克枝、冬夏らがノートからの接触を受けているが、いずれも直接接触したのはこのジャバで、ノート本人ではない。
 ジャバには変身能力以外にも、他のCATと異なり自律型のフェイズ10があるが、その自立性は比較的低く、ベロアのように自分の意思で動く事がない。 どちらかと言うと、これはシロのそれに近いと言える。
 そのため、ジャバがノートとして接触したそれぞれの相手と会話しているシーンも多数あるが、これらも全てジャバではなく、ジャバを裏で操作しているノートの言葉である。
 糸無き傀儡子(くぐつ)、意図されたロボットであり、遊戯に偏在するノートの影武者。
 それが、このジャバンダスウォナッチァというCATなのである。
 なお、現在公開されている設定では、ノートと共に『interlude』にも登場するようだ。


・F/7シリーズ

 7人の“七腹心”(注:または“人柱”)と呼ばれる遣い手と、真名の頭に“F/7”が付く7体のCATによって構成されるバックアップユニット。
 遊戯が行われる箱庭の構築、及びその維持を行うために常時稼動しているCATで、7体が揃って初めて意味を為す。
 F/7シリーズは、全てフェイズ5特化型で不正操作を得意とする。 そして、7体が相互接続によりリンクする事で、その効果範囲をほぼ無制限に広げる事が出来る。
 F/7シリーズは、

F/7:PHASE:2ex_fr 跫猫(きょうみょう)
F/7:PHASE:3ex_fr 瑕能連火(かのれんか)
F/7:PHASE:4ex_fr 髯婦蒼(ぜんふそう)
F/7:PHASE:5ex_fr 五百枝阿(いおえあ)
F/7:PHASE:6ex_fr 春木盗(はるきどる)
F/7:PHASE:7ex_fr 冬眠鼠(やまね)
F/7:PHASE:5exex_un 不灰(ふはい)

 という7体によって構成され、遊戯が行われる地に密かに潜入、一般人に紛れている遣い手によって常時稼動し、主に箱庭の構築を行う“Cry Until the Twilight of the G(ミミル)”や、遊戯の最中、あるいは遊戯終了後に箱庭全体に大規模なリライトを行う“M(ajor) U(pdate)(ム)”を実行するのに用いられる。
 遣い手は、全員が地元民に完全に溶け込んでおり、また全員が固有の名前を持たない(注:遊戯の度に変わる)ため、遣い手の捜索、発見はほぼ不可能である。
 また、F/7シリーズはフハイを除き、猫のような頭で尾の生えたコケシのような姿をしており、外見からはどれがどれなのか区別が付かない。
 遊戯においては、一般人に危害が及ばないようにするため、また不測の事態が起こった時のために常時稼動させている必要があり、ミルハでもこのCATを任意に利用する事は出来ない。
 そのためカルロサ、あるいはノートの直属としてミルハたちとは完全に分離しているモノと思われる。


飯窪源四(いいくぼ げんし)

真名:―
年齢:??(未AA)
性別:男

 飯窪家の前頭首で、知狡と現実の父。 すなわち真言の祖父である。 本作に登場する数少ない男性キャラクターの一人。
 飯窪家は、魔眼質を継承しているため代々女系一族で、男児が生まれ難い家系である。 そのため、源四も入り婿として飯窪家に迎えられたが、出自や経緯、資質などは設定未公開のため詳細不明。
 登場シーンもワンシーンのみ(注:1章12節)で、もちろん立ち絵もない。
 設定未公開のため、これ以上の事は詳細不明。
 ちなみに、源四の妻で知狡と現実の母親、そして飯窪家直系の女性である真言の祖母は、まだ存命だが本編未登場。 立ち絵ドコロか名前すら出てこない。


7.その他

 本作には、上記以外にも多数のキャラクターが登場する。 しかも、その多くがストーリー上重要なキャラクターばかりである。


大神雪鳴(おおがみ ゆきなり)

真名:―
年齢:20歳(未AA)
性別:男

 真言の親友で大学の同級生。 そして、イツワと共にパラミアキスから萌芽した雄性双体の片割れ。 自称“ゆっきー”。
 関東圏に生まれた大神は、かなり早い時期からオウトとしての自覚を持っていたが、それを隠し、一般人として生きる事に徹した。
 長じて大学に進学した大神は、元々興味があった情報処理系の学科に在籍し、元々ヲタだった関係から、サークルはマンガ、アニメの研究会に所属した。
 が、ココで大神は運命的な“再会”を果たす。
 同じサークルに入った真言と知り合い、真言が自身の分かたれた片割れ、黒のイツワである事を覚り接触。 意気投合し、二人は親友同士になる。(注:当然と言えば当然である。 元々は同一の存在だったのだから、意気投合しない方がおかしい。 もちろん、このタイミングで再会した事自体は、偶然を通り越して運命的である事に間違いはないのだが。 この都合の良さが呼び水たる月の雫)
 しかし大神は、真言がイツワとしての自覚を持っていない事も同時に覚り、自身がオウトである事、そして真言がイツワである事を隠し、単なる同級生同士の友人同士として付き合う。(注:もちろん、オウトはイツワがWCLと関わりがある事を知っており、自身はWCLと関わるのを嫌っていたため、というのもあるだろう。 読者の中には、「知ってたんなら言えよ!」と思った方もいるだろうが、真言がイツワとしての自覚を持っていない時点でネタバレしても、真言には何の事だか理解出来ないので意味が無い。 だから、大神は魔眼質に関しても霊感能力的な説明に止めた。 大神の選択は至極正しい)
 今回の『No.13』の開始後も、そのスタンスは変わらなかったが、幸か不幸か雨山かれおと接触。 恋仲になり、結局WCLと関わる事になる。(注:大神もかれおも、恋仲になった事は大神がオウトであった事とは無関係と言っているが、少なくとも大神には、ある種の打算があったかもしれない。 WCL内ではAAも受けていない新入りで、WCLとカルロサへの忠誠がまだ薄いかれおを抱き込めば、“イザという時”に使えるかもしれないという保険的な打算があった可能性は否定出来ないと思う。 かれおにしても、それは同じである)
 結局、遊戯の終盤になって真言の事を見捨てておけなくなり、玄ノ森へ赴いて直接的に遊戯に関わる事になった。(注:ただし、戦闘には一切参戦せず、もっぱら真言のサポート役に徹した。 個人的には参戦して欲しかった……。)
 遊戯終了後は、WCLを離れる事になったかれおと結婚。 子宝にも恵まれ、自身は同人サークルを主催し人気を得る。
 設定未公開だが、どうやら『interlude』にも登場するコトになりそうだ。
 ちなみに、大神は知り合った相手に勝手に愛称を付けるというクセがある。 自身は“ゆっきー”と呼び、“いーくん”や“萌え店長”、“かれおん”など、大神と接触した人物は必ず彼に愛称を付けられ、その愛称で呼ばれる。
 もちろん、これは大神なりの親愛の情の表れである。
 アダ名とは、友達が名付け親だからだ。


・茶黒のオウト

 パラミアキスから萌芽した雄性双体の内の1体で、現在は大神雪鳴として生きている。
 ガロー神蝕事件直後、パラミアキスは黒のイツワ、そして茶黒のオウトという2体の雄性CATを萌芽した。
 この2体のCATは、どちらも自立型のフェイズ10を有しており、後にイツワから萌芽する事になるWEの内の1体、ベロアと同じく言語による意思の疎通が可能で、遣い手がなくとも独立して動作可能な特殊なCATであった。
 そのため、イツワとオウトは遣い手の居ないまま、しかし自身の意思でLu=Leに与し、その発展に貢献した。
 大封時、イツワはミリアムらの逃亡を助けるためにエンリケと一騎打ちになり、死闘の果てにそのフェイズをズタズタにされながらも相打ちになる。 残ったフェイズ10はなんとかエンリケの亡骸に受肉し、ヒトとして転生する機会を得た。
 一方オウトは、設定未公開のため詳細は不明だが、ともかく大封を逃れ、逃亡に成功し、以降行方不明となる。 そして、D変調によってイツワと同じく、ヒトとして転生する機会を得た。(注:WCLでは、逃亡後D変調に失敗して消失したと考えられていた。 そのため、オウトの捜索は積極的に行われた事がない。 オウトにとっては好都合だった事だろう)
 そして、何度目かの転生の後に依る事になったのが、大神雪鳴である。
 D変調によってCATとしての能力はだいぶ薄れており、せいぜい魔眼質を有している事とフェイズ3が残っている程度で、CATとしての本来の姿も保っておらず、戦闘力は皆無に等しいようだ。
 元々のオウトの能力、及び現在の大神の能力は、設定未公開のため上記以上の事は詳細不明だが、ともかくオウトはヒトに転生し続け、これからもWCLと八相の果て無き遊戯をその内に入る事なく見守っていく事になるだろう。
 あるいはそれは、カルロサが望んで已まない“神の視点”と同義と言えるかもしれない。
 そしてそれは、同時に遊戯からの逃れられない呪縛をも意味していると言える。
 今回の『No.13』がそうであったように、オウトはこれからも、何らかの形で遊戯関わる事になるだろう。


・D変調と循環七音

 循環七音(じゅんかんななおん)とは、CATの状態を表す移相位の事である。
 CATは、最初CATとして召喚、あるいは萌芽し顕現するが、これはCATの一つの形態に過ぎず、変調によってDやEへと移相する。
 この移相位は、楽譜の音階になぞられて7位、プラス3位あるとされており、すなわち、

ド(Cat/猫)(注:意味そのまま)
レ(Dog/犬)(注:意味そのまま)
ミ(Embryo/萌芽)(注:“Embryo”は“胚”の意)
ファ(Fetus/胎児)(注:意味そのまま)
ソ(Gnosis/認識)(注:“Gnosis”はギリシャ語で認識、あるいは知識の意。 グノーシス主義の語源)
ラ(Ant/蟻)(注:意味そのまま)
シ(Bee/蜂、あるいは蜜)(注:意味そのまま)
♭(:F/変)(注:フラット。 楽譜の変化記号のひとつ)
♯(:S/嬰)(注:シャープ。 楽譜の変化記号のひとつ)
__(:N/本)(注:ナチュラル。 楽譜の変化記号のひとつ。 特殊文字のため表示出来ず)

 となる。
 ただし、これは上位移相というワケではなく、DがCより優れているとは限らない。 飽くまでも、移相はそのCATの状態を表すモノであり、レベルやランクの高低とは明確に意味が異なる。
 また、CATはC、すなわち循環七音の最下位だが、C~Bは繰り返し循環するため、最下位であると同時にBから循環する上位と言われている。
 移相のタイミング、あるいは任意/自動、移相する条件などは、設定未公開のため詳細不明だが、ともかく真言はCで、大神はDである。
 また、パラミアキスはEで、本作に登場するこれら以外のCATは全てCであり、G以上は今のトコロ(設定未公開のため)確認出来ていない。
 またこれは、本編中に出てくる“十中七三分式”とも関連があるとされているが、やはり設定未公開のため詳細は不明である。


西石貴奴(にしいし きぬ)

真名:西石音(にしいし おん)
年齢:18歳(未AA)
性別:両性具有

 本作の最重要キーパーソンである貴奴は、真言の幼馴染みである。
 玖威家の婿養子を輩出した事もある家系、西石家に生まれた二人の兄妹(注:あるいは姉弟。 設定未公開のため詳細不明)、芽汰と禍を留。 後に芽汰は玖威家の婿養子に入る事になるが、その直前、二人は禁断の交わりを交わしてしまう。
 近親相姦―。
 その結果、禍を留が身篭ったのが、音であった。
 生まれた音は、近親相姦の子というだけでも鬼子であったが、音はそれ以上の存在であった。
 生まれた音は、女児ではなかった。
 しかし、男児というワケでもなかった。
 両性具有―。
 その事実に、西石家は激震した事だろう。
 西石家は八相七家に数えられているワケではないが、八相七家に近しい家系で、場合によっては八相七家の掟が適用される事もある。 すなわち、“男児が生まれたら産湯に浸かる前に間引くべし”である。 それは、GWの出現を警戒する八相七家において、何よりも厳守されるべき鉄の掟である。
 先にも記したように、西石家は八相七家に数えられているワケではないので、本来であるならこの掟は適用されない。 しかし、音は近親相姦の子で両性具有という極めて稀な存在であったため、やはりGWになる事を懸念して間引かれる事が検討された。
 ……が、これに待ったをかけたのが、八相七家の一人、奇士道具であった。
 道具は、既にAAを受けて子を生さない事を決めていたため、音を引き取り、自身の子として(注:タテマエ上は飽くまでも“後見人”、あるいは“保護者代理”。 飽くまでも法律上の問題に過ぎないが)育てる事を進言した。
 これが受け入れられ、生後間もない音は道具に引き取られ、芽汰と禍を留の二人が音の実の両親である事実はひた隠しにされた。
 数年後、道具はカルロサと結託して幼い真言と冬夏を引き合わせる事になった。 この場で、カルロサは真言と冬夏にCATシロを下賜するのだが、道具はこの場に音を連れていく。 そして、真言に引き合わせた。
 さらに道具は、カルロサが去った後、真言と冬夏が“白の城”に封印したCATシロを音と共に掘り返し、別の場所に埋め戻した。
 音はこの時の事を後々まで鮮明に覚えており、再会した真言に隠し場所を変えた事を手紙で報せた。
 道具の後援で長じた音は、いつの頃からか自身の身体に疑問を抱くようになり、男性体の性徴が残っていた身体を女性体にするため、性転換手術を受ける。
 その結果、男性体の“音”ではなく、女性体の“貴奴”が出来上がった。
 これと前後して(……かどうかは、設定未公開のため詳細不明)、玄ノ森の隣町に住んでいた貴奴は、しかし高校に進学する事なく働きに出る事を決め、道具の口利きで八相七家の一つ、永久家が経営する玄ノ森にある小さな町医者、長久診療所のお手伝いさんとして就職。 診療所を訪れる町の老人たちのアイドルになる。
 しかし、男性体としての資質は失われる事なく、結局貴奴は魔眼質が顕れ、GWとして覚醒してしまう。
 そして、これを待っていたかのように道具は、遊戯開始の直前、貴奴にGWとして八相七家の内の三家、すなわち綾目家、永久家、狩屋家の各頭首を襲わせた。 その結果、綾目家と永久家の頭首は死亡。 狩屋家の頭首は、生きてはいるが重症を負う。
 またこれが理由となり、ミルハは真言にも前入りするように命じ、真言は本来の予定よりも1ヵ月近く早い帰郷を余儀なくされた。
 さらにこれがキッカケとなり、貴奴は真言との十数年振りの再会を果たし、真言の言う“調査”に協力。 シロの隠し場所を変えた事も、手紙で報せた。
 遊戯の終盤、姫様やミルハと接触、交戦になった貴奴は重症を負ってしまうが、遊戯終了後の捜索にも関わらず、貴奴の遺体は発見されず、最終的に“行方不明”として扱われる事になった。
 現在公開されている設定でも定かではないが、結果的に『interlude』、あるいは“次に遊戯”にて再登場する可能性が残された事になる。
 ちなみに、貴奴は劇中、終始語尾に特徴があるおかしな方言(?)を話しているが、これは玄ノ森、あるいはその近隣の方言というワケではなく、克枝語と同じく貴奴独自のキャラクターである。
 セリフによるキャラクターの書き分けの一例である。


・GW

 GWとは、“Green Wood(グリーン・ウッド)”の略である。(注:スペルミス。 正しくは“Green Woods”と複数形で表記すべき。 単数形だと、“緑の樹”という訳にしかならない)
 八相七家には、“男児が生まれたら産湯に浸かる前に間引くべし”という鉄の掟がある。
 八相七家は、元々から魔眼質を継承しているために男児が生まれ難い家系だが、過去にも何度か男児が生まれた事がある。 家系存続のために他の血統と交わった事により、本来の血統が薄まってしまったからだろう。
 しかし、では八相七家に生まれた男児が、魔眼質を持たない無害な存在になるかというと決してそうではなく、むしろGWとなる可能性が極めて高い危険な存在であった。
 そのため、八相七家はGWとなる可能性が高い危険な存在である男児を間引き、危険を最小限に抑える危機管理として上記の掟を定めた。
 事実、この掟のために生まれてくるハズだった冬夏の兄(もしくは弟)は間引かれ、やはり劇中で生まれる予定だった克枝の弟も、姫様の手によって間引かれている。
 では、そのGWとは、結局どういった存在なのだろうか?
 GWという呼称は、主にWCLで用いられている呼称で、八相七家ではGWの事を“身盗りの生やし”と呼んでいる。 この音価をそのままに、表記を変えて“緑の林”。 イコール“GreenWood”、すなわちGWと呼ぶようになった。
 ちなみに、語源である“緑の林”は、旧くは盗賊の異称として用いられた語である。
 その原語、すなわち“身盗りの生やし”という表記からも分かる通り、GWとは“その身を盗る存在”、すなわち本来の人格とは異なる別人格。 多重人格症(注:正しくは解離性同一性障害)における人格交代にも似た症状を見せ、文字通りその身を“乗っ取って”しまうのである。
 そして、その身を乗っ取るのは、なんとCATなのである!
 すなわちGWとは、生まれながらにして魔眼質の資質とCATとしての能力を有した、“ヒトの姿をしたCAT”なのだ。
 もちろん、基本ベースはヒトなので、遣い手がなくとも独立して動作し、CATとしての能力もほぼ任意で遣う出来る。
 しかも、CATがヒトに受肉して成ったというワケではないため、CATだけを切り離して封紙する事も出来ない。(注:少なくとも、テトライでは出来なかった。 3章41節参照)
 これが危険でないワケがない。
 CATの能力にもよるが、スタンドアローンで制御不可能な兵器は、それが何であれ脅威でしかないからだ。
 そのため、八相七家に生まれた男児は往々にしてGWとなる可能性が極めて高いため、八相七家には先の掟が存在し、WCLもGWの出現は歓迎していないが、道具(と、カルロサ)にはこの存在が必要だった。 八相七家ともWCLとも異なる存在であるGWは、遊戯を意図した方向に向かわせるのにうってつけの不確定要素だったのである。
 だから、道具は音を引き取り、GWである事をひた隠しにして育て、そして遊戯に投入したのである。
 音の場合、八相七家の玖威家と関連がある西石家に生まれた関係から、六相クイの能力が顕現するが、覚醒する能力はどうやら血統と関係があるようで、GWが必ずしもクイの能力を顕現するとは限らないようだ。
 設定未公開のため詳細は不明だが、GWは一様に肉体を持っている分、その能力に関係なく、CATとしてはかなり“しぶとい”ハズである。
 だから、出現するとウザいので、ミルハもGWの出現はご遠慮願いたいのである。


西石芽汰(にしいし めいた)

真名:―
年齢:??(未AA)
性別:男

 音=貴奴の実の父親。
 設定未公開のため経緯は不明だが、実の兄妹(or姉弟)である西石禍を留と交わり、その結果として禍を留は音を生む。
 音が生まれた直後、事実隠蔽のために音は道具に引き取られ、実の父親である芽汰は八相七家、西部三家の内のひとつ、玖威家に婿養子に入る。
 その結果、数年後に価無が生まれた。
 音と価無は、すなわち異母兄妹なのである。
 本編では、セリフはあるがワンシーンのみの登場(注:2章31節)で、もちろん立ち絵もない。
 これ以上の事は、設定未公開のため詳細不明。


西石禍を留(にしいし かをる)

真名:―
年齢:??(未AA)
性別:女

 音=貴奴の実の母親。
 設定未公開のため経緯は不明だが、実の兄妹(or姉弟)である西石芽汰と交わり、その結果として禍を留は音を生む。
 音が生まれた直後、事実隠蔽のために音は道具に引き取られ、実の父親である芽汰は八相七家、西部三家の内のひとつ、玖威家に婿養子に入る。
 その結果、数年後に価無が生まれたが、禍を留がその後どうなったかは、設定未公開のため全くの不明。
 本編では、道具と芽汰の会話中(注:2章31節)に名前が出てくるだけで、禍を留本人は未登場。 立ち絵ドコロかセリフもない。
 これ以上の事は、設定未公開のため詳細不明。


飯岡真魅(いいおか まみ)

真名:飯窪真言
年齢:16歳(という設定)
性別:女装男子

 ハチミツぶんぶん潜入に伴い、真言が止むに止まれず女装した時の偽名。 真言曰く、真言と門王水の名前を即興的にごっちゃにした名前なんだとか。
 真言の女装は相当に似合うらしく、本編にはヘナ絵(注:しかも後姿のみ!)しか登場しないが、小冊子に掲載されたイラストを見る限り、似合ってるを通り越してミルハが言う通り完全な女子である。
 正直筆者は好みのタイプ。(笑)
 いやもう男子でも全然イケるね! それはそれでキモチ良さゲフンゲフン。 ……いやいや、そうでなくてね?(´・ω・`)
 いずれにしても、近年のマンガ、特に四コママンガでも定番設定になりつつある女装男子、いわゆる“男の娘”だが、本編にイベントカットが出てこないのが悔やまれて仕方がない……。つД`)°。


 というワケで、以上キャラクタープロファイルでした。
 長かった……。つД`)°。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



Thanks for youre reading,
See you next week!

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273.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:WCL2章⑤

2013年11月10日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

-"Sight of OMEGA" Ultimate Analyse #27-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 中国が大変なコトになってきましたね。 天安門に続いて、今度は党本部ですってよ奥さん!
 結局のトコロ、中央政府のやり方に反発しているのは、民主化団体だけではないという事で、もしかしたら民主化勢力もこれに便乗して動くかも?
 いずれにしても、“話し合いによる平和的解決”というワケにはいかんでしょうな。
 だから尖閣諸島なんかにかまってる時じゃないのだよキミタチは!



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは、『アルティメット・アナライズ』シリーズ第4弾、同人ヴィジュアルノベル『Omegaの視界』の徹底解説連載第27回です。
 キャラクタープロファイルはまだまだ続く!


尾張みみみ(おわり みみみ)

真名:WC_B:Ender:333/ファイナ・オル
年齢:―(AA済)
性別:女

 遊戯におけるWCL実戦闘部隊、“四重奏団”で魔眼の刺し手を担当する魔眼質者。
 まだES体制が布かれていなかった頃のLu=Leに加盟していたオル家に、待望の我が子が産まれた。 両親は、産まれてきた愛娘にファイナと名付け、可愛がった。
 ……しかしその直後、オル家に最悪の悲劇が訪れた。
 ガロー神蝕事件―。
 パラミアキスの継承者候補であった魔眼質者、ガロー・ツェロ・ルーが、保管されていたパラミアキスに無断で接触。 神蝕を受け、暴走するという大事件が起こった。
 最終的に、暴走したガローをエンドルが休眠させた事によって事件は収束に向かったが、この暴走事件で数名の魔眼質者が巻き込まれ、その中にはファイナの両親も含まれていた。
 ファイナは、幼くして天涯孤独の身の上となってしまったのだ。
 これを見かねたガローの姉妹、ダーカ・イァンナ・ルーは、罪悪感もあったのかファイナを引き取り、その成長を見守った。
 ダーカに見守れながら成長したファイナは、次第に魔眼質者として高い資質を見せるようになっていった。 既にダーカが暴走事件後にESに加盟していた事実を加味すれば、いずれはダーカの後援によってLu=Le内でも比較的地位の高い役職を担っていたのではないだろうか?
 しかし、ココで再び悲劇がファイナを襲う。
 世に言う大封、カルロサの謀反である。
 その結果、ダーカは捕らえられCATを封紙、剥奪された上に、強制改宗されてしまう。 これに伴って、ファイナも同じく捕らえられ、強制改宗を受ける事になった。
 こうして、ダーカとファイナはWCLに与する事になり、ダーカには剥奪されたCATが再び下賜され、カヴンに組み込まれる事になった。
 そしてファイナは、大封時にイツワとの死闘によって倒れたエンリケに代わる魔眼の刺し手を人工的に生み出す研究機関、エンダーに組み込まれ、その資質を強化されて“Ender:333”という真名を与えられた。
 ファイナことEnder:333、和名を“みみみ”と名付けられた少女は、人工的な魔眼の刺し手としてテトライを下賜され、カヴンと共に編成された四重奏団のフォワードとして、以降遊戯の実戦闘部隊として活躍する事になったのである。
 かなり早い時期にAAを受けたのか、幼さが残る顔立ちと低身長が外見的特徴。 その姿を初めて見た大神に、“元気ロリ娘”と呼ばれる。(注:2章04節)
 また、ファイナは過去に置き去りにされた経験(注:これに関しては本編中には詳しい描写が無く、設定も未公開のため詳細不明)があるらしく、それがトラウマとなっており、“待たされる”という事を酷く嫌うようになった。 そのため、ねこざんまいでの待機中はヒマを持て余し、かれおやダーカの手を酷く煩わせた。(注:3章20節)
 ちなみに、和名の“尾張”はオワリ、すなわちエンダーに由来し、“みみみ”はファイナのエンダーナンバー、333に由来するのは説明するまでもないと思うが、……それにしても“みみみ”て……。 ちょいとテキトー過ぎやしませんかえミルハ殿?


・Ender

 WCL内に設立された一種の研究機関で、“エンダー”と読む。 “終わらせる者”という意味の造語。
 大封時、Lu=Leの魔眼質者たちを次々と襲い、そのCATを封紙、回収した初代の魔眼の刺し手、エンリケは、しかしミリアムらを逃がすためにエンリケの前に立ち塞がったCAT、イツワとの死闘の末に倒れ、その肉体をイツワのイーハに乗っ取られ、事実上エンリケは死んでしまう。(注:ただし、その肉体はイツワによってしばし存続し、最終的に飯窪家の祖となった後にこの世を去る)
 そのため、男性魔眼質者にしか遣う事が出来ないIgは、遣い手の無いまま保管され、後に飯窪家の家宝となったが、CATを封紙するためにはIgが必須で、後に繰り返し行われる事になる遊戯の主目的がCATの封紙、回収にあるのであれば、魔眼の刺し手もまた必要不可欠な存在である。
 遊戯を開始するには、女性魔眼質者でも遣う事が出来るIgの開発と、このIgを遣える魔眼質者の視出は、WCLとカルロサにとっては急務だった。
 そこで設立されたのが、このエンダーという機関である。
 エンダーの主目的は、本来は男性の魔眼質者でなければ親和しないという致命的な欠点があるIgを改良し、女性魔眼質者でも遣えるIgを開発する事と、そのIgを遣ってCATの封紙を行う魔眼質者の視出にある。
 設立からほどなくして、IgはTYPE・MEGA‐Dの機能限定下位互換版であるTYPE-E、テトライが完成したが、問題はこれを使う魔眼質者の方であった。
 設定未公開のため詳細は不明だが、結局テトライを遣える魔眼質者は視出出来ず、可能性のある魔眼質者を強化する、という方針に転換され、魔眼の刺し手を言わば人工的に“製造”するという方向性に改められた。
 しかし、開発は失敗を繰り返し、開発チームは試行錯誤を余儀なくされた。
 が、その結果、第3世代目(注:エンリケを第0世代とする開発プロセスの世代。 メジャーアップデートのバージョンナンバーの事)にしてようやくテトライを遣える魔眼質者に強化する事に成功の兆しが見え、第3世代33番目の検体であったファイナが、テトライを遣える最初の(?)人工的な魔眼の刺し手として“製造”されたのである。
 要するにアレだ。 『ガンダム』に登場する“ニュータイプ研究所(ムラサメ研究所)”だ。 みみみは、言うなればフォウ・ムラサメやエルピー・プルなワケだ。
 ちなみに、現在公開されている設定では、みみみはリライトを受けて『interlude』にも登場する。


・Ig:TYPE・E“テトルジャトートリス”

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は尾張みみみ。
 CATを封紙する魔眼の刺し手に不可欠なCAT、Igは、しかし“男性魔眼質者にしか親和しない”という致命的な欠点があった。 元々魔眼質は男性には発現、継承され難い資質で、現在のWCLはもちろん、八相七家を構成している魔眼質者もその全てが女性である。
 この欠点を改善し、女性魔眼質者でも遣えるIgを開発、運用する事は、唯一のIgの遣い手であったエンリケ・ファ亡き後のWCLにとってはまさに急務であった。
 そうして、エンダーという研究機関が設立され、Igを遣える人工の魔眼の刺し手の“製造”が始まった。
 その過程で開発されたのが、このIg:TYPE・E“テトルジャトートリス”、通称“テトライ”である。
 名目上はオリジナルのIg、TYPE・MEGA‐Dの欠点を補った“アップグレード版”とされているが、実際にはTYPE・MEGA‐Dを女性魔眼質者でも遣えるように機能制限した下位互換版、すなわち“ダウングレード版”である。
 その通り、テトライには様々な点でTYPE・MEGA‐Dとの相違が認められる。
 例えば、その姿。
 一見するとTYPE・MEGA‐Dと瓜二つの姿をしているが、TYPE・MEGA‐Dが仮面という形で無機物に受肉しているCATだったのに対し、テトライには実体がない。 Igとしての姿が認められるのは、起動時においてのみである。 またその動作時も、仮面ではなく手甲として動作、遣い手に装備される。
 また、TYPE・MEGA‐Dにある遣い手とCATとのリンクを断つ機能もない。 そのため、リンクを断ってCATだけを捕獲、封紙、回収するという事が出来ず、封紙を実行する際はフロクシルやババッカナーリャガーといったカヴンが遣うCATのバックアップを随時必要とする。 封紙の処理速度も、TYPE・MEGA‐Dには大きく劣るようだ。
 遣い手であるみみみ自身は、テトライの事を“バグフィックスされた完成版”と呼んでいるが、そんな事はない。 “完成版”であるなら、女性魔眼質者でも遣えるようにした上で、プロトタイプであるTYPE・MEGA‐Dよりも高性能でなければそうとは呼べない。
 ならば、現状でそのレベルを達成出来ていないテトライは、やはりTYPE・MEGA‐Dの下位互換版、機能限定劣化版、ダウングレード版と位置付けるのが正しいのではないかと思われる。
 現在公開されている設定では、遣い手であるみみみと共にリライトを受けて『interlude』にも登場するようだ。


・四重奏団(カルテット)

 そのエンダーと共にカヴンから選出されたメンバーでパーティーを組み、対象の捕獲とCATの封紙、回収を行う4人組の実戦闘部隊。 それが、この四重奏団である。
 前記した通り、エンダーはエンリケに変わる魔眼の差し手を人工的に創り出す魔眼質者の強化を主目的とした研究機関である。
 しかし、女性魔眼質者でも遣えるように調整されたIg、テトライは、TYPE・MEGA‐Dほどの性能がなく、加えて強化されたエンダーナンバー、特に、元々高い資質を持っていたハズのファイナを以ってしても、エンリケには遠く及ばない性能しか発揮出来なかった。
 そこで、不足しているエンダーの能力を補い、複数の魔眼質者で編成されたパーティープレイというシステムが考案された。
 その結果生まれたのが、この四重奏団である。
 実際に封紙を行うエンダーを中心に、カヴンから選出された3人の魔眼質者とそのCATにそれぞれの役割が与えられ、4人一組で対象のCATを封紙、回収する事を可能にした。
 このシステムが考案された事で、テトライとエンダーはようやく人工的な魔眼の刺し手としての真価を発揮し、過去の遊戯において大いに活躍したのである。
 ……が、4人もの魔眼質者を同時に行動させなければならないという非効率的なシステムのある種のコストパフォーマンスの悪さは否めず、『No.13』では飽くまでもイツワ覚醒までの繋ぎ、あるいはイツワが覚醒しなかった場合のバックアッププランとして運用され、ファイナの勝手な行動による損害もあり、大した活躍の場もないままに遊戯が終了した。
 現在公開されている設定では、メンバーもそのままに『interlude』にも登場するようだ。


愛染アイ(あいぜん あい)

真名:WC_STG:Iron/ダーカ・イァンナ・ルー
年齢:―(AA済)
性別:女

 カヴンに所属し、遊戯におけるWCLの実戦闘部隊、“四重奏団”では主に場の構築、結界の展開を担当する魔眼質者。 そして、旧Lu=LeにてWEを下賜されたESの一人でもある。
 ダーカの生家であるルー家は、Lu=Leの重職を担う高位の魔眼質者を多数輩出してきた名家で、ダーカも先天的に高い資質を有していた。
 しかし、ダーカよりも優れた資質を持っていたのが、ダーカの実姉妹であるガローであった。 そのため、ガローは始祖アリス亡き後、複数の魔眼質者によって継承されてきた原初のCAT、パラミアキスの数代目の継承者候補に選ばれるという名誉を賜る。
 しかしこれが、悲劇の始まりになるとは誰も予想しなかった。
 ガロー神蝕事件―。
 ガローは、パラミアキスの継承者を選出するための公式審査の直前、保管されていたパラミアキスに無断で接触。 神蝕され、暴走するという大事件を起こした。
 最終的に、エンドルによってガローは休眠させられるが、暴走中に数人の魔眼質者を巻き込むという痛ましい事件になった。
 そして、暴走の犠牲となった魔眼質者の中には、生まれて間もないオル家の娘、ファイナの両親も含まれていた。
 ダーカは、休眠したガローの責任を取る形でファイナを引き取った。
 ファイナを引き取ったダーカは、しかしダーカ自身には何の責任もなかった事が幸いし、ダーカはWEの1体を下賜され、ESに加えられるという名誉を賜る。 しかもこれは、第4位という比較的高位での抜擢であった。(注:恐らく、ガロー神蝕事件によって高位の魔眼質者が亡くなったためと思われる。 設定未公開のため詳細は不明)
 ESの一人として、Lu=Leの発展に貢献していたダーカだったが、その日々は突然の終焉を迎える。
 世に言う大封、カルロサの謀反である。
 ダーカは、ESの一人としてその重要なターゲットになった。
 他のESと同じく、劣勢を悟ったダーカは逃亡を試みる。 が、まだ幼かったファイナを擁していた事もあり、逃げ遅れ、ついには捕らえられる。
 改宗か殉教か。
 捕らえられ、選択を迫られたダーカは、改宗を選択した。(注:筆者の想像だが、ファイナがまだ幼かった事もあり、ファイナの事を優先したためと思われる。 そう考えると、本編中に描かれているファイナに対して異常なほど過保護なダーカの様子にも納得がいくのではないだろうか? また、ダーカに甘やかされて育ったファイナが、あーゆー性格になってしまったのにも説明が付くように思われる)
 改宗したダーカには、“WC_STG:Iron”という真名(注:Ironは“アイロン”、または“アイアン”と発音し、“鉄”の意である。 容姿に似つかわしくない真名である)を賜り、和名を“愛染アイ”と呼称された。(注:苗字の愛染=アイゼンも、ドイツ語で鉄の意)
 そして、四重奏団を形成するためのカヴンに加えられ、元々アイが遣っていたWEの第4位、マラキタルシシム(改宗後は“v☆”)を下賜され、みみみがフォワードを務める四重奏団に編成された。
 今回の『No.13』では、カルロサの密命を受けたノートの接触を受け、ミルハをアッサリ裏切った。(注:本当の主がミルハではなく、カルロサである事を再認識したため) そして、一時的にではあるがミリアムを助ける事になった。(注:4章51節)
 しかし、それは飽くまでも本当の主であるカルロサの命令に従ったからであり、ある意味カルロサへの忠誠を示した行動と言える。 ミリアムを助けたのは、飽くまでも形の上でそうなっただけである。
 そのため、アイは『interlude』にも重要なキャラクターとして再登場する。
 ちなみに、アイがかけているメガネについてだが、いつ頃からかけているのかは、設定が公開されていないので詳細不明。 また、大神はこれを指してアイの事を“ツン眼鏡”と呼んだ。


・Coven(カヴン)

 Covenとは、魔女術(ウィッチクラフト)において魔女の集団、団体、集まりを指す語である。
 元々は複数人の魔女を指す語として定義されており、人数の定義はなかったが、魔女術が現在の近代魔女術(ウィッカ)に発展したのを皮切りに、“13人構成”という人数の定義が定めらた。
 本作に登場するカヴンは、しかし設定未公開のため正確な人数が不明だが、13人もはいないのではないかと筆者は考える。(注:13人ものキャラクターを設定するなんてどれだけ大変な事か!)
 さて、本作に登場するカヴンは、単に魔女の集団という以上の意味がある。
 WCL創設後、カルロサは倒れたエンリケに代わる魔眼の刺し手を“製造”するため、エンダーという機関を設立したが、エンダーによって製造されたIgと魔眼の刺し手は、しかしエンリケに劣るモノでしかなく、単体での運用は難しかった。
 そこで、エンダーを補佐し、エンダーを魔眼の刺し手として機能させるためのバックアップ要員を育成、編成する目的で設立されたのが、件のカヴンという機関である。
 カヴンに組み込まれた魔眼質者は、それぞれにエンダーを補佐するのに必要な特化能力を有したCATを下賜され、遊戯毎に選出され、“四重奏団”という実戦闘部隊を構成するパーティーを組む。
 四重奏団は、その名の通り4人編成のパーティーであるため、必然的に編成されるエンダーを除き、四重奏団に編成されるカヴンは、常に3人である。
 その3人は、先にも述べたようにエンダーの補佐を行うためのCATを下賜されており、それぞれに明確な役割分担がある。
 ただし、四重奏団に編成されるカヴンは、どうやら遊戯毎に流動的に編成し直されるらしく、固定メンバーというワケではないようだ。(注:設定未公開のため詳細不明)
 今回の『No.13』では、エンダーを努めたファイナとの相性からか、個人的にファイナと関係の深いダーカ・イァンナ・ルー(場の展開、結界構築と防御を担当)、セマ・ルグルヴァ(主にprot-einの作成を担当)、そしてロヴェス・ネヘハ(対象の捕縛を担当)が編成された。
 四重奏団は、遊戯毎に定められたターゲットに攻撃を仕掛け、そのCATを封紙、回収するのがその主な任務である。
 従って、遊戯開始時は所定の場所で待機し、指揮官であるミルハの命令で目的地に向けて出撃。 四重奏団がターゲットのCATを封紙、回収に成功すれば遊戯は終了となるため、常に遊戯終盤にしか活躍の場が無い。
 特に、今回の『No.13』では、本来の魔眼の刺し手であるイツワが覚醒し、ミルハと直接戦闘になったため、四重奏団は大した活躍の場も無く遊戯が終了した。
 しかし、『No.13』の終了に伴い、イツワがD変調したため、再び不在になった魔眼の刺し手の代替として、『interlude』では再び活躍の場が与えられる模様。


・WE:4=マラキタルシシム(v☆)

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は愛染アイ。 元々は、Lu=Leが保有しESメンバーに下賜されたWEの内の1体で、第4位だった。
 ガロー神蝕事件直後、パラミアキスから萌芽した8体のCAT、WEの内の1体で、ESへの加入を賜ったダーカに下賜されたCATが、このマラキタルシシムである。
 何かに喩えようもない独特の風貌を見せる姿をしているが、この外見は言わば“服”で、CATの本体は口のようにも見える裂け目から見えている双眸の方である。 言われてみれば、衣服の下に除く4本足と尾は、確かに猫のそれである。
 ……が、それにしてはやけに首が長過ぎないか?
 首長族ならぬ首長猫?(笑)
 それはともかく、マラキタルシシムは元々からフェイズ2特化型で、場の展開、無関係の一般人を巻き込まないようにするための結界の構築を行う“PPP(Pass us, Please don't catch me, Peekaboo)”や、あらゆる攻撃を防ぐ鉄壁の盾、不可侵領域を展開する“V_al-kyrie☆”を得意とし、極めて高い防御力を有する。 その通り、遣い手であるアイが編成されているパーティープレイによる魔眼の刺し手、四重奏団のおいては、場の展開と封紙中に無防備になり易いエンダーの護衛を担当する。
 この他に、フェイズ5、7、9にも比較的高い能力を有しているが、本編中にはこの辺りの詳しい描写が無いため、その実力の程は未知数である。
 大封後、遣い手と共にWCLによって捕獲、封紙、回収されたマラキタルシシムは、同じく捕獲されたダーカと共に改宗を受け、その呼称を“v☆”(注:ファイ(ヴ)スタァ、ぶいっ☆、ヴァーチュラクドスターなど複数の読み方があるが、単純に“ヴィ・スター”と呼んでしまって構わないと思う)に改変され、元々の遣い手であったアイに再び下賜された。
 現在公開されている設定では、『interlude』にも同じくアイのCATとして登場するようだ。


酒井アルコ(さかい あるこ)

真名:WC_HTG:Call=R=W/セマ・ルグルヴァ
年齢:―(AA済)
性別:女

 カヴンに所属し、遊戯におけるWCLの実戦闘部隊、“四重奏団”では主にprot-einの生成、特にAnchorの作成と投錨を担当する魔眼質者。
 設定未公開のため出自は不明だが、WCL創設後にその資質を視出され、カヴンに配属。 CATババッカナーリャガーを下賜された。 今回の『No.13』では、アイ、サクラと共に四重奏団に配属される事になった。
 薄く開かれた目と無感情な無表情のため、思考が読めない様子から大神には“おっとり不思議ちゃん”と言われたが、実際にはそんなコトはなく、思った事をハッキリと言う性格で、言動もごく普通。 電波っぽい思考は全く見られず、サクラと共に変人揃いのWCL内では比較的ニュートラルな常識人である。
 これ以上の事は、設定未公開のため詳細不明。
 なお、アルコは『interlude』にも登場する。


・ババッカナーリャガー

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は酒井アルコ。 名前が長いため、“ババ”と略して呼称される事が多い。(注:酒露婆神、バカスモウター、ニャ=ダバロ=ウルルゥなど、他にもいくつか呼称が確認されているが、本編にはいずれも未登場)
 ベロアにも似た容姿で、体格に合わない長い尾が特徴的だが、それより何よりババの容姿を特徴付けているのは、その両手に備えられた一対の大砲である。
 ババは本来、フェイズ4に特化したCATで、その通り四重奏団ではprot-einの生成(注:技名“L-aterna M-agika & S-urrealisme”)を担当する完全な後方支援型である。
 特に、対象に打ち込んでその所在を把握するための発信機の役割を担うprot-ein、Anchorの作成を得意としているが、八相のように射手が他にいないため、Anchorの射出はババ自身が行う。(注:技名“PBGJ”)
 そして、その時に利用するのが、両手の大砲なのである。(注:先ほど記した異称の一つ、“バカスモウター”の“モウター”は、電気モーターではなくMortar=迫撃砲の意と思われる)
 しかし、その役割に専念しているためか、遣い手のアルコはprot-einの開発にそれほど積極的ではなく、本編中にもAnchor以外のprot-einを作成、または使用する描写は無い。
 他に、フェイズ1と2にも比較的高い調整がされているが、やはり本編中にはこれを裏付ける描写が無く、実力の程は未知数である。
 現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するようだ。


木加サクラ(こが さくら)

真名:WC_MP:Sheckle/ロヴェス・ネハヘ
年齢:―(AA済)
性別:女

 カヴンに所属し、遊戯におけるWCLの実戦闘部隊、“四重奏団”では主に対象の捕縛を担当する魔眼質者。
 設定未公開のため出自は不明だが、WCL創設後にその資質を視出され、カヴンに配属。 CATフロクシルを下賜された。 今回の『No.13』では、アイ、アルコと共に四重奏団に配属される事になった。
 大神には“暴力女”という失礼極まりない印象を持たれたが、浅黒い肌と厚い唇、ダイナマイトなスタイルという、かれおとはまた違った魅力がある容姿。 しかし、どうやら本人はまだ不満らしい。(注:3章20節参照)
 言動、及び思考は、アルコと同様に比較的ニュートラルな常識人と言える。
 これ以上の事は、設定未公開のため詳細不明。
 なお、サクラは『interlude』にも登場する。


・フロクシル

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は木加サクラ。
 絞首様、クリオネゴとも呼ばれるが、本編ではどちらも未登場。
 ペイルホワイトにも似た容姿をしているが、決定的に異なるのは背中から伸びた尾である。
 注連縄に付いている紙垂にも似たこの尾は、対象を絡め捕るための鎖として機能する。
 そのため、フロクシルは対象の捕縛に特化しており、フェイズ1と7、次いで2と5に高い調整がされている。(注:これらのフェイズを組み合わせる事で、捕縛の鎖として機能しているモノと思われる)
 そしてその通り、四重奏団では対象の捕縛を担当しており、中~遠距離の対象を捕縛する“BOND-AGE”と、近距離の対象を捕縛、あるいは近距離の攻撃を防御するオートガード機能でもある“口中六角”(注:頭部が割れて6本の触手が飛び出し、捕縛、あるいは防御を行うらしい。 本編未登場)を得意とする。
 今回の『No.13』では、ミルハの召集を受けて四重奏団一同で玄ノ森に到着した瞬間にイキナリ音に接触。 交戦となり、フロクシルはその一部を音のクイに喰われて損傷してしまうという失態をやらかした。
 現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するようだ。


五六禅(ごろく ぜん)

真名:WC_CTL:Zenon/ヤーマ・マーヤー
年齢:―(AA済)
性別:男

 WCLに所属する魔眼質者で、CATペンパラミータの遣い手。 そして、ねこざんまいに常駐するミルハの執事兼雑用係。 そのため、真言も一度だけだが会った事がある。
 出自や経過は設定未公開のため不明だが、本作に登場する数少ない男性魔眼質者の一人だが、テトライすら下賜されていない事から、その資質は比較的低いモノと思われる。
 WCLに加入、もしくはAAを受けたのが遅かったのか、容姿はおおよそ初老の域に差し掛かっていると思われる外見で、その外見通り常に沈着冷静。 落ち着いた大人といった印象がある。
 真言のバイト先でミルハが店長を務める古本屋、ねこざんまいに常駐するミルハの執事兼雑用係という立場もあってか、誰に対しても丁寧な、それでいてやや古風な敬語を話す。
 設定未公開のため、これ以上の事は詳細不明だが、現在公開されている設定では、禅は『interlude』にも登場するようだ。
 ちなみに、“禅”とは仏教用語の“禅”に由来する。
 正確には“禅定(ぜんじょう)”といい、サンスクリット語の“dhyaana”の音写と意訳を合わせた複合語。 精神統一による瞑想によって心理を観察する事、またそれによって心身ともに動揺のない、安定した状態を指す。
 そして、この禅定によって心を乱されない力を定力、あるいは禅定力と呼ぶ。(注:だから、ペンパラミータの設定があのようになった。 詳細は下記参照)
 実は、“三昧”の同義語なんだそうな。(注:“三昧”も本来は仏教用語で、同じ事を何日間も続ける修行を指す語。 常坐三昧、法華三昧など。 これが転じて、放蕩三昧や贅沢三昧といった、“~しっぱなし”という意味で用いられるようになった)
 また、真名の“Zenon(ゼノン)”は、禅の英語訳(zen)に引っ掛けた名前で、ポーランドなどの東欧系の男性名。


・ペンパラミータ

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は五六禅。
 五波羅密、梵四有弥栄、Dharma・Karmanとも呼ばれるが、いずれも本編未登場。
 数字の8にも似た容姿で、頭部には後光にも似た輪を有する。 他のCATと比較して、比較的ヒトに近い容姿と言えるかもしれない。
 出自、経緯については、設定未公開のため詳細不明だが、少なくとも禅に下賜されて以降は、遊戯に実戦投入されたという記録がないようだ。 今回の『No.13』でも、結局使われないままに終わっている。
 それというのも、ペンパラミータは極めて特殊なCATで、フェイズ6特化型の十全のCATであるにも関わらず、喰った対象の能力を消化吸収する事が出来ない。 また、フェイズ6以外のフェイズにもほとんど調整がされていないらしく、能動的に攻撃する事が出来ない。
 ないない尽くしのCATだが、ペンパラミータにはこれを補って余りある極めて特殊な能力がある。
 なんと、ありとあらゆる攻撃をフェイズ6によって“一時的に”吸収、無効化し、さらにこれを相手に反射する事が出来る(注:技名“みずは凡に還る”)のだ!
 すなわち、相手の攻撃力が高ければ高いほど、ペンパラミータも受動的に高い攻撃能力を得る事が出来るのである。
 一見便利なこの能力は、しかし遊戯においては決定的な戦力差を生む要因ともなり得るので、バランスブレイカーになる懸念から実戦にはほとんど投入された例が無く、常にバックアップとして配置されるのみである。
 一説には、ミルハの全力攻撃さえも反射可能と言われており、敵(注:この場合は八相)の手に渡るリスクを回避するための後方配置とも考えられる。
 また、この極めて特殊な能力のため、ペンパラミータはルーラー・オンリーに指定されているとも言われている。(注:遣い手の禅は、これを否定しているらしい)


白雨カゲロウ(はくう かげろう)

真名:WC_NK:AntLion/イヴァ・ザラストラ
年齢:―(AA済)
性別:男

 WCLに所属する魔眼質者で、CATコモンマイトサスの遣い手。 NKのA。
 禅と同じく、本作に登場する数少ない男性魔眼質者の一人だが、やはりテトライすら下賜されていない様子から、その資質はそれほど高くないモノと思われる。(注:カゲロウは、コモンマイトサスをリンカブル・フォームによって遣っているらしい)
 禅よりは年若いように見えるが、青白い顔色とこけた頬、三白眼の眼つきなどのマイナス要因により、不健康で年齢よりも老けた印象が残る風貌と言える。
 もちろん、AA済みなので年齢など飽くまでも見た目だけのモノでしかないが……。
 ただ、その容姿に反して(?)、言動や思考は禅と同じく落ち着いた大人といった印象で、決して悪くはない。
 中身を見てもらう前に容姿で損しているタイプ。(笑)
 いずれにしても、設定未公開のためこれ以上の事は詳細不明。 現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するらしい。
 ちなみに、真名の“AntLion(アントライオン)”は、そのまま昆虫のカゲロウ(注:正確にはウスバカゲロウ科。 この幼虫が、いわゆるアリジゴク)の意。


・NKナンバー

 NKナンバーとは、WCLが行う遊戯において、言わば“事後処理”を行う特殊部隊の呼称である。
 メンバーはほとんど固定だが、どうやらカヴンから選出されているようだ。
 遊戯の最中、無関係な一般人などに何らかの被害が及んだ際、これを隠匿、隠滅を含めた不正操作を行う事に特化したCATとその遣い手によって構成され、遊戯の痕跡を失くすのが、その主な目的である。
 要するに、いわゆる“掃除屋”である。
 証拠の隠匿、隠滅の方法はCATと遣い手によって様々だが、今回の『No.13』では、対象の記憶の強制消去を行うCAT、コモンマイトサスとその遣い手である白雨カゲロウ(A)。 対象の完全な隠滅を行うCAT、ライヒェンカチュとその遣い手、八重洲うら(B)。 そして、対象に対する制裁を行うCAT、スロタラスモルトとその遣い手、水小月シカネ(C)がNKナンバーとして派遣された。(注:この3人をまとめて、“NKのABC”と呼ぶ)
 しかし、NKナンバーが動くという事は、=カルロサによって定義された遊戯のルールが正しく守られなかった事でもあるため、これまでの遊戯でもNKナンバーが動いた記録はほとんどない。 実際、今回の『No.13』でも、動く事なく遊戯が終了した。
 NKナンバーの稼動は、同時に遊戯に致命的なミスが出た事と同義であるため、カルロサやミルハにとっても彼らの稼動は“無いに越した事は無い”と考えているのかもしれない。


・コモンマイトサス

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は白雨カゲロウ。
 誘裂圧、アトビサリとも呼ばれるが、どちらも本編には未登場。
 鳥類にも似た二本足と長い首、小さな頭部という姿をしているが、このCATを特徴付けているのは、なんと言っても小さな頭部とは不釣合いなほどの、長く伸びた巨大なアゴである。
 この容姿からも分かる通り、コモンマイトサスはフェイズ6特化型で、対象を喰う事が出来る。 が、ペンパラミータと同じく消化吸収は出来ない。
 コモンマイトサスは、フェイズ6の他にフェイズ5にも高めの調整がされており、喰った対象に不正操作を行う事(注:技名“視る眼コレを”)が、その主な役割だからである。
 とはいえ、不正操作自体はタマズサほど高性能ではなく、むしろ不正操作の能力は極めて低く、また雑である。
 主に、対象の記憶を強制消去、すなわち“記憶を喰う”事によって不正操作を施すのだが、ほとんどの場合、対象は廃人化してしまうと言われている。
 そのため、どちらかというと遊戯中に誤って関係してしまった部外者への措置、というよりは、不正行為や裏切り行為を行った同胞に対する処罰(注:Lu=Le、及び八相におけるベロアの存在に近い)の意味合いが強いように思われる。
 いずれにしても、ペンパラミータと同じくコモンマイトサスも今回の『No.13』を含めた過去の遊戯において、ほとんど稼動した記録がないため、その実力の程は未知数である。
 現在公開されている設定では、遣い手であるカゲロウと共に『interlude』にも登場するそうだ。


水小月シカネ(みおづき しかね)

真名:WC_NK:-cide/??
年齢:―(AA済)
性別:女

 WCLに所属する魔眼質者で、CATスロタラスモルトの遣い手。 NKのC。
 今回の『No.13』の期間中、ねこざんまいに常駐した待機組の中でも極めて“特殊”な人物。
 容姿や服装が多少ハデ、という程度で見た目的にはそれほど“特殊”な印象はないが、思考が極めて愉快主義。 自己中心的とは言わないが、自身の価値観に絶対的な自信を持っており、その価値観に合わない対象に対しては決して容赦しない。 また、容赦しない事を楽しんでいるトコロがあり、なおの事タチが悪い。
 不愉快な事に対してストレスを感じ、それが一定以上溜まるとスロタラスモルトが発動(本人曰く「漏れちゃった」)するが、それを抑制するような意思はシカネにはない。
 彼女だけは、みみみ以上に“機嫌を損ねたらコワい”存在と言えるだろう。
 出自、経緯などは、設定未公開のため詳細不明だが、現在公開されている設定では、『interlude』にも登場するようだ。
 ちなみに、シカネの真名は設定上も未公開、というか“不明”になっており、仲間内でも“シカネ”と呼ばれている。
 また、ナンバーである“-cide”は“genocide(ジェノサイド=大量虐殺)”の略と思われる。


・スロタラスモルト

 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は水小月シカネ。
 全雑魚自動鏖殺、死なない蛸とも呼ばれるが、やはり本編ではどちらも未登場。 遣い手のシカネなどは、略して“スロ”と呼ぶ事がある。
 半球状の胴体の下部から手足や触手が無数に伸びるという、異称に違わぬタコのような容姿のCAT。
 他のNKナンバーが遣うCATと同じく、スロは極めて特殊なCATで、基本的にはフェイズ5特化の不正操作能力がメインだが、記憶操作やリーディングなどは全く出来ない。 もちろん、他のフェイズへの調整も微々たるモノなので、遊戯や戦闘においては十全のCATとは思えないほどの役立たずである。
 しかし、スロにはこの役立たずぶりを補って余りある極めて特殊な能力がある。
 それが、異称にも示されている“全雑魚自動鏖殺(ぜんざこじどうおうさつ)”である。
 “鏖”は、それ一文字で“みなご(ろし)”と読む事が出来る。 このCATは、その通り皆殺し、大量殺戮を可能にするCATなのである!
 遣い手が何らかの理由(注:ほとんどの場合は、シカネの個人的価値観により“不快に思った”がその理由になる)によって刑の執行(注:正確には“制裁”。 そのため、刑罰は死刑とは限らない。 技名:Other Hitman's Prutty kittens)が決定すると、スロの指1本につき15発。 片手で合計75発。 両手で最大150発(!)のAnchorが対象に打ち込まれ、6日間の“執行猶予”が与えられる。(注:ただし、Anchorの命中数は両手合計でも常に最大75発に制限されている)
 が、この執行猶予は飽くまでも刑の執行を先送りにしているだけで、猶予期間が終われば自動的に刑が執行される。 また、猶予期間中に再犯を犯すと、猶予期間の終了を待たずに即時刑が執行される。
 すなわち、“刑の執行”そのモノは、Anchorが打ち込まれた時点で既に決定事項なのである。
 刑が執行された後、Anchorは即座にリロードされ、次の射出に備えられる。
 またこの能力は、スロがアイドリングの状態でも常に発動可能で、対象の選定も含めて全て全自動で行われる。 ほとんどスタンドアローンで制御不可能なICBMのような危うい“兵器”である。
 そのため、スロはルーラー・オンリーに指定されており、飽くまでも遊戯が失敗、あるいは極めて憂慮すべき事態になった時のみに有効になるよう、厳しく使用制限されている。
 実際、『No.13』でも遣い手であるシカネ本人が「漏れちゃった」と称する例を除き、スロが遊戯に使用された描写は一切無い。
 大神も、このCATだけはご登場を遠慮したい旨を素直に打ち明けている。(注:3章39節)



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272.書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ:WCL2章④b

2013年11月04日 | 書と猫と、少女たちの遊戯に祝福あれ

・キリアケ

 麒麟朱、切開、または霧明とも表記する。
 WCLが保有するCATで、現在の遣い手は知狡と現実。(注:主に現実) 実は“PHASE:ALL:V(ersatile)”という真名を持つ。
 キリアケの来歴は、設定未公開のため一切不明だが、ペイルホワイトと同じく大封時に封紙、回収されたLu=Le保有のCATだったのではないかと思われる。
 キリアケは極めて特殊な汎用型CATで、十全ではあるがどれかのフェイズに特化しているワケではなく、基本ステータスは完全なフラットである。
 が、このステータスは遣い手によって任意に、しかも随時書き換えが可能で、用途によって特定のフェイズに特化させる事が可能という、極めて利便性の高いCATである。
 しかし、フェイズ10(イーハ)の自立性が高く、これによってシロ並みのセミオート動作を可能にしているのは確かだが、勝手に動作する傾向が強く、時には遣い手の言う事を聞かなくなる事も。
 そのため大変扱い難く、利便性は高くても有用性が低いCATという、なんだかよく分からない仕様になっている。
 それもあって、知狡は飯窪家の頭首としてキリアケを遣っていたが、親和性の低さは否めず、遣い手である知狡の著しい体力、精神力消費を伴った。
 しかし、本来の遣い手である現実とは極めて親和性が高く、『No.13』の終盤では、ミルハの全力攻撃を防御し、損傷した真言の身体を瞬時に回復させるなど、汎用型らしい高性能振りを発揮した。
 白猫のような外見を有しており、十全のためフェイズ9もあるが、その翼は不可視のままで一定の形状を取って見えるという事がないのだそうな。



 といったトコロで、今週はココまで。
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