-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #05-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
寒い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
先日発表された気象庁の3ヵ月予報によると、ラニーニャ現象の発生に伴い向こう3ヶ月は寒い日が続き、春の訪れが遅くなるだろうとの事。 日本海側では、雪が多くなるそうです。
う~ん、春はまだまだ遠いのかぁ~。
暑いのもイヤですが、僕の家は床断熱が入ってないので冬は寒いんですよ、足元が。 なので、早く春になって欲しいです。 桜の写真も撮りたいし。
今年はドコにするかにゃ~?
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
AiC2nd、SI編。
最・終・回ッ!!
SI領主の証である杖を手に入れたAliceは、これでようやくシェオゴラス卿からSIの統治権を譲り受けた事になった。
しかしその時、セデューサーの伝令がAliceに駆け寄った!
「大変です閣下!」
只ならぬ彼女の様子に、Aliceはすぐさまセデューサーの隊長の報告を受ける事にした。
そして、彼女の口からもたらされたのは、驚愕の事態であった。
「オーダーです! ジガラグの軍勢が進攻して来ました! このパレスにッ!!」 SIキャンペーンのラストクエストは、文字通りの最終決戦です。
パレスに進攻して来たオーダーの軍勢を撃退し、オベリスクを停止させるのが目的です。
やる事自体は、他のオベリスクと同じくオーダーの心臓をオベリスクに捧げてディアクティベートするだけなので問題ないでしょう。
ただし、ご覧のように2つのオベリスクが同時に稼動している状態で、エントリーしているオーダーナイトも結構な数なので注意が必要です。 また、一緒になって戦ってくれる味方も結構な数で、乱戦状態になるのでオウンゴールに注意が必要です。
面倒なら、予めオーダーの心臓を6個以上入手しておき、戦闘開始と同時に敵を倒すよりもオベリスクの封印を優先し、3回連続で心臓を捧げてしまえば、後はプリースト2体を倒すだけで終わります。
……が、これは前菜にしか過ぎません。
このクエストのメインディッシュは、コレです。(↓) オベリスクを封印すると、なんとジガラグご本人の登場です!
コイツは結構強いです。 前々回のニセAliceほどではありませんが、油断してるとやられます。 ご注意を。
で、コイツを倒せばクエスト完了なんですが、 戦闘終了後、ジガラグがコトの真相を説明してくれます。
要するに、SIは元々ジガラグの統治していたオブリビオン界だったが、強大な力を持つジガラグを恐れた他のデイドラプリンスによって呪いをかけられ、ジガラグはシェオゴラスという別人格を植え付けられた。
そして、数千年の周期で悪鬼のジガラグと狂気のシェオゴラスが交互に人格交代するようになってしまい、人格交代する度にSIを破壊しては作り直すを繰り返してきた。
しかし、シェオゴラスの妙案によりAliceが介入した事で、この連鎖はようやく断ち切られ、ジガラグはオブリビオン界に戻り、シェオゴラスの地位はAliceが継承し、SIにようやく永遠の平和が訪れた、というワケだ。
このTESⅣに限らず、ギリシャ神話やインド仏教などの神話世界では、こうした事は結構日常的に起こっている事で、これはそのまま国が征服したり滅んだりする人類の歴史となんら変わるトコロはありません。
結局のトコロ、神さまも不定命というだけでやってる事は人間と同じなのです。
何故なら、ヒトは、神の似姿として生を与えられた劣化コピーであり、定命/不定命の違いはあれど、本質的には同じモノなのです。
結局のトコロ、このキャンペーンはデイドラの神々を通して、人類の歴史を間接的に語っているのではないか? と、僕は考えています。 そんなワケで、専用の服を貰い受ければクエスト完了、ミッション・コンプリート。 SIキャンペーン攻略ですッ!
いずれにしても、面白いキャンペーンです。 シロディールともオブリビオン界とも異なる不思議の国、シヴァーリング・アイルズを巡る旅。
皆さんも、一度SIを訪れてみてはいかがでしょうか?
と、いうワケで、今回を持ちまして、AiC2nd、SI編は連載終了とさせて頂きます。
長い間お付き合い頂き、誠にありがとうございました。
“次”があるかどうかは、まだ僕にも分かりませんが、いつかどこかでAliceの冒険を再びお届け出来たらいいなと思います。
その時はまたよろしく。
それでは最後に、最終的なプレイデータをご覧頂きながらお別れといたしましょう。
‐AiCプレイデータ(1stシーズン含む)‐
種族:インペリアル
宿星座:シーフ
クラス:ザ・ハンター(カスタムクラス)
レベル:45
ヘルス:488
マジカ:154
持久力:404
筋力:108
知力:77
意志力:74
敏捷力:112
速度:109
強靭力:110
魅力:61
運:70
メインスキルレベル
アーマー:100
ブレイド:100
アクロバティック:62
軽装:100
マークスマン:101
セキュリティ:139
スニーク:100
組織と階級
Court of Madness:Madgod(SI)
Knights of the Thon:Honorary Knight(シェイディンハルのオブリビオンゲート)
Blades:Knight Sister(メインクエスト、ブレイズ)
Arena:Grand Champion(闘技場)
Mages Guild:Arch-Mage(メイジギルド)
Fighters Guild:Master(戦士ギルド)
Order of the Virtuous Blood:Sister(エクエク)
Thieves Guild:Gray Fox(盗賊ギルド)
Dark Brothehood:Listener(暗殺者ギルド)
Nine Divines:Pilgrim(KotN、巡礼)
Knights of the Nine:Divine Crusader(KotN)
Order of the Dragon:Champion of Cyrodiil(メインクエスト)
その他プレイデータ
完了したクエスト:167
上昇したスキル:724
未熟なスキル:7
見習いスキル:4
熟練スキル:4
達人スキル:6
名声:133
悪名:0(←ノ゜∀゜)ノイェイ)
服役日数:3
盗んだアイテム:903(!)
スリ回数:11
不法侵入:0(←え?)
先制攻撃:261
殺人回数:25
最大賞金額:1000
殺した敵:2439
殺した人間:1768
発見した場所:217
こじ開けた鍵:453
壊したロックピック:21(←?)
閉じたオブリビオンゲート:9
所有した家:8
読んだ本:162
本から学んだスキル:14
遺物の発見:15
睡眠時間:571
待機時間:2117(!)
ヴァンパイア日数:0
冗談を話した回数:198
病気日数:22
ニルンルート:0
経過日数:299
総プレイタイム:150時間52分34秒
撮影したSS:1192(!!)
ありがとうございました。
次はどうしようかなぁ~?
……そういえば、DLCやってないなぁ~。(←!?)
THE END(?)
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第4回、前回の続きからです。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
三つ目の演出技術は、“観客の望む映画”である。
長年映画に携わってきた映画関係者が口を揃えて言うのは、「“面白い映画”の定義はあるようでない」という事である。 面白い映画は数あれど、それらに共通項を見出す事は不可能なのだ。
しかし、“面白い映画”の定義は存在しないが、“売れる映画”の定義は実に明確に存在する。
結局のトコロ、“観客が望む映画”こそが、“売れる映画”の唯一の定義である。
しかし、この定義がイコール“面白い映画”の定義になるとは限らない。 実際、高いセールスを記録した(すなわち売れた)映画であっても、誰の記憶に残る事もなく一時的なブームだけであっという間に淘汰されてしまった映画は少なくない。 ベストセラー小説の映画化で話題になった作品も、今は誰も気にしない、タイトルを聞いてようやく、「あ~、そう言えばそんな映画あったねぇ~。」という反応しか返ってこない作品はいっぱいある。 タイトルを聞いただけで、「あーッ! あの映画大スキッ!!」という反応が返ってくる映画というのは、ほんの一握りに過ぎないのだ。
そんな反応が返ってくる映画こそが、本当の意味での“面白い映画”である。
例えば、ベストセラー小説が原作で、有名な映画監督が撮り、人気の俳優が出演した映画ならば、“観客の望む映画”の定義が一定以上満たされるので、イコール“売れる映画”になる。 近年で言えば、映画『ダ・ヴィンチ・コード』(06年)はその最たる例だ。
しかし、宗教上の理由から多くの批判にも晒され、中には上映禁止になった国も少なくないし、カンヌ国際映画祭では失笑が飛び交ったという。
売れる映画が、面白い映画と同義とは限らないのだ。(注:誤解がないように記しておくが、筆者はこの映画は高く評価している。 キリスト教が、本来キリストが目指した目的から外れて教会の思惑に振り回された結果、いかに欺瞞に満ちた“神無き宗教”になったかを臆する事なく痛烈に描いた快作であり、宗教の在り方を根本的に問う極めて興味深い内容である。 近年の映画では、筆者的ベスト10に入る作品である)
逆に、売れなかったのに面白い映画として高い人気と評価を得ている作品もある。
筆者の前著、『異説「ブレードランナー」論』にて取り上げた映画『ブレードランナー』(82年)は、多くの批判に晒され興行的大失敗作になった。 アメリカ国内の興行収益は総製作費の半分程度にしかならず、海外配給によってかろうじて黒字に転じた程度の興行収益しか上げられなかった。
が、その後のレンタルビデオブームによってこの映画は再評価され、現在は映画史にその名を克明に刻む傑作のひとつになっている。
映画『ファイトクラブ』(99年)も、同じように興行的失敗作になったが、やはりソフト版リリースによって再評価され、現在はデイヴィッド・フィンチャー監督とブラッド・ピットのコンビ作では、映画『セブン』(95年)と並んで人気の高い作品である。
売れる映画と面白い映画の定義は、決して同義ではないのだ。
しかし、スピルバーグ作品に限っては、この定義が同義になる。
売れる映画が、イコール面白い映画になり得るのが、“スピルバーグ・マジック”である。
この魔法のような現象が、何故スピルバーグ作品に限って起こるのか?
それは、スピルバーグが“観客の望む映画”を知り尽くしているからだ。
映画『ジョーズ』では、それが最も顕著に現れているのが映画のクライマックスシーンである。
ベンチリーの原作小説のクライマックスは、実に地味である。 ジョーズにモリを一刺しして、ジョーズは死ぬ。 それだけだ。
しかし、映画ではこれを大胆に改変し、死に物狂いでサメと格闘するブロディは、酸素ボンベをジョーズの口の中に放り込み、ライフルでコレを撃ってジョーズを吹っ飛ばすという痛快なクライマックスになっている。
これは、スピルバーグのアイディアである。
原作者であり、映画の脚本も手がけたベンチリーは、最初このアイディアに強い難色を示した。 スクーバダイビングが趣味で、海洋生物学にも詳しいベンチリーは、「サメが酸素ボンベを咥えたままでいるなんてナンセンスだ!」と言って、このアイディアを受け入れようとしなかった。
そりゃそうだ。 ゼッタイにあり得ないコトだ。
考えてもみてほしい。 アナタが食べ物ではない何かを口にしたら、どうするだろうか? そのまま飲み込む? ノーだ! すぐさま吐き出すに決まってる。
サメが酸素ボンベが何かを知らなくても、“食べ物ではない”コトぐらいはすぐに分かる。 口に咥えたまま泳ぎ続ける事などあり得ない。 ゼッタイにすぐに吐き出すに決まってる。
ベンチリーの主張は至極正しい。
しかし、スピルバーグはこれに反論した。 観客は、それを望んでいるハズだと。 映画にのめり込んでいれば、何をしても許してくれると。
この反論を押し通した結果、スピルバーグの判断が正しかった事が証明される。
試写会において、この劇的なクライマックスシーンに観客は熱狂した。 「やっぱりこうじゃなくちゃ!」と、大歓声が起こったのである。
その光景に、半信半疑だったベンチリーは自らの誤りを悟り、スピルバーグに感心したと言う。(注:ちなみに、このクライマックスシーンでジョーズが海底へと沈んでいくショットがあるが、このバックに小さく恐竜の鳴き声ような効果音が入っている。 これは、スピルバーグの『激突!』のクライマックスで巨大タンクローリーが谷底へ転落するシーンに使われた効果音で、両者に展開上の関連性を見出したスピルバーグが、これを強調する意味で入れたモノである)
後にスピルバーグは、映画『ジュラシック・パーク』でもヴェロキラプトルに追いつめられた主人公たちを、T‐レックスが助けるという劇的なクライマックスを提供して観客を熱狂させた。 が、あのT‐レックスは、いったい何処からあのビジターセンターのエントランスに入ってきたのだろう? 映画を良く観ると、ビジターセンターは何処も壊れておらず、T‐レックスが入ってこれるような大きなドアもないというのに。
しかし、そんな事を気にした観客など誰もいなかった。(注:一応、背景に大きな窓が割れている様子が映し出されるショットが1カットだけあるが、建物の外観を映したショットでは、これに相当する窓はビジターセンターにはない。 明らかにテクニカル・エラーである。 が、やはりそれを気にした観客など一人もいなかった)
映画『ジョーズ』と全く同じコトをやって、スピルバーグは『ジュラシック・パーク』を歴代興行収益記録を塗り替えさせるほどの大成功に導いた。(注:それまでの記録は『E.T.』が持っていた。 スピルバーグは、自らが打ち立てた記録を自分自身の手で塗り替えた事になる)
スピルバーグが、“観客が望む映画”を知り尽くしていたからこそ成し得た離れ業である。
では問題は、“観客が望む映画”とは何か?
その答えは、永遠のナゾである。
興味深い実験を紹介しよう。
ある映画好きの女性に映画を観てもらい、映画鑑賞中の脳波の変化を測定するという実験である。
観てもらった映画は、99年公開のレニー・ハーリン監督作品、映画『ディープ・ブルー』である。
映画『ジョーズ』の二番煎じ、三番煎じを狙った作品で、遺伝子工学によって高度に知能が発達したサメがヒトを襲うという内容である。
現代の技術を使って映画『ジョーズ』を超えるパニック・ホラーを作ろうという野心的な作品だったが、結局のトコロ作品のテーマが映画『ジョーズ』には及ばず、駄作と言わないまでもまあまあ及第点といった程度の作品である。(注:実際、ヒットはしたがそれほど高い評価を得ている作品ではない)
それはともかく、登場人物がバタバタ死んでいく作品だけに、映画が終わってからの被験者の感想は、「ハラハラドキドキで緊張の連続」というモノだった。
トコロが、測定した脳波には意外な結果が出た。
悲しみや怒りの感情は全くと言っていいほど見られず、なんと喜びやリラックスの波形が最初から最後までずーっと高い数値を維持したままだったのだ!
これはいったいどういう事なのだろうか?
この結果が示しているのは、映画の内容が何であれ、ヒトは映画を観る事で、脳が刺激され、この刺激を“心地良い”と感じているという事だ。
すなわち、映画によって脳に刺激を与えられ、“心地良い”と感じられる映画こそが、“観客の望む映画”であり、これが感じられない映画は、たとえどんなに売れても“面白くない映画”になってしまうという事だ。
スピルバーグ作品は、ヒトの脳が本能的に求める“心地良い刺激”が必ず存在する映画なのである!
ただ問題は、この“心地良い刺激”には個人差があり、しかも対象が全く異なっていてもそれを感じてしまう点にある。 千人が千人とも“心地良い刺激”を感じるという事はあり得ず、千人が千人とも、何かしらの映画にそれぞれ個別に“心地良い刺激”を感じてしまうのである。
だから、“売れる映画”の定義は実に明確に存在しているにも関わらず、“面白い映画”の定義は存在しないのである。
これが映画の最も興味深いトコロであり、逆に最も怖いトコロでもある。
しかし、筆者はこの点がなにより映画という娯楽の最も面白いトコロだと考えている。 そして、どんなに売れなかった作品であっても、筆者が面白いと思えば、それは面白い作品なのである。
興行収益やネームバリュー、批評家の辛らつな批判に惑わされる事なく、売れなかった作品の中から面白いと思える作品を見つけた時、それはダイヤの原石を見つけたような感動を覚えるのである。
だから、映画ヲタクって止められないんだよねぇ~。
‐反応と評価‐
1975年6月20日、映画『ジョーズ』は、アメリカ本国を初めカナダと日本でも一斉ロードショウになった。
元々、ベンチリーの原作がベストセラーだっただけあり、映画館には公開初日から観客が殺到した。 そして、詰め掛けた観客たちは、この映画に絶叫した。
話題が話題を呼び、映画館は連日大盛況となり、この映画は凄まじいまでの空前の大ヒットを記録。 アメリカ国内では、それまで『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)や『ゴッド・ファーザー』(72年)、『エクソシスト』(73年)ですら達成出来なかったファーストウィークの国内興行収益100万ドル突破を史上初めて達成し、海外配給の興行収益と合わせて、なんと4億7000万ドル以上(!)を稼ぎ出した。 この興行収益は、総製作費(注:700万ドル)の実に67倍(!!)にも及ぶ他に例を見ない前人未到の記録であった。
映画は、パニック・ホラーの金字塔となり、“ジョーズ”という単語は人喰いザメの代名詞になった。
あまりにも有名なあのメインテーマ曲は、“危険信号”の代名詞として、この後多数のTV、映画に引用され、劇中に登場するブロディ署長のセリフ、「もっとデカい船が必要だ」は、解決出来ない問題に直面した時の常套句になった。(注:このセリフは、ブロディ署長役のロイ・シャイダーのアドリブだった)
そして、これを監督したスピルバーグの名は、映画と共に世界中に知れ渡る事になった。
スピルバーグは、“期待の若手”という期待に見事結果を出し、“天才的映画監督”の名を頂くようになる。
映画の公開に先立って行われた試写会の後、関係者による打ち上げの席で、ドレイファスは大ヒットを確信していたという。 そして、「スピルバーグはやり遂げた!」と連呼し、スピルバーグの成功を自分の事のように喜んだという。
ベンチリーと共に脚本を執筆したカール・ゴッドリーブは、映画公開後、会った人たちに自分が映画の脚本を手がけた事がバレると、必ず「あの夏は(怖くて)海に行けなかった」と言われ、責任を問われたと言う。 そしてそれは、未だに続いているとか。
原作者のベンチリーもまた、スピルバーグに対する賛辞を惜しまない。 クライマックスを変えられて不満だったが、観客の反応に“小説と映画は違う”事を認めざるを得なかった。 そして、スピルバーグの手腕を絶賛するようになった。(注:ちなみに、ベンチリー自身もTVレポーターの役で映画にカメオ出演している)
75年度のアカデミー賞の授賞式では、ホラー映画としては異例とも言える4部門でノミネート。 内、編集賞、音楽賞、音響賞で受賞という快挙を成し遂げ、イギリスオスカー、監督組合賞、ゴールデングローブ賞、グラミー賞等々、合計で25の賞にノミネートされ、内12の賞で受賞するほど、映画は極めて高く評価された。
ただ、少なからず批判もあるようだ。 保守派の主婦層や辛口批評家による批判ではなく、この映画には“動物や子供が死ぬシーンがある”というモノだ。
この意見には筆者も納得出来る。 映画では、“動物や子供は必ず助かる”が定石である。 そうした方が、観客に安堵感を与えられるからだ。
実際、スピルバーグ作品では子供や動物が登場する事が多いが、基本的に助かる。 どんな危険な目に遭っても、子供と動物だけは必ず助かる。 スピルバーグ作品のみならず、これは映画界全体の基本的なスタンスである。
が、この映画では子供と動物がそれぞれジョーズの犠牲になるシーンがある。 スピルバーグらしからぬ展開だ。
しかし、これは原作にあるシーンがそのまま映画で再現されたからであり、これが原因で物語りが進行する重要な展開であるのも確かだ。
また、子供の母親がブロディを責めるシーンに観客は心を痛め、ジョーズへの憎しみへと転化し、劇的なクライマックスに歓喜するのであるから、一概に「ダメ」とは言い切れない。
さらに言うなら、スピルバーグ自身にとっては、子役や動物を使うのは、映画ではこれが初めてだった。 しかも、当時のスピルバーグはまだ20代の野心満々の若者(注:スピルバーグ自身は、「愚かで無鉄砲だった」と回顧している)で、この作品で成功する必要があったため、このような展開もアリだと考えていたのだろうと思われる。
名声やお金のためだけではなく、スピルバーグはこの作品で“大成功”という実績を手に入れる必要があったのだ。
何故?
それは、“次”を実現させるためだった。
・次回作の構想
映画『ジョーズ』の大ヒットにより、スピルバーグは極めて高い人気と評価を得るようになったが、スピルバーグにとってはこれはどうしても必要な事だった。 何故なら、既に次回作の構想が出来上がっていたからだ。
映画『ジョーズ』が大ヒットした事で、スタジオからの信頼を得るようになったスピルバーグは、ただの雇われ監督から“映画作家”になるチャンスを得たのだ。 映画の大ヒットで、スピルバーグは自身の企画を通し易くなったのだ。
そして、このチャンスにぶつけた企画が、本書の主題である映画『未知との遭遇』なのである。(注:はぁ~~~。 やっと本題に入れる)
‐コトのハジマリ‐
映画『未知との遭遇』は、スピルバーグが監督と共に脚本も手がけた作品で、脚本家として映画にクレジットされた最初の作品である。(注:自主制作時代の短編を除く。 また、『続・激突!‐カージャック』は原案としてはクレジットされているが、脚本家としてはクレジットされていない)
すなわち、スピルバーグが最初から最後まで全てを自分の思い通りに制作した初めての作品であり、スピルバーグの“映画作家”としての最初の作品である。
映画『未知との遭遇』は、地球に飛来した地球外知的生命体と地球人とのファンタジックな交流を描いた作品だが、スピルバーグがこの構想を着想したのは、実は少年時代の父との思い出にまで遡る。
映画と出会った50年代初頭、5歳になったスピルバーグ少年は、ある時真夜中に父親に叩き起こされる。(注:この経験は、映画でも忠実に再現されている)
クルマに乗り、父はスピルバーグ少年をカリフォルニア郊外の丘の上に連れ出した。 そこには、スピルバーグ親子と同様に、家族連れや恋人同士が多数集まり、皆一様に丘の草原に毛布を敷くなどして寝そべっていた。
いったい何が始まるのかと思ったその時、父は息子にこう言った。
「Watch the skies.(空を見上げろ)」
言われるままに夜空を見上げた少年の目に飛び込んできたのは、大変な数の流星雨だった。
目の前に展開する真夜中のスペクタクル・ショウに、スピルバーグ少年は大きな感動を覚えた。 そして、少年の目は空に釘付けになった。
スピルバーグは、後にこの時の経験を「宇宙に目を向けるキッカケになった」と語っている。
時は流れて1973年頃、映画『続・激突!‐カージャック』の撮影を終えたスピルバーグは、次回作の構想として宇宙を題材にしたSFを撮りたいと考えるようになる。 そして、初期原案となる脚本の執筆に取り掛かる。
1970年代当時は、実はいわゆるUFOブームが下火になり、あまり話題にならなかった時代である。
1940年代後半から50年代初頭にかけては、アメリカ中を大パニックに陥れたUFO事件が頻発し、“第一次UFOブーム”と言っても良いほどのムーヴメントが起こっていたが、これらがアメリカ政府によって公式に否定され、ブームは沈静化し、60年代初頭を最後にブームは一時終了する。 このブームが再燃するのは、1980年代に入ってからの事だ。
UFOブームの“谷間の世代”である1970年代にこれを題材にする事は、実はかなりの冒険だったのだが、スピルバーグはこれを熱望した。 UFO関連の新聞や雑誌の記事、書籍類を読み漁り、UFO現象を独自に研究した。
スピルバーグ自身は、当時の事をこう語っている。
「当時はUFOを信じていた。 わざわざ宇宙に探しに行かなくても、向こうから来てくれるのはステキな事だと思っていた。」
今現在はもう信じていない(注:というより、信じるに値する現象が少なくなったと言った方が正確かもしれない)そうだが、とにかく当時は信じていた。 否定したくても否定しきれない事象が数多くあり、信じるしか選択肢がない状態だった。 そして、幼少の頃に見た流星雨を思い出し、見果てぬ宇宙に想いを馳せ、地球外知的生命体と人類とに友情が育まれるというファンタジックな作品を作りたいと考えるようになった。
しかし、当時は1作当てただけの若手監督だったスピルバーグには、プロデューサーやスタジオのバックアップがなく、作りたくても作れなかった。 脚本の執筆も難航し、この時は一時諦めるしかなかった。
そうして、これを実現出来るだけの実績を作るべく監督したのが、先に紹介した映画『ジョーズ』である。 制作中にこの映画の成功を確信していたスピルバーグは、映画制作と平行して脚本の改稿を行い、『ジョーズ』の撮影に入る前に第1稿を書き上げる。
当時はタイトルも内容も全く違うモノだったが、映画『未知との遭遇』の原型は、映画『ジョーズ』の制作中にこうして既に出来上がっていたのだ。
そして、映画『ジョーズ』の制作と平行して、映画『未知との遭遇』の制作が水面下で始められたのだった。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週からは、連載コーナー無しで特集コーナーのみになります。 予めご了承下さい。
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
ゴスってみた。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
まさしく萌え装備! フリフリの黒ゴス。 残念ながら白は無し。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #04-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
いやぁ~、今年のセンター試験も色々ありましたなぁ~。
配布ミスって何だよ? あり得ねぇだろ。 せっかく終わったのに再試験なんて、受験生が可哀相だよ。
まあ、カンニング疑惑も結構あったみたいですが。 受験生は大変だなぁ~。 本番はこれからだしね。
ガンバレ受験生!
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
AiC2nd、SI編。
今回がいよいよラストダンジョンでございます。
杖を完成させたAliceは、これに理力を注入すべくパレスへ向かった。
しかし……。 既に手遅れだった。
泉は、既にオーダーによって汚染されていた。
ハスキルに訊ねると、地下にある源泉を汚染させているオーダーを倒し、汚染を除去しなければならないと言う。
しかも、それを手引きしたのは恐らくあの元マニア公爵、サーデンではないかと……。
オーダーの軍勢と裏切り者のサーデンを倒し、源泉の汚染源を取り除くのだ! 急げAlice! 玉座の裏にある樹の根元から地下に入ると、構造が複雑なダンジョンへと入る事になります。
このダンジョン、構造がかなり複雑で、しかも所々に開かない扉があります。
が、このダンジョン内にはGnarlが生まれるポイント(注:左図参照)がいくつかあるので、ココから生まれるGnarlについて行きましょう。
すると、Gnarlが開かない扉を開けてくれ、なおかつ目的のオーダーが汚染している源泉まで案内してくれます。 基本的に、Gnarlは飼いならされている(注:本来は、シェオゴラス卿が瞑想するための場所で、Gnarlはその警備目的で配置されているそうだ)ので、こちらが手を出さなければ襲ってきません。
ただし、Gnarlの中で発光しているヤツは要注意です。
汚染した源泉に浸かったGnarlは、PCに対して無条件で襲ってくるようになるので、見つけたら闇討ちアタックでさっさと片付けちゃいましょう。
で、これが汚染源。(↓) 周囲にいるプリーストを倒せば、オベリスクが消えて汚染も除去されます。
また、汚染除去された源泉は回復の泉に変わるので、浸かってヘルス回復すると良いでしょう。
このような汚染源がマップ内に複数あるので、ダンジョンをくまなく周って汚染源を全て取り除いておきましょう。 構造は複雑ですが、それほど広くないので探索自体は難しくありません。
ちなみに、ココではアンバーが比較的大量に手に入ります。
また、プリーストたちがナゼかソウルジェムを大量に持っているので、必要ならば回収しましょう。
僕は30個以上ゲットしました。(笑) さて、クエスト攻略条件になっている重要な汚染源は2ヵ所。 左図はその内の一つ、マニア側の源泉です。
ご覧の通り、複数のプリーストが大きなオベリスクをおっ立てて源泉を汚染しています。
プリースト全員を倒せば、オベリスクは消えるので面倒なら闇討ちアタックでサクサク倒してしまいましょう。
そして、もう一つがコチラ。(↓) ディメンチャ側の源泉です。
そしていました!
ココで逢ったが連載5回分ぶり。 元マニア公爵、裏切り者のサーデンです!
接近すると、何やら口上を述べますが、正直聞いてるヒマはないです。(笑) 他のプリーストや汚染Gnarlが無条件で襲ってくるので。
なので……。 とっとと殺ってしまいましょう。
プリーストのローブを纏っていますが、この悪趣味な兜はまさしくサーデン。
哀れ裏切り者の末路。 しかし彼は、死ぬまで絵筆だけは手放さなかった……。
ちなみに、マニア公爵継承ルートだと、サーデンの代わりにシル様になります。
それはともかく、全ての汚染はこれで除去されたので、さっさとパレスに戻って杖に理力を注入しましょう。 先ほどとは違い、キレイになった泉。
汚染が除去された証拠です。
ココに杖を浸すと、自動的に理力が注入され、“Voice of Sheogorath”という魔法が使える杖になります。
チャージは20000もありますが、使用回数は20回と少ないです。 だからあんなにソウルジェムがゲット出来たのか。
ちなみに、見た目は全く変化無しです。
さて、これでAliceちんはようやくシェオゴラス卿に代わってSIの統治権を引き継いだ事になるワケですが……。
しかしその時、セデューサーの伝令が慌てた様子でパレスに駆け込んで来た。
「大変です閣下!」
そして、彼女の口からもたらせたのは……!?
いよいよクライマックス!
次回のAiC2ndは、SI編最終回です! お楽しみにッ!!
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第4回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
‐ジャンルとテーマ‐
さて、話しが逸れてきたのでそろそろ『ジョーズ』に戻る事にしよう。 このままでは、本書がスピルバーグではなくルーカスの本になってしまう。(笑)
そんなこんなでドレイファスがキャスティングされ、撮影された映画『ジョーズ』は、いわゆる“パニック・ホラー”と呼ばれる映画ジャンルの走りとなった作品である。
それまでにも、ヒッチコック作品や『ミステリーゾーン』などでホラーやスリラーと呼ばれる観客を怖がらせる映画ジャンルは確立されており、数多くの作品が排出されていた。
しかし、群集がパニックに陥るほどの大規模な恐怖を描いた作品は少なかった。 せいぜい、ジョージ・パル版の『宇宙戦争』(53年)があった程度だが、これは本質的にはSFなので、正確には“SFホラー”という異なるジャンルである。
パニックという要素に限定すれば、『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』もパニック映画だが、これは災害をモティーフにした“ディザスター・パニック”というやはり別のジャンルである。
そんなパニックやホラーといったジャンルを混在させ、UMA(注:未確認生物。 本来、ジョーズはホオジロザメという正体が分かっている生物なので正確にはUMAではないのだが、“稀に見る個体”という意味でUMAに分類される存在と言える)の要素を加えた事で、SFでもない、災害モノでもない、“パニック・ホラー”という新しいジャンルを確立した最初の記念碑的作品と言っても過言ではない。
この作品がキッカケとなり、UMA系ホラーが増え、90年代にはブームと言っても良いほど頻作される事になった。
実際、映画『ジョーズ』に登場するサメは、それまで数多くのサメを見てきた海洋生物学者のフーパーや、サメ退治に命を賭けてきたクイントが驚くほどの巨大な個体で、その旺盛な食欲はビーチに集まった人々をパニックに陥れるのに十分なほどの恐怖である。
実際、ホオジロザメを初めとしたサメは人を襲う事があり、これは新聞やニュース、ドキュメンタリーの形で当時でも頻繁に報道され、大衆の間にその存在を恐怖の対象と認識させるのに十分な情報量があった。
だが興味深いのは、その“恐怖”に直面した市長たちの反応である。
この“恐怖”を、彼らはナゼか無視する。
そして、島の重要な観光資源である海を、危険があると知りながら観光客に解放し、逆に自分たちが責任問題で窮地に立たされてしまう。
まさに、営利優先の政治が、さんざん食い物にしてきた自然という存在に手痛いしっぺ返しを喰らったワケだ。
確かに、観光資源を絶たれる事は、市政において重要な死活問題である。 島民にとっても、観光客相手の商売を生業にしている者はもちろん、観光と同じく島の重要な産業である漁業に従事する者にとっても、サメという存在は恐怖の対象である“以前に”、収入源を左右する極めて重要な問題なのである。
利益を取るか安全を取るか?
難しい問題だが、命あってのモノダネである事に変わりはない。
だから、島民たちはサメに賞金をかける事に賛成するが、その結果は映画を観ての通り、賞金欲しさにサメを追って逆に食われてしまったベン(注:フーパーが海中で見つけた生首の人)に代表されるように、やはり自然から手痛いしっぺ返しを何度も何度も喰らってしまうのである。
この『ジョーズ』という映画は、サメ退治をモティーフにした単なるパニック・ホラーではない。
この映画は、何度も何度も、繰り返し繰り返し、スクリーン上に映し出される哀れな犠牲者達の姿に、「自然をナメるな」という強烈なメッセージを込めた作品なのである。
2011年3月、日本を襲った“未曾有の大災害”、東日本大震災は、その後の原発問題も含めて、我々にこの映画が示した「自然をナメるな」という教訓をまざまざと見せ付ける被害をもたらした。
押し寄せる津波の映像に、誰もが「事実は小説よりも奇なり」を思い知ったハズである。
あの恐怖。 そしてその被害の大きさ。 映画を超えた計り知れない現実に、我々はいかに自然が恐ろしいモノであるかを知ったハズである。
そう、人々をパニックに陥れ、次々と人肉を喰らう凶暴な人喰いザメは、まさに東日本を襲った大津波であり、怒り狂った自然の恐怖、そのモノなのである。
「自然をナメるな」
この映画は、この強烈なメッセージを観客に叩き付けた初めての“パニック・ホラー”なのである。
ちなみに、ホオジロザメは実際に人を襲う事があるが、別に人肉がスキなワケではない。 ちょっとカン違いしてしまっただけである。
ホオジロザメが主にエサにしているのはアザラシやアシカなのだが、サーファーがサーフボードに寝そべってパドリングしている姿を海中から見ると、サメの目にはアザラシやアシカのように見えてしまうので、サメがカン違いして襲われてしまうのである。
映画でも、これは少年が襲われるシーンで再現されている。
しかし、人肉はサメの口には合わないらしく、ほとんどの場合喰らい付いても吐き出してしまうのだそうだ。
襲われても死なずにヒドい大怪我を負っても生き残る被害者が多いのは、つまりはそういうコトなのである。
ちなみにちなみに、サメは人を喰らうが、ヒトはサメを食べられない。
サメは、死ぬと体内に大量のアンモニアが染み出し、モノスゴく臭くなる。
映画でも、フーパーがサメの胃袋を調べるシーンでやたらと顔をしかめているが、あれは胃の内容物に顔をしかめているワケではなく、コレを再現しているためである。
フカヒレやキャビアが珍味として珍重されているのだから、その肉も食べられるだろうと思うかもしれないが、それは全く逆で、肉が食べられないから珍重されているのである。
‐スピルバーグの演出技術‐
スピルバーグの演出技術を研究する上で、映画『ジョーズ』は最も重要な資料となり得る。 何故なら、映画『ジョーズ』でスピルバーグが用いた演出技術は、その後のスピルバーグ作品の基本フォーマットとして常に用いられる事になったからである。
スピルバーグの演出技術の特徴は、大きく分けて3種類ある。 まず最初の一つは、キャストの演技に関する基本フォーマットである。
映画『ジョーズ』よりも以前の『刑事コロンボ』や『激突!』、『続・激突!‐カージャック』でも、スピルバーグはキャストの自然な演技を引き出すのに定評があった監督である。 大げさでもなく、控えめ過ぎず、そのシーンに合った、キャストの極めて理に適った自然なアクションとリアクションにより、フィクションに一定のリアリティを与える演技を引き出すのを得意としていた監督である。
最近(……ってほど最近でもないが)の作品である『ジュラシックパーク』や『宇宙戦争』などでも、モティーフが恐竜やら宇宙人の侵略やらでキャストがオーバーアクションになりがちな作品であるにも関わらず、サム・ニールやジェフ・ゴールドブラム、トム・クルーズやジャスティン・チャットウィンの演技は極めてナチュラルで、無理がなく、ましてや無駄もない演技である。
ヒューマンドラマモノである『シンドラーのリスト』はまさにその典型で、リーアム・ニーソンやベン・キングスレーの演技はリアルそのモノ。 歴史劇というモティーフの関係もあるだろうが、ニーソンはまさにオスカー・シンドラーそのモノだし、キングスレーはあまりにも当時のユダヤ人然とした演技だ。
もちろん、これらはキャストの演技力があって初めてそうなるモノである事は疑いようもない。 確かな演技力を持つ名優だからこそ、これらの自然な演技が可能になったと言える。
が、その演技を引き出したのは、間違いなくスピルバーグの演出技術の賜物である。
しかし、スピルバーグはこの演出技術に関して意外な事を言っている。
スピルバーグは、キャストを選ぶ基準として“オーバーアクションなキャスト”をその一つに挙げているのだ。
オーバーアクションなキャストから自然な演技を引き出すとは、いったいどういうコトなのだろうか?
スピルバーグは、まず本読み(注:台本の読み合わせの事。 身振り手振りを使わず、セリフを読むだけのリハーサル)やリハーサルで、キャストに大げさな演技を要求する。 すなわち、キャストの演技力の“限界”を見極めるのだ。
そして、この演技から徐々にレベルを落としていき、シーンに合った自然な演技のレベルまで演技を抑えさせる。
こうして、演技が丁度良いレベルにまで下がったらいざ本番、というワケだ。
最初にオーバーアクションで演技させ、自分とキャスト本人に演技力の限界を自覚させる。 そして、これを抑えさせる事で、自然な演技を引き出す。
だからスピルバーグは、その限界値の高い“オーバーアクションなキャスト”をキャスティングするのだと言う。
その最も顕著な例が、先に紹介したドレイファスである。
映画『ジョーズ』の撮影当時、ドレイファスはまだ20代後半という、メインキャストの中でも最も若いキャストだった。 そして、若者にありがちなテンションの高い性格だった。
が、これが逆にスピルバーグの目に留まった。
特に、ドレイファスが演じたフーパーの役柄は、優秀な海洋生物学者で、しかし若いためにクイントにバカにされる役だった。
しかし、ドレイファスの演技は決してオーバー過ぎず、極めて自然に見える。 特に、クイントのガレージでクイントと口論になるシーンでは、大げさな演技になりがちなシーンであるにも関わらず、抑えが効いた自然な演技であるし、逆に船室でクイントとキズ自慢をし合うシーンでは、酔っ払っているという設定なのでやや大げさな演技になっているが、対立し合っていたクイントに敬意を示す事で親密になっていく過程を見事に演じている。
そしてこれは、ブロディ署長役のシャイダーやクイント役のロバート・ショウにしても同じで、過不足ない自然な演技を見事に引き出している。
映画監督にとって、キャストから演技を引き出す技術を修得する事は必須である。 映画監督としての前提条件と言っても過言ではない。
ただ、この技術は一定のモノではなく、映画監督によってその方法はマチマチである。
映画『アルマゲドン』(98年)や『パールハーバー』(2001年)などを大ヒットさせ、スピルバーグとは『トランスフォーマー』シリーズで一緒に仕事をしたヒットメーカー、マイケル・ベイは、「監督は、キャストの“演技を引き出すスイッチ”を把握しておくのが重要」と語っている。
それは、言葉であったり態度であったり、とにかく何らかの手法でキャストの最高の演技を引き出す“ツボ”を押してあげる事だと言う。 コレにより、キャスト自身に“自分にも出来る”と自覚させるワケだ。
キャストというのは、自分の演技を自分自身で制限しがちである。 それは、例えば恐怖心であったり羞恥心であったり、自信不足であったり、逆に自信過剰であったりするが、何らかの方法でキャスト自身にその制限以上の演技が出来る事を自覚させるのが、映画監督としての才能である。
その手法として、スピルバーグは“オーバーアクションなキャスト”を選び、演技を引き出す技術を才能として身に付けているのである。
もうひとつの演出技術は、映像へのこだわりである。
先にも述べたように、スピルバーグは美術監督のアルヴスと考えた末に、この『ジョーズ』では“実物大のサメを作ってロケ撮影する”事にこだわり、それを実現させてしまう。
本来であるなら、スタジオのプールやストップモーションなどでミニチュアを使うのが妥当である。 何故なら水中で、しかも体長8メートル近い物体を動かすとなると、それに伴う労力と費用だけで予算や製作期間が膨大なモノになってしまうからだ。
この時間的、金銭的負担を軽減するためにも、大掛かりな舞台装置を作るのではなく、可能な限り安上がりに出来る方を選ぶのが、本来の映画製作の基本である。 何故なら映画製作とは、様々な制約によって多かれ少なかれ妥協を強いられて完成する、“妥協の産物”だからである。
実際、ロケ地であるサマーズビンヤード島に運び込まれたジョーズは、故障が多く、なかなか上手く動いてくれなかった。
普通ならば、1日当り10~20のショットが撮影出来るトコロ、映画『ジョーズ』の撮影では上手くいって1日数ショット。 悪ければ1~2ショット、最悪0ショットという日も少なくなかった。
もちろん、これはジョーズの故障のせいだけではない。
よくあったのが、水平線に船が現れてしまう事だった。
サマーズビンヤード島は、風光明媚な観光地という点でロケ地に選ばれたが、それ以上に選定理由になったのが、周囲を遠浅の海に囲まれている点である。
島から10km以上離れたトコロでも、水深はわずか十数メートルしかなく、何か問題があってもすぐに対処出来る点が最大の選定理由になった。
が、その代わりに撮影現場の近くを近海を航行する船舶が横切る事が多かった。 そのため、水平線に船が現れると、船が通過するまでの2時間近くは撮影が出来なかった。
加えて、船の通過を確認していざ撮影になっても、映画の重要なキャラクターであるジョーズはちっとも言う事を聞いてくれない。
スピルバーグは、あまりに撮影が進まないので一時撮影を中断し、ジョーズが言う事を聞くようになってから再開した方が良いのではないかと考えたと言う。(注:しかし、このスピルバーグの提案は、経験豊富な二人のプロデューサーにアッサリ却下された。 中断すると再開するのが難しくなるため、ザナックとブラウンは「たとえワンショットしか撮れなくても撮影を続けるべき」と主張した。 その結果、撮影は中断も延期もなく何とか期間内に終える事が出来た)
スピルバーグは、後に「この映画の撮影が最も大変だった」と語っている。
しかし、そんな苦労をしても、スピルバーグが“実物大のサメ”にこだわったのにはワケがある。 一言で言えば、観客を心底怖がらせたかったからだ。
当時の特殊効果技術は未熟で、ブルースクリーン技術は既にあり、ミニチュア撮影したサメをクロマキー合成する事は可能だった。 しかし、合成技術自体はあまり質が良くなく、合成跡が目立つ映像にしかならなかった。
映画であり、作り物である事が分かっていても、観客が飛び上がって怖がる作品にするためには、少しでも“作り物っぽさ”を減らす必要があった。 だから、スピルバーグは“実物大のサメ”にこだわったのである。
これをさらにリアルにするために、スピルバーグはサメの専門家に協力を要請し、オーストラリアでホンモノのサメを撮影してもらい、その映像をインサートカットとして使用した。 フーパーが入っている鋼鉄の檻がジョーズに襲われるシーンは、実際にホンモノのサメが檻を襲う映像が一部使用されている。
また、“恐怖の演出”という意味では、フーパーがベンの生首を見つけるショットにスピルバーグのこだわりが感じられる。
一般向けの試写会において、観客は期待通り映画が始まってから終わるまで悲鳴を上げ続け、スタジオ側はその反応に映画の大成功を確信した。 しかし、スピルバーグだけは首を傾げていた。 「ココで悲鳴が上がるだろう」と狙って撮ったベンの生首のショットに、観客はあまり反応しなかったのだ。
スピルバーグは、これを改善するためにスタジオ側に追加撮影を要求したが、スタジオ側は「これで十分」とスピルバーグの要求を却下した。
諦め切れないスピルバーグは、自腹で予算を組み、スタジオのプールに簡易なセットを組んで代役を呼び、ベンの生首が出現するショットをタイミングを変えて数パターン撮影。 スタッフの反応が良かったショットを急いで編集し、オリジナルのショットと差し替えて2回目の試写会に挑んだ。
すると、結果は大成功。
ベンの生首がスクリーンに現れたとたん、観客は劇場の屋根が吹き飛ぶのではないかと思えるほどの悲鳴を上げた。
ただその結果、その後のシーンで観客が警戒してしまったため悲鳴が少し小さくなるという弊害があったようだが。(笑)
いずれにしても、これはスピルバーグのこだわりの映像が成功した最も顕著な例と言えるだろう。
しかし、それと同時にスピルバーグは、こだわりを捨てる勇気も持ち合わせている。
世界的大ヒットを記録したウォッシャウスキー兄弟の映画『マトリックス』三部作の2作目、『マトリックス・リローデッド』(2003年)の冒頭で、エージェントから逃げるトリニティはビルの窓から転落し、落下中にエージェントに心臓を撃たれる。
映画の冒頭を飾ったこのVFXショットは、しかしトリニティ役のキャリー・アン・モスにとっては大変な撮影となった。
このシーンでは、ウォッシャウスキー兄弟の得意とするハイスピードカメラ(注:通常のカメラは秒間24フレームだが、秒間120~240という高速撮影が可能なカメラを総称してこう呼ぶ。 これで撮影し、再生の際に通常の秒間24フレームに戻すと、ゆったりとした滑らかなスロー映像になる。 中には秒間1200フレームという超高速カメラもある)で撮影されており、映画では撃たれた瞬間のトリニティのアップが数秒間映し出されるショットになっているが、実際の撮影では1秒もない。 そのため、なかなかOKテイクが出ず、このVFXショットの撮影に実に100回以上(!)ものテイクが重ねられた。
そりゃそうだ。 なにせ1秒である。 たった1秒で演技しろと言う方が無茶なのだ。
しかし、ウォッシャウスキー兄弟のこだわりは、モスに100テイクを超える撮影を強要した。 その苦労たるや、想像に難しくない。
しかし、スピルバーグの場合はこだわりの映像であってもそこまでテイクを重ねる事が少ない。 妥協しているワケではなく、キャストの演技を信じているからであり、自らのこだわりを修正する術を知っているからだ。
たとえ自分が望んでいた映像にならなくても、良いと思えるショットが撮れればそれを採用する切り替えの早さは、スピルバーグの才能の一つと言える。
映画『ジョーズ』でも、音楽においてこれが当てはまる。
先にも記したように、この映画のあのあまりにも有名なメインテーマを提案したのは、コンポーザーのウィリアムズである。
しかし、スピルバーグは最初、ウィリアムズが冗談を言っているのだと思ったと言う。 「妙な違和感を感じた」のだそうだ。
が、何度も聞いている内にだんだんと気に入り、映画に採用した。 妥協したワケではなく、自らのこだわりを修正したのである。 結果、このメインテーマは恐怖の代名詞になるほど有名になった。
こういうコトが出来るから、スピルバーグは仕事が速い。 ルーカスが最初嫉妬していたのは、まさにこのスピルバーグの切り替えの早さである。
こだわっているのにこだわり過ぎない。
これが、スピルバーグ特有の才能なのである。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
カラバリ。(?)
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
以前にもご紹介した『ベルセルク』ネタ。 こちらは全身一式セットになっています。 色が違う点もさる事ながら、コチラの方が性能が良くないです。つД`)゜。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #03-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
今週は書く事も特にないのでとっとといきます。
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
AiC2nd、SI編。
いよいよ大詰めが近付いてまいりました。
今回を含めて、あと3回で完結する予定(!?)です。
ゴールド・セイントたちの源泉を守ったAliceは、これをシェオゴラス卿に報告すべくパレスへと舞い戻る。
しかしそこで、Aliceは我が目を疑う事になった。「ワシは行かねばならん。」
シェオゴラス卿がそう口にした瞬間、彼の体を不思議な光が包み込みそして、……シェオゴラス卿は、……消えた……。
ワケの分からないAliceがハスキルに問い質すと、彼はこう言った。
「アナタが彼になるのです。」
シェオゴラス卿は、自らの後継者にAliceを指名したと言うのだった!
さて、グレイマーチの影響で消滅してしまったシェオゴラス卿。 統治者を失ったSIはどうなってしまうのか?
しかしハスキルによれば、その心配はないと言う。 誰かがシェオゴラス卿に代わって、統治者を継承すれば良いのだと。
……ソレガワタシデスカ? マヂデ??(´・ω・`)??
ハスキルによると、統治者は特別な力を持つ杖を受け継ぐ必要があり、しかしシェオゴラス卿がAliceに継承する前に消えてしまったので、新たに作り直す必要があると言う。
そして、その杖の作り方を知っているのは、“大図書館”にいる一人の男だけなのだそうだ。
まずは、その男に杖の作り方を訊きに行く必要がある。
コチラがその場所。(↓) 結構近いです。
ただし、街道からは行けないので山道を進む必要があります。 マーカーの示す方角に向かって“真っ直ぐに”進みましょう。
で、ココはダンジョンになってるんですが、かなり狭い上に敵は門番役のゴーレム1体だけなので、すぐに目的の場所までたどり着けます。
その場所にたどり着くと……? 居ました。
ダイアス(またはディアス)さんです。 大図書館(注:いわゆるアカシック・レコード)に収められていた太古の知識を記憶する最後の生き残りらしいです。
何とも口の悪い方ですが、彼が言うには杖を作るためには“チルタの目”と“シャデスの木”という2つのアイテムが必要との事。
では場所を移動して、その2つのアイテムを手に入れましょう。
まずは“チルタの目”から。
場所はコチラ。(↓) ニューシェオスの南の山の上。
フツーに街道からも行けますが、それだとかなり遠回りになるので近くの村から山登りすると良いです。
ココは、ダンジョンと言ってもフツーのダンジョンとはちと様子が異なり、ある種の宗教施設になっています。
神聖な場所で、しかもシェオゴラス卿に隠れて活動している団体なので、よそ者を酷く嫌う傾向があります。
そのため、信者に見つかると問答無用で襲われます。
入り口近くに専用のローブが置いてあるので、これを着ればイキナリ襲われる事はなくなります。 また、この状態で信者のネコさん(注:左図参照)に話しかけると、“ある提案”をしてきます。
このクエストでは、ネコさんの提案に同意して手を貸すか、あるいはネコさんも含めて信者を皆殺しにするかのどちらかして、神殿の最深部にいるこの団体の教祖、チルタさんをヌッ殺して下さい。
一つ目のアイテムは、文字通り彼女の眼球なのです。
で、これがソレ。(↓) まさしく眼球です。(笑)
ちなみに、Aliceちんはネコさんに手を貸しました。 皆殺しパターンも見てみたかったかもしれない。 スニーク系のキャラなら、闇討ちアタックでカンタンにイケるでしょう。
それはともかく、眼球を手に入れたらさっさと外に出て、2つ目のアイテムを取りに行きます。
場所はコチラ。(↓) 先ほどの大図書館よりも北にある砦です。
ただし、アイコンは砦になっていますが、実際には木の幹から入る洞窟なので、入り口を見落とさないように注意が必要です。
中に入ると、数匹のクリーチャーがお出迎えしてくれますが、このダンジョンは全体がかなり広いです。 他のドアを開けてしまうと、全く関係のないダンジョンに行ってしまうので、素直に入り口の真正面にあるドアを通りましょう。 すると……? そこには、何やら聖地っぽい石碑が立つ小さな池が。
この背後にあるのが、目的の木です。 この木の枝を頂いてかないといけないんですが、……どうやって取ればいいんだ? まさかジョージ・ワシントンじゃないんだからパキッと折るワケにもいかないし。
などと迷っていると、突然池に立つ石碑から怪しい光がほとばしり、その光の中に……人影が……?
するとその時、その人影は問答無用で襲い掛かってきた!! く……ッ! コイツ強い……ッ! 今までのザコとは比べ物にならないぐらい強い!
……って、おや? この人、どこかで見た事ある?? つか名前……え? “Alice”??
ワタシ!?
そう! 実はこの人影、(黄色いマフラーは付けてませんが)PCのコピーキャラなんです。
そのため、PCが使える魔法をガンガン使ってくるし、能力もほぼ同等(注:難易度による)なので、かなりの強敵です。
ってゆーか死にかけた。
マジでヤバかった……。
また、この人影が使っていた剣は、倒した後で拾う事が出来ます。 最大攻撃力45! チャージ9000の大容量エンチャント付き! デザインもカッコイイ両手剣! ただし、重量50。(!?)
強敵を倒したご褒美としては、申し分ないでしょう。
影を倒したら、木の枝を回収して大図書館に戻ります。 戻ったら、再びダイアスさんに話しかけて杖を作ってもらいます。(注:左図参照)
しかし、ダイアスさんが言うにはこの杖にはまだ魂が入っていないため、持っていても何の力もないただの杖に過ぎないと言う。
これを、統治者の杖として使えるようにするには、パレスの地下にある泉から魂を注入しなければならないとの事。
ではいざ、取って返してパレスの地下へ!
急げAlice! ジガラグの進攻はすぐそこまで迫っているぞ!
to be continued...
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第3回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
・“最初の”世界的大ヒット
最早説明するまでも無く、スピルバーグの初期の代表作である映画『ジョーズ』は、小説家ピーター・ベンチリーの同タイトルのベストセラー小説の映画化作品である。
風光明媚な砂浜を有する小さな島、アミティ島は、漁業と観光が主な産業である。 とある夏の始め、この島に住むひとりの若い女性が、無残な惨殺死体で発見される。 検死官は、これをサメによるモノと診断した。
これに憂慮した新任の保安官署長、ブロディ(ロイ・シャイダー)は、海岸の閉鎖を提案する。 が、市長のボーン(マーレイ・ハミルトン)は、島の重要な観光資源である海岸を閉鎖しては、夏の観光客が減ると主張し、ブロディの提案を無視する。
しかし、海では相次いで人が襲われ、島の住民と観光客はパニックに陥る。
ブロディは、島の漁師でサメ狩りのプロのクイント(ロバート・ショウ)と、ニュースを聞きつけて島にやって来た若き海洋生物学者フーパー(リチャード・ドレイファス)と共に、人喰いザメの退治に乗り出す。
しかし、そこで彼が見たものは、体長7メートル以上、体重3トンを超える超巨大ホオジロザメ、ジョーズの姿だった!
……というのが、主な内容である。
スクーバダイビングが趣味で、海洋生物にも詳しいベンチリーは、予てからサメを題材にした作品を構想していた。 そして、大型のホオジロザメの個体が捕獲されたというニュースを聞き、これがキッカケとなって小説の執筆に踏み切る。
結果、出版された小説は瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、主なリーダーズ雑誌でも高い評価を得るベストセラーになった。
複数の映画スタジオから映画化のオファーを受け、小説の映画化権が競売にかけられた結果、映画化権を取得したのはユニバーサルだった。
ユニバーサルは、このベストセラー小説の映画化をプロデューサーのデイヴィッド・ブラウンとリチャード・D・ザナックに託した。
ブラウンとザナックは、まだ原作を読んでいなかったので早速原作小説を読んだ。 しかし、二人ともそのあまりの面白さに映画化に熱意を燃やした。
が、問題はこれを演出する監督だった。 ブラウンもザナックも、面白い小説だがどうやって映画化すればいいのか分からなかった。
しかも、ユニバーサルに小説の映画化権を売ったエージェント事務所は、映画化権と共にある映画監督を売り込んできた。(注:この監督の名前は公表されていない)
結果的に、この監督はブラウンとザナックの意向により早々に降板させられる事になるのだが、そこで二人の脳裏にある人物の名が浮かぶ。
それが、スピルバーグだった。
既に、前作『続・激突!‐カージャック』でパートナーシップを結んでいたスピルバーグに、二人は小説を読むように薦める。
当初、スピルバーグは原作小説を読んでおらず、しかも『ジョーズ』(注:jaws。 日本語で“アゴ”の意)というタイトルから、最初は歯医者の話かと思ったと言う。
しかし、週末を潰して小説を読んでみると、これまでに読んだ事の無いような展開に夢中になり、加えて『激突!』とのストーリー展開的な関連性を見出し、二つ返事で監督を引き受けた。
こうして、最初の劇場公開作品である『続・激突!‐カージャック』が公開中だった1974年、スピルバーグはロケ地であるマーサズ・ビンヤード島に飛び、映画の撮影を開始した。
‐出会い‐
この、映画『ジョーズ』という作品は、スピルバーグにとって最初の世界的大ヒット作となった重要な作品であるが、それ以上にスピルバーグ自身にとって重要だったのは、この作品を通して、これ以降の監督作品において重要な役割りを担う複数の人物と出会えた事である。
まず一人目は、プロダクション・デザイナーのジョー・アルヴスである。
既に、前作『続・激突!‐カージャック』でコンビを組んだアルヴスと意気投合したスピルバーグは、この『ジョーズ』でも迷う事なくアルヴスに美術デザインを依頼した。
アルヴスは、セットデザインを手がける傍ら、スピルバーグと話し合い、映画の質を決めるある重要な決定を下す。
それが、“実物大のサメを創る”事であった。 二人は、ミニチュアやストップモーション撮影を嫌い、実物大のサメをライブアクションで撮影する事にこだわった。
だが、アルヴスがオファーした当時の特殊効果マンたちは、こぞって何かしらの理由を付けてはこのオファーを断った。
実物大の模型を創る事だけでも大変なのに、それにライブアクションで、しかも実際の海中で“演技”をさせる装置を組み込まなくてはならなかったため、そんな経験の無い彼らは尻込みしてしまったのだ。
しかし、アルヴスは諦める事なく、最後にある人物にオファーをした。
それが、ボブ・マティーことロバート・A・マティーである。
映画『ジョーズ』の“影の主役”である巨大ホオジロザメを創ったマティーは、54年版の『海底2万マイル』の巨大イカを創り、64年にはウォルト・ディズニーの召集を受けて『メリー・ポピンズ』の特殊効果を手がけた人物である。
当時、マティーは引退した身だったが、「史上最大の魚を創ってほしい」というアルヴスの言葉に触発され、この作品で現場に復帰。 マティーは、前人未到の大仕事に職人魂を触発されたのだ。
そうしてマティーは、圧搾空気を使ったシリンダーと鋼鉄製の骨組み、そしてラバーフォームの皮膚を持つ実物大の人喰いザメ、“ジョーズ”を作り上げた。
しかし、このサメはなかなか言う事を聞いてくれず、撮影中はトラブルの連続だった。(注:実際にサメを動かしたのは、ライブアクション効果担当のロイ・アーボガスト。 彼もまた、後にスピルバーグにとって重要な役割りを担うスタッフになる) このサメには、アルヴスもスピルバーグもほとほと手を焼かされたが、その苦労の甲斐あって、ジョーズがスクリーンに現れる度に、観客は劇場の天井が吹き飛ぶのではないかと心配になるほどの絶叫を上げた。
この特殊効果の成功のウラには、決して欠く事の出来ない要素が不可欠だった。
それが、音楽である。
一通り撮影が終わり、スピルバーグに“マザー・カッター”のニックネームを付けられた女性名編集者、ヴァーナ・フィールズにより編集された映画は、一般向けの試写会の前に関係者向けの試写会が開かれ、ユニバーサルの試写室で映写機にかけられた。
しかし、映画を観たスタジオの重役達の反応は冷ややかだった。 悲鳴を上げるでもなく、作り物のサメを笑うでもなく、「まあいいんじゃね?」程度の反応でしかなかった。
何故なら、この時の映画はまだポス・プロ段階で、編集もラフカット状態だったが、何より音楽が一切入ってなかったからだった。
そこでスピルバーグは、早速コンポーザーを呼んで音楽を付けてもらう事にした。
そうして召集されたのが、この後スピルバーグの最も重要なパートナーの一人となる名作曲家、ジョン・ウィリアムズであった。
スピルバーグとウィリアムズとの関係は、前作『続・激突!‐カージャック』まで遡る。
その頃既に、ウィリアムズは長年TV業界で活躍し、その実績を買われて71年公開のミュージカル映画の傑作、『屋根の上のバイオリン弾き』(注:超名作! 2011年リリースの日本向けBD版はナゼか最悪の仕様だが、ぜひハンカチを用意してご覧頂きたい。 ちなみに日本では、今は亡き森繁久彌が長年主演した舞台がつとに有名)の編曲を手がけている。
元々、舞台で極めて高い評価を得ていた名作の映画化作品だけに、前評判通りの大ヒットを記録したこの映画で、ウィリアムズは初のオスカーを獲得していた。
その後も、『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)や『タワーリング・インフェルノ』(74年)、『大地震』(75年)などのディザスター・パニック(注:いずれもディザスター・パニックの名作として極めて高く評価され、90年代のディザスター・パニック映画ブームの頃に頻作された多くの作品に多大な影響を与えた)を手がけ、既に名コンポーザーの名を欲しいままにしていた。
スピルバーグは、TV映画を手がけていた頃からウィリアムズのファンで、いつか一緒に仕事をしたいと考えていた。
念願叶って、前作にて初コンビを組む事になったが、スピルバーグは今回もウィリアムズとのコンビを熱望した。
しかし、ウィリアムズが作ってきた楽曲に、スピルバーグは拍子抜けさせられた。
2つの音を交互に繰り返すだけ。 そんな単純な音楽が、今回のメインテーマ曲だとウィリアムズは言い放ったのだ。
スピルバーグは、最初何かの冗談だと思ったと言う。
しかし、この極めてシンプルな楽曲には、極めて大きなメリットがあった。
シンプルなだけに、観客にダイレクトに伝わり易く、またテンポや音量を自由に変えられるので、水中から忍び寄るジョーズの恐怖を表現するのに最適だった。
この映画には、このシンプル・イズ・ベストを地で行く楽曲が不可欠だった。
最初は懐疑的だったスピルバーグも、聞いている内にこれを気に入り、メインテーマ曲として採用する。
その結果、この映画の音楽は極めて高く評価され、ウィリアムズは初めて、自身の作曲した楽曲でオスカーを獲得するに至った。(注:既にオスカーを獲得していた『屋根の上のバイオリン弾き』は、舞台用の楽曲を映画用に編曲し直しただけで、ウィリアムズ自身の作曲というワケではなかった。 そのため、ウィリアムズにとってはこれが本当の意味での“初”受賞だった)
このメインテーマ曲は、後に“恐怖”の代名詞となり、多数の映画、TV番組などでパロディや引用として多数使用される事になった。
ウィリアムズの見事な手腕を目の当たりにしたスピルバーグは、ウィリアムズを最も重要なパートナーの一人として、これ以降の全ての監督作品で音楽を任せる事を決めた。 スピルバーグは、「この映画が成功したのは音楽のおかげ」と後に語っている。
ちなみにウィリアムズ自身も、スピルバーグの事を才能のある映画監督として高く評価しており、スピルバーグとの仕事をいつも楽しんでいるという。
スピルバーグとの仕事を楽しんでいると言えば、忘れてならないのはこの人物である。
リチャード・ドレイファスだ。
若き海洋生物学者フーパー役を演じたのはドレイファスだが、しかしスピルバーグは当初、フーパー役にドレイファスではなくジョン・ヴォイト(注:名優! 近年も、『パールハーバー』や『トランスフォーマー』などに出演しているが、ブラッド・ピットと結婚した事でも話題になったスター女優、アンジェリーナ・ジョリーの実父としても有名)をと考えていた。
が、諸般の事情でこのキャスティングは実現せず、スピルバーグは好きだった映画『ラスト・ショー』(ピーター・ボグダノヴィッチ監督作品。 ラリー・マクマートリーの自伝的ベストセラー小説の映画化作品で、その年のオスカーで作品賞、監督賞、脚色賞などに多数ノミネート。 助演男優賞と助演女優賞を受賞している。 71年公開)に出演したティモシー・ボトムズやジェフ・ブリッジスなどにオファーを出したが、スケジュールの都合が付かないなどの理由でことごとく断られてしまう。
そんな時、名前が挙がったのがドレイファスだった。
当時、既に『アメリカン・グラフィティ』(注:詳細は後述)で名前が売れ始めていたドレイファスは、スピルバーグからオファーを貰った時、この作品は傑作になると直感した。 手に汗握るストーリー展開に、今までに無いヒット作になると感じた。
しかしドレイファスは、このオファーをアッサリ断ってしまう。
スピルバーグが理由を訊ねると、ドレイファスはこう答えた。
「これは出演せずに、映画館で観客として楽しみたい映画だ。」
気持ちは分かる。(笑)
しかし、その直後に自身が出演したカナダ映画、『The Apprenticeship of Duddy Kravitz』(74年)のプレミアに出席し、スクリーンに映し出された自分の姿に、ドレイファスはひどく動揺したと言う。 とてもヒドいと感じたそうだ。
そして、焦燥感に駆られたドレイファスは、すぐにスピルバーグにコンタクトを取り、一度断ったフーパー役を演らせてほしいと頼んだ。
幸か不幸か、フーパー役はまだ決まっていなかったため、スピルバーグはこの嘆願を二つ返事で快諾した。
こうして、ドレイファスはフーパー役にキャスティングされた。
映画のキャスティングには、常に様々な人間ドラマがあるモノである。 まさに“事実は小説よりも奇なり”である。(笑)
しかし、それより何より興味深いのは、このドレイファスのキャスティングのウラには、スピルバーグのキャリアを語る上でも決して欠く事の出来ないある重要人物の存在があった。
この後も、直接的なスピルバーグ作品への関わりは少ないモノの、間接的、あるいはノンクレジット的にスピルバーグ作品に関わる事になる“盟友”、ジョージ・ルーカスの存在である。
‐スピルバーグとルーカス‐
スピルバーグとルーカスの関係は、お互いにまだ学生だった60年代後半にまで遡る。
当時、USC入学に失敗したスピルバーグは、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校(注:UCLA。 後述するコッポラはこの学校の卒業生で、スピルバーグの先輩に当たる)の映画科に在籍していたが、ある時USCと合同で開催された映画祭に参加した。 これは、それぞれの学校の学生たちが製作したショートフィルムを上映する交流会だったが、この映画祭に出品されたある作品に、スピルバーグは度肝を抜かれた。 それが、『電子的迷宮:THX‐1138・4EB』(67年)であった。
そして、これを監督したのが、同級生の中でも飛び抜けた才能を発揮し、一目置かれる存在になっていた若き日のジョージ・ルーカスだった。
USC在学中、ルーカスはアーヴィン・カーシュナーが教鞭を取っていた授業(注:映画監督。 当時既にベテランで、USCの講師として教鞭を取っていた。 後に、ルーカスの希望で『スター・ウォ-ズ』シリーズの旧三部作の2作目、『エピソードⅤ:帝国の逆襲』を監督し1作目に続く大ヒットを記録し、90年にはポール・バーホーベンが1作目を手がけた『ロボコップ』のシリーズ2作目を監督。 1作目以上の大ヒットを記録し、“続編は低質”の定説を覆したカーシュナーは“続編の天才”と呼ばれた。 実際、筆者も『エピソードⅤ:帝国の逆襲』と『ロボコップ2』はそれぞれのシリーズの中でも一番スキな作品である)において、上映時間5分間の作品という課題を与えられた。 そして監督したのが、件の『電子的迷宮:THX‐1138・4EB』である。
本来は上映時間5分間の作品という課題だったが、ルーカスはこれを無視して上映時間15分の近未来SF作品を制作した。
しかし、これを観たカーシュナーら教授陣は、その鮮烈な映像と奥深いストーリーに圧倒された。
この作品は、同年の全米学生映画祭でグランプリを獲得したのを筆頭に、数多くの賞に輝き、この実績を引っさげてルーカスはワーナーの若手育成プログラムに参加する。
いわゆるスタジオ研究生になったワケだ。
しかし、仕事はなかった。(←オイオイ)
当時、ワーナーは経営不振のため制作していた映画は1本だけで、ルーカスは現在も人気の高いワーナーのアニメ制作を学ぼうとアニメ部門を訪れるも、部署は既に解散していた。 ルーカスは、チャック・ジョーンズ(注:アニメ監督。 セリフに頼らない独自のスタイルを確立し、ワーナーアニメでは主に『ルーニートゥーンズ』のロードランナー&コヨーテのエピソードを中心に活躍した。 他にも、MGMでは『トムとジェリー』を全く同じスタイルで何作か手がけている。 筆者も大スキ! 『ルーニートゥーンズ』では、ロバート・マッキンソンやチャールズ・M・ジョーンズが言わば“本家”だが、チャック・ジョーンズの“語らず観せる”演出は群を抜いて完成度が高い)に教わろうと思っていたが、逢う事すら出来なかった。
しかし、ココでルーカスはひとりの男と極めて重要な出会いを果たす。 それが、当時ワーナーで唯一制作中だった『フィニアンの虹』(68年)という作品で監督を務めたフランシス・フォード・コッポラだった。
コッポラは、後に監督することになる『ゴッドファーザー』(72年)や『地獄の黙示録』(79年)などの作風から厳格なイメージがあるが、実際にはかなり気さくな人物で、面倒見が良く、学生らの相談にも気軽に応じる人柄で親しまれていた。 ルーカスは、その才能をコッポラに見出され、彼の監督作品である『雨のなかの女』(69年)という作品の撮影に同行。 この映画のメイキング・ドキュメンタリーの撮影を任される。
そして、コッポラの勧めで『電子的迷宮:THX‐1138・4EB』の劇場用リメイク版の制作に踏み切る事になる。(注:このリメイク版は、『THX‐1138』というタイトルで70年に劇場公開されたが、配給元であるワーナーは、試写会で完成した作品を観て激怒。 製作総指揮のコッポラに「金を返せ!」と要求したほどだった。 ただし、これは作品の出来に不満だったワケではなく、難解で前衛的過ぎる作風に、重役たちが映画を理解出来なかったためだった。 特に、プロモーション担当者は頭を抱えた。 どうやって宣伝したモノか分からず、効果的なプロモーションが行えなかった。 そのため、映画は興行的失敗に終わり、ルーカスは大事な監督デビュー作を台無しにされてしまう。 その後、『スター・ウォーズ』の成功をキッカケにこの作品は再評価され、現在は「やっぱりルーカスはスゴかった!」と評価を改められている。 ちなみに、短編版の『電子的迷宮:THX‐1138・4EB』は、現在『THX‐1138:ディレクターズ・カット』のDVD2枚組ソフト版の特典映像として鑑賞可能。 筆者も観たが、劇場版も含めて難解で前衛的なワケわかんない作品なのは間違いなく確かだ)
この、『電子的迷宮:THX‐1138・4EB』を観たスピルバーグは、その鮮烈な映像に「時が止まったようだった」と後に語っているが、それと同時に激しい嫉妬を覚えたと言う。 自分よりも、映画を撮るのが上手かったからだ。
スピルバーグは、この作品の監督の名前を憶えて、映画祭を後にした。
しかし、スピルバーグに嫉妬されたルーカス自身も、後にスピルバーグに嫉妬する事になる。
ユニバーサルと契約したスピルバーグは、TVシリーズやTV映画とは言えプロとして、しかも年間数作という驚異的なハイペースで作品を制作。 しかも、完成した作品は早く完成させるための妥協の産物では決してなく、非常によく出来たモノだった。 良質の作品を驚くべきハイペースで次々と量産するスピルバーグの手際の良さに、ルーカスもまた嫉妬心を覚えたそうだ。
70年代に入り、お互いプロとしてそれぞれに作品制作を行っていたスピルバーグとルーカスは、いよいよ出会いの時を迎える。 お互いがお互いの才能に嫉妬してた二人だったが、実際に会って話してみると、お互いの人柄や価値観、そして何より、映画に賭ける情熱に強い共感を覚え、二人の間に友情が芽生えた。
そしてこの友情は、“盟友”と言っても良いほど深く、そして強い絆になっていく。
1973年、ルーカスは監督第2作目となる『アメリカン・グラフィティ』を監督した。
60年代末にコッポラと知り合ったルーカスは、コッポラの誘いで彼の設立したインディペンデントプロダクション、アメリカン・ゾエトロープ社(注:ゾエトロープは“回転のぞき絵”の意。 コッポラがヨーロッパ旅行の時にデンマークの映画製作者、モーウンス・スコット=ハンセンから貰ったアンティークの回転するのぞき絵のおもちゃが社名の由来)の創立に参加。 同社の最初の作品が、実はルーカスの劇場版『THX‐1138』だった。
しかし、この作品はスタジオ側の誤ったプロモーション戦略の犠牲となり、モノの見事に興行的失敗作になり、製作を前提で執筆されていた7本分の脚本もスタジオ側から不採用の採決が下され、ゾエトロープ社は窮地に立たされ、最終的に“一時休業”に追いやられてしまう。(注:その後再建され、現在はコッポラのプロダクションとして多数の作品を制作している)
そのため、ルーカスは仕方なく独立を決意。 自身の映画プロダクション、ルーカスフィルムLTDを設立し、その最初の仕事となったのが、この監督第2作目である『アメリカン・グラフィティ』である。
映画『アメリカン・グラフィティ』は、1960年代中頃のカリフォルニアを舞台にした青春映画で、ルーカス自身の体験を基にしたある一夜に起こる若者達の群像劇である。
60年代のアメリカは、第二次大戦の勝利に沸き、輝かしい未来が約束されていた1950年代とは対照的に、まさに暗黒時代と言っても過言ではないほどの最悪の時代だった。
外交では、対ベトナム政策が裏目に出て、直接武力介入したベトナム戦争は長期化&泥沼化。 アメリカ軍の非人道的な虐殺行為などが世論の反発を生み、政府への不信感を増長させていった。
アメリカの若者達は、徴兵制に反対し徴兵対象者に配られるカードを破り捨てるなどして対抗し、反戦運動は激化していった。
ルーカスやスピルバーグも、この頃兵役義務を免れるために映画製作に没頭したと言う。
また、国内では人種差別問題が激化していた。
キング牧師の公民権運動を始め、マルコムXなどの過激な運動家も現れ、ブラック・パンサー党のような武装する黒人集団まで現れた。 LAでは、夏になるとそれこそ毎週のように街のどこかで暴動が起き、多数の死傷者を出すほどだった。
さらに、ビートルズを中心としたヒッピームーヴメントがこれに拍車をかけた。 それまでの古い価値観を否定し、若者中心の新しい価値観を主張し、アメリカの全国各地でヒッピーと呼ばれる若者が急増した。
フリーセックス、マリファナハッピー、ラブ&ピース。
そんなキーワードが、若者達の抑え切れない衝動を突き動かした。
見方によっては、60年代のアメリカを19世紀末から20世紀初頭のフランスで起こったボヘミアン革命の再来(注:古い価値観からの脱却を目指し、演劇や芸術の世界で若いアーティストが新しい芸術を模索した一連の運動をこう呼ぶ。 確かに、時代は違えどヒッピームーヴメントに良く似た現象と言える)と考える向きもあるようだが、この60年代暗黒時代は、アメリカという国を嵐のように駆け巡っていった。
結果的に、時の大統領ニクソンが、ウォーターゲート事件によって失脚し、後にも先にも史上唯一の大統領“辞任”に追い込まれ、ベトナム政策は下方修正され、段階的な軍の引き上げが決定した事で、この暗黒時代は終息の方向へと向かう。
そんな時代を生きた若者達の、ある夏の夜の出来事を描いたこの群像劇映画は、かつて大ヒットを記録したロードムービー、『イージー・ライダー』(69年)の再来と話題になり、映画は凄まじいイキオイでヒットチャートを駆け上った。
結果、総制作費僅か80万ドル、たった4週間で撮影されたこの作品は、後の海外配給による収益も合わせて1億ドル以上(!)という驚異的なセールスを記録。 映画は大ヒットとなった。(注:ただし、配給したユニバーサルの重役陣はこの映画を気に入らず、一時は公開中止もあり得たほどだった。 最終的に、ルーカスが折れる形で最終編集権が行使され、5分程度がカットされて公開中止は回避された)
この作品では、制作費を抑えるためにギャラの安い、無名の若手俳優を中心にキャスティングされ、後のビッグスターとなるハリソン・フォードや、後に映画監督に転身して『バックドラフト』(91年)や『アポロ13』(95年)といったヒット作を量産する事になるロン・ハワード(注:ただし、映画のクレジットはロニー・ハワード)らが出演していた事でも有名だが、そんな若手無名俳優の一人に名を連ねてこの映画に出演していたのが、ドレイファスであった。
多くの俳優にオファーを断られ、フーパー役のキャスティングが難航していたスピルバーグがルーカスに相談したトコロ紹介されたのが、そのドレイファスであった。
当時、まだ20代だったドレイファスは、しかしルーカスの奨めでキャスティングされたのである。
これ以降も、スピルバーグとルーカスの関係は良好に続き、ノンクレジットでお互いの作品のセカンドユニットの監督をしたり、特殊効果の監修をしたりしている。
また、1981年には二人の念願叶ってようやく本格的なコラボレーションが実現。 ハリソン・フォードを一躍アクションスターにした『インディ・ジョーンズ』シリーズの1作目、『レイダース‐失われた聖櫃』である。
そして、二人の関係は現在も続いており、お互いに欠く事の出来ない“盟友”と呼べる存在になっている事は疑いようもない事実となった。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
真冬に夏の装い。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
コチラはタータンチェックのミニプリーツにキャミソを組み合わせた夏っぽいイメージの私服。 チョーカー付きなのがポイント。(^ ^) ただし、防具ではなくただの服なので、防御力は皆無。 また、ナゼか靴がない。
でもかぁいいからおk!(笑)
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #02-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
新年も1週間を過ぎ、毎日寒い日が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?
僕はと言えば、“一年の計は元旦にあり”というコトで元旦に立てた今年1年間の計画をこなすため、ただ今一つずつ手を進めている最中でございます。
今年はですね、小説の方を一旦お休みしようかな? と、考えてるんですよ。
これまでの3年間で3作連続で発表してきましたが、これらをフォローアップする記事をこのブログに掲載する予定が全く出来ていない現状にある種の危機感を感じたので、これまでの作品をより一層楽しんで頂けるような解説やウラ話、設定資料なんかをまとめたテクストをバンドルしたリニューアル版、と言うか、究極版(!?)を順次公開していこうかなと。
もちろん、過去に当ブログで連載、あるいは現在連載している映画解説シリーズも、「PDF化する!」とアナウンスしておきながら全くやっていなかったので、これも合わせてアップしていく予定です。
アップ先はMFD‐WEBになりますが、一応隔月(!!)で順次アップしていく予定です。
ただし、今月は『Beyond』のオールインワンパックをアップするので、スタートは来月、2月からになります。
2月のアップ予定は『異説「ブレードランナー」論』のPDF版から。
MFDが提唱する新しい活字メディア、『e-books』シリーズ第1弾です。 お楽しみにッ!!
そうそう、C81の戦利品なんですが、今回はこのような結果になりました。(↓)
少なめです。(^ ^;)
しかし、最近は同人でも予約特典付きが増えましたね。 届いてみてグッズの多さにビックリしました。
同人市場も、作品だけでは売れない時代になってきたのかな?
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
2週間ぶりのAiC2ndです。
ゲートキーパーを復活させたAliceは、この結果をシェオゴラス卿に報告するためにパレスへと急いだ。
しかし、シェオゴラス卿に報告している最中、ゴールドセイントの一人が慌てた様子で玉座へと駆け寄り、シェオゴラス卿に驚愕の事実を伝えた。「BrellachにOrderの軍勢が……!」
Brellachとは、オブリビオン界から流れる水の源泉を守るために建てられた砦で、ゴールドセイントの本拠地である。 この砦から、彼女たちゴールドセイントは生まれ、そして帰っていくのだ。
セイントの命の源と言えるこの砦が、なんとサーデン(注:元マニア公爵。 憶えてます?)が引き連れてきたオーダーの軍勢に占拠されたと言うのだ。
シェオゴラス卿は、Aliceに直ちにこの砦に向かい、オーダーの軍勢を撃退せよとの命令を下した! さて、今回の目的地はコチラ。(注:左図参照)
マニア地区の端にある砦です。
アイコンは砦になっていますが、実際には遺跡の体裁になっており、入り口以外は地下にあります。
で、この入り口付近に、セイントの隊長さんがいるので彼女にお話しを伺いましょう。
要約すると、今回のオブジェクティブは大きく2つ。
①砦内のどこかに囚われているセイントの指揮官を助け出す。
②砦の奥にある源泉を守る。
一応ダンジョン攻略ではありますが、この入り口付近にいる3人のセイントの皆さんが付いてくるので、スニークスキルのレベルが低いと(NPCはスニークしてくれないので)すぐに見つかってスニークアタック出来ません。
超長距離から狙うか、思い切ってバンザイ突撃するかはキャラクターの特性によっても変わって来ますが、慎重に進みましょう。
ちなみに、順路はほぼ一本道なので、迷う事はないでしょう。 ←コレが、源泉から湧き出ているという“オブリビオン界の水”。 そう言えば、オブリビオン界の海は血のように真っ赤でしたね。 これは金色っぽく見えますが、きっと同じモノなんでしょう。
この流れの源に向かって、ダンジョンを進む事になります。 ←このように、オーダーを見つけるとセイントたちは容赦なく突っ込んでいってしまうので、スニークしてる意味がほとんどないです。
ただし、スニークスキルが100に達していれば、動かなければ基本的に見つかる事はないので、乱戦になってもスニークアタックは可能です。
見つけたら、動かずに彼女たちをオトリに使いましょう。(笑) そんなこんなで進んでいくと、何やら水晶に囲まれた小部屋に入っているセイントが一人。 この人が、セイントの指揮官です。
水晶の牢獄て……。
このオシャレさんめ!
彼女に話しかければ、助け出す方法を教えてくれます。
しかし……。 助け出したのも束の間、どうやら源泉が止められたらしく、セイントたちは皆石化してしまいます。
ココからは一人での探索になります。
やっとスニークアタックの本領発揮です。(笑)
で、孤独にダンジョンをひたすら進んでいくと……? ありました。
これが源泉の間です。
どうやら、源泉がピラミッド型の水晶に覆われてしまっているようです。
……って、水晶のピラミッド?
なんだかスゴいパワーが使えそうですね。(笑) 壊すのもったいないなぁ~。(←オイオイ)
この広間にも、指揮官さんを助けた時と“同じアレ”があるんですが、まずは広間内にいるオーダーの軍勢を一掃して下さい。 でないとやり難いです。
一掃したら、広間の四隅にある“同じアレ”を4つとも一斉に叩いて下さい。 すると……? このように、水晶は破壊されます。
源泉から流れる水は元の水流を取り戻し、石化していたセイントたちも蘇り一件落着。 良かった。 良かった。
……それにしてもなんてもったいないなぁ~、水晶のピラミッド……。
それはともかく、指揮官さんと再び話し、セイントを呼び出せる魔法と、セイントの防具一式をご褒美に頂戴します。 せっかくなので着てみた。
セデューサーの方が露出度は高めなんですが、コレはコレでタニマが……。(笑)
ただ、重装なので軽装キャラのAliceちんには不向き。 仕方がないので、大事ボックスにしまっておきます。
さて、これにてオブジェクティブ・コンプリートになったので、これをシェオゴラス卿に報告しに戻るとしましょう。
ちなみに、サーデンの姿は既に無し。
彼奴め、いったい何処に……!?
また、このクエストのはじめにシェオゴラス卿からこの一連の出来事の大元になっているグレイマーチ、そしてデイドラ・プリンスのジガラグに関する極めて重要なネタバレがあります。 お聞き逃しのないように!
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第2回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
第1章:スピルバーグという才能
映画『未知との遭遇』は、映画監督として既に40年以上のキャリアを積み、歴代の名匠、巨匠の中でも1、2を争うヒットメーカーとしてその名を世界中に轟かせている天才的映画監督、スティーヴン・スピルバーグの監督作品である。
この章ではまず、スピルバーグが映画監督としてサクセスするまでのバイオグラフィを記していく。
・生い立ち
本名、Sir・スティーヴン・アラン・スピルバーグ・KBE。
1946年、アメリカはオハイオ州、シンシナシティにてウクライナ系ユダヤ人移民の家系(注:スピルバーグという姓は、本来はドイツ語で“芝居山”を意味するシュピールベルグが語源で、17世紀に先祖が居住していたオーストリアの町の名前に由来する。 この語は、英語では“Playmount”と訳されており、スピルバーグは自主制作映画時代に映画製作スタジオの名前として使用していた。)に生を受ける。
父親のアーノルドはコンピュータ関係の電気技師で、母親のリア・アドラーはピアニスト。(注:後にレストラン経営者になる) スピルバーグは、二人にとっては待望の第一子だった。(注:後に、3人の妹が生まれている)
父親の仕事の関係で転居が多く、生後間もなくニュージャージー州やアリゾナ州などを点々とする。
両親共、仕事上のストレスから衝突する事が多く、またユダヤ系だったため、同級生などからイジメを受けていた事もあり、スピルバーグは寂しい少年時代を過ごした。 またこの時の経験が、後の映画製作に多大な影響を与える事になる。
その映画との出会いは1952年頃、6歳の時に父親に連れられて映画館に行き、映画『地上最大のショウ』(注:ぺティ・ハットン、チャールトン・へストン主演のサーカスを舞台にしたセシル・B・デミル監督作品。 作品賞と脚本賞でオスカーを獲得している。 52年公開)を観た事がファーストコンタクトであった。
これをキッカケに、スピルバーグ少年は心の拠り所を映画に求めるようになる。 キューブリックやヒッチコック、日本の黒澤明や『ゴジラ』シリーズなどに多大な影響を受け、ディズニーアニメには「ウォルト・ディズニーこそが生みの親」と後に語るほど熱中した。
この頃、母親が父親にプレゼントした8ミリのホームフィルムカメラ(注:当然の事ながら、ビデオではなくフィルムカメラ。 当時はまだ、ホームビデオが無かった)を持ち出しては、ファインダーを覗くようになり、家族旅行やキャンプの様子をカメラに収めていた。
そして、12歳になった1958年、ボーイスカウト仲間の協力を得て、自身初の監督作品、『The Last Gunfight』を制作。 上映時間僅か3分30秒程度の短編にすら分類されない極めて小規模な西部劇映画だったが、周囲の人々には好評で、写真技能賞という賞まで受賞するほどだった。
あるいはこの時、スピルバーグ少年は自らの将来を決意したのかもしれない。 翌59年には、東アフリカを舞台にした上映時間40分の戦争映画、『Escape to Nowhere』を監督。 これまた好評を得る。
さらに映画への情熱を燃やしたスピルバーグは、8ミリから16ミリにフォーマットをアップデートし、1963年、16歳の時に自身初のSF作品、『Firelight』を監督する。
宇宙人が自分達の惑星に動物園を作るために地球人を拉致するという、いわゆるエイリアン・アブダクションをモティーフとしたこの作品は、総製作費は僅か500ドル。 地元の高校であるアルカディア高校のブラスバンド部やアリゾナ大学の学生らに協力してもらい、自身は監督、脚本はもちろん、編集とカメラマンを務め、父親のアーノルドと母親のリアが製作を務めた。 上映時間135分(!)という長編である。
この作品は、1964年3月24日、アリゾナ州のフェニックスリトルシアターで一夜限りのレイトショーが行われ、入場料は一人1ドル。 用意した500席のチケットは完売し、観客にも好評で、上映会は大成功になった。
ちなみに、上映会終了後に集計したトコロ、収益金が501ドルでなんと1ドルの利益が出ていた! スピルバーグは後に、「誰かが2ドル払ったらしい」と語っている。
翌65年、17歳の時にユニバーサル・スタジオの見学ツアーに参加。 ココで、スピルバーグは“あの”ハリウッド映画界の巨人、ジョン・フォードと出会う。
ジョン・フォードは、サイレント時代から活躍した映画監督で、ヘンリー・フォンダやジョン・ウェインを主演に迎えた西部劇映画の神様である。 フォードの監督した『駅馬車』(39年)は、今でも西部劇映画の金字塔として評価され、オーソン・ウェルズは自身の初監督作品、『市民ケーン』(41年)を撮る際にこれを参考にしたと語っており、当時ユナイテッド・アーティスツ社(注:イギリスの映画製作スタジオ。 映画『007:ジェームス・ボンド』シリーズの配給スタジオとしても有名だが、後にMGM傘下になったり逆にMGMを傘下にしたりと経営面で何かと迷走している。 創立メンバーには、かのチャップリンが名を連ねている)の広報部に勤務していた淀川長治が日本公開の宣伝を担当していた事でも有名な作品である。
この、フォードとの決して長くない接見は、しかし若きスピルバーグに強烈な印象を与え、本格的に映画の道を志すようになったのは間違いないだろう。
この直後、父親の仕事の関係で一家はカリフォルニア州に転居する。 が、ココに来ていよいよ両親の不仲は決定的になり、破局を迎える。
父親に引き取られたスピルバーグは、ココで南カリフォルニア大学(注:通称USC。 マーティン・スコセッシ、ブライアン・デ・パルマ、そしてジョージ・ルーカスなど、後のヒットメーカーとなる多くの映画監督や映画製作者を数多く輩出している名門校)への入学を希望した。 南カリフォルニア大学は、映画学科が充実していたからだ。
しかし、自主制作映画の制作に明け暮れる毎日だったスピルバーグは、学校の成績があまり良くなく、名門校である同校には入学出来なった。
仕方なく、スピルバーグはハリウッドが近いという理由でカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に入学し、映画学科を専攻する。
トコロが、ココでもスピルバーグは劣等生だった。 週末になると、許可証も無いのにユニバーサルのスタジオに潜り込み、スタジオ内を勝手に見学して周るようになる。 そして、ついには空き部屋だった掃除用具室を自分のオフィスにしてスタジオに居候するまでになってしまう。
……よく警察沙汰にならなかったモノだ。 昔は結構大らかだったのかしらん?
それはともかく、非公認のスタジオの居候になったスピルバーグは、映画の仕事を求めてスタジオ内を周るが、一向に仕事は見つからなかった。
この頃、『Slipsteam』(67年)という自主制作映画を製作しているが、これは未完のままお蔵入りを余儀なくされてしまう。
しかし、幸運は彼に味方する。
1968年、21歳の時に、映画のオープニングタイトルや特殊効果の製作会社を経営するデニス・ホフマン(注:飽くまでも経営者なので、直接的に映画制作に携わる事は少なかったが、87年の『ロボコップ』や96年の『Fast Money』でオプチカル効果やオープニングタイトルを手がけている)と知り合い、ホフマンのプロデュースで初の35ミリ作品、『Amblin』を監督する。
当時のヒッピームーヴメントを題材にしたこのロードムービーは、しかし当時としても極めて小規模な作品で、上映時間は僅か26分。 しかもサイレント映画だった。(注:ただし、映画は全編に渡ってアコースティックギターによるサウンドトラック付きで上映されている)
16ミリで撮った『Firelight』どころか、8ミリ時代の『Escape to Nowhere』にも劣るミニマム映画であったこの映画は、しかしアトランタの映画祭で短編部門の最優秀作品賞を受賞するほどの高い評価を受け、この実績が居候先であったユニバーサルの当時の副社長、シドニー・シャインバーグの目に留まる。 そして、シャンバーグが責任者を務めていたTV部門の脚本、及び演出家(監督)として7年契約を結ぶ事になる。
時に1969年。 当時22歳のスピルバーグは、いよいよ監督業への道を歩み始める事になった。
・TV映画時代
TV業界で脚本、及び監督として契約したスピルバーグは、しかしこの複数年契約により学業との両立は不可能と判断。 アッサリと大学を中退する。(注:ただし、後年になって復学し、2002年に映画学科の学士号を取得。 さらには同校の名誉教授にまでなる。 現在は、カリフォルニア大学、ニューヨーク大学、イェール大学からも、それぞれ名誉博士号が贈られている)
スピルバーグは、学校で理論を学ぶよりも実地で経験を積む方法を選んだ。
もちろん、これは諸刃の刃となる極めて危険な方法である。 何故なら、学校の授業であれば失敗も許されるが、実地は仕事であり、プロとして結果を出さなくてはならない。 ゆえに、失敗は許されない。
しかしスピルバーグは、このプレッシャーをモノともせず、確実に実績を挙げていった。
69年から71年にかけて、複数のTVシリーズの1エピソードを監督。 特に、後にスピルバーグ自身が劇場版を製作する事になるTVシリーズ、『トワイライト・ゾーン』(注:劇場版、及び80年代のリバイバル版のタイトル。 1959年のオリジナル版は、日本では『ミステリー・ゾーン』というタイトルで1960年にOAされた)の脚本を手がけたロッド・サーリングが原案のTVシリーズ『四次元への招待』(注:原題『Night Gallery』)では、2つのエピソードを監督し、高い評価を得た。
そして、その手腕が買われ、1971年には今もなお世界中で多くのファンを魅了しているTV映画シリーズ、『刑事コロンボ』の監督に抜擢され、『構想の死角』というエピソードを手がける事になる。 これは、シリーズ作品として月イチ(注:正確には4週置き。 『刑事コロンボ』のシリーズは、本来は単独の番組ではなく、放送局のNBCが週替わりで2時間枠のTV映画をOAするという『NBCミステリー・ムービー』という番組の内の1作だった。 『刑事コロンボ』のメインテーマ曲として有名なあのオープニング曲も、本来はこの番組のテーマ曲)でOAされる事になった1stシーズンの正式なファーストエピソードに当たる重要な作品で、後のシリーズに決して少ない影響を与えた。(注:ただし、これに先立ち単発番組、及びシリーズ化を前提としたパイロット版がそれぞれ1作ずつあり、現在はシリーズ3作目として認知されている)
この作品が高く評価され、以降スピルバーグはTV映画を活躍の場としていくが、その手腕で世間をアッ!と言わせたのが、後に劇場公開もされる事になったTV映画、『激突!』である。
映画『地球最後の男』の原作者として知られるリチャード・マシスン(注:原題『I am Legend』。 54年に一度映画化されており、2007年にはウィル・スミス主演でリメイク版が製作されている。 54年版には、マシスンは脚本にも参加している)原作の短編小説を元に、マシスン自身が脚本を手がけたこのTV映画版で、スピルバーグは極めて大胆な演出を試みた。
砂漠地帯のハイウェイをドライブ中のどこにでもいるごく普通のサラリーマンが、ノロノロ走っていた大型タンクローリーを追い越した事で、タンクローリーに何処までも何処までも追い掛け回される“日常に潜む恐怖”を描いたこの作品で、しかしスピルバーグは“タンクローリーのドライバーの顔を一切画面に映さない”という、他に類を見ない演出をして関係者と視聴者を驚かせた。
すなわち、物語りの“悪役”をスクリーンに映し出さなかったのだ。
しかし、この大胆な演出は極めて高く評価され、TVでのOAは高視聴率を稼ぎ出し、これにビジネスチャンスを見出したユニバーサルは、未公開シーンと追加撮影シーンを加えた再編集版(注:90分の作品だが、約15分程度がこれに当たる。 TVでのOA時は、74分だった。 この他にも、ナレーションが無い。 ワイドスクリーンにトリミングされているなどの相違があるが、現在ソフト化されている版は、オリジナルに追加シーンを加えたナレーション付きの3:4アスペクト比のノートリミング版になっている)を制作。 劇場公開用作品としてリリースした。
これは、日本でも73年に劇場公開され、スピルバーグの初監督作品(注:正確には違うが、当時はそう認識されていた。 なお、アメリカ本国では後にソフト版がリリースされただけで、劇場公開はされていない。 劇場公開版は、飽くまでも海外配給用だった)として大ヒットを記録した。
この『刑事コロンボ』と『激突!』により、スピルバーグは業界内でも高く評価され、当時監督デビューを果たしたばかりのフランシス・フォード・コッポラやブライアン・デ・パルマ、そして、後に“盟友”となるジョージ・ルーカスらと肩を並べ、期待の若手監督として認知されるようになる。
いわゆる、“アメリカン・ニューシネマ”世代である。
その後、72年に『Something Evil』(注:サンディ・デニス主演のホラー)、73年に『Savage』(注:マーティン・ランドー主演のサスペンス)という2作のTV映画を監督し、これまた高い評価を得る。
ちなみに、この頃には後に『ジュラシック・パーク』(93年)で一緒に仕事をする事になる小説家、マイケル・クライトン(注:小説家、及び脚本家として知られているが、実は映画監督やプロデューサーとしてのキャリアもあり、73年には、後の『ジュラシック・パーク』の原点と言われる『ウェストワールド』を監督している。 84年公開のトム・セレック主演のSF、『未来警察』もこの人の仕事)と出会っている。
クライトンは、当時ユニバーサルが映画化権を取得した自身の小説『アンドロメダ病原体』(注:映画は71年公開)の製作のためにユニバーサル社を訪れ、そこで“将来有望な若手”と紹介されたのが、スピルバーグだった。
この二人が再会するには、この後実に20年余りを要する事になる。
こうして、TV業界で着実に実績を積んだスピルバーグは、ついに1974年、自身初の劇場用映画作品、『続・激突!‐カージャック』を監督する。
日本では、その前年に劇場公開された『激突!』と同じ監督の最新作という印象を高くするために、いかにも続編であるかのようなタイトルが付けられて公開されたが、本来は原題を『The Sugarland Express』と言い、『激突!』(原題:Duel)とは全く関係の無い作品である。
それはともかく、デイヴィッド・ブラウン、リチャード・D・ザナックという二人のプロデューサーのサポートにより、スピルバーグは69年5月にテキサス州で実際に起こったパトカーカージャック事件を元に、全行程実に300マイル(注:約480km)にも及ぶ大逃走劇を構想。 ハル・バーウッド、マシュー・ロビンスが脚本を手がけ、ゴールディ・ホーン、ウィリアム・アザートンらが出演し、スピルバーグの演出が冴え渡る手に汗握る展開に、観客は熱狂した。
映画はスマッシュヒットとなり、スピルバーグは自身の手腕が劇場公開作品でも通用する事を証明して見せた。
またこの作品では、後にスピルバーグ作品では欠く事の出来ない“パートナー”となる作曲家のジョン・ウィリアムズや、本書の主題である『未知との遭遇』で再びコンビを組む事になる撮影監督のヴィルモス・スィグモンド、さらに、これを含めて『未知との遭遇』まで3作連続でコンビを組む事になるプロダクション・デザイナーのジョー・アルヴスなど、後のスピルバーグ作品において重要な役割りを担う事になるスタッフと出会っている。
その意味に置いても、スピルバーグがこの作品を監督したのには極めて重要な意味があったと言えるだろう。
スピルバーグは、この作品をキッカケに活躍の場をTV映画から劇場用映画へとアップデートさせる。
そして、この『続・激突!‐カージャック』の翌年、1975年に、スピルバーグは後に“歴史的金字塔”と言われるようになる自身初の世界的大ヒット作を監督する事になった。
そう! その映画のタイトルは、『ジョーズ』!!
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
白百合。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
コチラはカワイイ系のドレス・アーマー。 背中の大きなリボンがポイント。 黒色のカラバリ有り。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #01-
皆さんおはこんばんちわ!
そして、明けましておめでとうございますッ!!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
本年も、ヲタク兼ヘタレゲーマーのブログ、『週間! 朝水日記』をご愛顧のほど、よろしくお願いいたします!
辰年なんで。(笑)
ネタがあって良かった。 年初めから悩んでたんですよ。 「来年の新年一発目のネタはどうしよう?」って。
それはともかく、昨年は本当に色んな事があって、状況は今もなお現在進行形なワケで、1年の間に数年分の大事件が一気に集中したような一年でしたが、個人的にも色々な事があって、ちょっとお疲れ気味な今日この頃。
ですが、こうして年も明けた事ですし、今日から心機一転! 今年、2012年こそ、個人的にも社会的にも良い一年になる事を心の底から祈りたいです。
……とは言え、年末には例の預言もあるしなぁ~。 正月早々気が重い……。
……ハッ!? そんなコト言ってたらいけません! 良い年にするんです! みんなで良い年にしていきましょう!
さて、昨年からずっとアナウンスしていましたが、前回の告知通り、今週から当ブログの新連載企画がスタートします。
タイトルは『Watch the Skies』。 昨年お届けした『異説「ブレードランナー」論』と同じく、一本の映画作品を徹底的に解説しようという連載企画です。
そして、今回取り上げる映画はコチラ。
映画『未知との遭遇』!!
……あ、今週のAiCはお休みさせて頂きます。 ご了承下さい。(謝)
<今週の特集>
Watch the Skies:序章
例えば、テレパシーやサイコキネシス、サイコメトリー、透視、念写、予知といった超能力や、ポルターガイストや心霊写真、心霊動画、人魂、エクソシズムといった幽霊、心霊現象。 ビッグフットやモスマン、ネッシー、ツチノコ、チュパカブラなどのUMA。 ピラミッドやスフィンクス、マチュピチュ、ボロブドゥール、イースター島のモアイといった古代文明。 水晶のドクロ、アンティキティラの機械、アショカピラー、ヴォイニック写本などのオーパーツ(注:その時代の技術では不可能とされる考古学上の“あってはならないモノ”の総称。 “Out of Plaece Artifacts”の略)。 バミューダトライアングル、ミステリーサークル、ドッペルゲンガー、ゾンビ、吸血鬼、妖精や精霊、民間伝承、伝説、神話、現代の都市伝説に代表される、実しやかに囁かれるウワサの類。 何度校正しても無くならない誤字脱字。 そして神の存在等々云々。 この世には、科学では決して説明のつかない怪現象や正体不明の存在、説明不可能な事象が確かに存在し、この世はナゾで溢れていると言える。
時は、もう21世紀である。
かつて、映画やアニメやマンガの中で描かれていた、未来世界なのである。
月に足跡を残し、何十億光年も先の深宇宙を観測し、宇宙空間での生活さえも実現し、数十ギガバイトにも及ぶ膨大なデジタルデータを瞬時に全世界に配信する事をも可能にした、科学文明が繁栄を極めた現代社会である。
にも関わらず、ヒトの科学力は未だに解明出来ない数多のナゾを抱えたままだ。
もちろん、それ自体は決して悪い事ではない。 未だに解明される事のないナゾが数多に残されたままになっているという事は、逆に言えば、ヒトの科学力はそのナゾの分だけまだまだ、進歩の余地が残されているという事であり、ヒトの科学力は、今以上により便利に、よりカンタンに、我々の生活をより良くしてくれる可能性を有している事と同義だからだ。
これまで通り、映画やアニメやマンガの中で、いずれ至るであろう輝かしい未来世界を想像して楽しむ余地が、まだまだ残されているという事だからだ。
だがそれと同時に、この希望的観測は今現在のヒトの科学力に対し、ある事実を否が応にも我々に突き付ける。
すなわち、今現在のヒトの科学力が、先に示した数多のナゾを解明するにはまだまだ力不足な、発展途上にある“未熟な科学力”であるという事実である。
音よりも速く空を飛び、街一つを一瞬にして跡形もなく消し去るほどの武力を有し、しかしヒトの死の淵に追い込む難病を克服する力を実現したにも関わらず、ヒトの科学力はこれらのナゾを解明出来ない、“未熟な科学力”でしかないのだ。
ヒトの科学力は、まだまだ“この世の真実”に追いつけていないでいるのだ。
……と、言われてしまうと、現代科学に悲観してしまう人も少なくないかもしれない。 現代科学に対し、「なんだ、科学大したコトねぇな!」と思ってしまう人もいるだろう。
確かにその通りだ。 ヒトの科学力は、未熟そのモノだ。
宇宙はどうやって始まったのか?
その終端はどこにあるのか?
地球はどうやって出来たのか?
ナゼこの星だけに生命がいるのか?
命の始まりは?
ナゼ生まれた者が死ぬのか?
生の意味はどこにあるのか?
あるいは死の理由は何なのか?
我々ヒトは、今こうして自分たちが生きている理由さえ、説明出来ないのだ。
そんな事さえ出来ない科学が、どうして万能だと?
ケータイを持って何が出来る?
電子レンジを使って何が出来る?
TVがデジタルになって何が変わった?
それまでは、無くても困らなかったのに?
科学は未熟だ。 何も出来ない。 我々が本当に知りたい真実は、科学は何一つ教えてはくれないのだ。
……と、悲観的な人は考えてしまうだろう。
しかし、現代科学が真実に追いつけていないからと言って、諦めてしまうのはいささか早計である。 何故ならそれは、ナゾの解明から目を背けているのと同義であり、ムリヤリな論法で現代科学を妄信する某大学教授(注:気の毒なので名指しは自重)と、あるいは同じだからだ。
既知だけが現実で、未知の可能性を信じていないのと同じだからだ。
しかし、既知だけで説明出来ないのであれば、可能性を未知に求めるべきである。
確かに、現代科学は未熟である。 現代科学は何も出来ないし、何も教えてはくれない。 現代科学は、未だに真実に追いつけていないのだ。 そして、いつになったら真実に追いつけるのかも、分からないのだ。
もしかしたら、人類にはこの真実に追いつく日は来ないのではないかという錯覚さえ覚えるほどだ。
しかし、だからといって諦めてしまうのはまだ早い。 何故ならヒトの科学力は、真実に追いつけないと決まったワケではないからだ。
ヒトの科学力は、未だに真実に追いつけていない。 真実は、ヒトの科学力の何十年、何百年も先を行ってるからだ。
しかし、ヒトの未熟な科学力は、未熟ながらもこれまでに数多くの真実に追いついてきた事実を忘れてはならない。
かつて、病はヒトの体に入り込んだ悪魔や悪霊の仕業だと、本気で信じられいた。 夜空に瞬く星々は、地球を中心に周っていると本気で信じられいた。
未来は神の賽によって決められ、ヒトはその運命から逃れられないと、本気で信じている人々が未だにいる。
これらは全て、“当時の最先端の科学”によって“真実”だと考えられていた。
しかし、ヒトの科学力が進歩するに従って、これらの真実が紛い物であった事を見抜き、本当の真実に次々と追いついていった。
それが“真実”だからではなく、ヒトが、“真実を見ようと諦めなかった”からだ。
ミクロの世界。 深海。 そして宇宙。
ヒトの科学力は、数多くのナゾを未だに残したままだが、それと同様に、あるいはそれ以上に、これまで数多くのナゾを解明し、“真実”に追いついてきたのだ。
ならば、未だに残るナゾの数々には、科学は決して追いつけない?
勇気を持って、筆者は“否”と断じよう。
ヒトの科学力は、いつの日にかその“真実”に追いつく事が可能になる。 それがいつになるかは、筆者にも分からない。 もしかしたら、筆者が生きている間はムリかもしれない。
しかし何十年、何百年かかろうとも、ヒトの科学力はいつの日にか必ず、その真実に追いつける日が来るだろう。
投げ出さなければ。
真実を見ようと、諦めなければ……。
……なんでイキナリこんなハナシから始めているのか言うと、今回の主題である映画『未知との遭遇』(77年)のストーリーラインのメインストリームは、まさに今記した“真実を見るために諦めない”だからだ。
映画『未知との遭遇』(原題:『Close Encounters of the Third Kind』)。
それは、『2001年‐宇宙の旅』(68年)や『スターウォーズ』(77年)と並ぶSF映画の金字塔である。
時は現代―。(注:映画の公開当時、1970年代という意味での“現代”)
メキシコの砂漠地帯で奇妙なモノが発見された。 それは、第二次大戦直後に訓練中に行方不明になった戦闘機編隊だった。
フランス人科学者のラコーム博士(フランソワ・トリュフォー)と元地図作製家の通訳、ロフリン(ボブ・バラバン)はこの発見に立ち会う。
しかし、パイロットの姿はどこにもなく、新品同様の機体が放置されていただけだった。
一方アメリカ、インディアナポリスの航空管制塔のレーダーが、正体不明の航空機の機影を捉えた。 近くを飛行中だった旅客機のパイロットが、眩い光を放つナゾの飛行物体を目撃。 あわや空中衝突というニアミスを起こす。
同じ頃、幼い息子と静かに暮らす女性ジリアン(メリンダ・ディロン)は、その夜勝手に外に出て行ってしまった息子を追って夜の街を走る。 幼い息子は、まるで何かに導かれるように丘に向かっていた。
さらに同じ頃、街では原因不明の停電が相次いで発生。 電力会社に勤める電気工技師のロイ(リチャード・ドレイファス)は、上司に呼び出されて現場へと向かった。
その途中、彼は不思議な体験をする。
突然鳴き止む虫。 誰もいないのに暴れるポスト。 クルマのエンジンは止まり、懐中電灯すら点かない。
するとその時、空から眩い光が現れた!
その光を追いかけるロイ。 そして、丘の上まで来たトコロで偶然出会ったジリアンと共に、ロイは色とりどりの光を放つ奇妙な小型の飛行物体に遭遇する。
あれはいったい何だったのか? 憶測はウワサを呼び、ウワサはいつしか一人歩きを始める。
そんな中、ラコーム博士はインドで“空からやってきた”という5つの音を耳にする。 博士はアメリカ政府と協力し、この音の解明に挑む。
しかしその時、電波望遠鏡のレーダーがナゾの信号をキャッチ。 それはなんと、地球外から送信された信号だった!
別々の場所で別々の人々の身に起こった別々の体験。 一見、偶然でしかないそれは、しかしある種の必然性を以って一つとなり、彼らを運命の糸で手繰り寄せ、ある場所へと導く。
そして彼らは、そこで“未知との遭遇”を果たすのだった……。
……というのが、主な内容である。
1977年に公開されたこの作品は、ヒットメーカーとして今もなお現役で活躍するスティーヴン・スピルバーグの劇場用長編映画3作目(注:初期の作品は、本来劇場用ではなくTV映画としてOAされ、あまりの人気のために後に劇場公開された作品である。 正式な劇場用長編映画1作目は、74年の『続・激突!‐カージャック』)の監督作品である。
出演は、オスカー俳優のリチャード・ドレイファスと、メリンダ・ディロン、フランソワ・トリュフォー他。
音楽は、スピルバーグの長年のパートナー、ジョン・ウィリアムズ。
特殊効果は、『2001年‐宇宙の旅』を手がけたダグラス・トランブルとリチャード・ユーリシッチ、そして『スターウォーズ』を手がけたデニス・ミューレン。
撮影は、本作でオスカーを獲得する事になったヴィルモス・ジグモンド。
製作は、『スティング』、『タクシードライバー』を手がけたジュリア&マイケルのフィリップ夫妻。
そして、脚本と監督はスティーヴン・スピルバーグ。
超一流のキャストとスタッフが集結し制作されたこの作品は、世界中で大ヒットを記録し、スピルバーグに“ヒットメーカー”の称号を与えた記念すべき作品である。
地球外生命体という、今ではもう古典の領域に入ってしまった感のあるモティーフは、それまでにも様々な映画の中で用いられていた。 が、後の『E.T.』(82年)や『ニューヨーク東8番街の奇跡』(87年)などに先駆けて、ファンタジックな宇宙人との交流を初めて描いた作品になった。
目を見張るような特殊効果の数々は、『2001年‐宇宙の旅』、『スターウォーズ』、『ブレードランナー』(82年)と並んで、後のSF系の映画やアニメ、マンガや小説に計り知れないほどの多大な影響を与えた。
監督のスピルバーグ自身にとっても、既に『ジョーズ』(75年)で自身最初の“世界的大ヒット”を記録していたが、この作品によって自身が一発屋ではない事を証明し、これ以降のヒット作連発の地盤になった重要な作品である。
ストーリー的にも、スピルバーグ作品らしく不明瞭なトコロは一切なく、多少のご都合主義的展開はあっても、それはフィクションとしては許せるレベルで、テーマやメッセージはしっかりと描かれており、ファンの中でもこの作品を誤解している人は皆無と言って良いだろう。
映画『未知との遭遇』は、スピルバーグらしい作品の一つである。
……が、にも関わらず、この作品には実は“ナゾ”が多い。
作品の解釈において、という意味ではない。 この作品の“ナゾ”は、スクリーンの外側にある。
例えば、公開時期。
1977年に公開された映画の中でも、映画史に残る名作になった『スターウォーズ』は、この年のナンバーワンヒットである。 が、映画『未知との遭遇』は、同じSFでありながら方向性の全く異なる作品で、フツーに考えれば公開を延期するなどして、観客の“スターウォーズ熱”が醒めた頃に公開すべきである。
しかし、映画は同じ年の年末(注:『スターウォーズ』は同年夏公開)に公開された。
結果的にヒットしたから良かったモノの、『スターウォーズ』と比較されて酷評されてもおかしくないタイミングでの公開だったのは確かだ。
公開順もそうだ。
それまで、スピルバーグはTV映画時代からサスペンスやスリラーを手がけてきた映画監督であり、この前作に当たる『ジョーズ』は、今もなおUMA系パニックホラーの金字塔と評価され、後のホラー系の作品に多大な影響を与えた作品である。
しかし、その直後というタイミングでスピルバーグが監督したのは、『ジョーズ』とは真逆のファンタジックSFであるこの作品だった。
さらに、それまで、そしてそれは今でもなのだが、スピルバーグは原案やアイディアを提供する事はあっても、脚本の執筆には直接関わらない映画監督であった。 初期の作品から『ジョーズ』まではもちろんの事、『未知との遭遇』以降の『E.T.』、『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『ジュラシック・パーク』シリーズ、自身初のオスカー受賞作となった『シンドラーのリスト』、『プライベート・ライアン』、『ターミナル』など、これまで監督した全ての作品の中で、スピルバーグが直接脚本の執筆を行い、監督と共に脚本としてもクレジットされたのは、この『未知との遭遇』を除けば『A.I.』だけである。
もうひとつ、スピルバーグは、いわゆる特別編や完全版といった再編集版のリリースを嫌っているフシがあり、『ジョーズ』や『インディ・ジョーンズ』シリーズ、『ジュラシック・パーク』シリーズや後のヒット作の数々には、いわゆる特別編や完全版といった再編集版が存在しない。 唯一、『E.T.』だけは公開20周年記念として制作当時には技術的に不可能だったため、未完成のままお蔵入りを余儀なくされた未公開シーンを追加した特別編が再リリースされる事になったが、映画『未知との遭遇』では、スピルバーグ自身の希望で特別編が制作され、公開から21年を経過した1998年には、やはりスピルバーグ自身の手で再編集されたファイナル・カット版が再・再リリースされている。
それほどまでに、スピルバーグがこの作品にこだわるのは何故なのだろうか? その理由は、いったいどこにあるのだろうか? そしてスピルバーグは、この作品を通していったい何を、観客に訴えたかったのだろうか?
2012年―。
例の“世界の終末”が間近に迫るこの年、公開から35年の節目を迎えるこの作品を、今一度再検証すべく、筆者は本書の執筆を決意した次第であリンス。
こんな時代だからこそ、皆さんにこの映画をもう一度じっくりと観て頂きたいと思ったからだ。
本書、『Watch the Sky:“未知との遭遇”アルティメット・アナライズ』にて、アナタはこの映画にもう一度、“遭遇”する……。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
仮面党戦闘員
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
……しかし、中にはこんなのもある。(一発目からこんなのかい!)
Thanks for youre reading,
See you next week!