goo blog サービス終了のお知らせ 

週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

041.Decode of the Da Vinci Code #2

2009年05月01日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #06b-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 先日の事――。
 4月の頭ぐらいに、nVidiaのVGAのデバイスドライバが一斉にアップデートしました。
 以前にも当ブログで書きましたが、以前使っていたGeForce7900GTXのデバイスドライバがアップデートされた時、グラフィック性能が格段に向上し、現在使用しているGeForce9800GTでさらにグラフィック性能が上がった経験から、「これはもしかして、今回も劇的ビフォアアフターがあるのかしらん?」と、期待に胸を躍らせながら、早速nVidiaのHPからドライバをDL。そしてインスコしてみました。
 すると、なんとぉ……!

……デスクトップには変化なし。(´・ω・`)

 ……まあまあ、焦るな焦るな。
 デスクトップは2Dだし? アイコンやウィンドウの透過は、既に9800GTに交換した時に変化があったし? もうこれ以上向上しようがないレベルだし?
 本命はゲームだ! 3DCGバリバリのゲームのグラフィック性能が上がればそれでいい。
 そこで、試しにCS:Sを遊んでみました。
 すると……!

……fpsが、……上がらない?(´・ω・`)?

 グラフのfps数値が、それまでfpsリミットの99~100を示していたのに、80未満のままそれ以上上がらなくなってしまいました。
 サバやシュチエーションによっては、50未満になる事もしばしば。

……おかしいなぁ。そんなハズは……。

 そう思い、他のゲームも試してみました。が、どれもこれも結果は同じ。L4Dも、INSも、A8も、明らかにfpsが落ちてる。
 そんなバカな! あり得ねぇ!
 そこで、今度はベンチマークテストでスコアを計測してみました。
 するとなんとぉッ!?

スコア、極端に落ちてました……!Σ(゜Д゜;)

 A7ベンチでは、平均fpsが60程度だったのが50程度に。 3DMark06では、5500程度だったスコアが4600程度に。 N-Bench3に至っては、2500程度だったスコアが1500程度にまで落ちてしまいました。
 7900GTX程度にまで、グラフィック性能が落ちてしまったのです。
 理由は分かりません。 7900GTXの時にも、似たような事はありましたがココまで極端に性能が落ちる事はありませんでした。
 仕方がないので、最新版のドライバ(Ver.182.50)をアンインスコして、以前まで使っていたドライバ(Ver.178.24)にダウングレードのハズシワザを敢行。 グラフィック関係の設定を元に戻すのにかなり手間取りましたが、何とか以前のグラフィック性能に戻りました。
 よく、ゲームのメーカーサポートでは、“Windowsアップデートやデバイスドライバを最新の状態にして下さい”と言っていますが、環境によっては一概にそう言い切れないという、何ともメーカーサポート泣かせな結果になりました。
 ってゆーか、よくよく考えてみたら、Steamでドライバアップデート情報が出なかった(注:Steamには、ゲームを起動する際にドライバアップデートを自動チェックする機能がある。最新のドライバが公開されていると、アップデートを要求するダイアログが出る)ので、もしかしたら名ばかりのアップデートだったのやも知れず。
 もしくは、環境によっては劇的ビフォアアフターがあったのかも。
 いずれにしても、僕のマシン環境では、どうやら今回のアップデートはお気に召さなかった様子。
 皆さんはいかがでしたかね? 僕と同じように、逆に性能が落ちてしまった場合は、以前のバージョンにダウングレードしてみると良いかもしれませんよ?



 さて今回は、記事があまりに長くなってしまったため途中までになってしまった前回の続き。映画『ダ・ヴィンチ・コード』の映画紹介パート2です。
 今回は、『映画を“読む”』コーナーでは恒例の作品テーマ解説、及び反応と評価も記していきますが、それだけではアレなので(←?)、本作だけの特別解説も合わせて記していきたいと思います。
 それでは、今週も最後まで楽しんで下され。


※注:以下には、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の重大なネタバレが多々記されています。未鑑賞の方は、先に映画本編を鑑賞して頂く事をオススメします。


・Analysis

 それでは、早速本作だけの特別解説を始めていこう。
 本作は、知っての通り聖書で語られているキリストの聖杯、及びその伝説がモティーフになっている。
 しかし、件の聖杯、すなわちキリストが磔刑に処せられる前夜、弟子達と最後の晩餐を行い、その場で、

“また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くのひとのために流されるわたしの血、契約の血である。」”
(マタイによる福音書:26章27節~28節/日本聖書教会新共同訳)

 と言った時に、手に取った杯こそが聖杯であるが、それとは別に、その後ゴルゴダの丘でキリストが磔刑に処せられ、兵士ロンギヌスが運命の槍でキリストの脇腹を刺し処刑された時、

“しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。”
(ヨハネによる福音書:19章34節/日本聖書教会新共同訳)

 このように流れ出たキリストの血を受けた杯こそが聖杯であるとする説もある。(注:余談だが、この時キリストを刺した兵士ロンギヌスの槍、すなわち“運命の槍”は実在しており、現在はオーストリアのウィーンにあるホーフブルグ宮殿に保管されている)
 この説は、キリストの時代より後年に当たるアーサー王の聖杯伝説(注:本編未プレイなのでアレだが、TYPE-MOONの『FATE/stay night』の聖杯もこちら)にも登場し、こちらを聖杯とする見方が強いようだ。
 いずれにせよ、聖杯は二つ存在していたワケだが、実はこの二つの聖杯、リアルに実在(!?)している。
 前者の、キリストが最後の晩餐で使ったとされる聖杯は、キリストの弟子ペテロがローマに持ち込み、ピレネー山脈を越えてスペイン各地を転々としたと伝えられるモノで、直径9cm、高さ17cmほどの暗赤色のメノウで出来た杯である。 現在は、スペインのバレンシア大聖堂に保管されており、1960年に考古学者によって“紀元前4世紀~紀元1世紀にエジプトかパレスチナで作られたモノ”という鑑定結果が出たため、キリストの聖杯とされた。
 後者は、1910年にアンティオキア(現在のシリア)で発見され、1933年にキリストの聖杯の可能性があるという触れ込みでシカゴ万博に出品され、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されている。(注:ただし、その後の研究によって“アンティオキアで6世紀頃に作られたモノ”という鑑定結果が出ている。しかし、それでも今尚“キリストの聖杯”として大切に保管されている)
 つまり、キリストの“聖杯”は、既に現実に存在し、発見され、(真偽のほどはともかくとして)現在は“キリストの聖杯”として大切に保管されているのだ。
 と、するならば、本作で語られているような、何世紀にも及び、バチカンが教会の権力を維持するためにひた隠しにしているハズの“キリストの聖杯”は、実はもう誰の目にも触れられる場所に存在していると言う事になり、本作が世界中でこれほど大きく取り沙汰されるのに疑問を持つ人も少なくないだろう。
 しかし、その疑問の答えは、実に明瞭で簡単である。
 何故なら、“キリストの聖杯の定義”が、上記とは異なっているからだ。
 本作で語られている“キリストの聖杯”は、劇中でティービングが言っている通り、文字通りの“杯”ではない。
 杯が象徴するモノ、すなわち女性の子宮であり、キリストの血脈を受け継ぎ、キリストの子供を身篭ったマグダラのマリアその人の事なのである。
 この、新しい“聖杯の定義”のヒントとなったのが、本作で語られているレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、『最後の晩餐』である。
 先にも記したように、キリストは最後の晩餐の席上で杯を掲げ、弟子達に最後の説教をした。この時、現在バレンシア大聖堂に保管されている杯が“聖杯”になったにも関わらず、この絵にはそれらしい杯が一つも描かれていない。
 ダ・ヴィンチは、長い時間をかけて試行錯誤の末にようやくこの絵を完成させたにも関わらず、あるべきハズの“聖杯”になるべき杯を描き忘れていたのだろうか?
 そうではないと僕が断じても、反論出来る人はいないだろう。
 何故なら、ダ・ヴィンチはこれ以外にも聖書やキリストをモティーフとした絵画をいくつも描いており、そのどれもが、聖書に記された事実に基いた精密な描写を行っているからだ。
 ならば、ダ・ヴィンチがこの絵に杯を描き込まなかったのは、“意図的なモノ”と考えるのが妥当だろう。
 これを発想の原点とし、キリストの聖杯とキリストの血脈に関する研究をまとめたのが、1982年にイギリスで出版されたノンフィクション、『レンヌ=ル=シャトーの謎-イエスの血脈と聖杯』である。(注:日本では1997年に翻訳版が出版されている)
 マイケル・ベイジェント、リチャード・リー、ヘンリー・リンカーンの共著によって書かれたこの本は、本作で語られた学説の原典になっており、本作の原作者であるダン・ブラウン本人も、「学説自体は既にあった」と、原典があった事を認めている。(注:そのため、ブラウンは『レンヌ~』の作者に盗作で訴えられたが、判決は原告棄却)
 この本や、本作、及び本作公開と前後して複数の出版社から大量に出版された解説本やウェブサイトの記事を読めば、この学説があながち間違いと言い切れないモノがある事に気付くだろう。
 本作でも、この学説についてはラングドンとティービングが長々と詳しく説明している上、これ以上詳細に語ろうとすると、それだけで本が一冊書けるぐらいのテキスト量になってしまうので、当ブログ記事ではこれぐらいで自重しておくが、以下に本作でも物語りの重要なキーになっているダ・ヴィンチの絵画作品のいくつかを簡単に紹介し、これを以って“asayan的映画『ダ・ヴィンチ・コード』解析”としておく。


-最後の晩餐-

製作年:1495年~98年
現所蔵:サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院(ミラノ/イタリア)
画法:油彩/テンペラ画法/420cm×910cm

 聖杯研究家のティービングは、シャトー・ヴィレットの邸宅内に研究室を作り、大型のワイドディスプレイに高解像度のデジタル画像を終始表示させている。
 そのデジタル画像こそ、本作の“謎”を解く最重要テクストであるダ・ヴィンチの壁画、『最後の晩餐』である。
 ダ・ヴィンチが46歳の時に完成したこの絵は、イタリアはミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁を彩る壁画として、実に3年もの歳月(注:ただし、ダ・ヴィンチとしてはこれは逆に早いぐらい)をかけて描かれた。
 そのサイズも、ダ・ヴィンチの作品としては異例とも言えるほど大きく、横幅は9メートル以上。縦幅は4メートル以上にもなり、後にも先にも、ダ・ヴィンチ最大の作品となった。
 通常、壁画に用いられる画法はフレスコ画法だが、この絵は油彩のテンペラ画法で描かれている。
 フレスコ画法とは、壁に漆喰を塗り、その漆喰が乾くまでの間に漆喰面に絵を描く画法である。 この画法だと、絵の具が漆喰に塗り込められるため、絵が長期保存出来るため、壁画ではフレスコ画法が用いられる場合が多い。
 しかし、ダ・ヴィンチはこのフレスコ画法を嫌い、長期保存に向かない油彩を選んだ。
 これにはワケがあり、フレスコ画法は漆喰が乾くまでのわずか数時間の間に絵を完成させる必要がある上、一度描いてしまうと漆喰を剥がして塗り直す以外に描き直す手段がないからだ。
 ダ・ヴィンチは遅筆で知られており、1枚の絵にかなりの長時間をかける。そのため、わずか数時間しか猶予がないフレスコ画法とは、極めて相性が悪かったのだ。
 この絵も、ダ・ヴィンチは試行錯誤を繰り返しながら、何度もデッサンを描き直した。
 しかし、そうして時間をかけたにも関わらず、ダ・ヴィンチはこの絵に杯を描き込んでいない。
 先にも記したように、この絵は聖書に記されたキリストと13人の弟子たちが最後の晩餐を行った時の様子をモティーフにしており、加えてこれはキリストが「この中に裏切り者がいる」と言い放った瞬間を描いた絵である。
 その証拠に、中央に座っているキリストは何事か話しているように口を開いており、その口から語られたであろう言葉に、弟子たちが一様に驚きと動揺を見せている。
 また、キリストの向かって左、聖ヨハネの左、聖ペテロの手前に座っているイスカリオテのユダは、右手に金貨が詰まった小袋を握り締めている。
 にも関わらず、この絵には杯が描かれていない。 何故か?
 その問いに、一つの答えを提示したのが本作である。


-ウィトルウィウス的人体図-


製作年:1492年
現所蔵:アカデミア美術館(フィレンツェ/イタリア)
画法:素描/34.3cm×24.5cm

 本作の冒頭、ルーヴル美術館で修道士シラスに殺されたソニエール館長は、ソフィーとラングドンのために二つの重要なダイイングメッセージを残す。
 一つは、床に書かれたアナグラムを含む怪文とフィボナッチ数列。
 そしてもう一つは、自ら裸体となり、床に描いた円の中で両手足を広げた姿、すなわちウィトルウィウス的人体図の自らの体を使った模写である。
 この絵は、古代ローマ時代に活躍した建築家、マルクス・ウィトルウィウス・ポリオが示した理論を元に描かれており、真円と黄金比の長方形に両手足を接する人体の完璧さを示している。
 これと同様に、ダ・ヴィンチは芸術だけでなく、科学の分野でも多くの功績を残しており、科学的理論に基づく素描画を多数残している。
 中には、自転車や時計、飛行機、ヘリコプター、機関銃など、ダ・ヴィンチの時代から数世紀を経てようやく実現した機械の設計図も多数あり、医学や生物学に関する素描画も残されている。
 天才的な芸術家として才能を開花させたダ・ヴィンチは、しかしそれだけに止まる事なく、あらゆる分野に興味を示し、当時の王侯貴族からの依頼で様々なアイディアを提供した知識人でもあった。
 このシンプルな素描画は、そんなダ・ヴィンチの芸術家としての一面と、科学的根拠に基づく知識に裏打ちされた知識人としての一面の両方をうかがい知る事の出来る一枚と言えるだろう。


-岩窟の聖母-

製作年:1483年~85年
現所蔵:ルーヴル美術館(パリ/フランス)
画法:油彩/198cm×123cm

 本作の序盤、ソニエール館長が残したダイイングメッセージから、ソフィーとラングドンはダ・ヴィンチの『モナ・リザ』(この絵については後述)の絵にたどり着く。
 そして、そこに書かれたメッセージから、ソフィーとラングドンは2枚目の絵を探し当てる。
 その絵こそが、この『岩窟の聖母』である。
 1480年、ミラノのサン・フランチェスコ大聖堂の祭壇を飾る絵を、教会はダ・ヴィンチに依頼した。
 ダ・ヴィンチはこれを了承し、早速二人の弟子と共に絵の制作に取り掛かった。
 が、ダ・ヴィンチと弟子たちが、実際に描き上げた絵を協会に納品したのは、それから28年後の1508年の事である。
 先にも記したように、ダ・ヴィンチは優れた芸術家であるが、同時に遅筆でも有名な人物である。
 ダ・ヴィンチの描いた絵は、実はかなりの数に上るが、そのほとんどが素描(デッサン画)で、油彩画は十数点程度しかない。
 ダ・ヴィンチは、何度も試行錯誤を繰り返し、納得がいくまで構図とモティーフを練り、絵を弄り倒してからようやく描き始める。
 そのため、依頼から納品までに数年が経過してしまうのはよくある事だが、この絵に関しては実に28年もかかっている。
 これは、いくらなんでも時間がかかり過ぎである。
 しかし、これには深いワケがある。
 何故なら、ダ・ヴィンチ作の『岩窟の聖母』は、2枚あるからだ。
 本作中に登場した『岩窟の聖母』は、現在ルーヴル美術館が所蔵しているモノで、ダ・ヴィンチが教会から依頼があった直後に描いたモノである。
 ダ・ヴィンチは、完成した絵を持って依頼主である教会を訪ねた。が、教会側はダ・ヴィンチが持ってきた絵を見て、これをアッサリNGにした。
 絵全体が暗く、大天使ウリエルが、マリアの手に掴まれた目に見えない頭部の首元を指で掻き切る仕草をしており、なおかつマリアの足元にいる洗礼者ヨハネとキリストの描き分けが不明瞭だったからだ。
 教会の祭壇を飾るにはあまりに不適切なこの絵は、しかしダ・ヴィンチにとっては手応え有りの一枚だった。そのため、ダ・ヴィンチは描き直しを依頼されても全く絵を描こうとせず、『最後の晩餐』や『モナ・リザ』を描いた後、ようやく2枚目の『岩窟の聖母』を描く。
 こうして描かれた2枚目の『岩窟の聖母』(注:ナショナル・ギャラリー所蔵。ロンドン/イギリス)は、1枚目と同じ人物、同じモティーフ、同じ構図、同じサイズでありながら、1枚目とは全く異なる絵に仕上がっている。
 全体的に暗く、しかし懐かしさにも似た温かみのある光は、まるで強力なキセノンライトのスポットライトを当てたように明るくなり、柔らかく人間味のある人物の肌色は、非人間的なまでに白く輝き、ややもすると人形のようである。
 加えて、描き分けが不明瞭だった二人の幼子は、向かって左側の幼子に十字架とヴェールを与える事で、明確に洗礼者ヨハネとして描く事で両者の描き分けを明確にし、加えて二人の幼子とマリアには天使の輪が描き加えられた。
 また、問題になった大天使ウリエルの指のポーズもなくなり、カメラ目線だった視線も二人の幼子を見つめる視線に描き直された。
 さらに、背景には流れる水のモティーフが描き加えられ、教会側が望む通りの絵になった。
 確かに、この描き直しによって、絵の完成度は増したと言える。 実際、二枚の絵を並べて見比べてみると、2枚目の光の表現は、1枚目とは比較にならないほどリアルで、かつシャープである。
 が、この描き直しによって、ダ・ヴィンチ特有の暗く、しかし温か味のある色彩は失われ、人形のような非人間的な美しさのみが強調された絵になってしまった。
 しかも、最近の研究により、この2枚目に使われたカンバスは、『最後の晩餐』の習作に使われたカンバスをそのまま使っていた事が明らかになった。(注:最新の赤外線スキャナで絵を透過したところ、カンバスに描かれた『最後の晩餐』の聖ピリポと全く同じポーズをとっている人物のデッサンが浮かび上がってきた)
 また、この絵の後に描いたとされる『聖アンナと聖母子』(1508年~10年、ルーヴル美術館所蔵)は、1枚目や後述の『モナ・リザ』と同じく、ダ・ヴィンチが得意とする暗く、しかし温か味のある色彩の絵になっている。
 ところで、この『岩窟の聖母』には、実は“3枚目”が存在する。
 時は2005年、イタリアのアンコーナという街に住む個人コレクターが倉庫から発見したモノで、1枚目とほぼ同じ構図(注:幼子にヴェールと十字架がない、大天使ウリエルが掻き切るポーズをとっている)だが、背景に流れる水のモティーフが描き加えられ、絵全体がナショナル・ギャラリー版(2枚目)とほぼ同じ色彩になっている。
 そのため、1枚目(ルーヴル版)でボツを喰らったダ・ヴィンチは、2枚目としてこのアンコーナ版を描いたが、これまたボツになってしまい、仕方なく3枚目のナショナル・ギャラリー版を描いた。というのが、一般的な見方のようである。(注:ちなみに、このアンコーナ版と一緒に発見されたのが、ダ・ヴィンチが描いたとされるマグダラのマリアの肖像画である。確かに、ダ・ヴィンチ特有の遠景の背景とモナ・リザにも似た人物との構図でダ・ヴィンチが描いたっぽい作品だが、人物の色彩が明らかに背景と異なり、ナショナル・ギャラリー版の『岩窟の聖母』っぽい仕上がりになっている。また、人物は衣服の胸元を大きくはだけ、乳房があらわになった姿で描かれている。もし仮に、ダ・ヴィンチがマグダラのマリアこそが“キリストの聖杯”だと考えていたのなら、マグダラのマリアの肖像画を描く時、このような一般的に言われている娼婦のようなマグダラのマリアを描くだろうか? それもあって、まだ鑑定結果が出ていないようだが、筆者はこれをダ・ヴィンチの作とは考えていない)
 ちなみに、筆者個人としては、ナショナル・ギャラリー版の巧みな光の表現も捨て難いが、絵全体に温か味のあるルーヴル版が一番スキだったりする。


-モナ・リザ-

製作年:1503年~06年
現所蔵:ルーヴル美術館(パリ/フランス)
画法:油彩/77cm×53cm

 さて、最後に紹介しなければならないのはこの絵である。
 本作の劇中、ソフィーとラングドンがソニエール館長の残したダイイングメッセージから、アナグラムの謎を解き、次のメッセージの隠し場所を探り当てる。
 その隠し場所にあったのが、この『モナ・リザ』である。
 本作の“謎解き”とは、実は全く関係の無いこのシンプルな肖像画は、しかし本作を語る上では欠かせない映像テクストとしてスクリーンに映し出されている。
 ダ・ヴィンチの作品の中でも一際有名なこの肖像画は、描いた本人であるダ・ヴィンチ自身が“傑作”と言い切り、死ぬまで手放す事を拒んだ2枚の絵の内の一枚(注:もう一枚は、『洗礼者ヨハネ』の肖像画)である。
 この謎に満ちた絵は、しかし見る者を虜にして離さない不思議な魅力を持っている。
 この絵の謎の一つは、まず背景である。
 一見すると、何でもないどこか山間部の丘から見渡した風景のように見えるが、中央の人物を挟んで左右の水平線の高さが異なり、加えて川のように見える流れる水のモティーフは、まるで大洪水でもあったかのように荒れ狂った河で、しかも水の色は青ではなく赤。ややもすると、血のようにも見えるほど、世界終末論的である。
 ただし、左右の水平線が異なるのは、背景を描く時にカンバスを円筒に巻き、カンバスの両端をつなげて、絵の中央を端にして描いたからで、左右の両端をつなげると、背景は見事にピタリと一致する。
 このような実験的な技法の構図も、もちろん意図的に行ったのだろうが、その真意のほどは不明である。
 もう一つ、この絵の謎となっているのが、人物のモデルである。
 一見すると、男か女かも解らない中性的な顔立ちは、豊かに膨らんだ胸元でかろうじて“女性”と考えられているだけで、実際には男かもしれないと考える専門家もいると言う。
 実際、モデルと考えられている人物は複数おり、フィレンツェの名士、フランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻、エリザベッタがモデルであるとする説が有力だが、これ以外にも、ダ・ヴィンチの熱烈なファンだったイザベラ・デステや、ミラノ公妃のイザベラ・ダラゴーナという説や、心理学者のフロイトに至っては、ダ・ヴィンチの母親のカテリーナがモデルという、いかにもフロイトらしい説を唱えている。
 また、ダ・ヴィンチ自身の自画像であるという説や、本作でも重要な人物である“杯”が象徴していた人物、すなわち本作で語られた“聖杯”そのモノであるマグダラのマリアであるという説もあるほどで、かなり諸説入り乱れている。
 しかも、この絵はルーヴル美術館に展示されるようになってから、一度盗難にあっている。それも白昼堂々、たまたま美術館に来ていた美術学生に言われるまで、守衛も来館者も、誰もその事に気付かなかったと言うから驚きである。1911年の出来事だ。
 しかし、それから2年半後、絵は何事も無かったかのようにルーヴルに帰ってくる。だが、その間に6枚もの贋作が売りさばかれたと言われており、その内の一枚が、ルーヴルに返還された『モナ・リザ』ではないかと言われており(注:それもあって、現在“もう一つのモナ・リザ”と呼ばれている絵が、世界に3枚ほど存在している。が、未だに正確な鑑定結果は出ていない)、この絵の謎、そして神聖性を深めている。
 そう、この絵は“神聖”なのだ。
 その曖昧な微笑みに多くの人々が魅了され、この絵を見た誰もが、「意外と小さい」というファーストインプレッションを抱きながら、しかし誰もが、この絵から目を離す事が出来ない。
 この絵の何が、これほど多くの人々を魅了するのだろう?
 ダ・ヴィンチは何故、この絵を手放そうとしなかったのだろう?
 そしてダ・ヴィンチは、この絵にどんな意味を込めたのだろう?
 この絵の持つ“謎”、そして“神聖性”は、本作のモティーフであるキリストの聖杯伝説の“謎”と“神聖性”に通じるとして、原作の単行本の表紙にデザインされ、本作のポスターにもデザインされた。
 もし、アナタがこの絵の前に立ち、彼女の微笑みと対峙したならば、彼女はきっと、アナタにこんな言葉を語りかけてくる事だろう。

「さあ、アナタたちにこの謎が解けるかしら?」

 少なくとも、僕はこの絵を見て、彼女がそう言っているように見えた。


 ダ・ヴィンチの作品には、この他にも『受胎告知』(1472年~75年、ウフィツィ美術館所蔵。TVアニメ『Gunslinger Girl』で背景の一部として登場しているが、本来は横長の絵が何故かほぼ正方形になって描かれている。同作品にしては珍しいミス)や、『洗礼者ヨハネ』、『東方三博士の礼拝』、『聖アンナと聖母子』などがあるが、本作とはあまり関係の無い絵なので、詳細は割愛する。
 興味のある方は、後述の“参考資料”の項にあるウェブサイトや書籍を参照してみて頂きたい。


・Point of View

 さて、本作のモティーフになっているのは、何度も記している通り、“キリストの聖杯伝説”である。
 ただし、キリストが最後の晩餐で説教に使った杯や、キリストがゴルゴダの丘で磔刑に処せられ、最後にわき腹を刺された時、流れ出たキリストの血を受けた杯でもなく、杯が象徴する女性の子宮であり、キリストの血脈たるサラを産んだキリストの伴侶、マグダラのマリアその人の事である。
 キリスト教の影響が少ない日本では、正直「それがどうした」というのが大半の人々の素直な感想だろうが、キリスト教の影響力が強い西側諸国、特にカトリックのお膝元であるバチカンを擁するローマを中心としたヨーロッパ諸国では、これは極めて遺憾な学説である。
 何故なら、古代ローマを初め、ヨーロッパ諸国は、古くからキリスト教を政治的権力に利用してきたからである。
 歴史的に、宗教を政治や権力に利用するという事自体は、それほど珍しい事ではない。実際、日本や中国、インドなどでも、宗教的権力者が政治の中枢を担うというのはよくあった事で、現在でも、少数民族の部族の長などは、祈祷師や呪い師としての役割があったりする。
 しかし、このように政治や権力と宗教が強く結びつくと、たまに困った事が起こる。すなわち、宗教の象徴=権力の象徴である。
 こうなると、宗教は最早ただの宗教とは呼べなくなる。
 宗教の教祖は、まるで自らが神で自らが法であるような振る舞いをするようになり、人々は宗教的な理由から権力者に逆らえなくなり、宗教的教義は、権力者が自らの権力を維持し、私腹を肥やすために曲解され、歪めらる。
 宗教は宗教としての機能と効力を失い、政策は全て、“神の名の下に”行われる。
 こうなると、宗教は暴走を始める。
 その最たる例は、世界中の歴史に明確に刻まれている。
 例えば、本作にも登場した“十字軍”。 聖地エルサレムの奪還を目的として結成されたこのアーミーは、しかし実際には、エルサレム奪還を成し得ないまま遠征を終了している。
 この理由については諸説あり、本作では、その内の一つである“聖杯探索説”が語られているが、この遠征で犠牲になったのは、何もクルセイダーたちだけではない。
 十字軍は、遠征中エルサレムまでの道程で町や村を襲撃し、罪もない人々の金品を“神の名の下に”奪い、食料を強奪し、女たちを強姦した。
 そして、彼らに逆らう者はことごとく殺された。
 さらに、歴史的にもいわゆる“暗黒史”として名高い“魔女裁判”は、当時教会が失墜しつつあった教会の権力回復のために行ったモノで、罪もない人々が不当な言いがかりをつけられては理不尽な裁判にかけられ、凄惨な拷問を受けたあげく、最後には処刑された。 その犠牲者は、記録に残っているだけでも数千人。 記録に残っていない者(注:すなわち私刑)も含めれば、その数は数百万人にも上ると言われている。
 現代でも、宗教は重要な権力の象徴になっている。
 その最たる例は、やはりオウム真理教とイスラム原理主義派だろう。
 麻原彰晃を頂点としたオウム真理教は、洗脳により信者たちをマインドコントロールし、麻原の語る“教え”の絶対性を植えつけ、最終的に、それは地下鉄サリン事件という前代未聞の宗教事件に帰結した。
 イスラム原理主義派は、ウサマ・ビンラディンを頂点とした武装組織を作り、中東の内政に干渉するアメリカに徹底抗戦(すなわちジハード=聖戦)を挑み、その結果が、9.11アメリカ同時多発テロという、最悪の形に帰結した。
 さらに言うなら、宗教同士の対立となると、最早収拾がつかないほど泥沼化する傾向が強い。何故なら、それぞれの宗教が語る“正義”は、どれもそれぞれ独自の論法だが全て正しい。 だから、第三者が割り込んで仲裁する事も出来ず、宗教的対立は泥沼化する。
 あまり関係ないかもしれないが、戦前には、アメリカで「聖書を否定する」として、ダーウィンの進化論を学校の教科書から削除する事が真剣に検討され、裁判沙汰にまでなった。“僅か”数十年前の出来事である。
 このように、宗教と政治は、宗教が権力に利用される事で、宗教的にも政治的にも誤ったベクトルに向かう事があるため、決して一緒くたになってはならないのだ。
 そのため、現在の日本国憲法には、政治と宗教を切り離す“政教分離の原則”が明確に謡われている。(注:ただし、これが正確な意味で守られているかと言うと、そうでもない。創O学会とO明党とか……)
 本作で焦点になっているのは、“キリストは人か神か?”であるが、現在のカトリックでは、“キリストは神”という解釈が主流である。
 キリスト教の祈りにある“主”は、キリストその者を指し、祈りはキリストに捧げられるモノである。
 そもそも、キリストは人の子として生まれてきていない。 聖母マリアは、大天使ガブリエルに告知されるまで、自らの懐妊を知らなかった。何故なら、聖母マリアは男性経験がなく、当然性交渉も未経験だったからだ。いわゆる処女受胎である。
 キリストは、神と聖母マリアとの間に生まれた子供であり、そもそも人ではないのだ。
 ならば、キリストは何者か?
 後の人々は、これを“神そのモノ”と定義した。
 これにより、教会はキリストという明確な象徴としての“神”を手に入れ、権力に利用してきた。 その権力は、現在でもバチカン市国という形で脈々と受け継がれ、世界中のカトリック信者に多大な影響を与えているのである。
 しかし、これがマグダラのマリアという名の聖杯との間に子を儲け、キリストの血脈が娘のサラから現在までに脈々と受け継がれているとなると、キリストは神ではなく、神の子でもなく、ただの人間だったという事が証明されてしまう。
 こうなると、教会的にはかなり微妙な立場に置かれてしまう。
 何故なら、神であった象徴としての存在が、実はただの人間で、神聖性は失われ、人々は神たるキリストに対して疑問を持つようになってしまう。
 こうなると、人々は教会に対する信仰心を失い、「結局神はいなかった」という結論に達し、教会の権力は失墜し、世界は大混乱に陥る。
 だから、バチカンはオプス・デイを使って、この真実を守り続けているシオン修道会の撲滅と、聖杯奪還のため、修道士シラスにソニエール館長を殺させた。
 真実を隠し、自らの権力を、維持するために……。
 しかし、僕に言わせれば、そんなモノはこの一言で片付けられる程度の事である。

だからどうした?

 キリストが神であるか人であるか? そんなコトはどーでもいい事だ。
 そもそも、人であった歴史上の人物の中にも、死後に神格化されて神として崇められている人物も多い。
 日本では、初代天皇である神武天皇がそうだし、平将門や安部清明、東郷平八郎など、歴史上の実在の人物が、死後に神格化されて神社に奉られている例はいくらでもある。
 つまり、神が元人間であったとしても、その神聖性が失われ、人々の信仰の対象から外れる事など、実は、一切、ない。
 キリストにしたって、それは全く同じである。
 本作の劇中、終盤でラングドンはソフィーにこう言う。

「イエスは並外れた人で、人々に希望を与えた。 歴史が証明できるのはそれだけだ。」

 全く以ってその通りである。
 先に挙げた神格化された歴史上の人物も、結局は歴史が語るのは、“神と呼べるほどスゴイ事をやってのけた人”という事実だけで、彼らが神であったか人であったかは、飽くまでも歴史解釈に委ねられている。
 それを明確に語っているのが、本作の冒頭、ラングドンの登場シーンである講堂での講演のシーン。

「象徴(シンボル)は過去を知る言語と言えます。
 ‐中略‐
 我々は過去を知る事により現在を理解できるのです。“真実だ”と信じる事と“真実”をどう見分けるのか? 私たちの事を伝える歴史をどう書き残せばいいのか? 何世紀もの長きに渡って歪められた歴史から元の真実を掘り起こせるのか?」

 そう、歴史が語るのは事実であり、事実は、真実の断片である。
 しかし、飽くまでも断片でしかなく、その断片のつなぎ合わせ方、あるいは読み解き方次第では、歪められた偽りの真実に見えてしまう。
 だから、人によって歴史が示す事実の見方が変わってくる。
 だから、歴史的解釈の相違が起こり、国家的、あるいは民族的、もしくは宗教的対立が起こり、今尚世界中で頻発している武力衝突や民族紛争、はては人種差別の原因になる。
 だから、我々に必要なのは、『“真実だ”と信じる事と“真実”をどう見分けるのか?』であり、

「証拠はなく、聖杯は失われたとしても、ソフィー、要は“何を信じるか”だ。」

 なのである。
 宗教は飽くまでも宗教だ。それ以上でも以下でもない。
 以前にも、当ブログでは似たような事を書いたと思うが、要は、人々が“何を信じるか?”が問題なのであって、その対象が人であろうが神であろうが元人間であろうが、実はどーでもいい事で、神のみが唯一絶対であるような事は、ない。
 ってゆーか、そんな事があったりすると、結局は先に記したように権力者によって宗教が権力に利用される理由になり、政教分離の原則の論争に逆戻りしてしまう。
 そう、信仰とは“信じる心”であり、これを養うのが宗教の唯一の目的であり存在理由である。宗教以外の方法で、この“信じる心”を養えるのならば、その人にとって宗教は無用であり、信仰の対象が神であるか人であるかなどという論争は、やはりどーでもいい事なのである。
 本作が語るのは、決して宗教否定でも宗教肯定でもなく、“宗教とは何か?” そして、“何を信じるか?”を自問自答し、この映画を観た全ての観客に対し、自分なりの歴史的解釈をやってみようという、一つの提案である。
 本作を見て、皆さんがそれぞれ何を想うか?
 恐らく、千差万別だろう。
 しかし、僕はあえてこう言わせてもらう。

それが、一つの“答え”です。


 それとは関係ないが、本作のラストは原作と微妙に異なる結末になっている。
 原作では、最後にソフィーとラングドンの間にロマンスが生まれて終わるが、映画ではロマンスは生まれず、飽くまでも“同志”の関係で終わる。
 しかし、個人的にはこのラストがかなりスキだったりする。
 ソフィーが、ラングドンを『Sir Knight』と形容するトコロなどは、ラングドンと同様に思わずニヤリとしてしまうほどのお気に入りである。(注:Sirは卿位を表す敬称だが、Sir Knightの場合はクルセイダー、すなわち聖騎士を表す)


・Reaction&Estimate

 本作は、2006年の5月に全世界で一斉に同時公開された。
 しかし、既に原作が世界的ベストセラーとなっており、日本では新書版と文庫版、合わせて累計1000万部(!)という驚異的なセールスを記録した作品(注:通常、小説は10万部でベストセラーと呼ばれる。ただし、新書版は上下2巻分冊。文庫版は3巻分冊である。そのため、多く見積もっても購入者はその3分の1程度と思われる。が、それでもかなりの発行部数である事に間違いはない)だけに、公開前から世界各地で話題となり、公開されるや否や、本国アメリカはもちろんの事、日本やヨーロッパ各国でも、本作は瞬く間にヒットチャートを駆け上り、近年の映画では記録的な大ヒットとなった。
 しかし、世界各地で記録的な興行収益を記録する傍ら、先に記したような宗教的な理由で多くの批判の対象ともなった。
 そして、中には上映禁止や上映反対運動が起こる国もあった。
 太平洋、オーストラリア近くにある島国サモアでは、若者のキリスト教信仰に悪影響を与える可能性があるという理由から、キリスト教の指導者を試写会に招いた上で上映禁止となった。
 インドや中国、エジプト、あるいはイスラム教国のパキスタンでも、同様に上映禁止となった。
 フィリピンでは、本来暴力描写や性表現に対するレーティングであるR-18が、そういった描写が一切ないハズの本作に適用され、鑑賞年齢制限付きで上映された。
 また、本作はカンヌ国際映画祭のオープニング作品として、カンヌのオープニングセレモニーを華々しく飾ったが、プレス向けの試写会では大不評を受け、拍手の代わりに失笑や口笛が飛び交った。
 このように、本作は興行記録とは対照的な不評を得たが、原作者であるダン・ブラウンは、本作の原作を執筆した動機を、「議論好きな人たちに論争のネタを与えたかった」と語っている。
 原作者のこの思惑は、果たして上記のように賛否両論入り乱れ、まさに望んだ通りの論争のネタになった。
 キリスト教的世界観が定着していない日本では、一次的なブームで終わってしまった感が強いが、キリストを絶対視する傾向が強いアメリカやヨーロッパ、果てはイスラム教国やユダヤ系民族の多い中東諸国でも、本作は原作も含めて激しい論争のタネになり、今も尚、その影響は計り知れないほど大きい。
 原作者のダン・ブラウンは、原作の始書きとして、こんな一文を掲載している。

“この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。”

 しかし、それと同時に、ブラウンはインタビューにおいて、終始本作を“フィクション”と断じている。
 本作で語られている事柄を、真実と観るか虚構と観るか?
 その決定権は、全て本作を鑑賞するアナタ自身に委ねられている。
 何故なら、重要なのは“何を信じるか?”だからである。
 本作を未鑑賞の方は、ぜひ一度本作を鑑賞して、この論争に加わって頂きたいと思う。


・Data

ダ・ヴィンチ・コード(原題:The Da Vinci Code)

配給:コロンビア・ピクチャーズ
   (日本での配給はソニー・ピクチャーズ名義)
出演:トム・ハンクス
   オドレイ・トトゥ
   イアン・マッケラン
   アルフレッド・モリーナ
   ポール・ベタニー
   ジャン・レノ
原作:ダン・ブラウン
脚本:ダン・ブラウン
   アキヴァ・ゴールズマン
音楽:ハンス・ジマー
撮影:サルヴァトーレ・トチノ
編集:ダニエル・P・ハンリー
   マイク・ヒル
製作:ブライアン・グレイザー
   ジョン・コーリー
   ロン・ハワード
製作総指揮:トッド・ハロウェル
      ダン・ブラウン
監督:ロン・ハワード

総製作費:非公開
上映時間:149分(DVDエクステンディッド版は174分)
公開年月:2006年5月(日本でも同じ)



 といったトコロで、以上2回に渡って、映画『ダ・ヴィンチ・コード』を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか? 楽しんで頂けましたか?
 今週はココまでです。
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


間違うかたなく。

Th3042  
Thanks for youre reading,
See you next week!



-参考資料-
※今回の記事では、以下のウェブサイト、及び書籍類の記事を参考資料として適宜参照しました。

・Wikipedia日本語版
 検索ワード:ダ・ヴィンチ・コード(映画)レオナルド・ダ・ヴィンチ
※この記事の中にリンクがあるスタッフやキャスト、原作者、及び関連用語の記事も参照しました。合わせてご覧下さい。 また、解説、考察系のウェブサイトが多数ありますが、独断的、あるいは偏見的な内容のサイトが多いので、あまり参考にしない方が良いです。

GAKKEN MOOK:「ダ・ヴィンチ・コード」の謎と真実
※映画の公開に合わせて出版された解説ムック本。 これ以外にも、当時は解説本が山のように出版されたが、ウェブサイトと同じくヘンな独断や偏見がなく、内容的にまとまったモノは少ない。 本書は、その中でも内容的にまとまりが良く、比較的分かり易い内容だと思います。


-DVDソフト-
※今回ご紹介した作品のDVDソフトのamazonの商品紹介ページのリンクです。ぜひ一度ご覧下さい。

ダ・ヴィンチ・コード-コンプリート・ボックス
※劇場公開版ではカットされた25分の未公開シーンを含む3時間エクステンディッド版の本編、特典映像集、及び、劇場公開に合わせて開催された『ダ・ヴィンチ・コード展』のオフィシャルプロモーションビデオを収録したDVD3枚組。 また、映画に登場したラングドンの手帳やクリプテックスのレプリカもバンドルされている。 エクステンディッド版が観れるのは、2009年4月現在でこのボックスだけ。

ダ・ヴィンチ・コード-デラックス・コレクターズ・エディション
※劇場公開版と特典映像集のDVD2枚組。 特典映像集は、コンプリートボックスに同じ。

ダ・ヴィンチ・コード-スタンダード・エディション
※劇場公開版の本編のみのDVD1枚組。 レンタル版と同じ仕様です。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

040.Decode of the Da Vinci Code #1

2009年04月24日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #06a-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 突然ですが、イキナリお詫びと訂正です。 前回、当ブログでご紹介させて頂いたCS:Sのパブリックサーバー、『ConquestMOD*for AichiPlayers』が閉鎖されました。
 以前、当ブログでも『ヘタレゲーマークロニクル』や『~・ムービー版』で紹介させて頂いた愛知CTFサバを再現したサバでしたが、諸般の事情により、記事をうpった直後に閉鎖されました。
 さて、何故閉鎖されたかと言うと、実は、ナント!

愛知CTFサバの稼動が再開されました♪\(^0^)/

 以前から、近日再開される事は知っていましたが、サバ管さまの話しでは「早くても6月頃」という事だったので、NAUSICAAさんがConquestMODサバを立ち上げたワケですが、予想外にも本家の愛知サバがGW前のこの時期に運営を再開。 しかも、僕は前回のQ3Aムービーの収録のために2、3日CS:Sで遊んでなかったので、記事をうpるまで再開に気付きませんでした。 気付いたのは、記事をうpった直後だったのです。(注:うp当日に再開したっぽい)
 全くの予想外だったとは言え、情報不足、確認不足により、CS:Sプレーヤー、及び関係者の皆さまに無用の混乱をもたらしかねない正確性を欠く記事をうpった事を訂正し、謹んでお詫び申し上げます。(謝)
 ConquestMODサバは閉鎖されましたが、愛知CTFサバが再開されたので、また皆で撃ち合って遊びましょう!



 さて、今回は『映画を“読む”』コーナーのシリーズ第6弾です。
 映画ファンであれば、既にお気付きの方も多いかと思いますが、このコーナーではこれまで5本の映画を紹介してきました。 そして、この5本の作品はそれぞれ異なるスタジオが製作した作品です。
 すなわち20世紀フォックス(『ファイト・クラブ』)、ワーナー・ブラザーズ(『エクソシスト』)、ユニバーサル・ピクチャーズ(『12モンキーズ』)、MGM(『羊たちの沈黙』)、パラマウント・ピクチャーズ(『宇宙戦争』)です。
 そう、この5つのスタジオは、いわゆる“ハリウッド6大メジャー”と呼ばれ、20世紀初頭からハリウッドの映画産業を牽引してきた重要なスタジオばかりです。
 このコーナーでは、これらのスタジオの作品を一つずつ紹介してきました。 そして、今回は“ハリウッド6大メジャー”シリーズの最後を飾るべく、コロンビア・ピクチャーズ(ソニー・ピクチャーズ)が製作し、世界中で一大センセーションを巻き起こした超ベストセラー小説の映画化作品で、シリーズ最新作が間もなく全世界同時公開を迎える、トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ主演、ロン・ハワード監督作品、『ダ・ヴィンチ・コード』(原題:The Da Vinci Code)を紹介します。
 今週も、最後までお付き合い下さいませませ。


※注:以下には、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の重大なネタバレが多々記されています。未鑑賞の方は、先に映画本編を鑑賞して頂く事をオススメします。



・Story

 時は現代――。
 フランスはパリにある世界的にも有名な美術館、ルーヴル美術館で、ある夜殺人事件が起こった。 被害者は美術館の館長、ジャック・ソニエール。
 大学でシンボル学を教える著名な大学教授、ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)は、その日公演のためパリを訪れていた。
 そして、公演を終えたラングドンの元に警察官がやってきて言う。
「これを見て下さい。」
 彼が見せられたのは、一枚の写真。 それは、ソニエール館長の凄惨な殺人現場の現場写真だった。
 専門家として現場を見てほしいと頼まれ、ラングドンはルーヴル美術館を訪れ、現場の責任者であるベズ・ファーシュ警部(ジャン・レノ)と共に現場検証を行った。
 館長は、確かに銃で撃たれて死んでいた。
 だが奇妙な事に、館長は自らの意志で、全裸になり、床に円を描き、その内側に手足を広げて横たわったようだ。
 しかも、その傍らには夜光インクで書かれた不可解なダイイングメッセージまであった。
 頭を捻るばかりのラングドン。 しかし、そこに現れた女性暗号解読捜査官、ソフィー・ヌヴー(オドレイ・トトゥ)からもたらされた言葉に、ラングドンは驚愕する。
「アナタが容疑者です。」
 ダイイングメッセージには、ファーシュ警部が意図的に消した部分があったのだ。 そしてそこには、“ラングドンを捜せ”と書かれてあったのだ。
 ソフィーは、自らがソニエール館長の孫である事を明かし、ラングドンに協力する。
 ファーシュの目を盗み、ソフィーと共にダイイングメッセージの謎に挑むラングドン。 そして、館長が残した手がかりを一つずつ追っていく。
 ルーヴルからアメリカ大使館、凱旋門、ブローニュの森、そしてシャトー・ヴィレット。 パリ中を駆け回るラングドンとソフィー。 さらには国境を越えてイギリスへ。 ラングドンを犯人だと信じて疑わないファーシュ警部がそれを追う。
 そして、全ての謎が明かされた時、人類史上最大の隠ぺい工作の真実が明かされる!
 ダン・ブラウンの世界的ベストセラーにして、世界中で様々な議論を呼んだ問題作を、映画『アポロ13』のトム・ハンクスとロン・ハワード監督が再びコンビを組んで完全映像化に挑んだ意欲作。
 ぜひ一度、ダ・ヴィンチが残した暗号の解読に挑戦してみて頂きたい。


・Cast&Staff

トム・ハンクス/ロバート・ラングドン教授

 本作の主人公、ラングドン教授を演じたのは、ハリウッドを代表する世界的ビッグスター、トム・ハンクスである。
 1970年代から今現在もOAが続いているアメリカの人気バラエティ番組、『サタデー・ナイト・ライブ』でホストを務める(注:レギュラーではなくゲストとしてだが、7回出演している。他にも、ビル・マーレイやダニー・デヴィート、意外なトコロではクリストファー・ウォーケンも何度かホストを務めている。また、映画にもなった『ブルース・ブラザーズ』は、この番組の人気コーナーだった)など、コメディ俳優として多数のTV、映画に出演。そんな彼が、性格俳優としての地位を築くキッカケになったのが、ジョナサン・デミ監督の1993年公開作品、『フィラデルフィア』と、翌94年公開のロバート・ゼメキス監督作品、『フォレスト・ガンプ/一期一会』である。
 この、二つのシリアスドラマ映画に出演し、単なるコメディ俳優ではなく、卓越した演技力を持つ性格俳優として認められたハンクスは、両作品で2年連続オスカー獲得という偉業(注:しかも、両方とも主演男優賞)を成し遂げ、瞬く間に世界的トップスターになる。
 その後も、98年の『プライベート・ライアン』や、99年公開の『グリーンマイル』、2004年の『ターミナル』など、シリアスなヒューマンドラマモノに数多く出演し、その全ての作品でハンクス独特の卓越した演技を見せ、性格俳優としての地位を確実なモノにしていく。
 それと同時に、ラブコメ調のライトな作品にも数多く出演しており、日本でもヒットした『めぐり逢えたら』(93年)や『ユー・ガッタ・メール』(98年)では、ラブコメの女王、メグ・ライアンと共演している。(注:ちなみに、『めぐり逢えたら』では、日本のドリカムが主題歌を提供した事でも話題になった)
 さらに、『トイ・ストーリー』(95年)、『トイ・ストーリー2』(99年)、『ポーラー・エクスプレス』(04年)、『ザ・シンプソンズMOVIE』(07年)では声優として出演。 また、96年の『すべてをあなたに』では、主演と共に監督と脚本にも挑戦している。(注:ただし、俳優業に専念するため、監督や脚本での映画製作参加はこの作品のみ)
 本作を監督したロン・ハワード監督とは旧知の間柄で、ハンクスもハワードもまだ駆け出しの若手だった1984年公開の『スプラッシュ』を皮切りに、95年公開の世界的大ヒット作『アポロ13』、2006年公開の本作、そして、本作と同じダン・ブラウン原作のラングドン教授シリーズ作品、『天使と悪魔』(2009年5月公開予定)と、実に4作品でコンビを組んでいる。
 ちなみに、俳優業とは全く関係ないが、ハンクスは第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンの遠縁だそうだ。 リンカーンの母親の曽祖父の兄弟が、ハンクスの8代前のご先祖様に当たるらしい。


オドレイ・トトゥ/ソフィー・ヌヴー

 本作の登場人物の中でも、最も重要なキャラクターであるソフィー・ヌヴーを演じたのは、フランス人女優のオドレイ・トトゥである。
 1978年、フランスのピュイ=ド=ドーム県に生まれたトトゥは、子供の頃から演劇に興味を持ち、学校では演劇クラスに籍を置いていた。
 1996年、フランス国内のテレビドラマに出演。これがキッカケとなり、1999年には『エステサロン/ヴィーナス・ビューティ』という作品で銀幕デビュー。 映画はフランス国内で大ヒットし、セザール賞(注:フランス国内の権威ある映画賞)の有望新人賞を受賞。 さらに翌2000年には、シュザンヌ・ビアンケッティ賞(注:同じくフランス国内の映画賞で、新人女優に与えられる賞)を受賞し、同世代の新人女優の中でもフランス国内での確固たる人気と地位を得る。
 トトゥがフランス国内だけでなく、海外でも高い人気と評価を得るキッカケになったのが、2001年に公開されたフランス映画、『アメリ』である。
 この作品は、『デリカテッセン』(91年)や『ロスト・チルドレン』(95年)といった、SF、サイバーパンク系の作品の中でも今でも高い人気と評価を得る作品を監督した奇才、ジャン=ピエール・ジュネが監督した作品だが、それまでのジュネ作品とは異なり、夢見がちなフランス人女性、アメリの日常を描いた作品で、ジュネ作品らしいブラック・ユーモアを交えつつも、ファンタジックでハートウォーミングな作品に仕上げている。
 しかし、この作品がフランス国内で記録的な大ヒットとなり、比較的フランス映画の人気が高い日本でも、一時は社会現象になるほど(注:劇中に登場するアメリの好物のスフレを再現し、メニューに加えるカフェがあったほど)の大ヒットとなり、同時にアメリ役で主演したトトゥも注目されるようになった。(注:ちなみに、この作品は同年のセザール賞で4部門を受賞。アカデミー賞で5部門、ゴールデングローブ賞で1部門にノミネートされるほど高く評価された)
 その後、トトゥは『愛してる、愛してない?』(02年)や『スパニッシュ・アパートメント』(02年)などのフランス映画に出演するかたわら、『堕天使のパスポート』(02年)というイギリス映画に出演し、海外でも活躍するようになる。
 2004年には、『アメリ』のジュネ監督の作品、『ロング・エンゲージメント』に出演し、2006年には、本作で待望のハリウッド進出を果たす。
 本作では、『アメリ』で見せたキュートな演技とは全く真逆のシリアスな演技を要求されたが、トトゥはこれを完璧に演じ切り、彼女の演技力の確かさを証明して見せた。
 フランス人らしい、丹精だがキュートな顔立ちもあって、筆者も個人的に好きな女優の一人である。


イアン・マッケラン/リー・ティービング

 本名、Sir・イアン・マーレイ・マッケラン・CBE。(注:Sir、及びCBEについては、当ブログ記事、『031.子羊たちはもう鳴き止んだか?』を参照の事)
 キリストの聖杯伝説の研究に没頭するイギリス人貴族、リー・ティービングを演じたのは、クリストファー・リーやアンソニー・ホプキンス、ショーン・コネリー、ベン・キングスレー、イアン・ホルムらと肩を並べ、ナイトの称号を叙勲されている名優、イアン・マッケランである。
 ケンブリッジ大学のセント・キャサリン・カレッジ在学中から様々な舞台に出演し、実地で演技を学ぶ。
 1961年に大学を卒業すると、マッケランは俳優業に専念し、数多くの舞台に立つようになる。 1982年には、『アマデウス』(注:日本では松本幸四郎が主演して人気の高い舞台作品)のサリエリ役での演技が高く評価され、舞台演劇界でも最も重要な賞の一つ、トニー賞の主演男優賞を受賞。
 この功績が高く評価され、1990年にナイトに叙勲され、イギリスを代表する俳優として海外でも高い評価を得るようになる。
 これと前後して、1989年に『スキャンダル』という作品で銀幕デビュー。アーノルド・シュワルツェネガー主演の『ラスト・アクション・ヒーロー』(93年)や、『ゴールデンボーイ』(注:スティーヴン・キングの中篇小説が原作のスリラー。後に『X-MEN』の1作目と2作目を監督する事になるブライアン・シンガー監督作品。98年公開)などに出演。 2000年には、超低予算映画、『ユージュアル・サスペクツ』(95年公開)を大ヒットさせたブライアン・シンガー監督作品、アメコミ原作の『X-MEN』でマグニートー役を怪演(?)。 2003年と2006年には、同作品の続編シリーズにも同じ役で出演しているが、マッケランは舞台とは異なり、映画では何故か悪役を演じる事が多い。
 また、2001年から2003年には、ピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』三部作にガンダルフ役で出演。この作品では、マッケランは珍しく善人役を演じている。(笑)
 2006年には本作に出演し、『X-MEN』や『ロード・オブ・ザ・リング』と同様の卓越した演技を存分に見せてくれているが、やっぱり悪役である。(笑)
 個人的な事だが、本作は劇場公開前から注目していたが、小説版を読んでいなかったので、鑑賞前にキャストが発表された時点で犯人が分かってしまって苦笑した。 だってマッケラン以外考えられないじゃん!(爆笑)
 とは言え、彼の名悪役ぶりは特筆すべきモノがある。 彼には、今後も本作同様の名悪役を演じて、筆者を含めた多くの観客を楽しませてほしいと願う。
 それとは関係ないが、マッケランは自身がゲイである事をカミングアウトしており、ゲイの権利擁護キャンペーンにも参加している。


アルフレッド・モリーナ/マヌエル・アリンガローサ司教

 カトリックの総本山、バチカンの司教であるアリンガローサ司教を演じたのは、スペイン系イギリス人の俳優、アルフレッド・モリーナである。
 スペイン人の父とイタリア人の母の間に生まれたモリーナは、イギリスのノッティング・ビルで生まれ育つ。(注:誰が外国人!?)
 子供の頃から役者を志し、ギルドホール音楽演劇学校(注:1880年創立のイギリスでも名門の芸術学校。オーランド・ブルームやユアン・マクレガーなどの俳優はもちろん、ビートルズのプロデューサーとして名を馳せたジョージ・マーティンや、作曲家の香取優子もココの卒業生)で演技を学ぶ。
 卒業後、主に舞台で活躍し、デヴィッド・マメットやテネシー・ウィリアムズ(注:どちらもアメリカ演劇界の重要な劇作家)の舞台にも出演している。
 そんなモリーナが銀幕デビューを果たしたのは、『スターウォーズ』のジョージ・ルーカスと『ジョーズ』、『未知との遭遇』のスティーヴン・スピルバーグが初めてコンビを組んだインディ・ジョーンズシリーズの1作目、『レイダース/失われたアーク』である。
 この出演をキッカケに、『レディホーク』(85年)や『マーヴェリック』(94年)、『スピーシーズ/種の起源』などに出演するが、小さな役ばかりであまり注目されない映画出演が続く。
 もちろん、舞台では既にベテラン俳優としての地位を築いており、彼の演技には定評があった。
 そんなモリーナが一気に注目されるようになったのが、本作の前に出演した2004年公開のサム・ライミ監督作品、『スパイダーマン2』である。
 この作品で、モリーナはオットー・オクタビアス(ドクター・オクトパス)役を好演。この演技が高く評価され、本作出演のキッカケを得る。
 舞台のベテランが、映画界からもようやくその円熟した演技が認められたモリーナは、遅咲きの映画スターとして本作でも名脇役を演じている。
 ちなみに、トム・クルーズが主演した群像劇、『マグノリア』(99年)や、日本でもヒットした『死ぬまでにしたい10のこと』(03年)、意外なトコロでは、大友克弘監督のアニメーション作品、『スチームボーイ』の英語版吹替で声優として出演している。
 本作出演後は、日本を含む5ヵ国合作の映画『シルク』(08年公開)で、キーラ・ナイトレイや中谷美紀、役所広司らと競演している。


ポール・ベタニー/シラス

 本作では一際異彩を放つ狂信的なキャラクター、修道士シラスを演じたのは、イギリス人俳優のポール・ベタニーである。
 祖父母の代から俳優業という俳優一家に生まれたベタニーは、10代の頃2年ほどストリートパフォーマーとして活動した後、俳優業を志してロンドンで演劇を学ぶ。
 舞台に立つようになると、ロイヤル・シェークスピア・カンパニー(注:イギリスで最も権威ある劇団。シェークスピア劇を専門に扱い、日本を始め世界中でツアーを慣行しており、クリストファー・リーやイアン・ホルムなど、多くの有名俳優がこの劇団に所属していた事でも有名。現在は、チャールズ皇太子が理事を務めている)に所属し、『ジュリアス・シーザー』や『ロミオとジュリエット』に出演している。
 映画では、1997年の『ベント/墜ちた饗宴』という作品がデビュー作。 2001年には、本作と同じロン・ハワード監督作品、『ビューティフル・マインド』に出演。 これが縁で、ベタニーは本作出演のキッカケを得た。
 出演作は、この他に二コール・キッドマンが主演した2003年公開作品、『ドッグヴィル』などがあるが、本作で見せたような“怪演”とも言える狂信的なキャラクターを演じる事はない。
 ベタニーにとっても、本作での演技は挑戦であったが、彼はそのプレッシャーに負ける事なく、素晴らしい演技でシラスという重要なキャラクターを見事に演じ切っている。
 ちなみに、プライベートでは『ビューティフル・マインド』で競演したジェニファー・コネリーと2003年に結婚している。


ジャン・レノ/ベズ・ファーシュ警部

 フランス人にしては、勤勉でガンコ親父的に主人公たちを追いかけ回す銭型のとっつぁんのような警察官、ファーシュ警部を演じたのは、フランス人俳優のジャン・レノである。
 1988年、リュック・ベッソン監督のデビュー作、『グラン・ブルー』で映画デビューを飾ったレノは、1990年に同じくベッソン監督の世界的大ヒット作、『ニキータ』(注:超傑作! フランス映画らしい繊細なキャラクター描写と映像表現が秀逸な作品。後にハリウッドでリメイク版が製作され、TVシリーズもOAされたがどちらも超駄作。アメリカ人にはフランス人の繊細さが理解出来ていないという典型的な例になった)に、冷酷な“掃除屋”、ヴィクトル役で出演。 映画と共に、レノの演技も世界的に高い評価を得るキッカケとなる。
 94年には、ベッソン監督と共にハリウッドに進出。ベッソン監督のハリウッドデビュー作となった『レオン』で、成り行きから少女と同居する事になってしまう殺し屋を演じ、ハリウッドでも注目されるようになる。(注:ちなみに、この作品は後に『スターウォーズ』シリーズの新三部作でクィーン・アミダラを演じる事になるナタリー・ポートマンのデビュー作だったりする。また、この作品のレオンのキャラクターは、『ニキータ』のヴィクトルのキャラクターをベースにレノとベッソン監督が相談しながら作り上げた)
 その後、メグ・ライアンと競演した『フレンチ・キス』(95年)や、トム・クルーズと競演した『ミッション:インポッシブル』(96年)、ロバート・デ・ニーロと競演した『RONIN』(98年)や、ローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』(98年)、シリーズ化された2作品両方に出演する事になる『クリムゾン・リバー』(00年、04年)など、様々な作品に出演し、人気俳優として確固たる地位を築く。
 また、大変な親日家でもあり、本作を始め、多くの作品のプロモーションで何度も来日し、TVCMのキャラクターとしても多数のCMに出演。 さらに、01年には、旧友のベッソン監督がプロデュースした映画、『WASABI』で広末涼子と競演して話題になった。
 また、コンシューマゲーム機のPS2ソフト、『鬼武者3』の主人公のモデル兼声優を務め、宮崎駿の『紅の豚』では、フランス語版の吹替で声優として出演していたりする。


ロン・ハワード/監督・製作

 世界的な大ベストセラー小説の映画化という、極めて困難なプロジェクトの陣頭指揮を任されたのは、かつては俳優としても映画に出演した経験を持つロン・ハワード監督である。
 アメリカ、オクラホマ州に生まれたハワードは、両親共に俳優業という俳優一家に生まれ、幼少期から子役として多数のTVドラマや映画に出演するも、この頃から既に映画製作に興味を持ち、映画製作を学ぶために南カリフォルニア大学の映画学科に進学。映画製作を学ぶようになる。
 大学在学中の1973年、後に『スターウォーズ』シリーズの生みの親となるジョージ・ルーカス監督の監督デビュー2作目に当たる『アメリカン・グラフティ』(注:ただし、名前はロニー・ハワード。共演者には、まだ駆け出しだったリチャード・ドレイファスやハリソン・フォードがいる)や、TVドラマの『ハッピーデイズ』に主演し人気を得るが、1976年に『ラスト・シューティスト』という映画に出演したのを最後に俳優業を引退。翌1977年に、『バニシング IN TURBO』という作品で監督デビューを果たすと、以降映画監督として多数の作品を手がけるようになる。
 前出のトム・ハンクスとの初コンビ作品となった『スプラッシュ』や、宇宙人と老人たちの交流を描いたファンタジックSF、『コクーン』(85年)、日本とアメリカの自動車産業界の摩擦を描いた『ガン・ホー』(86年)、旧友でもあるジョージ・ルーカスが原案のファンタジー、『ウィロー』(88年)など、様々な作品を監督。ヒットメーカーとしての地位を確実なモノにしていく。
 ハワード監督の特徴は、どんな作品でもサスペンスタッチの手に汗握る演出で観客を大いに楽しませてくれる娯楽性の高い作品をしっかりと作ってくる点である。
 1991年に公開された映画『バックドラフト』では、火災と命がけで戦う消防士たちの姿を、ダイナミックなアングルと当時最高峰のSFX、そして、スピード感と緊張感のあるカット割りで演出した傑作である。
 また、95年には本作と同じくハンクスとの2度目のコンビ作品となった『アポロ13』を監督。 宇宙というSFチックになりがちなモティーフであるにも関わらず、危機に瀕した3人の宇宙飛行士と、彼らを救うために必死に知恵を絞り合うサポートスタッフの姿を、緊迫感溢れる映像と演出で見事なサスペンス作品に仕上げている。
 さらに、96年に監督した『身代金』は、児童誘拐というまんまサスペンスな作品である。
 このように、サスペンスを得意とするハワード監督が監督した本作は、間違いなく近年のサスペンス作品の中でも最高峰の傑作であるが、それと同時に、ハワード監督は登場人物の繊細なキャラクター描写にも定評がある監督である。
 前出の『バックドラフト』では、対立する兄弟が危機的状況の中で次第に心を通わせていく姿を繊細に描き出し、『アポロ13』では、狭い宇宙船の中で互いを助け合い、協力して地球に帰還する姿を描きながら、“信頼”という重要なテーマを明確に描いている。
 さらに、2001年公開の『ビューティフル・マインド』では、サスペンスを封印して完全なヒューマンドラマを完璧に描き切った。
 本作でもそれは同じで、人類史上最大の隠ぺい工作というサスペンスを描きながら、ソフィーやシラスといったキャラクターの繊細なキャラクター描写も明確に描き、作品のクォリティをより高い位置へと押し上げるのに成功している。
 緊張感溢れるサスペンスタッチの演出と、人間性溢れるキャラクター描写を完璧に両立させるハワード監督の手腕は、上記のように本作でも遺憾なく発揮されたのである。


・Behind the Scene

 本作は、ダン・ブラウンが記した同タイトルの世界的ベストセラーを原作にした小説作品の映画化作品である。
 アメリカ、ニューハンプシャー州に生まれたブラウンは、数学者の父と宗教音楽家の母を持つ。
 フィリップス・エクセター・アカデミーで学んだ後、アムハースト大学に入学。卒業後、母校であるフィリップス・エクセター・アカデミーの英語教師になったブラウンは、教師として働きながら執筆活動を始める。
 1998年、『パズル・パレス』(注:原題は『Digital Fortress』。2006年に本作公開と前後して邦訳版が出版された際、現在の邦題が付けられた)という作品でデビュー。しかし、当時はあまり売れなかった。
 2000年には、本作の主人公であるラングドン教授が初登場する作品、『天使と悪魔』を発表。さらに翌2001年には、前出の『パズル・パレス』の続編とも言うべきテクノスリラー、『デセプション・ポイント』を発表するも、やはり期待したほどの発行部数には至らなかった。
 ところが、2003年に大きな転機が訪れる。本作の原作となった、『ダ・ヴィンチ・コード』の発表である。
 人類史上最大の隠ぺい工作、キリストの聖杯伝説をモティーフとしたこのサスペンススリラーは、書いた本人も驚くほどの驚異的なセールスを記録し、宗教的な理由から痛烈な批判に晒されながらも瞬く間に世界的ベストセラーへと成長していく。
 近年、小説作品やマンガ作品の映画化がブームのように続いているハリウッド映画界が、この世界的ベストセラー小説に興味を示さないハズがない。
 複数のスタジオや映画プロデューサーから映画化のオファーが殺到したが、ブラウンにはすでに考えがあった。
 ハワード監督は、かなり早い時期からこの作品に注目しており、真っ先に映画化を熱望していた。それを知ったブラウンは、ハワードに監督を任せようと考えていた。
 他にも監督候補はいたが、ハワードは一歩も譲らず、結局最後まで粘ったハワードがメガホンを取る事に決まった。


 監督が決まると、次はキャストを決めなければならない。
 原作者であるブラウンは、本作のキャスティングに関しては、ハワードとキャスティング担当にその全権を一任している。
 ブラウンは、執筆中から本作のキャラクターの俳優をイメージ出来ず、一人を除いてキャスティングに口を出せなかったのだ。
 しかし、ハワード監督には既に考えがあった。
 それは、ハンクスと3度目のコンビを組む事である。
 既に『スプラッシュ』と『アポロ13』でコンビを組んだハンクスとは、製作のブライアン・グレイザーを含めて本作で三度再集結するチャンスと考えた。
 ハンクスも既に原作を読んでおり、ラングドン教授のキャラクターにも興味を示した。
 こうして、ハンクスはラングドン教授役にキャスティングされた。
 本作の最重要キャラクターであるソフィー役の選考は難航した。
 ハワード監督は、当初ケイト・ベッキンセイルを始めとしたハリウッドの女優をソフィー役に考えていた。 しかし、オファーを出す直前で踏み止まった。何故なら、原作のキャラクターの国籍と俳優の国籍を同じにすべきだと考えたからだった。
 世界的ベストセラーで、世界中で読まれている小説の映画化作品なのだから、映画も国際色豊かなモノにすべきだと考えたからだった。(注:実際、作品の舞台はフランスからイギリス、そしてアイルランドへと国境を越えて展開される。ちなみに、ラングドン役のハンクスは、偶然にもラングドンと同じアメリカ人だった。←当たり前だろ!)
 そこでハワードは、キャスティング担当にフランス人女優を探すように命じた。が、ココからが大変だった。
 フランス映画をあまり観ないハワード監督は、候補者リストを見せられても誰が誰だか分からず、中々決められない日が続いた。
 ある程度絞込み、実際にオーディションを行い、最終的にソフィー役に決まったのはトトゥだった。
 大ヒットした映画『アメリ』のキュートな演技とは真逆のソフィー役にトトゥが選ばれたのは、オーディションでの演技やハンクスとの相性もあるが、決め手になったのは彼女が出演したトーク番組のビデオだった。 このビデオで、知的で理路整然と話すトトゥの姿を見て、ハワードはキャスティングを決めたらしい。
 ちなみに、筆者は映画を観るまでこのキャスティングが不安で不安でしょうがなかった。なにせ、“あの”『アメリ』の主人公を演じた女優である。『アメリ』とは真逆の本作のキャラクターを、果たしてシッカリと演じられるかどうか分からなかったからだ。 ってゆーかむしろ、「やっちまったか!?ロン・ハワード!」と思っていた。(笑)
 しかし、映画を実際に観てとても驚いた。トトゥは、予想を遥かに超えた演技でソフィーを見事に演じ切っている。
 トトゥさま、疑って本当にゴメンなさい。(謝)
 ソフィー役以上に難航したのが、シラス役の選考だった。
 キャスティング担当から渡されたリストを見て、実際に何度もオーディションが行われたが、ハワードは誰に会っても最後には妙な違和感を感じ、決めかねていた。シラス役に必要な“何か”が欠けていたのだ。
 そこでハワードは、『ビューティフル・マインド』で一緒に仕事をした事のあるベタニーに、シラス役をオファーしてみる事にした。
 ベタニーは、当時他の映画の撮影に入っており、撮影時期がかぶる可能性があったため、候補者から外されていたのだ。
 しかし、実際にオファーを出してみると、ベタニーは「0.2秒だけ考えさせてくれ」と言って、オファーを快諾した。
 映画を観てもらっても分かる通り、この選択は吉と出た。
 この他に、ティービング役には名優のマッケランが。アリンガローサ役にはモリーナが。そして、ファーシュ警部役には、ブラウンが原作の執筆当初からキャスティングをイメージしていたというジャン・レノが選ばれた。
 しかも、いずれもキャラクターとキャストの国籍が同じ(注:唯一の例外となっているのがモリーナである。アリンガローサはスペイン人だが、モリーナはスペイン系イギリス人である)という、国際色豊かなキャスティングが実現し、ハワードは「原作に敬意を示せた」と喜んだ。
 キャスティングが決まり、脚本家のアキヴァ・ゴールズマン(注:代表作は、95年の『バットマン・フォーエバー』や04年の『アイ,ロボット』等があり、本作後の07年の『アイ・アム・レジェンド』もこの人の仕事。ハワード監督とは、既に『ビューティフル・マインド』で一緒に仕事をしている)が、原作者のダン・ブラウンと共に脚本を執筆し、本作はクランクインした。


 本作の撮影は、原作の設定と同じフランス、イギリス、そしてアイルランドの各所で、ほぼ全編に渡ってロケ撮影が敢行された。
 本作に限らず、映画のロケ撮影で設定と同じロケーションで撮影が行われる事は珍しい。
 例えば、このコーナーで以前に紹介した作品でも、『ファイトクラブ』ではウィルミントンが映画の舞台だが、撮影許可が下りなかったためにほとんどのロケ撮影をロサンゼルスで行っているし、『羊たちの沈黙』では、一部の例外を除き、ほとんどのロケ撮影をピッツバーグで行っている。
 さらに、物価の関係でアメリカ国内でロケ撮影するよりも海外で撮影する方が安く上がる事もあり、大作系映画でもスペインのプラハやオーストラリアでロケ撮影が行われる事がある。
 本作でもそれは同じで、大作系映画で予算が十分確保出来ているとは言っても、原作の設定通りにロケ撮影をしていたのでは機材の搬送などに費用がかかるため、似たようなロケーションの別の場所でロケ撮影を行うのが普通である。
 しかし、ハワード監督を始めとするスタッフ一同は、原作の設定と同じロケーションでロケ撮影を行う事にこだわった。
 その理由の一つが、背景にあるべき歴史的建造物の数々である。
 フランスには、観光名所にもなっているエッフェル塔や凱旋門、さらにはシャトー・ヴィレット(注:映画の中では、イギリス貴族のリー・ティービングの邸宅になっていたが、実際には宿泊施設として利用されている公共施設)など、他に類を見ない歴史的建造物が多数あり、街角の大工道具店の店舗にすらゴシック様式の装飾が施されているほど、フランス人は建物を装飾する事に異常なまでの執着を持っている。
 また、イギリスのテンプル教会やウィンチェスター大聖堂、さらにはアイルランドのロスリン礼拝堂に至るまで、映画に必要なロケーションは、全て唯一無二のそこにしかない貴重な建造物ばかりである。
 現在のVFX技術であれば、これらをCGIで再現する事も出来ただろうが、ハワードはこれを嫌った。
 そして、実際の場所で実際にロケ撮影する事にこだわった。
 そこで、ハワード監督以下主要スタッフは、各地の関係者に撮影協力を要請して回った。
 その結果、意外にもほとんどのロケ地で撮影隊は歓迎され、快く撮影許可を受けた。
 映画の前半で舞台になるフランスでは、時のフランス大統領、シラク大統領と面談し、全面協力の確約を取り付けた。
 しかも、驚いた事に映画はおろか、TVのドキュメンタリー番組ですら撮影許可が下りないと言われるほどのルーヴル美術館が撮影を快諾。本作のルーヴル美術館内のシーンは、その全てが実際のルーヴル美術館内で撮影されている。
 そもそも、ハワードが本作の監督を熱望したのも、実はこれが一番の大きな理由で、世界で初めてのルーヴル美術館内でのロケ撮影をしたかったからである。
 ただし、ルーヴル美術館での撮影には困難が付きまとった。 何せ、周りは芸術的にも歴史的にも重要な絵画や彫刻が所狭しと並べられているのである。ドリーやテクノクレーン(注:どちらもポピュラーな撮影機材の一種)を操作する事はもちろん、強力なハロゲンライトを使った照明の熱と明かりは、絵画に悪影響を与えるため使用がかなり制限された。
 しかし、撮影監督のサルヴァトーレ・トチノは、これを逆に利用し、窓や出入り口からわずかに差し込む淡い明かりに名画が浮かび上がるというライティングを施し、映画のオープニングを飾る幻想的なショットを撮影した。
 ただし、映画でも重要なキーヴィジュアルの一つであるモナ・リザの肖像画は、実際に展示されている本物ではなく、レプリカが使用された。 これは、モナ・リザのシーンではどうしても絵に照明を当てる必要があり、照明で絵が傷むのを防ぐために必要な措置だった。(注:当たり前の事だが、ソフィーが警備員を脅すために壁から外した岩窟の聖母もレプリカ。ホンモノであんな事は出来ない)
 ちなみに、撮影は全て美術館が閉館してから開館するまでの夜間に行われた。
 撮影中も、観光名所になっている美術館は、昼間に通常開館する必要があったため、スタッフは閉館後に機材をセッティングし、夜間の内に撮影を行い、開館までに全てを片付けたが、設定上、ルーヴル美術館のシーンは全て夜なので、これはある意味必要な措置だった。
 フランスでは、この他にシャンゼリゼ通りなどでカーチェイスシーンを撮影し、背景に凱旋門やエッフェル塔を映し出した。
 イギリスでは、テンプル教会とウィンチェスター大聖堂のシーンが撮影された。しかし、テンプル教会は問題なくロケ撮影出来たが、ウィンチェスター大聖堂は外観だけで、内部での撮影には許可が下りなかった。
 そこでハワードは、ウィンチェスター大聖堂と同じ時代、同じ建築様式、同じ建築家によって建築された姉妹寺院、リンカーン大聖堂で内部のシーンの撮影を行った。
 実際、この二つの聖堂は構造や内部装飾がよく似ており、専門家でもないと見分けがつかないほどで、撮影には全く支障がなかった。
 実際、映画を観ても違和感は全く感じられない。
 ちなみに、屋外のシーンで背景に立っている群集は、全て当日たまたまウィンチェスター大聖堂に観光に来ていた観光客たちである。
 彼らは、突然の事にも快く協力し、エキストラとして撮影に参加した。
 さらにアイルランドでは、映画のクライマックスとなる重要なシーン、ロスリン礼拝堂のシーンが撮影された。
 この礼拝堂でも、撮影隊は大歓迎を受け、外観はもちろん、内部での撮影にも許可を得て撮影が行われた。
 ただし、地下室のシーンだけはスタジオのセットである。実際のロスリン礼拝堂には、あのような大きな地下室は存在しない。
 また、本作はモティーフの関係から、歴史的、あるいは論理的推測に基く事象を説明するシーンが多く、俳優が室内でナレーション的に“語る”シーンが多い。
 小説では、このようなシーンでも文章だけなので問題なく成功しているが、映画となると延々と説明が続くシーンは映像が単調になって観客がウンザリしてしまう。
 これを避けるため、本作ではこのような説明シーンに再現映像や回想シーンを挿入するという演出が施されている。
 特に、十字軍やローマ帝国のシーンは完成度が高く、それだけで歴史時代劇映画が出来そうなほどである。
 これらのシーンは、セカンドユニットによって屋外セットやスタジオセットで撮影が行われた。 衣装や小道具も、全て綿密な歴史考証の上にデザインされたモノで、十字軍の鎖帷子(チェインメイル)などはかなりの完成度である。
 また、背景の建造物は、一部はセットだが遠景や高所はCGIで書き足されたモノである。
 これらの再現映像が、映画の随所で適宜挿入され、説明が多い作品であるにも関わらず、映像は決して単調にならず、逆に歴史教養番組的な視覚的にも分かり易く娯楽性の高いシーンに仕上がっている。


 また、本作で重要な要素だったのは、キャストの衣装である。 先ほどの再現映像同様、主人公達の衣装にも吟味が要求された。
 例えば、ラングドン教授は大学教授だが、その講義を聴くために何十人、何百人もの人々が押しかける人気講師である。
 そのため、彼の衣装は大学教授らしいスーツになったが、人気講師らしくシルエットの美しい高そうなスーツが使われている。
 また、ヘアスタイルもハンクスにしては珍しいストレートの長髪にセットされ、人気講師らしさを演出している。
 ソフィーの衣装も同じく、暗号解読官らしい、知的で大人びたブラウスとタイトスカートが選ばれた。が、個人的には、カーディガンがキュートな顔立ちのトトゥらしいくて可愛く見えた。(笑)
 ティービングの衣装は、年老いたイギリス貴族らしく、タータンチェックのシャツとハンチング帽が選ばれているが、色が何処となく変わってる気がする。 しかし、これが逆にティービングの変人ぶりを表現していて面白い。
 問題になったのが、シラスの衣装である。
 修道士という設定上、シンプルなモンクローブにするしかなかったのだが、問題になったのが靴だ。修道士は、基本的にサンダル履きである。
 しかし、シラスは修道士であると同時にオプス・デイの暗殺者である。ハワード監督は、「サンダル履きの暗殺者じゃ怖くない」と言って、他の履物にしようと提案した。
 だが、良いアイディアが出ず、衣装担当のダニエル・オーレンディと頭を悩ませていたトコロ、当のシラス役のベタニーが、「サンダル履きでも怖い演技をすればいい」と言って、サンダル履きで撮影に望んだ。
 その結果は、映画を観ての通りである。
 ちなみに、シラスはアルビノ(ハイポ・メラノシス。色素欠乏症という遺伝病の俗称)という設定のため、ベタニーはメイク担当が用意した特製のファンデーションを全身に塗った。
 また、髪は本来はやや赤みがかった金髪だが、脱色してもあまり白くならなかったため、髪を丸坊主にカットし、白髪のカツラが用意された。


 さて、本作の音楽についてであるが、本作の音楽を担当したのは、ジョン・ウィリアムズやアラン・シルベストリ、ハワード・ショアらと肩を並べ、今やハリウッドを代表する映画音楽コンポーザーになったと言えるハンス・ジマーである。
 ドイツのフランクフルトに生まれたジマーは、オペラなどの作曲で知られる作曲家、クルト・ワイルの甥に当たる。
 その影響からか、ジマーも音楽を志すようになり、キーボードとシンセサイザーのプレーヤーとしてロックバンドのバックバンドを務めていたが、イギリスの映画音楽コンポーザーのスタンリー・メイヤーズの元で映画音楽を学び渡米。
 現在までに100本以上の映画に楽曲を提供し、94年にはディズニーの『ライオン・キング』でオスカーも獲得している。
 そんな彼の経歴を見てみると、アクション映画への楽曲提供が多い事に気付く。
 例えば、『ブラック・レイン』(89年公開。松田優作の遺作)、『デイズ・オブ・サンダー』(90年)、『クリムゾン・タイド』(95年)、『ブロークン・アロー』(96年)、『シン・レッド・ライン』(98年)、『M:I2』(00年)、『パール・ハーバー』(01年)、『ブラックホーク・ダウン』(01年)、『キング・アーサー』(04年)、『バットマン・ビギンズ』(05年)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(07年)等々、書き出したらキリがないのでこれぐらいにしておくが、意外なトコロでは前出の『ライオン・キング』や『マダガスカル』(05年)、『カンフー・パンダ』(08年)などのディズニーアニメにも楽曲を提供し、日本のアニメ作品、『BLOOD+』では愛弟子のマーク・マンシーナ(注:キアヌ・リーブスの『スピード』がつとに有名)と共同で音楽プロデューサーを務めていたりする。
 本作の監督であるハワード監督とは旧知の間柄だが、『バックドラフト』で一緒に仕事をして以来となる久々の顔合わせとなった。
 しかし、前出の通り、ジマーはアクション映画の音楽を得意としており、本作のようなサスペンス、あるいはキャラクターの繊細な心理描写に合う楽曲になるのかどうか、筆者は多少不安だった。
 しかし、よくよく考えてみると、これはある意味必然的な起用である。
 何故なら、ジマーがハリウッドで注目されるキッカケとなった最初の作品は、なんとあの『レインマン』(88年)である。 しかも、この作品が彼のハリウッドでの初仕事だった。(注:しかもオスカーにもノミネートされている)
 さらに、その後も『ドライビング Missデイジー』(注:同タイトルの舞台の映画化作品。長年この作品の舞台に立ったモーガン・フリーマンが、同じ役で映画初出演で初のオスカー獲得という偉業を成し遂げた重要な作品。共演は往年の名優ジェシカ・タンディー。89年公開)や、『恋愛小説家』(97年)、『恋愛適齢期』など、ヒューマンドラマやラブストーリーにも楽曲を提供しており、サイコスリラーだが、『ハンニバル』(01年)では『バックドラフト』や『ザ・ロック』(96年)とは似ても似つかない繊細なピアノ曲を提供している。
 このような経験に裏打ちされたジマーの楽曲は、本作の緊張感溢れるサスペンスとしての一面と、繊細なキャラクター描写に重点が置かれたヒューマンドラマとしての一面を見事に音楽で表現していると言える。
 ちなみに、本作以降は、2008年に公開された『フロスト×ニクソン』で三度ハワード監督と仕事をする事になった。


 このようにして、本作は近年の大作系映画としては異例とも言える大胆な戦略で撮影され、ムービング・ピクチャー・カンパニーとダブル・ネガティブ社が製作したハワード監督らしいVFXを加え、映画は完成した。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週は、先にも記した通り今回の続き、映画『ダ・ヴィンチ・コード』のテーマ解説と反応と評価、及び本作だけの特別解説をお届けする予定です。お楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


違くね?


Thanks for youre reading,
See you next week!

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

035.We are not Alone b

2009年03月21日 | 映画を“読む”

・Point of View

 さて、いつもであるなら、ココで本作の語るテーマについて長々と解説するのが常であるが、今回はあえてそれをしない方向でこの項を書き進めていく。
 と言うのも、本作が語るテーマ、すなわち“自然との共生”は、映画本編の中でも、特にオープニングとエンディングで流れるモーガン・フリーマンのナレーションをしっかりと聴いていれば理解出来るだろうし、無責任なダメ親父のレイが、極限状態に立たされて初めて本当に大切なモノ、すなわち“家族愛”に気付き、家族を守るために子供にとって最も身近なヒーロー、すなわち本当の意味での“父親”になっていく過程は、本編を見ていれば誰でも理解出来るハズだ。
 さらに言うなら、スピルバーグが自身の作品の中で度々語ってきた最も重要なテーマ、すなわちこの記事のタイトルにも引用した“We are not Alone(我々は一人じゃない)”は、映画の終盤、トライポッドに捕らわれたレイが、同じように捕らわれた人々と共に手榴弾でトライポッドを倒す爽快なシーンを見れば、一目瞭然のハズである。
 つまり、本作の語っているテーマは極めて明確であり、映画の中で的確に語られているので、僕がココで改めて解説する必要性など一切なく、僕はただ、皆さんに「映画を観て下さい。観れば解ります。」と言えばいいだけなのだ。
 なので、ココではあえて、今までのようにテーマ解説を行わず、“スピルバーグが何故本作を撮ったのか?”を解説していこうと思う。
 本作は、2005年に公開された作品だが、それ以前のスピルバーグ作品を丹念に観ていくと、ある作品を境に作風が一気に様変わりしている事に気付く。そう、93年の『シンドラーのリスト』である。
 この作品は、82年に映画『E.T.』を製作していた頃、スピルバーグがホロコーストのドキュメンタリー小説を読んだのがキッカケで、当時は映画化決定直前までプロジェクトが進められていた。しかし、スピルバーグは思い止まり、『トワイライト・ゾーン』の劇場版の製作をしている。本人曰く、「アレを撮るには、当時は若過ぎた」と後に述べている。
 10年余りの時が過ぎた93年、『ジュラシック・パーク』の製作直後というタイミングであるにも関わらず、スピルバーグは『シンドラーのリスト』を監督する。
 『ジュラシック・パーク』とは全く異なる方向性の作品であるにも関わらず、スピルバーグはポーランドに飛び、この映画の撮影に情熱を注いだ。
 その結果、既に20年以上のキャリアがありながら、それまで全く縁のなかったアカデミー賞の作品賞と監督賞を初めて獲得し、ようやく名実共に一流監督の仲間入りを果たした。
 これをキッカケに、スピルバーグは『アミスタッド』(97年)や『プライベート・ライアン』(98年)、『A.I.』(2001年)、『ターミナル』(2004年)といったヒューマンドラマを数多く監督するようになった。
 もちろん、『ロスト・ワールド』(97年)や『マイノリティ・リポート』(2002年)などの娯楽作がなかったワケではないが、作品数は激減している。
 2004年の『ターミナル』以降、この方向性を重視するのかと思いきや、翌2005年に公開されたのは、なんとSFホラー色の強い本作だった。
 しかも、本来であるなら、本作のような大作系映画は2年以上の長い制作期間を設けてじっくり作り込んでいくのがハリウッドスタイルであるにも関わらず、スピルバーグは公開を急いで短期間で製作する事にこだわった。それは何故か? ここに、何かしらの意味を感じずにはいられないのがファンというモノである。
 ココからは僕の想像だが、スピルバーグが本作の公開をこれほど急いだ理由の一つは、公開年であるように思う。
 2005年。 実はこの年は、スピルバーグが世界的なヒットメーカーとなるキッカケになった重要な作品、『ジョーズ』の公開から丁度30周年の節目の年に当たるのだ。
 実際、2005年には『ジョーズ』の公開30周年のアニバーサリー版DVDがリリースされている。(注:買いました。でもって観ました。特典映像は、まさにファン睡濁の内容でした)
 今尚、UMA系のパニックホラーの傑作として高く評価されているこの作品の30周年の記念の年に、これによく似たSFホラーを撮ろうとする。
 スピルバーグならあり得る話しだ。30年間で、自分と映画界がどれだけ成長したかを確かめたかったのではないだろうか?
 また、本作を丹念に観ていくと、それまでのスピルバーグ作品に酷似したシーンが随所にある事に気付く。
 例えば、トライポッドが登場するシーンで使われている低音の効いたウィリアムズの楽曲は、先にも記したようにあまりにも有名なあの『ジョーズ』のテーマ曲にそっくりだし、トライポッドと壮絶な戦闘を繰り広げる軍隊は、まさに『プライベート・ライアン』の戦闘シーンを想起させる。
 また、あてもなく彷徨う難民の群衆映像は、ホロコーストを描いた『シンドラーのリスト』の群衆シーンとそっくりだし、そもそも宇宙人が地球にやってくるというモティーフ自体、『未知との遭遇』や『E.T.』と(方向性は異なるが)同じである。
 さらに言うなら、オグルビーの地下室でトライポッドの触手から足音を忍ばせて隠れるシーンは、『ジュラシック・パーク』でキッチンに逃げ込んだティムとレックスがヴェロキラプトルから逃げ回るシーンそのモノである。ご丁寧に、鏡で触手を欺くトコロ(注:『ジュラシック・パーク』ではステンレスキッチンだった)まで再現している。
 そう、スピルバーグは、本作を一つの集大成的な作品にしたかったのではないだろうか?
 だから、自分を世界的なヒットメーカーにするキッカケとなった『ジョーズ』の公開30周年の節目の年に合わせる必要があった。
 そして、その節目の年に、『ジョーズ』と同じ方向性を持つSFホラーを撮りたがった。
 加えて、予てから撮りたかったウェルズの名作小説の映画化にも挑みたがり、今までに自分が撮ってきた様々な映画の要素を盛り込み、自らの集大成としたかったのではないだろうか?
 そう考えると、本作がある意味地味で、娯楽性に乏しく、『シンドラーのリスト』以降のヒューマンドラマとは全く異なるSFホラーで、しかも原作通りのあっけない幕切れになったのも納得出来る。スピルバーグにとって重要だったのは、本作を近年の大作系映画にありがちな爽快なクライマックスで締めくくるのではなく、これまで自分が多くの映画で語ってきたテーマをしっかりと描き、なおかつこれまでの自分の作品を集約した作品に仕上げる事だったのだ。
 もし、本作を“スピルバーグらしくない”、あるいは“ちょっとガッカリな作品”と評価している方がいるなら、やはり僕は、いつものようにこう言わなければならない。
「アナタは、映画を観ていない。」
 本作は、スピルバーグの一つの集大成であり、“最も完成されたスピルバーグ作品”である。
 スピルバーグのこれまでの作品を全て観た上で、上記で記したような視点でもう一度、本作を丹念に観てほしい。そうすれば、ココで僕が記した事が、あながち間違いではない事が理解出来るハズだ。


 それとはあまり関係ないかもしれないが、少なからず関係のある要素として、2005年という年の世界情勢的なタイミングにも注目したい。
 そう、2001年のアメリカ同時多発テロである。
 9.11と前後して、ハリウッドはテロや市街戦をモティーフとした作品の配給を全面的に自粛する方針を固めた。テロや市街戦を“娯楽”にする事で、観客からの痛烈な批判を避けたかったからだ。
 しかし、ワールドトレードセンターの復興も落ち着き、イラク戦争も一段落した2004年から2005年は、逆に9.11を忘れないためにテロや市街戦をモティーフにした映画を撮るのに最適なタイミングだった。
 実際、本作と前後して、ハリウッドではテロやそれに立ち向かう人々を描いた作品が多く作られ、中には『ワールドトレードセンター』のような直接的な作品も作られるようになった。
 スピルバーグは、本作でも墜落したジャンボジェット機や、メッセージボードを埋め尽くす行方不明者のビラをあえてスクリーンに映し、9.11で得た教訓を忘れるなという強烈なメッセージを本作に込めている事を認めている。


・Reaction&Estimate

 2005年6月に、全世界一斉に公開された本作は、大ヒット作の『マイノリティ・リポート』でコンビを組んだスピルバーグとクルーズの最新作だけあって、映画ファンには熱狂的に迎えられ、最終的な興行収益は、アメリカ国内だけでも2億3000万ドル以上。全世界では、実に6億ドル近い収益を記録し、スピルバーグらしい大ヒット作になった。
 しかしその一方で、本作を批判する観客も少なくなかった。
 先にも記した通り、本作は一見するととても地味で、しかもラストは原作通りのあっけない幕切れで締め括っている。
 加えて、既にウェルズの原作にインスパイアされた同様のエイリアン・インベーション(宇宙人侵略)作品であるエメリッヒ監督のID4と比較され、ID4にあったような爽快なクライマックスを期待していた観客は、スピルバーグらしからぬ地味な内容に肩透かしを喰らわされたと感じたのだ。
 もちろん、これは先にも記したように間違いであり、スピルバーグ作品を丹念に観続けているファンならば、これがスピルバーグ作品の一つの集大成的な作品に仕上がっている事に気付いたハズだが、大半の観客はこれに気付かず、批判的な評価をする観客が多かった。
 よく言われる事だが、“面白い映画の定義”というのは、あるようで無いというのが、全ての映画人の統一した見解である。
 しかし、面白い映画の定義というのは無いが、“売れる映画の定義”は、実に明確に存在する。
 結局のトコロ、突き詰めれば“観客の望む映画を作る事”が、売れる映画の定義である。
 有名な監督が撮り、人気のキャストが出演し、ベストセラー小説が原作であれば、上記の定義を一定以上満たすため、基本的には“売れる映画”になる。ただし、これが“面白い映画”かと言うと、そうならないのが映画の怖いところであり、面白いところでもある。
 実際、有名な監督が撮り、人気のキャストが出演し、ベストセラー小説が原作の映画であっても、酷評されて全く売れなかった例はいくらでもあるし、逆に全く売れなかったのに“面白い映画”と評される例も少なくない。
 映画に対する評価とは、決して批評家の評価が“正解”なのではなく、あくまでも観客一人一人がそれぞれ下した評価が“正解”なのであって、映画は観客があって初めて評価される娯楽なのだ。
 本作は、確かに興行的には大成功となったが、数年を経た今日にあっても尚、観客の評価が二分する不思議な作品となっている。


・Data

宇宙戦争(原題:War of the world)

配給:パラマウント・ピクチャーズ
出演:トム・クルーズ
   ダコタ・ファニング
   ジャスティン・チャットウィン
   ティム・ロビンス
   ミランダ・オットー
   モーガン・フリーマン(ナレーション)
原作:H・G・ウェルズ
脚本:デヴィッド・コープ
   ジョシュ・フリードマン
音楽:ジョン・ウィリアムズ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
編集:マイケル・カーン
製作:キャスリーン・ケネディ
   コリン・ウィルソン
製作総指揮:ポーラ・ワグナー
監督:スティーブン・スピルバーグ

総製作費:1億3200万ドル
上映時間:116分
公開年月:2005年6月(日本でも同じ)



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


い……一体ダレが……!


Thanks for youre reading,
See you next week!



-参考資料-
※今回の記事では、以下のウェブサイトの記事を参考資料として適宜参照しました。

・Wikipedia日本語版
 検索ワード:宇宙戦争(映画)
※この記事内にある出演者やスタッフのリンクも参照しました。合わせてご覧下さい。


-DVDソフト-
※今回取り上げた映画作品のDVDソフトです。ぜひ一度ご覧下さい。

宇宙戦争 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
H.G.ウェルズ
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

035.We are not Alone a

2009年03月20日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #05-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 このブログでは、毎回オープニングトークとしてごく最近の出来事の小ネタを書いていますが、これはいわゆる“つかみ”であり、面白ければ基本的に何でもいいので、その週にあった出来事、あるいは僕自身が体験した面白い事を書くようにしています。
 しかし、今年に入ってからというモノ、このオープニングトークのネタが何故かあまりない。
 いや、“何もなかった”のではなく、ブログに書くほどの事が起きない、あるいはブログには書けない事(注:極めて私的、あるいは公序良俗に反する、もしくはプライバシー等の関係で)しか起きないような状況が続いているんです。
 ある意味平穏無事な毎日を送れていると言えば、確かにその通りなんですが、こうも何もないとオープニングトークのネタに困るので、何か面白い事が起きないかなぁ~と思いながら、日々を過ごしておりまする。
 まあ、何も起きないのなら、それはそれで良い事ではあります。いつも変わらない日常が続くのは、決して悪い事ではありません。
 逆に、毎日が事件だと、一ヶ月も経たない内に神経が参ってしまいます。普段通りの普遍的な日常を送れる事は、実は本当の意味での“幸福”なのかもしれません。
 いずれにせよ、毎日ゲームやったり映画を観たり、こうしてブログで文章を書いていられる事が、僕にとっての日常であり平穏であるのなら、やっぱりこうして何も起きない毎日を遅れている事は、僕にとっての“幸福”なのかもしれません。
 ……とは言え、やっぱりネタに困る事に違いはないので、ちょっとぐらいなら何か起こってほしいと思ってしまうのは、僕のワガママでしょうか?



 それはともかく、今週は『映画を“読む”』コーナーの第5弾。 今回は、スティーヴン・スピルバーグが古典SFの金字塔に挑んだ大ヒット作、『宇宙戦争(原題:War of the World)』を紹介します。
 今週も、最後までお付き合いをよろしくね☆


※以下には、映画『宇宙戦争』の重大なネタバレが多々記されています。未鑑賞の方は、先に映画本編を鑑賞して頂く事をオススメします。


・Story

 現代――。
 ニューヨークの港でクレーンオペレーターとして働く男、レイ・フェアリー(トム・クルーズ)は、徹夜仕事を終えて自宅に帰った。そこで待っていたのは、レイの別れた元妻メリー・アン(ミランダ・オットー)と、彼女との間に儲けた二人の子供、ロビー(ジャスティン・チャットウィン)とレイチェル(ダコタ・ファニング)だった。メリー・アンがボストンに住むの両親の家に行っている週末の間、レイに子供達を預かる約束をしていたのだ。
 約束通り、子供達を預かるレイ。しかし、大した世話もせず、レイは仕事で疲れた体をベッドに投げ込む。
 しばらくして、目を覚ますレイ。ところが、寝ている間に息子のロビーがレイに無断でクルマに乗ってどこかに行ってしまった事を知る。
 慌てて外に出て、ロビーを探しに行こうとするレイ。しかし、通りを行き交う人々の様子がおかしい。何事かと空を見上げてみると、そこには、今まで見た事もないような巨大な暗雲が広がっていた。
 レイチェルと共に裏庭で空を見上げるレイ。すると、凄まじい閃光と轟音を伴った落雷が、何度も何度も発生し始める。
 そして、電話やTV、時計やクルマは一切動かなくなり、人々は突然の事態に戸惑うばかりになる。
 何とか状況を把握しようと、レイはロビーとレイチェルを家に残し、街に出てみることにした。
 そして、街の教会の前までやってきた時、レイは奇妙な光景を目にする。交差点のど真ん中に、穴が開いていたのだ。
 人々と共にその穴を覗き込むレイ。するとその時、辺りを揺るがす地響きが鳴り響いた。“何か”が、地下で蠢いていたのだ。
 そして次の瞬間、レイは信じられない光景を目の当たりにする。
 地下から現れたのは、全高20メートルはあろうかという、三本足の巨大なマシン、トライポッドだった。
 トライポッドは、街の建物やクルマを踏み潰しながら、触手から発射されるレーザー光線で、逃げ惑う人々を一瞬にして灰にしていく。
 あのマシンは一体何なのか?
 その目的は一体何なのか?
 そして、それを操るのは、何者なのか?
 その場を何とか逃げ延びたレイは、家に戻って子供達と共に街から逃げ出す。
 そして、メリー・アンがいるハズのボストンに向かうのだが……!
 ジュール・ヴェルヌと並び、SF小説の創始者の一人と言われる作家、H・G・ウェルズの小説を元に、これまで『未知との遭遇』や『E.T.』でファンタジックな異性人との交流を描いてきたスピルバーグが、初めて侵略者としての異星人を描いた本作は、同ジャンルの映画の新境地を開いた傑作である。


・Cast&Staff

トム・クルーズ/レイ・フェアリー

 本作の主人公、労働者階級の一般市民であるレイ・フェアリーを演じたのは、ハリウッドが誇る世界的なムービーヒーロー、トム・クルーズである。
 ニューヨーク州郊外のシラキュースに生まれたクルーズは、12歳の時に両親が離婚。経済的に苦しい生活を強いられるが、クルーズは心の拠り所をスポーツに求める。学生時代は、特にレスリングに熱中した。
 しかし、才能が開花せず挫折。演劇の世界に足を踏み入れ、クルーズは演劇に没頭していく。
 1981年、『エンドレス・ラブ』で銀幕デビュー。その後、『タップス』(81年)や『アウトサイダー』(83年)に出演し、83年に公開された『卒業白書』での演技が高く評価され、85年にはリドリー・スコット監督の『レジェンド/光と影の伝説』に出演する。
 しかし、彼のキャリアの中でも最も大きな転機となったのは、やはり86年公開の『トップガン』を置いて他にはないだろう。
 この作品が世界中で大ヒットを記録し、クルーズも二枚目俳優としての地位を築き、『ハスラー2』(86年)、『カクテル』(88年)など、彼のイケメンぶりを発揮出来る作品に立て続けに出演し、二枚目俳優としての地位を確かなモノにする。
 二度目の転機となったのは、88年公開の『レインマン』である。
 それまでの二枚目路線とは異なり、名優ダスティン・ホフマンと共演したこの作品は、クルーズが単なる二枚目俳優ではなく、確かな演技力を持った役者である事を印象付け、89年の『7月4日に生まれて』や、『遥かなる大地へ』(92年)、『ア・ヒュー・グッドメン』(92年)、『ザ・ファーム 法律事務所』(93年)、『ザ・エージェント』などのヒューマンドラマやサスペンスなどにも出演するようになる。
 また、90年の『デイズ・オブ・サンダー』を皮切りに、96年の『ミッション・インポッシブル』や、『マイノリティ・リポート』(2002年)、『コラテラル』(2004年)などのアクション映画にも多数出演し、今やハリウッドを代表するビッグスターに成長したクルーズは、今なお様々な作品に出演し、幅広い演技で世界中のファンを魅了している。
 ちなみに、1999年には、あのスタンリー・キューブリックの遺作となった映画、『アイズ・ワイド・シャット』に、当時の妻の二コール・キッドマンと共に出演している。
 また、大変な親日家でもあり、渡辺謙と共演して話題になった『ラスト・サムライ』(2003年)や『M:I』シリーズなど、映画のプロモーションで来日した回数は数知れず。そのため、パラマウントの日本法人は、10月6日を『トムの日』として申請。日本記念日協会の正式な認可を受け、『トム・クルーズの日』が制定されている。


ダコタ・ファニング/レイチェル・フェリエ

 レイの幼い娘、レイチェルを演じたのは、当時天才子役の名を欲しいままにした若手女優、ダコタ・ファニングである。
 父は元マイナーの野球選手。母は元テニスプレーヤー。母方の祖父は元アメフト選手で、叔母はESPN(注:スポーツ専門のケーブルTVチャンネル。日本では、スカイパーフェクTVで視聴できる)のリポーターという、スポーツ一家に生まれたダコタは、しかしスポーツの道には進まず、1999年に洗剤のTVCMに出演して子役デビュー。2000年には、TVドラマの『CSI:科学捜査班』にゲスト出演し、2001年には『トム・キャッツ/恋のハメハメ猛レース』という作品で映画デビューを果たし、以後子役として活躍するようになる。
 彼女の演技が注目されたのは、2001年に公開された『アイ・アム・サム』である。
 ショーン・ペン、ミシェル・ファイファー、ローラ・ダーンといった名優たちと共演したこの作品で、ダコタは知的障害者の父親の娘という難しい役を好演。オスカーこそ逃したモノの、放送映画批評家協会賞や、ゴールデン・サテライト賞、ラスベガス映画批評家協会賞、ヤング・アーティスト賞を受賞し、映画俳優組合賞では、最年少ノミネーターとなった。 ちなみに、この作品は日本アカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされ、ベン・ハーパーやシェリル・クロウが参加したビートルズ楽曲オンリーのサントラ(注:実際には、ビートルズの音源を使用すると版権料だけで予算がパンクしてしまうため、20組のアーティストによるカヴァートリビュート)が話題になった。
 これをキッカケに、“最年少の名女優”として注目されたダコタは、2004年にトニー・スコット監督の『マイ・ボディガード』に出演。
 デンゼル・ワシントン、クリストファー・ウォーケン、ミッキー・ロークといった名優達と共演しながらも、堂々とした演技で高い評価を得る。共演したデンゼル・ワシントンは、「僕が会った役者の中で本当に優れているのはジーン・ハックマンとダコタ・ファニングだけだ。」と、彼女の演技を絶賛している。
 これらのキャリアがスピルバーグの目に留まり、2005年には本作に出演。当時は11歳だったが、スピルバーグは「7回も8回も人生経験があるかのように老練なところがある。」と評価している。
 また、後に『夢駆ける馬ドリーマー』(2006年)で共演したカート・ラッセルも、ダコタを「もっとも素晴らしい女優」と賛辞を惜しまない。
 ちなみに、声優としても複数の作品に出演しており、出演作には2005年の『リロ&スティッチ2』や、2009年公開予定の『コラライン』などがある。
 また、2004年にはディズニーがアメリカ国内向けにリリースした宮崎駿監督の『となりのトトロ』の英語吹き替え版でも声優で出演している。
 なお、ダコタはサツキ役での出演だったが、妹のメイ役は、ダコタの実の妹のエル・ファニングが務めた。
 二人にとっては、姉妹初共演作となった。


ジャスティン・チャットウィン/ロビー・フェリエ

 レイの息子で、ちょっと反抗的ないかにもイマドキの若者然としたキャラクター、ロビーを演じたのは、期待の若手俳優ジャスティン・チャットウィンである。
 ドキュメンタリー映画作家を母に持つチャットウィンだが、しかし成人するまで演技の経験は一切なく、ごくフツーの大学生だった。
 俳優を志すようになったキッカケは、大学在学中に友人の誘いでオーディションを受けた事だった。
 これがキッカケとなり、2001年には『プッシーキャッツ』やTVドラマの『ヤング・スーパーマン』に出演。2002年には、スピルバーグが製作総指揮を務めたTVドラマ、『TAKEN』に出演(注:この作品には、前出のダコタも出演している)する。
 この頃には、学業との両立が難しくなり大学を休学。俳優業で得たギャラを演劇学校の学費につぎ込み、演技と映画製作を学んだ。
 転機となったのは2004年。TVドラマの『トラフィック/新たなる連鎖』(注:イギリスの大ヒットTVドラマ。アメリカ、イギリス、メキシコにおける麻薬密輸ルート=トラフィックの現実を克明に描いた傑作。2000年には、スティーブン・ソダーバーグの監督で超豪華キャストを配したドキュメンタリータッチの映画版が公開されている。このシリーズは3rdシーズンに当たる)に出演した事だった。この出演が高く評価され、チャットウィンは本作のロビー役に抜擢された。
 本作出演後は、TVドラマの『Weed-ママの秘密』(2005年)や『LOST』(2006年)にゲスト出演。
 2007年には、『臨死』という作品で幽体離脱して自分の体を捜す青年、ニック役を演じている。
 また、今年2009年には、日本でも間もなく公開予定の鳥山明の人気コミック、『ドラゴンボール』のハリウッド実写版、『ドラゴンボールEVOLUTION』に孫梧空役で主演している。


ティム・ロビンス/ハーラン・オグルビー

 レイとレイチェルがロビーと別れた後、逃げ込んだ農家の地下室で出会う男、オグルビーを怪演したのは、脚本や製作、監督としても数多くの映画に携わり、オスカー受賞経験も持つ名優、ティム・ロビンスである。
 58年にカリフォルニアで生まれたロビンスは、幼少の頃にニューヨーク州のグリニッジ・ヴィレッジに移り、12歳の時から演劇に関わるようになる。
 ニューヨークの州立大学やUCLAのフィルム・スクールで演劇と映画製作を学んだ後、81年にロサンゼルスにアクターズ・ギャングという劇団を設立し、舞台に立つようになる。
 1984年、『恋人ゲーム』という作品で銀幕デビューを果たすが、小さな脇役ばかりであまり注目されない役ばかりだった。
 しかし、1988年に公開された『さよならゲーム』という作品(注:マイナーリーグの新人投手という役どころ)での演技が評価され、注目される。また、この作品ではプライベートでのパートナーとなるスーザン・サランドンと出会っている。
 その後、彼の演技が世界的に認められるキッカケとなったのが、1992年に公開された映画、『ザ・プレイヤー』である。
 群像劇の名手、ロバート・アルトマン監督の作品で、ロビンスは偶然から脚本家を殺してしまうハリウッドの映画スタジオの重役の役柄だったが、これがカンヌで大絶賛され、アルトマンの監督賞とともに、ロビンスは主演男優賞を受賞した。
 ちなみに余談だが、この作品には実に60人を超える俳優、映画監督、プロデューサーが本人役でカメオ出演している。
 93年には、同じくアルトマン監督作品の『ショート・カッツ』に主演。翌94年には、コーエン兄弟の『未来は今』に主演し、卓越した演技でキャリアを重ねていく。
 そして、同じく94年に主演した『ショーシャンクの空に』(注:名作。スティーヴン・キング原作の中篇小説の映画化作品。フランク・ダラボンの初監督作品で、ダラボンは脚本も手がけている。公開当時、『フォレスト・ガンプ/一期一会』の影に隠れて注目されない作品だったが、後にビデオリリース時に再評価され、今では優れた傑作として評価されている。ちなみに、モーガン・フリーマンが共演している)が高く評価され、オスカー候補に選ばれている。
 こうしたシリアスなヒューマンドラマへの出演が多い傍ら、99年にはTVアニメの『ザ・シンプソンズ』に声優としてゲスト出演したり、マイク・マイヤーズのコメディ映画『オースティン・パワーズ:デラックス』(99年)といったコメディ系の作品や、『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)のようなSF作品にも出演するようになる。
 2003年には、クリント・イーストウッド監督作品の『ミスティック・リバー』に出演し、助演男優賞で念願だったオスカーを獲得。さらに、同作品ではゴールデン・グローブ賞でも助演男優賞も獲得し、その地位を確固たるモノにする。
 本作では、これまでの彼のイメージとはかけ離れた、家族を失ってプッツンしちゃった男を怪演しているが、ロビンスでなければこの難しい役は演じられなかったのではないかと思えるほどの素晴らしい演技を見せている。
 俳優業の傍ら、1992年から監督業もこなすようになり、92年の『ボブ★ロバーツ』という作品では、脚本と主演もこなしている。
 95年の『デッドマン・ウォーキング』(注:超傑作。死刑囚と修道女の心の交流を通し、死刑制度に対する重要な問題を提起したノンフィクションドキュメンタリーの映画化作品。ぜひ、ハンカチを用意して観て頂きたい作品)では、後に『ミスティック・リバー』で共演する事になるショーン・ペンと、プライベートでパートナーのスーザン・サランドンを主演に迎え、自らは監督、製作、脚本を担当。この作品は、極めて高い評価を得て、サランドンは主演女優賞でオスカーを獲得。ペンはベルリン国際映画祭で男優賞を受賞している。
 ちなみに、本作の主演であるクルーズとは、既に『トップガン』で共演済みだったりする。


ミランダ・オットー/メリー・アン・フェリエ

 レイの別れた妻で、レイチェルとロビーの母親であるメリー・アンを演じたのは、オーストラリア人の女優、ミランダ・オットーだ。
 映画『ダンシング・ヒーロー』(注:レオナルド・ディカプリオとクレア・デインズ主演の96年版『ロミオ+ジュリエット』や、ユアン・マクレガー、二コール・キッドマン主演の2001年公開の『ムーラン・ルージュ!』を監督する事になるバズ・ラーマン監督の初監督作品。92年公開)に出演したバリー・オットー(注:出演作は、他に89年版の『パニッシャー』や、バズ・ラーマン監督の最新作、2008年公開の『オーストラリア』などがある)の娘として生まれたミランダは、オーストラリア国立演劇学院で演技を学び、17歳の若さで『Emma’s War』という舞台作品に主演。一躍人気の若手女優となる。
 舞台女優として長年活躍した後、1996年に『ラブ・セレナーデ』という作品で映画初主演を果たす。この作品が、カンヌでカメラ・ドール賞(注:カンヌ国際映画祭において、いわゆる新人監督賞に当たる賞)を受賞し、同時に主演したミランダは、国外でも注目される女優になった。
 その後、98年には『シン・レッド・ライン』。2000年には『ホワット・ライズ・ビニーズ』。2001年には『ヒューマン・ネイチュア』と、話題作、ヒット作に立て続けに出演し、2002年と2003年には、ピーター・ジャクソン監督の傑作中の傑作、『ロード・オブ・ザ・リング』にエオウィン姫役で出演。ヴィゴ・モーテンセンやオーランド・ブルームなどの男性陣に混じって、勇ましく戦うお姫様(笑)を好演した。
 プライベートにおいて、2003年にイギリス人俳優のピーター・オブライエンと結婚し、本作撮影後(注:撮影中は実際に妊娠中だった)子宝にも恵まれている。
 しかし、育児に専念するためか、本作出演後は女優業を休業している。


モーガン・フリーマン/ナレーション

 本作のオープニングとエンディングにおいて、印象的なナレーションを担当したのはベテラン俳優のモーガン・フリーマンである。
 彼の深く落ち着きのある声は、本作のテーマを語る重要なナレーションの担当に適役だった。
 しかし、本作では飽くまでもナレーションでの出演であり、カメラに写っているワケではないので、詳述はあえて割愛させて頂く。
 いつか他の作品で、改めて紹介したいと思う。


スティーブン・スピルバーグ/監督

 本作を監督したのは、最早説明する必要もないほど、世界中で高い人気と評価を得ているヒットメーカーであるスティーブン・スピルバーグである。
 ……しかし、彼について書こうとすると、それだけで本が一冊書けるほどの膨大なテキスト量になる上、スピルバーグは僕にとって最も尊敬する5人の映画監督(注:デヴィッド・フィンチャーは既に紹介済み。他の3人についてはいずれまた)の筆頭なので、テキトーに紹介したくないので今回は詳述を割愛させて頂く。
 スピルバーグの紹介は、このコーナーにていずれまた、特集を組んで紹介したいと思う。
 一応、最新作は来年2010年公開予定のイギリスのグラフィックノベルの名作、『タンタンの冒険旅行』の映画化作品とだけ書いておこう。


・Behind the Scene

 本作は、ジュール・ヴェルヌと並んでSF小説の創始者の一人と言われているH・G・ウェルズ(本名:ハーバード・ジョージ・ウェルズ)の同タイトルの原作小説の映画化作品である。
 1866年、イギリスのイングランドケント州ブロムリーの商人の息子として生まれたウェルズは、奨学金を得てサウス・ケンジントンの科学師範学校(現在のインペリアル・カレッジ)に進学し、生物学を学ぶ。
 優秀な成績でカレッジを卒業したウェルズは、一旦教職に就くが、転身してジャーナリストの道へ進む。ココで文才を発揮し始め、1896年に、処女作『タイムマシン』を発表。さらに同年、2作目となる『モロー博士の島』。1897年には、3作目の『透明人間』を立て続けに発表し、大学で学んだ生物学の知識に裏打ちされた緻密な描写と、奇想天外なアイディアが盛り込まれた作風が高く評価され、瞬く間にベストセラー作家になる。
 こうして、職業作家として作品を発表する一方で、ウェルズは科学や社会思想に関した著作も数多く残しており、小説作品と同様に高く評価されている。
 そして、1898年。ウェルズの第4作目として発表されたのが、本作の原作となった『宇宙戦争』である。
 ベストセラー作家の最新作とあって、当時でもこの作品は高い評価と人気を得た作品だったが、この作品は、後にウェルズの作品の中では最も多く、他メディア化された作品になる。
 最初にこの作品の他メディア化に挑んだのは、ハリウッドの映画監督兼脚本家で、役者としてのキャリアも持つオーソン・ウェルズだった。(注:ウェルズと同じ苗字だが、オーソンはアメリカ人であり、ウェルズとは血縁関係にない)
 オーソンは、1938年に自らの劇団、『マーキュリー劇場』を率いてアメリカCBSラジオで小説や演劇を原作としたラジオドラマ番組、『オーソン・ウェルズ劇場』のOAを開始する。
 当初はあまり見向きされなかったこの番組が、一躍アメリカ中のリスナーを虜にする人気番組になったのは、38年の10月30日にOAした『火星人襲来』であった。
 これは、ウェルズの『宇宙戦争』を原作とし、オーソンが地球に侵略してきた宇宙人の様子を臨時生中継風に実況するという思い切った演出を施した作品だった。
 オーソンのあまりに鬼気迫る迫真の演技に、これを聴いた当時のリスナーたちは本当に火星人が侵略してきたと思い込み、全米各地で大パニックが起こった。中には、悲観して自殺した人も少なくなかった。
 さらに、1953年には、当時大作系映画の敏腕プロデューサーとして名を馳せていたジョージ・パルの製作により、初の映画化が成されている。
 この作品では、それまで挿絵やイラストなどで断片的でしかなかった同作品のヴィジュアルを初めて明確にし、宇宙船や火星人の姿を初めてスクリーンに映し出した最初の作品になった。
 また、1988年には、この映画の続編としてTVシリーズが製作され、日本でも『新・宇宙戦争』というタイトルでビデオソフト化されている。
 ちなみに、この作品に主演したジーン・バリーとアン・ロビンソンは、スピルバーグのたっての希望で、レイが向かうボストンに住むメリー・アンの両親役(注:映画のエンディングで、アパートの戸口にミランダと共に立っている老夫婦)で本作にも出演している。
 この他にも、78年にはジェフ・ウェインという作曲家の手により、この作品を原作としたLP2枚組みのアルバム(現在で言うところのイメージアルバム)が製作、リリースされ、世界で1300万枚という驚異的なセールスを記録し、数多くの賞を受賞している。
 さらに、96年にはローランド・エメリッヒ監督の手により、世界的大ヒットを記録した映画、『インディペンデンス・デイ(ID4)』が公開されたが、エメリッヒ監督自身が、『宇宙戦争』にインスパイアされて製作した事を認めている。
 事実、ID4には映画の節々で原作小説や53年版の『宇宙戦争』に酷似したシーンが度々登場している。
 このように、ウェルズの小説『宇宙戦争』は、その後のメディア、特に映画産業に多大な影響を与え、今尚多くのファンを持っている作品である。
 そのファンの中の一人に、本作を監督したスピルバーグがいた。


 スピルバーグは、元々原作小説や53年版のファンで、いつか自分もこの作品を監督したいと考えていた。
 2002年に公開された映画、『マイノリティ・リポート』で初コンビを組んだクルーズと、映画公開後に次の作品の事を話し合っていた時、スピルバーグは念願だった『宇宙戦争』を提案する。
 タイミング的にも丁度良い時期だった(注:詳細は後述)事もあり、クルーズもやる気になった。
 既に製作が決定していた『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)と『ターミナル』(2004年)を撮影する傍ら、スピルバーグは長年のパートナーであるプロデューサーのキャスリーン・ケネディや、映画『ジュラシック・パーク』(93年)でマイケル・クライトンと共に脚本を手がけたデヴィッド・コープ(注:コープは他に、デヴィッド・フィンチャー監督の2003年の作品、『パニック・ルーム』やサム・ライミ監督の2002年の作品、『スパイダーマン』の脚本も手がけている)らと共に、『宇宙戦争』のプロジェクトを進めた。
 まず問題になったのが、やはりキャストであった。
 主役はクルーズに決まっていたが、それ以外のキャストが問題になった。
 しかし、スピルバーグには既に明確なヴィジョンがあった。そして、レイチェル役をダコタに打診する。
 既に、スピルバーグが製作総指揮を勤めたTVドラマ、『TAKEN』に出演していたダコタは、これを二つ返事でOKした。
 レイチェル役が決まると、今度はレイに反抗する年頃の兄、ロビー役が問題になった。
 他の役とは異なり、ロビー役の選考は難航した。イマドキのティーンエイジャーで、しかも両親が離婚しているという状況に置かれた難しい年頃の若者を演じるには、確かな演技力を持った同年代の若手俳優が必要だった。
 膨大な時間をかけて選考が行われた結果、選ばれたのはチャットウィンだった。スピルバーグは、チャットウィンの出演作を観て彼の才能を見抜き、「チャットウィンこそ適役」と判断した。
 その結果は映画を観ての通りで、子供たちと共に逃避行するレイは、度々ロビーと激しい口論になるが、ロビーは大人で父親のレイが怖気づくほど強気で、レイを罵倒する。チャットウィンは、初めての大作映画の出演というプレッシャーにも負けず、堂々とした演技でこの難役を見事に演じ切っている。
 また、レイの別れた妻、メリー・アン役にはミランダが選ばれた。
 当時、ミランダは新婚ホヤホヤで、しかも身重の体だった。そのため、ミランダは「妊娠中だから出演出来ない」と告げた。しかし、スピルバーグは逆にそれを喜んだ。何故ならメリー・アンもまた、妊娠中という設定だったからだ。
 逃避行を続けるレイとレイチェルを助ける男、オグルビー役を任されたのは、名優ティム・ロビンスだった。
 それまでの彼のキャリアの中には全くなかった、パニックのためにプッツンしちゃったキレキャラで、しかも出演するのはワンシークエンスのみという役だったが、ロビンスはこの申し出を快く引き受ける。
 それまで演じた事のないオグルビーのキャラクターに、ロビンスは役者魂を触発されたのだ。
 こうして、主要なキャストが決まると、スピルバーグはいつものデニス・ミューレンやパブロ・ヘルマンに特殊効果監修を依頼し、ILMやスタン・ウィンストン・スタジオにSFXとVFXの製作を要請。映画は、2004年の年末にいよいよクランクインした。


 しかし、ここで重大な問題が持ち上がる。撮影日数の問題である。
 本作は、2005年6月の公開が既に決定していたが、スピルバーグは前作の『ターミナル』の製作に集中しており、本作のプリ・プロダクション(注:撮影前の準備期間)がスタートしたのは、2004年の秋だった。
 公開スケジュールは変更が利かないため、どんなに急いでもクランクインは2004年の年末。企画当初から膨大になるだろうと考えられていたVFXなどの特殊効果の製作を加味すると、撮影に許される期間は僅か2ヶ月半。72日間しかなかった。
 通常、本作のような大作映画では、撮影中のトラブルやセットの設営の遅れなどを加味して、比較的長めの撮影期間を設けるのが普通で、短くても半年。長いと1年近くになる事も珍しくない。
 しかし、本作に許されたのはその半分以下の僅か72日間。スピルバーグは、この膨大なワークをほんの僅かな期間でこなさなければならなかった。
 しかし、そこはヒットメーカーのスピルバーグ。やる事がハンパ無い。
 スピルバーグは、予算を使ってこの膨大なワークを人海戦術でこなす事にした。
 本作の撮影は、バージニア州やニューヨーク州を始め、東海岸周辺の各地でロケ撮影が行われ、特殊効果が必要なシーンでは、20世紀フォックスやユニバーサル、ソニー・ピクチャーズなどが所有する複数のスタジオを借りてセット撮影された。
 こうして、撮影場所を10ヶ所以上に分散させる事で、あるシーンをある現場で撮影している間に、別の現場で別のシーンのセットを準備する。これにより、撮影が終わる頃には次の現場のセットが準備万端整っているというワケだ。
 また、製作に膨大な時間がかかるVFXの製作のために、VFXが必要な大掛かりなシーンを優先して先に撮影し、VFXが必要ないシーンを後に撮るという順番で撮影した。大掛かりなシーンを先に撮影する事で、VFXの製作チームの作業を一日でも早く始められるようにするためだ。
 この方法で、スピルバーグは全米各地を飛び回り、映画に必要なシーンの数々を次々と撮影していった。
 もちろん、これにはスピルバーグ自身の才能も必要不可欠だった。
 スピルバーグと共に仕事をした多くのスタッフや役者が揃って口にするのは、彼の指示の明確さと的確さである。
 スピルバーグは、映画を監督する時には既に明確なヴィジョンが頭の中にあり、それを実写で再現するように映画を撮る。そのため、スタッフやキャストに対する指示も明確で、常に的確な指示を出す。
 しかし、スピルバーグはそれとは反対に、極めて柔軟な対応をする事も多い。スタッフやキャストからの提案を受け入れ、自分のヴィジョンを修正する術を知っている。
 ヴィジョンが明確な監督は、スピルバーグ以外にも大勢いるが、それだけでは頑固なコダワリ派になってしまう。以前このコーナーでご紹介した映画『12モンキーズ』のテリー・ギリアム監督は、その典型的な例だろう。
 しかし、スピルバーグはそれと同時に柔軟さも持ち合わせている。
 だから、彼の仕事は速い。
 信頼出来るスタッフとキャストを選ぶ目も確かだ。
 スタッフとキャストが、スピルバーグの望む信頼に応えるだけで、スピルバーグは傑作を撮る事が出来るのである。


 本作では、多くの大作系の映画がそうであるように、迫力のSFXとVFXが話題になったが、本作の特殊効果監修を勤めたのは、旧友のデニス・ミューレンとパブロ・ヘルマンである。
 両者とも、既に複数の作品でスピルバーグ作品に携わっており、お互い旧知の間柄だった。
 過去の作品でも、スピルバーグとのコンビネーションは優れており、本作でも、二人はお互いに仕事を分担し、一方が現場で撮影している時は、もう一人がスタジオで作業するというスタンスで、本作に必要な特殊効果の数々を作り上げていった。
 ではココで、二人が本作で手がけた特殊効果の例をいくつか紹介しよう。
 例えば映画の前半、トライポッドが初登場する教会前の交差点のシーン。
 あのシーンは、全て実際にある街の交差点でロケ撮影が行われた。しかし、さすがに交差点のど真ん中に穴を開けるワケにはいかないので、スタッフは地面に目印用の小さな三角コーンを並べた。そして、その中を走り回るクルーズに、「これが地面の亀裂の目印」と説明した。クルーズは、その目印を飛び越えるように走る演技をする。
 そして、このフィルムをILMに持ち込み、地面が割れ、教会が崩壊し、吹き上げる土煙と共に現れるトライポッドをCGIで書き込み、フィルムを完成させる。
 これに続く、レイが走ってトライポッドから逃げ回るシーンでは、レイの回りで同じように走り回っている市民たちが、トライポッドから放たれる強力なレーザー光線で次々と一瞬にして灰になっていくが、これももちろんVFXだ。
 まず、走るレイと市民たちをライブアクションで一緒に撮影する。この時、レーザー光線に撃たれる市民は、ADのキューでその場に倒れてもらう。
 これと並行して、2ndユニットが吹き飛ぶ服や灰をブルーバックで撮影し、素材を作る。
 これらのフィルムをILMに持ち込み、実写プレートから撃たれる人物の撃たれた直後から地面に倒れ込むまでを消し、そこに先ほどブルーバック撮影した素材を組み合わせ、CGで調整すると、映画でも一際印象的なあの“惨殺”シーンが完成する。(注:ただし、流血が一切ないのがスピルバーグ作品らしいトコロ)
 しかし、時にスピルバーグの思い付きで仕事が増える事もあった。
 レイが馴染みの車屋で修理されたミニバンを盗み、街を逃げ出すシーンでは、当初逃げ惑う人々の間をミニバンが走り抜けるだけの単純なシーンになるハズだった。
 しかし、撮影現場にあった高速道路の高架を見て、スピルバーグはヘルマンに、「あの橋も破壊しよう。橋と家がこっちに向かってくるように壊れるんだ。」と言い出した。
 ヘルマンは、この膨大な作業量を要するスピルバーグの思い付きを了承し、ミニチュア撮影とCGIを組み合わせ、あの凄まじい大破壊のシーンを完成させた。
 完成したカットは、いち早く宣伝部に渡され、スーパーボール用のTVスポットに使われた。
 このようにして、ミューレンとヘルマンは作業を分担し、ILMやスタン・ウィンストン・スタジオなどの特殊効果製作会社に手際良く仕事を振り分け、映画全編の3分の2近くを占める膨大な特殊効果製作をこなしていった。
 その結果は、映画を観ての通りである。


 ところで、スピルバーグ作品というと、過去の作品でも近年の作品でも、“脅威のSFX”が話題になる事が多いが、ライブアクションの大切さを忘れていないのも、スピルバーグがヒットメーカーであり続ける理由の一つである。
 本作の前半、ニューヨークから逃げてきたレイたちは、ニューヨーク近郊のメリー・アンの家に向かう。そして、そこでつかの間の休息を取るのだが、深夜に突然の轟音と共に閃光がほとばしり、地下室から続くボイラー室に逃げ込む。そして、夜が明けて外に出てみると、そこにはジャンボジェット機の残骸が散乱していた。
 このシーンは、なんと全て実物大の屋外セットである。
 このシーンでは、本作の製作開始直前まで実際に客を乗せて運行されていて、本作のプロダクション中に解体処分される予定だった全日空(ANA)のボーイング747型機をスタッフが買い取り、このシーンのセットとして“再利用”した。映画をよく観ると、垂直尾翼にANA機独特の青いラインが確認出来る。
 解体処分直前だったとはいえ、たったワンシークエンスのためだけにホンモノのジャンボジェットを丸々一機買い取るとは……。さすがスピルバーグ。やる事が違う。
 本作の終盤、オグルビーの地下室のシークエンスに続く、レイチェルとレイがトライポッドにさらわれるシーンでは、プロダクション・デザイナーのリック・カーターとセット装飾担当のアン・カルジャンの手により、のどかな牧草地帯にたたずむ農家とその周辺を“赤い草”で覆い尽くされたセットが用意された。
 あの草原を覆いつくす“赤い草”は、CGIではなく全てスタッフによって再現されたセットである。
 ちなみに、この“赤い草”はウェルズの原作を再現したモノだが、人間の血液を肥料にするというアイディアは、本作独自の設定である。
 また、この前のシークエンスにあたるオグルビーの地下室もまた、スタジオに設営されたセットである。
 すなわち、地下室に入る直前まではロケ。地下室に入ってからのシーンは、全てセット撮影というワケだ。
 また、この直後にはトライポッドに捕らえられたレイとレイチェルが、同じように捕らわれた市民たちと共にトライポッドを倒す劇的なシーンに続くが、これもトライポッドの腹部とあの“カゴ”を実物大で再現したセットである。
 トライポッドの実物大の模型は、全長20メートル以上、横幅は10メートル以上に及ぶ巨大なモノで、これをスタジオの天井から吊るし、その下にあの“カゴ”をぶら下げて設営された原寸大のセットなのだ。
 原寸大のセット撮影を行う一方、セット撮影でも不可能なシーンにはミニチュア撮影が行われた。
 映画の中盤、ニューヨークから逃げてきたレイたちは、フェリーでハドソン川を渡ろうとする。しかし、そこにトライポッドが現れて、フェリーはあえなく転覆してしまう。
 この転覆するフェリーは、ミニチュアである。
 しかし、ミニチュアと言っても10分の1スケール近いかなり巨大な物。支柱で支えられたこのミニチュア(?)に、同スケールのミニカー(?)を乗せ、横方向に回転させ、フェリーの転覆シーンは撮影された。
 ただし、ロケ撮影が行われたのは冬真っ盛りの1月だったため、水温が低過ぎてスタントマンですら水に入れなかったため、後日スタジオ内に設営された水槽セットにて、レイたちが溺れそうになりながらトライポッドから泳いで逃げるシーンが撮影された。
 しかし、これが逆に功を奏し、クルーズたち本人がスタントし、逃げ惑う彼らの表情をアップで撮影する事が出来た。
 また、このシーンに続く丘のシーンは、ロビーがレイの制止を振り切ってトライポッドと戦う軍隊に駆け寄り、そのままロビーと離れ離れになってしまう重要なシーンだが、このシーンで出演している軍隊は、ホンモノのアメリカ海軍の部隊である。
 本作以前に、98年の『プライベート・ライアン』で、スピルバーグは戦闘シーンの撮影のためにホンモノの軍隊にエキストラスタントを依頼しているが、本作でも同様にホンモノの軍隊に出演を要請した。
 軍事技術顧問のジョゼフ・トッド・ブレッセールは、当時イラクの治安維持任務に当たっており、休暇のため一時帰国していた部隊の隊員100名余りと、彼らが普段使用している装甲車や戦車、トラックなどの装備一式を借り受け、スタント・コーディネーターのビク・アームストロングの指導の下、あの凄まじいスケールの戦闘シーンを撮影した。
 また、この部隊は映画の終盤、ボストンの街中でシールドの消えたトライポッドにジャベリンロケットを打ち込む部隊としても出演している。
 撮影に参加した隊員の一人は、「映画ではよく、間違った銃器の扱い方をしているのを見かける。スピルバーグ監督は、現実と虚構のバランスが優れている。」と語っている。
 本作に出演した彼らは、撮影終了後、再びイラクに戻って治安維持任務に当たった。
 さらに、本作では度々映画に登場する群衆、すなわち逃げ惑う人々と難民の姿がスクリーンに映し出される。
 先にも記した通り、本作は東海岸を中心とした全米各地でのロケ撮影が慣行されたが、スクリーンに映し出される群衆は、全て現地の市民がエキストラとして参加したモノである。
 何せ、スピルバーグとクルーズのコンビの最新作の撮影である。現地の市民は、友好的に撮影隊を歓迎し、積極的に難民に扮してエキストラに参加した。
 また、彼らが持っている行方不明者の写真や、尋ね人のチラシが張られたメッセージボードの写真は、全てスタッフが友人や知人、家族や親族の写真を集めて一つ一つ手作りしたモノである。
 さらに、ハドソン川近くでレイの車を見つけて車を奪おうと集まる群衆は、まさに極限状態に置かれた群衆心理を表現するのに必要不可欠だった。
 実際、その迫力はスクリーンにもにじみ出ており、正直得体の知れない宇宙人よりも怖いぐらいである。
 こうして、多くの人々の協力の下、スピルバーグは93年の映画『シンドラーのリスト』以来コンビを組んでいる撮影監督のヤヌス・カミンスキーと共に、手際よく撮影を続けた。そして、懸念されていた撮影期間を延長する事なく、予定通り70日余りで本作の撮影をクランクアップした。


 ところで、本作の音楽を担当しているのは、75年の『ジョーズ』以来、実に30年以上の長きに渡ってスピルバーグ作品の音楽を担当し続けている名作曲家、ジョン・ウィリアムズであるが、本作では、それまでとは異なる試みがいくつかなされている。
 本来、ウィリアムズの作曲スタイルは、完成版に近い映画全編を観て、そのファーストインプレッションだけで全楽曲を一気に作曲するというスタイルを続けていたが、本作ではそれをしなかった。
 ウィリアムズが見たのは、全体の半分程度の映像だけだった。
 これにはワケがあり、本作は先にも記した通り、大作系映画であるにも関わらず、制作期間は1年にも満たない短期間で製作された。そのため、ウィリアムズがポスト・プロダクション(本編の主要撮影=プロダクション終了後に行う特殊効果撮影や効果音製作、編集、音入れ、ミキシングなどの作業を行う過程の事。この過程を経る事で、フィルム素材は初めて“映画”になる)に参加した時には、まだVFXの製作途中で、スピルバーグはウィリアムズに映画を見せたくても見せられなかったのだ。
 しかし、そこは旧知の間柄の二人。お互いの事をよく分かっている。ウィリアムズは、見せられた未完成の映画を観て、スピルバーグの意図を的確に読み取り、映画全編の音楽をいつものように一気に書き上げた。
 そして、自らタクトを振り、ウィリアムズは本作の音楽をレコーディングした。
 こうして作曲されたウィリアムズの音楽だが、これまでのウィリアムズの音楽とは一風変わった印象を受ける。
 ウィリアムズらしい壮大なスケール感のオーケストラ楽曲ではあるのだが、どこか古風な、70年代のパニック映画のようなレトロな印象を受ける。
 トライポッドの登場シーンで聴かれる低音を多用した楽曲は、まるで『ジョーズ』を思わせるし、墜落したジャンボジェットのシーンで聴かれる物悲しい雰囲気の楽曲は、『シンドラーのリスト』を想起させる。
 そして、オープニングとエンディングでは、それまでのウィリアムズ楽曲にはほとんどと言っていいほどなかった人工的なシンセサイザーの音が全面に押し出されている。
 しかし、これらの“型破り”は、逆にこの映画のイメージにはピッタリだった。
 低音は、宇宙人の侵略という恐怖感を描き出し、物悲しげなメロディは、逃げ惑う難民たちの悲壮感そのモノだ。
 そして、人工的なシンセサイザーの音は、本作のテーマの一つである“自然との共生”を明確に表現している。
 スピルバーグ作品のみならず、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズや、初期の『ハリー・ポッター』シリーズにも楽曲を提供し、長年映画と共に音楽の道を歩んできたウィリアムズは、間違いなく現代最高の映画音楽コンポーザーである。


to be continued...

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

031.子羊たちはもう鳴き止んだか?b

2009年02月21日 | 映画を“読む”

・Reaction&Estimate


 本作は、本国アメリカでは91年のバレンタインデー、湾岸戦争勃発中に全米で公開された。
 元々、原作小説がベストセラーで、しかも『告発の行方』でオスカー女優になったばかりのフォスター主演の最新作とあって、映画ファンには熱狂的に迎えられた。
 映画館の前には長蛇の列が並び、初日の興行収益だけで総製作費に迫る1700万ドルという驚異的なセールスを記録した。
 最終的に、本作は本国アメリカだけでも1億4000万ドル以上を売り上げ、海外でもそれとほぼ同等の驚異的なセールスを記録。僅か2000万ドル足らずで製作された本作は、世界でその10倍以上の売り上げを得て、映画は関係者も飛び上がって驚くほどの大成功を収めた。
 アメリカの映画産業にとって、最も重要なイベントであるアカデミー賞の授賞式は、毎年2月に行われているが、選考の対象となるのはその前年の大晦日までに公開初日を迎えた作品だけである。従って、本作がアカデミー賞の選考対象となるのは、92年の2月に行われる授賞式においてである。
 つまり、本作がオスカーを獲得するには、丸々1年以上待たなくてはならない事になる。
 この公開日は、映画の製作中に決まったものだし、プロダクションスケジュールから言っても、製作前からこのぐらいの時期になる事は明らかだった。
 加えて、本作は低予算で制作される小規模な作品で、しかも作品のジャンルはオスカーとは縁遠いサイコスリラーである。加えて、年初めに公開された映画は、(選考会の印象に残りにくいため)オスカーを獲得しにくいというジンクスがある。キャストはもちろん、スタッフや映画会社の重役達も、本作が何かの賞を受賞するような事はないと考えていた。
 だが、いざアカデミー賞のノミネート作品が発表されると、関係者一同はまた飛び上がって驚いた。
 本作が、作品賞や監督賞など、主要5部門を含む7部門でノミネートされていたのだ。
 授賞式当日、ホプキンスは会場に行くのを嫌がったそうだ。道が混んでるし、どうせ受賞できないと思って、近くのレストランで授賞式のTV中継を見ていたい気分だったと言う。
 しかし、いざ授賞式が始まると、壇上のプレゼンターたちは次々とホプキンスの知っている名前ばかりを読み上げていった。
 気が付くと、本作は作品賞(映画『羊たちの沈黙』)、監督賞(ジョナサン・デミ)、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)、主演女優賞(ジョディ・フォスター)、脚色賞(テッド・タリー)の、アカデミー賞で最も重要とされる主要5部門を完全制覇していた。
 さらに本作は、ベルリン国際映画祭の監督賞、ゴールデングローブ賞の主演女優賞、イギリスアカデミー賞の主演女優賞などを受賞し、サイコスリラー作品としては異例中の異例とも言える極めて高い評価を得た。
 しかし、このような華々しい受賞歴とは対照的に、本作を痛烈に批判した人々もいた。
 全米中の同性愛者たちである。
 同性愛者として描かれているバッファロー・ビルのキャラクターが、“同性愛者=殺人者”をイメージさせるとして、全米のそこかしこで大規模な抗議行動が行われた。
 特に、アカデミー賞の授賞式会場には、大規模な抗議デモ団体が集まり、複数の逮捕者が出るほどの騒ぎになった。
 本作の制作中、撮影現場は映画の内容とはほど遠い、終始和やかな雰囲気で撮影が行われ、スタッフもキャストも、本作がこのような形で取り沙汰されるとは考えてもみなかった。
 バッファロー・ビルを演じたテッド・レヴィン本人は、「バッファロー・ビルをゲイと思って演じた事はない」と言って、公の場で謝罪したそうだ。
 本作を監督したジョナサン・デミは、全米批評家賞の授賞式会場の席上で、会場の外で抗議団体がばら撒いていたビラを手にスピーチした。
「皆さんはこのビラを見ましたか? 大変よく書けています。 彼らが言う通り、ハリウッドは加害者です。私達は、それを自覚すべきです。」
 デミはこの直後、エイズ問題と同性愛者差別をストレートに表現した法廷ドラマ、『フィラデルフィア』を監督し、彼らを弁護する立場を明確にした。
 ちなみに、映画のタイトルになっている“フィラデルフィア”は、映画の舞台になっているペンシルベニア州の州都だが、その語源はギリシャ語で『兄弟愛』を意味する。
 また、フィラデルフィアはかつて、アメリカ合衆国の最初の首都だった。
 本作は、公開から20年近くを経た今なお、サイコスリラーにおける傑作中の傑作として高く評価されているが、同性愛者の活動家の間では、すこぶる評判のよろしくない作品でもある。


・Data

羊たちの沈黙(原題:the silence of the lambs)

配給:オライオン・ピクチャーズ&ワーナー・ブラザーズ
   (注:ただし、現在はMGM/UAの取扱い)
出演:ジョディ・フォスター
   アンソニー・ホプキンス
   スコット・グレン
   テッド。レヴィン
原作:トマス・ハリス
脚本:テッド・タリー
音楽:ハワード・ショア
撮影:タク・フジモト
編集:クレイグ・マッケイ
製作:エドワード・サクソン
   ケネス・ウット
   ロン・ボズマン
製作総指揮:ゲイリー・ゲッツマン
監督:ジョナサン・デミ

総製作費:1900万ドル
上映時間:118分
公開年月:1991年2月(日本では91年6月)



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


対峙する。


Thanks for youre reading,
See you next week!



‐参考資料‐
※今回の記事は、以下のウェブサイトの記事を適宜参照しました。

・Wikipedia日本語版
 検索ワード:羊たちの沈黙(映画)
※この記事内に、キャストやスタッフのリンクが多数あります。それらも合わせてご覧下さい。


‐DVDソフト‐
※今回取り上げた映画作品のDVDソフトです。未鑑賞の方はぜひ一度ご覧下さい。

羊たちの沈黙 アルティメット・エディション [DVD]
トマス・ハリス
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする