わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

長崎から中国へ=広岩近広(編集局)

2008-03-23 | Weblog

 浅い春の日、長崎を歩いた。中国とつながりの深い都市だとあらためて実感した。

 鎖国時代は唐貿易の唯一の窓口だった。1670年代の長崎の人口約6万人のうち約1万人を中国人が占めていたそうだ。坂道の途中にある唐人屋敷跡には、当時のよすがが今も色濃く残っている。

 その近くに建つ中国歴代博物館で、長崎県日中親善協議会の第61巻ニュースを読んだ。2人の中国人女性の手記は印象深い。長崎県立西高の李芳シ(ほうし)さんは、日中戦争の歴史観から「日本人に対するイメージは冷たくて情けがない」と思っていた。しかし今は、「私の第二故郷だと思えるぐらい好きです」と書いている。県立長崎シーボルト大に留学した李偉さんは「原爆のつらい思い出のある長崎」を語り、前長崎市長の射殺事件に触れて、こう述べる。「市民たちの怒りや平和を追求する強い意志を感じ取って、誠に感動しました」

 彼女たちの国が今世紀の主役であることは間違いあるまい。それは良くも悪くも、ということだ。著しい経済発展を遂げている一方で、軍拡もまたすさまじい。

 それだけに彼女たち長崎の留学生に、私は託したい。中国に帰ってから、友好と平和にとって何が必要で、何が邪魔かを訴えてほしいのだ。

 --率先して核軍縮に努めるべきです。武力に頼る国家や民族の統制は避けなければなりません。

 大甘だろうか。だが、急がば回れというではないか。中国の若者が多く留学する米国の都市に比して、古くから交流の歴史を刻んだ長崎には平和を育てる潜在力がある。




毎日新聞 2008年3月23日 9時37分


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