わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

「都市格」と大阪=藤原規洋(論説室)

2008-03-23 | Weblog

 関西活性化をテーマにした議論で、「都市格」という言葉をよく耳にする。「人格」になぞらえたもので、精神性をも含めた地域特性と言えようか。実はこの言葉、大阪と大変縁が深い。初めて使ったとされるのが、大阪府の第19代知事、中川望なのだ。

 1925(大正14)年の講演で「人格に欠くところあれば決して人として尊きものにあらず」と述べ、商工業都市として成功をおさめた大阪に求められているのは「都市格の向上」だと力説した。

 中川は、人格は「知識・道徳・趣味・信仰(信念)」から成ると考え、都市格を高めるためにもこの四つの要素が必要とした。具体的には、まず教育の充実。そして、子どもには伸び伸びと遊べる場所を提供し、「立派な正しい遊戯」を教えることで自然に道徳的な行いや考えを身につけさせる。成人やお年寄りには質の高い文化・娯楽施設を提供することなどを挙げた。

 中川と二人三脚で大阪の舵(かじ)取り役を務め、名市長とうたわれた関一は「大阪は住み心地よき都市にする」と言っている。市民の生活レベルで分かりやすく言い換えたものと理解していいだろう。

 2人の言葉から、「子どもが笑う大阪」をキャッチフレーズとする橋下徹知事の言葉を思い出してしまった。ただし、文化芸術施設については違う考えのようだし、何より、まちづくりの理念や中川のような品格は、まだ感じられない。

 もっとも、政治家としては大ベテランの永田町のリーダーたちも同じようなものだから、ひとり橋下知事に求めるのも酷というべきか。




毎日新聞 2008年3月22日 大阪朝刊


長崎から中国へ=広岩近広(編集局)

2008-03-23 | Weblog

 浅い春の日、長崎を歩いた。中国とつながりの深い都市だとあらためて実感した。

 鎖国時代は唐貿易の唯一の窓口だった。1670年代の長崎の人口約6万人のうち約1万人を中国人が占めていたそうだ。坂道の途中にある唐人屋敷跡には、当時のよすがが今も色濃く残っている。

 その近くに建つ中国歴代博物館で、長崎県日中親善協議会の第61巻ニュースを読んだ。2人の中国人女性の手記は印象深い。長崎県立西高の李芳シ(ほうし)さんは、日中戦争の歴史観から「日本人に対するイメージは冷たくて情けがない」と思っていた。しかし今は、「私の第二故郷だと思えるぐらい好きです」と書いている。県立長崎シーボルト大に留学した李偉さんは「原爆のつらい思い出のある長崎」を語り、前長崎市長の射殺事件に触れて、こう述べる。「市民たちの怒りや平和を追求する強い意志を感じ取って、誠に感動しました」

 彼女たちの国が今世紀の主役であることは間違いあるまい。それは良くも悪くも、ということだ。著しい経済発展を遂げている一方で、軍拡もまたすさまじい。

 それだけに彼女たち長崎の留学生に、私は託したい。中国に帰ってから、友好と平和にとって何が必要で、何が邪魔かを訴えてほしいのだ。

 --率先して核軍縮に努めるべきです。武力に頼る国家や民族の統制は避けなければなりません。

 大甘だろうか。だが、急がば回れというではないか。中国の若者が多く留学する米国の都市に比して、古くから交流の歴史を刻んだ長崎には平和を育てる潜在力がある。




毎日新聞 2008年3月23日 9時37分


イマジン=花谷寿人(社会部)

2008-03-23 | Weblog

 中学の校長先生から「卒業を祝う会」への案内状をいただいた。4年前にこの欄で、卒業後に不慮の事故で亡くなった少年をしのぶ「記念樹」を紹介した縁だった。

 阪神大震災の体験を基にボランティア活動を広め、生徒会長として抜群のリーダーシップを発揮した山田聡君。校庭に植えられた桜の木は大きく育ち、後輩の門出を祝うように毎年、花を咲かせる。

 その東京都文京区立第五中学は来年の春に62年の歴史に幕を閉じ、近隣の学校と統合されてこの地を離れる。少子化や公立離れの影響で生徒が激減したためという。学校は、校舎が取り壊されても記念樹は残してほしいと教育委員会に要望している。

 「祝う会」では最後の卒業生になる2年生が劇を上演した。元校長で学校演劇の第一人者の小野川洲雄先生が書き下ろした「イマジン(想像してごらん)~たとえば、五中ものがたり」。2年生が3年生を送るためにどんな劇を作ればいいかを考えていく劇中劇だ。生徒たちが学校の歴史を振り返りながら、ここで学び、巣立っていく意味に思いをはせる。彼らが直接は知らない山田君も「我らが誇る先輩」として登場した。

 私は舞台を見つめていて、自分の母校ではないのに卒業生の一人になったような感覚にとらわれた。学校とは不思議な場所である。時代が流れ、人が入れ替わっても、卒業生が残したものが受け継がれている。劇はそれを実感させてくれた。

 山田君の桜の木は、たとえ校舎がなくなろうとも多くの卒業生が心に刻む「記念樹」として残るに違いない。




毎日新聞 2008年3月22日 0時03分