わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

開幕・松坂で気分一新

2008-03-18 | Weblog

 「らくらく」が「かんたん」に待ったをかけた。高齢者用携帯電話のデザイン酷似問題。ろくに取扱説明書を読まないわれら「ぐうたら老眼族」にとっては、いっそ全メーカー統一規格にしてほしいくらいだけどね。

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 円高、株安の暴風雨が吹き荒れる中、日銀総裁人事を巡るドタバタ劇が続く。政治の停滞が日本中を八方ふさがりの気分にさせていないか。もはや地上に「きぼう」はない、などと軽口をたたいている場合ではない。

    ◇    ◇

 その日本を元気にしてくれるか。レッドソックスの松坂大輔投手が25日の東京ドームで野茂英雄投手以来2人目の日本人開幕投手に。長男にウイニングボールをプレゼントできるかな。




毎日新聞 2008年3月18日 12時55分


春はイカナゴ=西木正

2008-03-18 | Weblog

 関西の春は、センバツと大相撲ばかりではない。ベテラン主婦たちがイカナゴのクギ煮作りと知人へのおすそ分けに、わが家秘伝の腕をふるう季節だ。なのに、である。

 出荷最盛期に、出はなをくじかれた。絶好の漁場である明石海峡で起きた貨物船などの衝突・沈没事故がじわりと響いてきている。

 兵庫県内の漁協は、重油が流出した現場周辺を禁漁海域にした。15、16日は他の海域も操業を自粛し、油の影響を確認するという。一時的な品薄も起き、小売店頭で例年の4~5割高が続く。

 一方で、重油が漂着した沿岸のノリ漁被害は深刻で、養殖網を全部引き揚げて焼却処分した地域もある。

 先に起きたイージス艦「あたご」の衝突事故と比較してどうだろう。過密な航路で自動操舵(そうだ)に頼り、見張りが不十分だった点は共通する。明石海峡事故による市民生活や生態系への影響は決して無視できない。

 あたご関係者の聴取に捜査当局の了解を取った、取らないの押し問答を繰り返している場合ではあるまい。航海ルールの見直しと再教育、電子技術を生かした航路監視設備の充実、さらには海外とも連携したシーマンシップの徹底と、課題はたくさんある。それは政治が主導して、いますぐやらねばならないことだ。

 昨年末、大阪湾岸の3港を統合して「阪神港」が誕生した。関西浮上の期待を担ってアジアの巨大物流拠点を目指す狙いだ。そこは同時に、食の自給の一端を支える命の海でもある。安全確保は絶対に欠かせない。その点だけは、クギを刺しておく。(論説室)




毎日新聞 2008年3月16日 大阪朝刊


師匠とその弟子=藤原章生

2008-03-18 | Weblog

 師とのやりとりは、わずか5分だった。「君は広島だったな」。昭和20(1945)年5月、京大で冶金(やきん)を学んでいた水田泰次さん(82)は、主任教授の西村秀雄さんに呼ばれ、そう聞かれた。教授室には故湯川秀樹教授もいた。「西村さんに、親は市内におるんかと聞かれ、そんならすぐ疎開しなさい、他の人に言う必要はないと言われ、その日の夜行で広島市に帰ったんです」。新型爆弾といった話は出なかったと記憶しているが、「先生の口調にただ事ではないと感じ、両親をせかし、大八車で県西部の廿日市(はつかいち)に疎開させたんです。お陰で家族は被爆せずにすんだ」

 戦後、水田さんは被爆者に申し訳ないという思いから、何も話せないまま、西村教授は物故した。教授は冶金学の世界的権威で、戦前から欧米の学者と交流していた。それでも、教授が何を、どう知り、なぜ広島出身の弟子にだけ疎開を勧めたのか、それは今も分からない。

 広島の旧制中学の同窓生で京大の物理を出た森一久さん(82)は、水田さんの話を聞き、湯川博士のことがようやくわかった気がした。「湯川さんは弟子がたくさんいるのに、東京で就職した僕をずっと可愛がってくれた。僕は被爆し、家族5人を亡くしている。『なぜ教えてやれなかったのか』という後悔があったんじゃないかと思うんです」

 あの日、湯川博士は友人だった西村教授の教授室で「何もしゃべらず、じっと話を聞いていた。証人のつもりだったんやないかと思う」と水田さんは振り返る。博士はその話を誰かにしたのか。痕跡は見つからない。(夕刊編集部)




毎日新聞 2008年3月16日 東京朝刊


甘い汁=落合博

2008-03-18 | Weblog

 上方落語に「ぜんざい公社」という噺(はなし)がある。たった一杯のぜんざいを食べるために男が窓口をたらい回しされ、書類を書かされ、手数料を要求されるという内容でお役所仕事を風刺している。法律をたてに威圧的な態度をとる役人たちが登場する。

 大相撲の力士暴行死事件について、ノンフィクション作家の長田渚佐さんが朝日新聞に意見を寄せている。「人命を預かる親方は免許制にし、更新が必要な形にするべきだ」。もろ手を挙げて賛同できない危うさを含んでいる。

 数ある職業資格の中で教員免許の更新制が来年度から始まる。10年に一度、30時間程度の講習が義務付けられる。「教員の資質維持と能力の向上」と言えば聞こえはいい。だが、国による学校管理が進むとの指摘もある。

 スポーツ界を見回すと、ライセンス(免許)の取得が義務付けられているのはサッカー・Jリーグの監督(S級ライセンスが必要)ぐらい。プロ野球は誰を監督に据えるか各チームが決める。アマチュアも同様。これをスポーツの後進性と切り捨てるか、自主・自立(自律)とみるか。

 自民党のスポーツ立国調査会(麻生太郎会長)が「スポーツ庁」の09年度発足を目指している。スポーツ関連予算を増額し、国家戦略としてトップアスリートの育成などに力を入れるという。さまざまな許認可の権限とカネを役人が握る。そして、政治の圧力が高まる。

 落語に戻る。ようやくぜんざいにありついたものの、少しも甘くないことに抗議する男に役人が言う。「甘い汁はこっちが吸うてます」(運動部)




毎日新聞 2008年3月15日 東京朝刊


もう一つの温暖化=中村秀明

2008-03-18 | Weblog

 同期入社が2000人以上というのは、どんな感じなのだろうか。

 大企業は09年春の新卒も大量採用に走る。中でも、みずほフィナンシャルグループや三井住友銀行の採用枠は2000人超。不良債権処理とリストラを優先し採用を抑え続けてきたとはいえ、ちょっと度がすぎるのではないか。

 空前の売り手市場には当然、副作用がある。企業の人事担当者からはこんなぼやきが漏れる。「なんとかなる、という空気が強く懸命さに欠ける」「何の連絡もして来ず面接や内定を辞退する」「会社選びの基準に雰囲気重視のような傾向がにじむ」

 ならば、と企業も対抗手段を講じる。かつては、「根気がない」「中途半端だ」と敬遠していた入社3年以内の転職組、いわゆる「第2新卒」の採用に力を入れる。前の会社の色に染まっておらず、社会人としての基礎は一応備わり、新卒より戦力化が容易という読みらしい。

 大手銀行役員は「大量採用も早い話、質と量の両面で歩留まりを考えたもの」という。何年かたてば相当数が辞めてと、第2新卒採用も要員計画に織り込んでいる口ぶりだ。裏返せば、学生にとって3年は「お試し期間」と割り切れるし、再挑戦も可能。なんともいい時代になった。

 ただ、そんな大企業と学生の駆け引きに振り回され、地方の企業や中小企業は採用に苦しんでいる。そして、何といっても「氷河期世代」と呼ばれる70年代生まれの層は、時代の不公平を感じ、憤っているに違いない。新卒採用の温暖化もすぎると、やはりよくない。(経済部)



毎日新聞 2008年3月14日 東京朝刊


1人250円=与良正男

2008-03-18 | Weblog

 米大統領選の民主党指名争いで大接戦を続けるオバマ氏が2月中に集めた資金は約56億円、対するクリントン氏は約36億円に上るそうだ。

 日本では「金権候補」と批判もされそうだが、オバマ陣営によると献金者の9割以上は100ドル以下の小口献金だと聞くと、市民が政治に参加しようというムードだけは少し見習いたいと思う。

 随分前から日本でも政治資金は癒着の温床になる企業・団体献金でなく、一人一人が自発的に寄付する個人献金にシフトすべきだと言われてきた。20年近く前には、経済団体が企業の部課長級と政治家との意見交換会をセットするなどして、意識改革を図ろうとしたこともあった。

 しかし、企業社会のおぜん立てには限界がある。その後も個人献金は増えず、今、各党の財政は(受け取っていない共産党を除けば)政党交付金頼みだ。交付金はもちろん税金。国民1人当たり年250円払っていることを忘れている人もいるかもしれない。

 日銀総裁人事で国会は大混乱。予算案審議も空転が続いた。今の与野党は一体何をやっているのか、確かに政治記者も説明に窮する。でもこんな状況が続くと「結局、どの党も同じ」「やはり政治家なんて……」という声が再び広がるのを恐れる。

 無党派は決してカッコイイものではない。選挙前だけでなく、日ごろから政党や政治家を有権者自らが叱咤(しった)し、育てていく政治風土をどう作るか。有権者も変わっていくべきだと私は思っている。

 少なくとも250円分は政治に口を出す権利が私たちにはあるのです。(論説室)




毎日新聞 2008年3月13日 東京朝刊


焼き尽くされた町の記憶=磯崎由美

2008-03-18 | Weblog

 ある場所を探し、私は東京都江東区の路地裏を歩き回っていた。3年前のことだ。

 一帯は1945年3月10日の東京大空襲で焼き尽くされ、住宅の地図さえ残っていない。かつてこの辺りに当時5歳だった女性の家があった。女性は大空襲で孤児となったが、どこか分からない疎開先で生きているはずの兄を60年間捜していた。私はそれを偶然に知り、何か役に立ちたいと思った。実家の住所が分かれば、足取りをたどれるかもしれない。

 焼け跡の町に戦後戻ってきたわずかな人を訪ねるうちに、高柳宏さん(76)に出会った。記憶を呼び起こしながら、紙と鉛筆で地図を描いてくれた。

 途中、急に鉛筆が止まった。「残念ですが、その人は知りません。でも私にも妹がいたんです」。家業は氷屋。自分は店を手伝い、妹は2階でお手玉をしていた。「フランス人形みたいに色白で、みんなにかわいがられて」

 焼夷弾(しょういだん)に焼かれた路面の上を7歳の妹セツ子さんと走った。学校が焼け落ち、突風が吹く。強くつないだはずの手が離れた。セツ子さんは炎の向こうに消えた。

 「ここで私が手を離したから……」。書きかけの地図を前に高柳さんの涙が落ちる。どうしてそこまで自分を責めるのですか。私はそう言いかけて、言葉をのんだ。

 今年の3月10日も高柳さんは杖(つえ)をつき、犠牲者を供養する東京都慰霊堂を訪れた。線香と花束を手向け、今も氷屋を営む町に帰っていった。

 戦争の記憶が町から消えても、あの日を忘れない人たちがいる。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年3月12日 東京朝刊


異界の魔性=玉木研二

2008-03-18 | Weblog

 夜7時過ぎ、東京都心の小石川安藤坂近くで、タヌキとおぼしき動物に出くわした。餌付けされたか、さして警戒する様子もなく、総菜のようなものを食べている。

 「あ、タヌキ」と通行人らが立ち止まり、携帯電話で写真を撮り始めた。じっくり見るより写真にする方が目撃の実感がわくかのようだ。暗がりで人の顔が携帯の発光に青白く浮かぶ様は、いささかゾッとさせるものがある。

 街にもタヌキが生息すると聞いてはいたが、実際顔を合わせると大都会の魔性の異界をちらりとのぞいたような気分になる。と言えば「笑止千万。人間界のネットこそえたいが知れず、制御できぬ異界ではないか」とタヌキは片腹をさするかもしれない。

 その異界には「分別」を溶かしてしまう魔性が潜むらしい。例えば、女子中学生と、いい年した会社員のネット上の「交際ごっこ」が三角関係の泥仕合に化け、警察が乗り出す事件に。高校の校長が元教え子に交際強要の脅迫メールを校長室などから送り続け、逮捕される始末……。

 「魔が差した」ではすまない、何かとりつかれたようなおぼれ方である。見ず知らず同士が引き寄せられるように集まり、車中の練炭で集団自殺する。90年代以降のこの続発は、たちどころに情報やメッセージが四方に疾駆するネットが可能にした。

 こんな便利な、驚異の能力と影響力を持った「道具」はない。人類社会に文字や鉄器を創造して以来の大変革をもたらしつつあるのかもしれない。だが、たまには電源を切り、何かとりついていないか心の鏡をのぞいてみよう。(論説室)




毎日新聞 2008年3月11日 東京朝刊