18年。
知らなかった信友直子監督、47歳、面白く考えさせられた。
介護、私も、昔、30年以上前、まだ介護保険などない時代に
1回、これは長かった。7、8年くらいか。
そしてもう1回、介護保険がしっかりできてから1回ある。
2回目は3か月で突然終わった。
1回目、同居でなかった介護、これは大きい。
介護をした、といっても、同居での介護とそうでない介護とは
天と地の差がある。帰宅すれば、違う場所がある。
1回目は子どもが小さい時だったので、
ダブルケアでもあったが、同居でないので、それほどは
大きな負担ではなかった。
幼稚園へ行っている間に手伝えた。
介護、夫婦なら、妻が夫をみることが多いと思う。
男性が小さい体なら別だが、女性よりは体重があり
背も高い。
男性を小さい女性が介護、特に70代以上の老老介護、
近くに頼れる男手がない場合が一番大変と思う。
排泄ができない、歩けても排泄がしにくい、オムツを使用は
手がかかる。
女性を男性が介護は、力があるので、家事を覚えればまだいいと思う。
家事は余裕があれば、介護でないヘルパーさんを頼める。
ここの介護、娘である監督は東京在住、同居ではない。
呉出身、東大卒、ドキュメント制作を手掛けている女性。
二人で海が見える港町、呉に暮らす父母の日常、
父、1920年生まれ、母29年生まれ、父の方が
9つ上なのに、しっかりしている。
母が、記憶などがおかしいと受診、
84でアルツハイマー型認知症診断
夫婦でどうにか過ごしていくか、
たまに東京から監督である娘が帰省し
様子をつつ、撮影したドキュメント。
父は耳が遠いがお元気。93歳。
この介護で一番よいことは家が平屋、ということ。
そして、呉、人が少なく、昼間、車も少ない。
それらがプラスになっていた。
この条件があってこそ、老老介護ができていたと思う。
監督は独身。夫婦は高齢、かなり食べるので、ヘアもふさふさ。
初めにうつる、監督が買っていくアナゴの駅弁、
かなりの量を、父母ともに
完食、普通に食べている。(笑)
お魚、大きなカレイ?丸ごと煮て、食べる。おかず量も多く
ご飯もかなり、80代以上でこれだけ食べるからこそ
二人でやってこれたと思った。
コーヒーも好きで、古いメーカーで父が入れている。
いわなければお元気な夫婦。
ただ、家がかなり古い。
片付ければ、もっと介護しやすい。
物が多すぎる。
食器なども。
これはTVで高齢の家を見ると必ず感じる、捨てられないのか?
思いでがあるのか?
私はバンバンすてているので、性格だろうか?
平屋でいいが、まず玄関にマットをしいてあり抑えをしていない。
つまづく。
低めだが段差がある。
父が買いもので、2つの荷物、これは座れるシルバーカー
を買えばいい。
あまりお金をかけずできるところは多数あり
工夫すれば楽になる。
石油ストーブの上に、狭い部屋で、やかん!
見ていてひやひやした。
それでも何とか二人で過ごすが、
だんだんと無理、介護保険を活用しようと、行政の力を借りることになった。
初めは嫌だったが、二人とも慣れ、
母はデイサービスに楽しんでいくようにもなった。
父は経理の仕事一筋。
それまで家事などしなかったのに、95歳
料理、洗濯、縫物まで
器用にするようになる。
包丁がおおきい!こわ。
火も危ないと思ったが、たまに来る監督、ヘルパーさん、
皆が力を合わせていた。
アルツハイマー型認知症でも、それほどは重くない気がした。
買い物は言えば、一人でお弁当を買ってこられる。
外へ出ても車がないので、危なくない。
これが東京なら無理だろう。
杖をついて歩く。
父も前かがみで、ゆっくり歩く。
買い物は重くてもしっかり持つ。
監督は45歳で乳がんになり、その後摘出手術をした。
抗がん剤でヘアがすべて抜け、泣いた。
母が来て励ましてくれた。
父母ともに、一人っこである監督が好きな道を自由にと、
素晴らしい考えの父母だった。
父母のために、仕事をやめ呉へ帰ろうかと言うが
仕事があるよ、と言われた。
食事は呉、海に近いせいか、
いつもお魚で、お肉はなかった。
ネット記事から、母は、今年、91歳で6月14日に亡くなった。
父はまだお元気だろうか?
今年、11月100歳になると思う。
レビューは多かった。
一人娘である監督、今はフリー、ガンになりまだ長く
経過していないので、自分の身体も心配だろう。
撮影は仕事、介護は
現実、なので、書いたように、もっと工夫をすればいい。
室内も片付ければ使いやすい。
こういう事は行政の方はほぼ言わない、言えないので
家族がらくになるように説明することが大事。
地震があれば、物が多いと大変になる。
介護では、物を整理すること、が大事と経験から感じた。
ラスト、まだ母は亡くなってはいないが、
眠ることが多くなり、老衰での死だろうか~
99歳の父が、がんばった約7年の介護。人生これを経験するか、
しないかは人生観に大きな差はでる。
呉市地域包括支援センター~介護2と認定、ケアマネはここから、
呉中通病院~母がかかっていた
虎ノ門病院~監督ががんの手術をした。
東京では、ポレポレ東中野で公開された。
以下、ネットから。右が父。髪が多いでしょう。
信友直子
1961年広島県呉市生まれ。東京大学文学部卒。森永製菓入社後、「グリコ森永事件」当時に広告部社員として取材を受けたことがきっかけで、映像制作に興味を持ち転職。
制作プロダクションを経て2019年10月現在はフリー。
主にフジテレビでドキュメンタリー番組を手がける。「仕事が恋人」を公言し独身。
2005年子宮筋腫により子宮摘出手術、2006年インド旅行中に列車事故で重傷、2007年乳がんを発症など波乱の人生。
乳がんの経験はセルフドキュメント「おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記」(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」)として放映。
98歳にして、新聞4紙を毎日読む知的な父。京大を目指すも戦争で断念。その無念を果たすように、東大に合格した信友監督。卒業後、森永製菓入社、社内コピーライターに。
その後、テレビ番組制作会社に入社。
2010年に独立して、フリーディレクターになる。身体障害者のお笑い芸人、年老いた大道芸人の赤貧な暮らし、北朝鮮拉致問題、ひきこもり、若年性認知症、アキバ系、ギャル、草食男子の生態など、あらゆるテーマのドキュメンタリー作品を100本近く手がける。
信友監督の好きなことを仕事にした生き方。
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