言語空間+備忘録

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竹島密約

2013-01-24 | 日記
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.187 )

 日本と韓国が国交を正常化するために越えなければならないハードルのうち、最も難易度が高かったのが竹島問題であった。1962年9月に日韓の関係者によって行われた「(日韓)政治会談予備折衝第四次会議」の記録には、次のようなやりとりがあった。出席したのは井関祐二郎アジア局長、杉道助主席代表。韓国側は崔英澤(チエヨンテク)参事官、義煥(ベウイフアン)主席代表である。
井関 請求権問題が解決可能な段階に入れば、さまざまな問題が論議されることになるでしょう。竹島に関する問題もそのとき議論されることになります。

崔 また独島問題を持ち出すのですか。河野(一郎)氏は、独島は「国交が正常化されれば互いに譲ろうとしても、貰おうとしないくらいの島」という面白い表現をされました。(なのに)なぜまたその問題を言うのですか。

井関 実際、竹島はさほど価値のない島です。日比谷公園くらいの広さで、爆破してなくしてしまえば問題がなくなるでしょう。(以下略)
(前掲『竹島密約』より)
 また、1965年5月のラスク米国務長官、朴正煕韓国大統領の会談でも、似たような見解が示されている。
ラスク 独島・竹島には、韓国と日本が共同管理する灯台を立てて、島の領有権は決めない方がいいのではないでしょうか。

朴正煕 韓日国交交渉で暗礁となっている独島は、爆破してなくしたいですね。
(前掲『竹島密約』より)
 日韓の外交関係者のみならず、河野一郎や朴正煕といったキープレイヤーである大物政治家が「譲ろうとしても、貰おうとしない」とか「爆破してなくしたい」と似たような発言をしているのが興味深い。国交回復という大事業の完遂を「日比谷公園ほどの大きさしかないさほど価値のない島」が阻んでしまう歯がゆさから、つい「爆破」という過激な言葉を使ってしまったのだろう。逆にいえば、それだけ、この問題が難問である証拠でもあった。
 日韓首脳は「(竹島/独島という)島が国交正常化の妨げになってはいけない」との認識で一致する。そして、この案件の解決を「棚上げ」することで日韓は密約を結んだ。当時の様子を前掲の『竹島密約』から以下、引用する。
 河野一郎の密使役である宇野宗佑(そうすけ)、国務総理で日韓交渉の責任者である丁一権(ジヨンイルクオン)らが、密約会談にのぞんだ。なお、密約が交わされたのは1965(昭和40)年1月のソウルである。河野が用意したA4の紙4~5枚のうち、竹島に関する内容は、一つの大原則とイロハニからなる4つの条項が付属していた。
 竹島・独島問題は、解決せざるを持って、解決したと見なす。したがって、条約では触れない。

(イ) 両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。

(ロ) しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。

(ハ) 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。

(ニ) この合意は以後も引き継いでいく。
「日韓基本条約」は翌2月に仮調印、そして6月、条約調印という流れで締結される。その4カ月の間に、どうやって密約という形をつけるのか、調整が行われた。そして、密約が公にならないように考え出されたのが、条約とともに調印された「日韓紛争解決に関する交換公文」という付随協定であった。
 日韓双方は、定型の書簡を交換する。双方とも、領有権を主張する内容の文面を出し合うものの、双方共にこれ以上の問題解決の進展を求めない。儀礼的な「空文」を交わすというものであった。日韓政府は問題解決のために一芝居打つことにしたのだ。
 1965(昭和40)年6月22日、日本と大韓民国は「交換公文」とともに「日韓基本条約」を正式に調印する。14年間にわたり、1500回以上の会談が繰り返されてきた日韓による国交正常化交渉はようやく幕を下ろすこととなった。


 日本も韓国も、竹島(独島)は重要ではない、存在しないほうがよいくらいの島だ、という認識で一致していたようです。

 だからこそ「現状維持」を基本線とする密約がなされた、という流れはわかりやすいのですが、



 この密約の内容はどうみても、「一方的に韓国側に有利」です。

 なぜなら、韓国側が密約を破って警備員の増強や施設の新設、増設を行った場合、日本側には、韓国を批判・非難する手段がないからです。たとえ日本側が「密約」を公表して韓国を論難したところで、韓国側に「密約」の存在を否定されてしまえば終わりです。

 逆に、日本側が密約を破って竹島を占領しようとした場合、それはあきらかな実力行使ですから、韓国側は密約の存在に言及せずとも日本を非難することが可能です。韓国としては、「日本の一方的な武力行使」として国際社会に訴えれば、それでよいからです。



 とすると、日本はなぜ、「日本に一方的に不利」な密約を結んでまで、韓国との国交を正常化しようとしたのかが、問題になります。

 日本としては、韓国との国交を急いで回復させる利点はなかったのではないかと (私には) 思われるのですが、これは私の理解不足なのでしょうか?

 なぜ、日本は (国益を犠牲にしてまで) 韓国との国交回復を急がなければならなかったのか、その事情をご存知のかたがおられましたら、ぜひ教えてください。

4 コメント

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Unknown (anon)
2020-06-05 20:44:05
1949年の中国の共産化、1950年から始まった朝鮮戦争により、アメリカの方針が変わりました。1951年7月頃からアメリカ政府主導による日韓関係改善への動きがありましたが、当時の韓国大統領・李承晩による暴政のために上手くいきませんでした。

2015年6月24日 WEBVoice 「日韓基本条約50年目の真実~韓国に助け舟は出してはならない!」
第2章 ”日韓国交回復交渉の経緯” 拳骨拓史著 
によると、日韓問題の改善を最も強く言い出したのは、1960年11月の大統領選に当選したケネディ大統領だったようです。

当時の韓国は朝鮮戦争により、毎年1000万世帯の農民が深刻な食糧不足に困窮し、約700万人の失業・半失業者が恒久化しており、北朝鮮やフィリピンより貧しい状況にあったそうです。
この時、北朝鮮の金日成よって朝鮮統一提案が韓国に対し行われていました。当時の北朝鮮の経済発展は目覚ましかったので、韓国では朝鮮統一への機運が急速に高まりつつあったそうです。

そのことに危惧したケネディ大統領は、池田内閣の陰の官房長官と呼ばれる伊藤昌哉に頼んで池田勇人首相に働きかけたのがその始まりのようです。

1961年5月16日、韓国では朴正熙らが軍事クーデターを起こしました。朴大統領は疲弊した経済を復興するためにも、日米からの多額の援助が必要で、アメリカも韓国を共産主義からの防波堤とするために、積極的に日本政府に韓国との国交正常化を後押ししたのが密約交渉の原因のようです。

★しかし、この「日韓密約」は、2012年8月10日の李明博(イ・ミョンバク)大統領による竹島上陸によって無効になったと韓国の報道機関は報じています!!!

詳しくは、" hankyoreh [韓日国交50年の争点4] 李明博独島訪問で死滅した密約 "  2015-06-05
に、

「独島密約とは、韓日会談が終結に向かう1965年1月11日、ソウルで丁一権(チュン・イルクォン)国務総理と河野一郎・自民党副総裁密使の宇野宗祐との間で確定した合意を指す。密約を通じて韓日両国は独島問題を ”解決せざるをもって、解決したとみなす。したがって、条約(韓日協定)では触れない” としてこの問題の解決を事実上棚上げした」

<中略>

★★「ようするに両国は独島問題を密約として封じ込めたが、李大統領の無分別な行動がこれを壊したという結論に至ることになる」

として、竹島密約の無効を解説しています。

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Unknown (anon)
2020-06-04 12:23:20
私は米国政府は「竹島は日本領」だという事を知っているのだと思います。2019年に米国国立公文書館で見つかった「米国国務省機密電文3470号」(1960年4月27日03:00PM付け駐日米大使ダグラス・マッカーサー2世より米国国務省向けに送られた機密電文)に、韓国が不法に竹島を占領している旨が書かれています。

しかし一方に肩入れをするとアメリカの国防戦略にとって困難が生じるので、日韓両国の争いとして現在に至るまで静観しているのだと思います。

その原因は1949年の中国の共産化、1950年から始まった朝鮮戦争により、アメリカの方針が変わったのだと思います。韓国政府は一度言い出したら絶対に自分の主張を曲げないので、アメリカ政府(軍)から日本政府に「大人の対応」を内密に”要請”すれば、アメリカにとって都合が良いのが現実ではないでしょうか。

朝鮮戦争後の冷戦下、アメリカは韓国を共産主義からの防波堤として、経済の復興など韓国が自立できるようになることを最優先課題としていたのではないでしょうか。

それには、日韓国交正常化の最大の障害である「竹島問題」を早急に解決し、日韓国交正常化が速やかに達成されることをアメリカが裏で後押ししていたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

2019年9月9日付けの 「NEWSポスト」”戦後の日韓外交はカネにありき、これが後に大きな禍根を残した” に興味深い事柄が書かれています。

(日本はアメリカの意向を忖度して、)1965年の日韓国交正常化以降、韓国への経済協力で多くの日本企業が韓国へ進出し、韓国は「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げた。

その後も両国の経済関係は蜜月が続き、親善窓口となる日韓協力委員会や日韓議員連盟には与野党の国会議員がこぞって参加している。(この時代は韓国では日本語を話す世代が主流で、)日本の「親韓派」・韓国の「親日派」の政治家が政権中枢にいて、メディアもまたその”友好”を伝え続けた。

ここで注意しなければならないのは、両国の歴代の主要政治家たちによる、「その場限りによる利権や贖罪のための友好」というような、真の「善隣外交(隣国との友好を深めるための外交政策)」とはかけ離れたことが行われていたということです。

日韓請求権協定が締結されると、日本から韓国に巨額の資金が流れ込みます。この補償金が日韓の政治利権と化していきます。日本からの経済協力は現金ではなく、日本政府が日本企業から車両や重機や工作機械などを買い上げて韓国に渡したり、日本企業がインフラや製鉄所などを現地に建設したりするというスキームだったそうです。

商社やメーカーはこの資金で次々と韓国に進出します。援助を受けた韓国企業の中から財閥が生まれ、朝鮮戦争で打撃を受けた韓国経済は朴政権下で「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる成長を遂げました。

援助物資を日本企業から買い付けるのは日本の政治家で、韓国でどの企業に配分するかを決めるのは韓国の政治家であったことから、日韓の政界と財界は、国境をまたいだ ”利益共同体” として結びつきを強めていったのが、現在に至るまでの日本の政治家たちの失墜につながつているのではないでしょうか。

私は「日韓密約」で取り決められた4つの条項:

(イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。
(ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
(ハ)★ 韓国は現状を維持し、警備員の増強や施設の新設、増設を行わない。
(ニ)この合意は以後も引き継いでいく。

のうちの、(ハ)の条項が韓国によって一方的に破られてしまったので、「米国国務省機密電文3470号」の4ページに書かれている、「最低限、我々(米国)はこの件を国際司法裁判所( ICJ ) に付託し、仲裁を求める事に合意するように(韓国に)主張すべきである」を根拠に、韓国に対して「竹島問題を国際司法裁判所( ICJ ) で解決するように我慢強く主張し続ける」ことが、日韓関係の未来を切り開くカギになると個人的には思います。
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Unknown (memo26)
2013-01-28 11:46:04
 コメントありがとうございます。

 とすると、日本は米国の意向によって、(日本に)不利な密約を結んで韓国と国交を回復したということになりますね。

 この密約は一見公平に見えるけれども、実際には日本に一方的に不利な内容なので、日本国内(政治家)向けの「説得材料」だったのかもしれません。
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Unknown (Unknown)
2013-01-24 19:08:09
日韓国交正常化を後押ししたのは米国だったはず
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