評価
再読(前回2019年10月26日)。
いよいよクライマックス。明治38年5月27日午後2時8分、連合艦隊捨身の敵前回頭から大海戦の火蓋が切って落とさせた。結果、バルチック艦隊は全滅し日本側は水雷艇3隻沈没の大勝利となり日露の戦いは終結をむかえポーツマス講和条約締結へと進むのであった。
露旗艦の乗組員を残し駆逐艦へ移った司令官ロジェストウェンスキーの往生際の悪さが敵ながらあまりにも情けなさ過ぎ。ま~、満州での陸軍同士の戦闘が長引いていれば日本の敗戦もあったかもしれないので、ロシア側陸海両司令官のおかげと感謝せねばならないのでしょうね・・・
なお、当時、少尉候補生の山本五十六が装甲巡洋艦・日進に配属となり、日本海海戦で左手の人差指と中指を欠損、左大腿部に重傷を負っています。