決勝は一高・林、盛商・滝村の投げ合いとなった。一関商工にコールド勝ちした一高打線もこの日は沈黙、終盤8回2点を許し、「44イニング無失点」の滝村の前に一高は敗れ去った。
盛岡商 000000020 2
盛岡一 000000000 0
私はこのとき会社(東京)にいて仕事の合間を見つけて盛岡の友人の職場に電話をした。替わりに出た女子事務員の「2対0で負げました」という盛岡イントネーションが今も耳を離れない。「そんなはずは...」、多くの白堊同窓生も信じられない敗戦に呆然としただろう。負けるはずの無い戦い、しかしこれが野球なのだ。7年ぶりの甲子園は掌中から逃げていったのである。
その日、林、金野ら3年生は、小山卓也野球部長宅に集い、3年間の思い出と将来の夢を語り夜を明かした。そして早朝、前日決勝の熱気さめやらぬ岩手県営球場で校歌を斉唱し散っていったとのことである。
だがこの昭和50年物語は終わらない。東京六大学・神宮球場へと、そして一高野球部創部100周年記念試合、一高OBVS盛商OBへと連なっていく。(続く)