真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

2011年9月20日 火曜日

2011年09月20日 23時57分32秒 | Weblog
8,244位 / 1,634,177
天気   雨
7時20分、起床
7時33分、体温 :35.0℃ 
7時35分、血圧 :144 70 脈拍 :75
7時50分、歯磨き、洗顔、体重 :65.9Kg
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 1時半には寝た。それでもまだ暗いうち4時過ぎには目が覚めていた。
後で妻も、早くに目が覚めたと言うので、何か、気圧とか、湿度気温などが関係していたのかもしれない。
 このところ、思うことがあり、血圧が高めになっている、心配。それに出かけられないので、運動もしていない。
朝食などいつもの事を済ませる、救急車のサイレン、近くで止まった。
 妻に見てくるねと言い、家を出ようとすると、雨が降っている、傘をさして六仙公園に行く。西の道路に救急車が来て止まっている。
 公園の道で、近づいてみる、顔なじみの奥さんの家の隣。その奥さんが心配そうにのぞいている。そして、息子さんの所へ行き「どうしたのよ」などと心配して声をかけている。
 救急隊が「2階からおろす」など会話が聞こえてくる。さほど心配しなくても大丈夫そう。遠くでまた消防車のサイレンが鳴っている。公園南口までくる、消防車が事らに向かっているようだ、局全までサイレンを鳴らしてくる。そして4人ほどが、おりてくるが、みな救急の服装、2階からおろすのに、救援を頼んだのであろう。
 これで安心家に戻る。妻にそんなに心配しないでも大丈夫そうと言う。昨晩からDMM返却が、テーブルの上に置いてある。外に行ったついでに、ポストに入れてくると、また出かける。ポストに入れた後また六仙公園に寄ってみたが、まだ搬送されていなかった。

 雨の音がひどいので妻が送っていってと言う。8時半、下に降りていく、妻が外に出て大丈夫そう、と自転車で傘をさして、出かけて行った。
 部屋に戻りパソコン、一通りメールなどをチェックしておく。異常なし。
その間9時過ぎ長男が下に。
 9時28分下に降りていく。「雨降ってるの」と長男。わからないけど、夕方から雨みたいから、送っていくよ、と言う。
 9時40分、家を出るやはり雨が降っていた。電話があるかもしれないので、ハンズフリーをセット、イヤホンをはめておく。9時51分、ジェイコム、荒明さんから電話が入り、2時、マクドナルドで会うことに、協立機械の五十里さんにも、声をかけるとの事。
10時03分長男を送る。蝉丸の前を通る。店は開いていたが中は暗い。
10時38分、所沢街道、BigAに寄る。食パン3斤、半額、買う。10時43分帰宅。部屋に戻り10時50分パソコン。
 印刷、11時35分、インク、ライトマゼンタ、交換する。
11枚印刷、終わると12時45分になっていた。
歩いていくつもりなので1時過ぎには家を出ようと思っていた、着替えをして、資料をもって、一応傘も持って13時10分、次男に、行ってくるよと、家を出ようとすると雨、出鼻を挫かれる、車で行くよと次男に言い直し、13時20分家を出る。
 ダイソー前沢店に時間をつぶそうと寄る。
A4の名刺ホルダーを買う、あれほど探しても値段の高いものしかなかったのにミニプラグからミニプラグのコードが入っている、すぐなくなるだろう2つ買っておく。
ステレオ出力分配器も、FOMAのUSB通信ケーブル、これは失敗、次男から貰ってあった。
 革製の、携帯ケース、等買う。14時10分前になったので、マックへ行く。一番手前の駐車場へ停める。
カラスを通して奥の席に見慣れた人が、いつもぎりぎりに来るのに、こんな時に限ってもう来ていた。
 チーズバーガーとマックシェイクを、取ってくれる、五十里さんは、30分は遅れるのが当たり前など言いながら打ち合わせ。
  まずは10月の行事、エコロジー活動、今回は小金井公園、行事があるため田無駅周辺、西東京市役所、田無庁舎、市民広場集合で、10時から11の間、
行うこととなった。参加者には、記念品、アロマブロックが、

 昨年と同じ、小金井公園から多摩湖までのウォーキング、集合時間が早くなり9時、小金井公園、11月12日。
そのため、恒例の、手塚治虫記念ウォーキングを、いつやろうかについて。
私から11月中にはやりたいのでと提案。11月末に、開催すると言うことで、検討。
 そのた、今年は年越しそばに、間に合うように、等。
五十里さん見える、御持たせ、頂くなどなど、
16時先に荒明さん社に戻り、16時20分、五十里さんと店を出て、16時30分家に戻る。
鍵がかかっていた。部屋に戻りパソコンスイッチを入れる。電話はなさそう。それでも手元に置いておく。
17時20分、歩きで、買い物してきたと、妻と次男が戻ってくる。次男はすぐにシャワーを浴びていた。
 パソコンでページつくりなど、梃子摺っている、と、18時04分、長男から迎え依頼の電話。
18時35分社に着く、すぐに長男が来る。蝉丸和えを通る。お客が来ているようで、明かりがついていた。
18時55分家に戻り部屋に行き、パソコンの続き。
19時30分、食事用意が出来たと妻が呼ぶ、
20時部屋に戻る。20時30分お風呂が、45分位は出て、パソコン。

 現在の、著作権法って、いまは昔の車検制度と似ていないかい。
昭和50年代、前までは、車は整備工場で、整備しないと、車検はできなかった、とほとんどの人が思い込んでいた。整備工場でさえ、東京都認定工場などと言う看板を出し、工場主など誰もがそのように思っていた。
だから自動車整備士になれば、食いっぱぐれしないと言う、伝説であった。それが、昭和50年代、間違いだらけの車選び、等から、端を発し、車の持ち主が、自分で整備して車検場に持ち込み、車検を取れると言い出した。
 これには、整備工場が驚いた、まじめに、車検場へ乗り込んで、どういう訳だと、検査員に詰め寄るのを、何度も目にした。しかし法規には、できると言うことが書いてあった。
 そのた、売り上げが少し落ちた工場が増えた。
平成になり、規制緩和で、一層ユーザー車検が取りやすくなった。それ専門の店や、ガソリンスタンドでも、代行した。整備士の価値が低下した。
 もともと、自分で整備できたのに、自動車関係法規が複雑で、いつのまにか、認証、または認定工場でないと、車検はできないと言う、事になってしまっていた。

 現在の、著作権法ってそれによく似ている。昭和45年著作権法の事を聞いた。
ふしぎなメルモのころ、たぶん日本漫画協会、買何かで手塚先生が役員をしていた、(と思っている)
紺色の表紙の本であった。何冊か手塚先生から渡され、会員の、漫画家に届ける様、お使いした覚えがある。
 そしてその本を、一生懸命読んだ、(西崎氏と一緒に)
そんな思い出がある法律。その時には、いかに、手塚先生の権利を守るかであったが、
 今、著作権と言う名前が先走り、さも、すべてにおいて、所作者が、権利を持っているかのごとく、誤解されたまま、教育者、官庁、そして、原作者の管理団体が、著作権の勉強もせず、車検と同じような状態で、庶民に恐怖を与えて、何でもかんでも、だめ、と言うことにしてしまった。
 大事なのは、純粋に、それも使用したいい人まで、規制しているわけではないことをわかってほしい。
せめてネットで、調べることぐらい、してみれば、いろいろな例を挙げて、書いてくれているページがたくさんある。
 著作権法を作るにあたっての、本来の意味を忘れてはならないのであり、著作権を侵害するものを取り締まる法律であり、営利を目的とせず、無償で、法律に基づいての使用であれば、教育、文化、科学の発展のために阻害してはならないのである。そのことを、国民に知らしめることを怠っているのは、やはり、独占欲、金がらみ、と言うのはとても悲しく、著作権法を、作った人たちの、本来の心を蔑ろ、侮辱、無視、するものである、他無い。end

 ブログを書いておく、また日付が替ってしまった。あしたは、くるかな?それにしても、ひどい雨の音
コメント
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